第338話 一つの真実 ――戦いの果て――
当たり前だが、商談が成立しても、カイトの正体を発覚させても、話し合いは続く。とは言え、商談が成立すれば、後は本当にリオン達一家が聞きたい事を聞く質問大会の様相を呈していた。別にリオンとしてもカイトの正体を暴いたからといって、何かをするわけでは無い。やる必要性も低い。
それ以前として、そもそも彼は手の中にある物で満足している。それさえ守り抜けるなら、それで良かった。カイトとの友誼を得られた、というのはその為の保険に近い。というわけで、これは究極的には、貴族としての娯楽の一環に過ぎなかったのだ。
「じゃあよ、あの堕龍討伐ってのは実際にはんなに深い所でやってたわけじゃねーのな」
「当たり前だろ。そもそも人里近くに現れたあいつを遠ざける為に単騎で戦ってたんだ。それが気づけば冥界の森だった、ってのがオチだ」
そうして出る質問は当然だが、彼の異名で欠かすことの出来ない二つ名の一つである<<龍殺し>>の顛末だった。そうしてカイトから語られたぶっ飛んだ内容に、リオンが顔をしかめる。
「うげ、ってことは、あそこまでかの武神は行ったってことか……」
「まあ、正確にはおっさん率いるギルド<<暁の先駆け>>が、だな。まあ、あそこまでを一日で踏破出来たのは、後にも先にもおっさん達だけだろうな」
「……ん?」
「あれ?」
そこで、リオンとシリウスが違和感に気づく。カイトは戦闘中に、人里からそこまで移動したのだ。そして、冥界の森付近は特殊な力場が形成されており、転移術が使えない。それは、つまり。
「あの、カイトさん」
「ん? なんだ?」
シリウスの問い掛けに、カイトが首を傾げる。ちなみに、カイトはシリウスからも請われ、素の口調で話す事になった為、この口調である。
「どのぐらいの速度で移動されてたんですか?」
その言葉に、カイトも漸く違和感に気付いた。カイトも嘗て、冥界の森の奥へ行くのに片道半月を要したのだ。それが、戦闘中には、一日と掛かっていないのであった。転移術が不可能なのに、これは少し可怪しかった。
「あれ?」
「お主な……」
そんなカイトに呆れているのは、ティアだ。彼女ら古龍はあの戦いの全てを見ていたのであった。
「あそこは入り口じゃったじゃろ。まだまだあそこからが長い」
「あ、そか。そいや、おっさんとも村で会ってたわ。そのおっさんらと森であってんだから、当然近場か」
たはは、とカイトが笑う。カイトの勘違いであった。カイトも人の子である以上、こういった勘違いや記憶違いは起きる。それを見て、シリウスやリオンは何処か遠かった勇者という存在が、身近に感じられたのは、良い事だっただろう。
「そいや、ユリィが呼びに行ってたんだっけ。いやー、必死過ぎて忘れてたわ」
カイトが照れ隠しに笑いながら、あっけらかんと告げる。必死、というより、お互いがもはや理性なくただただ暴を振るっていた為、気付いていなかっただけであった。
ちなみに、両者の戦いがあまりに凄惨すぎて周囲の魔物が逃げ出していた為、バランタイン達が安全かつ即座に駆けつける事が出来たのだったりする。
「まあ、そんなこんなで討伐出来たわけなんだが……奴も戦争の犠牲者でな」
ひとしきり笑った後、カイトが何処か遠くを見つめながら苦笑する。それは自らが恨み、自らに恨まれながら最後には自らに勝った仇敵への憐憫だった。
「結局、二人して恨みの連鎖に囚われて、意味のない戦いをしちまった。世界の歴史にもしも、が許されるなら……もしかしたら、オレの騎龍はティアではなくて、あいつ、だったかもしれないな」
それを知ったのは、全部終わった後だけどな、とカイトはそう言って、当時を思い出す。とは言え、そんなカイトの言葉を聞いて、ティアが苦笑を滲ませた。
「その場合でも、妾であった気もするがのう」
彼女がカイトの騎龍となったのは、ティナを救い、カイトの目指す未来とそして彼の本当の真実を見たからだ。
それ故、あの堕龍が喩え騎龍となっていても、彼女もカイトの騎龍となっていた可能性は十分に考えられた。別に騎龍が一体だけである必要は無いのだ。ならば、十分にありえる可能性だった。そんなカイトに対して、シリウスが問い掛ける。
「でも、勝ったんですよね?」
「勝てた、か……」
シリウスの言葉に、カイトはどうだろう、と考える。生き残ったのは、自分だ。それを勝ちと捉えれば、確かにカイトの勝ちだ。しかし、それは少し違う様な気がした。
「……どうだろうな。オレは、最後の最後で、奴に負けた、のかもしれない」
