第229話 従者の過去 ――目覚める者――
そうして、椿の夢は終わりへと近づく。
『でも、ストラ様が承諾してくださるでしょうか?』
カイトの身請け話を受け、椿がふと不安になる。まだ入って数日、しかも自分は多くの貴族が供される事を楽しみにされていたのだ。もしかしたら、受け入れてもらえないのではないか、と。
『あ、そっちは問題ない。』
そんな事を知ってか知らずか、カイトはあっけらかんと言い放った。椿は始め、それはカイトが自分の出身を知らぬが故だと思ったが、すぐに思い直す。
(彼は私がミックスであると見抜いている。)
その上で身請けたのだ。この程度の事情がわからぬわけは無かった。それなのに、大丈夫と太鼓判を押したのだ。椿はそれを疑問に感じつつも、カイトに従った。そして、その道中で、更に不可解な事が起きた。
『今は引き継ぎ中だが、もう少ししたら主の護衛へと回る予定だ。そのときは、よろしく頼む。』
同僚、と言って紹介された人物に、椿は内心、飛び上がらんばかりに驚いた。その人物は、総支配人たるストラの妹、ステラであった。更には、自らの主を、自分の主と言ったのだ。カイトの正体に、尚更の疑問を深める椿だが、その疑問はストラの部屋で氷解する。
『ははは、スマン。っと、オレの自己紹介がまだだったな。オレはカイト・アマネ。天桜学園は知っているな?』
シルミに対してカイトはそう告げる。その話は既に椿も聞いていたが、それを真実と信じる事は出来なかった。そして、シルミはその容姿から、カイトの言を嘘と取った。そして、遂に椿は知る。彼女をここから連れだそうとしている男は、比喩で白馬の王子なのではなく、真実、白馬の王子様であると。
『オレのもう一つの名前が、カイト・マクダウェル。一応、この街の公爵を務めている。』
それを聞いた瞬間、椿はありえないことだ、と思った。勇者は300年前の人間なのだ。それが主で有るはずはない、と。
『主よ。持って来たぞ。』
だが、そうして椿が驚いている内に、ステラが書類を持ってくる。椿がここに配属される時に、書いた書類であった。そこからはトントン拍子に話が進んでいった。
『よし、これで問題なし。椿、これから頼むな。』
そう言って微笑みかける主に、椿は一礼をする。
『まあ、あんまり言わないけどね……その娘を頼むよ。』
シルミにそう言われた主はそれに笑顔で答え、誰かに念話を使用した。その間に、椿はシルミに話しかける。
『あの……シルミさん。今まで有難うございました。』
数日であれ、色々と気を回してくれたのだ。この娼館の中で、最も恩義を感じていた。とはいえ、他の女と会った事は殆ど無かったのだが。
『いや、いいって。まさか、こんなことになるなんてねぇ。少しだけ、嫉妬しちまうよ。』
自分には、こんな王子様は現れなかった、その点だけは、少しだけ羨ましい、そう言ってシルミは笑う。それに椿は少しだけ罪悪感を感じるが、シルミはすぐに元通りの姉御肌の快活な笑顔を浮かべた。
『でも、しっかりおやり。まあ、あたしもこいつから結構聞かされたけど、悪いやつじゃないはずだよ。』
かなり多く伝わる伝承などで、カイトの性格のおおよそは判断できる。そこから、シルミは手酷い事はされない、と判断した。
『はい。』
儚さが少し消え、施設に居た時の美しさが現れた椿に、シルミが少しだけ安心した表情を浮かべた。
『ほんとに、コイツの見立の良さは頭が上がらないねえ。』
そう言ってシルミがストラを指さす。
『ははは、何分、私の様な元暗殺者をこの様な地位に取り立てる御方ですからね。しかも、狙われたのは御自分ですよ。お優しくないはずがありません。』
どうやら、彼が暗殺者であった事は、シルミにとっても初耳であったらしい。大いに驚いていた。
『あんた、暗殺者だったのか。道理で時々物凄い冷たい顔をするわけだ。』
『ふふ、ええ。皇都のスラムで……と言ってももうありませんが。そこで育って、色々あったのですよ。あれは今思い出しても、無謀でした。』
その言葉を聞いて、ステラが苦笑して少しだけ過去を話し始めた。
『主に喧嘩を売るなど、今からすれば、考えられんことだな。まあ、あの時は私が質に取られていた、という止むに止まれずがあったが……』
『それを知った主がさっさと片付けて下さったのですよ。おまけに行く宛の無い我々を拾ってくださって……と、こんなことはどうでも良いですね。』
