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虎牢関
「とりあえず、事なきを得た、って感じかな」

 シ水関を一番に突破した北郷軍は進軍を続けていた。

 華雄を見事、一騎討ちにて撃退したのは愛紗だ。華雄が戦線を離脱すると、総崩れとなった董卓軍はもはや連合の敵ではない。

 最前線で戦った北郷軍に加え、公孫賛、陶謙、馬超の軍団の追撃により、あっけなく、シ水関は落ちたのだった。

「そうですね……投降した兵を加え、我々は少し兵力を増しました。これから、袁紹がどう指示をだすかが鍵ですね」

 一刀の横で馬を進める桂花が、神妙に口を開く。

 先の戦い、曹操が陣を去った後に袁紹から来た先発隊の命令。その勢いのまま、ここまで進軍してきたわけだが、このまま行けるか、となると正直微妙な話だ。

 朱里たちの計算よりも早く決着はついた。華雄が飛び出してきた上、自分から愛紗に戦いを挑んだというのもあるが、予想以上に敵の歯ごたえが無かった。

 そう、本隊とも言える張遼の騎馬隊が、戦闘開始してしばらく、曹操軍に吸収された。結局、残ったのは華雄隊のみで、実際は援護など必要が無かったくらいだ。

 それでも、戦略的な面では、援護は必要だった。

 北郷軍のみでシ水関を落としていたのなら、果たして虎牢関でも先発隊を任せてくれる可能性はあるのか? それは否だ。

 一番乗りは誰もが欲するもの、ならば虎牢関をあっさりと落としそうな軍を先発にするわけが無い。

「ま、仕方ないか」

 一刀は苦笑した。こうなってしまったものは仕方ない。後は、麗羽の采配に期待、といったところか。

 それに、まだ隠している一手がある。

 一刀が言うと、桂花とは逆位置にいた朱里と雛里は頷いた。

「うにゃあ、おなかすいたのだ」

「またか張飛。さっき私の分まで食べただろうがっ」

「すいたものはすいたのだぁ」

 一刀たちの少し後ろ、二つの騎馬が言い争っていた。

 片方は北郷軍きっての武将、張益徳。蛇矛を持つ手とは逆の手でお腹をさすりながら、天を仰ぐ。

 もう片方は銀髪の女性。肌の露出が多少気になる鎧を身にまとった、華雄であった。

 そんな二人の会話を聞く桂花はため息をつく。緊張感が無さ過ぎる、と言うよりも、さすがにそれはないだろう、と主人をジト目で見た。

 彼女たちが主君、北郷一刀は、捕虜として捕らえた華雄を縛ることすらせず、自らのすぐ傍に置いたのだ。確かに、武器は持っていないが、危ないことには変わりない。

 だと言うのに、「事情は話したし、華雄なら大丈夫だよ」などと言い張る。少々、いや大分桂花の頭が痛くなる発言だった。

 しかし、桂花の顔には決して怒りは見えない。

 それは、この少年がそういう人物だとわかっていたから。その理想すらも、熟知しているつもりだ。

 それは決して、甘すぎることはない。桃香のように、理想だけしか見てないわけではないのだが、世間的に見れば十分に甘い。だが、自分が傍にいれば、荀文若がいれば、叶えられる。そのために自分はいるのだと、桂花は堅く信じていた。

「ほら、鈴々」

 振り向いた一刀は、制服のポッケから取り出した包みを鈴々に投げた。華麗にそれをキャッチした鈴々は、中を見てはにかんだ。

「お饅頭なのだ! お兄ちゃん、ありがとう!」

 がっつく妹に微笑みながら、持ってきてよかったと一刀は喜んでいた。

 そんな一刀を、華雄は訝しげに見つめる。

 これが主君か、と。

 部下が礼節を欠いていても、まったく気にしていない。それに、自分への配慮。まともな神経を持ち合わせているとはとても思えない。

 けれどどこか、己の主を華雄に連想させる少年。

 不思議なものだ。華雄は感嘆する。

 これ以上はない、と思い仰いだ主君。その少女に勝とも劣らない少年。まだまだ、自分の目は節穴なのだな、と。

「華雄も食べるか?」

 親しげに話し掛けてくる一刀。いいや、と華雄は首を振った。

「そっか。……あ、華雄の武器、ごめんね。結構年季入ってるぽかったけど……」

「気にするな。壊れたものは仕方ない。それに、私は負けたのだ。文句を言う資格などない」

 華雄の用いていた戦斧、金剛爆斧は、ものの見事に破壊された。それは、元々の寿命だったのか、それとも愛紗の力が為せる業なのか。今となってはわからない。

 華雄は少し馬を早め、一刀に近づいた。すると、鈴々もそれに続く。抜けているように見えても、やはり一人の武将。華雄からの護衛を任されたのならば、それはきちんとこなす。口元に食べかすがついていても。

