第170話 冥界華
*お知らせ*
投稿時間をずらそうかと思っています。
8月12日から試験的に18時頃の投稿を予定しています。理由を知りたい方は、活動報告に通知させて頂いていますので、ご一読下さい。
第二陣の初陣が終わり、約一週間。ミレイが派遣されたことによって多少は忙しく無くなったものの、冒険部にはやはり忙しい日々が続いていたのだが、朝だけは、忙しさはなくのんびりとしていた。
「るん♪ル♫アーァー♪」
カイトと自分が起居する冒険部の自室にて、ユリィはご機嫌に鼻歌を歌いながら日課の花壇への水やりを行なっていた。季節は初夏。午前8時。外は快晴という絶好の外出日和であった。
「あ、この子、今日は凄い元気。この分だと、後一週間でもうひと瓶ぐらい溜まりそう。」
ユリィは花の朝露を集めていた容器を回収する。この花は特別な花で、朝露から花まで全て使えるのだ。そうしてユリィが楽しげに10分ほど花の世話をしていると、部屋のドアがノックされた。
「開いてますよー、どうぞー。」
ユリィの返事を聞いて、ドアが開く。入ってきたのは、桜と瑞樹のお嬢様コンビであった。
「ユリィちゃん。おはようございます。あ、綺麗な花ですね。」
「なんという花なんですの?」
ユリィが花壇で育てていたのは、虹色に輝く半透明な花びらが特徴の花であった。ユリィは今は本来の小型なので、まさにファンタジーな風景が似合う光景に、二人が少しうっとりとした様子でその様子を眺めていた。
「あ、桜と瑞樹。おはよー。これ?冥界華っていう花だよ。」
「冥界華?」
二人は一度顔を見合わせ、同時に首を傾げる。一応、これでも二人共此方に来てからも熱心に草花等の知識を含めた勉強を怠っていない二人であるが、ユリィの告げた冥界華とは聞いた事が無い花の名だった。
「うん。別名幽玄華とも言うんだけどね。エネフィアでは冥界の森の最奥にしか生えないとんでもなく珍しい花。これ、育てるの難しいんだー。」
「それを育ててるんですか?」
生育が難しいのに専門家でも無いユリィが育てているのを聞いて、瑞樹が首を傾げる。事情を知らないので、横の桜も似たような物だ。
「うん。カイトがくれた大切な花だからね。まあ、この育成だと私が第一人者なんだけどね。」
「え?カイトくんが?」
カイトがユリィに贈った、と聞いた2人は少しだけ驚いた。確かにカイトは贈り物などはまめに行う性格ではあるが、世話等の手間の掛かる花をプレゼントすることは珍しかったのだ。
「カイトさんが花を贈られたのには理由がありますの?」
「あー、うん。この冥界華って朝露が万病に効く霊薬に、花びらを調合すればエリクシルの原料になるんだよ。今は公爵家の特産品の一つだよ。」
冥界華の特性を説明した後、ユリィは少しだけ恥ずかしげに語り始める。
「昔ねー、ちょっと私妖精族特有の不治の病に掛かった事があってね。その病は霊薬かエリクシル以外に治療薬ないんだけど……まあ、この冥界華自体が滅多に出まわらない物でね。エリクシルなんて勇者カイトでもエンテシア皇国第一皇子のウィルでも手に入れられない貴重品だったんだよね。一輪でミスリル銀貨10000枚。エリクシルは調合できる薬剤師が超一流だけだから、その数倍はしたの。当時手に入れようとすれば、ランクSの冒険者が50人規模のキャラバンを組んで、6ヶ月掛けてようやく一、二輪持って帰れるって物だったから、当たり前だよね。」
それでも、リスクや遠征期間に見合うだけの利益が得られるので、今でも遠征隊が時々組まれている。しかし、帰還率は万全に備えても6割であったので、Sランクの冒険者達でさえ、滅多に行きたがらなかった。
「まあ、それで私も諦めて病気を隠して普通の生活してたんだけど……遂に倒れて医者から余命宣告されて、皆にバレちゃったんだよね。余命二ヶ月、打つ手なし。で、それを知ったカイトがいきなり居なくなって……一ヶ月後にボロボロになってこの冥界華を持って帰ってきてくれたんだ。」
カイトが1人で行った理由は簡単で、時間優先の状況では他の面子は足手まといになるからであった。尚、カイトはこの遠征を完全に独断で行っているので、公爵と言えど、かなり危ない橋であった。
「カイトさんでもボロボロになって帰ってくるって……」
ユリィの言葉に、二人が愕然となる。瑞樹と桜は知る由もないが、当時はまだカイトの戦闘能力は今よりかなり弱かった。大体ティナより少し強い程度である。
しかし、それでも圧倒的な戦闘能力を持つティナを超えているのだ。そんなカイトがボロボロになって帰ってくる場所である。危険であるのは明白であった。カイトがかつて逃げ込むだけでも今の数百倍の戦闘能力は欲しい、と言ったのも頷ける。
「うん。当然とんでもなく危険な所だったらしいよ。まあ、その御蔭で冥界華の密生地に辿りつけたらしいけどね。そこから持ち帰ったらしいよ。」
