一万年と二千年前。
「アザナエル様、お待ちください」
白銀の甲冑を着た女性を、メイド服の女性が引きとめようとしている。この二人には共通点があり、金髪碧眼であること、そして背中から大きな純白の翼が生えている。甲冑の女性は三対六枚の翼、メイド服の女性は、一対二枚の翼。
アザナエルと呼ばれた甲冑を着た女性は、メイドを無視して廊下をきまった歩調で歩く。そして振り返らずにメイドに下がるように告げる。
「しかし、ファリエル様、戦死の報に間違いはありません」
「だまれ!ファリエルは熾天使だぞ。悪魔達などに討たれるはずは無い。私は、真偽をこの目で見るまで信じぬ」
「だからと言って、知天使であられる、アザナエル様が戦場に赴くなど」
アザナエルは、メイドの娘に向き直ると怒りの表情で腰の剣を抜き、切っ先を娘に向ける。剣は、今のアザナエルの心中を表すように炎に包まれている。
「私が、悪魔どもに後れを取るとでも?」
「いえ、そんなことは……」
いきなり剣を向けられ困惑するメイド娘。
「剣をお引きください。アザナエル様」
声と共にアザナエルとメイド娘の間に、男が現れる。
「サナエルか。ファリエル様はどうしたの」
「もう、お聞きになっているはずです。これを」
サナエルがアザナエルに一振りの剣を差し出す。アザナエルはその剣を受け取ると鞘から抜いた。
「これは、ファリエル様の剣……」
そして、頭の中に流れ込んでくるファリエルの最後の姿。アザナエルはファリエルの剣を抱きしめる。
「ファリエル様、アザナエルは、何百、いえ、何千回生まれ変わっても、ファリエル様を見つけ出します。待っていてください」
アザナエルの青い瞳から、涙が零れ落ちた。
現代、天界。
「主よ。大変でございます」
白髭白髪の老人の部屋に飛び込んできたのは、一対二枚の白い翼を持つ下級天使だ。
「天使長様、ミカエル=ティアエル様が、これを残していなくなりました」
老人は、天使から書状を受け取る。中身は『ファリエル様が見つかったので、天使長を辞めます。探さないでください』と書かれている。
「主よ。大変でございます」
書状を読んでいると、更にもう一人、下級天使が部屋に飛び込んできた。
「天使長様が、天使長様が天界の門を強行突破しようとして、門番たちを相手に大暴れしています」
「能天使達を動員してもかまわん。ミカエルを連れ戻せ。絶対に天界から出してならぬ」
しかし、指示が出された頃には、天界の門の門番たちは、全員沈黙していた。
ここで、時間を少し巻き戻す。
その女性が白銀の甲冑姿で天界の門にやってきたのは、門番たちが知る限り初めてのことだったが、彼らは上司であるその女性を丁重に門の中に招きいれた。
「天使長様、本日はどのような用件でございましょう?」
門番たちの指揮官、二対四枚の翼を持つ能天使はたずねた。
「天界の外に出る。門を開けてください」
「かしこまりました。では、主の許可証をお見せくださいますか」
「許可証は無い」
「は?どういうことでございましょう?」
能天使は聞き返していた。門を通過するには、主の許可証が必要なことくらい、三対六枚の翼を持つ熾天使であり、天使長であるこの女性が知らないわけは無い。
「言葉の通りだ。ここは実力で通させてもらう」
「それは、主への反逆罪と知っての発言か?」
「一万年と二千年、やっとファリエル様を見つけたのです。私は、堕天されてもかまわないと思っていますの」
熾天使が剣を抜くと、門番たちもそれぞれの武器を構えた。
召集された能天使達が、天界門に着いたときには、天使長ミカエル=ティアエルの姿は無かった。代わりそこにあるのは、気絶させられた門番たち。
しかし、この情報は天界の一部のものを除いて開示されることは無かった。魔界との関係が緊迫している今、天使長が地上界に降りたというスキャンダルを、公にはできなかったのである。
同日、魔界。
「なに?アスタルトがいなくなった」
使い魔がアスタロスに報告する。とそばにいた魔王が反応を示した。
「お嬢さんがどうかしたのか?大公爵」
「娘が地上界に家出したようです。しかも、ケルベロスJrもつれて」
サタンだけでなく、周りにいた悪魔たちも騒ぎ出す。
「確かお嬢さんの魔力は、大公爵よりも強かったと記憶しているが……」
「はい、その通りでございます魔王様」
返事を聞いて魔王は腕を組む。
「地上界を滅ぼせるほどの魔力の持ち主が、野放しというわけか。大公爵、至急にお嬢さんを連れ戻せ。今、このことが天界に知れたら非常にまずい」
「はい。そのつもりです。では失礼します」
アスタロスは、会議室を急ぎ足で出て行った。
「しつこい……」
黒い三首の巨大な犬の背中に乗った、年のころ十七、八の少女は後ろを振り向きつぶやいた。黒髪黒眸の少女で、背中には三対六枚の漆黒の翼。地上界でいうゴスロリ風のファッションが良く似合っている。
後ろには、「アスタルトお嬢様、おまちくださ〜い」などと叫びながら追いかけてくるものが数人。追いかけてくるのは家の召使たちだ。
とはいえ地上界とつながる地獄門までもう少しだ。振り切るのは時間の問題なのだが……
「地獄門までこのまま行っちゃうと、私たちはともかく、あの人たちはあなたのお父さんに食べられちゃうわね」