 うっすらとほほ笑みを浮かべた華雄だったが、すぐに引き締め、一刀を視界に収めた。

「董卓さまを助けるという話、本当だろうな?」

「うん。少なくとも、俺たちはそのつもりだ」

 一刀は前に向きなおした。決して、華雄と目を合わせないためではなく、単に馬に乗るのが少々不安だっただけ。華雄もそれを知ってか知らずか、「そうか」とのみ答え、後はだんまり。

 そんな中、早足で一刀の元に伝令が届いた。他の兵たちと比べ、少し薄着なものの、やはり金の鎧をつけたその伝令は、間違いなく麗羽からのもの。一刀が馬を止めると、行軍自体が制止する。愛紗の号令のせいだ。

「どうした?」

「はっ、袁紹さまより伝令ですっ。一旦行軍を停止。北郷殿は、本陣に集合せよとのことです」

「ん、わかった。すぐ行くよ。わざわざありがとう」

 よもや感謝の言葉が来るとは思っていなかったのか、伝令の男性は挙動不審になりつつも、笑顔で去っていった。

「さて、じゃあ……桂花」

「はいっ」

 自分に指名が来て嬉しい桂花は、喜びを隠そうともせず大声で答えた。逆に、朱里と、特に雛里はしょぼんと落ち込む。朱里はまだいい。最初の召集にはついていけたのだから。だが、自分も軍師であるはずなのに、雛里は未だ、こういった会合に同行できていなかった。もちろん、そういった機会がないからだとわかっているものの、やはり疑ってしまう。二人の軍師が優秀すぎるためか、自分が必要ないのではないか、と。

 そんな雛里の様子を見て、一刀は苦笑して、頭に手をやった。

「雛里は人前で話すの、少し苦手だろ? 大丈夫、雛里は雛里にしかできないことがあるんだから」

「……はいでしゅっ」

 噛んだことで雛里の顔は真っ赤になる。やれやれ、と呟きながら、今度は前方に視線を向けた。

「あと、桃香」

「ふぇっ? わ、私っ?」

 よもや自分が、と桃香は驚きを隠せなかった。もう一人は愛紗か鈴々のような護衛がついていくものと思っていたのだ。

 しかし、一刀の真剣に自分を見る眼差し。そこから、本気であることが読み取れた。

「桃香も来てくれないか?」

 もちろん、断る理由などない。

 桃香はうん、と。こちらも真撃な眼差しで返した。



***



 陣に諸侯が集まり終えると、あいも変わらず高飛車な態度で麗羽は口を開く。

「北郷さん、馬超さん、陶謙さん。あ、あと伯珪さん。シ水関、おつかれさまですわ」

 珍しく、感謝の言葉を述べる麗羽に奇妙な感覚に陥りながらも、公孫賛は口を開いた。

「ああ、それより、次は虎牢関だ。……先発隊はどうするんだ?」

 馬超、陶謙が固唾を飲み込んだ。

 ここで最悪、四人のうち誰かの軍が選ばれなければならない。難攻不落の虎牢関だ。二つ以上の軍が選出されることも考えられる。誰か一人でも選ばれなければ、希望は無い。

「ええ、もちろん考えていますわ。先発隊はか……」

「なあ、麗羽」

 麗羽が言い終わるよりも早く、一刀が口を挟んだ。この場の空気、麗羽の視線。諸々のことから情報を読み取った一刀は、すばやく、次の一手をうった。

「……なんですの?」

 不満げに麗羽が一刀を見やる。

「先発隊のことだけど、こういうのはどうだ? 各軍から、俺の軍に兵を出してもらうんだ。それで、一見大軍勢に見える俺たちが陽動となって動き、本陣が奇襲。敵将にはあの呂布がいるって話だし、正面からぶつかるよりは勝算があると思うんだけど」

