第284話 お嬢様会
藤娘。それは日本舞踊の中でもかなり有名な演目の一つで、必修科目とさえ言われる演目だった。それ故、その名も演目についても、お嬢様方は非常によく知っていた。
だが、それを演ずる、それも演奏会用にアレンジが加えられているとなると必修とは言えど、何ら苦労無く出来るかどうかはまた別だった。それ故に、急遽決定した当日から翌日の出発まで、VRシミュレータを使用した最後の練習を行っていた。
「お琴は久しぶりです」
「ここ最近は手に持つ物といえば、羽ペンか各々の武器ですものね」
「扇子……買おっかな」
仮想空間の中で三者三様に久しくなかったお上品な道具に触れて、どうやら幾ばくかの過去を思い出してしまったらしい。各々かなり懐かしげに各々の道具を撫ぜていた。
「扇子といえば……ステラさんがよく扇子を持っていらっしゃった様な……」
「ああ、そういえば時折良い香りがしてるわね……」
「あら? あれは確か鉄扇のはずでは?」
ふとした折にチャイナ服に似たスリットの深い衣服の帯に付けていた鉄扇を見せてもらった事のある瑞樹が少々驚いた様子で問いかける。
鉄扇には匂いはしない。なにせ鉄扇は暗器の一種で、本来は武器だからだ。更に言えば、カイトの護衛、しかも姿を見せず密かに護衛するステラとしては役職上、匂い付けに意味が感じられなかったのである。
「香り袋でもつけてるんじゃないの?」
「そういえば、要に小さな袋が付いてましたわね」
ああ、そういえば、と言われて初めて思い出した様子の瑞樹は、ステラの持つ鉄扇の要を思い出す。そこには小指の先程の小袋がついていたのである。匂いの元もそこからの様な気がする。
「でも、なんででしょうね?」
「さあ……」
一同は理解が及ばぬ行動に、首を傾げる。もともとステラは暗殺者であり、カイトの密かな護衛だ。それ故に、わざわざ居場所を分からせる様な行動に理解が及ばなかったのである。
ちなみに、これは当たり前だが、意味がある。ステラはその役職上、常日頃から血の匂いを身に纏っている事が多い。それ故にその匂いを消す為に、桜達の前では匂い袋を使っていたのだった。なので本業に専念する時にはきちんと匂い袋は外して、匂いを消している。更には念を入れて、風系統の魔術を用いて、周囲に匂いを漏らさない様な手段までしているぐらいだ。
そうしてそんな話をしていると、出発の用意を整えたティーネがやってきた。今回の依頼は当たり前だがマクスウェルでは無いので、移動する間の護衛は彼女なのであった。ちなみに、大急ぎで有給申請をしたらしいので、仕事では無い、とのことだが、武装は何時も通りであった。
「というわけで、到着したらまずはお父さんに挨拶して、それから一度舞台を見せるね」
「はい、わかりました」
冒険部の面々の人員も借りて少し急ぎ足に馬車に荷物を積み込んで、全ての用意を整えた後、ティーネが大急ぎで実家とやり取りして決めた段取りを一同に伝える。
彼女の言う所によると、今日は移動と挨拶だけらしい。聞けば先方も今回の演劇会の用意に忙しく、実はティーネの急な決定にもかなり呆れ気味だった、という。まあ、向こうの場合はティーネの性格を把握しているので、呆れつつも、こうなるんじゃないかな、と用意は整えられていたらしい。
「まあ、道中は馬車でかっ飛ばすし、馬車で一日の距離だから、大して何もやる必要は無いわ。護衛にアルに私が居るからね」
馬車に乗り込んで、ティーネが告げる。流石に今回は速度を重視するということで、以前のソラ達の遠征と同じく牽引には地竜を使う事にしていた。
そのために護衛兼御者ということで、アルが一緒だったのである。結果、今のこの馬車には一般的な兵士百人規模の軍勢に守られているに等しい状況だった。桜達が何かをやる必要はなかったのである。まあ、それ以上に邪魔なので何もするな、と言われそう――実際には何も言われていない――なので、桜達も荷物の護衛を申し出る事はなかったが。
「じゃ、行くよ」
全ての荷物の積み込みと説明が終わったのを確認して、御者席に着いたアルが後ろを振り向いて一同に声を掛ける。今回は単なる演奏会への出席なので、人数も荷物もそこまで必要としない。なので、馬車は一台だった。そうして、彼女らを乗せた馬車はゆっくりと走り始めるのだった。
「魅衣様、お飲み物のおかわりは如何ですか?」
「あ、お願い」
そうして、数時間。馬車の中ではお嬢様達による女子会が繰り広げられていた。今回は族長からの依頼ということで、馬車は最高級の物だ。これを今のカイトが聞けば大いに羨ましがりそうだが、そのお陰で殆ど揺れは無く、魅衣達は椿の給仕の下、何ら不自由なく過ごしていたのだった。さて、そんな彼女達の会話の内容だが、当然、彼ら共通の問題だった。
「そういえばずっと聞きたかったんですが……カイトさんは昔からああだったんですの?」
「ああ?」
