第18話 閑話 ―一条なる槍―
第19話で語られた一条視点です。
「眠れん。」
学園が転移した其の夜。一条 瞬は冴え渡る眼を見開き、与えられた自室のベッドから起き上がった。
「やはり鍛錬をしていないからか?」
こんな状況でもいつもと同じ事をしないと眠れそうにない自分に、彼は自分自身で呆れて溜め息を吐いた。
「とは言え……さすがにここでは出来ん、か。」
そう言って自分に与えられた私室を見回す。広さは3畳程。3畳程と言っても、ベッドが置かれている為、無駄なスペースは一切ない。荷物を何も持たずに転移した為、私物は殆ど無いが、とてもではないが、運動を出来る様なスペースは無かった。
「どうするか……」
そう言って頭を悩ませる。
「服は、まあ、ジャージに着替えるか。」
今来ている服は、彼らを保護してくれた貴族から与えられたジャージに似た寝間着だが、さすがにこれで寝るのであまり汚したくは無かった。彼の私物のジャージ自体は部活用のモノと体育用の2つあるので、汚れても問題はない。汚れた衣服については洗ってもらえる、とのことなので、密かに紛れ込ませれば問題ないだろう。多少汗が染み込んでいても、こんな状況だ。この服で寝たのだが、うなされて寝汗を掻いた、とでも言えば大丈夫だろう、と考えた彼は、備え付けのクローゼットを開いた。
「問題は……場所か。」
そう考えた所で、彼はふと何かを思い出したらしい。少しだけ目を見開いた。
「そういえば……あそこなら問題ないか?」
そう呟いて、彼は上を見上げた。
「確か、ここをこうやって……」
服を部活用のジャージに着替え、屋上へと続く階段を上がり、屋上へと続く扉の前に立った瞬。彼は一度周囲を見回した後、誰も居ない事を確認して扉の前に屈みこんだ。
「……良し!開いた!」
小さくガッツポーズを取る瞬。初めてやったのだが、上手くいったらしい。
「たまにはあいつの言葉も役に立つな。ドアの鍵が脆くなってて少し針金でつついてやれば開く、か。」
そう言って友人の顔を思い出す瞬。これは、3年に密かに伝わる話であった。
「……良し、誰も居ないな。とは言え、外から見られない様に、なるべく内側でやるか。」
大型のソーラパネルが設置された屋上に出た瞬は、なるべく外から見えない様に屋上の内側で鍛錬を始める。
「……はっ!」
小さく呼吸を吐き、槍を投げるイメージで腕を振りかぶる。疲れてからでは満足にイメージ出来ない、と彼は先にイメージ・トレーニングを行うのが常であった。
「……はっ!」
更に何度も何度も、自分で納得が出来るまで、イメージ・トレーニングを行う。
「もう少し、右、か?」
時々、自分のイメージと違う動作が出ると、彼はイメージの中の自分に擦り合わせるように動作の一つ一つを見直していく。実際に槍を投げる練習が出来ない代わりに、イメージ・トレーニングを行ったのだ。
「……こんな所か。」
取り敢えず、一区切りつけることにしたらしい。一度休憩を取るため、彼はゆっくりと腰を降ろした。
「……凛、大丈夫だと良いが。」
そう言って彼は彼の妹の事を思い出す。さすがの彼とてこのような事態に巻き込まれれば、いの一番に家族の事を心配し、まずは安全を確認したのであった。
「相当落ち込んでいたが……」
学園が転移してすぐ、彼は一年生が居るフロアに一気に駆け下りた。そうして自分の妹の教室に辿り着くと、そこでは混乱が起き始めていた。
「まあ、馬鹿をしでかそうとした奴が居たが……」
暴動一歩手前、瞬はそう思った。担任がまだ来ていなかったらしく、統率者が居ない教室では、いきり立った生徒達が喧嘩になりそうになっていたり、もうお終いだとばかりに女生徒に襲いかかろうとするなど、自棄になりつつあった。そこで彼は、仕方なしではあったが、混乱一歩手前の教室で大声を張り上げ、指揮を取ることで混乱を収めたのであった。
「あいつには少し悪いことをした……か?いや、そもそも女を襲おうとしている時点でダメだな。」
