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シ水関
 初平元年、正月。

 首都洛陽の東、要塞シ水関を臨む荒野に、反董卓連合が結集した。

 各地より集められたその大軍勢。

 しかし……それは同時にそれぞれに野望を抱く豪族たちの野合集団であり、いつバラバラになるともわからない危険を孕んでいるものだった。



 この連合の盟主、袁本初。渡って三公を輩出した名門・袁家の出身であり、その影響力は大陸中でも屈指のものだ。

 さらに、そんな袁紹軍には二枚看板なる存在がいた。

 文醜、顔良の二人。彼女らは名実共に、袁紹を支えている。そんな二人を背後に従えた袁紹の前に、次々と諸侯たちが集まる。

 乱世の奸雄・曹孟徳。連れ立って歩くは、夏侯の姉妹。

 白馬将軍の異名をもつ、公孫伯珪。

 西涼の錦馬超。同じく西涼出身の馬岱が傍に立つ。

 袁家からは、本初に続き袁公路。お守り役に張勲が。

 その客将・孫伯符。

 徐州の刺史、陶謙はひっそりとたたずみ。

 等、数々の諸侯が腹心の部下を連れ、この場に集まった。この場とは勿論、盟主袁紹の陣である。

「お――ほっほっほ、わたくしが袁本初ですわ」

 長い金髪の縦ロール。

 口元に手の甲を当て、袁紹は高らかに己の名を叫んだ。後ろに控える二人は同時にため息を吐き、同じく口から長い息を吐き出したのは曹操だ。面倒くさいことこの上ない。死んでくれないかしら?

 などと、曹操が心中でぼやいていると、その瞳に、ある人物が浸入してきた。

 煌びやかに、陽の光を反射する衣。明らかに宝剣と言えそうな物を腰にさし、部下らしき女性を二人引き連れた北郷一刀は、片手を上げて遅れて来たことを袁紹にわびた。

「すまん、陣の設営が手間取って遅れた」

 あれが噂の天の御遣い。

 黄巾の乱で武勲を上げ、平原の県令の推挙されたという人物。曹操は、この男について部下に調べさせていた。陳宮(この時、すでに彼女は曹操の元に身を寄せていた)の報告によれば、その善政から民に慕われている。が、それだけ。噂にあるように、妖術などが使えるわけではないようだ。噂は噂だったらしい。

 曹操は、この男の馬鹿さ加減に冷笑した。遅れてきた事はまだいい。明確に時間を示していたわけではないのだから。問題は、言葉使いに態度といったところか。高々一介の県令に過ぎないくせに、司隷校尉の袁紹に対してああも軽く接するとは。衰退した王朝とはいえ、いまだ官職の力はそこそこにある。その上、袁紹は自尊心が高い。見ず知らずの男、それも自分よりも位の低い人物。そのまま切って捨てる事も、なくはない。……はずだった。

「あら、北郷さん。本当に待ちましたわよ」

「よく言うよ。すでに自己紹介始めていたくせに。忘れてただろ? 俺たちのこと」

「……そんなことありませんわ」

「今の間は何だ。今の間は」

 楽しげに会話する二人を見て、曹操は唖然とする。ちなみに、この事で公孫賛もまた、驚愕していたのだが、持前の影の薄さで気付く者はいなかった。

「麗羽。貴方、この男と知り合いなの?」

「ええ」

「……」

「……」

 詳しい経緯を教える気はないらしい。

 曹操は聞いても無駄だと悟り、まあいいわ、と息を吐いた。

 それから、一言二言袁紹と言葉を交わした一刀たちは、適当に開いている位置に移動した。

「まあ、これだけ名の有る皆様が一同に介する機会など、中々ある機会じゃありませんわね。こんな時でなければ、ゆっくりとお話でも、と思ったのですけれど」

 延々としゃべり続ける袁紹。その言葉の端々には、名門だとか袁家など、家柄を気にする言葉が幾度となく出てきたのだが、この場にいるほとんどはそんな袁紹と知ってか知らずか、誰も口を挟まなかった。

