第287話 それぞれの想い ――それぞれの答え――
藤娘。それが、今回ティナが選んだ日舞の題目だった。とは言え、これは何か珍しい題目だ、というわけではなく、日舞として見るのなら、至って普通の演目だ。それどころか、必至の演目、とさえ呼んで良い演目だった。
(何か可怪しいわけではない……でも……)
演奏の最後の打ち合わせをしながら、桜は一人、密かに思う。確かに、ティナはこんな今を予想して選んだわけではない。ただ単に、『藤娘』という演目は日舞の世界では普通の物で、有名な物だから、練習時間が限られた彼女らの為に選んだだけなのだ。だが、それは、まるで今の彼女らを唄うかの様な演目だった。
(『藤娘』……藤の絡みついた松の大木をバックに、意のままにならない男心を切々と嘆く藤の精の歌……)
桜達が演目を知らされて、苦い笑いを浮かべるのも仕方がない物だった。それはまさに、彼女らの現状を、カイトそのものを相手に唄った事の様子だった。松が男を表し、それに絡みついた藤が、女を表した歌だ。
ちなみに、念のために言っておくが、藤の精になったのは後年の事で、元は遊女の舞だったという。それが様々な改変を経て、今の形になったらしい。
「桜ちゃん……桜ちゃん? 聞いてる? 打ち合わせ、終わったよ?」
「え、あ……ごめんなさい。ありがとうございます」
どうやら桜の気付かぬ間に、打ち合わせは終わっていたらしい。それを魅衣の言葉でようやく、把握する。そうして言葉を発した魅衣の顔には、打ち合わせの前まではなかった晴れやかさがあったのを見て、桜は少しだけ驚いた。
「えっと……演目、行けそう? 無理そうだったら、別に休んでていいわよ」
それどころか、魅衣は普通に此方に気遣いをくれた。そこには何かの悩みがあるようには見えず、思わず、桜は問いかけた。
「あの……さっきのお話。魅衣さんはどう考えてるんですか?」
「ああ、あれ? まあ、よくよく考えたら、それも今更だったし」
あっけらかんと、魅衣は桜に朗らかな笑顔で告げる。それも、今更。そう言った魅衣は、目を見開いた桜に対して、更に続ける。
「だって、元々私とティナちゃんって親友だよ? それを承知で……ううん。そもそもティナちゃんと仲良くなったのだって、大本を正せばあいつと付き合いたい、って下心アリなわけ。元々もっと昔からティナちゃんはもっと昔からカイトの事が好きなんだろうなー、っていうのは知ってたし……それでも、私は私がカイトを好きだ、って自覚してるし……ね、今更でしょ?」
魅衣は笑いながら、そんな事はもっと昔から知っていた、と語る。今回は偶然カイトの別の過去の所為で失念してしまったが、元々恋敵の方が長い間好きだった、と主張出来る事は知っていたのだ。
それでなお、魅衣はそれがどうした、と自らがカイトを好きである事を何ら憚ること無く主張する。どうやら、ユリィの問うた覚悟は、彼女は既に出来ていた事だったらしい。
ただ単にその場の雰囲気に飲まれただけで、思い直してみれば、ただ単に相手が思い続けた年月にゼロが一つ二つ増えただけ、としかならなかったのだ。
「それに、元々あいつが可怪しい事なんて知った上。確かに英雄だった、って聞いてちょっと英雄譚を……武勇伝を期待したのは期待したけど……結局、私が惚れたきっかけは武勇伝の最中。聞きたいのは当たり前でしょ」
何ら憚ること無く、魅衣はカイトが英雄であり、自分がそう見てしまっていた事を認める。元々、魅衣が惚れたのは圧倒的な武勇が根本にある。覇気にあてられた、と言っても良い。
そうであるならば、ある意味、彼女が武勇伝を望むのは当たり前なのだった。だからこそ、自覚さえすれば、それを良し、と捉えるのもまたありだろう。
「というわけで……私は、悩むつもりも必要も無い、って気付いたら、どうでも良くなったわけ」
「そう……なんですか?」
「うん」
魅衣は桜の問いかけを、あっけらかんと認める。魅衣の場合は気付いてしまえば、とうの昔に気付いて、通り過ぎていた事だったのだ。
だから、悩む必要もなかったのだ、と思えた。そうして、魅衣は準備があるから、と去って行ったのだった。
桜が悩んでいた様に、瑞樹もまた、悩んでいた。彼女はカイトに対して付き合いは短い。桜はあれでも1年以上の付き合いがあるが、瑞樹に至ってはまだ数ヶ月だ。
確かに濃度で言えば濃くはあるが、時間の長さであれば、誰よりも圧倒的に短いのだ。それを指摘されて改めて直視すれば、悩むのは当たり前と言えた。
「……椿さんは、どうして、カイトさんでなければならなかったんですの?」
やはり、人は悩んだ時には慣れ親しんだ動作を行おうとする物なのだろう。瑞樹は最近はなかったが、それでも数年以上嗜んだヴァイオリンを何度か弾いていた。この問い掛けは、その曲が終わった時に、一緒に居た椿に問い掛けた物だった。
