第173話 娼婦
クズハから連絡を受け取り、一度西町へと向かったコフル。しかし、探せど探せどどこにもカイトの姿は見つからず、一度冒険部のギルドホームを訪れることにした。そうして、ギルドホームの扉の前に立つと、コフルは勢い良く扉を開いた。
「おい!バカイト!」
「ふぇ!」
轟音を上げてコフルがドアを開いたので、受付に居たミレイがビクンッと跳ね上がった。
「コフル!こっちには居ないから!」
ギルドホームをくまなく捜索していたユリィが轟音に気付き、文字通り飛んできた。
「ちぃ!どこ行きやがった!」
「こっちが知りたいよ!」
二人して怒声を上げる。
「早くしないと……」
そう言ってコフルが震える。ユハラの機嫌が目に見えて悪くなっており、既にユハラ配下のメイド達は避難を始めていた。しかし、この被害は全て、兄である自分に向うのである。彼が震えるのも無理がない。
「えーと、さっきから皆さんで何を恐れているんですか?」
「たかだかカイトさんがサボタージュを敢行しているくらいではないですか。最近カイトさんは忙しかったですわ。偶には大目に見ても良いのでは?」
「ま、帰ったらお説教はするけどね。」
順に、桜、瑞樹、魅衣が発言する。彼女らはカイトの悪癖を知らないので、のんびりとしていた。が、当然知っている2人の方は、半眼となっている。
「……それ、カイトが女の子連れて帰ってきても同じこと言える?早く見つけないと70%の確率で女の子連れて帰ってくるよ?」
「へ?」
カイトのサボタージュと女の子を連れ帰る事という意味不明な繋がりに三人の頭に疑問符が浮かんだ。
「60%でお前らと同年代だ。後の半々で年下か年上。」
そうして2人は公爵家のもう一つの恒例についてを説明するのであった。
一方、カイトの元から去ったストラ。心なしか嬉しそうであった。
「今の、誰だい?」
そう言ってさっきのストラの様子を見ていた美女の一人がストラに声を掛けた。この娼館でもかなり年季の入った、異族の女であった。年季の入った、と言っても、見た目は未だ三十前後と言ってよく、若さよりも艶やかさを前面に出した美女である。
「ああ、シルミですか。……私の大切なお方ですよ。」
そう言って笑うストラを、シルミは珍しく思う。この男が何ら裏もなく微笑むのは滅多に無い。それこそ彼が家族と認める、クズハやステラ、自分達従業員に対してぐらいなものであった。
「私も長いけど、あんたがああやって客から酒を貰ったのなんて初めて見るよ。そんなに大切な客なのかい?」
少し面白そうに、シルミがストラに問い掛ける。彼女は既に100年近くこの娼館で働いている。何度も身請け話は来ているが、まだ若い娘達の面倒を見ないといけない、と彼女が断っているのであった。
まあ、それ以前に彼女は自分の身請け金については全て返却しているので、既に自由の身だ。今では客を取るよりも新しく入ってきた娘達にマクダウェル家流のやり方を教えている事の方が多い。最後に客を取ったのは、もう10年以上も前だった。理由も簡単で、もう金を返し終えた彼女が金を受け取る必要は無いのだ。それよりも自分が面倒を見ている娘達に客を取らせた方が良いと判断したのだ。
全ての従業員達の取り纏めをしているのがストラであるとするならば、実際に娼婦としての女性達の取り纏めが、彼女であった。それ故、身請けを自分で終わらせた彼女は今では既に公爵邸への出入りも許される程、公爵家と繋がりを有していた。その彼女が知らない相手である。興味があっても仕方がなかった。
「ええ、まあ……今、最上級の花は何人いましたか?」
そう言ってストラは少し考える。花とは娼婦の隠語で、娼館は花屋と呼ぶ。ちなみに、他にもパン屋等とも言われる。更にこの花の中でも客を取った事のない娼婦の事は蕾と呼ばれるのであった。そんな蕾は普通は信頼の置ける上客にしか提供されないのが、この場の流儀に近かった。
「最上級となると……私を含めて今の時間帯は6人。まだ蕾の娘が1人。こないだ入った娘だよ。」
「ああ、あの娘ですか……」
そう言ってストラは特殊な事情を抱え、つい三日前に入ったばかりの少女を思い出した。
「確か名は……」
そう言って少女の本名を思い出したストラは、ハッと目を見開いた。そして意味深な笑みを浮かべる。そこには、心からの懐かしさがあった。
「これも……何かの縁ですか。彼女の運命は、閣下にお任せ致しましょう。閣下のお眼鏡に叶えば……いえ、運命が決める事ですね。」
ストラは小声でそう呟いて、彼はシルミに指示を出した。
「雛菊をあそこの蒼い髪の客人に向かわせなさい。」
「は?」
雛菊とは三日前に入ったばかりという、蕾の少女の芸名である。まだ公爵家での作法なども教えていないのに、客に提供するとは一体どういう了見か、シルミが疑問に思う。
「疑問ですか?」