「麗羽や」

 そんな中、似てはいるが袁紹のものよりも幾分高い声が場に響く。その発言元は袁術。チラチラと一刀に目をやりながら、指をさす。

「こやつは誰かえ?」

 おおよその見当は、ここにいる諸侯のほとんどは察しがついていた。光を弾く白銀の衣。後ろに控える女性の、黒く麗しい黒髪。

 天の御遣い北郷一刀に、その部下関羽に間違いが無い、と。

「美羽さま〜。あれはきっと、天の御遣いですよ」

 その疑問に答えたのは名指しされた袁紹ではなく、隣に立っていた張勲。そのことで、少し袁紹の顔がむっ、となる。けれど、張勲は気にせずに続けた。

「天の御遣い?」

「はい。なんでも、多種多様な幻術を用いて、触れずに相手の首を落とせるのだとか」

「こ、こわいのじゃっ」

 数歩分体を引いた袁術に、苦笑する一刀。クスクスと笑う張勲を見て、確信犯だなー、と後ろ頭をかきつつも、袁術の方へ近づいた。

 一刀が近づいたことにより、さらに小さくなる袁術。しかしそんなことは気にせず、一刀は身を屈めて、自慢のスマイルを袁術に向けた。心なしか、袁術の顔から恐怖が薄れる。

「安心していいよ。そんなことできないし、仮にできたとしても、こんなかわいい娘にはしないよ」

「そ、そうか。よ、よかったのじゃ」

 ほっと胸をなでおろす袁術の頭を、ついつい撫でてしまう一刀。官職などからすれば、完全な侮辱行為なのだろうが、当の袁術は特に気にしていないようで、頭の上からくる心地よさに目を細めていた。

「さて、と」

 一刀が立ち上がると、少しうらやましそうにしていた袁紹の顔がはっとなる。そんな袁紹には気がつかず、一刀は続けた。

「えっと、たぶんこの中じゃ一番知らない人が多いだろうけど、俺が北郷一刀。巷で、天の御遣いとか呼ばれている張本人だ」

 一瞬、空気が張り詰めた。

 予測が確信に変わる時。それが今、訪れた。

 ある者は満足げに鼻を鳴らし。

 ある者は心中が悟られないような笑みを浮かべ。

 またある者は息を呑んだ。

「で、こっちが関羽と諸葛亮。俺の仲間だ」

「関雲長と申します」

「諸葛孔明です」

 二人とも軽く会釈をしただけで、すぐに口を閉じる。この場で、彼女らが話すことなど無いに等しい。二人とも了見していた。

 パンパンと袁紹が手を叩く。

「はいはい、これで北郷さんの紹介は終わりですわ。それより、この連合でまだ決まっていないものがありますの。何かわかりますか? 華琳さん」

「……答えたくないわね」

「伯珪さん?」

 答えないとわかるやいなや、袁紹は標的を変える。公孫賛は腕を組み、目を逸らしながら口を開いた。

「総大将、だろ?」

「そうですわ! まあ、これだけの諸侯を束ねる者など、この中では限られてくるのですが。例えば、例えば! 名門、袁家出身の者である、このわたくしとか?」

 少し興味があるのか、袁術も期待を孕んだ瞳をキラキラと輝かせていたが、そんなことを気にする袁紹ではない。と言うより、気付く袁紹ではい。

 しばらく続く袁紹の話を票訳すると、総大将にふさわしいのは自分しかいないから、さっさと私を推薦しなさい。

「別にいいんじゃない?」

 適当に曹操が頷くと、次々に諸侯たちは肯定の意を示す。誰が総大将であろうと、自分たちには関係ない。誰もが思っていたことだ。

 このことで唯一落ち込んだのは、他でもない袁術だけだったろう。

 そして、延々と一人で妄想の世界に入っていく袁紹を放っておき、諸侯たちは段々と少なくなり、気がつけば一刀たち以外、誰も残っていなかった。

「あいかわらず大変だね」

 一刀が笑いながら、顔良に声をかけた。顔良は「はい」と儚げに答え、文醜は空を眺めていた。おそらく、あまりに長い袁紹の話に飽きたのだろう。

「麗羽。みんな帰っちまたっぞ」

「ふんっ、別にいいですわよ。あの人たちは名家の当主であるこのわたくしに嫉妬しているんですわ。ですからわたくし、全然まったくこれっぽちも、マツゲ一本分も寂しくなんてありませんわ」

