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第14話 うつくしく、やさしく、おろかなり
「昨日のファッションと寝顔で、男子のヤローども完全にイサコに悩殺されちゃったよ。にくいね、この男殺油地獄」
教室に着くなりそんな濃ゆい会話をヒナがふってきた。
「なんだ、油地獄って。消化に悪そうだな」
「そうそう、ほら見なさいよあの青騎士の連中、いまだに消化できてませんって顔してるわ。あいつらの幼い頭脳を酷使させすぎたかしらね」
言われてみると、3人ともなんとなくぼやっとした顔つきをしている。昨日の話云々より、ここしばらく張りつめていた緊張の糸が切れたせいではないだろうか。
 私に見られているのに気がつくと、3人とも赤くなってきょろきょろ周りを見てからぺこりと頭を下げた。下げた後で、ばつが悪そうな顔を見合わせている。
 遅れてやってきたサッチーと3人でくすくす笑った。めまいがするほど安らかな、この刹那。時よ止まれ、君は美しい。
 だが、言うまでもなくそれは願ってはいけない類のことだ。永遠を望む者は悪魔に魂を持っていかれる。だから親しい瞬間は流れすぎる。

「決闘だけど、やることになった」
「ええっ、なんで」2人からほぼ同時に声が上がる。
「昨日、あの後でマチと話したんだ」
「イサコのことは私たちが守るって言ったのに、信用してないの」サッチーの表情が険しくなる。
「いや、そうじゃない。決闘に勝ってやりたいことがあるんだ。まず、青騎士の使っている水壁、あれは大人に知られると危ない」
「イサコが勝ったらもう使わないって誓わせるの?」
「うん、そうしたい」
前にも考えていたことが、もう少し具体的なヴィジョンになっていた。
 水壁のスキルを持っている電脳クラブは、知る限り青騎士だけだ。もしこのスキルが他のグループに知られた場合、彼らはその力をつけ狙われることになる。その結果スキルが広まってしまったら、電脳インフラの不安定要素が確実に増え、コイルスの残党のような連中がまたぞろ動き出す足場になる恐れがあった。同じ小学校にいる私はメガマスから関与を疑われるだろうし、たとえ無実を証明できてもスパイを強要されるのはまず確実だ。
 私の見立てではスキルの供与元は宗助だ。さらにその源流は私にはさかのぼれない。宗助がいなくなったことで立ち消えるのを祈るしかない。
 気に掛けなくてはいけないのは、既に流出してしまった分だ。以前の2つの予想のうち、「マチが水壁を作れるということがそもそもはったり」が正しければ、ストックを全部吐き出させてスキル自体を根絶したい。もう一方の「マチが水壁の製造方法を知っている」が当たりだったとしても、勝者の権利としてそれを禁止すれば当座はなんとかなる。
「そういうのは自治委員がやることよ」サッチーは不満げだ。
「他にもある。マチ自身のことだ。あの子は何か隠している。それを知りたい」
昨日はっきりわかった。マチも失われた何かを求めている。そのせいで道を踏み外しかけている。放っておいたらマチは決定的な過ちを犯してしまう気がしてならない。思い上がりかもしれないけれど、それを止められるのは同じ体験をしてきた私だけじゃないだろうか。
「それもイサコの勝利条件にするつもり?」
ヒナはいまいちわからないと言うように眉を寄せた。
「いや、そんなことをしてもマチはこの間と同じことしか言わないはず。だから……」
言いかけてはたと止まった。だから何なんだ? 私はどうやってマチを助けるつもりなんだろう。目が泳いで、私はもごもごと語尾を濁した。
「なんか話がはっきりしないな。イサコのほうこそ、まだ私たちに教えてないことがあるんじゃない」
サッチーの視線はさっきからずっと私を捉えて離さない。
「それは……」
「やっぱりあるんだ。黛には言えて、私たちには言えないの?」
「違うよ。そんなのじゃない」
「じゃあ教えてよ」
サッチーの言葉に私は黙りこくった。
「たえちゃん、そんな取調べみたいなことやめなよ。イサコ、困ってるよ」
ヒナが取り成したが、サッチーは態度を変えなかった。
「だって、イサコのほうがおかしいよ。何か隠してるし、目的もよくわからないし」
「むむむ」
本当はもう1つ大切な目的がある。目の前の2人、それにリセを守ることだ。でも正直にそう伝えたらサッチーは怒り出すに決まっている。
「聞いてるの、イサコ。そうだ、そもそも勝算はあるの?」サッチーが問いを重ねる。
「ある。昨日話した、大黒の私の師匠に連絡してある」
嘘を言ったつもりだったが、嘘を言った気分にならなかった。古流の元締、小此木優子の祖母の顔が浮かぶ。もしかするとこれは本当かもしれない。
「具体的な対策を聞いてるの。あんたやその師匠って人がどんなに強くても、水壁を封じる方法がなかったら勝てないよ」
サッチーの言う通りだった。私は自分が風車に突っ込むドン・キホーテであることを自覚している。でもやらなくてはならない。
「それで、場所は? 決まってるの?」
「ここ」昨日遅く、マチから送られた地図を見せる。学校からそう遠くない河岸だ。
「ああ、ここ竜天寺幼稚園の跡だわ」ヒナがすぐに声を上げた。
「知ってるのか」
「2、3年前に閉園になった幼稚園よ。確か、閉鎖して新しいビルを建てようとしたんだけど、敷地が行政区域に入り込んでるとかで訴訟沙汰になってるのよ。おかげでまだ園舎の解体が手つかずなの」
「イサコ、あんた対決場所も相手にまかせっきりなの? どんな仕掛けされてるかわからないよ」サッチーは非難がましい目を私に向けている。
「マチはそんな卑怯な手を使ったりしない」
「ふうん。味方より敵を信用するんだ。それにマチ、マチってあんたたちいつからそんなに仲良しになったのよ」
私は言葉がなく、サッチーをにらんだ。
「2人とも喧嘩してる時じゃないでしょう。むむ、えーと、そうだ、今日の放課後下調べに行こうよ。リセも誘ってさ」ヒナがまた取り成した。
「リセは水曜は塾だから行けないよ。私も行かない」サッチーがそっぽを向いた。
「えっ、どうして」
「計画がいい加減だもの、勝てないよ、そんなの。わざわざ負けるための準備になんか行きたくない」
「わかった、この件は私だけでなんとかする。お前たちは関わらないでくれ」
「ちょっとイサコ、まったくもう」
私は硬い顔で前を向いて、授業の準備を始めた。