シルミの様子から、ストラは何を悩んでいるのかを読む。その様子に笑みを浮かべ、問いかけた。それを受けて、シルミは眉を顰めて告げる。
「当たり前だよ。あの娘はまだ入ったばかり、それも傷心の女の子だよ?それにあの少年だってなにもんなのかわかったもんじゃない。もしも下衆なら、今度こそ、あの娘の心が壊れるかもしれないんだよ?」
シルミは少しだけ、咎める様な雰囲気があった。娼館で普通は雇用者であるストラにこんな態度を取るのは可怪しいと思われるが、公爵家では、これが普通だった。たとえ娼婦が雇用者を咎めようとも、誰もそれを咎めることは無い。しかし、そんなシルミに対して、ストラが微笑んで告げる。
「大丈夫ですよ。あのお方なら、非道はなさいません。それに、無礼があったとしても、笑って許されるでしょう。」
「……まあ、あんたがそう言うなら、そうなんだろうね。でも、一緒に着いて部屋まで行ってやる程度はいいだろう?」
雛菊が三日前に来て以降、面倒を見ているのはシルミである。それ故、これぐらいは許されても問題は無いはずだ、とストラに問い掛ける。
「ええ、その程度は問題ないですよ。それに、あのお方もあの娘を抱くことは無いでしょう。」
クスリとストラが笑う。付き合いで来ている――ストラはそう思っている――とは言え、ここで女を抱けば、確実にクズハらの機嫌が悪くなる事は請け合いなのだ。それを知らないカイトでもストラでもない。
「もし、雛菊がどうしても嫌だ、と言うのであれば、断っても構いません。娼婦とは言え、断る権利はあるのですから。」
「……わかった。聞いてみるよ。」
ストラの微笑みを見て、シルミはそのまま去っていった。カイトの意向により、公爵領では娼婦と言えど客を選ぶ権利が与えられている。それを敷いたカイトが、それを押して事を成す事は無い。
いや、それ以前にカイトには女を犯す事は出来ない。彼が殺人を犯したのは、それが許せなかったが故だ。過日の学園へ来た盗賊への対処を見ても分かる様に、その怒りは未だに鎮まってはいないし、これから先も鎮まることは無いだろう。その怒りが在り続ける限り、彼は無理強いをして事を為すことは有り得ない。
「ふふ、閣下が帰って来られたかと思えば、我らを巡りあわせた名を持つ少女ですか……こればかりは、運命を信じざるを得ませんね。」
そう言ってストラは、自らの執務室に戻るのであった。
「おっしゃ!んじゃ、個室に行くとすっか。」
程よく酒を飲んだライルが上機嫌に立ち上がってそう言う。
「女の選びはどうなっているんだ?」
「あん?店のお任せ。」
そう言って笑うライル。彼はそこに縁というか運命の様な物を感じているらしく、敢えて指名しないらしい。そうして、一足先に店の従業員に案内されていった。
「おいおい……まあ、ここなら器量良ししか居ないか。適当に喋って帰るとするかな。」
そんなライルに呆れるカイトだが、今回はそれで良いと考えて、ソラと連れ立って歩き始める。そんな道中で、完全にうろたえたソラがカイトに問い掛ける。
「……なあ、カイト。マジでヤル必要無いんだな?」
最近由利と付き合い始めたばかりのソラが、不安げにカイトに尋ねた。こんなことで付き合いたての彼女の不評を買いたくは無いのである。
まあ、ここに来ている時点で不評も不興も買うのだが、それがわかっていないあたり、彼が女心を理解出来る日は遠いだろう。
「当たり前だ……ウチは別に抱かれるしか能のない娼妓を提供する娼館はやってない。それこそ客が求めれば、詩を歌い、料理を提供する。それこそ望めば、最近の皇国の経済状況だって話してくれるだろうさ。」
そんなソラに、カイトが苦笑する。ストラの経営している店において、芸事が出来ない娼妓は置いていない。客が何を求めようと、応えられるようになってから、初めて仕事に入れるのであった。だがソラの方はイメージしていた娼婦と大きく異なり、頭に疑問符を浮かべる。
「……何だそりゃ?」
「当然、望めば抱いたって構わない。それは料金に含まれるからな……まあ、要はお前が望む事を言えばいい。抱きたいならそう言い、何かを知りたいなら尋ねればいい。手料理を望むのなら、備え付けのキッチンで創ってもらえばいいさ。」
「……ホントだな?」
「うっせ!実質経営者より上の領主がそう言うんだから、事実に決まってんだろ!とっとと部屋入れ!」
尚も聞き返すソラに、カイトは後ろから蹴りを入れてソラに与えられた部屋に押し込んだ。
「いって!」
ソラは部屋に押し込まれ、更にはバタンと勢い良く扉を閉められる。
「あ!くっそ……あのやろ、後で覚えとけよ……」
蹴られた背中を擦りながら、ソラは備え付けのイスに座った。もうここまでくれば腹をくくろうと考えて、どうやって謝ろうかと考え始める。
「はぁ……このことが由利にバレませんように……」
そう言って祈り始めるソラ。そうして10分もすると、部屋の扉がノックされた。
「あ、はい!」