『いや、あたしは興味あるけどね。』
暗殺者であった事を知らない事からもわかるが、どうやらシルミにとってもカイトとストラ・ステラ兄妹の馴れ初めは初めて聞く話らしい。かなり興味深そうに話に聞き入っていた。
『あはは。後で閨の中ででも話してあげますよ。』
『そりゃ、楽しみにしておくよ。』
ストラの言葉に、シルミが笑う。後に聞いた話だが、どうやらこの二人は本当は夫婦らしい。それを聞いた時に、主が大いに驚いていた。
『それより、今は椿を見送らないといけませんよ。椿、閣下はかなり無茶をなさる御方ですが、少なくともお優しい方です。よろしく、頼みますよ。』
にこやかな表情で、ステラが椿に小さく微笑みかける。椿はそれを受け、深々と頭を下げた。元を正せば彼がカイトに巡りあわせてくれたのだ。ある意味、彼もまた白馬の王子様と言えた。
『はい。コチラこそ、この御縁。有難うございました。』
『まあ、私はすぐに会うことになるな。荷物は私の荷出しと一緒に送っておこう。』
『有難うございます。』
そうして、幾つかアドバイスや雑談をもらいつつ、カイトの念話の終了を待つ。そして、ようやく念話を終えたカイトだが、少しだけ落ち込んでいた。
『椿、行くぞ……はぁ。』
カイトは落ち込んで溜め息を吐いた。何を言われたのかは分からないが、少なくとも自分が一緒に行っても大丈夫だと理解できた。
『んじゃ、オレは戻るわ。』
『はい。では、お見送り致します。』
立ち上がったカイトとそれを見送ろうとしたストラにつづいて、椿も席を立った。しかし、カイトはストラを制する。
『いや、いい。こっから帰る。』
そう言ってカイトは窓を開ける。カイトの行動に、椿とシルミはわけがわからないが、呆然としている間に椿はカイトに抱え上げられた。
『きゃ!』
いきなりの事に、椿が小さく悲鳴を上げる。かなり密着し、際どい部分も触れ合っているが、しかし、前の男たちの様に、嫌悪感は無かった。
『おし、行くか。』
『その娘を頼んだよ。』
そう言って、最後にシルミがカイトに頭を下げた。
『ああ、任せろ。んじゃな!』
カイトがそう言って、窓から飛び出た所で、椿は目を覚ますのであった。
「きゃ!」
カイトが窓から飛び出した際の落下の感覚で目を覚ました椿。少しだけ、寝汗を掻いていた。外を見ればまだ暗く、日が昇る様子も見えなかった。
「……ふふ。」
そう言って、今みた夢を思い出す。まるで、お姫様のようであった、従者である自分が抱くには不相応であるが、妄想程度ならば、許されるだろう。
「そういえば、昨日は……」
桜とクズハを怒らせた、という主が自分の部屋へと逃げ込んでいたのであった。さすがに寝る時には自分の寝室に帰ったが、かなり夜遅くまで部屋に居た。
「その御蔭、なのかな?」
いい夢が見れた、そう言ってぬいぐるみに問いかける椿。見始めこそ嫌な思い出だったが、終わりは幸せだった。その笑みからは昔の儚さはかなり無くなっており、元からある花の様な顔が持つ儚さだけとなっていた。
「ご主人様……」
そう言うだけで、身体が火照る。これだけは、自分の中にある淫魔の血がそうさせてしまっていた。普段ならば他の血を活性化させることで抑えることができるが、それも最近はかなり活発に活性化してしまっていた。
「ダメ、ですよね……」
時折、夜間に所用で主の寝室に尋ねると、嬌声が響いている事があるのだ。その声は元魔王という伝説の魔女や、この地を守り通したハイ・エルフの姫君、主を常に支え続けた妖精のものであったり、主が通っているという学園の生徒会長、大財閥の令嬢や良家の子女、公爵家で自分の面倒を見てくれていたメイド達、影から主を護る護衛のものであったりと、様々であった。
「ご主人様……」
そう言って、近くにあった少し前に主が着ていたシャツへと手が伸びる。どうしても血が抑えきれずに、彼が着た服を洗濯もせずにくすねてしまったのだ。いけない、とわかりつつも、そのシャツは自然、自分の顔に近づける。
「ん……ふぅ……ごしゅじんさま……」
こうやって血が活性化した時には、どうしてもやってしまう。見られたら捨てられるかもしれない、そう思うと、恐怖で身が竦む。しかし、それでも、主を思う気持ちが止められなかった。
「ごめん……なさい……」
何故、誰に謝っているのかは、椿にもわからない。しかし、何故か謝らなければならない様な気がしたのだ。
「んぅ!」
