第120話 勘違い
喉が渇いた、とのたまう皐月の希望を聞いて、神楽坂三姉妹を公爵邸の自室へと招き入れたカイト。とりあえず、いつも通り自室の椅子に腰掛け、更には皐月達にも適当に腰掛ける様に指示する。
「すぐに誰か来るだろう。それまで自由に腰掛けておいてくれ……と、フィーネか。」
中に入って窓の方を見ると、クズハお付のフィーネが窓を拭いていた。
「あら、ご主人様。お帰りなさいませ。」
「ああ、ちょっと喉が渇いたから帰った。クズハの方はいいのか?」
現在クズハは桜らと会談中のはずである。いつもなら、お付きとして側に控えているのが通例だった。
「ええ、今日は指揮下のメイドが側に控えています。訓練の一環です。それで、そちらは?」
そう言ってカイトと一緒に部屋に入ってきた皐月達について質問する。
「ん?ああ、オレの友人だ。」
「……そうですか。では、お飲み物をお持ちいたします。」
何故か微妙な間を開けてそう言ったフィーネは、一礼するとそそくさと退出していった。カイトは少しブルリ、と身震いするが、気のせいと流した。
「今のって、エルフ?それにしちゃ、胸大きすぎ?」
「エルフが貧乳だなんて、フィクションでしょう。某作品の影響でしょうからね。」
皐月がフィーネを見て、首を傾げる。彼女もやはり、エルフを貧乳だと思い込んでいた。実は二人共エルフには同じ所からのイメージが大きい。かなり古い作品のヒロインが貧乳のエルフであったからだ。恐らくそれがカイト達の勝手なエルフのイメージにつながったのだろう。
「……メイドで巨乳……パッド疑惑?エルフだしやっぱり貧乳じゃない?」
弥生が考えこみながら、そう言う。それに皐月がふと見ただけの外見から、きっちりと豊満な胸による谷間が出来ていた事に気付いていたので、反論が入った。
「彼女の場合普通に谷間出来てるけど。」
「あら……そういえばメイド服なのに胸元が見えていたわね……カイトの趣味?」
「……ノーコメント。」
カイトは弥生の質問に答えない。
一方その頃、飲み物を持ってくると言ったフィーネは厨房に居た。
「ユハラ、飲み物をご主人様の部屋に持って行って。」
「あらら?ご主人様おかえりでした?」
この時間には珍しくカイトの自室に飲み物を持っていくように頼まれたユハラが事情を理解した。
「ええ……可愛い女の子を連れ帰っておいでです。」
「……へぇー。」
そう言って眼で会話する二人。二人の古参のメイドには、それで通じるだけの付き合いがあった。
「じゃあ、私がご主人様にお飲み物をお持ちいたしますねー。」
ユハラはそう言うや、即座にてきぱきと満面の笑みで飲み物を用意し始める。
「ええ、お願い。私はクズハ様にお伝えします。あなたは……」
「ご主人様のお相手ですねー。」
にゃははー、と楽しそうに笑うユハラ。要には逃げないように見張っておく、ということである。なにげに、彼女の周囲に漂い始めている魔力はうっすらと可視化し始めるほどで、かなりの威圧感を伴っていた。
「じゃあ、行ってきますねー。」
「では、後をお願いしますよ。」
二人はそう言って後を厨房の従者達に任せ、厨房を後にする。そうして、入れ違いに厨房に入ろうとしていたメイド達が挨拶しようとして、二人の様子を見て、思わずやめる。
「ちょっと、誰よ!メイド長もフィーネ様もカンカンよ!」
「知らないわよ!」
この情報はすぐに公爵家メイド陣に伝わり、この日一日は全メイドと執事の仕事がいつも以上に丁寧なものになったと言う。
「さて、失礼しますねー。」
そう言ってカイトの自室に入るユハラ。そこにはフィーネの情報に違わず三人の美少女―だが、二人は男だ。―が座ってカイト、ユリィと楽しそうに雑談していた。
