14 ABで大を釣る
「それでは、しばらくこちらでお待ち下さい」
ミツハはそう言って少女A、B、Cを調理場の片隅にあるテーブル席に案内すると、ガスレンジにかけられた大きな鍋の方へと向かった。
この席は、いつか来るであろうプライベートな来客に備えてミツハが最初から用意していたものであり、予想外に早いデビューとなった。調理場自体も改装してあり、元の実用本位で無粋な造りではなく上品に飾り付けられている。
ガスレンジのお湯も、デモンストレーションで浴室にはいる前に火にかけておいたものだ。しばらく前から沸騰している。
「なにアレ。火が出てる?」
「あんた、さっきからナニアレ、しか言ってないよね」
「だって仕方無いでしょ。他に何言えって言うのよ」
「でも、何よあんたのその髪。ああ、私が立候補するんだった。失敗した…」
「買ったんだからあんたも洗えばいいじゃない」
「あ、そういえば、あの子の髪、サラサラ…。あれ見た時に気付くべきだったよねぇ」
「そうそう。旦那様の訓育にあったよね、『使用人には観察する眼と情報を活かすための知恵が必要である』って」
「よく覚えてるわねぇ、あなた…」
「あなたは覚えてなさ過ぎ」
少女ABCがわいわい騒いでいると、ミツハが最初の料理を持って来た。速い。まだ数分しか経っていないのに。
「最初はスープ、ミネストローネでございます」
え、こんなに速く作ったの、スープ…。
驚きながらも、とりあえずスプーンで掬い飲んでみた。
「美味しい……」
何か、味が濃くて深みがある。お屋敷で食べる賄い食よりずっと美味しい?
そしてスープを飲み終わる頃には次の料理が…。なんでこんな速いの? 私達に食事を出すなんて、さっき急に決まったばかりでしょ!
「海の魚ブリと大根の煮物でございます」
「ええ、さ、魚あっ!」
あれ、やっぱり魚に対する反応が強いなぁ。禁忌か何か? マズったか…、いや、普通に食べてるなぁ。
缶スープとビニールパックのブリ大根は中々の好反応か。よし、次行こ、次!
「ローストビーフでございます。こちらのタレを少量つけてお召し上がり下さい」
ああ、これは夕食用に買っておいた、割といいやつ…。スーパーの値引きパック物だけど。
「牛肉の煮物でございます」
牛肉の大和煮、缶詰6個使用。
「穀物のリゾットでございます」
レトルト雑炊、2袋使用。
ミツハが次の料理の準備に去ったあと、少女Cが小声で言った。
「ねぇ、気のせいかも知れないんだけど……。なんか、全部の料理、あのお鍋から出てきてるような気がするんだけど………」
「うわぁぁ、言うなぁ! 気にしないようにしてたのにぃ!」
小声で叫ぶ、少女B。
「大丈夫、あれは良い魔女、あれは良い魔女………」
何やらぶつぶつと呟く少女A。
「ビーフシチューでございます」
100均で買ったレトルト、2袋。
「デザートのアイスクリームでございます」
「何これぇ! 冷たい! 甘い! 美味しいよォ! もう信じらんないィ!」
冷蔵庫に入れておいた、シャトレーゼの6本入りアイス。棒から外してガラス容器に入れてみた。
「温かいお飲み物、甘酒でございます。先程のデザートで冷えた身体をお暖め下さい…」
フリーズドライのにお湯を注ぐだけのやつ。いや、美味しいのだ、これが。
「御満足戴けましたでしょうか」
にっこり微笑むミツハに、三人はコクコクと頷いた。
「う、うん、言葉に間違いはなかった。生まれて初めて食べたよ、あんな美味しいもの…」
「あの、あのお鍋…ぎゃっ!」
何か不穏な質問をしようとした少女Cの両足が同時に踏みつけられた。少女A、少女Bに、それぞれ片方ずつ。
「じゃ、色々とありがとうね」
「あ、少しお待ち下さい」
帰ろうとする3人をミツハが引き留める。
「これ、よろしければ同僚の方へのお土産にどうぞ。包み紙は取ってから食べて下さいね」
渡されたのは、何やら恐ろしく薄く軽い透明の壺に入れられたたくさんの金色と銀色の卵状の物体。
「は、はひぃ」
情けない声で返事をした少女B。
3人は大事そうに『アーモンドチョコ お徳用』のはいったプラスチック容器を抱えて帰って行った。
やった、初めてのお客さんに、初めての売り上げ! 備蓄食料のレトルトと缶詰をかなり消費したけど、仕入れ値と売り上げから考えれば充分な黒字。
でも良かった、レトルトと缶詰の種類がなくて牛肉を続けざるを得なくてあせったけど、味付けが全然違うから問題なかったみたい。ひとつひとつの量が少なかったから数を出さなきゃならなかったんで焦ったよ…。
あの3人が職場で宣伝してくれれば、噂が広がって、どんどんお客さんが来てくれるかも…。あ、でも、お客さんが来すぎたら忙しくて大変になっちゃうなぁ。トイレいく暇なくなっちゃう。どうしよう、困ったなぁ、えへへ。
「どうする?」
「どうするったって…」
「これ食べたら、脳みその方へ這い上がって行って洗脳支配……」
「言うなあぁ~~~!!」
「……どうする?」
「どうするったって…」
「こう言うのは、言い付けを破るとろくな事がない、というのが相場よ」
「…と言うと?」
「言われたことを守る」
「そ、それじゃみんなが……」
「『言われたことを守れば良い』のよ、破らなければ。だから、必死の表情で料理長のマルセルさんに渡す。初対面の人から貰ったお土産だ、と言って。嘘は吐いてない。言い付けも破ってない。言われた通り、同僚にお土産を渡すだけよ。そしてマルセルさんなら、きっとこの『食べ物』の異常さに気付いてくれる! きっと!」
サラサラ髪の少女A。綺麗なブローチを付けた少女B。アーモンドチョコお徳用の容器を抱えた少女C。決意を込めた顔をして3人は歩く。マルセルさんを信じて。
「…うぉ!」
怖い顔をした3人の少女に囲まれて、ここライナー子爵家王都邸料理長のマルセルはビビった。何かしたか、オレ!