 放課後、私は決闘の場所を調べに行くつもりで、地図を眺めていた。サッチーは私を横目に眺めただけで、何も言わずに教室を出て行った。教室の扉を閉める頑なな音が、決別の言葉のように響く。
「1人で行くつもり? イサコ」地図を閉じて帰り支度をする私に、ヒナが話しかけてきた。
「関わるなと言ったろ。サッチーに嫌われるぞ」
私はわざと冷たい声で答える。
「私たちを巻き添えにしたくないって? あんた考え方が古いよ。どこのサムライよ」
私は構わずに立ち上がったが、ヒナが私の手を握った。昨晩のことがあったから、思わずぎくりとして動きが止まった。
「明日にしよう。リセがあそこの幼稚園に通ってたから、一緒に行こうよ」
「私だけでいいったら」
私は困惑して握られた手を見つめた。無理に振りほどくのは嫌だが、ヒナは私を解放してくれそうにない。
「そんなこと言ったって、イサコ、入り方知ってるの?」
「入り方? 普通にじゃ駄目なのか」
ヒナはにやりと笑った。
「正面からじゃ無理。係争中のせいか知らないけど、侵入者に警戒してるんだよ。方法はあるけど、一緒に行かないなら教えてあげない」
私は眉をひそめたが、そんなふりをしているだけだということが自分でわかった。ヒナにそれを悟らせないようにますます厳しい顔をした。
「さあ、もう帰ろうよ」ヒナが立ち上がる。
「わかった、幼稚園には3人で行こう。でも他にも準備があるんだ。今日は先に帰ってくれ」
「むむう、気になりますな。じゃあそっちに行こう」
ヒナは私の手を離さずに歩き始めた。

「でも、本当にいいのか? お前までサッチーと気まずくなるだろ」
階段を降りながら私は訊ねた。
「イサコ、そういうところはほんっと鈍いわね。喧嘩してたってたえちゃんはイサコのこと心配してるんだよ」
「そんな風には見えなかった」
「む、それじゃ、たえちゃんは何でいつも私と帰るのに、今日は1人だったのよ」
「えっ」気がつかなかった。
「私にイサコと一緒にいてほしかったからそうしたに決まってるでしょ」
「そうか……」
見えないところでもこうやって人に支えられているんだ。それがわからなくて、私は知らず知らず誰かを傷つけているのかもしれない。少し後悔するような気分になった。
「さ、どこに行くのか教えてよ」
ヒナの声で、私はもの思いから我に返る。
「旧校舎だ」

