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17 魔術大国ディナガウスの名医ハイデラちゃん

「大丈夫? 苦しくない? 痛くない?」


 夢か……。


 枕元でイヴンが泣きそうな顔でこちらを見下ろしていた。

 どうやら気を失っていたらしく、気づいたら、借りている部屋のベッドの上だった。


 それにしても。

 何て夢みてんだよ、俺……。


 ひたいに手をあて小さく息をもらす。

 頬にとはいえ、自分からツェツイにキスをしてしまうとは。

 ツェツイがあまりにも可愛くて、瞳を潤ませ自分を見上げる表情がほんの少し大人っぽく見えてしまって……つい。

 いや、だからってキスするか?

 まだ十三の子どもだぞ。

 いやいや、これは夢の中のことだ。

 夢の中の俺はどうかしていたんだ。

 そう……どうかしていた。


「イェン……?」


 心配げに呼びかけてくるイヴンの声で我にかえる。


「何? そんな情けねえ面して」


「デイビットさんたちから話を聞いたんだ」


 デイビット? 誰だよそいつ? という顔をしていたのだろう。イヴンが四人組のひげの濃いくまみたいなおじさんだよ、とつけ加える。

 イェンは失笑する。

 そのおじさんたちがまだ二十歳だと聞いたらイヴンは驚くかもしれねえな、とぼんやりそんなことを考えていると、部屋の外で何やら騒ぎ声が聞こえ、その四人組が遠慮もなく部屋へと押し入ってきた。


「おまたせいたしました。イェンさん、魔道士様をお連れしました。ハイデラちゃんといって回復魔術の腕はぴか一の〝灯〟の魔道士様で、おまけになんと! お医者さんの資格も持っていらっしゃる素晴らしいお方です」


「魔道士? 冗談じゃねえ、誰がそんなこと頼んだ。勝手につれてくるな。帰ってもらえ」


 イェンは邪険に手を振り払う。


「だけどイェンさん、回復とか治癒の術も使えない落ちこぼれですよね」


 頭のよけいな一言にイェンは目を吊り上げる。


「うるせえ、よけいなお世話だ! おまえらも出て行け!」


 叫んで痛っ、とイェンは肩に手をあて片目を細める。

 応急処置でいちおう手当はしてもらったようだが、敵の魔道士の攻撃で裂かれた肩の傷口からじわりと血がにじんでいた。


「くそっ!」


「あらあら、ずいぶんと元気な患者さんね」


 そこへ、可愛らしい声とともに現れたのは白い魔道士装束をまとった、あどけない顔立ちの少女だった。手にした杖の先っちょに、女の子らしく、うさぎのぬいぐるみをぶら下げている。

 さらにその少女の後ろに二人の女性魔道士がつき従っていた。

 イェンは胡散臭げに、現れた彼女たちを睨みつける。


「ささっ、どうぞどうぞ魔道士様こちらへ。この人、ちょっと気が立っててアレですけど、気にせずちゃっちゃと診てやってください」


 ハイデラはイェンをのぞき込みあらまあ、と声を上げる。


「ひどい怪我だわ」


 伸ばされてきたハイデラの手を、あろうことかイェンは払いのけた。

 手が触れた瞬間、ハイデラは瞠目し、次に厳しくまなじりを細め、最後にどこか哀れむ目でイェンを見下ろした。


「あなた……いけないことをしてしまったのね。過去に……」


 イェンを見つめ、ハイデラは意味ありげな言葉を口にのせる。

 ほんの少し手が触れただけでイェンの過去の何かを感じ取ってしまったらしい。見た目に違わず、かなりの実力を持つ魔道士のようだ。

 見つめてくるハイデラから逃れるように、イェンは視線をそらした。その瞳がわずかに揺らぐ。

 そこへ、イヴンが二人の間に割って入りイェンを背にかばうように両手を広げた。


「だめなんです! イェンに回復系の魔術は……だから……」


 言いよどむイヴンに、ハイデラはそのようね、と沈んだ声を落とす。


「大丈夫よ。あなたの心配するようなことは何もないわ。医者として、私が必ずその人の傷を治してあげる。だから、安心して私に任せてちょうだい。そうね、少々、準備が必要ね」


