第294話 お風呂 ――背中合わせ――
カルマからメルを救出しておよそ10分。混乱の極みにあったメルとの言い合いを中断したカイトは、彼女が身体を冷やしたのを見て急場でお風呂をこしらえた。
まあ、カイトにしてもメルが何度もお風呂に入りたいと心情を知りつつ、それをスルーして来たという罪悪感があったらしい。毛穴の中に水を入れたり垢を落としたりと意外と結構繊細な魔術である全身丸洗いを出来るのは稀だし、そもそもあまりに味気がないと出来ても使用したがらない冒険者も多いのだ。カイトとて女の子とのふたり旅でなければ使わなかっただろう。
なので男とのふたり旅となって身だしなみに気を遣うメルの心情は理解出来たので、この程度では自らの正体は露呈しないだろうと思い直したのである。
「ふぁ……」
とりあえずこれ以上身体を冷やされて移動できなくなるのが一番困るとカイトに諭されて、メルはとりあえずビキニアーマーのまま――別に石鹸で洗わなければ水に濡れても問題は無い――湯に浸かり、カイトに見られぬ様に、とそこで防具を解いた。そうして全身で適温に調節された湯に浸かり、メルが先とは別の気持ち良さそうな声を漏らす。
「湯加減どうだ?」
「うん。丁度良いわ……その、さっきはごめんね? 叩いちゃって」
「気にすんな」
どうやら時間が経過して、身体が温まってきた事でメルも落ち着けたらしい。どう考えても助けられたのに正しい態度では無かった事に改めて気付いて、かなりの照れがあったがカイトに謝罪する。それを聞いたカイトはメルが混乱の極みにあっただろう事は安易に想像出来た為、特に気負いなくそれを流す。
メルは男慣れしていないだろうし、そんな彼女が思い出すだけで顔から火が出そうな程恥ずかしい行動をしていれば、助かった安堵や痴態を見られた恥ずかしさ、男と抱きついていた現状などがごちゃ混ぜになってそれは混乱するだろう。と言うより、しない方が可怪しい。叩かれた程度は遅れた罰と笑って流せた。
「さて……じゃあ、まあオレも入るかね」
「え?」
カイトの呟いた言葉に、メルはきょとん、と首を傾げて思わず振り向いた。そしてそれと同時に、再び先と同じお風呂を作り出す音が鳴り響いた。それを見つつ、メルはお風呂の縁に両腕を乗せてカイトに問い掛けた。
「なにしてるの?」
「風呂作ってる」
「うん。見れば分かるわ」
「オレは風呂好きなんだよ。別に後ろ向いておくから、良いだろ」
「……まあ、作ってくれたのあんただし、こっち見ないなら良いけど……」
「こっち向くなよ。今から脱ぐから」
非常に手慣れた様子で見る間にお風呂を作り出したカイトはそう告げると、自らもロングコートや黒のインナーを脱ぎ去っていく。結界の強度は増しているし、もう警戒する必要は無い、と判断したのだ。そしてそれを受けて、メルは大慌てで前を向いた。
なお、結界についてはカイトが更に強化して市販品で可能なレベルを超えて、ここまで来れば誰も侵入出来ないレベルにまで増強させていた。自らの失敗を受けて多少疑われる可能性を考慮してでも、メルの身の安全を――と言っても僅かに間に合わなかったが――気遣ったのだった。
カイトとて油断していたわけではなかったが、囮の鹿が入り込むまでカルマが入り込んでいた事に気付けなかった。カルマの森という事で結界の強度を最大にするなど最大限の注意は払っていたが、それを掻い潜るのが、カルマという魔物の厄介さだ。今回の一件はなにもメルが完全に不注意だった、というわけでは無かったのである。
いや、一応念のために言えば、メルは結界の中でも出来うる限りの注意は払っていた。大剣は油断なく直ぐに取れる手元に置いていたし、水洗いの最中は常に臨戦態勢だった。だから、不意を打たれても一瞬で対処出来たのだ。
それに結界についても強度も範囲も念入りに確認していた。安全性についてはカイトでさえ、太鼓判を押している。そうでなければこんな所にメルを一人で置いて行かない。
