第143話 交渉
「待ってくれ!」
カイトが俊樹少年を処断しようとしたその時、待ったが掛かった。声を上げたのは、瞬だった。彼はカイトが俊樹少年を断罪する瞬間に到着し、思わず待ったを掛けたのだ。
「……何のつもり?」
「先輩、待て、というからには何か理由があるのか?」
カイトと俊樹少年の二人から視線を受けた瞬が言葉を紡ぐ。
「そいつの刑の執行を取りやめる事は出来ないか?」
「ふむ……そこにはどういった理がある?」
瞬の嘆願を却下せず、カイトは敢えて理由を問うた。別にそれは慈悲を示すということではなく、ただ単に、強引な処刑は強権と捉えたからである。
「こいつは只利用されただけだ。ならば、多少の温情はあっていいだろう。それに、コイツは異世界から来たんだ。ならば、多少の常識の差を勘定に入れて然るべきだろう?」
彼とて別に俊樹に同情したわけでも偽善というわけでもない。ただ、これ以上の犠牲を出すことを厭うただけだ。目の前で裏切ったとは言え、彼にとってはやはり、学園の仲間だった者だ。それが罪とは言え、目の前で処刑されるのを黙って見ている事が出来るほど、彼も非道では無かったのである。
「利用されただけ、か。確かにそれは認めよう。そして地球での常識と異なることも。しかし、事は既に起きている。これを異世界人だから、利用されただけだからと見逃せば、民が認めまい。」
だが、その瞬の言葉に、カイトは冷酷に、公爵カイトとして、返した。そして、これは正論であった。トップ自らが法を逸脱すれば、民が従うことはあるまい。更に、盗賊に厳罰を科したのは他でもない、カイトである。これを破る事はカイトには、いや、カイトだからこそ、出来ない。
「俺もカイトの意見に賛成だ!コイツのせいで何人の怪我人が出たと思ってる!今後の引き締めの為にも、コイツは厳罰を与える必要がある!」
ソラが激高して声を上げる。俊樹が裏切って盗賊に与した事が許せないらしい。いや、それ以前に、危うく目の前で由利が傷つけられそうになった事が、何より我慢出来なかったのだろう。
「そういうことだ。今後、盗賊と与するものが出ないように、ここで見せしめる必要がある。もし、ここで見逃せば、今後も似たような事が起きるぞ?コイツの命の帰属はすでにコイツでも天桜学園でもない。公爵家にある。」
「それは……そうだが……」
瞬はカイトに正論で返され、思わず言い澱む。しかし、そこに桜から思わぬ援護が掛けられた。
「……ならば、取引はどうですか?」
「ほう。」
その言葉にカイトが興味深げに笑みを浮かべた。取引、普通ならば、この状況では取引なぞなり得ないことは誰の目にも明らかだった。だが、彼女が取引と言ったのなら、興味を引くには十分だった。
「先ほどの言ならば、彼の命は公爵家の所有物であるはずです。ならば、取引は可能であるはず。」
桜の言葉に、カイトは同意する。確かにカイトは俊樹少年の命は罪人として、公爵家に帰属する、と言明したのだ。それを否定することは出来ない。
「確かに。ならば、そちらは何を差し出す?」
「……俺に対する報酬でどうだ?」
桜の言葉を受け、どうやらアイデアが湧いたらしい瞬が提案する。が、カイトとしては、この流れは予想外であった。カイトとしては、ここで天桜に対する詫びとして切りだされると思っていたし、その流れにするつもりであった。
まあ、カイトとしては取り敢えず俊樹少年の命を天桜学園側に帰属させることができればどちらでも良かったのだが、取り敢えずその件についての詳細を聞く必要があったので瞬に問い掛けた。
「む?天桜ではないのか?」
「ああ……俺はさっきリィルの命を救った。その報酬でどうだ?」
「本当か?」
カイトは後ろに控えるリィルに問いかける。カイトの把握していない事であった。
「はい。危うく不意打ちを食らう所を助けて頂きました。」
そう言って事情を説明するリィル。それを受けて、カイトは一旦黙考する。
「……確かに、リィルの命と卯柳の命では公爵家にとっての重みは違う。が、それとこれとは別だ。だが、皇国では奴隷制度を撤廃している以上、やはり罪人とは言えその身柄を褒章として下賜することは出来ん。異論はあるか?」