「ああ、ユハラか。ありがとう。」
「はーい。で、ご主人様。真っ昼間から女の子連れ込むとかいい根性してますねぇ。」
「いきなりだな!」
「何か弁明は?」
ユハラの言葉にブオン、と風音が響きそうな程の勢いで振り向いたカイト。そこにあったユハラの顔には笑顔を浮かんでいるが、眼が全く笑っていない。能面のような張り付いた笑顔であった。
「前に言った事あるだろ?幼馴染の皐月とその姉弟だ。」
そう言ってカイトが紹介する。
「ええ、聞いたことありますよー?確か男の子でしたよね?」
「ああ、だから男だ。」
「騙されませんよー?どう見ても女の子ですよね?」
ぴくぴく、と頬を引き攣らせるユハラだが、カイトはなにげにこういうことで嘘を吐いたことは無い。が、皐月と睦月はどう見ても女の子なので、信用されていない。
「……おい、皐月。自己紹介してくれ。」
「初めまして。カイトの幼馴染の神楽坂皐月です。」
皐月はカイトの言葉に応じるが、あえて男とも女とも言わない。状況を楽しんでいた。
「姉の弥生よ。」
「弟の睦月です。」
と、睦月が弟と言ったのだが、それを受けてユハラは冗談だと思ったらしい。
「もう、ダメですよー?そんなに可愛いんだから、もっと自分に自信を持たないとー。」
ユハラはニコニコと笑って睦月をコツン、と優しく頭を小突く。小さい子の面倒を見ているからか、こうやって優しく小突く癖が突いたらしい。
「いえ、あの……僕、本当に男なんです。」
「またまたー。だってそんなに可愛いんですよー?」
あははー、と笑うユハラ。相変わらず信じようとしない。
「本当なんですよ……」
尚も信じようとしないユハラに、睦月は遂に泣きそうになる。段々と目端に涙が溜まっていく様子を見たユハラが、ようやく本当に男だと悟ったらしい。急激に青ざめていく。
「あれ?ホント?」
「あははっ!あ、私も男です!」
皐月がその様子を見て、楽しげに手を挙げる。
「えぇー!」
そうしてカイトが事情を話そうとした次の瞬間、部屋の扉が勢い良く開くと、そこには夜叉が三人ほど立っていた。
少し時は遡り、フィーネがクズハと桜達の会談している部屋の前へと辿り着いた。ノックして部屋の中のクズハに許可を求める。
「クズハ様。フィーネです。取り急ぎお伝えしたいことが有ります。」
すると中からすぐに答えが帰ってきた。
「申し訳ありません。少々お待ちを……入りなさい。」
許可が出たので、ドアを開けて、優雅に一礼して中に入る。そしてすぐにクズハの側に近づき、腰を屈めてクズハの耳元に口を寄せる。
「ご主人様がご帰宅されました……美人の女性をお三方連れておいでです。かなり親しげなご様子。」
その言葉を聞いた瞬間、クズハの表情が変わり、今までの公爵代行としてのそれではなく、男の浮気を見つけた女の表情となった。
「桜さんにもお伝えなさい。」
「はい。」
そうして桜の耳元で同じことを言うフィーネ。次の瞬間、桜の表情が凍り付く。そうして眼で会話する三人。いきなりの停滞に、周囲の文化部の部長達は何が起こったのか、と不安げである。
ちなみに、二人共フィーネが親しげに、という言葉を付けなければ、このように会議中に目くじらを立てる事は無い。今日は単なる顔見せで、しかも二人共見知った間柄だ。だからこそ、このような対応が許されたのである。
「どうしたの?」
いきなり変わった親友の様子を不審に思った楓が桜に問いかける。が、桜が答えるその前に、クズハが口を開いた。
「……桜さん、会談が始まってから幾ばくか時間が過ぎましたけど、そろそろお疲れではありませんか?」