彼が教室に入り、まず確認したのは妹、凛だ。イケメンの兄と似てかなりの美少女である凛はいきなりの事態に理性が追いつかず呆然となり、殆ど無抵抗な形で襲われそうになっていた。それを見た瞬は、思わず襲おうとしていた男子生徒に対して、全力で殴りかかってしまった。悪いとは思っていないが、鼻血を流して気絶した事を思い出し、少しだけ強すぎたか、と思ったのであった。まあ、その御蔭で注目を集めることができ、混乱を収められたのだが。
「……あれは、すごかったな。」
そうして、時系列的に今日の出来事を思い出していた瞬だが、その後に起こった出来事を思い出して右手を握りしめる。何故か、血が熱くなる感じがした。
「ドラゴン……まさかこの眼で見る日が来るとは……」
彼とて、年頃の男子だ。当然、部活仲間や友人たちと共にゲーム等で遊ぶし、それなりに18歳未満お断りな動画等も見ていた。暇潰しに最適とラノベも読む。当然だが、ドラゴンについては知っていた。
「あの銀髪の少年……あのままやっても一人で勝てたのか?」
彼は教師や学園生達が気絶したり、腰を抜かし、茫然自失となる中、気絶も腰を抜かすこともなく、カイトやティナを除けばほぼ唯一、平常であれたのだ。とは言え、倒れこんだ凛を介抱するために屈んでいたので、アルからは見えなかったらしい。
「……マクダウェル家、か。」
自分たちを保護してくれた貴族の名前らしい。彼はその名を深く刻み込んだ。彼は恩義に厚い人間であった。
「……良し。休憩は終わりだ。」
止めどなく疑問や不安が湧いてくるが、彼はそういった想いを断ち切るが如く、立ち上がった。
「まずはランニングだ。」
そう言って彼は、かなり広い屋上でランニングを始める。外から見られてはならない為、少々やりにくいが、文句は言ってられなかった。
「はっはっはっ。」
呼吸のリズムを一定に保ち、彼は10分程ランニングを続ける。そうして、扉の方を向いた所で、それに気づいた。
「……女?」
校舎内への扉の上の縁に、女が一人腰掛けていたのだ。女は金髪でスタイルの良いとんでもない美女で、彼は思わず見惚れてしまう。
「……見間違い、じゃないな。」
呆然とした意識を顔を振って取り戻し、彼は見間違えである事を否定する。今もまだ見えていた。どうやら、彼の夢というわけではないようだ。
「おい!そんなとこにいたら落ちるぞ!」
瞬は縁に腰掛け、屋上から足を伸ばしている美女に向かって声を掛けた。見知らぬとは言え、見てしまった以上は注意しなければ、もし何かあった時に寝覚めが悪かった。
「む?……少々待て。今良い所じゃ。」
美女は此方を見ないで、何かを楽しむ様に、遠くを見つめている。
「……なんだ?」
そんな美女を見た瞬は、彼女が見つめる方向を見るが、何も見えなかった。それを訝しんだ彼は、美女に問いかけた。
「おい、何も無いぞ?」
「当たり前じゃ。余が隠しておるからの。」
美女は楽しげに語りかける。視線は尚も遠くを見据えたままだ。
「隠している?俺にも見せて貰えないか?」
美女があまりに楽しそうなので、瞬が気になって試しに聞いてみた。その言葉に、少し間を置いて、美女が何処からとも無く杖を取り出すと、地面をトンッ、と叩いた。その次の瞬間、瞬の耳に剣戟の音が響いた。
「……ほれ。代わりに、少々黙っておれ。」
どうやらうざったくなったらしい美女は、見せることで黙らせる事にしたらしい。
「なっ!?」
そうして、目の前に広がった光景に、瞬が唖然となる。そこでは、銀髪の少年と黒衣の人物が空中で戦闘を繰り広げていたのだ。
「あれは……さっきのドラゴンに一撃を食らわせた少年か?」
「ほう、あの場でよく気を失わなんだ。」
瞬の呟きに興味を抱いたらしい美女が、相変わらず戦闘を眺めながら褒める。
「あれを知っているのか?」
あれ、とは先ほどのドラゴンの襲撃だ。
「まあ、のう……おぉ、中々に力強いのう。とは言え、遅すぎじゃな。」
銀髪の少年の攻撃を、黒衣の人物がらくらく躱す。
「凄いな……」
それを瞬も見ていた。その圧倒的な強さに、彼は憧れに似た感情を無意識に含ませながら、呟いた。
「うむ、凄いじゃろう?」
瞬の呟きに気を良くしたらしい美女は、よく見える様に、と戦闘風景を瞬の為に拡大してやる。瞬はそれに驚くも、美女からは更に驚く言葉が発せられた。
「あれで手加減しまくっておる。まだまだ全力には程遠いのう。」
「何!?」