「むぅ……」
カイトは瞬の意見を切って捨てる。次の意見を待っていると、桜が再び発言する。本当ならばここで瞬の発言を期待したのだが、やはり彼にはまだ、交渉事の経験値が足りなかったようだ。
確かに、身柄の引き渡しは出来ないが、死刑の控除程度ならば願い出られたのだ。身柄引き渡しにこだわって、罪の減刑を見逃したのである。そして、罪の減刑とある事を指摘すれば、身柄の引き渡しも可能であった事にも気付いていなかった。
「ならば、天桜学園全体に対する謝罪ではどうですか?今回の一件は全て皇国側の事情で起きた出来事。本来ならば、我々には関係の無いことでありましょう。」
「ふむ。だが、狙われたのは天桜だぞ?」
「狙ったのは、皇国の貴族です。それも、皇国の法を破っての行いです。ならば、それ相応の謝罪があって然るべきかと。更には公爵閣下におかれましても、襲撃をご存知であった事は閣下自身が述べております。閣下であれば、彼と盗賊の接触さえ、止める術はお持ちであった筈。それをなさらなかったのは、閣下ご自身でありましょう。」
カイトは思わず、笑みを浮かべそうになる。それ故、カイトは右手を口に当て、考えているポーズを取った。本来ならばティナに多少の指摘をさせる予定であったのだが、それが必要なかった。カイト自身が望んだ流れであるが、桜は一人でそれを的確に指摘してくれているのだ。それ故に、嬉しかったのである。
「ならば、本来は彼の命は失われる物では無かった筈です。それを失われる命としたのは、閣下ご自身の都合でありましょう。」
「確かに。その点については此方の責任である。だが、この者が失わせた命はどうする?」
そう言ってカイトは書類をもってこさせる。
「卯柳。お前は確か、盗賊の屯する洞窟へと行ったな?」
すでに確証の取れていることであるが、敢えて彼に証言させる。
「そうだよ。それがどうかした?」
「ならば……お前は女を陵辱したのは確かか?」
「うん。」
「っ!」
躊躇いなく答えた返答に、再びソラが激高しそうになるが、カイトが手で止める。一瞬カイトを睨んだソラだが、カイトが冷酷な光を湛えていた為、踏みとどまった。
「その女は親であった。公爵家は彼等が出て行った後、救出部隊を送り、救出した……だが、彼女は救出されて自害した。娘が既に売られ、自身も汚された事に耐えられなかったようだ。救出した者によると、ナイフを隠し持って反撃の機会を伺っていたようだな。盗賊が全て死んだと聞くや、恨み事を言って喉を掻き切り、自害したそうだ。」
そう言ってカイトは一度黙祷し、俊樹少年に向き直った。淡々と事実として冷徹に語ったカイトだが、ティナや付き合いの長い極少数だけは、カイトが怒りを堪えていた事を理解していた。やはりこういった場面でだけは、どうあっても自身の怒りを堪え切れない人間味が強く残っていた。
「お前が伝えたんだったな。娘は既に売られている、と。今頃どこぞの変態の慰み者になっているだろう、と。その時の記録もきちんと残っている。あの母親が死んだのは、お前の責任だ。」
その言葉に俊樹は嘲笑を浮かべる。
「そんなの、そいつが勝手に死んだんだろ?僕には関係ないじゃないか。」
彼が日本で捕まりそうになったのも、仲間と陵辱した女性が自殺した事が発端であった。それ故、彼は自殺した女性に怒りこそ感じているが、自身は悪くないと思っていたのだ。だが、この言葉についにソラが耐え切れなくなる。
「てめぇ!」
「待て!」
再度のカイトから制止に、ソラはカイトを睨む。話を聞いていて、相当頭に血が登っている様子だった。さっきまで彼の助命を嘆願した桜と瞬も何か言いたそうであったが、カイトが話を続けたので、黙っていた。
「まだ話は続いている。お前が他に東町へ行った面子をそそのかしたんだったな?冒険者たちは東町へ行っている、と。」
事実、彼以外にも何人かの冒険者や生徒達が密かに東町へと入っている事を、カイト達は確認している。とはいえ、お目付け役と一緒だったり、怖くなったりして途中で引き返していた。それ故に、お目付け役からの相談もあり、カイトも見逃していたのだ。だが、カイトにとって、彼がそこでしようとした事は、さすがに見過ごすことが出来なかった。