「ああ、申し訳ありませんわ。昔からその……見境無く女の方に手を出されて、という意味ですわ」
問いかけられた魅衣が意味を理解してなかったのを見て、瑞樹が言い直す。それを受けて、魅衣が少しだけ考えこむ。
「うーん……まあ、女誑しじゃなかった、と思う」
「そうなの?」
「あ、うん。多分、そんな事はなかったかなー、って思うけど……最近の昔話聞くと、そうじゃなかったわね……」
ティーネの確認を受けて改めて答えた魅衣だったが、最近になって知り始めた地球でのカイト達の活動を思い、ため息混じりに苦笑する。自身が知るのは、ところどころで暴れまわるカイトだけだ。惚れた相手と思い見続けていたつもりだったが、意外と知らない事も多かった事に、知らず、苦笑が出たのである。
「ずーっと、見てたつもりだったんだけどなー……」
そんな魅衣の呟きは、どこか悲しげだった。だが、言外の意図は、ティーネを除く全員が思っていた事だった。
「一体、どうして語ってくれないんでしょうか……」
桜が、呟いた。自分達は今までに何度も、カイトに全てを語ってくれるように望んでいた。確かに時間が無い事も大きいが、それ以上に、カイトは機会があるまで、率先して語ろうとはしていなかった。そうして、彼女らの疑問は解決すること無く、馬車は進んでいくのだった。
更に先の会話から数時間後。幸いにしてクズハの関係もありマクダウェル領にあるエルフ達の里はマクスウェルから近く、馬車に揺られること数時間で辿り着いた。本来なら日帰りでも行ける距離だが、演技にミスなどの無いように、との配慮から前日に一泊して、更に演奏会が夕方以降の開幕足掛け2日なので、計3泊する事になっていたのである。
「はい、ここが、私の生家があるエルフの里、森の精霊の里よ」
馬車を一時停止させて里の前で降りたティーネが、一同に向かって里の全貌をバックに告げる。
そこには森の巨木をくり抜いたり、木材を使って出来た木造住宅が並ぶ里が森の開けた場所に広がっていた。数十メートルに及ぶ巨木から漏れる木漏れ日を浴びるその姿はまさに、幻想的なエルフ達の里の風景と呼ぶにふさわしい光景だった。
「じゃあ、ティーネ。僕は竜車を止めてくるね」
「あ、うん。ごめんね。私は桜達をお父さんの所に連れてってくるわ」
「うん」
こんな天下の往来に馬車を止めておくわけには行かないので、アルは一人馬車を走らせていく。それを見送り、再度ティーネが説明を続ける。
「それで、皆が明日演技する事になるのは、あれね。まあ、雨天延期なのは……見たらわかるわよね」
ティーネが笑いながら指差した里の中心部にある建物を、桜達も観察する。それは巨大な大木の切り株を使って作られた屋根の無い舞台だった。半円形に壁がある所を見ると、おそらく意図的に屋根を造らず、巨大な大木の切り株をくり抜いて作られた舞台だろう。ちなみに、屋根は無いのではなく、障壁の様に展開される、との事だった。
だが、桜達には、そんな屋根云々よりも、その巨木の残骸の大きさに目を見開いた。確かにここに来るまでも地球ではお目にかかれない様な全周が20メートル程、高さ100メートル以上もある大木を山程見てきたが、そんな物が普通に思えるぐらいの大木だったのである。既に上が無いので全長は分からないが、全周はおそらく、数百メートルは存在していそうだった。
「ふふふ、すごいでしょ」
「……はい」
どこか自慢気なティーネの問いかけに、桜が呆然と頷いた。彼女らの言葉を以ってしても、すごい、というただ一言しか、存在していなかった。が、そこでティーネは少し照れた様子で、一同に告げる。
「でも、あれがどれだけの大きさなのか、って誰も知らないのよね」
「そうなんですの?」
「うん。この里が出来たのが300年前で、その時にはもう倒れてたから……あ、でも、カイトさんなら、知ってるかも?」
瑞樹の問いかけに答えたティーネだが、ふと思い出したかのように答えた。元々この里をこの場所に案内したのはカイトだった。それ故に、ここを見つけてきたカイトなら、知っているかも、と思ったのだ。
「それは無いよ」
そこに、声が響いてきた。それはどこか溌剌とした少女の声だった。そうして、緑色の少女が顕現する。
「ここにカイトを案内したのは、僕だよ。その時にはもう、この世界樹は倒れてたからね。流石にカイトも知らないよ」
「か、風の大精霊様! ど、どうして顕現成されることが出来たのですか!?」
現れたのは、シルフィだった。それを見て、ティーネは跪く。そうして続いたティーネの問いかけに、シルフィは苦笑して答えた。
「お父さんから聞いときなよー……ここは僕とノームの力が最も強まる場所だからね。僕とノームは自由に顕現が出来るんだ。まあ、顕現出来るだけで、何か出来るわけじゃないけどねー」
「も、申し訳ありませんでした……」