 麗羽の性格も考慮して考えると、彼女は虎牢関に一番に入りたいと思うだろう。だから、きっと先発隊には一番の実力者をあて、その隙をつくはず。

 これは、軍議が始まる前の桂花の言だ。それを逆手にとろうと、一刀自身と桂花が考えた策。

「それはどうかしら」

 そんな一刀たちの案に、曹操が干渉する。極めて冷静な態度のまま、先を続けた。

「なんでだ? あたしはいいと思うぜ」

「馬超。本当にそう思う? 確かに、一見理に敵っているように思える。だけどね、北郷軍がそのまま呂布を打ち、虎牢関を突破しないとなぜ言い切れる?」

 まさにそれこそが、桂花の狙いだった。見事に言い当てられたことに、ちっ、と舌打ちする。そんな桂花を見て、曹操は勝ち誇った笑みを浮かべた。

「嘘なんてつかないよ!」

 真撃な態度で、桃香が声を張った。曹操はそんな桃香の言葉を気にせず、馬耳東風。ツン、と受け流した。

「どうだか。それに、私は貴方の意見なんて求めていないわ、劉玄徳」

 桃香の背筋に電流が走る。

 それは、初めてまともに浴びた覇王の気。身体が硬直したまま、動かなくなる。ビリビリと肌で直接感じるそれ。今までに無い「何か」が、桃香の体中を駆け回った。

 虚脱状態の桃香を、曹操は次々と言葉で畳み掛ける。

「そもそも、私は貴方の存在自体どうかと思ってるの。北郷軍に果たして、必要な存在? 有能な主君、有能な将、有能な軍師。北郷軍の唯一の欠点……それはお前だと知れ!」

 その時、曹操の目の前には、怒りをあらわにする一人の少女が立っていた。それは激情する自分。鏡を見たときのように、お互いに向き合い、互いに交差する眼光。

 なぜ?

 なぜ、自分はこんなにも……恐れている?

 飽きることなく、桃香に言葉をまくし立て続ける曹操。そんな己の姿を、第三者的――客観的な視点から見る彼女は、曹孟徳。誰よりも、自分のことがわかっている。

 ここまで桃香を罵倒する理由も、意義もない。だというのに、口は勝手に言葉を紡いでいく。感情の嵐。

 北郷一刀の傍により立つ、劉備玄徳。

 その存在が、どうしようもなく許せなかった。

「曹操っ」

 珍しく一刀が声を荒げた。

 我に返った曹操は、特に謝るといった動作もせず、押し黙った。

 今の感情は、一体。

 訪れたのは、激しい空虚感。

 一人ぼっち。

 そんな、久しく感じていないものだった。

「ならば、我々北郷軍は誓紙を書きましょう」

「なっ」

 冷静さを欠いていた曹操に、桂花が口を切った。それも、曹操の予想の斜め上を行く発言だ。

 これはつまり、一刀たちは本当に陽動だけに徹すると言うこと。自分たちが虎牢関を落とすなど、ありえないということ。

 こうなってしまえば納得せざるを得ない。曹操はしぶしぶながらも、「わかったわ」と口にした。

「って、ことになったんだけど……盟主さまはどうしますか?」

 冗談めかした口調で一刀は麗羽に聞いた。少し呆けていたのか、らしくなく慌てた様子でそれに答える。

「え、ええ。な、ならそうしましょうか……」

 そして、北郷軍に各諸侯から兵を出してもらう段取りがついた。

 麗羽は戸惑っていたわりに一番多くの兵を提供した。一刀が傷つくのだけは避けたい。そんな所だ。

 袁術は自らの部隊ではなく、孫策軍を。それが、己の軍の攻撃力を弱めていると言うことに気付かないのは、袁術らしいといえばらしい。

「よろしくね、天の御遣いさん」

 陣に現れた褐色の肌の女性は、友好的に片手を差し出した。それを、こちらも満面の笑みで握り返した一刀。

「ああ、よろしく」

 孫策と握手をし終えた一刀は、今度は後ろに控える周愉に手を差し出した。まさかそんな展開を予期していなかった周愉は少し戸惑い、そんな珍しい断金の友を見た孫策は、笑いを押さえようともしなかった。

「周愉さんの智謀には期待してる。何かあったら、どんどん意見を言ってくれると嬉しい」

 握り返した一刀の手は、まめだらけだった。周愉の手に広がる堅い感触。でも、それは決して不快なものではない。むしろ、天の御遣いに対して、好印象を与える判断材料となったくらいだ。

