第171話 市場調査
公爵家にコード・ブルー・エスケープという謎の警報が鳴り響く少し前。コフルは休日をどうしようか、と悩んでいた。
「はぁ……たまの休暇はいいんだけどな……どうすっか。」
そう言って着替えた服を籠に突っ込む。後は所定の場所に置いておけば、当番の使用人達が回収してくれる。
「あー、たまには孤児院に顔出してやっかなー。」
元々孤児たちの纏め役の一人であったコフルは、公爵家の孤児院にもよく顔を出して、子供たちの面倒を見ている。しかし、ここ最近は天桜学園の転移やカイトの帰還などで忙しく、顔を出せていなかったのである。
「あいつら元気してっかなー。おっしゃ、そうと決まれば、さっさと行くか。」
そう言って外に出ようとした時、公爵邸全域に警報が鳴り響いた。
『公爵家全員に緊急連絡!えーと、コード・ブルー・エスケープ?が発令されました!繰り返します!コード・ブルー・エスケープが発令されました!』
「な……」
警報を聞いた瞬間、コフルの顔が真っ青に変わった。そうしてコフルの休日は、終わりを告げたのであった。
「な、懐かしくは有りますが……」
「懐かしんでんじゃねぇ!大急ぎで探せ!手が空いてる奴は全員駆り出せ!」
コフルが真っ青な顔で自分の手勢に発破をかける。
「やべぇ!マジでヤベェ!」
「一体何ですか?この警報。自分も既に百年近く公爵家に出入りしてますが、コード・ブルー・エスケープなんて警報、聞いたことも無いですよ?」
既に古参、と呼ばれる兵士が首を傾げる。だが、当たり前だ。百年務めたぐらいでは、この警報の意味は理解出来ない。なにせ、知っているのは最古参の面々だけだ。
「あったりまえだ!この警報がなったのは最後は300年前だ!最上級の厄介な警報だ!」
そう言ってどんな困難な任務でも平然とこなすコフルが大慌てであるので、部下の兵士達があわてふためき始めた。
「コフル隊長!何が起きているんですか!?」
「栄えある公爵家のもんが慌ててんじゃねぇ!」
指揮官に相当する部下が、慌てている部下を抑えている。しかし、彼にも何が起きているのかわからないので、イマイチ対処が出来なかった。
「で、でも!」
その様子を見て、コフルが一旦落ち着いた。
「おい!てめぇら全員一度落ち着け!」
そう言ってコフルが一喝すると、騒がしかった周囲が静まり返る。まあ、一番落ち着いていなかった彼が言うべきでは無いが。
「ワリィ。慌てちまった。別に襲撃とかじゃない。……おい、手配書は?」
「はい。こちらです。」
そう言って室内に入ってきてたフィーネに問いかける。そうして配られた手配書を見て、全員が目を見開いた。
「え?これって……あの日本から来た学園の子ですよね?」
よく街の警備に出る警吏達や巡回兵達は、カイトの顔を覚えていた。なので浮かんだのは疑問だ。カイトが犯罪を犯す様な人物には思えなかったのだ。
「ああ。そいつが居なくなった……っと、別に犯罪犯したわけじゃないから、手荒な真似だけはするな。が、即座に探しだせ。」
そう言って部下を送り出したコフルに、300年前からの昔馴染みの執事が笑う。
「別に我々は発見が遅れて頂いていいんですけどね。」
そう言って執事は誰もいないことを確認し、仕事向きの仕草を解いた。
「お前らはな!」
「公爵家の警備を取り仕切るコフルも、妹は怖いか?」
「……お前はあいつの怖さを知らないんだ。」
コフルは最悪の事態を思い浮かべる。だが、その最悪の事態はここで呑気に喋ればしゃべる程、刻一刻と近づいてくる。そんな余裕は無いのだが、それでも震えが止まらなかった。
「カイトが女を連れ帰る前に、見つけねぇと……ユハラが……」
「はは、ご主人様のある意味最悪のジンクス、か。見かけは単なるサボタージュ。しかし、何故か帰ってくるとお土産の様に行く宛のない奴を連れて帰ってくる。ある意味、凄いな。」
そう言って、執事は笑う。だが、実害が及ぶコフルは笑えなかった。
「まあ、ご主人様が連れてくる人材は全員大成するんだ。常に人手不足の俺達にしてみれば、有難いことだ。」
「それが女の場合、全員が揃って美少女じゃなければな!」
そうして連れ帰ってくる面子は決まって裏に事情を抱えていたり、後々に揉め事を抱えるのである。そして、それを決まってカイトが解決し、仲良くなっているのだ。それらは最早公爵家もう一つの恒例行事と化していた。
「お、妹も美少女扱いするか。」
「あぁん?うちの妹は元美少女だろうが!」
「まあ、確かに。」