自分の乗る三首の黒犬、ケルベロスJr(愛称:ケルちゃん)に話すと、「地獄門に行くと、どうなるかは、彼らもわかっているよ。放っておけば」という思念がアスタルトに流れ込んでくる。
「そうも、いかないのよ」
アスタルトは、呪文を詠唱し始める。
「混沌たる者 闇の中の王 その力を願い求める 闇の眠りを与えよ」
呪文が完成すると追っ手の召使たちが一人、また一人と地に臥していく。死んではいない、ただ眠っているだけだ。雇い主である父の叱責は受けるかもしれないが、このまま進んで地獄の門番ケルベロスに食べられるよりは、はるかにマシである。
「さあ、ケルちゃん、急ぎましょう」
アスタロスが声をかけると、ケルベロスJrはうれしそうに吠えた。
「一万年と二千年、やっと見つけたのです。待っていてくださいファリエル様」
アスタルトは、頬を赤らめてつぶやいた。
大公爵アスタロスが地獄門に到着した時には、娘のアスタルトはケルベロスJrと共に地上界に出た後だった。
地上界。
「おはよう。奈江ちゃん」
小学校高学年ぐらいの少年が、年の頃十五、六の少女に声をかけた。ただ妙なのは少年が、名門私立高校の制服を着込んでいることである。結果から言えば妙なことはない、彼、蒼天仁は高校に通う一年生で、今年十六歳になるのだから。ただ百四十五センチの身長と童顔が彼を小学生に見せている。
「おはよう。仁」
奈江と呼ばれた少女が振り返って微笑んだ。仁より頭ひとつ分は背が高い。美少女と言ってよい顔立ちだ。人と違う点があるとしたらその瞳の色だろう。右の瞳が黒、左が夏の空のような青色をしている。オッドアイ、ヘテロクロミヤなどと呼ぶ。
仁と奈江は幼馴染だが、仁の身長と童顔のせいで、姉弟に間違われることが多々ある。
ともあれ、学校へ向かい二人は並んで歩き出す。
「昨日、変な夢を見て、寝不足でかなわん」
「どんな夢を見たの?」
奈江が、興味津々といった感じで聞き返してきた。
「シルエットになっていて、どんな容姿なのかわからないけど、女の人に名前を呼ばれるんだ。なんか六枚の翼が背中から生えていたような。それで、呼ばれる名前なんだけど、仁でなくて、フェリエルとかファリエルとかそんな感じの名前……」
「夢の中で、その人になっているだけじゃないの?」
納得していない仁の表情。
「でも、確かに自分のことだってわかるんだよね。不思議なことに」
「ただの夢よ。気にしないで学校にいこう」
奈江の微笑みに、仁は夢のことを無視することにした。
始業前、奈江は自分の席から、男友達と話す仁を眺めていた。
今朝の、仁の夢の話しには驚いた。奈江が最近見る夢の内容と共通部分があるからである。
夢の中で、奈江はアザナエルという女性天使になっている。背中には三対六枚の翼。
その奈江の前で落ちていく、金髪碧眼の同じく三対六枚の翼を持つ男性。しかし、奈江は確信していた、その男性が仁であることを。そして奈江は叫ぶ。「ファリエル様」と……
「三対六枚の翼」「ファリエル」「ファリエルと名前を呼ぶ女性」ただの偶然なのだろうか。
詳しく話を聞いたわけでもないのにつながる奇妙な符合……
でも、いくら考えても答えは出なかった。
「ご馳走様でした」
奈江に作ってもらった弁当を食べ終えて、仁は芝生の上に横になる。
「ちょっと、仁。お行儀が悪いよ」
奈江が注意するが、いつものことなので通用しないことはわかっている。
奈江が何故、仁の弁当を作っているかというと、恋人同士というわけではなく。単身赴任の父親に母親が付いていってしまったため、仁が一人暮らしを余儀なくされているためである。
しかも、仁は放っておくと、三食カップラーメンで済ませてしまうほど食事に無頓着だ。
背が伸びないのも、その辺に原因があるかもしれないと奈江は思っている。
ともあれ、元々世話好きの奈江は、仁を放っておくことができずに、毎朝毎晩お隣の蒼天家に通っている。
いつもと同じ昼休みのはずだった。このときまでは。
二人の目の前に、三首の巨大な黒犬が現れた。あまりのことに硬直して動けない仁と奈江。
黒犬、ケルベロスJrも、二人に危害を加えるつもりが無いらしい。あくびをして首の後ろを掻いている。
ケルベロスJrの前に一人の少女が降り立つ。黒髪黒眸の顔立ちの整った人形みたいな愛らしい少女で、背中には三対六枚の漆黒の翼、ゴスロリファッションが少女の美しさを際立たせている。その少女が仁を見つめる。
そして、仁と奈江を挟んでケルベロスJrとは反対側に降り立った人物。
白銀の甲冑に身を包んだ金髪碧眼の女性。背中には三対六枚の純白の翼。こちらは綺麗なお姉さんタイプだ。黒の少女と同じように彼女も仁を見つめている。
さらに状況が理解できずに、硬直している仁と奈江……
しばらくして、黒の少女、アスタルトと白い女性、ティアエルは同時に叫んだ。
「「ファリエル様。一万年と二千年前から、お会いしとうございました!」」
二人が仁に抱きつく。
この日から、天使と悪魔と人間の奇妙な共同生活が始まった。
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