17 デビュタント
お披露目パーティー当日である。
早い? いやいや、まだまだ30日以上あると思っていたのに、あっという間だったよ。発注だけで済むものはともかく、料理の特訓、パーティー会場の設営、練習と、ほんと、あっという間。
お店、全然あけてない。ま、ライナー家以外のお客さんは来てないからいいか。……へこむ。
この仕事で店の名前を売るよ、うん。
あ、免許取ったよ。マニュアル免許。
いや、こっちでクルマ必要になるかもだし、まともな道がないとかだとマニュアル車かなぁ、とか思って。
いや、それはまだ先の話で、買ったのはオートマの軽。うしろに荷物がたくさん積めるやつ。どうせ近くの店での買い出しに使うだけで長距離走行とかやらないから軽で充分。
…大きいクルマ、足がちゃんとペダルに届かなかったんだよ! 座席調整いっぱいにしても。無理な姿勢で無理矢理届かせると、前がちゃんと見えなくなった。そんなので運転したらぶつけまくる自信があるよ、うん。
会場設営は、お店の改装を頼んだ木工技師のクンツさんのところに頼んだ。私が依頼する仕事の要領を会得してくれているし、腕が確かで信頼できる。
あ、お店改装の仕事、満足の行く出来でした。安く受けてくれたけど、追加報酬出してあげたら凄く喜んでくれたよ。いや、お金の問題じゃなくて、難しい仕事が満足して貰える出来で完了した、こんな仕事を任せてくれた依頼主に認められた、ってことで。
心付けにと、古本屋で買ったインテリア雑誌とか建築の本とかをあげた。古本の傷み具合が伝説の書らしくていいよね。安いし。
……そうしたら、『女神』と呼ばれた。
うむ、存分に崇めるが良い。
というわけで、準備万端、あとは来客を待つばかりであった。
招かれた、ライナー子爵家長女のデビュタント。
ライナー家は新興の貴族家であり、軽く見て馬鹿にする貴族もいるが、私、バーダー伯爵家当主であるアルベルト・フォン・バーダーは決してそうは思わない。大昔に先祖が功績を挙げたことがあるというだけの旧家より、大きな功績を挙げた父親に直接育てられたライナー子爵の方が『血筋が良い』と言えるのではないか、濁り腐った古い家よりも。
それに、今の方が昔よりも平民が爵位を得て貴族となるためのハードルはずっと高いのだ。しかも、男爵位ではなく、子爵位。初代が如何に優れた人物であったことか…。
そして、現当主も人格者で優れた人物との評判を聞く。娘も美人とか…。
これは、良き関係を持った方が良さそうである。考えるのは申し訳ないが、もし万一、唯一の男子である弟君に不慮の事態が起こった場合、娘が婿を取る可能性もある。そうなればうちの三男か四男あたりをあてがうのも悪くはないか。
そう考えながら、伯爵は使用人に案内されてデビュタントの会場へと向かった。
おや、テーブルの上の料理が少し少ないような…。
勿論、皿の料理が減ると次の皿が運ばれてくるのは当然だが、それにしても少し品数が少ない。何か趣向でもあるのか?
会場にはいったバーダー伯爵は給仕のトレイから受け取ったワインで軽く喉を湿らせながら少し怪訝そうな顔をしたが、深くは考えずに馴染みの貴族と挨拶をし、しばしの歓談で時間を潰す。
そしてしばらくすると、ようやく主催者からの挨拶が始まった。
まずは会場の前方に設えられた小さな舞台の上からライナー子爵による来訪へのお礼と長女アデレートの紹介。しかし、何故か娘本人の姿はない。どういうことだ?