水についてもきちんとカルマが潜めないぐらいの浅瀬である事を確認してた上で、それでも注意して水に浸からない様にしていたのだ。
こればかりは、カイトという例を見ない冒険者の想定さえ遥かに超えた相手という最悪の偶然と、囮がカルマがあまり狙わない小型のウサギであるという不運が重なった、と言うところだった。彼女も囮が鹿なら、これが囮だと気付いただろう。
まあ、そんな彼女の幸運はカイトが狩りを彼女以上に慣れていた事と、大精霊達の助力があったお陰で手早く終わらせた事だろう。
「うぁ……やっぱ気持ち良いな……」
そうしてお風呂に入ると、カイトにも目に見えない部分にあった疲労が解れていく様な感じがあった。それが、彼にも知らず声を上げさせる。彼の心情を言い表すのなら、風呂は生命の洗濯だ、という古来からの名言だろう。
「うぅー……気持ちいい……」
それを聞いてか、身体を大きく伸ばし、メルも今までの疲れを取る。激怒で身体が火照っていたカイトとは違い、水浴びの真っ最中に襲われたメルは身体が冷えていた為、身体が温まるまでに時間が掛かった様だ。
「別にお風呂入るのは良いけど、こっち覗かないでよ」
「はいはい、わかってますよー。あー、極楽極楽。湯加減は如何ですか、お姫様?」
「ばっちりよ。というか、お姫様やめて」
暫くの間、二人は背中合わせのお風呂に入る。そうしてお風呂に入ればカイトも気を良くしたのか、拗ねた様なメルの言葉に更に茶化しに入った。
「はいはい、お嬢様。そこまで風呂に入りたいならそう言えよ」
「言えるわけないじゃない。まさか男相手に体臭が気になるって……それに、普通相手がこんな事出来るなんて思わないじゃない」
「あのな。せめて、一言言っておけ……オレが気付かなかったらどうするつもりだったんだ……」
「うっ……でも十数分で帰るつも」
「ぐだぐだ言うな」
「ごめんなさい……」
自らの言い訳を遮ったカイトの呆れた声に、メルが項垂れて謝罪する。油断していたわけではないが、不注意はあった。それだけは事実なので、カイトはここらでお説教を入れたのだ。こればかりは、メルも何か言える事は無い。これだけは明らかな彼女の不注意だ。
今回はカイトが気付いたから良かったものの、普通は何か一言言いつけるか、言付けを残すべきだろう。恥ずかしいからとそれをしなかったのだから、非難されて然るべきである。
まあ、これには実は一つだけ理由があった。それは彼女がお風呂の時でも小夜という侍女の女の子が一緒で一人になる事が殆ど無く、何かを言う必要が無かったからだ。こればかりは、世間からずれている彼女の教育の問題だろう。
「……ねえ、そういえばあんたどうしてこんな事出来るの?」
「こうなる事もあるだろう、と元々考えてはいたんだ」
暫くの沈黙の後、メルの台詞を背中で聞いて、カイトは適当にぶちあげた嘘を吐いた。
元々考えていたのではなく、大昔の旅の中で思いついたのだ。実はそれを発展させたのが、旅人達が使う今の携帯用の風呂場だった。あれは旅路でメルと同じくお風呂に入れない事に我慢できなかったカイトが大戦期に部隊の開発班に命じて開発させた物だったのである。
なので、この即席はかなり久しぶりな上、かつては一つで良かった。ユリィは小さめの風呂桶をカイトの入る風呂の上に浮かべ、その上に湯を張って入っていたのだ。二人共その当時はお互いの裸を見られた所で気にしない様な感じ――といっても今もそんなに気にしないが――だったので出来た事だった。
そしてクズハ等女性陣が仲間になってからは、かなり大きめな穴を作り、その間に少し大きめの土をもって仕切りとして、男湯と女湯で分けていた。ある意味新鮮なこの背中合わせのお風呂に、カイトが少しだけ旅の楽しさを思い出した。
「ふぅ……良い空だ……」
様々なことがあって、既に日の落ちた森の水辺から、カイトは夜空を眺める。通り雨はどうやら本当に通り雨程度で10分程で止んだようで、結界のお陰で遮断されて気にならなかった。