「ま、気にすんな。俺たちは協力するからよ。な? 愛紗、朱里」

「はい」

「え、ええ……」

 愛紗ははっきりと、朱里は戸惑いつつも肯定した。

 一刀たちは袁紹とは顔見知りなのだろう。朱里は理解したが、やはりどういった知り合いなのかまではわからない。それに、とても一刀たちと、特に愛紗が心を許すような相手には見なかった。

「……ふんっ。いつまでここにいらっしゃる気? さっさと自分の陣地にお戻りになれば?」

「はは、そうさせてもらおうかな。と、その前に。部署とかはどうする?」

「それは後で伝えますわ」

 了解、と一刀は答え、陣地を後にした。

 その背を眺め、袁紹は少し手を伸ばしかけ、やめた。

 弱くてはいけない。強く、神々しく、煌びやかに。それこそが、袁家の当主だと。心に言い聞かせる。

「あーあ、麗羽さまったら意地はっちゃって」

「文ちゃん」

「わーってるよ」

 そんな主君を、ほほえましく眺める家臣もいたと言う。

「この戦、どうなるんでしょう……」

「ん?」

 陣へ帰る途中、朱里が不安げに口を開いた。見ると、愛紗の顔にも懸念が浮かんでいた。

「そもそも、董卓さんの軍自体、謎に包まれてますから。桂花ちゃんですら、詳しいことはほとんどわからなかったくらいですし……」

 敵の規模、軍備……戦いに必要な情報はほとんど入っていなかった。桂花の情報力を持ってしても、だ。

「ま、仕方がないさ。これからも、情報収集は大きな力になる。欠かさないでくれ」

「はい。とにかく、戻ったらすぐに間者を放ちましょう。脚の早い人を何人か選んでいますから」

「どこに放つ?」

 と、愛紗。

「シ水関と虎牢関ですね。砦の内部に進入は難しいと思いますけど、高地から遠望は出来るでしょうから」

 一刀も同意権だったらしく「だな」と頷く。

「あの……」

 朱里が申し訳なさそうな顔で、一刀を見上げた。一刀は笑顔で首をかしげる。

「ご主人さまたちは、袁紹さんとお知り合いなんですか?」

「うん。ちょっと厄介になっていた時があって。な? 愛紗」

「はい」

 袁紹とは、鈴々も含めた三人で旅をしていた頃出逢った。

 数日間だけだが、袁紹の屋敷に居候させてもらっていた一刀たち。その時の話は、ここでは省略しよう。結果だけいえば、一刀は袁紹から真名を授かるほどの信頼を得た、という話だ。

「おかえりなさいませ」

「おかえり」

「おかえりなのだ~」

「お、おかえりなさいです」

 辿り着いた陣で桂花、桃香、鈴々、雛里と順に言葉をもらい、一刀たちもただいまと返す。すぐに軍議の報告に移るが、如何せん、何も決まっていないのだから、報告することもあまり無い。

「それで、総大将は袁紹」

 我らが猫耳軍師、桂花がいつものように顎に手を当て、朱里からの報告を反復した。桂花は、さしてそれを気にしているようには見えない。

「ま、別にいいわ。それより一刀さま。我らは……」

「うん、目的はあくまで一つ。みんな、それを忘れないでくれ」

 今回の一刀たちの目的は、董卓の救出。その為にも、洛陽への一番乗りは欠かせない要素だった。

 そして、洛陽に至るまでに関は二つ。

 シ水関と虎牢関だ。

 この二つを越え、初めて洛陽への道は開かれる。何より、一番乗りは誰もが狙うもの。そう簡単にはいかない。行き着くまでに、あまりに快勝をしてはいけないのだ。

 北郷三軍師の計算からすれば、おそらく今の北郷軍がシ水関で手間取るようなことはない。愛紗に鈴々という猛将に加え、優秀な軍師。少々兵力が少ないが、シ水関に収容できる兵の数をどう見積もっても、問題はないはず。

