第236話 決戦前夜
カイトが椿に大剣を与えた数日後の第二回トーナメント前夜。前夜となっても、ある者は最後の調整を行っていた。
「まだ遅いぞ!」
「うぃーっす!」
ギルドホームに設置されている訓練場の一つで、夕陽と綾崎を含む空手部有志達が最後の調整を行っており、時折パンッ、という小気味よい音が聞こえてくる。
「おっしゃ! 後ろ取ったぁああ!」
夕陽が綾崎の後ろに回り込んだのだが、それを見切られていた夕陽はカウンターで床に投げられてしまった。その投げの姿勢が何処か合気道に似ていたのは、実戦的な戦いをするようになって、空手だけでなく様々な武芸を学ぶようになった結果だった。
「もう一回!」
「こい!」
即座に立ち上がり、再び夕陽は部長の綾崎へと攻撃を仕掛ける。試合ではないのだ、どんなことがあっても、戦闘終了にはならなかった。そうして、彼等は最後の最後まで、鍛錬を続けるのであった。
そして、同じくティナも最後の調整を行っていた。此方の調整は、ホムンクルス達だ。明後日には初の戦闘で、相手は圧倒的に格下の少年少女達だ。万が一が起きない様に、調整を徹底させていたのである。
「どうじゃ? 明後日には一度戦闘を行う事になる。お主らの不具合がそのまま護衛対象の弱点となる。些細な事でも報告せよ」
『二葉に若干の動作不良が存在するようですが……』
『? 動作不良は認められませんが?』
『戦闘中に少し髪を気にしてませんでしたか? アレで反応がコンマ数秒遅れていた気がします』
『それを言うなら、三葉が狙撃姿勢を取った時に四葉のクローバーに興味を惹かれ、狙撃を失敗した事の方が問題かと……』
『ならば一葉は戦闘中に少しだけマスターの方を気にしてませんでしたか? 累計で5秒ほど余分であったと思います。』
そんなこんなを言い合うホムンクルス達を、ティナは少しだけ嬉しそうに眺めていた。
「自我が目覚め始めておるのう……善き哉善き哉」
そうして、我が娘を見る母親の眼で、ティナは最後の調整を行うのであった。そして、またある者は目の前の光景に興奮していた。
「ああ! さすがは私の可愛い妹達! あー、もう! このまま永久保存しちゃいたい!」
そう言って、弥生は自分の妹?達を抱きしめた。
「なんでこんなふりふり付いてるの……」
最早なすがまま、されるがままの睦月は、半ば諦め気味に呟いた。
「えー、可愛いじゃない。好きよ、こういう着物も。」
実家では――勝手に――女物の着物を着ている皐月が、そう言ってくるりと回転した。かなり丈の短い着物なので、中に着ている下着がモロ見えになるが、三人しか居ないので気にしていない。まあ、三人以外が居ても、大して気にしないだろうが。
「あーん! もう、皐月ちゃん最高! 田舎だとおばあちゃん達がうるさくて、こんな可愛い着物創れないものねー! こんないい素材くれるなんて、カイトさまさまだわ!」
そう言って弥生はズラリと並んだ幾つもの着物を見比べる。弥生が数週間掛かりで公爵家の被服班と共同で縫い上げた渾身の着物と浴衣であった。
「これはティナちゃん用……こっちはユリィちゃん用……クズハちゃん用に、リィルちゃん用」
モデルが、素材が、ウハウハよー、という危ない呟きが聞こえる。異世界出身のある種人間離れした美貌の持ち主達にはどこか異国情緒が溢れるように、フリルが付いた着物を用意した。それなりに丈の短めな可愛らしい着物を用意していた。
「桜ちゃん達は結構着慣れてるっぽいから、こんなふりふり付きじゃなくて、正統派の方がいいわよね」
あ、逆でも良かったかも、そんなふうに呟く弥生。まさに、呉服屋の娘の本領発揮であった。
「あー、でも、あの娘達少し頭固そうだから、やっぱり正統派の方がいいわよね……」
そうして、全く決戦前夜感の無い、三姉妹の夜は過ぎていくのであった。そして、またある者は、既に現地入りして、十分な睡眠を取る事にしていた。