そうして晴れ上がった空には、地球では絶対にお目にかかれない様な満天の星空が浮かんでいた。周囲に明かりが無いことでマクスウェルよりも更に多くの星が見えるその夜景は、300年前と変わらないものであった。
「……その、ありがと」
ふと、メルが呟いた。どうやら改めてお礼を言っておきたかったらしい。
「……気にすんな。今はオレがお前の仲間だ」
カイトは少しだけ傾いてメルの頭をポンポンと撫でてやる。メルからは見えないが、その顔は、完全に年上の様々な経験を経た者が浮かべる包容力の有る表情であった。
「別に子供じゃないわよ。あんたと同じぐらい……って、あんた何歳?」
メルは少し振り返り、頭を撫ぜてきたカイトが此方を見ていない事を確認し、不満気に言った。よく考えれば、そんなにお互いの事を知っていたわけではないのだ。これを期にお互いの事を把握するのも良いだろう、と考えたのである。
「あ? に……17だ」
危うく本来の年齢を言いそうになり、カイトは急いで訂正する。カイトもお風呂で気が緩んでいるらしい。幸いにしてそんな自分に浮かべた苦笑は後ろを向いているため、メルには気付かれなかった。
「なら、やっぱり同い年じゃない」
「そっか……」
ふふ、と品よく笑ったメルに、カイトは改めて彼女がかなり高位の貴族の娘だろうという推測を固める。そのメルが何故冒険者を、と思わなくも無いが、カイト然りで聞かれたくない理由がある奴などゴマンと居る。冒険者にとって、お互いの身の上話は話されない限りは聞かないのが礼儀であった。
「没落貴族とかじゃないわよ? まだきちんと家あるわ。結構由緒正しい名家よ」
「……気づいたのか?」
つい、思考が読まれたのか、と思うカイトだが、偶然だったらしい。
「お父様、って言っちゃったもの。それに、あんたの事だから」
「そうか……親への反発とかか?」
ソラ然り、自分の周りには何故こうも親に反発する奴が多いのか、とカイトは思う。自分探しを行うなら、他にも山程の迷い人達を知っている。自身がこの年齢の時には既に擬似天涯孤独であったし悩んでいる暇はなかったので、反発する理由がわからないのであった。
「そんなとこよ」
「早目に帰ってやれ。きっと、心配してるぞ」
「……うん。絶対、心配してくれてる」
「なんでそれがわかるのに、反発したんだか」
苦笑しながら、カイトが問いかける。心配されている、とわかっても、家を出る理由がわからなかった。
「ちょっと、ね。私が拒絶したら姉が結婚させられて、ね。お姉ちゃんも周りも当たり前、って考えてるのが怖くなっちゃったの。だって未成年よ? それなのに……はぁ。なんであんな事になっちゃったんだろ……帰ったら怒られるだろうなー」
「……政略結婚か。貴族だと、仕方が無いんだろうな」
どうしても、地位や権力、繋がりを保つためには各貴族で連携を取るしか無い。カイトの様に自らが築いた絶対の繋がりを持つ方が稀なのだ。そうなってくれば、最も簡単かつ絶大な効力を持つのが、婚姻関係であった。
貴族であるならば、仕方が無いことだった。そしてそれはカイトもまた、把握している。だが、それを納得出来るか否かは、別だった。
「……結婚するなら、好きな相手としたいもの」
本来ならば、貴族の子女は望まぬ相手と結婚させられても良い様に、相手に妥協し、愛する事のできる術を教育されるのだが、どうやらメルはそこが失敗したらしい。
いや、皇国ならこれに失敗する事は多いか、とカイトは考え直した。なにせ皇帝レオンハルトの第一子リオンはクズハ達の差金で自らの愛を貫いたし、皇国において最大の信望を集める初代皇王でさえ、一番はじめに婚儀を上げた相手は政略結婚云々関係なく心の底から愛した相手なのだ。
いや、それどころか建国に至るまでの理由の最大は、その愛にこそある。それ故英雄譚であり様々な浮き名を流して悲恋も経験しているカイトに並んで、皇国で好んで劇化されるのはこの初代皇王だった。