 だからこそ、被害は最小限に抑え、なおかつ苦戦しているように見せる必要があった。

それはなぜか。

 簡単だ。誰もが狙うのは、ギリギリの場面で手柄を横取りすること。そのためにも、強すぎる軍は警戒される。かと言って、弱すぎるのは論外。

 ギリギリ勝利できるレベルの軍こそ、連合が望む先発隊となりうる。

「だからって、いたずらに兵力をそぐようなまねをしたくないよ」

 桃香の言うとおりだ。だから、十分な策を練る必要があった。

「そこで必要となるのは協力者、だろ? 何人かには声をかけてみたよ……と、早速来たみたいだ」

 一刀たちの陣に、数名の部下を連れた女性がやって来た。

 赤みがかかった髪を、一つ結びにしている女性。白馬将軍だ。

「悪いな、北郷。この紙のことだけど……」

 そこで、公孫賛の目に一人の女性が映る。瞳に宿った本人も、顔をぱぁっと明るくし、駆け寄った。

「白蓮ちゃん!」

「桃香か! いやぁ、久しぶりだな!」

 二人とも、かつて盧植の下で学に励んだ友人であった。久々の予期せぬ再会に、二人の心は躍る。

「知り合いですか? 桃香さま」

「ああ、昔の学友だ」

 愛紗の問いには、公孫賛が答えた。

「公孫賛」

 一刀が口を開くと、桃香から離れ、ゆっくりと公孫賛は頷いた。懐から、一枚の紙を取り出す。

「これのことなんだけど」

 そこに書かれていたのはただの一文。意味だって、一つしかない。

 北郷の陣に来てくれ。

 ただ、それだけだった。

「まあ、少し待ってくれ。もう何人か呼んである」

 一刀の言うとおり、陣にはさらに人が訪れた。

 長いポニーテールが馬の尾のように揺れ、頭にハチマキ。西涼の錦馬超と馬岱。そして、徐州の陶謙。

「来てやったぞ、北郷。蒲公英もついてきたけど、問題ないよな?」

「北郷殿。私も来ましたぞ」

「ああ。来てくれてありがとう」

 西涼の二人、そして初老の男性。二人と握手を交わした一刀は、さっそく本題を切り出した。

「馬超、陶謙さん。董卓のことを、どう思う? あ、あと公孫賛も」

「私はついでか! 一番最初に来ただろっ? ……まあ、いいけどさ。どうせ影薄いし……」

 一人でいじける公孫賛を見て、あちゃあ、と一刀が反省していると、陶謙が顎鬚に手を当て、口を開いた。

「……袁紹殿が我らを集めた理由を推し量れば、極悪人であることは間違いないのでは?」

「私もそう思う」

 陶謙と立ち直るのが案外早かった公孫賛が、もっともらしい答えを述べると、馬超が握りこぶしを強く握る姿が、一刀に見えた。

「馬超たちは違うみたいだね」

「ああ。董卓も西涼出身だからな。あたしたちに直接の面識はないけど、母様が知り合いでさ。董卓が暴政なんて、とても信じられないんだって」

 口調こそフランクなものだが、その端々にはやはり怒りがこもっている。その証拠に、左手の握りこぶしが解き放たれることは無い。

「今回、母様は身体が悪くて来てない。だから、あたしは見定めてくれと言われた。もし北郷の話が本当なら、あたしたちはこの連合抜けさせてもらうぜ」

 無言だが、馬岱も同じ意見らしい。

「そっか。なら、話は早い。馬超に馬岱、俺たちに力を貸してくれないか?」

 董卓が実は暴政など布いていないこと。それが、袁紹の虚言であること。

 一刀は、自分の知ることの大体を四人に話した。

「はぁ、本初のことだから、まさかとは思ってたけど……」

 公孫賛は何やら、多少の予想はできていたらしい。大した驚きも見せず、ただただため息を吐き出す。

 目を瞑って話を聞いていた陶謙は、ふむ、と言葉を吐き、髭を撫でた。

「っ、袁紹のやろうっ。ふざけやがって」

 馬超は怒りを隠そうともせず、ぎりぎりと拳を握り締める。馬岱はそれに慌てつつも、とめようとはしていない。気持ちは同じなのだろう。踵を返し、陣を出て行こうとした馬超を一刀が呼び止める。

