第280話 戦士とアスリート
リィルの説教にも似た忠告を受けて、一度模擬戦を行う事にした瞬とリィル。二人は立ち上がると意識を集中して、お互いに戦闘態勢を整える。だが、この時点で二人の気配に差が見受けられた。
「……つっ」
にらみ合いの最中、瞬はリィルの身体に緊張が一切無い事に気付く。集中しているのに、興奮が一切無いのだ。ただ、水面のごとくに静か。それが最もわかりやすくリィルの今を表していた。
「ふっ!」
いつまでもにらみ合いではいられない。そう思った瞬は一気に突き進む。なにせどう足掻いても彼我の差は歴然。攻め立てないかぎりは勝ち目は無いのだ。そうして、幾度も突きを繰り返す。それをリィルはただ避けるだけだ。
「ふっ! はっ! たっ!」
突きの連続を繰り広げつつも、瞬は決して技は使わない。リィル相手に使った所で、その時の隙を突かれるだけだ。如何に出の早い技であっても、どうしてもほんの一瞬の隙は出来る。それはほぼ毎日の様に繰り広げる彼女との模擬戦で瞬はよく理解していた。そして意地の悪い話ではあるが、リィルは喩え瞬という新兵の領域を出ない相手にでも、容赦無くその隙に攻撃を叩き込んでいった。
ちなみにこれが別の強者であれば流石に使っても良かったのだが、何度もリィルと練習をしていた所為で、瞬がどんな技を習得していて、それを使う際にどんな癖があるのか、というのを完全に把握されてしまった為だ。
こんな状況でも使うというのなら、カイトの様に無数の手札を持って次の技の為の牽制なのかわからなくさせるか、はたまたティナの様に新たな技を生み出して、連携を常に変化させ続けるしかなかった。
「ふぅ!」
突きだけでは、引き戻しのタイミングを狙われてカウンターの餌食だ。なので瞬は適度になぎ払いや打撃を織り交ぜる。それをリィルは時に避け、時に自らの槍・<<炎嬢>>を振るう。
「では、そろそろ此方からも攻撃していきます」
そんな攻防戦が3分程経過した所で、リィルが宣言と共に、攻勢に出始める。一応瞬の鍛錬の気配をさせている為、それはゆっくりとペースを上げていく。
「ふっ!」
「つっ!」
幾ら手加減をしているからといえども、リィルの攻撃は瞬の全力の半分程度の速度から始まる。なので、瞬は一気に攻め一辺倒から回避を考えないといけなくなる。間違っても、一撃でも食らえばそれで終わりだ。そうして、みるみるうちにリィルの攻撃速度は上昇していき、遂に瞬の全力、即ち今の彼の攻撃速度と同等になった。
「はぁ!」
「くっ!」
それから暫く殆ど互角の攻防戦が続き、リィルのなぎ払いの攻撃を受けて瞬が吹き飛んだ。だが、それはきちんと防御出来ており、両者の間合いが離れただけだ。そして即座に、瞬は地面を蹴って間合いを詰める。最近の鍛錬の変化のおかげもあって、それは今までよりもかなり速度が出せる様になっていた。
「ふっ!」
「おや……なかなかに速度は上がっていますね」
どうやらこの速度の上昇についてはリィルも少し予想以上だったらしい。彼女は真剣だった顔に何処か楽しそうな笑みを浮かべる。それに、瞬も笑みを浮かべた。
「皇帝陛下からのお言葉に従っただけだ!」
「それは殊勝な心がけです」
二人は僅かに会話を交わし合う。瞬としては、帰ってからもアスリートを続けようとは全く思っていなかった。それ故に帰ってからアスリートとして続けられなくなるという不利益を簡単に切って捨てて、投げ槍の選手としての筋肉の付け方を改めた。その結果が、この目を見張るばかりの速力の増強だった。
ちなみに、瞬自身としては昔に受けたカイトの言葉から、世界中を旅して異族達の交流を促進する事を手伝おう、と考えていた。
カイトに相談した時にも、それはありがたいとありがたがられた。なので、おそらくその道に進むだろう。何故かそれの方が良い様な気が、心の何処かでしていたのである。
「まだまだだ!」
「威勢が良いですが……」
何度かの激突の後、瞬が完全に自分の動きに集中したと見切った所で、リィルが遂に動きを見せた。今の瞬ならば、確かにリィルの攻撃を完全に回避し、防御してみせるだろう。それだけの集中が見えた。だが、だからこそ、隙が生まれていた。
「ぐふっ」
いきなりの後ろからの攻撃に瞬が何が起きたのかわからぬまま、膝を屈する。痛みは殆どなかったが、それでも一撃で昏倒させるに十分なだけの威力を持っていた。そして膝を屈する寸前の瞬の顔は、驚愕に目が見開いていた。