「うん、久しぶりに学園の自室に戻ったけど、やっぱりホームの部屋のベッドって高級品なんだ」
そう言って楓はベッドに倒れこみ、少しだけ後悔する。久しぶりに自室のベットの感覚を確認し、最近寝ていたベッドに比べて少し硬い事に気付いたのだ。
「まあ、4階だし、しょうが無いか……あの2階層はカイトの集めた家具らしいし」
当然ではあるが、副会長であり、冒険部でもかなり上位に入る実力者である楓にも4階の個室が与えられていた。同様に運動部連の副会頭である空手部主将の綾崎も4階である。
「にしても、お爺ちゃん。元気そうで良かった」
楓はそう呟いて、微かに笑みを浮かべた。最近はマクスウェルにあるギルドホームに居たので、祖父である桜田校長の状況は伝え聞く程度であった。楓は老体に激務なのでその体調を心配していたのだが、実際に会ってみれば逆に日本に居た時よりも元気そうであった。
「まあ、でも。顔を見せに来て正解だったわ……」
元気そうではあったが、やはり孫が訪ねてきてくれた事が嬉しかったらしく、長時間話し込んでしまった。孫にその活動で見たもの、聞いたものを聞く祖父と言うのもおかしな話ではあるが、どこか少年の様な瞳を見せた祖父に、楓は苦笑しながらも心配は不要だった、と安心したのであった。
「最終日……ティナちゃんと二人でカイトを抑える、か。大役よね……」
戦わない、という可能性はないだろう、それが稀代の軍略家の一人であるティナの見立である。勝つ為に秘策も用意したのだ。後は、コレをカイト達のパーティ戦まで温存できるか、に掛かっていた。
「まあ、その前に……明日の個人戦とタッグ・マッチ、がんば……ろう……」
横になっているうちに、眠くなったのかそのまま寝入ってしまった楓。そうして、彼女の夜も更けて行ったのである。
一方、当然だが個人戦には出場せず、明日は完全に観客兼お祭り気分で参加する面子も居た。カイト達である。
「で、次はどうなったんだ?」
そう言ってソラがカイトに先を促したのだが、急かすソラを、魅衣が窘めた。
「黙って見てなさいよ……あ、場面が変わったわよ」
現在冒険部の上層部はカイトの私室の一部屋に集合し、以前話していたカイトの地球での武勇伝を見ていた。聞いていた、ではないのは、カイトの記憶を魔術で第三者視点化し、それを見ているからであった。現在、部屋の中にはその映像が写っているのである。
「……お、お兄様?あの、何故こうも困っている女性が多いのでしょうか?」
「というか、なんで誰も彼も困っている所をカイトに救われてるのかな?」
今回なるべく昔から、ということで見たのは北欧のジークフリートにまつわる話題だったのだが、そこでも当然の様に美女――今回はジークフリートとブリュンヒルデの娘・ブリュンヒルダ――が現れ、カイトが助けるという恒例の行事が行われていたのである。尚、道中にも困っている数人の女性――美女とも言い換えられる――が居た事は、敢えて言及する必要は無い。
「……知り合い、居ました……」
「イギリスに居る私の従妹ですわね。と言っても、現在はウィーンに音楽留学中ですが……ゴールデンウィーク期間中に探している殿方が居る、とは聞いていたのですが、まさかカイトさんだったとは……」
「は?だれ?この時にはヒルダ以外には助けて無いはずなんだが……」
桜と瑞樹がかなり引き攣った表情で言ったので、カイトは一時停止して少しだけ巻き戻した。
「これ、ですわ……確か、今年のゴールデンウィークにも助けたのではありません?」
そう言って瑞樹が指差すのは、金髪の西洋人形の様な可愛らしい女の子。この当時はまだ幼女という年齢だが、数年後には間違いなく美少女となる事が予想された。