嬉しそうではあるが少しだけ呆れた様子でユリィが告げる。当時薬学の知識など無いカイトは、何輪あれば薬となるか解らず、冥界華を求めて冥界の森の奥の更に奥、最奥まで辿り着いた。持ち帰り方も解らなかったカイトは、大精霊達の知恵を借り、約100輪もの冥界華の育成に必要な物や情報を全て、冥界の森の最奥から持って帰ったのであった。
ちなみに、その時のカイトがあまりに鬼気迫るものであったので、ランクSクラスの冒険者が怯える冥界の森の魔物達でさえ、彼を森の主と認めたらしい。
「で、1輪を薬に使って、10輪を私にプレゼントしてくれて、50輪を公爵家で、残りを皇国に寄贈したんだよ。冥界華はきちんとした育成状況なら何度でも花びらが元通りになるし、何百年でも枯れないから、育成法の確立した今じゃ値段もかなり下がったよ。」
数年の研究の結果、冥界華で創られた薬の安定した供給が確立された事によって、皇国での疫病による死者はそれまでの10%以下に抑える事が出来るようになったのである。
その結果、冥界華とその生育情報を冥界の森という魔境の最奥から持ち帰ったカイトは公爵としての地位を確たるものとし、その研究を主導したウィルも皇太子としての地位を確たるものとし、ユリィ、クズハら公爵家の関係者は単なる大戦の功労者から、貴重な冥界華の栽培に成功したとして、全大陸において多大な名声を得ることが出来たのであった。
ちなみに普通に考えれば、薬にするにも100輪も必要とは思えない。では何故必要以上に大量の冥界華を持ち帰ったかというと、カイトが冥界華を気に入ったからで、ユリィなら育てられないか、と期待したからというだけである。怪我の功名であった。
「今では霊薬とエリクシルは皇国の大事な交易品になってるよ。育て方さえきちんとすれば、冥界華は決して枯れないからね。で、その時の花が、これ。私の一番の宝物。」
そう言って自慢気に花壇の冥界華を見せるユリィ。本当に幸せそうである。
「そうなんですか……」
ユリィの話を聞き、2人は少しだけユリィに嫉妬する。自分達ももし同じ状況となればカイトが同じように頑張ってくれるだろうが、それでも羨ましかったのだ。
「うん。それで今でもこの冥界華を大切に育ててる、ってわけ。」
そう、ユリィは照れた様子で語るのであった。と、そこで一旦話を止めたことで、ユリィはふと気付いた。
「で、桜も瑞樹も二人してどうしたの?」
「あ、そうでした。カイトくん見ませんでした?」
つい綺麗な花に見惚れてしまった2人は、本来の用事を失念していた。なので、少し照れた様子でユリィに本来の用事を問い掛ける。
「ティナとの模擬戦は……もう終わってる頃かー。じゃあ、3階の執務室は?」
カイトとティナは朝6時30分から一時間程模擬戦を行なうのが、日課である。それはどれだけ忙しかろうと、変わっていなかった。そして現在の時刻は朝9時を過ぎた所。いくらなんでも、訓練中とは考えられなかった。
「いませんでしたわね。一応一度机に着いた痕跡はあるのですが……」
その言葉を聞いた瞬間、ユリィの額から一筋の汗が流れた。朝9時で一度席についた形跡があり、何故かカイトが執務室にいない。そして最近忙しかった。ユリィが危惧する条件は揃っているのである。だが、まだ信じたくないユリィは、更に問い掛ける。
「1階の食堂は?」
「当直の睦月さん曰く、来ていないそうです。ご飯を食べていたティナちゃんもそう言っています。」
「……執務室に張り紙とか無かった?」
「いえ、見ませんでしたわ。」
「……何時見たの?」
ユリィは遂に震え始め、その様子を2人は訝しむのだが、取り敢えず聞かれた事を答える。
「えーと……三十分程前ですわ。その後、色々な所を探しましたので……」
「ちょっと行ってくる!」
瑞樹の答えを聞いたユリィは即座に空間転移にて3階の執務室へと転移する。
「カイト!」
転移が終了するやいなや、ユリィは大声でカイトの名を呼び、周囲を探し始める。
「ん?どうした?カイトなら来てないぞ。」
そう言って自分の机で書類を読んでいた瞬が慌てた様子のユリィに問いかける。
「嘘!」
そう言ってカイトの机を見ると、そこには一枚の書き置きがあった。そこには短く、こう、書かれていた。
『本日、市場調査に出かけます。冒険部部長・カイト』
「…………油断してた。」
ガタガタと震えながら呟いたユリィ。最近は少し忙しくなくなったので、ついうっかりまだ余裕があると思っていたのだ。だが、完全に読み違えであった。それでも、非常に忙しいのは忙しいのだった。そんな様子のユリィに、魅衣が苦笑して問い掛ける。
「どうしたの?カイトの奴今日は遅いわね。寝坊?」
「ねえ、魅衣。カイト見てない……よね?」
「見てない。」