これはエルフ達が共用で使う楽器で、今回の演奏会で使われる物では無い。一緒に保管されているだけだった。ただただそれを見つけて、落ち着かない心を落ち着かせる為に、触れさせてもらっていたのである。
「私は、御主人様がお求めになられましたので」
「それは、カイトさんでなくても良かった、ということですの?」
椿の言い方では、別に求めてくれるのなら誰でも良かった、とも取れた。それ故に、瑞樹が改めて、問いかける。
それに、椿は少しだけ、悩んだ。実は、カイトもティナも、椿がミックスだ、という事を誰にも教えていない。カイトから明かすなら好きにしろ、と言われているが、強いて言うことでも無いので黙っていたのだ。まあ、これは同時に、そんなまるで――と言うか、正真正銘そうだが――商品の様な女の子が居る、という事を強いて意識させない為の配慮でもあった。
「私は……造られた生き物です。私は先天的に、様々な制約と能力を与えられました。例えば、主と認めた異性の子を孕みやすく、それ以外の異性の子を決して、孕まぬ様に。そして、主以外には傅かぬ様に、など様々です……その一つが、御主人様を主と認める様に感じたのです」
「……え?」
言われた意味を、瑞樹は理解出来なかった。まるで、子を産む為の道具。そうとも取れる発言だった。いや、まるで、では無い。真実、そうだった。
そこには選択さえ存在していない。彼女の役割は、貴族らがもし万が一子孫を為せぬ場合に、その血統を残す為の道具。対外上は妾だが、真実、道具だった。
ある意味、椿がカイトを性の対象として求めたのは、当然とも言えた。なにせそれが彼女本来の役割で、その為に彼女はあるのだ。それ故に本来の役割として求められぬ事が道具であった彼女の中で齟齬となり、そこに更に主への愛情が混ざり、抑えきれぬ感情になったのである。
「それでも、私は幸せです」
驚愕する瑞樹に対して、椿は微笑んだ。どう見ても、幸せとは言い難い境遇だ。全てが、彼女を造った者の思うがまま。カイトを求めたのとて、彼らがそうさせたとも言える。だが、それを把握してなお、椿は幸せだと言う。
「私は、本来は御主人様に出会えませんでした。そして、選択肢を与えられた事も、ありませんでした。確かに、決定は私の因子を使った物ですが……それでも御主人様は私に選択肢をくださいました。そして、こんな不出来な私を、御主人様は愛してくださっています。私は、それで十分です」
彼女は、多くを求めない。それは既に現状が望外の幸福だからだ。これ以上は高望みだ、と彼女自身が思い、求める事はしない。
確かに、カイトが椿に向けているのは、従者としての愛情を含んでいるだろう。だが、椿はそれで良い、と認めていた。時に血の影響で暴走してしまう彼女をカイトは良しとして、そのまま手元に置いてくれている。椿にはこれ以上、主に何を求める必要はなかったのである。
「私は、一番になろうとは思いません。ただ、時に御主人様が私を必要としてくれるだけで良い……それだけで、私は幸福であれるのです」
椿とて一番になりたい、との想いは心の奥底に秘めているだろう。だが、それでも、彼女は一番になることを願わない。主が自分に従者としての自分を求めるのだ。そしてその領分は、彼女だけの物だ。ただでさえ今の居場所が失われる事を恐れるのに、これ以上望むことが出来なかった。
「……そう、ですの……変な事を聞いて、申し訳ありませんわね」
「いえ」
瑞樹の礼に、椿は腰を折って答える。それを最後に、二人の間で会話は途絶え、瑞樹は少し沈黙に耐えられなかった事もあって、その場を後にした。
そうして、瑞樹はただ勘に従って、移動する。歩き続けて辿り着いたのは、里の全貌を一望出来るテラスだった。そこで暫くの間、瑞樹は一人、これからを考える。
「……私は、一番になりたいのでしょうか……?」
ぼそり、と瑞樹は呟いた。今までの自分を思い直せば、流されるがままだった気はしないでもない。それ故、今になってこれでよいのか、という思いが膨らんだのだ。だが、口に出して自問すると、思いは固まっていた。
「一番になりたいのか、といわれれば、一番になりたい、ですわよね」
確かに、自分のきっかけは逃避だ。それだけは、否定出来ない。一回り近くも年の離れた許嫁。生まれた時から父親に決められていた許嫁。向こうは、許嫁と言われた所で、理解出来ないだろう年齢だ。全てが、父の決めた事だった。
だが、それを拒絶するだけの気概が瑞樹には、なかった。実家では父親の圧力が強い事も大きい。それ故に、既成事実を作り上げる事で、自分を追い込もうとしたのだ。
「それでも、カイトさんは全てを知った上で、受け入れて下さったんですわね……」
もう笑うしかない。それら全てを初めから把握した上で、瑞樹を受け入れる、と言われたのだ。それも、相手は不言実行していたのだ。そして、更に。
「その上で、私が語るまで、待とう……そう、思ってらっしゃったのですわよね……」
