第117話 閑話―ある執事の憂鬱―
このお話は本編ではありません。もし13時以降に初めて開かれた方は、そちらを先にお読み下さい。
カイト達が地球の神々や弥生の一件の話をしていたその日の夜。レーメス伯爵領でも比較的治安の良い伯爵が起居する都市にある高級料亭の、特に重要な人物だけが使用できる一室に、二人の男が机を挟んで相対していた。片方は以前ユリィからレーメス伯爵宛てに伝言を受け取った魔物使いの冒険者で、もう片方は彼よりも二回り程年上の年老いた―決して枯れた等ではない―執事服の男であった。
「そろそろ俺もここから旅立ちたいんだがな。俺にも目的があるんだが?」
冒険者の男が、そう不機嫌そうな雰囲気を漂わせて告げる。
「申し訳ありません。急にお呼び立てしまして。」
相手の男は50代も半ばを過ぎた所と言った感じだ。着ている服は上等な布で作られた燕尾服。立ち振舞いが洗練されており、品の良さがにじみ出た老人だった。
「で、レーメス伯爵の執事長が俺なんかに何の用だ?さすがに今から長期の依頼を受けてやるつもりはないぞ。」
男としては、これ以上伯爵が馬鹿を犯す前に立ち去るつもりだったのだが、曲がりなりにも前の雇い先の執事長から直々に呼び出されては行かざるを得なかった。
「情報を売っていただきたいのです。」
老執事はそう言うとポケットから小袋を取り出す。机に置いた瞬間重そうな音がしたことから、かなり入っているのだろう。少しだけ開いた口からは何枚もの金貨が見て取れた。それに、男が眉を顰めて立ち上がった。別に情報屋の真似事をする趣味は無かったし、本職もいるのだ。老執事の立場からすれば、安易に手に入るはずなのだ。それで尚、自分に問い掛ける意味がわからなかった。
「情報か……そんなもの情報屋にでも聞けばいい。」
「いえ、彼らではダメでした。そもそも、情報そのものが入手できていない様子です。それを知っている少数の一人が、あなたなのですよ。」
「何?」
少しだけ溜め息を吐いた老執事の様子に、男が再び席に着く。情報屋さえも知りえず、極少数のみが知り得るはずの情報を自分が知っていると聞かされ、男も興味が湧いたのだ。
「この間の伯爵様の暴走の一件ではあなたも討伐に参加されたご様子。」
確認するように老執事が男を見る。男はそれに頷いた。別に隠す必要のあった事ではなかったからだ。
「ああ。俺としてもブラッド・オーガの状況を確認したかったからな。」
「ええ。そのブラッド・オーガを討伐したという男についてなのです。」
「ん?それが何故情報屋でもつかめていないんだ?アレほどの圧倒的な力量の持ち主ならば、さぞ有名だったんだろう?」
男が訝しむ。男は興味がなかったので調べてなかったのだが、あの一帯でも最高クラスの冒険者であるオリヴィエよりも力量が上であるように見えた。それほどの力量ならば、有名であってもおかしくはなかったのだ。男の方はすぐに調べがつくだろう、という予測があったのである。
「いえ、あのブラッド・オーガ討伐はオリヴィエらの手柄となっております。これはマクダウェル家とユニオン支部の連名で発表されています。おまけにあなた以外の冒険者にはあの時の状況については箝口令が敷かれているのですよ。まあ、此方については拐われていた者を考えれば仕方がないでしょう。」
執事の言葉から、男も状況を把握する。この男だけは、即座に公爵領から脱出したので箝口令を免れたのであった。
「何?……ふむ。残って調べるべきだったか……」
ブラッド・オーガさえ限定された状況で瞬殺してみせた冒険者である。それを公爵家が隠すほどの存在となれば、俄然興味が湧いた。とはいえ、今の彼は公爵家から警戒されているので、公爵領に立ち入ることは出来なかった。それに、男は少しだけ残念そうに頭を振る。