ある意味、この政略結婚に対する抵抗は皇国の伝統とも言えた。他の象徴とも言えるクズハやユリィはリオンをそそのかした様に、政略結婚云々を一切気にしていない。というか、そんな彼女らの意中のカイトもそうだ。可怪しくはあるが、家からの政略結婚に対し抵抗するのは皇国の伝統と諦める事も出来た。
そうして一般の市井の女の子の様な事を若干の憧れを含ませながら言うメルに、カイトは自らの身を振り返り苦笑して、あくまで一般論を告げる事にした。
「なら、相手の事を好きになれ。どんな奴にも良い点は一つは有る。それでも嫌なら、のらりくらりと躱せ。そのほうが角が立たなくて済む。貴族にとって、妥協は覚えるべきものだ……とはクズハ様の言だな」
カイトはクズハの言といったが、実際は全て某皇子の受け売りである。カイトの教育時に貴族としての心得を語った時の言葉であった。
まあ、彼の残した数多の言葉の中でその言葉だけは、完全に無駄になった様子だったが。
「お姉ちゃんがそののらりくらりって得意なんだけどね……」
「姉、ねえ……それも厄介そうだな」
「ねえ……貴方、何者?」
カイトのボヤキはスルーして、メルはカイトの正体を疑問に思う。先ほどの言葉は、色々と感情がこもっていた様な気がしたのだ。だが、当たり前だがカイトは答えられる筈が無い。
「……どうでも良いだろ」
「よくないわ。私は仲間以外に語っていない秘密を話した。なら、貴方も話すべきじゃないの?」
「……勝手に話したんだろ?」
「あら、勝手に話したんじゃなくて、貴方が聞いたから答えたのよ? だから、答えて。さっきの蒼い髪は何?」
きちんと見られていたのか、とカイトは諦める。てっきり朦朧としていて、気のせいと流してくれると思っていた。いや、思いたかったのだ、とはカイトも理解していた。
だが、やはりそれは都合が良過ぎたのだろう。メルは確かに、仲間と思い語ってくれたのだ。ならば、それ相応に語る義務はカイトにも有った。なので、少しぼやかしながらではあったが、それに答える事にした。
「……龍族の力を有してるんだ。黙っていてくれよ。地球には異族が居ない事になってるんだ」
「純粋な龍族、ってわけ?」
「いや、そうじゃない。ただ、祖先帰りに近いだけだ」
このままでは要らぬ誤解を与えかねないので、カイトはお風呂に入りながら地球の異族事情を語り始める。全てを聞き終えて、メルは少しだけ同情心を滲ませた。
「そう……地球も大変なのね」
魔女狩りという忌むべき所業によって追い立てられ、日本に流れ着いた異族の血を継いでいる――まあ、カイトというか天道は違うが――と聞いたメルは、何ら疑問無くそれを受け入れた。魔女狩り自体についてはどうやら知識として存在していたらしい。それとの整合性が取れたのだろう。
それにカイトは意外に博識だ、と少しだけ感心する。自ら、つまり勇者カイトについてをそれなりに深く知っていなければ地球の魔女狩りについては知らず、受け入れる事は出来ないのだった。
「納得したわ。それで、狩りとかに慣れてるわけね。龍族には血の記憶が有る、って聞いた事が有るわ。祖先がやった経験を伝えていく為のモノって聞いたけど、貴方が慣れていたのは、多分その記憶が発露したからね」
何故狩りに慣れているのか等をぼかして答えた結果、彼女は龍族の特性と判断したらしい。そして真実、これは存在していた。
「……そんなものが有るのか?」
カイトも知っているが、初めて知ったと言う風に答える。勘違いしてくれているのなら、そのままにしたほうが良いからだ。
ちなみに、だが。二人は今嘘をつきあっている。メルは聞いた事が有るのでは無く、それをよく理解している。だが言えば自らの実家を把握されかねないため、敢えてぼかしたのだ。カイトは言うまでもないだろう。
「らしいわ。詳しく調べて見ればわかると思うわよ。何なら、貴族時代の馴染みの医者を紹介しましょうか?」
「いや、今の主治医は名医だ……二人で十分なのに、三人は要らない。と言うより、これ以上曲者を増やされても困る」
