第213話 負の英雄
魔法陣が光り輝いた後。中心に立っていた生徒を襲ったのは、恨みや憎しみ等の感情だった。いや、それだけではない。何故、そうなってしまったのかまで含めた全てが、彼の意識の中に流れ込んできた。
「うあぁぁあああああああ!」
その瞬間。中心に立っていた生徒が絶叫を上げる。当たり前だ。それは、最早筆舌に尽くし難い悪夢の連続だった。気が狂うのは当たり前の様な悪辣で残虐な暴虐の数々。それを、彼は目を背ける事を許されず、只々直視させられ続ける。
「お、おい!どうした!」
何かが可怪しい。それに気づいた仲間の生徒の一人が、大慌てで中心に立っていた生徒に駆け寄ろうとする。だが、それは出来なかった。
「うあぁあああああ!」
絶叫につづいて、中心の生徒から暴風が放たれる。それは一瞬だったが、それでも彼らには抗えない程の暴風だった。だが、それも一瞬だけだった。直ぐに魔法陣の光も收まり、彼から放たれた暴風は雲散霧消した。
「……収まった?」
既にこの騒ぎは訓練場全体の注目になっていた。そんな中、暴風に押し戻された生徒の一人が呟いて、顔を防いでいた腕から上げる。そこには、先ほどと同じように術式を行使した生徒が立っていた。
「あ、おい!大丈夫か!」
もう何も起きない。暫くまってそう判断した仲間の生徒の一人が、大慌てで彼に駆け寄る。だが、中心に立つ生徒には何の反応も無い。
「おい!」
他の仲間達もそれに気づいて、大慌てで駆け寄って行く。そうして、真っ先に駆け寄った生徒が何の反応も起こさない生徒の肩を揺する。
「……おい。」
肩を揺すると、反応があった。それに、とりあえず周囲の生徒達もほっと一息を吐いた。だが、続く言葉に戦慄する。
「……貴様らは……軍か?」
「……あ?」
「……貴様らは……ヴェ……の軍か?」
まるで、ノイズが入っているかの様な声だった。何らかの軍隊の隊員であるかを尋ねているらしいが、ノイズが入って聞き取れなかった。まさに心霊現象もかくやの事態に、周囲の生徒達が背筋を凍らせる。
「殺す!ヴェ……ジャの軍は全て殺してやる!」
背筋が凍っても、やはり冒険者として数ヶ月行動していた彼らだ。いきなり彼が片手剣を抜いたのを見て、思わず距離を取った。
「おい!何やってんだよ!幾ら怪我しねえからって、危ないだろ!」
「殺す!殺す殺す殺す殺す殺す!」
壊れたラジオの様に、同じ文言を繰り返す。だが、ある時。彼が何かに気づいた。
「これは……」
術式を施した生徒が、周囲を見渡す。それは、自分を取り押さえようとした生徒達との戦いの最中だった。自分は容赦無く斬り殺しに行って障壁も武器も防具も打ち破って直撃したのに、血が吹き出ないのだ。
「結界……俺の邪魔をするな!」
一瞬で彼は結界の基点を見抜くと、何らかの魔術を使用する。そうして、爆音が鳴り響いた。カイトと瞬が聞いたのは、この轟音だった。
「な……結界が!お前何すんだよ!これじゃマジでやべえだろ!いい加減に正気にもどれって!」
「殺す!皆殺しにしてやる!」
鬼もかくやの表情で仲間に斬りかかる男子生徒に、流石に周囲の生徒達がどうしたら良いのか困惑の表情を浮かべ、防戦一方になる。だが、相手の力量が桁違いだった。一瞬で追い詰められ、切りつけられる。
「ぎゃあ!」
「くくく……これで一人……」
ばっさりと、容赦無く仲間を切っていく。そうして浮かぶのは、歓喜の笑みだ。だが、そうして一人を斬り裂いて次の標的を見定めようとした時、異変に気づいたティナとミース、弥生が慌てた様子でやってきた。
丁度三人でファッションに関する話題を話し合っている所に、ティナが結界が破壊された事に気づいたのだ。生徒達には破壊出来るとは思っていないので、事故かと始めは思ったのだ。だが、そうして目にした光景に、思わず三人は目を見開いた。
「何事じゃ!」
「っつ!大丈夫!」
斬りつけられて出血した生徒を見て、思わずミースが駆け寄る。そうして、それを好機と見たのか、そこに剣を構えて術式を使用した生徒が突撃する。だが、その間に杖を持ったティナが割り込んだ。
「お主、何のつもりじゃ!」
「邪魔をするな!貴様もヴェルージャの尖兵か!なら、貴様も殺す!」
「ヴェルージャ?なんじゃそれは!」
「しらばっくれるなぁ!」
いつの間にか、ノイズが取れていた。どうやら彼はヴェルージャなる存在の軍かどうかを問いかけていた様だ。そうして、ティナと生徒は杖と剣で連撃を交わし合う。そして数合交えただけで、ティナが異変に気づいた。