 途端、険しい表情でハイデラは白い魔道士装束の襟元に手をかけ、鮮やかに脱ぎ払った。

 え? とその場にいた者は驚いて口を開け目を丸くする。

 脱いだ魔道士装束の下は素肌に白衣。

 白衣の合わせ目からのぞく見事な胸の谷間。くびれた腰に形のよい尻、すらりと伸びた脚線美。さっと、ゆるふわの髪を結い上げ、頭の上でひとまとめにすると、最後に懐から黒縁の眼鏡を取り出しかけた。

 あどけない少女から一転して、知的な雰囲気漂わせる美女へと早変わりだ。

 その間、手際よく助手のひとりが治療道具一式をテーブルに広げる。


「準備は整いました」


「あ、あの……」


 イヴンは目をぱちくりさせている。


「ハイデラ先生は、魔術と医学の国ディナガウスでも、名医中の名医と呼ばれる外科医です」


 助手のひとりが慇懃な口調で説明をする。


「着ているものを脱いでもらおう」


 見た目も声も口調までもが、がらりと変わったハイデラだが、変わったのは彼女だけではなかった。さっきまで不機嫌な態度もあらわにしていたイェンだったが、相手が美人となると突然態度を変え、さらに、ハイデラの脱いでもらおうの一言に、はい! と、元気よく返事をしてシャツを脱ぎ、ついでにズボンにまで手をかけ始めようとしだした。