一見すると、柔らかな表情を浮かべ相手を気遣っているだけのクズハであるが、よく見ると周囲に魔力が放出されていた。
「ええ、そうですね。そろそろ一旦休憩をとってもいいかも知れませんね。」
こちらも同じく一見するとやわらかな表情を浮かべている桜。しかし、その頬は若干引き攣っていた。その上、手に持ったティーカップが小刻みに震えていた。
「でしたら、一旦ご休憩になられては?本日は幸いにしてクズハ様もこの会談以外にご予定がありません。天道様、申し訳ありませんが、クズハ様も少々お色直しのお時間を頂いてもよろしいでしょうか?」
こちらは一件いつものポーカーフェイスのフィーネ。ただし、漂うオーラがいつものように静謐としたものではなく、どこか、威圧的だ。
「ええ。私も本日はクズハ様との会談以外に予定がありませんので……皆さんもそれでいいですね?」
桜は出席者達を見渡し、楓や部長達に同意を求める。そこには有無を言わせぬ迫力があった。なので、全員無言で頷くしか無かった。
「ありがとうございます。では、少々失礼致します。」
柔和―には見える―笑みを浮かべ、クズハが席を立つ。それに合わせて、フィーネが頭を下げた。
「では、すぐに給仕の者が参りますので、少々お待ちください……すぐに給仕の用意を。」
そうしてフィーネはクズハに従って歩き始め、部屋の去り際にクズハのお付きをしていたメイドに有無を言わせず給仕の用意をさせる。命ぜられたメイドは言葉もなく、ただコクコクと頷くだけだった。
「ああ、フィーネさん。少々案内していただきたいのですが……」
「あ、ちょっと桜!」
桜はフィーネについて出ていき、そのまま三人は連れ立って部屋を後にしようとする。呆気に取られていた楓や部長達だったが、楓が急いで桜の後を追って部屋を出る。すると外では三人が魔力をまき散らしていた。
「……さて、お兄様は何方ですか?」
「ご自分のお部屋で只今歓談中のはずです。先にユハラを向かわせました。」
「急ぎましょう。カイト君の事だから、すでに手を出している可能性もあります。」
三人共、女性関係においてのみ、カイトの信用は殆どゼロだった。カイトの場合、確かに自分から口説いてはいないのだが、何故か状況がそうさせてしまっているのである。それをよく聞かされている桜と、よく知る二人は大いに怒っていたのである。
「ちょっと、桜。どういうこと?さっきの連絡は何だったの?」
「え?ああ、楓ちゃん。ちょっと上にカイト君が来ているんです。」
「ええ。では、桜ちゃん。行きましょう。」
言葉少なげに楓の質問に答えた桜だが、クズハが先を急かしたので頷いて、かなりの速度で歩き始める。ちなみに、淑女教育の結果からか、二人共走っては居ない。あくまで、優雅に、お淑やかに物凄い速度で歩いている。
「はい。」
「私は部屋に入ってすぐに結界を張る準備をしておきます。」
そうして歩き始めた二人の後を歩くフィーネが告げた言葉に二人は頷くが、話の筋が見えず置いてきぼりを食らった楓がきょとんとしていた。
「え?え?」
何が起こっているのか分からないが、このまま桜を放っておくわけにもいかず、楓はこのままカイトの所に行くことにする。ちなみに、桜とクズハは楓が付いて来ている事に気付かなかった。そうしてカイトの部屋の前まで辿り着きクズハが勢い良くドアを開けた。
「お兄様!こんな真っ昼間から女性を連れ込むとは何事ですか!」
「カイト君?少しお話しましょうか?」
最後尾のフィーネは無言でドアを施錠。更に結界を張って誰も出れなくする。その様子を見たユハラが即座に状況を理解。そして、桜も中に居たのが皐月達と知って状況を理解して、思わずあ、と小さく声を漏らした。