「それであなたにお話を伺おうかと。」
「なるほど、いいだろう。」
そうして男は見た事聞いたことを語るのだった。
男が全てを話し終え、老執事がいくつか質問した後、老執事は確認をとった。
「分かりました。件の冒険者の名前はカイト、と言うのですね?」
「友人といっていた少年がそう答えたからな。嘘を言っている様には見えなかった。さすがに苗字の方はわからん。」
「ありがとうございます……異世界からの転移者で圧倒的な強さを持つ少年ですか。しかも、フェリシア様までご一緒とは……」
老執事は顎を撫でながら考えこむ。顔にはかなり苦渋が浮かんでいた。
「後は金髪の女性と、神狼族の女性。此方は名前もわからないのですね?」
「ああ。だが……少なくともあの面々だけは圧倒的だな。金髪の女とあの男……あの二人が龍種だと言っても、俺は信じる。少なくとも俺では手も足もでないだろう。当分は公爵家からは手を引くのが賢い選択だな。」
上等な酒を煽りながらそう言う男だが、それを聞いた老執事は深く溜め息を吐いた。
「……やはり、また馬鹿を考えているか。」
そう聞かれた老執事は何も答えないが、先の深い溜め息こそが答えであった。
「ありがとうござます。これは情報料です。」
そう言って老執事は男へと先ほどの小袋を渡す。
「受け取った。では、俺はこれでこの地を後にするぞ?」
男はそう言って今度こそ席を立った。男に合わせて老執事も席を立ち、立ち去ろうとする男へと一礼する。
「ええ、お時間を取らせました。またお会いできる事を楽しみにしております。」
「ふむ、あの伯爵の馬鹿が治ったなら、考えよう。」
社交辞令としても不適切なものだったが、別にこの老執事には馬鹿な主に奉仕する彼に憐れみこそ抱けども敵意は無い為、男は少しだけ冗談めかして笑って、立ち去った。
「これをお伝えして伯爵様が考えを改めて頂ければ良いのですが……。」
そうして、老執事は一人になった部屋でそう呟く。そう、今回の一件は老執事の独断であった。当のレーメス伯爵は公爵家の発表を鵜呑みにして、オリヴィエ達が立ち去った今こそチャンス、と意気込んでいたのである。そんな出来の悪い自身の主に頭を抱えた彼は、独自に動いたのであった。
「誰か居ますか?」
老執事がそう言うと、老執事の手勢の中でも筆頭の者が音もなく現れる。
「はい、ここに。」
「今の話は聞いていましたね?私はこれから伯爵様に謁見を求めてきますが、あなた達は公爵家を刺激しないこと。もし伯爵様が何かを命じたならば、それとなくはぐらかしなさい。」
老執事は現伯爵の祖父の代から伯爵家に仕えており、父の代からは裏の手勢は彼に統率が任せられていた。現伯爵の元では一部のまともな部下達への抑えとして、そのままの地位が保証されていたのだ。が、当然のごとく、当の伯爵からは生真面目なカラト同様に疎まれていたのである。
「御意に。」
そうして、頭を下げて指示を受け入れた手勢の者達を引き連れ、老いた執事は伯爵邸へと向かうのであった。
「ふん、所詮は冒険者の戯言じゃろう。高い金を払って、嘘を教えられただけではないのか?」
「いえ、彼は嘘を言っている様子はありませんでした。また、嘘をつく理由もありません。」
伝えた情報の殆どを信じていないレーメス伯爵の問い掛けを、老執事は否定した。普段はレーメス伯爵に疎まれている老執事だが、裏方も取り仕切る立場である以上、伯爵としてもそう無下には出来ない。更には火急の連絡と奏上したため、なんとかレーメス伯爵へと謁見できたのであった。
「ですので、伯爵閣下。何もなさいませんよう。」
