第147話 それぞれの受け止め方―瞬と桜―
「……ちっ。ダメか……」
瞬自身の診断が終わり、彼は自室に戻っていた。そうして何をやっているかというと、先ほどの戦いの総括、特にセツと名乗った少年との戦いだった。だが、結果は芳しくない様子で、今も顔に苦味を含んだ表情が浮かんでいた。
「……もう一度だ。」
そうして、もう一度イメージ・トレーニングに入る。だが、避けられるのはいつも、カイトが見せてくれたが故に、彼が手加減をしたが故に見切れた最初の連撃だけだ。だが、その次の攻撃を食らう。
「ちぃ……遠い、な……」
彼我の差をしっかりと見据えて、瞬が無念そうに呟いた。当たり前だ。彼はまだランクDの冒険者だ。それに対してセツと名乗った少年は自称だがランクB、瞬より2つ上だ。実際、あの盗賊たちの中では頭幾つ分か飛び出た強さだった。生き残れている時点で奇跡だろう。
と、再びイメトレに入ろうとした所で、部屋の扉がノックされる。
「瞬、入りますよ。」
「ああ、開いている。」
ノックしたのはリィルだった。彼女は瞬が大丈夫かと気にして、ブラスの許可もあって訪ねてきたのだ。自分のために殺人を犯して、それで寝込まれたりしては彼女とて後味が悪い。父としても娘を救われたという感謝があったので、フォローにと送り出したのだが、そうして室内で足を組んで何かを確かめる様にしている彼を見て、リィルが驚愕で目を見開く。
「貴方……大丈夫なんですか?」
「ん……?何がだ?」
彼女が入ってきても続けていたイメトレだったが再び負けたので、瞬はリィルの方を振り向いた。だが、そうして見たのは、今まで彼が一度も見たことがないくらいに驚いたリィルの顔だった。
「なんだ、その顔は。」
「いえ、あの……大丈夫なんですか?」
「いや、だから何がだ?」
「貴方は先ほど……人を殺した筈です。」
リィルはさすがにショックが大きいかとも思い言い澱んだのだが、それ以上に驚愕と不安が勝って問い掛ける。が、瞬の方はそれにはっ、と思い出したかのように、否、事実今思い出した。
「ああ、そういえば……そうだったな。」
「なっ……」
平然、まさにそんな感じで答えた瞬に、リィルはこの時、初めて畏怖し、絶句する。有り得ない。そんな感じだった。彼女でさえ、一番初めに盗賊を討伐した時には2,3日は体調が優れなかったのだ。それなのに、彼は。リィルが絶句するのは無理がなかった。
実は、この時。彼の診断を担当した医師がその結果を何度も見返し、信じられなくて他の医師にまで確認してもらっていた事は彼女はまだ、知らなかった。
「……仕方がないだろう。そうしなければ、どうしようもない状況だった。それとも、俺に目の前でリィルを死なせろと言うんじゃないだろうな?」
「いえ……カイト殿の方はいいんですか?」
「?あれは必要だろう?」
再び瞑想を始めながら告げられた言葉に、混乱の極みに立ったリィルが問い掛けた質問。だが、その質問の瞬の答えが、更にリィルを混乱の極地に叩き込む。そうして、その混乱は瞑想して気付けないが瞬が更に続ける。
「魔物……いや、襲撃者達も普通に策を使ってくる。なら、俺達だってそれぐらいの悪辣な策略を使わないと、守れないだろう?」
「……自身が駒として、使われたんですよ?」
瞬の答えに、リィルが問い掛けを返した。そう、カイトが学園生達にこの一件を完全に秘しているのは、このためだ。だが、それに対して瞬はしっかりと未来を見据えて答えた。
「ん……まあ、必要だろう?俺達が今後、外に出ようと思うなら。」
「なっ……貴方は……それを自分で導き出したんですか?」
「ん?何だ、違うのか?」
「いえ……」
正解だ、彼女もこの世界の実情を知るが故に、否定出来ない。だが、それと同時に空恐ろしかった。彼はまだ、実戦経験にして数ヶ月だ。自分でさえ、否、策略を練るルキウスでさえ、必要悪に到れるまで、数年の月日を要したのだ。それを、たった数ヶ月。アルでさえ、未だ完全には納得出来ていないのに、だ。