確かに、ユハラは誰が見ても美少女ではないが、誰が見ても美女だ。そこは誰も否定しない。
「お前らはいいんだろうが、俺には被害及ぶんだよ!」
傍から見れば、有能な人材をヘッドハンティングで連れ帰る事は何ら問題ではない。それどころか、歓迎されて然るべきことであった。確かに、それは誰もが認めることなのであるが。
「はぁ……マジで女連れ帰るなよ……」
「連れ帰るのは確定か。」
「そりゃそうだろ……」
そう言って、コフルは再び溜め息を吐いた。もし、女であった場合、クズハや妹のユハラ、フィーネを筆頭に、何人かの女性陣の機嫌が目に見えない所で急降下するのである。クズハやフィーネらはカイトにぶつけるのだが、ユハラの場合、その被害の多くは主に、コフルが被るのであった。
何故、コフルなのか、というと、ユハラもコフルも元々カイトのこの癖によって拾われた身であるので、あまり声を大にしてカイトに文句を言えないのだ。おまけに、カイトが連れ帰る人材は往々にして行く宛がなく、追い出すことも出来なかった。結局、自分と同じ身の上である肉親のコフルに、八つ当たりするしか無いのである。
「後は男だ、ってことに期待するしかねぇ……あぁ、マジで早く見つかってくれ……」
祈るようにそう言ったコフル。そうして、2人もまた、街へとカイトの捜索に出かけるのであった。
少しだけ、時は遡る。その日の朝、カイトはティナとの日課の鍛錬を終え、執務室に戻っていた。朝食前に少しだけ今日の仕事を確認するか、と執務室に来たのだ。
「はぁ……いい天気だ。ったく……カークさんが亡くなってなかったらなー……」
ふと外を見て、いい天気である事に気付いたカイト。ここまで忙しくなければ、外に出てのんびりと過日のように仕事を忘れて市井に出向く所であった。だが、それも毎日忙しければ無理だ。
ちなみに、カイトが呟いたカークとは、かつてカイトの秘書官筆頭を務めてくれていた人なのだが、既に彼は亡くなって久しかった。カイトが急に帰還したことで代理の人員は雇用出来ておらず、今も忙しいのであった。
「ああ、なんでこんな仕事してんだろ……」
そう言って一度伸びをする。一度仕事をする気が無くなれば、とことん低下していくのがカイトだ。
「……別に今急ぎの仕事そんな無いよな……」
今日の仕事内容を見て、カイトは一度目を瞑る。そうして沈黙することおよそ1秒。ほとんど悩んでいない。
「良し!今日は休む!そうと決まれば……」
カッと目を見開き、即座にサボタージュを決定する。仕事をするまでは遅かったが、サボると決めれば早かった。
「一応書き置きするか。設定は……一時間後でいっか。後はバレないように幾つか仕事は終わらせておいて……」
そう言って様々な魔術を併用し、急ぎの書類と擬装用に幾つかの仕事は終わらせておく。更に、時限式で書き置きが机の上に置かれるように、遅延性で発動する魔術を設定する。
「よし。後はバレないように窓から出るか。朝飯は、まあ朝市で調達すっか。」
そう言ってカイトは外にでたのであった。時刻は午前7時過ぎ、朝市などは既に開いている時間であるし、朝一で出勤する市民達や街の外に出る農民、商売を開始する商人達でごった返す時間だ。それ故、急いでいて朝食を食べ損ねた客狙いで屋台がほぼ全て開き、サボって朝食を食べるには丁度良い時間でもあった。なので、カイトは即座に執務室を脱出し、移動して屋台が並ぶ南町へと移動するのであった。
「おー、やっぱ7時半になると、結構賑やかになるなー。善き哉善き哉。」
そう呟きながら、カイトは人通りの多い市場を興味深げに観察して回る。自分が大本を創った街が発展している事を実感し、実に満足気であった。と、そこで下を見て歩かなかったからだろうか。少年らしき人影と衝突する。
「わ!……あれ?カイト兄ちゃんか?」
「おっと、ワリィ……ってリュートか。」
「おっす!兄ちゃん!」
「おう!おはよう!」
そう言って二人で手を上げてハイタッチする。
「これから学校か?」
「ああ!兄ちゃんは何やってんだ?」
「まあ、市場調査ってやつだ。」
「ふーん……」
そうしてリュートと少ししゃべり、カイトは再び外をぶらぶらし始めた。懐かしくも有り、真新しさを感じる自分の街に、感慨深いものを感じる。どうやら道筋が一緒なのか、リュートが一緒に並んで付いて来た。そうして彼は暇なのか、カイトに喋りかけてきた。
「なあ、兄ちゃん。なんか珍しいのか?」
「ん?……いや、ちょっとな。」
