第227話 従者の過去 ――椿の半生――
かなり昔にやった椿との出会いですが、彼女視点で少々お付き合いください。
大型馬車の事故から数日後。ティナは公爵家地下にある、自分の研究施設でとある研究の成果を出そうとしていた。
「どうじゃ?調子は。」
そう言ってティナが何らかの溶液で満たされたカプセルらしき容器へと問いかける。その顔はいつになく真剣そのもので、一切の油断も迷いも感じられない。
『特に問題は見受けられません、創造主様。』
その答えに一つ頷くと、ティナは並んでいた別の2つの容器にも問いかけた。
「うむ……他の二人はどうじゃ?」
『こちらも同じく。』
『同様です。』
「良し……モニターはどうじゃ?」
そう言ってティナは近くの魔導具で3つの容器の状況を確認していたクラウディアへと問いかける。こちらも真剣そのものの顔をしているが、少しだけ緊張が滲んでいた。
「計測結果に問題はありません。」
「魂の定着率は?」
「予想誤差から一分程度のズレで上下しております。」
「そうか……ふ……ふははーっはー!」
クラウディアの答えを聞いた瞬間、ティナは魔王らしい高笑いを上げる。ご丁寧に立ち上がって仰け反っての高笑いである。
「やったのじゃ!遂に魔導の最奥の一つを成功させたのじゃ!」
そう言って感極まったのか、少しだけ滲んだ涙を拭うティナ。
「おめでとうございます!魔王さま!」
その様子をクラウディアが非常に嬉しそうに頷いていた。
「うむ!お主のおかげじゃ!よくぞ卵をもたらしてくれた!」
そう言って、ティナはクラウディアに抱きついた。クラウディアは非常に光悦した表情でそれを受け入れる。
「ありがとうございます!」
「うむ!……いや、ここで油断してはならぬな。最後まできちんと確認せねば。最後まで頼むぞ。」
「はい。」
勝って兜の緒を締めよ、そう思い直したティナが、再び引き締まった顔で、容器へと向かい直す。クラウディアもそれに合わせて、計器へと向かい直したのであった。
少しだけ時を遡る。ティナが研究の成果を出すその数時間前。まだ誰もが寝ていた頃に、当たり前だが同じように椿も眠りについていた。
『結果が出た……出来損ないだ。』
椿は夢を見ていた。まだ彼女が売られる前の出来事だ。その夢の中で、目の前の男は、今にも八つ当たりせんばかりの苛立ちを隠せず、机へと結果を書いているらしい紙を叩きつけた。
『使い物にならない……ちっ、ここまで育てて無駄か。何処に売る?』
その男の報告を聞いた別の男が、横に居た女に問いかける。物心ついてから今まで椿に様々な教育を施してくれた、母親の様に思っていた女だ。
『……この容姿だ。それだけは認められる。かなりの高値は付くだろう……手を出してないな?』
その女は今、椿にいつも向けてくれていた慈母のような笑みではなく、商品を見る目で椿を見ていた。
『当たり前だ。商品に手を出す程の馬鹿はここには居ない。居ても―――様に始末されてるだろ?』
そう言って男は苦笑した。椿の目の前で行われる会話に、椿は真っ青となる。昨日までは蝶よ花よと語り掛けてくれていた者たちが、今ではまるで単なる売りに出す商品を見る眼であった。そして、まさに彼等にとっては椿は商品そのものであった。
『あの、いったい何が……』
目の前の状況が信じられず、椿は問いかける。それを聞いているのか居ないのか、彼女らは一切斟酌せずに話を続ける。
『にしても……ちっ、マジで出来損ないかよ。ここまで15年掛かってんだぞ。もっと早く言えよ。』
椿を見て、忌々しげに男が吐き捨てた。昨日までは椿を宝物を見る目で見てくれていた男の侮蔑に、椿は泣きそうになった。
『言うなよ。俺もコイツも同じ気持ちだ。まあ、一番信じたく無いのは、その試験をやってた奴だろう。数年間、ずっと隠していたんだからな。それが今になっての発覚だ。さっさと言えば良い物を。』
舌打ちして愚痴を言う男に、他の二人が苦笑して慰める。
『あいつは―――様に処分されたよ。いや、正確には処分されている、か。―――様にバレる前に、ってカンカンだったからな。後一ヶ月ぐらいは死ねないだろう。それよりかマシだろ……はぁ……15年掛けて育てた娘が出来損ないって……労力考えてくれ。しかも、大本で、だろ?』
『ああ、因子測定での結果だ。生まれ持っての物だ。矯正不可、お前でもどうにもならん。』
『ちっ……一番の有力株だったんだけどね。―――様はなんて?』