「忘れられるか……俺は無謀に突撃して、無策に挑んで、仲間を危険に晒した挙句、天道達を拐われた……もう、絶対に嫌だ。」
「え……?」
奥歯を噛み締めて、瞬が決然と告げる。そう、それこそが、今の彼の始まりだった。その時から、彼は一人、必死で未来を見据え、策略を学び続けていた。結果、正道の策は自分の得手だが、悪辣な策を練るのは無理だとわかった。
だが、それでも。悪辣な策略の必要性と、今後人を殺さないという未来は有り得ないと結論を出した。そしてそれが正解であるということは、カイトが自分に授けた切り札を以って、確信した。
それ故、今回のカイトの策も、逆に万全を期した次の一手の為の物で、自分達の方がイレギュラーなのだと理解出来ていた。いや、それどころか。こんな風にきちんと手順を踏ませようとしたカイトに対し、こんなイレギュラーを引き起こした自分が申し訳なくさえあった。
とは言え、一つの疑問は彼―そして、これを聞いたカイトにも―にもあった。何故、自分はここまで殺人を犯して平然としていられるのか、と。それだけは、医師達にも彼にもまだ、わからない事であった。
「守る為なら、俺はどんな策だって認める。それは、アイツも同じなんだろ?」
「はい。」
戸惑う中だが、リィルは瞬の問い掛けに即断する。それだけは、主に仕える騎士として、即断出来た。騎士は正道を尊ぶが、それだけでは守れない物は確かに存在するのだ。そんな時、悪辣な策を弄するのが、主達の務めだ。カイトはそれを実践してみせただけだ。騎士として文句はあるが、この世界の先達として、異論はなかった。
「なら、何も問題ない。カイトにそう、伝えてくれ。」
「わかりました……それで、貴方は何を?」
嘘は一切無い。リィルはそれを見て取り、心の底から瞬を畏怖し、同時に安堵する。彼はこの様子なら明日も普通に日常を送れるし、たとえ地球に帰ってもそれは変わらないだろう。それが、理解できたのだ。そうして、彼女は安堵して、気になっていた事を問い掛ける。
「ん?ああ、お前が来る前にちょっとだけ戦った奴との戦いを思い出していたんだが……どうも初手だけしか対処出来なくてな。」
「……手伝いましょうか?」
「頼む。」
そうして、暫く。リィルの助言を受けつつ鎖鎌という特異な武器に対する対処を学んでいると、ふと、リィルが焦った様子を見せた。
「あ……瞬。申し訳ありません。もう私は行かないと……カイトさんにはきちんとお伝えしておきます。」
「あ、ああ……どうした?」
「いえ、少々……」
リィルにしては歯切れが良く無いし、どこか高揚している感じがあった。なので、瞬はリィルを送り出すと、静まり返った校舎の廊下からじっと窓から彼女を観察する。そうして少しグラウンドの陣地を見ていると、明らかに見たことがない、しかし、敵ではないとはっきりと分かる集団が集合し始めている事に気付いた。半分ぐらいがどこか再会を懐かしむような、残りの半分ぐらいが緊張しているような感じがあったのだ。それ故、敵では無いと判断した。
「屋上に出てみるか……」
敵ではないとは理解できていたが、一体何の集まりなのかが気になる。瞬はこの集団が何なのかを確かめる為、屋上に出ることにした。
そうして屋上に出てふと周囲を見渡すと、そこには眠っていたらしいソラと由利がそこには居た。どうやら目を覚ましたらしいので、瞬はグラウンドに集まった面々についての意見を聞いてみることにする。
「あれ……どういうことかわかるか?」
「ん?……はぁ……マジかよ。」
「あははー。変わらないねー。」
そうして、ソラと由利がその集まった面々を見て笑う。それは、友に対する絶対の信頼を含んでいた。もう、悩む必要は無い。ソラと由利にわずかに残っていたしこりが消える。なにせ、これからやろうとしているのは殴りこみだ。それは誰が仕掛けた物なのかなぞ、考える必要が無かった。
「どうした?」
「先輩、殴りこむ気ってありますか?」