そうして瞬が膝を屈して、完全に意識を失うと思われた瞬間、さすがのリィルでさえも予想し得なかった事が起きた。
「く、くそ……まだ……だ。まだだ! おぉおおおおおお!」
「これ……は……っ!」
瞬は気合と根性、そして意地だけで槍を支えに強引に立ち上がると、まるで鬼の遠吠えの様な雄叫びを上げる。その声量と気迫はカイトの咆哮に及ばないが、リィルでさえ目を見開いて驚愕を露わにさせるのに十分な気迫を伴っていた。そして数秒、ビリビリと肌を刺激する様な雄叫びが終わると、そのまま瞬は動かなくなった。
「……瞬?」
立ったまま動かなくなった瞬を見て、さすがにリィルが首を傾げる。そうしてゆっくりと近づいてみれば、瞬はなんと立ったまま気絶していたのであった。
「<<戦場で吼える者>>……貴方は、もっと強くなれます。瞬、今回の敗北を糧に、更に強くなりなさい」
気絶した瞬をゆっくりと抱きかかえて横に寝かせようとして、しかし寝かせる場所が無くて、リィルは少しだけ苦笑した様子で瞬に膝枕をする。
「瞬……貴方はおそらく、短期間で遥かに強くなれる。悔しいですが、おそらくもう遠からず……一ヶ月もしないうちに、私も全力では無いまでにせよ、<<炎武>>を使う日が来るでしょう。ですが、今の貴方は一つの事にしか目を遣れていない。それでは、まだ2流です」
実は密かに、リィルは瞬の才能に嫉妬していた。確かに、今の瞬ではリィルの全力には程遠い。彼女の切り札の一枚である<<炎武>>を使うなぞありえないほどだ。
だが、それでも。この戦闘に対する適正と上達率だけは、素直に空恐ろしい物があった。例えるならば、ティナと同じ天賦の才能。そう言える程の上昇率の高さと戦闘に対する適正だった。
今はソラと殆ど変わらない実力だが、おそらく今後はかなり差が出来る。そう、リィルは密かに予想していた。そしてそれは、今の戦いで尚更強まった。
身体のバランスが皇帝レオンハルトのアドバイスを受けて、武芸に最適なバランスになりかけていたのである。今までの彼の筋肉は、剛一辺倒。それが全身に再分配された事で、剛を持ちながら靭やかさを持つ物に変わりかけていた。これが完成すれば、おそらくリィルは念を入れて<<炎武>>を使う事があるだろう。それほどまでに、瞬の上達率と戦闘への適正は空恐ろしかった。まるで戦いこそが、彼の本分であるとさえ言えるほどだった。
ちなみに、ソラに全く適正が無いというのでは無く、ソラは全体の指揮や裏方の政治を学ぼうとしているので、ここらで彼らが目指す方向性に差が出た、と言うところだろう。
リィルは少しの嫉妬を含みながら瞬の額を流れる汗の痕跡を拭い、以前指摘された彼の短所に加えて今回指摘した短所を指摘すると、更にアドバイスを送った。
「自分の中に集中するのではなく、世界と一体になる感覚を持ちなさい。そうすれば、世界は貴方に何処から攻撃が来て、どうすれば良いのかというのを答えてくれる」
眠った様に気絶する瞬にリィルは小さく告げる。後できちんと告げるつもりだが、今のうちに思いの丈を伝えておきたかったのである。そうして、暫くリィルは瞬が目覚めるのを待つのであった。
瞬が模擬戦に敗北してから30分後。どうやらトレーニングの後であった事も相まって、瞬は疲労から少し長めに気を失ったらしい。
「う、うぅう……」
ようやく瞬が目を開けて見たのは、リィルのそれなりに大きな胸と、その間から覗く彼女の端正な顔だった。
「うぉぁあ!?」
流石にこれには瞬もびっくり仰天だったらしい。勢い良く飛び起きた。それを見て、リィルは笑った。
「それだけ元気なら、もう大丈夫ですね」
「い、いや! それよりもお前、鎧は!?」
顔は真っ赤でかなり上ずった声で、瞬がリィルに問いかける。当たり前だが彼女とて模擬戦の最中にはきちんと鎧をつけていた。だが、瞬が目を覚ませば目の前にあったのは、タンクトップに似た服を着ただけのリィルの姿だった。
「蒸し暑いので脱ぎました」
リィルは微笑みながら、自身の横を指差した。そこには彼女が何時も身に纏っている赤色のブレストプレートが置かれていた。流石にもう夏に入りそれなりに経過していて、如何に地下といえどもずっとブレストプレートを身に纏ったままでは暑かったのである。それに、外が梅雨時期とあって湿度が高く蒸し暑かった事も大きい。
「あ、ああ……そうか」