街をうろつく事も多いはずの冒険者であるカイトがきょろきょろと街を見回すので、リュートが怪訝な顔で問い掛ける。それに、カイトが少し苦笑した。と、そこに声が掛けられた。
「お、兄ちゃん!一人ってのは珍しいな!……ん?兄ちゃんそういや黒髪じゃなかったっけ?」
声を掛けたのは、果物店屋の主人だった。彼は気さくにカイトに声を掛けたのだが、カイトが変装用に髪と目を元に戻していたので目を丸くしていた。尚、カイトがこうやってのんびりと一人で市場を回るのは、帰還後初めてである。確かに珍しいといえば、珍しかった。
「ん?ああ、これ?まあ、変装。」
そう言って笑うカイト。服もいつものロングコートは色を替えてハーフのジャケットにしており、完全にオフの衣装であった。まあ、防御力は変わらないのだが。
「変装って……兄ちゃん、やべえ奴にでも追われてんのか?」
心配そうに店主は眉を顰めるが、それにカイトは笑って答えた。
「んにゃ、只のサボり。」
「サボりか!兄ちゃん、真面目そうに見えたんだが、意外と不真面目だったんだな!」
店の店主はそう言ってバシバシとカイトの肩を叩く。どうやら真面目そうだと思えて実は不真面目だった事をいたく気に入ったらしい。
「まあ、オレも人の子だかんな。こんないい天気の日に机でガリガリ書類仕事なんぞやってられっか。」
カイトはそう言って肩を竦めた。それに、店主が笑みを深めた。
「そりゃそうだ!っと、そういや兄ちゃんとあのソラって兄ちゃんの2人でこないだウチの母ちゃんの荷物を持ってくれたんだってな!ちょっと待ってな……おらよ!」
そう言って店主は売り物の中から桃を幾つか袋詰してカイトに寄越した。
「礼だ、持ってってくれ!もう一人の兄ちゃんにもよろしくな!」
「え?マジ?いいのか?」
朝食を抜いて出て来たので、当たり前だがカイトは空腹であった。まだ朝食の調達先も決まっていなかったので丁度良い、カイトはそう思って有り難く頂くことにした。
「おお、おお。持ってけ!」
「サンキュー!ほれ、リュート。分前……っと、ちょっと待てよ……出来た!」
カイトはリュートに渡す前、桃を魔術で急速冷却して、更に風魔術で皮を剥いてリュートに渡す。そんな魔術の連続行使に店主とリュートが目を見開く。
「おぉ!兄ちゃんすげえな!」
「すっげー!サンキュー!うぉ!冷たっ!おっちゃんもあんがとな!」
そう言って、カイトとリュートは片手を上げて立ち去ったのであった。
「……あれ?そういやあの兄ちゃんあんな性格だったっけ……?」
ふとカイトがいつもと異なる性格であったのに気付いた店主が首を傾げる。性格が異なるのは当たり前で、カイトは現在性格も元に戻しているのであった。
リュートが疑問に思わないのは彼にとってこれが何時ものカイトだからだ。それ故、彼も可怪しいと思わなかったのだった。
「まあ、いいか。さて、仕事仕事っと。」
そう言って店主は仕事に戻るのであった。
それから30分後。リュートと別れたカイトは貰った桃を魔術を使用してゆっくり冷却し、魔力で創り出したナイフで皮を剥いて丸かじりしていた。
「やっぱこの時期の桃は甘いなー。水蜜桃ってやつか。情けは人の為ならずってな。」
そう言って市場を冷やかしていたカイト。朝食代わりに桃を食べているのである。
「ここは……なんだ?」
ぶらぶらと中央区の市場筋を回っていると、ふと小さな店を発見した。試しに覗いてみたカイトであるが、幾つもの細かい細工が施された装飾品がショーケースに飾られていた。
「いらっしゃい。」
「いらっしゃいませ!」
カイトが店に入ってきた事に気づいて、店番らしき女の子がカウンターに回った。どうやら2人で店番をしているらしく、カウンターに回ったハーフリング族の小柄な女の子以外にも、奥には机に向かっているエルフの女の子が居た。
「ここは何を売っているんだ?」
「装飾品です。魔術的には殆ど効果のない、本当に単なる飾りです。あ、今は髪飾り用の留め具をつけてますけど、お望みでしたらネックレス用のチェーンをお出しします。チェーンは銀か魔法銀、銀メッキの三種類からお選び頂けます。ご希望でしたら、他の金属もお取り寄せ致しますよ。」
そう言ってハーフリングの女の子がチェーンのサンプルをカイトに見せる。様々な良品を見てきたカイトから見てもなかなかにデザインが良かった。
「ふーん。……こっちは誰のデザイン?」
カイトが花をモチーフにしたと思われるアクセサリーに興味を示した。
