08 消防署の方から来ました
「旦那様、御来客でございます」
「なに? そのような予定はなかったはずだが…」
執事の報告に、ここボーゼス領の領主であるクラウス・フォン・ボーゼス伯爵は怪訝な顔をした。
父の代から仕える信頼篤いベテラン執事のシュテファンがつまらぬミスをするはずもなく、アポイントメントも取っていない怪しげな客をわざわざ取り次ぐような無用なこともするはずがない。ということは、何かシュテファンが私に会わせるべきと判断した特別な客、ということか?
ここはシュテファンの顔を立てて、いや、シュテファンを信じるとしよう。
「会おう。準備が出来たら応接の間に通してくれ」
ん? なぜ下がらない?
「奥様とお子様方はいかがなさいますか」
何だと! 家族も呼べだと!! いったい何を考えている、シュテファン!
「……呼べ」
「は、承知致しました」
シュテファンの判断を信じると決めたのだ、最後まで信じてやるとも。
応接の間には、ボーゼス家の者全員が揃っていた。別に王城の謁見の間ではないのだ、普通に大テーブルがあり席に着いているだけである。テーブルの値段はとても『普通』とは言えないが。
事前の話もなく急に家族全員を来客に引き合わせるなど、普通はあり得ない。妻のイリスも3人の子供達も、皆落ち着かない表情でそわそわしている。そんな家族にクラウスは何も言わない。クラウスにも分からないのだから仕方がないのだが、そんなことは言うわけには行かない。
(頼むぞ、シュテファン…)
ようやくシュテファンが客を案内して来たようだ。
「ニホン国より参られました、ミツハ・フォン・ヤマノ様、ボーゼス伯爵に御挨拶を、とのことにございます」
執事のシュテファンに紹介されて部屋に入って来た人物を見て、クラウスは驚いた。流れるような見事な黒髪、人形のように整った顔、そして見たこともない不思議な服装。動き易そうな上衣にはポケットがたくさん付いており、ベルトにナイフと共に下げられた不思議な道具。
聞いたこともない異国の出身らしいが、仮にも貴族の娘たるものが、護衛もお付きの供の者も連れずに一人旅だと? しかも、十歳そこそこの子供が!
クラウスは怒りを覚えた。少女にではない、その両親と周りの者達に対してである。なぜ止めない! なぜ許した!!
「お初にお目にかかります、ミツハ・フォン・ヤマノと申します。遠き国の出でございますが、是非ボーゼス伯爵にお目通り願いたく、執事殿には無理を申しました。お許し下さい」
年齢には合わぬしっかりとした物言いに、クラウスは感心した。ふむ、幼いとは言え、流石はシュテファンが通した者か。
「うむ、遠くからの旅、お疲れであろう。しばし我が家にて休んで行かれるが良い。して、遠来の方が何故にわざわざこのボーゼス家に足を運ばれたのであろうか」
遠くの国から来たのであれば、まずは王都を目指すであろう。このような地の領主のところに立ち寄る理由が思いつかない。
「はい、実は旅の途中に野獣の群れに襲われ命が危ういところ、この領の領民に救われました。
是非このことを領主様にお伝えし、私の感謝の念と、良き領民の存在をお知らせせねばとまかり越しました次第にございます」
「何と、それはまことか!」
嬉しいことである。自領の領民が、追い剥ぎ行為をすることなく人を助け、それを感謝して知らせてくれる。それを子供達に見せることができた。何と喜ばしいことか!
しばし感動に浸っていると、ミツハ嬢は懐から何やら包みを取り出した。
「ささやかなる物ではありますが、故国より持参せし品、感謝の気持ちとしてお納め頂ければ幸いにございます」
シュテファンが受け取り、クラウスの許へと届ける。
「な、何だ、これは…」
ずしりとした重みは金属製であることを示しているが、鮮やかな色彩で艶やかな手触りの精巧そうな品。見たこともなく、用途も全く判らない。ただ、優れた技術の賜物であることだけは間違いない。
「それは、折りたたみ式万能ナイフでございます」
「なに、ナイフだと!」
ナイフ、と聞いてクラウスは眼を剥いた。この精巧で高価そうではあるが、幅があり握りにくそうな品が? しかも折り畳みだと? いったいどのように使うのだ?
「はい、ナイフとは申しましても、戦闘に使うようなものではありませんが…。そうですね、工具のようなものです。刃、はさみ、ヤスリ等、色々な小さな工具が折りたたまれてはいっています。爪の先でつまんで引き起こして戴きますと分かりやすいかと」
言われてクラウスが色々と試していると、なんとか刃やハサミ等を引き起こすことに成功した。
「な、なんと精密な造りだ…」
そのあまりに高度な品に呆然とするクラウス。子供達も興味しんしんでクラウスを囲み覗き込んでいる。
「これは凄いものを戴いたものだ。是非何かお返しせねば…。ミツハ殿、これからはどうなさる御予定かな」
「はい、これよりこのまま王都に向かおうかと…。非力なこの身では時間がかかります故、時間が惜しく…」
「それはいかん!」
クラウスは思わず立ち上がって叫んだ。
「今からだとすぐに暗くなる! そもそも、子供がひとりで長旅すること自体がおかしいのだ! そんなことは許せん!」
貴族の馬鹿丁寧な言い回しも忘れ、思わず素で叫ぶ。
「3日待ちなさい。3日後に王都行きの馬車が出る。それに乗りなさい」
「あの、すみません、お恥ずかしい限りなのですが、その、路銀の方が乏しくてとても馬車代は…」
はあぁ?
ミツハのまさかの回答に、クラウスはあんぐりと口をあける。
馬車代がない? そんな高価そうな身なりをしていて? 貴族に売れば金貨数十枚になりそうな品をお礼にとポンと渡しておいて?
「…とりあえず、今日はうちに泊まりなさい。そして、あとでゆっくりと事情を説明して貰います」
夕食の時間までゆっくり休むようにとミツハを客室に案内するようシュテファンに指示し、クラウスは頭をかかえてテーブルに肘をついた。
「あなた…」
「すまん、ちょっと考えさせてくれ…」
妻イリスの言葉を遮って額にシワを寄せて考え込むクラウスに、イリスは苦笑しながら子供達を連れて部屋から出て行った。
「いったい何者なんだ、あの子は…」
その頃、執事のシュテファンに案内されて客室へと向かうミツハは、神妙な顔をしながら心の中でにやりと笑っていた。
「……勝った」
客室に案内されたミツハは、バックパックから次々と荷物を取り出していった。
しわがつかないよう慎重にたたまれたドレス。型崩れしないよう詰め物がされたヒール。ケースにはいったフォールディングナイフ。そして本日の目玉商品、最高級の真珠のネックレス。着々と準備は進む。
数時間後、食堂への案内のためミツハを迎えに来たシュテファンは、驚きのあまり思わず声をうわずらせた。
…鋼鉄の執事シュテファン、一生の不覚であった。