この言葉には、ティナさえも驚く。彼女もまた、カイトがここにいることから、勝ったものだと思っていたのだ。カイト自身が汚点と捉えている武勇伝にそこまで興味があったわけでも無いので、それ故、ここの話は聞いた事が無かった。そうして、カイトは更に続ける。
「最後の時。オレはあいつに生かされた。それは、あいつがオレに全てを託したから、だ。なら、やはりオレの負け、だろうな」
「それは、正確ではないな。あいつは負けた。いや、それ以前に戦う前から負けていた。それは事実だろう?」
何処か自嘲する様なカイトに対して、グライアがカイトが負けた、という事を全部では無いが否定する。しかし、この否定にはカイトから否定が入った。
「……なら、良く見て相打ちか?」
カイトも堕龍も、狂い、哮り、何もかもが紅と黒に塗りつぶされた中で只々お互いの生を喰らい合った。それ故、お互いにまともな状況ではなく、カイトも、あの堕龍もまた、死の淵にあった。
それ故、カイトは相打ち、と言ったのだ。だが、今度はそれをグインが否定する。それも、外からは聞こえない様に結界を張り巡らせて、だ。これは彼女らにとって大切な事だったからだ。
「それも、違う。それ以前の問題。戦う事自体、貴方が決めていた事のはず。それ以前として、そんな戦いに勝ち負けは無い」
グインは彼女らだけが知る真実を、カイトに指摘する。これはティナさえ、ユリィさえ知らない真実だった。それを知るのは、戦い全てを見ていた彼女達古龍だけだ。そうして、グインは更に続ける。
「それに彼は戦いの中で貴方の中に大切な友の影を見た。それは必然なのだろうけど、その貴方と戦い、貴方を狂わせ、堕とした時点で、彼は勝者にはなれない。だからこそ、彼は貴方に生を譲った……譲らざるを得なかった。堕ちて堕族となった貴方を、自らの存在を掛けてこの世界に引き戻さなければならなかった。他ならぬ大切な友との思い出を守る為に。その結果こそが、今の貴方の黒白の姿。そして、貴方はそれを知っても、生き残る事を受け入れた……あの子と、そしてあの女神に謝る為に」
グインの指摘を受けて、カイトはユリィを流し見る。これはユリィさえも知らないことだった。ユリィも勘違いしているが、カイトは堕族に堕ち掛けたのでは無く、完全に堕ちたのだ。それも彼女のあずかり知らぬ所で、だ。
それを必死で止めてくれていた者の事を、カイトは全てが終わってから気付いたのだ。それ故に、カイトは今の自分を受け入れている。
「わかっているさ……オレは、死ねない。オレの贖罪は終わってない。半堕族となった事を、シャルに懺悔しないといけない。オレがこうなる事を危惧し、守る力をくれたシャルに謝らないといけない。確かに、オレが敗者なのでは無くて、あの戦いそのものが単なる無駄骨。くだらないほどに無意味な戦いだ。勝者も敗者もいない戦いだった……いや、やはり結局はオレも敗者だな。止めてくれていた奴らの事に気付けなかったんだからな」
「今わかっていれば、それで良いだろう。過去を悔い改めた今の貴様が、全てなのだからな」
自らの右手を覆う半堕族の証である漆黒の闇を握りつぶしたカイトの言葉に、グライアが笑いながら慰めの言葉を送る。
半堕族。それは一度恨みや怒りにとらわれて自らの理性を完全に捨て去った獣に堕ちた者の証。戦うだけの狂戦士に堕ち、それでも再び人に戻ってこられた帰還者の証だ。
これこそが、カイトが生命を使い潰した結果、だった。そして復讐の道を極めた結末が、人では無く獣に堕ちる、という結末なのである。本来ならば戻ってこれぬのが道理で、カイトは敵側の理由で戻ってこれただけだ。だからこそ、全員にこうはなるな、と告げていたのである。戻ってこられるはずが無いからだ。そうして、カイトが明言する。
「オレは、あいつに救われた。爺さん達を殺した仇だった者に。そして、同時に、過ちを指摘し、指摘された」
これはカイトが常に公言していることだ。かつて、敵であった者に救われた、と。しかし、その敵が誰であったのかは、ついぞ語っていない。語れることでも無かった。
「二人して恨みに狂い、只々暴虐を振るう悪鬼と化した。だが、先に戻ったのは、奴の方だ」
「そうだ。だが、貴様を堕ちる事を阻止出来なかった事が、余らの最大の後悔だ。そしてあれが狂うのも止める事が出来なかった。被害を出すのを防げなかった」
「否。妾らは止めようとしておらなんだ」
沈痛な面持ちで、二人がカイトに謝罪するかのように言う。最もの犠牲者はカイトなのだ。全てを奪われ、ありとあらゆるモノを対価に、カイトは堕ちた龍を止めたのだ。そうなった責任の一端は、紛うこと無く、彼女らにあった。