「はぁ……何度言えばわかる。マクダウェル家には何もしておらぬわ。いらぬ心配じゃて。」
「ですが……」
尚も食い下がる老執事に、遂にレーメス伯爵が怒号を飛ばした。ちなみに、伯爵もこの老執事に自分がしていることがバレているとは思っていない。ただ、彼があまり諫言を言わないのを良いことに、嘘を言っているだけだ。
「くどい!……いや、すまん。まあ、お主は今は亡き儂の父上から余の事を頼まれておるから心配なのはわかる。じゃが、ここ当分は働き過ぎじゃったな……おお、そういえばカラトが戻ってきておる。丁度あ奴には領内の盗賊どもの討伐を命じたところじゃて。お主もそれに参謀として同行せよ。なに、実務は担当せんでよい。任務の終了地は東部の温泉街としておる。あ奴にも言ったが、任務終了後は当分の間は温泉にでも浸かって激務の疲れを癒やすが良い。余もお主ら二人には負担を掛けておるからな。この程度はさせてくれてもよかろう。」
「は……」
有無を言わせぬ伯爵の言葉に、老執事は歳相応の覇気の無さで頭を下げた。表向きは領内で横行する盗賊の討伐と激務をこなす部下への慰問であるが、体の良い厄介払いである。そうして退出を命じられた老執事が準備を終えてカラトの元へと行くと、丁度カラトも出立の準備をしている所だった。
「これはキーエス執事長ではありませんか。どうされました?」
二人は伯爵家の未来を憂う者として、年の離れた友人のようであった。なので、カラトは老執事を笑って部屋に迎え入れた。
「ええ、今しがたカラト殿と同行するように命ぜられました。」
「ご老体には領内を巡るのは厳しいでしょうに。」
何が起きたのか理解したカラトだが、気落ちしていた執事長を見て冗談めかしてそう言う。
「そこまでは老いていませんよ。これでも元はぼっちゃんの武術もみておりましたからな。今でも鍛錬はしております。」
らしくない冗談を受けた執事長は気を取り直して、彼と得た情報を共有する。この情報共有では、老執事には更に有益な情報が得られた。
「なんと!……あのカイト君がそこまでの実力を有していたとは……しかも隣にいた妖精はフェリシア様でしたか……」
「ご存知なのですか?」
カイトの話を聞いたカラトが公爵領で会った少年の事を思い出し、驚いていた。
「ええ、先ほどまで先頃の一件で私は公爵領に居たのですが……その時街道沿いで魔物に襲われていた商人を救助したまでは良かったのですが、その際に商人が荷物を落としまして。それを預かっていたのです。そして、彼が率いるパーティがそれを回収する依頼を受けたらしいのです。その時に偶然会うことがありました。」
当時を思い出しながら、カラトは少しだけ笑みを浮かべて語る。
「ずいぶんと礼儀正しい少年たちだと思っていたのですが……そうですか、異世界からの……。」
カラトは帰還して執事長の話を聞くまで異世界の来訪者について知らなかった。いや、それ以前に、今なお貴族の者でさえ、多くが知らない。未だに天桜学園の存在は皇国上層部によって隠されていたのである。
彼らが異世界からの来訪者ならば、カラトには礼儀正しいのにも納得ができたらしい。まあ、実はこれは勇者の出身地として日本についてを美化しているが故なのだが、それを指摘する者はここには居ない。
「彼らに害が及ばなければ良いのですが……伯爵様はそうは望んでおられないのでしょうね……」
遠目にだが、和気藹々といった感じで去っていった彼らを思い、カラトはそう祈らずには居られなかった。そうして、二人は部下の準備を整える様に命を下す。
「では、参りますか。」
「ええ。」
そうして出立した彼らが再び伯爵邸に戻ってくるのは予定よりも早くなるのだが、今の彼らには知りようが無かった。
お読み頂き有難う御座いました。