「…これ、初対面の人から貰ったお土産です!」
なんかあからさまに不審なモノが突き出されたよオイ、どうしろって…。
「包み紙は取って食べるように、とのことです」
やっぱ、食い物だったか…。
マルセルは、この状況で逃げ出したり拒否したりできるほどの勇者ではなかった。容器のフタを開けると、恐る恐る容器に手を入れて包みの1つを取り出した。そしてしげしげと眺めたあとその銀色の包み紙を剥き取った。
「茶色だな…。何か甘いような濃厚な香りが…」
自分の知らない香りに、マルセルは急に興味を掻き立てられた。クンクンと臭いを嗅ぎ、じっくりと眺める。…見たことのないものだ。
意を決して、舐めてみた。
「ヒッ!!」
なぜ悲鳴をあげる、お前ら!
かり、と少し囓ってみた。
「うあぁ、食べた! 食べちゃったよぉぉ!!」
もぅ、何だよ、お前ら……。
て、何だよコレ! 苦い? 甘い?
このコリッとした歯応えの香ばしい味わい!!
「おいお前ら、コレどこで…」
マルセルが大声をあげた時、後ろから声がした。
「あなたたち、いったい何を騒いでいるの?」
「「「「お、奥様……」」」」
「…で、ソレを渡された、と」
「「「は、はい……」」」
「どう思います、あなた」
妻の言葉に、ライナー子爵家当主マテウス・フォン・ライナーは首を傾げ
た。
ここはライナー子爵家王都邸の談話室である。ライナー夫妻の他に、料理長のマルセル、少女A、B、Cの計6名が席に着いていた。
ライナー家は先代当主の代で平民から成り上がった新興貴族であるためか、使用人との垣根が低く、使用人と席を同じくして共に話し合うことに忌避感はない。話に熱中して敬語がいい加減になっても、あまり叱られることもない。
「う~ん、魔女、ねぇ…」
「良い魔女です! きっと! 多分……」
マテウスの呟きに、少女A、アンケが声をあげた。
サラサラになった髪が余程嬉しいのだろう。
「で、魚料理が出たというのは本当に間違いないのか? 干物や燻製、塩漬けとかじゃなく」
「はい、子供の頃、海辺の村に行った時に一度食べたことがあります。間違いありません。他の料理も、それはもう美味しくて!」
料理長マルセルの懐疑的な質問に、少女B、ブリッタが自信たっぷりに断言した。少女C、カルラも同意する。マルセルは暗に自分の料理が不味いと言われたような気がして少しへこんだ。
「う~ん、正直、信じられないなぁ」
マテウスはふたりの言葉に首を振る。
「海辺の漁村から荷馬車で10日。それよりかなり速い乗合馬車でも7日はかかるだろう。小さく頑丈な特製馬車を使い少ない積み荷で馬と御者を次々と代えて夜通し走らせ続けて、それでも3日はかかる。尤も、そんな運び方をすれば魚1匹で小金貨1枚とかじゃ済まないだろう。
しかも、それですら雪や氷が使える冬場であれば何とかなるかも、という程度だぞ。無理だ、今の季節じゃあり得んだろう。煮物にして定期的に火を通して、なんてのも無理だ。その度に時間を取られすぎるし、煮込まれすぎてまともな料理にはならん」
マルセルも頷く。料理人だけあってそのあたりは詳しい。
「正直、いくら考えても分からんものは仕方無いよな……」
話が行き詰まったところで、マテウスの妻、アマーリアが話題を変えた。
「ところでアンケ、あなたのそのサラサラの髪と身体の香り…」
「あ、ハイ、先程お話ししました通り、謎の魔法薬で…」
「魔法薬、ねぇ。ちょっとソレ、使わせて頂戴」
「え……」
3人はあからさまに顔を曇らせた。アマーリアの髪は長い。せっかくの薬が大量に使われる……。
「お金なら払うわよ! 銀貨16枚くらい出してあげるわよ! そして、1回試したら残りの薬は返してあげるから!」
それならば、と皆了承する。尤も、最初から夫人の頼み、いや命令を断れるはずもなかったのだが。
「それと、ブリッタ、あなたが付けてるそのブローチ……」
「はい、銀貨8枚で買ったものです」
「それが銀貨8枚のはずがあるもんですか!」
「いえ、それが、人造の品だとかで…」
「ブローチは人が造ったに決まってるでしょう。他のは神が造ったとでも言うの?」
「いえ、そういう意味ではなく、その、それに使われている宝石のようなものは本物ではなく人が造ったものだとかで」
「これが偽物だと言うの……」
アマーリアは納得できない、という顔をしたが、偽物を本物と偽る者はいても、その逆のことをする者がいるとは思えない。何のメリットもないのだ。それどころか大損である。
「魔法で出せば元手ゼロ……」
カルラが小さく呟いた。
「しかし旦那様、もし珍しい素材や料理法が手に入るのなら……」
「うむ、手助けを頼めるかも知れんな。頼む、マルセル」
「は、お任せ下さい」
マルセルは頭を下げて部屋から退出した。