「は?今年のゴールデンウィーク……確かギリシャと北欧めぐりしたんだが、オーストリアには行ってないぞ?今回は完全観光を決め込んだから、そんなに新しい出会いは求めてなかったからな」
「イギリスには行かれませんでしたか?」
「おーい、カイトー。まだかー?」
翔が一向に先に進まない映像に、抗議する。そんな翔の言葉に、カイトは苦笑しながら謝罪する。
「あ、ちょっと待った。なんか二人の従姉妹が映ってたらしいから、一旦確認する。イギリス……ああ、行ったな。確か、観光でイギリス行った時に偶然妖精と会って、その妖精の案内でアーサー王の居るアヴァロン迄行って……」
そう言って映像がコロコロと変更されていき、小さな妖精や若い王様、成人女性に妖精族の羽根が生えた女性等が映っていく。
「へー、地球にもちゃんと妖精いるんだー。あれ、この大きな人は?」
「ん?ああ、これは妖精女王ティターニア……奇しくもお前の二つ名と一緒の名前だ……ああ、思い出した。それで、アーサー王の所で何個か問答やら何やらやって、ケルトの神々を紹介してもらえる事になったんだった。あー、あれはさすがにちょっと痛いな……今度クー・フーリンにでも頼むか。あいつ一応ケルトだし。フィンかディルでも良いかも……」
紹介してもらえる算段は付いたのだが、今度はカイトが転移してしまったので、当分はお預けとなりそうである。ちなみに、カイトは問答と言うが、名目上であって真実は宴会である。なお、ディルとは英雄ディルムッド・オディナの事である。
「それ、イギリスどころか欧州の方が聞いたら卒倒しますわね……」
カイトが出した名前は全て、欧州に名立たる大英雄である。しかも、かなりの人気を誇っているので、聞けば羨ましがられただろう。
「で、カイトくん? そろそろ核心へと辿り着きませんか?」
ガッチリと逃さぬようにカイトの腕をホールドした桜。どうやら真相を把握するまで、逃がす気はないようだ。
「えーと、それで……ダメだ。思い出せん。その娘、何か言ってたのか?」
カイトにとっては些細な記憶であったので、イギリスで何をしたのか思い出せない。そこで、事情を知っているらしい桜と瑞樹にもう少し詳しい話を聞くことにした。
「えーっと……確かロンドンでボールが当たりそうになった所を助けてくれた、とか何とか言ってました」
「あ、確か……有りましたわ」
瑞樹は持って来ていたスマホのデータの入った通信用の魔道具の中から、その従妹らしい人物の写真を映しだした。
「あ、この娘エリナだっけ?」
どうやら三人が何やらこそこそとやっていたので気になったらしい魅衣が覗きこんで尋ねた。まあ、そのせいでカイトが見る前に、魅衣が覗き込んだ所為でカイトからは少女の画像が見えないのだが。
「あら、ご存知ですの?」
「ちょっと前に話題になってた。名門貴族の令嬢が、助けてくれた日本人を探しているって。その娘、かなり可愛いでしょ? おまけに助けてくれた日本人の助け方がかなり様になってたから、ネットじゃかなり有名よ。動画再生サイトなんかじゃ確か、50万件再生してたんじゃなかったっけ?」
ちなみに、魅衣はモデルのエリザの情報を入手しようと海外のサイトを閲覧している時に偶然そのニュースを見つけたのである。
「はぁ……さすがにそこまでは存じ上げてませんが……そういえば、最後にお話した時にも映像データを見つけたから、送る、と……ああ、そういえば有りましたわ」
偶然キャッチボールをしていた少年たちを写していた映像が存在しており、エリナが伝手を伝って入手したのであった。そこで、日本在住の従姉である瑞樹にも情報が得られれば、と送ったのであった。
「えーと……これ、ですわ。多分」
そう言って映しだされたのは、ロンドンに有る公園で、キャッチボールをしている少年達であった。
『オーケー! もういっちょ行くぞ!』
「あれ?なんで日本語なの?」
再生された映像から響いたのが日本語であったので、魅衣が首を傾げた。