「……ちっ。学園内の出来事も把握してるのか……」
「はっ、オレを誰だと思ってやがる。まあ、教師陣はお前の事を途中で思い直したと本当に思っているがな。上手い手だ。東町に入るまでは一緒、そこからは一旦一人で別行動して、盗賊と合流。連れてきた奴らが東町に入った事を連絡して、後は直ぐに引き返して、怖くてはいれませんでした、か。居なくなったのはなぜかわかりません、って算段だったんだろうよ。」
そう、俊樹以外にも東町へ行った一年生は居たのだ。そして、他家の密偵に接触された者も居た。だが、彼等は誘いには乗らなかった。
これは俊樹達だけでなく接触を図った者達にも意外過ぎる事実であったが、カイト達には当然だった。なにせ、東町に入った時点で、安易な誘いに乗らない様に魔術が掛かる様に仕掛けを施していたのである。全て、彼らの手のひらの上であった。
「てめえに言っておいてやる。仲間そそのかした挙句、仲間売ろうとしてんじゃねえよ。」
怒気を滲ませ、俊樹少年にカイトが告げる。そうして、カイトは忘れていた事を付け足す。
「……さっきの娘ほか、お前の関わった盗賊達が売り払った娘達は全員無事に救出した。それを買った商人達は全て処罰済みだ。当然、お前が接触した密偵と盗賊達もな。」
言ってはいないが、他の盗賊に拐われた者についても、全員救出済みである。残っていた盗賊は全て討伐した。カイトが公爵として活動していた300年前に比べて圧倒的に治安が改善された現在では、生かして見せしめにする必要も殆ど無かったのだ。
「どうするつもりだ?あの娘はこれから孤児として生きていかねばならんぞ?お前にその罪が背負えるのか?」
ちなみに、その子供は公爵家で引き取る予定で、ユハラを筆頭に既に受け入れ体制を整えていた。
「僕の知ったことじゃないね。」
俊樹少年はぶっきらぼうに言い捨てるが、カイトとて別に彼に気にしてもらうつもりはなかった。ただ単に問い掛けただけだ。そうして、カイトは俊樹少年に告げたい事を告げたので、桜に向き直る。
「だが、お前が成した行動の結果だ……これで彼を救えば、彼女が救われまい。彼女の娘もまた、納得せんだろう。」
「……確かに、それでは閣下の沽券にも関わりましょう。我々も彼の罪を見逃せ、とは申しません。ただ、彼の死罪に猶予を、と申しているだけです。」
「ならば、何とする?」
本来ならばカイト側から終身刑か、無期刑を言い渡すつもりだったのだが、ここまでやったので、試しに桜に量刑を判断させることにする。カイトにとってこれは、彼の処刑の場を借りた試験であった。
「……終身刑か、無期刑ではどうでしょうか?」
カイトの想定通りに、桜が量刑を下した。カイトとしては、これに同意しない手はなかった。なので、更に意見の摺り合わせを行うのであった。
「妥当だな。それでは場所はどこにする?」
「一旦は生徒指導室にて軟禁で良いでしょう。その後は新たに新設する軟禁室にて軟禁するのが、妥当かと。」
軟禁室とは、今後生徒が外で罪を犯した者が出た場合に使用する予定の部屋である。要は牢獄だ。本来は窃盗などの軽犯罪の場合、天桜学園関連の情報漏洩の危険性から公爵家の有する牢獄に入れるわけにもいかない、との判断で使用する予定の部屋だった。
ちなみに当然だが、学園の誰も―カイトや桜と言った一部を除く―こんな重大犯罪を学生が起こすとは想定していなかった、というより想定したくなかった為、牢獄というよりも、自習室に近かった。
なお、公爵領外での犯罪の場合は、皇族に間に入ってもらって引き取る予定である。桜もカイトもまさか作る前から重罪での使用が決まるとは思っていなかったのだが、この場合は妥当であった。
「いいだろう。その代わり、彼の身柄は此方でも監視させてもらう。更には、そちらでも一人、監視の人員を置くことを要請する。」
要には相互に見張り合って逃げないように、逃がさないように監視する、ということであった。それに、桜も同意する。