美女の言葉に、瞬が大いに驚いて美女の方を向いた。自分には到底及びもつかない戦闘だが、黒衣の人物はまだあれで全力には程遠かったらしい。そうして続く戦闘をほぼ無言で眺める二人だが、そこで黒衣の人物がふと此方に気付いた。
「げ……」
そんな黒衣の人物に、金色の美女が明らかに頬を引き攣らせている。
「どうした?」
「むぅ、後でお説教食らうかのう……」
瞬の問いかけを無視し、美女はそういう。かなり親しげな様子に、瞬は黒衣の人物の知り合いなのか尋ねようとして、しかし、その次の瞬間、轟音が響いた。
「何!」
その轟音に、瞬が身を乗り出す。此方に気付いた黒衣の人物が一瞬動きを止めた瞬間に、銀髪の少年が上段からの一撃を加えたのであった。
「……悪い事をした、か?」
明らかに此方に気付いた様子の黒衣の人物に、瞬が申し訳なさそうに呟く。彼が此方に気付かなければ、今の様に落下していく事は無かったかもしれないのだ。
「落ちた、のではない。降りた、のじゃ。」
そんな瞬の呟きに、美女が訂正を入れた。
「何?」
美女の言葉を問い返す前に、轟音が響き、黒衣の人物が落ちて出来た土煙を吹き飛ばして、何かが放たれた。
「何だ!?」
轟音に気付いて即座に瞬が再び戦闘に目を向ける。すると、土煙の上がる場所には黒衣の人物が瞬には見慣れたフォームで、何かを投げた格好をしていた。何を投げたのか、瞬が恐らく標的となったであろう銀髪の少年の方を見る。すると、そこには盾を巨大化した少年が疲労感を滲ませながら、浮かんでいた。
「あれは……槍……なのか?」
少年より少し遠く、少年の後ろに受け流したらしい槍が速度を落として飛び去ろうとしていた。瞬は、見慣れた形状から、そう判断した。そうして、次の瞬間、少年の背後の筒らしき物体から白色の光が溢れ、一気に黒衣の人物へと襲いかかろうとする。
「あ、おい!」
思わず、瞬はそう言う。少年の後ろからは、如何な原理か、先ほど投擲された槍が急速に方向転換し、舞い戻ってきていたのだ。速度は黒衣の人物が投げた時程ではないが、明らかに加速していた。そうして響く、ドン、という大きな音。見れば貫通していないものの、少年は後ろからの攻撃に姿勢を崩し、地面へと落下していく。そんな少年はなんとか空中で姿勢を取り戻し、地面に着地したところで、再び二人の姿は見えなくなった。
「あ、おい!」
見えなくなった戦闘に、瞬が抗議を上げる。
「もう仕舞いじゃ。アルの奴はまだまだ、じゃな。」
「何……いや、そんな事はどうでもいい。まだ続きがあるんじゃないのか?何故消した?」
「いいや、仕舞いじゃ。アルの奴は全力だったじゃろうが……そもそも今回の一件はそれを試す試験。これ以上は無駄じゃな。」
「そうか……残念だ。」
その言葉に、美女が少しだけ驚きを得た雰囲気があったのだが、瞬は気付かない。
「……なあ、聞いていいか?」
手を握りしめながら、瞬はふと思った疑問を尋ねる。
「良いじゃろう。」
「俺も、ああなれるのか?」
その言葉に、今度こそ美女が驚きを露わにする。そうして、美女が瞬へと振り向き、瞬をまじまじと見つめた。その眼は綺麗な金色で、瞬は全てを見透かされる感を得た。
「今の戦いを見て、未だ尚戦意を失わぬのなら、のう。」
「……そうか。」
「ふふふ、可能性に過ぎんがの。では、余も去るとしよう。」
そう言って、美女の姿が掻き消えた。
「何!?……居ない。」
一瞬で掻き消えた美女の姿を探す瞬だが、何処を見回しても姿形は有りはしなかった。
「……夢、ではないな。」
今の血の滾りを、彼ははっきりと自覚する。
「何時かは、俺も……」
あそこに並び立ってみたい、そういう小さな呟きは、屋上に吹く風に乗って掻き消えた。そうして、遥か高き壁を目の当たりにした彼は、この後、冒険者となり、この日見た高みを目指す事となる。後の彼は述懐する。
――――あの日の血の滾りこそが、俺にとっての原点だ
と。そうして、後に皇国史上最強の槍使いとして名を馳せる彼の原点が漸く、姿を表した。
そうして、部屋に戻った彼だが、今度は興奮で眠れず、結局こう呟くのであった。
「眠れん。」
お読み頂き有難う御座いました。
2016年6月2日
・誤字修正
『今見たいに』となっていたのを『今の様に』と修正。