シルフィからの説明に、ティーネがうなだれて謝罪した。別に彼女らはカイトが居なければ顕現出来ないわけではない。条件さえ整えば、顕現出来るのであった。と言うより、そうでなければ大精霊達に会う事が出来ず、契約を交わす事は出来ないだろう。
まあ、それ以外にもソラの時のように気まぐれで顕現できている所を見ると、その条件はかなりゆるい物なのだろう。当人達に聞いた所で平然とどこでも出来ると言われそうなので、カイトも詳しい条件を聞いていない。
「あの……シルフィちゃん。世界樹、とは?」
「え? ああ、ごめんね。えっと、それで世界樹って言うのは、そのまま、世界の意思と語り合う為の樹だよ……と言っても、語り合うって言ってもまあ、かなり条件付きの翻訳機みたいな感じ、って言う程度だから、前にアウラが言ってたみたいにきちんと対話出来るわけじゃないけどね」
「そ、そんなの倒れて良いんですか?」
どう考えても、世界的に見て倒れて良いとは思えなかったのだが、あまりにシルフィがあっけらかんとしていたので、思わず桜が引き攣った顔で問いかける。が、それにシルフィはまたあっけらかんと答えた。
ちなみに、世界樹の事を初めて知らされ――これは里でも知る者は居ない――て、ティーネはそんな場所に里を作る事を許してくださったのか、と感涙していた事は、横に置いておく。
「だって世界樹って言っても結局生き物だもん。そりゃ、寿命もあるよ。大体5000……あれ、それは世界樹として、か。だから樹齢は1万年ぐらいだったかなー……で、1000年前に樹齢6000年ぐらいの若い樹に代替わりしたよ。倒れた樹の残骸はカイトが公爵邸に使ってるよ。世界樹の樹って長持ちするからねー。あの建物は壊されない限りは後2000年ぐらいは建て替えなくて良いんじゃないかな」
シルフィの言葉に、桜達はすごい話だ、と思うしか無い。樹齢1万年。どれだけの月日が経過したのか、人の身では想像が出来なかった。だが更に、シルフィの言葉は続いた。
「今は……確か、大洋のど真ん中の島じゃなかったかな。あそこが確かディーネとサラの領域だったし……」
「シルフィちゃん達の所じゃないの?」
「あ、持ち回り。だって世界樹の世話って面倒じゃん。あれ育てるの数千年掛かるんだよー。もう面倒ったりゃありゃしない。枯れたら拙いし、もし枯れたら今度は代役探すのも結構手間だしさー。次は私達だから、今から育ててるんだよ。代わるのなんて数千年先なのに……あ、場所は流石に秘密ね」
「め、面倒……」
はっきりと面倒と言い切ったシルフィに、もう何と言って良いのか誰もわからなかった。そうして一通り愚痴を言ったシルフィは満足したらしい。再び世界樹の解説に戻った。
「まあ、でもこの子で確か2000メートルぐらいの大きさだったかなー……懐かしいなー……この子は元気でねー。最後まで役目を全うしてくれたよ。世界樹にさえなってくれれば、後は神獣達が守ってくれるからね。彼らも褒めてたよ」
やはり、1万年もあれば、様々な思いがあったのだろう。どこか懐かしげな顔で、シルフィは最早残骸に成り果てた世界樹を見ていた。
「さて……そんな事で、っと。ティーネ、明日は朝だけが雨だよ。早計に走らないように、ってお父さんに伝えといて」
「あ、はい! かしこまりました!」
どうやら言いたいことを言えたらしいシルフィは、とりあえず明日の天候を伝えておくにしたらしい。ちなみに、音楽会は夜で月明かりの下で行うらしく、夕方に開会式を行い、夜の開演だった。
「じゃ、僕は……あ、そうだ。ねえ、ティーネ。明日のユリィが来た頃あたりにさ、桜達を英雄像に案内してあげてよ」
「英雄像……ですか? アルテシア様達の像に何が?」
「桜達が知りたい事、だよ」
シルフィはやはりなんだかんだお巫山戯をしながらも、大精霊の一角なのだろう。人々が悩んでいるのを見て、それに力添えしようと思ったのだ。そう言うと、彼女らは桜達の問いかけが来る前に、シルフィは消え去った。
「英雄像?」
「あ、世界樹で作られたカイトさんの昔の仲間の像があるんだけど……まあ、カイトさんも知らない内に作られてて、撤去も出来ない、って事で勝手に設置されているだけなんだけどね」
「そう……なんですか?」
「うん。まあ、一種の名物よ……まあ、とりあえず、お父さんの所、案内するわね。ちょっと遅れたから、もうアルも居るかもしれないし、お父さんを待たせるわけにもいかないからね」
「あ、そうですね」
桜の返事を聞いて、ティーネが先に歩き始める。そうして、一同は初の異族達の里の中を、歩き始めるのだった。
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第285話『過去の欠片』
2015年12月5日 追記
・修正内容
『馬車が出発してから、更に先の会話から数時間後』について、わかりにくいので前半部分を削除しました。
『屋根を創らず』→『屋根を造らず』:誤字修正