「これは……学生の腕では無い!それに、この武術はマクダウェル流でも無い!」
あり得ない。ティナの顔にそんな驚愕が浮かぶ。それもそのはずで、ティナはこの流派を知っていた。そして、この流派が既に滅びた流派である事も。
「独特な左手での受け流し……ウルガ宮廷流……いや、これはその源流のヴァルヴァ宮廷流!お主こんな物を何処で覚えた!これは数百年も前に途絶えた術技じゃぞ!」
「ティナ!そんな事は良いから早く取り押さえなさい!杖だけだと止血が手一杯で早くしないと間に合わなくなるわ!」
「弥生!準備は出来ておるな!」
「ええ!すっかりできているわ!」
弥生の方は既に準備が出来ていた。彼女は周囲に術式を待機させており、ティナが動きを取り押さえた隙に発動出来る様になっていた。それをティナも確認すると、彼女は無詠唱で行動に移った。
「重力で押さえ込む!その一瞬を狙え!」
「ええ!」
弥生の返事を聞いて、ティナは重力を操作する土系統の魔術を展開する。
「ぐっ!」
「今よ!<<天照捕縛術>>!」
ティナの攻撃で動きを縫い止められた一瞬を狙い、弥生が魔法陣から光の注連縄を放出させ、動きを縫い付けられた生徒の身体をがんじがらめに捕縛していく。そうして、暴れていた生徒は完全に動けなくなる。
「弥生!スマヌが少々頼む!先に向こうの応急処置を行う!」
「ええ!」
完全に捕縛しきった事を見て、ティナが怪我を負った生徒の治療を行うミースの補佐に入る。そして、応急で治療をしながら、ミースは大声を上げた。
「シロエちゃーん!」
「はい!ってなんですか!この状況!」
「説明は後!私の部屋から小瓶を持って来て!ナンバーは5、8!大急ぎ!」
「あ、はい!」
呼びだされたシロエも流石に倒れこみ、鎖骨から脇腹まで斬り裂かれた生徒を見て驚愕するが、ミースは説明を後回しにしてシロエに命じ、それを受けてシロエも状況の優先順位を把握して大急ぎでギルドホームに消えていった。だが、それもものの数分で帰ってきた。手には当然だが、ミースに指定された瓶がある。中身は当然薬品だ。
「ティナ!ちょっとの間止血お願い!増血剤打ち込むわ!その後に止血剤塗りこむ!」
「承った!睦月!見ておらんでお主はミースの補佐でもせんか!」
「あ、はい!他にも医務委員の人、援護お願いします!」
丁度騒ぎを聞きつけて来ていた睦月を見付け、ティナが命ずる。それを受けて、睦月も正気を取り戻して自分と同じく治癒系統の第二陣の生徒に声を掛ける。そうして、ものの十分足らずで応急処置が終わる。
「これでとりあえず良し!次!そっちの暴れてる生徒!何やったの!」
「え、あ……あの……降霊術とか言う術式を試して……」
降霊術。その言葉を聞いた瞬間、ミースは絶句し、ティナは激怒した。
「ばっ……ばっかもーん!」
ティナの大声が訓練場に響き渡る。怒鳴った後に肩で息をするほどの怒声だった。
「はぁ……はぁ……お主ら、禁呪をなんじゃと思っておる!安易に使うバカがおるか!禁呪がどれだけ」
「ティナ!そんな事言ってる場合じゃ無いわ!こっちの方が手遅れになる!早急に手を打たないと、戻れなくなるわよ!」
ティナの激怒を遮って、復帰したミースが大慌てで治療に入る準備をする。
「ぐっ……弥生!スマヌがそのままにしておいてくれ!流石のミースでもこれを抑えながらはなんとも出来ん!」
「ええ……でも、早く!もう保たない!」
弥生の声にはかなり苦々しい物が滲んでいた。それに気づいたティナが、拘束を交代する。
「つっ……仕方がない!余が変わる!弥生は魔力の回復に努めよ!」
「シロエちゃん!もう一回お願い!今度はカイトを呼んできて!あの子じゃないと、降霊術はどうにも出来ない!」
「え、あ、はい!」
ミースの言葉を聞いて、シロエは大慌てで執務室へと急行する。それから、ものの一分でカイトがやってきた。
「どうなってる!」
「降霊術よ!」
「ちぃ!何を馬鹿やってんだ!禁呪でも一番有名な奴じゃねえか!ユリィ、念の為ティナに手を貸してやれ!」
「うん!ティナ!更に強化するよ!」
「うむ!」
「で、誰だ!」
あり得ない、と思いつつもまさか、という気持ちで来たカイトは、状況とミースの答えから事態を把握して悪態を吐く。そうして彼はユリィに万が一に備えてティナの援護を命ずると、更にミースに問い掛けた。
「この子!」
「違う!誰を呼び出した!」
ミースがティナが拘束する生徒を指さすが、カイトはそれに怒鳴る。流石にカイトも状況が理解出来ている為、口調が荒々しかった。