あの時、正真正銘、瑞樹はカイトに惚れたと言ってよかった。彼女が惚れた最大の理由はあの年上の余裕であり、包容力だった。いや、その余裕や包容力は年上とかではなくて、もしかしたら、彼の経てきたこの世界でも有数の苦難がそうさせたのかもしれない。
何があっても、自らの愛した女の全てを受け入れる。そして、その先に待つであろう苦難は、責任を持って自らが全て解決する。
それが、彼の決定なのだろう。言うだけは簡単で、そうでありながら、誰にでも出来る事では無い。それは、誰もがわかっている事だった。だが、カイトはそれを為そうとしている。それを、この時瑞樹ははっきりと認識する。
「はぁ……ダメ、ですわね。一度気付いてしまうと、どうにも……」
そうして、瑞樹は苦笑する。気付いてしまえば、自覚してしまえば、答えは出せてしまった。そして、気付きもした。
「全く……私も結局は、フィルマの娘、というわけですわね……」
抑えられない。何をか。感情を、だ。フィルマの娘は基本的に彼女の従姉妹のエリナと同じく皆、おてんばだ。そして同時に、情熱的でもある。エリナと同じく、この台詞を思わず思ってしまったのだ。そして、違わず、口にする。
「フィルマの娘を、舐めないで貰いたいですわね。遠縁とは言え、私もまた、フィルマの娘……カイトさん? 惚れさせた責任は、きちんと取ってもらいますわよ? そして、貴方の側に侍るに相応しい女である事を、認めさせてみせますわ」
お上品では無く、闘士に近い笑みを浮かべながら、瑞樹は遠く東の方を睨む。そうして一人、告げる。今はまだ、自分は彼の側に侍るのに相応しいとは、思えなかった。だからこそ、口にしたのはそうなるという決意だった。
相応しいと思われているのなら、カイトは語らなくても、今回の様にユリィやアウラから必要な事は全て語ってもらえていたはずなのだ。そうして、更に、上を向いて、告げた。
「エリナさん? 申し訳ないですが、私も、譲りませんわよ?」
それは、自分達よりも遥か昔からカイトの事を探し続け、追い求めていた従姉妹への、密かな宣戦布告。だが、そうして宣戦布告してみて、ふと、気付いた。
「あら……別にそういえば分け合う前提……いえ、この時点で、間違いですわね。出しぬいてみせる、そのぐらいの気迫は、持ちたいですわね」
瑞樹は笑いながら、自身に残る弱さを叱咤する。そうしてその決意を図るタイミングは、幸運なことに、早々に訪れた。
「カイ兄ー!」
バンッ、という大音を立てて、テラスに続く扉が開く。そうして現れたのは、狼の耳を持つ、純白の少女だった。
ショートカットの髪も、その身に纏うファー付きの衣服も、そこから僅かに垣間見える肌も、おしりから生えたしっぽも、全てが、純白の少女だった。違うのは、その眼だけ。その大きくクリクリとした眼だけは、満月の様な白銀だった。年の頃と背丈は瑞樹と同じぐらいだが、そのスタイル――特に胸が――何と瑞樹をかなり上回っていた。その少女に、瑞樹はどこかで見たことのある印象を得た。
「……あれ? えっと、君一人だけ?」
勢い良く入ってきたは良いが、瑞樹一人だった事に気付いた少女が首を傾げる。スタイルは特上の美女のそれなのに、行動や言動の全てが、どこかハツラツとした少年の様な少女だった。
「ええ……まあ、私一人だけ、ですわ」
「ありゃ……カイ兄の匂いがしたから、またここに女の子でも連れて来てるのかなー、って思ったんだけど……僕の勘違いだったか……あはは。お騒がせしましたー」
「あら、別に出て行く必要は無いですわよ? 良かったら、一緒にお話でもしませんか?」
「え……あ、うん!」
照れたように笑いながら出ていこうとした少女に対して、瑞樹は笑いながら口を開いた。少女はそれを受けて、人懐っこい笑みを浮かべて、頷く。
(……どう足掻いても、300年の月日だけは、覆しようがないですもの。なら、まずは敵の情報収集から入る事にするべき、ですわね……私の恋敵さん?)
瑞樹は内心で、密かに笑う。少女の言った『カイ兄』と『女の子でも連れて来てる』という言葉。そして、女さえ羨む美貌と、同じく羨ましいばかりのスタイルを包む、純白の衣服。これら全てから総合すると、ほとんど考えるまでもなく、この少女の正体は把握出来た。
紛うこと無く、カイトの使い魔の一人、ルゥが娘にして、自分の恋敵の一人。現神狼族族長のルゥルに他ならなかった。そうして、瑞樹は一人、密かに他の女の子達よりも前に出るため、情報収集に入る事にするのだった。
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第289話『それぞれの想い』
桜だけは、次回に持ち越しです。
2015年12月7日 追記
・魅衣の台詞の一部『私は私が~』を『私は私がカイトを~』とカイトに対してである事を追加しました。