彼女らは全てを見ていた。だが、見ていただけだ。様々なしがらみから何も出来なかった、ということもあるが、やろうと思えば出来たのである。それをしなかったのは、彼女らの選択であった。その結果が、カイトである。
「全ては妾の所為やもしれん」
「言うな」
ティアが自責の念に駆られたのを見て、カイトが僅かに叱責を滲ませて告げる。ある意味、それは正しい事ではあったが、彼女が自身を責める道理では無かった。だからこそ、カイトも知っている事実を告げる。
「お前はお前で正しい事をした。そしてそれは、あいつの願いでもあった。だが、その後は奴自身が決めた事だ。そして、傲慢であったのは、奴の責任だ。ならば、狂ったのは奴の責任だ」
彼は傲慢であった。だからこそ、彼は大切な者を奪われた。そして、怒り狂った。そして、堕龍となった。それは純然たる事実だ。それを、カイトは指摘しただけだ。だが、それでも、気がすまなかったのもまた、事実だ。
「それでも、やはり、謝らせてくれ。カイト、すまなかった」
グライアが、カイトに対して頭を下げる。それに合わせて、ティアも、グインもまた、頭を下げる。
「……だから、別にいいって」
そんな律儀な古龍たちに、カイトが微笑む。彼は自身の決断に、後悔は無かった。喩えそれが自身が人間であることを辞める結果となったとしても、だ。だがそれでも、彼女達はカイトに謝りたかったのだ。そして、カイトもまた、謝罪したかったのだ。
「本当ならば、お主には人間として、生を終える権利があった」
「だから」
ティアの言葉に頭を掻いて何か言おうとするカイトだが、それをグライアが遮る。彼女らは実は、ある一つの事を今回カイトに告白しようと思って、この旅行に参加していたのである。
実はそれは今の話題に関する事で、告白すべき時は今だ、と思ったのだ。まあ、彼女らも、まさかここでそれをやろうと思ったとは、と後に苦笑していたが、それでも、この想いを忘れない為に、今でなければならなかった。
「オレの所為だ、オレが選んだ道だ、だろう? それは違うぞ。全ての始まりは奴だ。ならばそれに巻き込まれた貴様は、確かに人間として死ぬ権利があり、物語を平凡な日常で終える権利があった」
カイトは確かに戦争へと出兵した。しかし、それも終われば、誰か愛する者を見つけ、普通の人として、一生を終える事も出来たのだ。
しかし、それはかの堕龍との出会いによって、堕龍がヘルメスら仲間を奪った事で、不可能になった。それは確かに、カイトが堕龍を憎み、追ったが故の結末だ。しかし、発端は確かに、かの堕龍にあった。
「……普通の一生ね」
グライアの言葉に、カイトが苦笑する。そんな自分は、今では想像が出来ない。10数年前には漠然と想像できていた未来が、今では別人の物かのように、否、彼女らや大精霊達以外誰も知りえぬ全ての真実を知った今では、別人の未来としてしか、想像できなかった。
「さっきのセリフでこういうのも何だが……それは無いだろう? この世界には平行世界は存在し得ない。『IF』は許されない。あったとしても、それはよく似ただけの他の世界だ。それに『IFの世界』が万が一あったとしても、オレには、『IF』という物語は存在しない。いや、存在してはならない。それは他ならぬ世界が認めない」
自分の知り得る知識を総合的に判断すれば、自身に『IF』の物語がありえない事ぐらい、すぐに理解出来た。少なくとも、自分には意味が無い事ぐらいは理解していた。
それは生まれた時から、決まっていた。意味が無い事なぞ、この世に一つも無い。だからどうだ、と誰もが、それこそ神様さえもそう言う事が、真実としてはそうでないのだ。それを、ティアが認めた。
「そうじゃ。お主と妾達だけには、『IF』は無い。じゃが、選択をする所に辿り着いた原因は、妾らにこそある……そして、お主は全てを知りてなお、妾らに対して、お主はかつて覚悟を示した……なればこそ、敢えて言おう。妾らは、お主を愛しておる」
ティア達三人が伝えたい言葉とは、これだった。始め、彼女たちはその全てをもって、彼に奉仕すると決めた。それは贖罪であったが、いつしかそれは彼を愛する事に変わった。そうして、グライアが言葉を引き継いだ。
「我らが諦観をも飲み下す者よ。余らは永久を生きた。そして、これからも永久を生きる。余らには、終端さえも与えられていない。そして、それは終端を捨てた貴様も同じ……ならばこそ、敢えて、頼む」