メルの心遣いを、カイトは苦笑と共に遠慮しておく。カイトはミース以上の名医は知らないし、そもそも、彼女以外に安心して自身の正体を知らせる事は出来ない。ミースは彼女と同じく婚約者の一人であるティナにさえ、カイトの正体を漏らしていないのだ。その口の固さは信頼出来た。
ちなみに、二人で十分というように、もう一人だけカイトには主治医が居るには居る。が、彼女は別の意味で信頼が出来ない為、今回の転移をこれ幸いと連絡を絶っていた。
「そ。でも、必要になったら言って。紹介してあげるわ。天族には及ばなくても、十分な名医よ」
「おー、そりゃ、ありがたいな」
彼女は善意で言ってくれているので、カイトもありがたく受け入れることにする。それから暫くは、二人は他愛のない雑談を行っていく。
「っぁー。いい湯だ……」
カイトは取り出した酒を呷る。満天の星空に、満月そして後ろにはとびきりの美少女。雨が降ったお陰で、空気も澄んでいる為、綺麗な空が拝めた。これで酒を飲まない方が可怪しい。それに気付いて、メルが少しだけ羨ましげな口調で告げる。
「……何飲んでるわけ?」
「酒」
「ずるい」
「何だ、いける口かよ」
カイトは少しだけ笑みを浮かべ、少し拗ねた様なメルへと酒の入った徳利の乗る風呂桶をおちょこと共にパスする。
どんな名酒も一人で飲むよりも二人で飲んだ方が美味しい。カイトとて独占するつもりは無かった。
「……あれ、結構スッキリした味だけど、何処の?」
「ちょっと伝手で公爵家から頂いてな」
メルの問い掛けに、まさか日本から持ってきた日本酒とは言えない。なのでカイトは似たような中津国の酒と偽った。
「そう言えば、お師匠様がかのクズハ代行様だっけ? 餞別?」
「ああ、そんなとこ。一応戦術の師にあたる」
「やっぱりお綺麗だった?」
「ん? ああ、まあな。綺麗になってた」
酒を飲みながら様々な事を思い出していたからか、カイトはつい、なっていた、と言ってしまう。
まあ、仕方がないだろう。雨が降ったからか、月が綺麗だった。過去を思い出すには、悪くはない日だ。つい、大昔のまだアウラもクズハもカイトの腰ほどの背丈の頃を思い出してしまったのだ。それ故に、その声にはメルも気付かない程度だが、懐かしむ様な声音が含まれていた。
「……あれ?」
何故、だった――過去形――、でも、だ――断定――、でもなく、なってた、なのかと疑問に思ったメルだが、彼女が問い返す前に、カイトがその間を疑問に思った。
「ん? どうした?」
「んーん、なんでもないわ」
聞き間違いか、とメルはカイトの言葉をそう流す事にする。そうでなければ、彼女だけが気付けたある事を加えて考えれば、今までの全てがある答えに帰結してしまうのだ。それは自分で出した答えながら、メルにはいまいち信じられなかったのである。
「……ねえ、貴方はこっちで暮らすの?」
なので、メルは他の事を問いかける。既に天桜学園が日本への帰還を目指している事は新聞等で公表されている。メルが知っていてもおかしくはなかった。
これに、カイトは頭を振った。幸い、ここには冒険部は誰も居ない。素直に自分の考えを述べる事が出来たのだ。
「わからん。そもそも、帰るのは難しいだろうな。アウローラ様がご帰還された、と言う事だから、転移した原因位はわかるかも知れない。だが、それでも、500人規模の人間を世界間転移させるなんて、並外れた魔力でも……それこそ、勇者カイトであったとしても不可能だろうな」
メルの問い掛けを受けて、カイトは今練っているプランを再度練り直し始めた。それは自分だからこそ知り得た情報を加えた今後のプランだった。
「……やはり、現皇帝には会わないといけない、か……だが、力の有る皇族に会えば一発だな……」
カイトとティナ、その他皇国の内情をかなり知る面子によって練られている計画が成就すれば、上手くやれば一回限りだが日本と連絡が取れる可能性があるのだった。