ソラは緊張した面持ちで返事をする。声が少しだけ裏返っていたのは、気のせいではないだろう。
「失礼いたします。お客様のお相手を務めさせていただきます、イーニス、と申します。」
頭を下げて入ってきたのは、妙齢の美女。褐色の肌に、ミドルロングの艷やかな真紅の髪を持つ、美女であった。それに、ソラも緊張しながら自己紹介を返した。
「あ、ソラです。」
「はい、ソラ様。」
そう言って柔和に笑うイーニス。ソラはその笑顔に見惚れてしまった。が、すぐに由利の顔が浮かび、我を取り戻した。なので、取り敢えず彼は謝罪することにした。
「えーと、あの、すんません!」
我を取り戻して開口一番に頭を下げたソラ。客にいきなり頭を下げられたイーニスはきょとん、としている。
「あの、実は……」
そうして、ソラは事情を説明し始める。そうして事情を全て聞き終えて、イーニスは笑った。
「そうでしたか……ふふ。」
何故笑われたのか理解出来ないソラが、眉間にシワを作って首を傾げた。
「は?」
「いえ、そのご友人の仰る通りです。別に当家では女は抱かれるだけの物ではありません。他の領土ではどうなっているかは存じ上げませんが、当家ではお客様が望まれる全てを提供できる様に、となっております。お望みになられないのに、抱け、と無理強いする事はございません。」
「そ、そうですか……良かったぁ……」
そう言って胸をなでおろしたソラ。その様子をイーニスは微笑ましく見ていた。
「余程その女性が大切なんですね。」
「え、あ、はい……」
ソラは真っ赤になって頷いた。その様子にイーニスは笑みを深めた。その様子に安心したソラは、幾つか公爵領における娼妓についてを尋ねてみる。
「では、何を提供致しましょうか?」
幾つかの質問に受け答えし、ソラの緊張がほぐれたと見たイーニスがソラに尋ねる。
「えっと、あの、じゃあ……ご飯作ってもらえますか?」
さっきまで緊張と罪悪感やらがごちゃ混ぜになり、出された料理を殆ど手に付けていないソラは、空腹であった。酒を奢ってやる、と言われたので朝飯を抜いて来たのが、今になって響いてきたのである。
「はい。何をお作り致しましょう。」
「えーと、じゃあ、イーニスさんの故郷の郷土料理ってできます?」
「はい。では、少々お待ちください。」
そう言ってイーニスは備え付けてある台所へと向う。そして幾つかソラには見たこともない食材や調味料などを使いつつ、慣れた手つきで料理をしていくイーニス。そうして20分程で、料理が出来上がった。
「どうやらソラ様はかなり空腹のご様子ですから、しっかりと食べられる物をお作りいたしました。お箸は使えますか?」
そう言って差し出されたのは、丼である。乗っている具材などはわからないが、見た目は具だくさんで豪華な牛丼のようであった。付け合せは漬物に、スープである。
「あ、はい。えーと、頂きます。」
そう言って手を合わせてお箸を使い、ソラは日本人らしく器用にお箸で丼を食べ始める。その様子に、イーニスは少しだけ驚く。
「うめぇ……」
言葉少なげに食事にありつくソラ。安心したことで、空腹がぶり返したのであった。
「ごちそうさまでした。」
「はい、お粗末さまでした。お味のほうは如何でしたでしょうか?」
「あ、うまかったです。」
素直に感想を述べるソラ。ソラもかなりの良家の出身であるので、豪華な食事もそれなりに食べているが、そのどれにも比するものであった。
「そうですか。ありがとうございます。」
そう言って嬉しそうに微笑むイーニス。そして彼女は少し疑問に思った事を口にするのであった。
「そういえば、ソラ様は中津国か日本に縁がお有りなのですか?」
「え?」
何か失敗したか、そう思い少し身構えるソラだが、イーニスは相変わらず柔和な笑みで告げる。
「いえ、ソラ様はかなりお箸に慣れていたご様子ですし、伝え聞く所によりますと、先ほどソラ様がされた合掌しての頂きます、は日本の発祥と言われております。今では公爵領では普及しておりますが、それ以外の地域では未だ知られていない事も多いと聞きます。ソラ様はここらの出身では無いご様子ですし、何か、そうですね。かなり慣れ親しんだ所作であったとお見受け致しました。ですので、日本に縁があるのかな、と。」
「え、ああ、そうですね。幼少期からの友人が日本に詳しくて、そこから教えて貰ったんです。」
「なるほど、そうでしたか。」
所々納得の行かない所があるものの、客が隠している以上、深く突っ込む事は無い。楽しんでもらうのが、公爵家での流儀なのだ。それに、いざとなれば手練手管で聞き出す事も出来る。まあ、今回は別に大して気にする様な問題では無いのでスルーするが。
そうしてなんとか難を逃れたソラは、残った時間をイーニスにかねてから疑問に思っていた此方の世界の常識や知識について、尋ねてみることにしたのであった。
お読み頂き有難う御座いました。