「何をしている。下は脱ぐ必要ない。そのままでいい」


「いいえ、一番重傷なのはここなんです」


 目を細めるイヴンと四人組の眼差しが、とてつもなく冷ややかだ。


「この人ばかっスね」


 でぶがこそりと頭に耳打ちする。


「もう、最低ですね」


 ちびが軽蔑の目でベッドの上のイェンを見下ろす。


「アホだ……」


 のっぽが呆れたように口をあんぐり開けている。


「いやいやいやいや……イェンさんのものが羨ましいくらいご立派なのは一緒に風呂に入った時に知ってますけど、何も今、自慢しなくても……」


 頭が顔を赤くしてうろたえる。

 しかし、ハイデラは恥ずかしがるどころか遠慮なく、じいっとイェンの股間に視線を据える。助手二人も同様であった。表情ひとつ変えない。

 三人の女性魔道士に股間を見つめられること数十秒。


「私にはじゅうぶん元気そうに見えるが、何か問題があるのか?」


「実は……以前、不能と言われて心の傷が、いまだに……」


「心の傷? ならば、心療系の医師を紹介してやろう。そこで相談してみるといい」


「いえ、いいです……」


 ハイデラは口許にふっと軽く笑い流す。


「この私を動揺させて治療をうけさせまいとしたのだろうが、甘いぞ若造。そんなもの見慣れておる」


「そ、そんなもの……若造……?」


 さて、と言って、ハイデラは助手の二人に目配せをする。すかさず彼女たちは麻酔やら消毒液やら何やらと、治療の準備を整える。

 イェンは、助手が手にした針と糸を見つめ、顔を引きつらせた。


「え? まさか、縫うの? まじで?」


「肩の傷口が開いておる。案ずるな、すぐに済む」


 途端、イヤだ怖い痛いと暴れ出すイェンの身体を、助手と四人組が押さえ込む。


「ちょっと、暴れないでくださいですよ」


「何でもいいから、おとなしするっスよ」


「往生際悪い……」


「おまえら調子のってんじゃねえよ。こんなことして、ただじゃおかねえからな! あとでみていろ、泣かすぞ!」


「イェンさん、これ以上動いたら傷口が」


 そして、治療を受けること数十分。


「一通り手当は済んだ。しばらくは安静にしていることだな」


「先生、ありがとうございます」


 イヴンと四人組は深々とハイデラに頭をさげ礼を言う。しかし、イェンはそっぽを向いてふてくされたまま。


「よいか? 傷が治るまで酒、煙草、それと、おまえの噂は聞いているぞ。女も言語道断だ」


「……」


「もちろん、わかっております先生。きちんとこの俺が見張っておきますから。ええそりゃもう、二十四時間、イェンさんの側から離れず、つきっきりで目を光らせて」


 機嫌の悪いイェンにかわって答えたのは頭だ。


「何かあったらいつでも私を呼べ。しばらくはこの街に逗留するつもりだ。それと……」


 ハイデラは側に控える助手二人に目配せをする。

 助手たちは一礼して無言で部屋から去って行った。彼女たちが部屋を出て行ったことを確認して、ハイデラはおもむろに切り出した。


「ツェツイーリアだが」


 その名を聞いて、イェンはようやく顔を傾けハイデラをかえりみる。


「彼女は私の弟子だ。もちろん、医術の方のな」


「そうか、あんたがあいつの。このことは……」


「言えるわけがなかろう。おまえがこんな状態になっているとあの娘が知ったら、どれだけ悲しむか」


 だろうな、と言ってイェンは肩の傷に手をあて静かに眼差しを落とす。


「小さいのによく頑張っているぞ。根性もある。医術を志したのは、大切な人のためだと言っておった。それは、聞くまでもなくおまえのことだな?」


 しかし、イェンは答えない。


「けなげな娘ではないか。それに、素直でとてもよい子だ」


「知ってるよ。だけど、頑張るのもいいが、あまり無理はさせないでやってくれ。無理をして身体を壊されたら元も子もない」


「わかっておる。おまえもあの娘を大切にしてやるがよい」


「弟子なんだから、大切にするのはあたりまえだ」


 ハイデラはそうか、と言って、脱ぎ捨てた魔道士装束に再び腕を通し、結い上げた髪をおろす。途端、ハイデラの雰囲気が再びがらりと変わった。


「じゃあね、あなたもあんまり無理しちゃだめよ。無理したら、傷口がまたぱっくり開いちゃうんだから。でも、その時はまた私を呼んでね。いつでも治療してあげるから」


「呼ばねえよ!」


 ハイデラはうふふ、と無邪気に笑って、部屋から去って行ってしまった。その後ろ姿を見送った後、頭がイェンに向き直る。


「イェンさん、俺、あんたに助けられちまった」


 神妙な顔つきで頭がイェンの前にかしこまって立つ。そういえば、いつの間にか呼び方まで変わっていた。


「この恩は一生忘れない。俺はこれから、イェンさんのことを兄きと呼ばさせてもらう。どこまでもついて行きますぜ。兄き!」


 イェンの手を固く握りしめ、頭は感極まった声を上げる。イェンは嫌がって手を振り払おうとするが頭がそれを許してくれない。


「あにきのあにきだから、おれっちたちにとっては大あにきになるですね」


「おいらも兄きと一緒っス。大兄きについていくっスよ。よろしくっス!」


「大兄貴、よろしく……」


「よし! そうと決まったら兄弟のさかずきを交わすぞ。おい! 酒を持ってこーい!」


「今日は一晩中飲み明かすですよ」


「食い物の調達もしてくるっス!」


「飲むぞ……」


「頼むから、勘弁してくれってば」


 イェンは泣き顔で呟き、イヴンは小刻みに肩を震わせて笑った。



 ◇



 それから半月、イェンは傷が癒えるまで養生することとなった。もちろん、酒、煙草は禁止、出歩くことも許されなかったから、女などもってのほかだ。

 イェンにとっては退屈でうんざりの日々だったに違いない。

 その間、念願の通行券も手にすることができたが、イェンがまだ動ける状態ではないこともあって、旅はもう少し待つことになった。

 破損したヤドカリ号は修理され〝新生ヤドカリ号〟と名づけられ、元通り漁に出られることとなった。

 イェンの分も働くんだ、とイヴンは今まで以上に頑張って浜辺で魚を開いている。夜になれば必ずといっていいほど四人組が現れ、うるさくつきまとった。時には酒が飲めないイェンの前で酒盛りを始め、どやされるという光景もみられた。

 あれから、黒衣の魔道士が現れることはない。

 やがて、ここへ来て一月半が経とうとした頃、ようやくイェンの怪我も完治し、旅を再開することができた。

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