「……何?」
「カイトっすよ。あいつ、今回の黒幕に殴りこみに行くつもりっすね。」
ソラ自身、獰猛な笑みを浮かべて首を鳴らして準備運動を始める。今グラウンドに揃っている集団は、誰も彼もが圧倒的な魔力と武装を身に纏っていた。それにカイトが関わっていない筈が無いのだ。カイトの性格を知る二人には、何をしようと言うのかなぞ、火を見るより明らかだった。
「付き合うぞ。」
「うっす。じゃあ、すぐに準備して、カイトの部屋の前へ行かないと。早くしねえと遅れちまう。」
「じゃ、ウチも準備しないとね。」
元々が武闘派の由利も、往年の覇気と雰囲気を纏い、獰猛な笑みを浮かべる。そうして、三人は一度静まり返った部室へと渡り、瞬に預けられたカギを使って、ティナが拵えた彼らの為の武装を身に纏うのであった。
数時間、時は戻る。カイトはベッドで穏やかな寝息を立てる二人の少女を背に、小さく、震えていた。
「……ちっ……ゲスっぷりに嫌になる……」
この部屋には、寝息を立てる二人以外にはカイト以外誰も居ない。それ故、カイトは一人、悪態をついた。寝息を立てる少女達は、魅衣と瑞樹の二人だった。
桜の診察を終えて二人の状態を知ったミースでさえ、媚薬の効果を消すことが出来ないと診断し、カイトに抱く様に指示を出したのだ。そして、二人が寝息を立てて、ようやく自己嫌悪に陥る事が出来る様になったのである。
「オレがやったんだろうに……」
ギリッ、奥歯を噛みしめる音が鳴った。当然だが、これはカイトの物だ。だが、決してそれは彼女らの前では見せることは出来ない。自らが汚した少女らは、自分の所為で危機に陥った少女たちだ。その彼女らに治療と称して―事実治療なのだが―身体を汚すなぞ、下劣の様に思えたのだ。
だが、自身を愛し、自身が愛した少女達に、その行為を恥じる姿を見せるなぞ決してあってはならないことだ。それ故、カイトは一人、自己嫌悪を堪えていた。そうして、その小さく震える背中に抱きついた少女が居た。
「……桜?」
「はい。」
カイトには、理解出来なかった。桜と自分は先ほど、交渉の場であんな議論を交わし合った後なのだ。疎遠、いや、それどころか、今後は閨で身体を重ねることも、二人で笑い合う事も無いかもしれない。罵倒ぐらいはされるだろう。そう思っていたぐらいだ。なのに、今背中に感じるぬくもりには、何の変わりもなかった。
「……一人で抱え込まないで下さい。」
「……は?」
「ずっと、知ってましたよ?カイトくんが私達に人を殺させようとしてたこと。」
「なっ!?」
桜から告げられた言葉に、カイトが絶句する。カイトは少しだけ、読み違えていた。自身が愛した少女らは、カイトが思う以上に賢く、そして、強かったことを。
いや、これは仕方がないのかもしれない。カイトは紛うこと無く、2つの世界で最強の存在だ。それ故、守らなければ、という意思が先立ち、更には地球の平穏を知るが故に、肉体的にも精神的にも弱いと考えてしまっていたのだ。それに、彼自身が一般家庭で育った所為で彼女らの家の実情を知らないのだ。普通の少女と同様に捉えてしまっても仕方がないだろう。
「あたり……前でしょ……」
「そう、ですわね。」
「……え?」
そうして、声が掛かったのは、後ろからだ。気配を読めぬほどに自己嫌悪に陥っていたカイトは、桜が来た事にも魅衣と瑞樹が目覚めていた事にも気付けなかった。いや、それ以前に。魅衣と瑞樹には、毒の影響を完全に消し去るために薬を服用させられているのだ。それなのに起き上がった彼女らに、カイトは驚愕する。
「私はソラじゃないんだから……」
「<<刺殺魔槍>>……わかりすぎじゃ有りません?」
二人はそう告げると、微笑み、再びベッドに沈み込む。限界だったようだ。いや、もしかしたら自分達が愛した男が震えているのを感じ取り、女としての本能で起き上がったのかもしれない。