「イヤリングの効力はどうやら映像データでも通用するらしいな」
さすがにカイトも試した事がなかったのだが、どうやら言語であれば、翻訳されるらしかった。
『おーっと! この下手くそ!』
『うっせー!』
そう言って笑い合う少年たち。どうやら、撮影者は彼等の知り合いの女性らしく、時折仲良さそうに話す声が録音されていた。そして数分後、とある少年がボールを持っていた少年を挑発し、かなりの速度でボールを投げ合い始めた。
『おいおい、この程度かよ』
『お前こそ、おせーぞ』
『じゃあ、コレはどうだ!』
そう言ってボールを持っていた少年が、今までで一番速いボールを投げるのだが、どうやら力み過ぎたらしい。ボールは受け手となるはずの少年とは全く別の方向へと飛んで行く。
『危ない!』
その様子を楽しそうに眺めていた女性が、ボールの飛んで行く方向に一人の少女が居た事に気づいて声を上げた。
少女はどこか瑞樹に似たかなり端正な顔付きで、チェック柄のスカートにシャツを着て、更にその上に可愛らしい上着を羽織っていた。どうやら少女は気落ちしているらしく、俯いてボールには気づいていなかった。
『危ないわよ! 避けなさい!』
女性の声に、漸く少女が気づいて周囲を見渡す。そこで、自分に向かってくるボールに気付いたのだが、身が竦んだのか、動けなくなってしまった。
このままでは、少女の端正な顔に向けてボールが直撃する、誰が悲劇を予想した瞬間、ボールはパシッという音と共に、ボールと少女の間に割り込んだ男の右手によって止められた。
『おー、アブね。大丈夫か?』
ボールを掴んだ男は、少女の方を向いて掴んだボールをお手玉の様に右手で少しだけ上に投げてはキャッチするという動作を繰り返す。
その男性は、精悍な顔つきの中に少しだけ幼さが滲んでおり、その表情はどこか悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。背丈は180センチ程、それなりに筋肉が付いており、服はどこにでも売っている様なジーンズにTシャツ、一品物らしい品の良い革製のジャケットであった。まあ、どう見てもカイトである。
『……え? あ、はい。』
何が起こっているのかわからない、周囲がそんな一瞬の停滞に陥る中、声をかけられた少女が頷いた。
『まあ、そうだよな。助けたんだし』
『おーい、―――。そろ――時―じゃ―ー』
どうやら男には同行者が居たらしく、名前を呼ぶ声がしたのだが、遠かったので聞き取れなかった。声からして、どうやら女性の様であった。
『おーう……ほれ。……次からは気を付けろよー』
そう言って男は少女の方を向いたまま、後ろにボールをトスする。そうして、そのまま立ち去る直前、後ろから近づいてきていた少年へと注意を促した。
『うわぁ! え? あ、はい……』
男が少年の方を見ずに投げ渡したボールは、寸分の狂いもなく走ってきていた少年の手に収まる。それにびっくりした少年が驚いた声を上げる。そして、男の去り際のセリフに、再びぽかん、として頷いた。
『あ! ちょっとまって! 名前を!……また行っちゃった……でも、夢じゃなかったんだ。』
そんな少女の嬉しそうな声が、マイクに届いた。そして、少女の最後の声は。
『夢じゃないなら、捕まえてみせるわ。名門フィルマの女を嘗めないことね。そう何度も逃げられるほど、甘くは無いわ。』
そう楽しげに呟く声であった。
『うそ……あの男、ロンを見てないのに……凄い……』
急いで少女へと近づいていた撮影者の女性は一部始終を傍目に見ていたので、カイトが一切少年の方を見ていなかった事に気づいて驚愕の声を上げる。そうして、映像はそこで終了した。
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第237話『昔話』