「あっちの子のデザインです。あっちの子がデザインをして、私が細工してるんですよ。」
「ほう……これを細工しているのか。」
そう言ってカイトは感心する。かなり繊細なデザインが施されているが、それをデザイン通りに細工しているとなれば、かなりの腕前を持っていると言える。
「こっちは桜、楓、椿、牡丹……これは、冥界華か。よく知ってるなー。」
冥界華が存在しているのは、公爵家か皇族所有の庭園だけである。その容姿を知ってデザインしているのであれば、珍しいと言えた。
「え?お客さんこそ、よく知ってますね!そうです。こっちは冥界華をデザインしてるらしいです。あ、この子クズハ様の遠縁なんです。それで、公爵家の冥界華の花畑を見せてもらって、それでデザインしたんです。」
クズハの遠縁と聞いたカイトは驚いた。クズハの遠縁であれば、単なるエルフではない。エルフの中でも最も高貴なハイ・エルフの一族であった。ハイ・エルフが彼らの里から出て来るのは非常に稀で、こんな市場でデザインの仕事をしているとなると、稀どころか、カイトでさえ、初めて見た。
「……え?つーことは……そっちの子はハイ・エルフか!?」
「わぁ!?えーと、黙っておいてくださいね?」
高貴なハイ・エルフ、しかもクズハの遠縁であることがバレると、仕事がしにくくなるのは、確実であった。なのでハーフリングの少女が大慌てで口止めした。
「ああ。気にするな。バレると仕事がしにくいだろうからな。ということは、もしかして魔術的に意味を持つ装飾品を創れんじゃないのか?」
「はい……ありがとうございます。それと、作成ですか?どうでしょう。」
見ると、奥で黙っていたハイ・エルフの女の子も頭を下げていた。
「出来なくは無い。只、あまり期待しないで欲しい。」
そう言ってハイ・エルフの女の子が答えた。カイトの予想通り、あまり社交的では無いようであった。
「……クズハの遠縁か。なら、オレの親戚にもなるからな。」
ボソリと呟いたカイト。クズハは自分の義妹である。それならば、この子もまた、自分の遠縁の家族と言えた。
「……贈り物用に包んでもらうことって出来る?」
そうしてカイトは幾つかアクセサリーを見せてもらう内に、気に入ったアクセサリーが数点見つかった。なので、カイトは店番をしているハーフリングの女の子に、包装ができるか尋ねてみる。
「はい!女性への贈答用ですか?」
「ああー、うん。まあ、そんな所。」
「では、どれをお包みしましょうか?」
「えーと、これとこれ……後は……」
そう言ってカイトは人数分のアクセサリーを選ぶ。だが、そんな幾つも選ぶカイトにハーフリングの女の子がきょとん、と首を傾げた。
「えーと、一体何人分なんですか?」
「え?……何人分だろ?」
ティナにクズハに桜に……、と取り敢えず仲の良い女性用に選んでいくカイトだが、かなりの数を選んでいた事に気付いた。尚、カイトの考えではこれでは足りないので、後で別の店を回って買う予定である。
「……どこかの貴族?見たことある気がする。」
奥に潜んでいたハイ・エルフの女の子がカウンターに現れる。複数の女性に贈り物をするとなると、その身分は限られてくる。ハイ・エルフであれば、かなり高位の貴族とも付き合いがあるので、もしかしたら高貴な身分かも、と思ったのかもしれない。
「いや、違う。」
「そう……昔あった気がしたから。」
尚も眉を顰めるハイ・エルフの女の子。再び奥に引っ込んだ。だが、逆にカイトの方には見覚えが有り、ようやく思い出せた。
「……そうか、あの時の子か。」
その言葉にその様子にカイトが微笑む。かつてクズハを義妹にするときに、ハイ・エルフの里を訪れた時にあった少女であった。そんなカイトの様子を見たハーフリングの女の子が首を傾げる。
「?やっぱり会ったことあったんですか?」
「まあな。」
カイトが思い出すのは、かつて会った絵が得意な女の子の事。その少女がそのまま絵の腕を上達させ続けたのであった。よく見れば、デザインの節々にその流れがある。そうしてカイトが感慨に耽っていると、アクセサリーの包装が終わったらしい。
「はい!ありがとうございました!」
「お、ありがと。……んじゃ、がんばれよー。」
そう言ってカイトは片手を上げて挨拶し、店を出るのであった。
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第172話『娼館』
2015年8月10日追記
コフル『体長』になっていたのをコフル『隊長』に修正しました。