 小此木の祖母に頼まれた水壁のサンプル。どこかに残ってないか、探さなければならなかった。あるとすれば、先日の戦いのあった旧校舎のどこかだ。
 可能性はそう大きくないけれど、私には1つの狙いがあった。あの時屋上で排水溝に流した電脳水が、まだあるのではないか。
 屋上の排水溝の水は、雨どいを伝って地下の下水道に流れこんでいる。地下まで行ってしまったらアウトだが、どこかで水が流れ切らないところがあれば、そこに溜まっているかもしれない。
「むむう、雨どいねえ。確か旧校舎裏にマンホールがあったから、行ってみようか」
靴に履き替えて校舎裏に向かった。
 校庭では、少年野球のチームが練習にいそしんでいた。ボールを打つ乾いた響きが空に吸い込まれていく。少し離れたところでは、来月の市内競技会の選抜メンバーだろうか、小学生にしては不敵な面構えの連中が走り込みを行っている。
 真っ直ぐな日差しが、校庭を聖地のように照らしていた。
 校舎の影から、私はそれを眩しく見つめた。迷いのない彼らが、私には羨ましかった。
「そんなお婆ちゃんみたいな顔で見てないでさ、イサコも何か始めたらいいよ。私たち、花も実もある小学生なんだから」
ヒナが後ろから声をかけてくる。老獪なやつだ、心を読まれてしまった。それとも私がお子様なのかな。
「そうね。この件が片付いたら、それもいいかも」
なんとなく自然に受け答えが出てきて、その柔らかさに我ながら驚いた。
「イサコは何かやりたいことがあるの?」
ヒナは、自分こそお婆ちゃんみたいな顔になっている。
「音楽かな」
いつか、母さんの好きな曲を弾いてあげたい。きっと喜んでくれる。
「へえ、イサコは将来音楽家になりたいのか」
「そこまで考えてるわけじゃないけど。ヒナはどう? 将来の目標があるの?」
「私は歌舞伎役者になりたい」即答が返ってきた。
「……それは100%無理だ」
「むう、なんでよ。男女同権!」
「いや、そういう問題じゃなくてだな」
いつの間にか、私たちにも明るい陽が当っていた。

 何となく朗らかな気持ちになって校舎裏に着いた私たちだが、そこの光景を見ていっぺんに失望した。
 雨どいはあることにはあったものの、分厚いプラスチックのパイプがまっすぐに地面まで下り、更に地中へ伸びている。恐らく地下で下水道と繋がっているのだろう。かなり頑丈そうで、穴を開けて確かめたりもできなそうだ。
「ここでは無理だな」
「まったく、役に立たないところにばっかりお金かけて」
ヒナが蹴飛ばしても、雨どいはびくともしなかった。
 あまり期待は持てないがもう少し探索を続けることにして、旧校舎に向かった。
 渡り廊下にはそれらしいものはなく、理科準備室は施錠されている。残り、可能性があるのは屋上だけだ。相変わらず人気がない旧校舎の階段を上って、鍵の掛かっていない階段室から外に出た。
 青騎士が電脳水を使ったあたり中心に探し回ったが、やはり欠片も見つからない。連中が回収したのか、それとも通常空間である程度時間が経つと、劣化して消えてしまうのかもしれない。
 ずっと腰をかがめて探していたら疲れてしまった。私が伸びをすると、ヒナも真似して同じようにする。
「諦めるしかないか。付き合わせて悪かったな」
「いいよ、それなりに面白かったし。それより気になったんだけど」
「何が?」
「私たちの見えないところの電脳空間って、ちゃんと作られてるのかな」
「ああ、それはね」
古い空間の探索をしていた時に実地で学んだから、そういうことはよく知っている。普段の知識量でヒナに負けている分を取り返してやろうと、私は偉そうに講釈をたれた。
「メガネの普及後に造られた施設の場合は、建設時に全く同じ電脳空間がデザインされるから、普通は目に触れない部分まで作り込まれている。そうでない古い施設は、空間デザインの時期にもよるけれど、使わない箇所までは作られていないこともある。そういうところはメガネやカメラを通して見ることで更新されて、初めて電脳空間が形成される――」
そこまで言って気がついた。
「そうか。この旧校舎なら雨どいの内側の空間がないかもしれない」私は走り出していた。
「その場合はどうなるの?」慌てて追いすがりながらヒナが聞く。
「空間が存在しないところには当然電脳物質は入れない。うまくすれば、水壁が流れないで溜まっているかもしれない」
メガネのデータ更新を停止して、わずかなひびから雑草がしぶとく茂った排水溝の中をうかがうと、雨どいとの繋ぎ目にある排水溝カバーの向こう側に鈍い光が揺らめいている。カバーは押すとわずかに動いた。
「よし、持ち上げるぞ!」
「合点承知の助!」力が萎える。
「お前一体いつの時代の人間だ」
「ほほ、江戸から来た人と呼んでくりゃれ」
ヒナは急になよなよと体を揺すった。
「もういい、1人でやる」
「まあそう短気起さずに。どれ、封印切と行くか」
2人で力を込めると、カバーは何とかどかすことができた。私より早くヒナがのぞき込んで、すぐにぎゃっと叫んで飛びのいた。
「どうした!? 大丈夫か」不用意に触ったのかもしれない。注意しておけばよかった。
「ななな」
「な?」不審に思って私も排水溝を確かめると、答えがいくつもへばりついていた。なめくじだ。そのなめくじを電脳水が浸している。実際に触れていないとはわかっていても、気持ちのいいものではない。
 小型の電脳カプセルに水をすくい取った。まだ固まっているヒナを立ち上がらせようとすると、尻もちをついたままで器用に後ずさる。
「寄るな! その汚れた物体を近付けるな!」
「大丈夫だよ、本当に触ってたわけじゃないから。それより、これを見つけられたのはヒナのおかげだ。感謝するよ」
「ど、ど、どんなもんじゃい」
ヒナは涙目で見得を切った。