子爵は出番が終わると舞台から下がり姿を消した。疑問に包まれるバーダー伯爵と来客たち。
その時。
会場前方、ライナー子爵が立っていたあたりが突然白煙に包まれた。伯爵は、火事か! と一瞬思うが、白煙のたなびき方がおかしい。横から噴き出してくるような…。使用人の落ち着いた様子からもこれが意図的なものだとすぐに分かり、会場は混乱することなく僅かにざわつく程度。
バーダー伯爵のように年頃の息子を持つ者はともかく、大半の貴族にとっては義理での出席。面白いことも少なく退屈を持て余し、今回もどうせまたお決まりの退屈なパーティーだろうと思っていたところ、何やら趣向があるようなので、皆、少し興味を持ったようだ。
白煙はすぐに薄れ、低い位置で渦巻く程度となった。不思議なことに、若干流れてきたその煙を少し吸っても、別にけむいということはない。しかしなぜか少し気温が下がったような気がする。
そして、どこからともなく声が響いた。
『皆様、本日はライナー家の至宝、花の妖精アデレート嬢のお披露目です。どうぞ、その愛らしい姿をご覧下さい!』
姿もなく聞こえるその少女の声は、叫ぶわけでもなく普通に喋っている様子であるにもかかわらず、大きく会場中に響いた。
『アデレート嬢、でびゅー!』
声と共に、前方の白壁に突然景色が浮かび上がった。驚愕に包まれる会場。
景色は美しい花畑であり、そこには妖精達が舞い踊る。かなり薄れはしたがまだたなびく白い煙と相まって、幻想的なその景色。
そしてカーテンの陰から躍り出る、ひとりの少女。
「「「おおお~~!」」」
会場のあちこちから驚きの声があがる。
薄生地の純白のドレスを纏う花の妖精。軽々と舞うその姿に、年若き少年達だけでなく、大人達も目を奪われ感嘆の声を漏らした。
少女の美しさ、愛らしさは勿論であるが、その身に纏うドレスの素晴らしいこと! 最高級のシルク素材、見たことのない鮮烈で繊細、斬新なデザイン。きらきらと輝くのは宝石か?
少女は舞台の中央でぴたりと止まると、会場に向かってにっこりと微笑んだ。
『わたしを捕まえるのは、だあれ?』
どぎゅ~ん!!
ひらひらと反対側のカーテンの奥へと去って行くアデレートを見つめる少年達の頬が赤い。いや、大人達も少し様子が……。
やった、まずは大成功!
舞台の裾、カーテンの陰でマイクを握ったミツハはほくそ笑んだ。
舞台の両端に置いたスピーカー。お湯をぶっかけた大量のドライアイス。正面からではなく側面から投影できるタイプのプロジェクターと、それに繋いだノートパソコン。プロジェクターの電源はホームセンターで買ったバッテリーから。
演技を仕込むのは難しかったのとマイクの問題もあって、セリフは全部ミツハのアテレコ。プロジェクターで映した映像は、ネットで探したものに妖精の画像を貼り付けた。
今、裏側ではアデレートの早着替えが行われている。何度も練習を重ねたメイド軍団、血を吐く訓練の成果の見せ所である。
そろそろいいか。
ざわつき治まらぬ中、正面の絵がどこかの貴族の屋敷っぽいものに切り替わり、再び少女の声が流れる。
『当主の不在を狙い、領民を襲う盗賊の群れ! 兵の大半は当主とともに不在であり、残るは領主夫人と僅かな手勢のみ…』
おお、今度はそういう設定か!