「この子と一緒に居たのは誰!」
「え、あ、はい!」
真面目そうな生徒が睦月の声掛けに協力して封鎖された一帯の外から挙手する。それに、カイトが怒号を飛ばす。
「誰を呼び出した!」
「えっと……」
「ヴァルヴァザール!そいつ、確かにそう言ってた!」
彼の横に居た生徒が、自分が聞いた名前を思い出す。次に自分がやろうと思い、名前を記憶したのだ。それが、役に立った。
「<<故国壊しの大英雄>>か!なんっつー厄介な!」
「カイト!呆れるのは後!早くしないと伝説よろしく魔力の使い過ぎでこの子死んじゃう!」
カイトの絶句を見たユリィが、思わず怒号を飛ばす。取り押さえられている生徒が下ろした英雄は、自らで自らの生まれた国を破壊し尽くした敵国の英雄だった。始めは故国の大英雄だったらしいが、それが有る時寝返ったのだ。何があったのかは、歴史の中に埋もれてイマイチ知られていない。
だが、その恨み様はとんでもないだったらしく、故国の人間はほぼ皆殺し、挙げ句の果ては自らも魔力の使い過ぎで自滅という凄惨たる物だった。取り押さえられた彼からは、まるでその最後を見せる様に常に全開の魔力が放出されていた。
「つっ!直ぐに取り掛かる!ミース!補佐を頼む!ステラ!流石に抑えてられん!全員を気絶させろ!ついでに記憶も消しといてくれ!」
「ええ!」
「もう取り掛かっている!」
真横からミースの声と、群衆の後ろからステラの返事を聞く。流石にこの状況では自分もティナも全力を出さねばならないのだ。不必要な記憶を消すしか無かった。消しさえすれば、言い訳はなんとでもなるだろう。
「魂の剥離を始める!ミース、供給する魔力を切らすなよ!」
「ええ!」
常に放出されている以上、何処かから供給するしかないのだ。ミースはその供給役を務めるのだった。そうして、カイトは両手を突き出して、自らの本来の姿を露わにする。
「残念だが、お前は死んでんだよ!」
それを掛け声にして、施術が開始される。だが、施術に入って何か異常が起こるわけではない。カイトから放出された魔力が全体を包み込んだぐらいだ。
「一体何が?」
「さぁ……」
その場で唯一記憶を消されない弥生と睦月が首を傾げる。何かが起きているわけではない。ただ単に、先の状態で停滞しているだけだ。だが、それが一時間程続いた後。異変が起きる。
「あ……」
束縛されていた生徒の身体から、何かが出て行った気配があった。それが、終わりの合図だった。
「はー……はー……」
どさり、と音がして、束縛されていた生徒が地面に倒れこむ。それと同時だ。治療にあたっていた全員も膝をついた。カイトさえも、だ。彼らは全員肩で息をしていた。
「終わった……なんとか成功した……」
「後遺症は?」
「無い……と思う。流石にんなもんわかるか。」
ミースの問い掛けに、カイトが首を振る。降霊術の影響は魂に深く刻み込まれる。それ故剥離は困難だし、出来ても影響が残っていないかはカイトにも判断出来ない。こればかりは、経過観察をしないとどうしようもなかったのだ。
「お疲れ様でした、御主人様。」
そんな一同に、途中からやって来ていた椿が事情を聞いたクズハから提供された最高級の回復薬とタオルを渡していく。
「はぁ……ホント冥界華栽培に成功して良かった……」
「私達なら無料で飲めるもんねー……」
疲れきった顔で、一同はちびちびと回復薬を飲んでいく。椿の心遣いでキンキンに冷やされており、火照った身体に心地よかった。ちなみに、今回人数分――計4人分――提供されているが、本来は戦時中の緊急時でも無ければこんな数が一気に提供される事は無い。
「主よ。全員の復帰はもう良いか?」
「もう少し待ってくれ。流石にこのままお説教は辛い。」
ステラの問い掛けに、カイトが首を振る。流石にまだ説教を食らわせられる程の体力は回復していなかった。尚、魔力の方は回復しているので、減っているのは気力の方である。
さすがに、今回の出来事に説教無しというのはあり得なかった。禁呪とは使われないのにも理由があるのだ。それを把握しているのかいないのかはわからないが、どちらにせよ禁呪を使ったのは叱責されて然るべきだった。
「はぁ……良し。起こせ。説教しないとな。」
「わかった。」
そうして、カイトの号令に合わせて、ステラが全員に掛けていた魔術を解くのであった。
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第214話『禁呪たる所以』