そうして、一頻り満足すると、椿は再び目を閉じる。時計を見ても、朝までかなりの時間があった。
「最近は、なんか多いな……強くなってる気もするし……」
一度、ミースに相談した方が良いのかもしれない、椿はそう考える。いくら血に負けたとしても、主を襲うなどとあってはならない事である。その程度の分別は椿にもきちんと存在していた。なんとかして、抑える方法を探さないといけない、主から見捨てられたくはない。それだけが、彼女の支えであった。
「でも、一度ぐらいは……」
誰とも知れず、呟く。椿も、自身が呟いたとは気づいていなかった。
「あ……そういえば、お風呂に入らないと……」
汚れている、主の身体なのに、あの男達の臭いがする。それが、彼女には耐えられなかった。それが喩え気のせいであっても、彼女には耐えられなかった。
「折角、いい夢が見られたのに……」
これでは台無しだ、彼女は昨晩、主が訪ねてきた事に浮かれていた自分を叱責する。そのせいで、そのまま布団に入り込み眠ってしまったのだ。
「ふう……」
その後、念入りにシャワーを浴びて、主の臭いがするベッドへと倒れこむ。行儀が悪いとは思うが、誰も見ては居ない。この程度は許されるだろう。
「おやすみなさい。」
そう言って、椿は目を瞑る。その後、彼女がどんな夢を見たのかは、彼女以外、誰も知らない。
「ふーむ……感覚誤差はどうじゃ?」
そして再び数時間後に時は移る。ティナは己の研究室で研究成果達の面倒を見ていた。
『右手に5センチほどズレを感じます。』
カプセルの中、3体の内1体がティナに感じるがままを報告する。感情を感じさせない、平坦な声だ。声からすると、かなり若かった。
「うむ……感覚の誤差修正に少しだけ痛みを感じると思うが、我慢せい。」
『了解……つっ!』
ティナが魔法陣を展開した瞬間、カプセルの中で苦悶に耐える様な声が響いた。
「どうじゃ?」
『……問題無し。感覚誤差、修正されました。』
「うむ。アインとドライはどうじゃ?」
そう言ってティナは他のカプセルへと問いかけた。すると、その中の一つから返答があった。
『下腹部に違和感あり。』
「む?クラウディア、計器はどうじゃ?」
カプセルの中の声に、ティナが少しだけ眉をひそめ、ティナとは別の計器のチェックを行っているクラウディアへと問いかけた。
「は……これは……まあ、所謂女の子の日ですね。」
少しクスリ、と笑ってクラウディアがカプセルの中の存在へと教えてあげる。クラウディアの言葉から、どうやらカプセルの中は女の様である。
『女の子の日、ですか?……知識該当有り。理解しました。』
どこか無感情で平坦な少女の声は、クラウディアの言葉を与えられた知識から理解する。
「むぅ……スマヌの。なるべく人の身体に近く、と思っておったらやってしもうた。」
今更ながらに自分のした事にティナは苦笑する。どうせ創るのだから完璧を目指そう、そう考えたティナが勢いでつけた機能であった。元来は不気味の谷現象を解決しようとして、色々と作為工夫をしていたのがどうやら変な方向へと働いたらしい。何のためにつけたのか、落ち着いてから考えて無意味と判断したのであった。
まあ、それでも。もし万が一彼女らが誰かに恋する日が来れば、それも役に立つだろうと考えてそのままにしたのだ。これを神の真似事であるが故の傲慢と捉えるか、創造者の優しさと取るのかは、人それぞれだろう。
『なるべく人に似せようという創造主様の心遣い、感謝します。』
「いや、スマヌ。何分お主らの主は女と見れば見境の無い男じゃからの。そういう機能が付いておると知れば、喜び勇んで襲うやもしれん。」
そう言って、ティナは快活に笑う。尚、その主とやらは現在、勝手に従者が増やされているとは露とも思っていない。そして、このティナの発言を聞けば、猛抗議するであろう。だが、その言葉にクラウディアも笑って同意した。
「ふふ、ありえますね。」
「じゃのう……さて、最後の微調整を行なうとするかのう。これが終われば、晴れて主へとお披露目じゃ。」
『お願い致します、創造主様。』
3つのカプセルから同時に響く少女達の声。その声に期待が滲んでいた様に聞こえたのは、ティナの願望であったのかもしれない。
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第230話『第2回トーナメント』