バーダー伯爵、大喜び。他の客も、だいたい分かってきたようである。
しかし、あの絵はいったいどういう仕掛けなのやら…。
再び舞台に歩み出た少女。服装が変わっていた。青を基調とした、姫鎧? 左手には鞘にはいったままの剣を無造作に掴んでいる。なにやら派手に装飾された、まるで宝剣のような……。
そのあとに執事っぽい老人が続く。そしてふたりは舞台の中央へ。
ミツハのひとりアテレコが始まる。
『奥様、賊は現在領都近くの村を…』
『出ます。残った全ての兵に準備を』
『いけません! 少ない兵は温存すべきです。それに、奥様の身に万一何かあったら!』
『今使わずに、いつ使うというのです。それに、旦那様が不在の時は、領民を守るのは私の使命!』
ノリノリで、どこかで聞いたようなセリフを喋るミツハ。セリフに身振りを合わせるアデレートと執事の老人。
『分かりました、もう止めませぬ。河のところで食い止め足止めをして、旦那様が戻られるまで時間を稼ぎましょう。勿論、私も御一緒致します』
『うむ、すまぬな。ところで、ひとつ聞いても良いか?』
『は、何でございましょうか』
『時間を稼ぐのは良いのだが、奴らを殲滅してしまってはいけないのか?』
いつか言ってみたいセリフ、第3位! 感無量のミツハである。ああ、お兄ちゃんに聞かせてあげたかった……。
会場は大盛り上がり!
アデレートは鞘にはいったままの剣の柄を両手で逆手に握り、床にドン、と突き立てると正面を向いた。その凛々しい表情に、皆が見とれる。
『問おう。そなたが我が旦那様となる者か?』
うおおおぉぉぉ!
大歓声の中、ふたりは再び舞台の袖へと去って行った。
うんうん、いい調子! 秋葉原で買った18000円の神剣、なかなか良い出来だった。気に入ったアデレートが欲しがったので、このまま彼女の愛剣となる予定。切れないけど金属製でかなり重いから、運動には使えるかも。
さて、そろそろ最後の着替えが終わる頃。最後は普通。だってそのままみんなと歓談しにいかなきゃならないのだから。
みたび登場のアデレート。薄いピンクの、歳相応の可愛らしいドレス姿である。店長渾身の作。素材、デザイン、縫製、全てに魂が込められていた。少々込められ過ぎであった。本日の3着全て、もう生涯二度と訪れることのない機会であると、文字通り、店長が命を燃やした作品であった。
『妖精は、今日で卒業。これからは、社交界で頑張ります。皆さん、仲良くして下さいね』
そう言って、今度は舞台の袖ではなく正面から降りて客席に向かうアデレートは大きな拍手で迎えられた。そしてそのまま貴族の子供達に取り囲まれての大騒ぎ。
……終わった。完璧の母!!
アデレート、良くやった。あとは料理で各個の歓談を支えれば。
ミツハはマイクを握り締める。
『それでは皆様、ごゆっくりと御歓談下さい。なお、各テーブルには通常の料理をご用意しておりますが、会場後方に珍しい遠国の料理の数々を取り揃えております。御興味のおありの方はどうぞお試し下さい。なお、異国のお酒も各種取り揃えております。酒精の強いものは表示しておりますので、適宜、水や氷を入れてお試しください』
ああ、テーブルの料理が少ないのは、それでか。異国料理は好き嫌いがあるだろうから、各テーブルではなく、好きなものだけを自由に取れるようにしたわけか。なかなかよく考えている…。
普通の料理はいつでも食べられるので、話し込む前に少し食べておくかとバーダー伯爵は異国料理の方へと向かった。
な、ななな何だこれは! 魚、干物ではなく普通の魚だと! こっちのこれは、ライスの上に乗っているのは、生? あり得ん!
他の貴族が遠巻きにして恐る恐る眺めている大皿を見て、バーダー伯爵は混乱した。絶対にあるはずのないものを見て。
皆が手を出さないのも当然。大丈夫なのか? 腐っているんじゃないか?
しかし、どう見ても新鮮そのもの、傷んでいる様子は全くない。
だが、このままでは誰も手をつけないだろう。
バーダー伯爵は考えた。己の勇気を示し、ライナー子爵家にささやかな恩を売ろうと。行くぞ、勇者バーダー!
