第286話 過去の欠片 ――カイトの恋人――
ユリィの過去語りの後に問いかけられた、なぜ、カイトから過去を語られないのか、という質問。それに、桜達は答える事が出来なかった。わからないからこそ、ずっと悩んでいたのだ。それがわかれば、苦労はしなかった。
だからこそ、それが理解出来ない彼女らに対して、ユリィは先程までの楽しげな顔とは打って変わった真剣な眼差しで問いかける。
「……ねえ、皆。皆はカイトの過去をどう考えてる?」
「……そりゃ、どうって……英雄譚なんだから、華々しい物なんじゃ……」
ユリィの問いかけに、偶然目があった魅衣が少し戸惑いながら、自分達で調べた伝え聞く限りを答えた。だが、この言葉に、ユリィは悲しげな目をして、頭を振った。
「……ううん、違うよ。それは事実であって、真実じゃない……戦いの果て。さっきの義兵団は、約3割が戦死するんだ……そして、当然だけど、爺ちゃん達もね。それに、それだけじゃないよ。爺ちゃん達が死んだ後も、私達は旅を続けた……それは、皆が知ってる物じゃない。もっと凄惨で、もっと荒んだ旅路……確かに、人はそれを英雄譚というし、為した事だけを見れば、私も英雄譚、って認めるよ」
ユリィは誰よりも、旅の真実を知っている。だからこそ、悲しげな顔で、一同に告げる。事実とは、ただ単にあった事を並べただけだ。だからこそ、事実は一つしか存在しない。それ故に、如何なる脚色も入らない。だが、真実は人の数だけ存在する。それは他ならぬ人なればこそ、だった。
人は常に見たい物事だけを見て、見たくない物事を見ようとはしない。だからこそ、凄惨な戦いは英雄を輝かせるスパイスになり、悲劇は英雄を英雄足らしめるアクセントに変わる。そこに、当人達の嘆きや悲しみは必要が無い。いや、それさえも、英雄譚においてはハッピーエンドのための序曲に変わるのである。
「私達に……ううん。カイトにとって、あの一年は、正真正銘、恥ずべき旅路だった。カイトはそこで得た物を恥ずるのではなく、その目的を恥じている。あれは……復讐の旅だったから」
沈痛な思いと共に語られた言葉に、桜達は息を呑む。指摘されて、初めて気付いた。だが少し考えれば、わかったことだった。
当たり前だが、当時のカイトはたかだか13歳から15歳だ。今の桜達よりも遥かに幼い。そして、当時のカイトは英雄であったわけではないし、桜達の様に一流の教育が施されたわけではない。
そんなどこにでも居る少年が、仲間を殺され、只生き残らされた無力に苛まれ、嘆きの中に沈んでなお旅に出られるとするならば、それは強烈な激情に駆られて、でなければ無理なのだ。そして、その感情となり得るのは、ただひとつ。憎悪の感情しか、あり得なかった。
「皆、英雄として勇者カイトを見る。でも、カイトはあの当時、言うなれば少年カイトだった。だから、皆が見れていない。英雄となれたのだから、彼は生まれた時から英雄となるべき存在で、その当時もまた、英雄足り得る存在だった。当然、堕ちた龍を追った理由は、英雄足りえる物だろう、と考えてしまうから」
このユリィの言葉に、桜達は何も言えない。彼女らもまた、見過ごしてしまっていたからだ。それこそおそらく指摘されねば、遠く未来にまで、気付く事はなかっただろう。
「でも、そんなのじゃない。カイトの最も近くに居る者として、他ならぬ私が断言する。カイトは皆が期待するような、そんな高潔な英雄じゃ無い。爺ちゃん達の……もう死体とも呼べない遺体の前で、カイトは本気で堕ちかけた。怒りに吼え、憎悪に狂い、自らの無力を呪い、堕族に成りかけた……それほどの怒りを抱く、どこにでも居る普通の人だよ……ねえ、カイトがどうして、生け贄とか自ら死ににいく様な事を怒るか分かる? 他ならぬカイトがそうだったから、だよ。カイトはあの時代、本気で必死の無茶をやりまくった。それこそ、生命を使い潰す様な戦い方と、生き方だった……そして、その結末を知るからこそ、カイトは生け贄も自殺も認めない。例え政治的に正しい事でも、人として正しい事ではない、と考えているから」
ユリィは英雄の真実を知る者として、涙を零しながら一同に告げる。それは、彼女がカイトを語る上で絶対に欠かさない事。カイトもまた『人』である、ということだ。
確かに、堕ちる云々については、桜達だからこそ、語った。だがそれでも、ユリィはカイトの事を語る上で絶対に人ならざる者と定義することはなかった。そして、聞いた者全てに、『人』として見るように、と告げている。だがそれでも、人は『英雄』としてカイトを見る。その齟齬が、ユリィに涙を流させたのである。カイトは英雄ではない、という声にならない叫びの顕れだった。