「……分かりました。承りましょう。人員についてはまた、別に会談の機会を。」
「それでいいだろう。後は……そちらにも覚悟を決めてもらう。」
そう言ってカイトは瞬の方を向いた。
「先輩。<<刺殺魔槍>>は使えるな?」
「ああ。来い、<<刺殺魔槍>>。」
そう言って瞬は禍々しい槍を創り出した。カイトは呆気無く創り出した瞬に少しだけ驚愕する。殺す覚悟が出来るまで、もう少し掛かると思っていたのだ。
「……なかなかに悪くない出来だ。」
「そうか?お前に比べれば、まだまだに感じるが……」
「比べてもらっては困る。」
そう言って苦笑するカイト。まだまだ、覚悟と技術の領域では負けるつもりはなかった。
「それで?これがどうかしたのか?」
先ほどの議論で、俊樹を殺さない事が確定しているはずである。それ故に取り出したのだが、何故、創りださせたのか、理解が出来なかった。
「ああ、少しだけ貸してくれ。」
「うん?」
自分で創ればいいのではないか、そう思わないでもない瞬だが、取り敢えずはそのままカイトに渡した。
「これを少しだけ変更する。……これでいい。」
幾度か瞬の創り出した槍を改変して、カイトは瞬に槍を返した。見た目は変わっておらず、瞬にはカイトが何をしたのか、わからなかった。
「それは条件付きで発動するように変更した<<刺殺魔槍>>だ。先輩にはそれで俊樹を指してもらう。」
「それでは死ぬだろう。」
「ああ、だから、条件を少しだけ設定した。その槍の発動条件は、指定場所からの逃亡。指定した場所は軟禁室と生徒指導室。除外条件は避難時と調書時。それ以外に外に出れば、その槍が発動する様に設定した。」
瞬にこれを確かめることは出来ない。カイトを信用するしか無かった。そして、カイトの意図を察した瞬が、彼に問い掛ける。
「……つまりは、逃亡しない保証を此方でやれと?何故俺なんだ?」
「この交渉の発起人は先輩だからだ。それに、此方の刑罰はすでに決定している。それを今回だけと嘆願し、減刑させたのはそちらの都合だ。ならば、この期に及んで逃げたなら、そちらでそれ相応の重罰を与えて貰う必要がある。そちらが逃がさない、と担保してもらう必要がある事ぐらいはわかるだろう?それとも、桜に負担を負わせるか?」
その言葉に瞬は少しだけ考えこむ。要は、これが最後の慈悲であり、特例であるということを他の生徒にもわからせろ、ということであった。
そして、天桜学園側でも、こういった犯罪を許さない、ということを態度で示す必要があった。そのために、トップの一人である瞬にやらせるのである。
彼でなければならないのは、とどのつまり彼が学園で最も信望がある者の一人であり、この場で生徒の中で最も感情に流されていないからだ。異論や議論は呼ぶだろうが、此方に来てから彼に施された教育から、この重要性は理解できた。
「ソラもそれでいいか?」
この中で一番俊樹の助命に反対していたソラに対してカイトが問いかける。それに対してソラは不承不承という感じではあるが、納得する。
今直ぐにでも殺せるなら、殺したい。そんな感情が滲み出ていたが、それでも、罪と罰と考え、なんとか抑え込んだ。
「……ああ。」
それを受けて瞬は心を決めた。
「……わかった。」
少しの沈黙の後、瞬は槍を構える。そうして覚えたばかりの殺気を纏う。
「<<刺殺魔槍>>。」
「ぐっ……」
小さく、溢れる様な一声と共に、元々禍々しい槍が更に禍々しい赤黒い光を帯びる。そうして瞬は槍を俊樹に突き刺した。
だが、血の花が咲く事は無かった。槍は俊樹少年のくぐもった呻き声と共に彼の胸の中に吸い込まれていき、そうして、俊樹少年は気絶する。痛みはなかったが、槍の術式が彼の身体と同期するため、一時的に彼の意識を奪ったのである。
「連れて行け。」
カイトがそう命じると、配下の隊員が俊樹少年を学園へと連行していった。それで、全てが終わりだった。
「では、オレ達も戻るぞ。」
後味の悪い思いをする一同を背に、カイトとティナは姿を元の高校生の状態に戻した。そうして、一同は元に戻ったカイトを先頭に、ゆっくりと学園へと戻っていった。
お読み頂き有難う御座いました。