伯爵は、生の魚が載ったライス、焼いた魚、煮た魚と、魚シリーズを取り皿に取って口にした。おぉ、と勇者に対して賞賛の声があがる。
「……旨い」
追加で皿に取り、次々と平らげる伯爵。それを見て、しだいに自分も手を出す他の貴族達。
「…美味い」
「おいしい…」
あとは早かった。魚料理も、それ以外の料理も飛ぶように消えていく。そして次々と補充される料理。それを見て、アデレートを取り囲んでいた子供達や御婦人方も料理に群がり始めた。
うんうん、好調好調! こうも好調だと、なにか落とし穴があるんじゃないかと心配……
がしっ!
いきなり後ろから肩を掴まれ硬直するミツハ。
「ナ ニ ヲ シ テ イ ル ノ カ シ ラ……」
汗だらだら。
「コンナトコロデ、イッタイナニヲシテイルノカシラ」
ミツハが恐る恐る振り返ると、そこには鬼の形相のボーゼス伯爵夫人イリスの姿が。
あちゃー、すっかり忘れてたよ。そうだよね、ここでパーティーやってるってことは、あれだよね。社交シーズン到来、と。
ミツハはそのままボーゼス伯爵のところへとずるずる引っ張って行かれた。
「ミツハちゃん、いったいどういうことかしら? うちに住むのを断っておいて、どうしてこんなところに居るのかな?」
目、目が怖い…。
「何度もお店に行ったのに、いつも閉まっていて不在。どれだけ心配したと思っているの! それを、それをこんなところでぽやぽやと…」
あの、あんまり『こんなところ』と連呼されると、ライナー子爵の立場が…。まぁ、伯爵家には文句つけられないだろうけど。
「あ、あの、別にここで働いているとか、住んでるとかじゃありませんから! 今日のパーティーのお手伝いを引き受けて、お店の仕事として来てるだけです! 買って貰ったものの納入とか、雑用とか…」
まだぎろりとした眼が怖いけど、何とか落ち着いてきたイリス様。伯爵様は後ろで苦笑している。
「あれ、アレクシス様は?」
夫妻の他には、テオドール様しかいない。ベアトリスちゃんはまだデビュタント前か。
「ああ、兄さんはアデレート嬢のところへ行ってるよ。ほんと、兄さんはいつもああだから」
ふん、といった感じで答えるテオドール様。
「おお、流石は長男、そういうところはしっかりしてるんですねぇ」
ミツハの言葉に、え?という顔をして驚くテオドール。
「だって、今日はアデレート様のお披露目なんですよね? 主役を無視して他の女の子とばかり話す男なんて最低ですよね。好きでも嫌いでも、一応は顔を見せて話をするのが礼儀ですよね」
「…ちょっと、行ってきます!」
慌てて立ち去るテオドール。伯爵様はまたまた苦笑い。
「と に か く! 早急にうちに顔出しなさい!」
「わかりました…」
がしっ!
またかよ! 今度は何!
振り返ると、そこには共に地獄の特訓を潜り抜けた、戦友であるセカンドの女性料理人さんが。
「た、大変です! 料理が、料理が!!」
え、不手際? 大変だぁ!
「料理が足りません!!」
えええ~っ
だって、充分用意したよね? 絶対余るって、あなたもマルセルさんも太鼓判押したよね? いったいどういうこと??
問い詰めると、セカンドの女性料理人さんは泣きそうな顔をして言った。
「普通なら、間違いなくそうなんです。でも、なぜか、皆さんお帰りにならないんですよ! それに、話もそこそこで料理の周りから動こうとされなくて、料理がどんどん無くなって…」
どうやら、普通は義理で顔を出した大貴族は早々に引き揚げるらしい。交流のため残る貴族も、食べ飽きた料理など少し口にするだけで、あとはグラス片手に歓談に努めるらしい。大事な情報収集とコネ強化の場、貴族にとっては仕事の一環、ということらしい。
それが、今日は誰も帰らず、食べっ放し。
ああ、そりゃ足りなくもなるわ。




