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うちの娘の為ならば、俺はもしかしたら魔王も倒せるかもしれない 。 作者:CHIROLU
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前日譚。壱、導師、紫の姫巫女と出会う。

過去編となります。しばらくは『娘』の両親の話です。
 魔人族には、人間族のような家名は無い。元より『婚姻』という習慣がなく、母系社会を基盤として暮らしている魔人族の家族形態は、他の人族とは大きく異なる。母親の名を取り、『某の子』と呼ばれることで表されるものであった。
 同じ母親から生まれた兄弟であっても、父親が同じであることは少なく、人間族ならば親子程の歳が離れていても珍しくは無い。
 それは、やはり幼年期と老年期は人間族と同等の期間でありながら、成人期をその数倍の期間有しているという、種族の特性が影響していた。子を成せる期間が長く、実年齢の差があまり大きく関わってこないのである。

 そして、『一の魔王』とその眷属、及び『紫の神(バナフセギ)の神殿』が統治機構を維持し、人びとは百年前から変わらない営みを綿々と紡いでいる社会。
 ヴァスィリオとは、そんな国だった。

 ヴァスィリオは、同名の都を中心にして、小規模の町や村が点在していた。王が座する土地であり、治世を行う『紫の神(バナフセギ)の神殿』がある都は、唯一にして最大の都市である。

「導師」
 整然と清められたその街並みの片隅で、そう呼び止められた若い男性は足を止めて声の主を見た。
 珍しい白金の色の髪が揺れる。黒い角は男性にしては小振りで、雄々しい猛々しさはない。穏やかな性質の彼の人柄を表しているかのようだった。
「アスピダかい。久しぶりだね」
「ご無沙汰致しております」
 呼び止めた青年と、導師という尊称を以て呼び止められた男性に、外見上の年齢差は見られない。だが、頭部に一対の角を戴く彼等魔人族は、若い期間を長く有する種族故に、見た目だけで二人の年齢差を計ることは不可能になっていた。
「本当に久しぶりだね。君を教えていたのは……もう二十年は前になるのかな?」
「はい。導師も壮健そうで何よりです」
「そう言えるほど、丈夫でないことも、相変わらずだよ」
 穏やかな笑みと優しい翠の眸は、外見の線の細さも相まって、威圧的なものが感じられることはない。だが、アスピダと呼ばれた青年の、相手を尊重している様子が崩されることはなかった。

「神殿の勤めは順調なのかな?」
「そのことで……導師にご相談が」
 表情を曇らせた教え子の姿に、導師--スマラグディは、近くにある己の住処へと彼を誘ったのだった。

 神殿から距離が離れた、ヴァスィリオにおける下町にあたる区域に、スマラグディの住居はあった。
 日干し煉瓦を積んで作られた、飾り気のない一般的な住居である。室内も殺風景なほどに、必要最低限の家具しか設えてられていない。それでも、この国の男性としては、ごく普通の暮らしぶりと言えるだろう。
 乾いた気候のこの土地は、日が遮られたところに風が通るだけでだいぶ体感気温が下がる。
 水差しから各々の前に置かれた器に注がれた水は、まだ冷たさを保っていて、街の各地に設えられている給水場から汲まれたものでないことが伺われた。

「それで……相談とは何かな」
「今神殿で、姫巫女と呼ばれている神官のことはご存知ですか?」
 アスピダの問いかけに、スマラグディは少し首を傾げた。
「まだ年若い女神官のことだろう? 稀代の『加護』持つ神官だと、市井にも噂は聞こえてきているけれど……彼女がどうかしたのかい?」
「実は、導師に、彼女の教師役を勤めて頂けないかと思いまして……」
 アスピダの言葉に、スマラグディの顔に更に疑問の色が浮かぶ。
 ヴァスィリオにおける神殿とは、信仰の場であると共に行政機関のトップでもある。そこに在籍する神官は優秀な者が数多い。わざわざ市井に暮らすスマラグディを招集する必要が見出だせない。

「不思議に思われるのも、仕方がないかと存じます」
 スマラグディの疑問は想定内のものであるようで、アスピダは説明の為の言葉を継いだ。
「神殿で、若い女神官たちに魔法学の教師役を勤めてきたのは、グノスィ女史なのですが……現在姫巫女は、同性である女性相手に、恐怖を抱く心理状態となっているのです」
 アスピダの言葉に、スマラグディの眉が少し動いた。異性ならばともかく、同性に恐怖心を抱くというのは、理由が直ぐには浮かばない。
「だからといって異性で教師役が勤められる者は……外見が少々厳ついものが多く……若い姫巫女が、萎縮してしまうだろうと……任せることが出来ない状況です」
「君では勤まらないのかな?」
 アスピダの外見は、男らしいものではあるが、厳めしいというほどではない。スマラグディの質問に彼は微かに首を横に振った。
「グノスィ女史を姫巫女が拒絶するようになって以降、自分たち、魔法学を修めた者が教える役を担ってはいるのですが、正直、荷が重い状況です」
 その返答には、スマラグディは少々驚いた顔をする。
 自分の教え子の能力は、彼はよく知っていた。アスピダの能力があれば、教師役も充分勤まるようにも思える。