「どこに行くんだ?」

「袁紹の所に決まってんだろっ? あのやろう、ぶっ飛ばしてやるっ」

 止まる気配の見せない馬超に、一刀が再び声をかけようとすると、後ろから先に言葉が飛び出した。

「待ちなさいよ! 一刀さまの話がまだ終わってないでしょ!」

 それは桂花の声だった。

 さすがに、馬超の歩みが止まる。それを見て、胸をなでおろした一刀は続けた。

「俺たちは董卓を助けようと思ってる。協力してくれないか、馬超」

「……」

「お姉さま……」

 馬岱が無言の馬超に声を変えた。

 しばらくすると、振り返った馬超は真剣な眼差しで一刀を見つめた。

「嘘はないだろうな?」

「ああ」

 数分、いや数秒ほどだろう。見つめあった後、馬超がふっ、とため息を吐いた。その顔からは、心なしか緊張が取れているようにも思える。

「あとさ。麗羽……袁紹のことも、あまり怒らないでやってくれないか? あいつはあいつで、色々あるんだよ」

 その頼みは、なにも一刀だけからのものではなかった。愛紗・鈴々も同様に、馬超に訴えたのだ。そんなこともあってか、ようやく馬超は「わかったよ」と後ろ頭をかいた。

「それで、私たちはどうすればいんだ?」

「うむ。我らも、気持ちは変わらぬ。北郷殿、我らは何をすればいい?」

 陶謙と公孫賛も、協力は惜しまないそうだ。

「ありがとう」



***



 一刀より、作戦の全貌を聞かされた四人は、自分たちの本陣へと戻っていった。

「さて、そろそろ行くか」

「そうですね」

 桂花が頷いたその時、北郷の陣に新たな来訪者が現れた。

「失礼する!」

 キビキビとした声が響くと同時に、一刀たちの下に厳つい軍装に身を包んだ三人組がやってきた。

「我が主、曹孟徳がこの軍に用があって参った。北郷殿はどこか!」

「な……いきなり乱入した上、ご主人さまを呼びつけるなど無礼であろう!」

「……おまえは?」

「我が名は関羽! 北郷が一の家臣にして幽州の青龍刀。貴様に、おまえ呼ばわりされる謂れはない!」

 その言葉に、女性の眉が釣りあがる。一歩前に足を出し、にらみつけるような視線を飛ばした。

「貴様だとっ! この私を愚弄するかっ?」

「やめなさい、春蘭」

「あ……華琳さま……」

 いきり立つ部下を抑えたのは、背の低い少女だった。副官らしき女性を引き連れたその少女に、怒気を発していた夏侯惇は辞を低くして道を譲った。

 胸を張り、自信に満ち溢れた視線で、愛紗の傍にいた一刀を見上げた。

「……曹操」

「初めまして、と言うべきね。天の御遣い北郷一刀」

 しばし、見つめ合う二人。

 普段ならば、桂花か愛紗あたりが声を荒げてもいいだろうに、それも今日は無い。二人とも、なんともいえぬ感覚に捕らわれていたのだ。水を差すような真似……邪魔をしてはいけないと。

 理性ではなく、本能が、彼女たちを放さなかった。

「どうかした?」

 やっと口を開いたのは一刀。出陣までの時間も迫っていることもあるからか、それとも別の思惑があるのか。手早く用件だけを問うた。

「……私はこれまで、欲しいものはすべて手に入れてきた」

 それは時に形無いもの。例えるならば、その頭脳。その武力。名声や地位。

 時に、形あるもの。夏侯惇・夏侯淵。陳宮。領地であったりもした。

「簡潔に言うわ。私はこの軍が欲しい」

「軍、ですか?」

 その声は桃香のものだ。一歩前に踏み出し、曹操に問う。確かに、その疑問はもっともなものだ。色々功績を上げてきたとはいえ、いまだ小さな軍であることは間違いない。だからこそ、今回協力者を多く求めていたのだ。