「ぶーぶー、期待は冥琳だけ?」

 拗ねたような孫策に、一刀は苦笑交じりに答えた。

「そんなことないよ。孫策にも、もちろん期待してる」

 袁術の下に身を寄せてから、すっかりなりを潜めてしまった孫策の素の対応に、隣で周愉は微笑んだ。やはり、雪蓮には笑顔が一番似合う、と。

 それからしばらく、談笑をした後に二人が一刀たちから離れると、周愉が真剣な顔で口を開いた。

「どう? 雪蓮。天の御遣いは」

「……読めない、わね」

 珍しく歯切れの悪い親友に、周愉は怪訝な顔をした。

 この断金の友は、やたらと勘が優れている。具体性を持ったことから、抽象的なことまで、その能力でわかることの幅は多種多様だ。

 そんな孫策が、わからない、と言う。周愉にとって、これほどのことはなかった。

「悪い人ではないはずよ。でも……腹の中で何考えているのか。そこだけが、どうしても、ね」

「……そうか」

 孫策がそういうのならば、周愉にもわかるはずはない。

 ため息を一つ吐いた周愉は、すばやく出陣についての話へ切り替えたのだった。



 孫策たちが去ってひとしきり、今度は馬超がそこそこの騎馬兵と、将として馬岱も連れてやって来た。

「北郷の軍って、将が少ないんだろ? だからだよ。つっても、蒲公英じゃまだまだ、戦力になれるかってところだけどな」

「もうっ。お姉さまひどいよっ」

「はは、わりいわりい」

 頬を膨らませ、むくれている馬岱に、一刀はニコッ、と笑みを浮かべた。前に会った時、それほど会話した覚えもない馬岱は、少し反応に戸惑ってしまう。

「来てくれてありがとう。期待してるからね」

 ただそれだけ。でも、されどそれだけ。

 何かと優秀な従姉(学については聞かないであげて)と比較されがちだった馬岱は、周りから言われることはいつも決まって、精進しろとの一言。期待している、など初体験の言葉だった。自然と、馬岱の口元は笑みを孕む。

「ありがと、お兄さま!」

「?」

 なぜお兄さまなのだろうか。一刀は一抹の疑問を持ちつつも、まあいいか、と考えることを投げ出した。

 気合十分の馬岱を見ているのは、なんだか新しい妹ができたような感じがして、微笑ましかったのかもしれない。

 続いて現れた陶謙、公孫賛からは歩兵。決して多くは無いが、十分な数では有る。何より、この二人のどちらか、あるいは馬超には一番乗りを果たしてもらわなければならない。兵力を下げすぎてはいけない。もっとも、機動力を上げるために、一部隊切り離した馬超のような手もあるが。

 そして、曹操。

 彼女は渋っていたわりには、主力軍隊の一部隊、そして夏侯惇を差し出したのだ。これには、さすがの一刀も、軍師ーズも仰天を隠せない。だが、曹操は別になんという風でもなく、