グライアが傅いたのに合わせて、他の二人も傅く。彼女らは悠久を生き続けるという終わらぬ獄の中、多くの物を諦めてきた。愛する者を見つける事も、誰かと共に生きる事も全て、だ。
なにせ相手が死んでも、自らは死ぬ事は無いのだ。愛する事をやめるしか、心を保つ術が無い。それを知っている、いや、生まれた時から知らされていたが故に、彼女達は誰ひとりとして、異性として愛した事は無かった。
しかし、そうしてここまで歩いてきて、ついに自らが愛し、傅くに値する男が生まれたのだ。だからこそ、グインが告げる。
「私達の主は貴方以外には有り得ない。世界が終わろうと、再び生まれようと、貴方だけを主として、私達は貴方を私達の盟王として、認める」
彼女ら古龍は喩え属する世界が滅びようと、死ぬ事は出来ない。死なない、のではない。死ねない、のだ。そして殺す事も不可能だ。
彼女らは死ねば、別の世界で再誕するだけだ。エネフィアで生まれたのは単なる偶然だ。前の世界が滅んで、偶然にエネフィアで再誕しただけに過ぎなかった。それ故、少し何かが違えば、地球であったのかもしれないし、別の世界だったのかもしれない。
「貴方は何も知らぬまま死ぬ事と、真実を知り死ねない事の二択から、真実を知り、死ねない地獄を選んだ。貴方はもう、死ねない。嫌だと嘆いても、後悔したとしても、もう死ぬことは出来ない。私達よりもっと死ねない。貴方にだけは、死が許されない。それが、世界最大のルールに抗い、始端と終端に至った者の末路。そして、それは私達も同じ……だから、お願い。私達も一緒に居させて」
全てを告げて、グイン達は一緒に居させてくれ、と頼む。それは何処か、懇願の雰囲気を孕んでいた。
とは言え、それも当然だ。彼女らは悠久の時を生き、これからも悠久を生きなければならない。それも今までは、敢えて孤独で居る事で耐えれていた。
だが残念ながら、カイトの所為で人のぬくもりを知ってしまった。ティナの所為で、寂しさを取り戻してしまった。仁龍やフリオニールという仲間では無く、愛する大切な家族を得た所為で、彼女らはそんな感情を思い出してしまった。
これはもう寂しいのは嫌だ、という彼女らの心の現れだった。300年という月日を再び孤独に過ごし、再びカイトが帰って来てしまったが故の、結論だった。
「死ぬ事は、不幸。死にたくない、と願えることは幸せ……永遠に生きなければならない不幸と、死ななければならない幸運……どちらが、幸運なのか。最も旧き神故の、嘆きか……」
自らに傅いた彼女らの言葉を受けて、カイトは彼女らの存在についてを思い馳せる。何時もはぶっ飛んで居るが故にそんな感じはしないが、彼女らは果てしない悠久の時を生きていたのだ。そんな彼女らを自らが変え、そしてそれ故の懇願だと気付いたのだ。
これはティナ等古い歴史と世界の叡智を紐解いた極一部を除いては誰も知らぬ事だが、古き龍は本来は最も旧き神と呼ばれる存在だった。
彼女らは、最高位の神様。単一の世界が生み出したのでは無く、複数の世界が、それこそ過去未来現在全てに存在する世界全てが協力して、生み出した最強の神だ。誰も勝てないのは、道理だった。
最も高貴な存在の一角、というのは実はここから来ていた。彼女らは神族よりも遥かに尊い存在なのだ。そうして、この世で最も高貴な3人が同時に言う。
「「「我らが主にして、共に悠久を生きる我らの夫よ。この生命、永久に貴方に預けよう」」」
異世界が交じり合う部屋の一角で、彼女らの宣誓にして、誓いが告げられる。それは、彼女らが思うことはあれど、決して言葉にしなかった事だ。そして最後の言葉はある契約の文言でもあった。
「ああ、良いだろう。ならば、共に悠久を、いや、悠久さえも終わりを告げた地でも、共に生きよう。我が妻達よ」
カイトも彼女らの決意を、想いを受け入れ、誓いは約定へと変わる。それは、世界が終わって尚も終わらない絆の証だ。
そうして、カイトの言葉を受けて、約定は形として、カイトの腕に刻み込まれる。それは3種の紋様だ。彼女らは神であるが、同時に龍だ。それ故に、龍としての盟約もまた、適用されるのである。
「騎龍の契約は今ここに、結ばれた。後悔するなよ?」
「わかっているさ……貴様の女癖も含めてな」
カイトの言葉を受けて、グライアが笑う。優劣も後先も付けたくないが故に、三人同時にしたのだ。こうして、新しい形として、一同の絆が新たな一歩を踏み出したのだった。
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第339話『そして今へと続く』