「あら?皐月?それと、皐月のお姉さん。お久しぶりです。」
「あ、楓。やほー。」
「あら、楓ちゃん。久しぶり。」
桜達と一緒に部屋に入った楓だが、そこに皐月と弥生が居るのを見て、一応挨拶をしておく。そうして、同じく3人の姿に気付いた桜が、おずおずとクズハに声を掛ける。
「……クズハさん。」
「はい?」
クズハはいきなりトーンダウンした桜を疑問に訝しみ、後を振り向く。そこで見たのは、かなり気まずそうな桜の顔だ。そうして主人の訝しんだ表情を見たフィーネが桜の表情に気付き、同じように訝しむ。
「ん?ああ、クズハと桜も来たのか……と、いい機会だ。自己紹介しておいてくれ。」
そう言ってカイトは皐月達に自己紹介するようクズハに言う。
「オレの義妹のクズハだ。隣はクズハの専属メイドでフィーネ。クズハはハイ・エルフで、フィーネはエルフ。こっちはオレの幼馴染の神楽坂皐月とその姉弟の弥生さんと睦月だ。」
「初めまして!カイトの幼馴染の皐月です!ちなみに、こう見えて男です!」
「その姉の弥生よ。」
「弟の睦月です。」
今回は皐月も男とカミングアウトしたのだが、クズハとフィーネはどう見ても女の子な皐月と睦月に呆然とする。
「えーと、お兄様。何の冗談ですか?」
「クズハ様、冗談じゃ無いらしいんですよー。」
先に同じ失態を犯しているユハラが、かなり気まずそうにそう言う。そして、カイトが事情を説明し始める。
「な、なるほど……申し訳ありませんでした、お兄様。」
「あ、あはははー、まさかこんな可愛い男の子が居るなんて思っていませんでしたねー。」
「……世界は広いですね。いえ、この場合は異世界になるんでしょうか。」
三人して皐月と睦月を女の子を間違えた事を謝罪した後、事情を聞いて苦笑するしか無かった。
「改めて、初めまして。私はお兄様の義妹のクズハです。いつも義兄がお世話になっております。」
「クズハ様専属メイドのフィーネです。」
「公爵家にてメイド長をやっています、ユハラですよ。」
三者三様に自己紹介を行ったことで、カイトが取り敢えず4人が来た理由を尋ねた。
「で、どうしたんだ?会談が終わったのか?」
「ううん。フィーネさんがクズハさんと桜に何かを言ったら、いきなり休憩に入る事になって、今に至る。」
楓にそう言われたことで、勘違いした4人が照れた表情をする。
「も、申し訳ありません。」
「ごめんなさい。」
桜とクズハはそう言って楓に謝罪する。
「まあ、いいんじゃない?誰にもバレてないんだし……にしても、桜、変わったわね。」
「そう……でしょうか?」
「少し前なら、こんな風に突っ走ったりすること無かったもの。」
良くも悪くも恋は人を変える、ということなのか、と思う楓。桜の方は苦笑いを浮かべるしか無かった。
「もしかして、会談を中断したのか?」
コクンと頷く二人。
「はぁ……お前らなあ……」
そう言って説教を開始しようとしたカイトだが、会談中だということに気づいてやめる。
「取り敢えずは何も言わないから、さっさと戻れ。フィーネも補佐を頼む。」
「……はい。」
そう言って3人は仕事に戻っていった。ユハラはそのままカイト達の給仕を行うらしい。
「……さて、何を話していたんだっけ?」
「さぁ……」
先の騒動ですっかり何を話していたのか忘れてしまった。
「でしたら、折角ですから向こうでのご主人様の様子などを聞きたいですよー。」
どうせなら、と今まで聞けなかったカイトの地球での生活などに興味を示したユハラ。そうしてその後、地球でのカイトの生活を話し、その日一日の残り時間は全て公爵邸で過ごすことになった。
お読み頂き有難う御座いました。