だがその為には、皇国が有する国宝がどうしても必要だった。その為に皇帝と会いたいのだが、カイトとティナの正体なぞ祖先の力が強く出ている者ならば即座に当たりをつけるだろう。
現皇帝がどの程度の力を有しているのかわからない以上、あまり会いたくは無かった。だが、そう好き嫌いを言っていられる状況でも無いのもまた、事実だった。
「大変そうね。指導者って」
そんなこんなでぶつくさと策を練り始めたカイトに、メルが苦笑する。それに、カイトも少し空気を読んでいなかったな、と苦笑して逆に問い掛けた。
「まあ、そりゃな……でも、貴族も変わらないだろ?」
「まあ、お父様も結構苦労されてた、かな?」
何処かお茶目な一面のある父親を思い出して、メルは柔和な笑みを浮かべる。議会工作等よりも、強引に進める事を好むメルの父親は、そう言った議会工作が通じない人物なので苦労していない様に見えたのだった。だが、離れてみれば、おそらく苦労していただろうと考えれたのだ。
「……お姉ちゃんが得意よ、議会工作は。お兄ちゃんも腹芸嫌いだったしね」
兄と姉の事を思い出し、メルがそう苦笑する。兄はどちらかと言うと政治そのものに興味を持っていない感じだった。
父は政治家ではあるがどちらかと言うと自分と同じく武張った所が表に出ているのだが、姉だけは違ってのらりくらりと相手の策を躱しながら、策を弄するタイプであった。と言うより、あれは策を好んで使うタイプだ、とメルは密かに考えている。
「嫌な一家だ。まあ、貴族らしいといえば、らしいのかもな」
カイトはそう言って苦笑する。一癖も二癖もある一家は、確かに貴族らしいと言えば、らしいだろう。
策を弄して翻弄する腹黒の姉に、勝ち気でおてんば娘な妹。二人と結婚させられる男はさぞかし苦労するだろうな、とカイトは他人事ながらに、その人物に同情した。もしかしたらメルが家出してくれて助かった、とでも思っているかもしれない。
「あら、一応これでも知る人からは類まれなる美姫姉妹って言われるのよ? 姉のシアに、妹のメル。政治に長けた姉に軍事に長けた妹。あらゆる面でバランスが取れてるって評判よ」
クスクスと笑いながら告げたメルに、カイトは苦笑する。どうやらメルも自分がおてんば娘だと言うのは気付いているらしい。尚更たちが悪かった。
そうして更に幾つかの雑談をする二人だが、そろそろ湯中りしそうなので上がることにした。
「……おい、ここに服置いておくぞ。男女兼用の服だから、メルでも着れるだろ?」
カイトは風呂から上がり、魔術を併用して身体が冷えない様にしてから身体をタオルで拭く。そうして、替えの服が入った袋から男女兼用の服を取り出して、近くの岩の上に置いた。
「え?」
カイトの言葉にメルはそちらを向いて、カイトが着替え中であった事にびっくりして、更に此方を見ていたカイトと視線があって、大慌てで再び前を向いた。言うまでもなく、今はお互い真っ裸だ。お互い振り向けば、お互いの裸が見えてしまうのだった。
「きゃあ! せめて腰に何か巻いてよ! と言うか、こっち向かないで!」
「おっと、わるい……服は消し飛ばした詫びだ。オレはこっち向いておいてやるから、着替えるといい」
後ろを向いたカイトに、メルも湯から上がりタオルで身体を拭くとビキニアーマーを着込み、更にその上にカイトから受け取った服を着こむ。森で動きやすいようにした、ズボンタイプの服であった。
「ありがと」
カイトの気遣いと言うか謝罪を受けて、メルが感謝する。そうして、お風呂に入り身体を温めた二人は遅めの夕食を食べ、二日目の夜を終えるのであった。
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第295話『仲間』
2015年12月14日 追記
・誤表記修正
メルに対する言及の『油断していなかったわけではないが~』について、『油断していたわけではないが~』に修正しました。これでは油断していた事になりますからね。