「だから、カイトは殆ど語らない。カイトの主観を入れてしまうと、それは英雄譚ではなくなる。それはカイトの冒険譚。単なる、旅のお話……ねえ、皆はそれを望んだ? 憎悪にまみれ、自らの血に沈み、仲間の血で汚れ、友の屍を超える様な物語が聞きたい?」
問い掛けたユリィは、だがしかし、答えを聞くこと無く、断言する。
「違う。英雄譚を望んだんじゃないっけ? だから、カイトが語るのは、華々しい、皆が望んでいる所だけ。それが、英雄の務めだから」
ユリィは何ら憚ること無く、自らが恋人だと考えている少女達に、彼女らの根底にある間違いを指弾する。これは他ならぬ彼女が為すべきこと。アウラでさえ、手を出さないユリィの領分。最も近くにいるからこそ、彼女が同じように近くにいようとする少女達に間違いを指摘する。貴方が側にいようとする相手もまた、同じく人なのだ、と。
これは一つの試験で、言うなれば、ユリィはその門番だった。これは同じくカイトの側に侍るというのなら、知っておかなければならない事だ。それを知ってなお、側に居る覚悟があるのか、という貴族であり英雄となったカイトには出来ぬ、カイトの女としての覚悟を問う問いかけだった。そして、問いかけは続く。
「……もう一つ。昔話をしよっか……ねえ、皆は旅をしていたカイトに恋人が居た、って言われたら信じる? まあ、誰もが信じるよね。今のカイトだけを見れば」
ユリィはそう言うが、ここに弥生や皐月が居れば、笑って否定するか、驚愕でおそらく卒倒するだろう。弥生に至っては傷つくかもしれない。
いや、真実、この話を聞いた時――と言っても詳細に、ではないが――には少しだけショックを受けていた。だが、それは少年であった頃のカイトを知るが故に、だった。
「でも、昔はあんな性格じゃ……あ、いや、まあ、それなりに多くの女の子に惚れられては居たけど、それでも、女の子と付き合うような事は滅多になかったよ。関係を持った事はあったみたいだけどね……でも、そんなカイトがあの当時一人だけ、心の底から愛した少女が居た。多分、復讐の旅では唯一、カイトが心の底から……自分から愛した少女じゃないかな」
そう語ったユリィの服を、アウラがくいくい、と引っ張った。それに気づいて、ユリィがアウラの方を少し不機嫌そうに振り向いた。だが、アウラとしても、聞き逃がせる話ではなかった。
「なに?」
「……私もそれ、初耳」
「そりゃ、そうだよ。ティナさえ知らないんだから。言ったのは、ここが初めて。どこの記録にも残っていないから、世界中の誰も知らないもん」
笑って告げたユリィの言葉に、三人が絶句する。ティナでさえ知らない。つまり今語られた話は、決して軽々しい話では無い。自分達の事を認めてくれているが故に、語ってくれている事だ、というのがわかったからだ。
とは言え、既に同じ土俵に立っているはずのアウラは、隠されていて不満気だった。なので、無表情な中に、少しだけ、不満気な感情を滲ませる。そんなアウラに、ユリィは少しだけ微笑んで告げる。
「むー……」
「あはは、ごめん、ってば。でも、これはカイトと二人でどうしても、って隠している事だから」
「そう。じゃあ、いい」
ユリィの言葉に、アウラはあっけらかんと不満を霧消させる。これは、差だった。カイトをどれだけ信じているか、という差だ。
桜達は、おそらくこれをなんとか聞き出そうとするだろう。だが、アウラは、それをしない。隠すのなら、隠されるなりの理由があるから、だ。それを彼女は知るではなく、理解していた。そして、その差を指摘する為に、ユリィは話を続ける。
「でも、その娘は今は居ない……どうしてだと思う?」
暫くの間一同は真剣に悩み続けるが、どれだけ足掻いても桜達は問いかけの答えは見つけられなかった。普通に考えれば、今は居ないとなれば、それは死んだから、としか答えられない。だが、ここで問うということは、それは正解では無い、ということだ。
もう一つあり得るとするならば、それはカイトに愛想を尽かした、ということだ。だが、そんな物をこんな問いかけの答えにはしない。そうして、答えが出ない事を見て、ユリィは口を開いた。
「その娘は正真正銘の……エネフィアでは世界中の誰もが知る神様だったから、だよ」
だからどうした、とこの時桜達は心の奥底で思う。その程度ならば、桜達とて別に想像や想定していなかったわけではない。今更な話でもあった。
確かに神様や王族とあれば僅かに気後れはするが、彼女らとて本来はとんでもない名家の令嬢。血統で言えば並の王侯貴族を超えているし、それこそ桜なら、既に1000年以上の血筋を誇る。皇国とて遠く及ばない血統だ。
それに、聞けば全員が実力者の異族が祖だ。少女らが神様として土俵に立つのなら、彼女らはその子孫として堂々とその場に立てば良いだけだ、と思っていた。それぐらいには、カイトの愛の告白を聞いて、覚悟を決めていた。だが、ユリィが言いたかったことは、そんな事では無い。だからこそ、彼女は続ける。