魅衣の答えは聞く必要の無い物だったのだが、ユリィは念の為に聞いてみた。だが、予想通りの答えであったので、ユリィは即座に執務室に設置された公爵邸へと直接連絡が取れる魔導具を手に取った。
『はい、此方公爵邸。』
公爵邸からの応答を確認し、即座にユリィは要件を述べた。ちなみに応答したのは、ゴーレムである。声を応用した如何な魔術が使われるとも限らないのだ。なので、ティナが作ったゴーレムがまず応対に出るのである。ちなみに、万が一に備えてきちんと横にはカイトの正体を知るメイドか執事が控えている。
「此方ユリシア・フェリシア!最上位命令権限において、即時命令を下します!」
『……声紋等一致確認。』
そう言ってゴーレムの通信が切れ、フィーネに繋がった。
『ユリィ様如何なさいました?』
さすがに声だけで公爵家もユリシア本人と判断はしない。声に乗っている魔力や声紋などが一致して、初めて公爵家の人間に繋がるのである。
「フィーネ、おはよ!詳しい話は後!コード・ブルー・エスケープ!繰り返す、コード・ブルー・エスケープ!」
朝の挨拶もそこそこに告げられた言葉を聞いた瞬間、フィーネが凍りついたのが電話越しにでも理解出来た。
『……本当ですか?まだ朝食の最中とかなのでは?ご主人様の事ですから、たまにこの時間に朝食を摂る事もおありなのでは?』
カイトの癖を知っているフィーネがカイトの行方不明以外の可能性を聞いてみる。その声は少しだけ強張っていた。
「……書き置きあった。内容はいつもの市場調査。」
『遅かったですか……』
それを聞いたフィーネが溜め息をついた。
「人員を何人かこっちにまわして!私も指揮を取る!」
『わかりました。お願い致します。では、失礼致します。』
そう言ってフィーネが通信を遮断したのであった。
「姫様!」
通信を遮断したフィーネが大慌てでクズハに報告をする。
「どうしました?あなたが慌てるのも珍しいですね。というか、今は姫ではないですよ。」
慌てたフィーネを珍しく思いながら、昔の呼び方をされて苦笑する。クズハが最後に姫と呼ばれたのは、300年前の、しかもカイトの公爵即位前迄である。それから姫と呼ばれるのは、里帰りした時ぐらいだった。
「コード・ブルー・エスケープ!……ご主人様が、またいなくなりました。」
フィーネの報告を聞いた瞬間、クズハと横に居たユハラが凍りつく。
「あつっ!」
凍りついていた所為で、クズハに入れていた紅茶が溢れ、溢れてしまった。
「ああー!ごめん!すぐ片付ける!」
どうやら相当慌てているらしく、ユハラが仕事用の丁寧な口調を忘れていた。
「早くしてください!カーペットにシミが!その前に、フィーネさん!今すぐ公爵家全域にお兄様を指名手配してください!」
「はい!」
零れた紅茶を拭きつつ、クズハも大慌てで対処する。クズハも慌てているため、昔の呼び方に戻っていた。そうしてあたふたしている内に、公爵邸全域に警報が鳴り響いた。
「うう……本当に人員募集した方が良かったのでしょうか……」
「ご主人様の事ですから、その場合でも美少女が応募した挙句、何故か当選するんじゃないですかねー……」
二人して掃除しながら、溜め息を吐いた。
「最近ユニオンから職員が派遣された、と聞いたので、まだ猶予があるかと思っていたのですが……油断しました。」
「だから私が行きましょうか、といったんですけどねー。」
「くっ……ユハラ一人にいい思いをさせるわけには……と考えたのが間違いでしたか……」
「だからと言って、御自分が行こうとするのもどうかと思いますけどねー。」
そう言って主従2人は少しだけ牽制しあう。だが、直ぐに切り上げた。なぜなら、それ以上の問題が目の前にあるからだ。
「ただ……」
「ええ。この状況ですと、確実に女の子連れ帰ってきますよね……」
そう言って2人は再び、諦めの溜め息を吐いた。
「なんなんですかねー。あの引きの良さ。」
「知りません!……どうしてサボったら必ず女の子か孤児を連れて帰ってくるんですか!子供も女の子も犬や猫じゃないんですから……はぁ……」
「あ、あははは……」
クズハの愚痴に対して、ユハラは乾いた笑みを浮かべた。このカイトの癖で拾われた自分たち兄妹他何人かは、自分達こそがそれで拾われているが故にあまり強く突っ込めないのであった。
「後はお兄様が早く見つかる事を祈るだけですか……お願いですから、女の子を連れ帰らないでください……」
そう言って、クズハは真剣に祈り始める。そんな主の一人を見つつ、ユハラは掃除を続けるのであった。
『大量の書類が 現れた。』
『カイトは 逃げ出した!』
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第171話『市場調査』
2016年9月5日 追記
・表記修正
クズハのセリフの中の『お兄様を手配~』となっていた所に『指名手配』にしました。些か変な風に取られかねない為です。