戦闘による興奮などとは別の理由で背中までぐっしょりと汗で濡れた瞬はようように落ち着いて再び座る。まあ、何処か疲れた様子があったのは、致し方がないだろう。そうして座り込んだ瞬は、何処か呆れた様子で告げる。
「だが、その格好は無いだろう」
「そうですか? 私は軍に居るので、時折異性に裸を見られる事もあるのですが……」
「……そうか」
瞬は図らずも、少しだけ不機嫌さを声に滲ませる。返答に少しだけ間が出来たのもそれ故だ。そんな瞬の機微を見て、リィルが少し慌てた風に告げる。
「ああ、いえ。別に誰にでも見られて良い、というのでは無いです。きちんと軍務としての検査などで、裸になる必要があるだけです」
「なんだ、そんなことか。いや、悪い。下衆の勘繰りの様な事をしてしまった」
「いえ、私も言葉が足りませんでしたね」
瞬の謝罪に、リィルも照れたような笑みを浮かべて謝罪を返す。そうして暫くその話題になるが、少しすれば本題に入った。
「それで、瞬……貴方は何をされたのか、理解していますか?」
「……いや、すまない。未だにわからない」
「はぁ……それが、ダメだと言うのです」
リィルはそう言うと、訓練場の端に密かに待機させていた自身の分身を此方に呼び寄せた。それに、瞬が顔を顰めた。
「なに……?」
「気付いていましたか? 戦闘中、半ば頃から常に居たのです。一応、気配や姿などはきちんと消していましたが、貴方がしっかり感覚を鋭敏にすれば、気付けぬわけでは無いレベルでした」
ふっ、と分身を消すと、リィルは今初めて気付いたという風の瞬に更に苦言を呈した。
「貴方は敵と己しか見えていない。おそらく先の極短時間の超集中状態の事をゾーンと呼ぶのでしょうが……あれは間違っても、今の貴方では戦闘中に入ってはいけません」
「……そうか」
リィルの言葉に、瞬が少し無念そうに呟いた。とは言え、確かに悪い話では無いのだ。確かに、戦場に自分と敵しかいなければ、ゾーンに入った所で問題は無い。だが、それだけでは無いのだ。身体が勝手に動く状況を創り出すのは、簡単に言って拙かった。
「身体が勝手に、というのは私達にもある状況です。ですが、それは制御されないといけない。全てが直感のまま、では相手に良いようにされてしまう。相手も一流。それ故に、何が最適解なのか相手も理解している。それを上回ってこそ、超一流なのです。貴方のゾーンは確かに素晴らしい……ですが、それはあくまで、完全に直感任せ。それ故に、選択肢に入らない行動……認識外、感覚外からの暗殺には弱い。複数のタスクの中で直感で除外してしまうからです。ゾーンに入っても対処出来る様になれば一流の証と見なせますが……今の貴方ではそこまでは出来ていません。ゾーンに入るのだけは、気をつけなさい」
リィルは考えながら、瞬に問題点を伝える。彼女が言いたい事はとどのつまり、ゾーンとは単一の行動をするには最適で、幾つもの複合的な作業をするには不適切と言うことだろう。
昇格試験の様にタイマンの戦闘ならまだしも、戦闘は戦闘行動だけではない。指揮や撤退の見極め、援軍の到着に対する警戒など複数の行動を必要とするのだ。それは特に、瞬の様に本来は指揮官タイプの人間にこそ、複数の行動は必要とされていた。
「貴方は一軍を率いる素質があります。ゾーンに入り、周りが見えなくなるのはもう終わりなのです。周りを見て、仲間の状況を把握する。その上で、敵の行動から最適解を導き出す。敵とだけ戦えば良い、というのでは無いのです。感情を捨てろ、というのではなく、さざなみの如く落ち着かせて、戦闘では無く、更に上。戦場全てと一体化する感覚を得なさい」
「……そうか。わかった」
瞬は真剣な眼で、その苦言を受け入れる。これは瞬自身が、悪癖と思っていた事だ。精神鍛錬。それも集中出来ていない、というのでは無く、集中し過ぎている、という事への対処。それが、今の瞬に必要な事だった。そうして、彼は彼で新たな一歩の為に鍛錬を開始するのだった。
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第281話『世界とは』
2015年11月29日 追記
・誤字修正
『完成』とすべき所が『歓声』になっていたのを修正しました。
・誤字修正
『意地の悪い』とすべき所が『維持の悪い』になっていたのを修正しました。
2015年12月1日
・表記修正
リィルの台詞『それは、まだ2流です』を『それでは~』に修正しました。