 他国では教職の大多数を占める『黄の神(アスファル)』の神官であるが、ヴァスィリオでもその傾向は強いものとなっている。
 とはいえスマラグディには『黄の神(アスファル)』の加護はなく、彼は通常の意味の『教師』ではない。『魔法学』と呼ばれている、魔法を使う為の基礎学習や魔力を操る術、それらの精度をより高めるコントロール術を教えていた。魔法に於けるトレーナーというべき職務を負っているのだった。
 魔人族の社会では、魔法は日々の生活に非常に密接したものになっている。強い魔力を持つ者に対しては適切なコントロール術を。弱い魔力しか持たない者であれば、より効率良く使えるように精緻な技術を--と、求めるのは無理からぬことであった。

「そこで……導師でしたなら、能力も人格も申し分なく、穏やかなお人柄で姫巫女を怯えさせることもないのではないかと……上に提案した次第であります。考えて頂けませんか」
 確かにスマラグディは、穏やかな気性であり、あまり丈夫でない体質も相まって、外見も厳めしさからはほど遠い。
 
「……何があった? アスピダ」
 ぴしりと告げた声には、眼前のアスピダの姿勢を正させる気配がこめられている。
 ひたすらに甘く優しいだけでは、『導師』と尊称で呼ばれるまでの教育者にはなれる筈がない。どれだけ穏やかな質であっても、自らの芯を揺るがされぬ強さもまた、スマラグディは有していた。
 アスピダも、そのことはよく知っていた。
「神殿の奥に秘匿された『姫巫女』から、異性を遠ざけようとするのならばともかく……異性のみとしか相対出来ず、更にはそれを、周囲が認めているというのは、明らかにおかしい」
 更に問い質したスマラグディの言葉に、アスピダは必要以上に事実を隠蔽しようとは思わなかった。
 少し躊躇する様子こそ見せたが、アスピダは低い声で現状を語る。

「姫巫女は……先日、『二の魔王』に襲われたのです」

 微かに、スマラグディは息を呑んだ。
 先のこの国の君主『一の魔王』を惨殺した快楽殺人者たる魔王のことは、彼もよく知っていた。
「姫巫女は無傷でしたが……彼女の眼前で、同じ歳の頃の幼子が一人、惨殺されました……」
「それは……」
 眼前で見知った者が殺された。それだけでも心に傷を負うには充分な出来事だろう。それに加えて、恐怖を体現したかのような存在と、年若い身で相対することがどれだけ心に負担を掛けるのか、考えるまでもないことだった。教育者として今まで数多くの幼子たちと接してきたスマラグディは、彼女を想って胸を痛めた。

「『二の魔王』は……若い女の姿をしているそうです」
「それで……」
「反射的に『二の魔王』のことを思い出してしまわれるのでしょう。姫巫女は己からは何も仰ろうとはされませんが……だからこそ一層痛々しいのです……」

 いくら教え子の推薦といえども、市井に暮らす自分を、神殿の奥に簡単に通すとは思えない。
 そう思っていたスマラグディは、後日アスピダに伴われてとはいえ、ヴァスィリオの中枢たる『紫の神(バナフセギ)』の大神殿の中に簡単に通されたことに率直に驚いた。
 街の人びとが参拝することが許されている区画とは、明らかに異なる奥の院へと通される。幾つもの建物が築かれ、幾重もの区画に別れている神殿の内部は、奥に行くに従い警備も厳重となり、何処か浮世と離れた雰囲気が感じられた。

 そこに、彼女はいた。
 まだ少女と呼ぶべき、年若い女性だった。
 だが、その黄金色の眸は、世の全ての絶望を見通してしまったかのように、諦観のような気配を宿している。外見通りの幼さを、何処かに忘れてきてしまったかのような印象を受けた。
 長く真っ直ぐな髪は、くすみの全くない鮮やかな紫の色をしていた。
 説明など必要なかった。神を表す色である紫を、これほどまで美しく発現させた彼女こそ、『紫の神(バナフセギ)』の深い寵愛を給いし姫巫女だと、一目でわかった。

「立ち去りなさい」
 姫巫女から発せられたのは、拒絶の意味の言葉だった。
 幼さが残る外見からは窺うことの出来ない、冷静で平坦な声音だった。
「私に関われば、貴方は死することになります。立ち去りなさい」
 けれども、だからこそスマラグディは、そんな彼女を放り出すことが出来ないように思えた。
 平坦な感情が感じられない声だからこそ、彼女が必死に自らの中の感情と戦っているように思えたからだった。

「……全ての者は、いつか死ぬ時が来る。それまでに、何を遺すことが出来るか……ぼくはそう思っているよ」
 穏やかな翠の眸で、微笑みながら死の託宣すらも受け入れる。そんな彼に、姫巫女の表情は驚きに揺れた。年齢相応の幼さが微かに覗く。
 スマラグディと、起こりうる可能性という数多の未来を見通してしまう故に、絶望に囚われた少女との、これが初めての出会いだった。
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