<<刺殺魔槍>>。瞬に教え、先頃彼がリィルを守る際に顕現させた切り札だ。それは、明らかに対魔物用の切り札では無かった。確かに魔物にも使えるが、それでも。明らかに逸話からして対人戦がメインなのだ。
それ以外にもカイトが教えた切り札達は対人戦を考えれば明らかに過剰だし、使えば確実に殺してしまうだろう。現に、ソラの対人戦どころか対魔物がメインでもない<<草薙剣>>でさえ、盗賊たちをまさに草の如くに薙いだのだ。ソラは日本で最も有名な剣の一つを教わったと喜色満面だったが、逆に冷静に捉えられていた少女達には、カイトの意図が読めてしまったのだ。
「……ね?」
「……何故……」
微笑んだ気配を見せる桜を感じながら、カイトは小さく問い掛ける。何故、それでも自分を許すのか。小さく告げられた言葉に、桜は答えた。
「だって、カイトくん。ずっと私達を守ろう、ってしてますよね?」
「……ああ。」
「でも、これからずっと先。それはだんだんと難しくなる。多分、殺さない、ということは不可能です。」
桜は震えるカイトの背に抱きつきながら、優しく自分達の考えを伝えていく。そして、カイトはそれを否定出来ない。なぜなら、彼が考えている事と一緒だったからだ。
「……ああ。」
「いつの日か。カイトくんでもティナちゃんでも、守りきれない日が来る。そんな時。私達自身に力が要ります。その力が、私達にくれた切り札だと思います。」
彼女は、幼少時代に、最も庇護を受けていたであろう時代に拐われた。その時。心の奥底で理解出来ていたし、此方に来て実家の庇護を失って、はっきりと理解していた。絶対の庇護者なぞ、有り得るはずが無いのだ。それ故、彼女は皆伝の領域にまで薙刀を習得した。他者に頼ることも重要だが、自分で守れるだけの力を得る事も重要である事がわかっていたのだ。
そして、此方に来て。世界の状況が違うという現実を見た上で、盗賊達が蔓延っている事を知れば、聡い彼女らである。必然、人を殺さなければならない事は理解出来たし、カイトが段階を踏ませようとしている事も理解した。だから、桜も魅衣も、そして瑞樹も、覚悟して人に対して武器を振るった。
覚悟をしても当然忌避感はあったし、怖くもあった。だが、それでも。カイトの優しさは理解出来ていたし、その優しさを良しとして、瑞樹も魅衣も受け入れたのだ。
いや、それは桜も一緒だ。彼女がブラッド・オーガに拐われたあの一夜以降。いや、桜達がカイトから切り札を教わってから以降も、桜はカイトに身体を許す事を良しとしている。それは、カイトが自分達に殺人を強いて尚、良しとしたのだ。
「それに……カイトくん。分かり易すぎます。卯柳くんの処罰、私が出来るようにきちんと誘導してましたよね?初めからあの場で処刑する気なんて無かったですよね?だって、あの場で処刑する必要は無かったんですから。」
「……はぁ……降参だ。」
桜の推測に、カイトは小さく笑った。それは肯定だった。そうして、カイトは少しだけ肩の荷が下りた気分がした。だがまだ、カイトはもう少しだけこうして居たかった。なので、カイトは桜に頼る事にした。
「……悪い。もう少しだけ、こうしていてくれ。」
「はい。」
小さく震えていた異世界の勇者の背中を、同胞の少女として桜は優しく抱きとめる。この時、桜は不謹慎だが、嬉しかった。実はこの部屋の外にはティナやクズハ、ユリィ達も居るのだ。だが、彼女らでは、今のカイトを癒やすことは出来ない。
なにせ、彼女らも共犯者だ。カイトに対し、如何なる許しも与えることは出来ない。だから、自分にしか出来ない。それが、何より嬉しかった。
それに守られるだけでは、嫌なのだ。だから、今の自分にだけしかできない、カイトを癒やせるという事が何より嬉しかった。
「ありがとう。」
「はい。」
「もう、桜も眠れ。色々あっただろ?」
「はい。」
そうして、暫く。ようやくカイトが普段通りになるのを待ち、桜も眠りにつく。此方も、念の為にお香を焚いている。そうして、長く、暗い一日が終わりを迎えるのであった。
お読み頂き有難う御座いました。