『そんな出来損ないはさっさと売り払え、だそうだ。当たり前だが。少しでも教育費を回収しないとな。―――殿には―――を供する事になりそうだ。まあ、奴のやった試験は全て再検査になるらしいから、どうだかな。』
『全てクリアなら、いつも通りか。まあ、それがこの娘とあの娘の運命だろう。』
そう言って三人は椿へと初めて注目した。
『椿、お前はこれから売りに出される。さっさと用意しろ。』
『ゴメンよ。でも、これがこの施設の決まり、だからね。』
『はぁ……マジで頭に来るわ。さっさと立て!ここにお前の居場所は無いんだよ!』
『きゃあ!』
そう言って、男の一人がかなり強引に椿を立ち上がらせる。だが、それがあまりに乱暴だった所為で、椿は思わず腕の関節が抜けてしまう。
『馬鹿!いくら苛立ってるからって怪我をさせるな!万が一まかり間違って―――様にでも知られてみろ!いや、それ以前に今は―――様もかなり不機嫌だぞ!もしも―――様に見られでもしたら……』
『つっ!い、いや、すまねえ。お、おい、治療してやってくれ。』
椿が腕を抱えたのを見て、男の一人が大慌てで止めに入って、出た名前に乱暴に椿を引っ張った男がおもわず顔を真っ青に染める。どうやら聞かされた名前は彼らにとっては名前を出すだけでも絶望なのだろう。それほどの恐怖が見て取れた。
『手を見せてみな……たく……黙っておいてやるから、あんたも言うんじゃないよ。』
自分に母親の様に振る舞ってくれていた女の治療を受けた後、椿はいつも使っていた個室の片付けと、出て行く用意をさせられる。
そうして数日後、椿はとある部屋へと案内させられ、そこで目隠しをさせられた。最後に見えた光景では、自分以外にも、何人もの男や女達が目隠しをされていた。自分と同年代もいれば、自分より年下も年上も居た。服装は全員一様に、綺麗なドレスやスーツ姿だった。
『皆様、本日はよく、お集まり下さいました。ここのルールはご存知ですね?当方では商品については一切の問いかけを受け付けてはおりません。スペックについては書いてある通り。触れる場合はお声をお掛けください。ただし、お楽しみ等はご遠慮を。他のお客様のご迷惑となります。尚、此度の集まりには、過去最高額の少女も参加しております。どうか、一度お声をお掛けください。』
暗闇の中、椿は聞いたことのない男の声を聞く。他にも、何人もの男や女が居るようであった。そうしてしばらくして、椿はいきなり胸を弄られた。
『きゃ!』
『ほっほっ。これはまた良い声じゃ。それに、触り心地もまたとない。これが過去最高額の少女か。』
そう言って椿の胸を触ったらしい男が、いやらしい声で笑い声を上げる。
『左様でございますか。傷物とは言え、ありがとうございます。』
『いやいや、お主らのところの傷物は他では上物と呼んでおる。そう卑下するな。』
『有難きお言葉にございます。どうですか?直に触られますか?』
その言葉に、椿は真っ青になった。今触られた事の意味は、十分に理解できた。そう言う施設で育っていた。だが、このような下品でいやらしい触られ方など、終ぞされたことがなかった。
『良いのか!……では、遠慮無く。』
興奮した様子の男は、従業員らしき女の声に一も二も無く提案を受け入れた。
『ひっ……いやぁ……』
自分の着ていたドレスの胸元を少しだけ下げられ、椿は小さく悲鳴を上げた。暗闇の中、皺だらけの脂ぎった手が、椿の胸を直に弄る。その気持ち悪さに、椿はむせび泣いた。
『ほう……これは中々に……もっちりとした柔肌はまるで赤子のようじゃ。更にはツンッとしたこの感覚……ふむ、実に上物だ。どれ、下も……』
『申し訳ございません。下はご遠慮ください。まかり間違って傷でも付いてしまっては、他のお客様のご迷惑となります。』
『ほっほっ。そうであったな。いや、申し訳ない。』
『いえ、ご理解頂けて感謝致します。』
一頻り椿の胸の感触を楽しんだ男は、ようやく、と言った感じで手を離した。それを見て、従業員の女は椿のドレスを元通りに直す。
『どうですか?本来ならばミスリル銀貨5000枚の少女です。お買い得だと思いますが……』
『ふむ……少し考えさせてくれ。それでも少々値が張る。』
『左様ですか。では、他の少女達もご覧になられますか?』
『うむ。』
そう言って二人が離れる感覚があった。更に暫くの間、同じような事が繰り返され、男が多かったものの、様々な男と女の手が椿の様々な部位を触り、弄んだ。