「私からじゃないわ。春蘭がどうしてもっていうものだから」

 と。

 こうして、今だけではあるものの、北郷軍は連合中最大の勢力を持ったのだった。



***



 出陣前、一刀たちは加わった兵たちの前に立っていた。

 正直、兵士たちの気は重い。主君から差し出された身である以上、必要ないと見切りつけられたと思っているのかもしれない。

 そんな兵たちに、桃香は綺麗な笑顔を向ける。

「みんな、来てくれてありがとう。陽動って、一見地味だけど、一番重要な仕事だから! 頑張ろうね!」

 誰一人、答えるものはいない。

 命令なのだ。ここに来るのは当たり前。

 どんなに優しい言葉を投げかけられようと、それだけでテンションが上がるはずもない。兵士たちの顔は曇天のままだ。

 桃香は苦笑いで頬をかく。やっぱりだめか、と。

 そんな空気の中、一刀が口を開いた。

「みんな、聞いてくれ」

 陽の光を見事に弾く衣は、天の御遣いの証。

 先ほどまで前に出ていた、劉玄徳なる人物とは違う。自然と、兵たちの顔が引き締まるのが、桃香にもわかった。

 やはり、一刀とは影響力が違う。それも、一桁程度の違いではないだろう。

 ほんの少し、桃香はため息を吐く。

 曹操に言われたことが、尾を引いているのか。自分は本当に、必要ないのだろうか。

 そんな事ばかりが頭に浮かぶ。

「俺が北郷一刀。この軍を指揮する将だ。俺のわがままで、みんなには迷惑をかけていることを、まず謝る。ごめん」

 一刀は頭を下げた。

 当然、場はざわめきだす。これまで彼らには、こんな経験は無かった。自分より上の立場、まして最上級の人間が頭をさげることなど、だ。

 焦りと疑問が交差する面々。特に、夏侯惇はその疑問を実際に口にした。

「な、なぜ貴様が謝るのだっ?」

 顔を上げた一刀の瞳に映ったのは、左目で飛ぶ漆黒の蝶だった。知らず知らず笑みを浮かべようとしていた顔をぎゅっと引き締め、頷いた。

「悪いものは悪い。ここに集まったみんなは、それぞれが選んだ主君に仕え、生きているはずだ。だというのに、俺たちの元に来てくれた。例えそれが命令だったとしても、感謝の念はある。……ありがとう」

 当たり前と言うか、場は騒然としたままだ。静まる気配は、まるで見られなかった。

「黙りなさい! 一刀さまの言葉の途中よ!」

 大声で一喝。

 桂花の一言に、一瞬で静まり返る。頬をかきながら苦笑する主君に、桂花はさぁ、と場を譲った。

「えっと、陽動の主な目的は、敵をひきつけること。逆を言えば、それ以上も以下も無い。でも、俺からの命令は一つだ。

生きてくれ。精一杯、生き延びてくれ。逃げたっていい。投降したっていい。〝生〟をあきらめないでくれ」

「「「……」」」

 答える兵はいない。だが、この場を動こうとする兵もいない。

 初めてだったのかもしれない。

 今まで、国のため、主君のため、軍のためならば、命をも投げ出す。それが基本理念だった。

 生きろ、などという命令は、まさに度肝を抜かれるものだった。

「……俺からは、それだけだ」

 一瞬の静寂。

 そして――咆哮が爆発した。

 すぐ目の前に迫る戦い。それに向け、兵士一人一人が生命の力を噴出するかのような雄叫びを上げた。

 そこに、他の軍とか、よけいな感情は入る余地が無い。ただ今だけは、自分のために、この天の御遣いのために、全力を尽くそうと。

 安心した顔の一刀はさがった。交代するように、愛紗が前に立つ。揺れる束ねた黒髪が、彼女の美しさを誇張させているようにも思えた。

「ではこれより、進軍を開始するっ!」

 その掛け声で、はっとなった騎兵は馬にまたがり、歩兵は武器を担ぎなおす。

 進軍する体制が整うと、一刀の横で、愛紗が声を張り上げた。

「一時的にとはいえ、北郷軍に加わった以上、規律は守ってもらう!

一つ、命を粗末にするな! いつでも、どんな状況でも、生に喰らいつけ!

一つ、仲間を犠牲にするな! 軍が違えど、この場では皆仲間である! 全力でお互いを助け合え!

一つ、軍規を乱すものは死罪! そこに本来の軍は関係ない!

一つ、強盗略奪は打ち首だ!」

 続いて、雛里が稀に見る大きな声を張り上げる。

「右翼、張飛・馬岱・諸葛亮隊! 左翼、関羽・夏侯惇・鳳統隊! 本陣は北郷・劉備・孫策・荀イク隊が率います!」

 次は鈴々。馬上で蛇矛を天に掲げ、咆哮する。

「敵軍の動きに合わせ、全軍停止。初撃を堪えたあとで反撃に移るのだ!」

「本陣からの合図によって動く。我が旗を見失うなよっ! 銅鑼の音も聞き逃すな! 戦というものは時期を掴めば勝てるもの――!」

 愛紗の声が嵐となって軍中に行き渡る。

 その中で、伝令が声を上げた。愛紗の声、兵士たちの雄叫び、その中でも響き渡るように、大きな大きな声で。

「虎牢関正門が開門しましたぁ――っ! 旗印は呂! 敵本隊です!」

 それに将たちが皆頷き、朱里が肺に溜まった息を吐き出した。

「分かりました! 全軍展開してください!」

「弓、構え――っ!」

 サッ。

 愛紗の命令を受け、弓隊が一斉に矢をつがえる。

「三、二、一……斉射!」

 桂花が手を払うと同時に、矢が敵兵へと飛んでいく。

 こうして、対虎牢関戦の火蓋は切って落とされた。


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