「その娘は神様だからこそ、カイトの為に身を引いた……絶対にまた逢おうね、って私達と誓って。その娘は……シャルは本当に怖かったと思うよ。人を誰よりも知っているから。自分が居なくなってカイトは心変わりしているんじゃないか、真実を知って愛してもらえないんじゃないか、って……ううん。それ以上に、遠い未来にはカイトは居ないんじゃないか、って。それでも、今もなお、シャルはずっと一人で彼女の戦いを続けてる。それは他ならぬ、カイトと一緒に居たいから」
この場にカイトが居れば、おそらく変わることのない愛の言葉を憚ること無く口にしただろう。それこそ、滅多に無いノロケを聞けたかもしれない。
そして、それは友人であったユリィも変わらない。喩え同じ男を愛する恋敵となっていても、恋敵との友情は変わらない、と断言出来た。向こうもそうだ、と言うだろう。だからこそ今でも、ユリィは彼女の帰還を待ちわびていた。そうして、彼女は最後に問いかける。
「ねえ……なんでカイトは帰って来るつもりだったと思う? 出世欲? 名誉への未練? 自らを追放した異世界への復讐? 全部違う。カイトは他ならぬ私達を信じていたからこそ、帰って来るつもりだった。まあ、私は流石にわからなかったみたいだけど……それでも、アウラやクズハの想いは知っていた。シャルが自分を待ち続けてくれるだろうことも知っていた。そして、それが変わらぬだろうことも。他にも皆が知らないだけで、300年の月日をずっと待ち続けている女の子は多いよ……だから、答えは彼女らの想いに報いる為」
ユリィはカイトからこれを聞かされたわけではない。だが、分かるのだ。彼女は誰よりも長くカイトに友として接し、そして一人の女として深く関わった。だからこそ、カイトの心情ならば弥生よりも遥かに理解できていた。この断言には自信があったし、そしてカイトも偽りがない事を認めるだろう。
「だから、カイトは帰って来る為に、万策を尽くした。そして、そうだからこそ、向こうと自由に渡れる術を手に入れて帰って来てくれた。他ならぬ、地球にも居る私達の為に。そして、だからこそ、カイトは私達を自らの女として扱い、愛してくれている。そして同時に、その手が及ばぬ女達に心中で詫びている……ねえ、そんな女の子達と本当に皆は戦うつもり、ある? 私は断言するよ。例え魔王であっても神様であっても……私は私が一番カイトを愛している、って言える」
ユリィは、絶対の自信を持って、そう断言する。だが、これはアウラに聞いても、絶対の自信を持って、同じ言葉を言うだろう。
だが、それを今の桜達が心の底から絶対の自信を持って断言出来るか、というと、また、別だった。ユリィの本当に一切の混じりけの無い真摯な瞳で見つめられて、それを断言出来る自信は、残念ながら、今の彼女らには存在していなかった。だから、それを見抜いて、ユリィが指摘する。
「勝てないと思うのなら、ここで身を引いたほうがいいよ。だって、ここから先は、友人付き合いをしている私達だけじゃなく、本当に300年の間カイトを愛し続けた娘達も来るよ。彼女らは、全員もっとがっついてくるよ。そうなれば、私達も遠慮はしない。出来る余裕も無い。だって、カイトの側は、私の場所、だから」
これは宣戦布告であり、先に土俵に上がった者としての、最後の慈悲。ここで下りた所で、友人としての付き合いは続くだろう。上ったとしても、一緒だ。
だが、同じ土俵に登るのなら、もう一つ、肩書が加わる。それは恋敵として、である。そうして、ユリィは最後通牒を告げる。
「もう、残りの時間はそんなに長くないよ。カイトが行ったのは、他ならぬ皇国でも有数の他国との玄関口。カイトを知る人物と出会う可能性はゼロじゃない。それこそ、強大な魔物が出れば、他国も自らの商船を守る為に軍事力を送る様な場所。無数の他国の者達が居る所。カイトの正体が露呈する可能性は低くない……そうなると、カイトを狙う女の子達は絶対に密かに皇国入りする。それが、期限。私は答えは聞かないよ。聞く必要は無いから。だから、行動で示して見せて」
それを最後に、ユリィはアウラを連れてその場を後にする。今直ぐここで覚悟を示せ、と言うつもりはなかった。その必要は無いからだ。
答えは遠からず出さねばならない。カイトを狙う者は多い。攻められぬのなら、負けるだけだ。
誰かが言った。恋は戦争、と。まさにそうだった。食うか、食われるか。それしか無いのだ。脱落したくないのなら、攻めるしか無い。そうして桜達は、沈黙を保ったまま、演劇の会場へと移動するのだった。
お読み頂き有難う御座います。
次回予告:第287話『それぞれの想い』