『やはり、伺っていた話と似ていますね。』
『?何がだい?』
『ああ、いえ。こちらの話です。』
どうやら次は若い男と若い女の二人組らしい。諦めの中、椿が声からそう判断する。
『これはこれは、―――様。此度はよくお越しくださいました。何時もはお越しになられませんが、流石に最高額ともなると、興味がお有りですか?』
何らかの魔術が使用されているのか、近くのはずなのに名前の部分が椿には聞き取れなかった。
『ええ。それで、この娘の顔を見せて頂く事は出来ますか?』
『申し訳ありません。姿を見られては困るお客様のご迷惑ともなりますので……』
『そうですか……では、一つ、聞きます。貴方のお名前は?』
そう、若い男が椿に問いかけた。
『……ほら、答えなさい。』
反応のない椿に、従業員の女が促した。
『椿、です。』
『やはり……閣下のご帰還と時を同じくして、閣下と巡りあわせてくれた少女の名を持つ少女と出会えますか……これはさすがに運命を感じずには居られませんね。』
『さっきからブツブツと、どうしたんだい?珍しいじゃないか。最近機嫌もいいみたいだしね。』
男は女の言葉に何も語らず、しばし沈黙が降りる。
『……この娘の値段は?』
『はい、ミスリル銀貨2000枚となっております。』
従業員は、男の問いかけに即座に答えた。椿はその言葉に愕然とする。まるで自分が商品の様だ、とは思っていたが、まさか商品となっていたとは思っていなかったのだ。
『なっ!私より高いじゃないか!』
『あはは、嫉妬ですか?』
『いや、そうじゃないよ。確か今まで私が、過去最高額だったんだよ?それ以上となれば、何かとんでもない理由があるはずだよ。』
女がそういった。どうやら、女も椿と同じこの施設出身のようであった。
『それはそうでしょう。貴方だってそうだったのですから。まあ、貴方の場合はその気の強さでしたけどね。だから高値だった。』
いたずらっぽく男が女に軽口を叩いた。
『う、いや、まあそうだけどさ……ん?違うよ!あたしは魔術の練度だよ!護衛出来ないミックスに意味は無いってね。』
少しだけ恥ずかしそうな女の声が照れた様子で否定する。どうやら椿と異なり、ここで売られた事に折り合いがつけられているようであった。椿はそれを少しだけ羨ましく思った。
『で、どうするんだい?』
『買いましょう。こればかりは見逃せば閣下に怒られそうです。』
『あんたを怒る奴なんているのかい?それも、閣下?……ああ、――閣下か。なんか――様に縁のある少女なのかい?ずっと前の人間だろ?』
『……似たような物です。』
少しだけ苦笑した様子の男が、そう言う。
『では、契約書をお願いできますか?』
『は?良いのですか?―――様はまだ彼女しかご覧になっていらっしゃいませんが……』
椿の側に常に居た従業員では無く、別の従業員らしき声が響いた。どうやらかなりの上客らしく、他の客とは異なって男には専属に従業員が従っているようであった。
『いえ、この娘はかの――様と私の出会いに関わる少女に似ているのですよ。詳しくは申し上げられませんが、この娘をここから連れ出さねば私が閣下に怒られそうです。』
『かの――様と、ですか……わかりました。書類をお持ち致します。』
そうして従業員がなんらかの通達を出したのか、周囲にはどよめきが生まれた。
『おお、―――殿が過去最高額の少女を買ったようだ。』
『少し残念ですな。私も購入を考えていたのですが……』
『ははっ、考えるだけで手を出さなかった貴方が悪かったのですよ。』
『ここでは早い者勝ち、遅れても文句は言えませんからな。』
『そうですなぁ……ですが、―――殿となれば、―――領最大かつ最高の娼館経営者。楽しむことはできますな。』
『まあ、それが救いですな。』
集まった客達が口々にそう言う。男の口ぶりからひどいことはされない、と安心していた椿だが、彼が娼館経営者だと知って、再び絶望に包まれた。
『さて……―――、彼女の教育は任せます。貴方なら彼女に一番親身になれるでしょうからね。』
『まあ、私もここの出身だからね。仕方がないか。』
その言葉に、椿は一筋の光を見いだせた。少なくとも、この女性ならば信用できそうだ、それだけが椿の幸運であった。だが、彼女の幸運は――彼女の予想に反して――まだ、終わらないのだった。
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第228話『従者の過去』