「ええ。この軍には有能な人物が多数いる。関羽に張飛、諸葛亮や鳳統、荀イク……」

 曹操の口から告げられて人物は、いずれもこの軍の中枢。良く調べている、と一刀は感心したほどだ。

「そして、北郷一刀」

 再び見据えられた瞳。一刀は咄嗟につばを飲み込んだ。少々、背筋も伸びる。

「他の何よりも、私は貴方がほしい」

 この場にいる誰もが……いや、桃香以外の全員が、曹操の言葉に唖然とする。

 希代の天才であると同時に、曹操は同性愛者であることは有名な話だ。そんな曹操が、一刀を欲する。部下である夏侯姉妹も、桂花たち軍師組も、開いた口が閉じないでいた。

 ただ一人、あまり驚きを見せなかった桃香は、当然だろう、と納得していた。名実共に北郷軍を引っ張る人物である一刀。自分にとっても憧れの対象の彼が、愛紗たちに引けをとるなどないと思っていたのだ。もちろん、桃香が曹操の女好きを知らなかったから、というのもある。

「貴方たちの理想は、私も知っている。私の元に来ればその理想、実現させてあげるわ。それだけの力も、財力も有る。どう? 私たちに降る気はない?」

 曹操は真剣らしい。

 真剣に一刀たちを、一刀を求めている。すると、今まで黙っていた桂花が声を張り上げた



「何言ってるのよ! この金髪くるくる小娘! 私たちの主は北郷一刀さまただ一人っ。そして、一刀さまはいずれ天下を治めるお方。あんたなんかに降るわけないでしょ!」

「無礼なっ! 華琳さまに何たる口の利き方だ!」

 剣に手をやった夏侯惇と桂花の間に、愛紗が立ちふさがる。

「我らが真なる想いも推し量れず、愚弄したのはそちらではないか!」

「聞く耳もたん! 華琳さまを愚弄する貴様らを許しはしないっ!」

 夏侯惇が剣を引き抜いた。すると、愛紗も偃月刀を構え、それに対抗する。

「ほお……やるというのか? いつでも来い! 我が豪撃を受けられるのならばっ!」

 互いに得物を突きつけ、一触即発の状態となった二人の間に、

「二人とも落ち着け」

「春蘭、剣を納めなさい」

 一刀と曹操の二人がわって入り、この場を治めようとした。

「しかしっ」

「ここは連合軍だ。ここで一騎打ちなんかしたら、動揺が周囲に拡がる。それはまずい」

「ええ、北郷の言うとおりよ」

 一刀が声をかけた時点で矛を収めた愛紗とは違い、夏侯惇は中々剣を収めようとしなかった。しきりに一刀を睨み付ける。

 曹操と一刀。この二人は、今日初めてあったはず。だと言うのに、息がぴったりと合っている。それが、夏侯惇には我慢ならなかった。

「春蘭。これは命令よ」

「う……わかりました」

 しぶしぶながら、夏侯惇は曹操の後ろに下がった。

「ま、それはそうと。曹操の話、悪いけど遠慮しとくよ」

 曹操は一刀をじっと見つめ、ふぅ、と息を吐いた。

「そう。まあいいわ。いつか、私自身の力で貴方を引き込んであげる」

 そういい残し、曹操は二人を連れ踵を返した。

「か、華琳さまっ。どういうことですかっ?」

 北郷の陣を出た直後、先ほどの主人の奇行に、夏侯惇が食って掛かった。関羽たちだけならまだいい。そういう部分も含め、曹操のことを彼女は理解している。問題は、北郷一刀とかいう男の事。事もあろうに男、だ。

「何が? 私が欲しいと思っただけ。問題でもある?」

「い、いや、しかしっ」

「春蘭」

「うっ」

 主人の命には逆らえぬようにできているのだろう。夏侯惇は頭を垂れただけで、反論することは無かった。

「おーいっ」

 ふと、背後から男の声が聞こえた。

 三人が振り返ると、必死の形相で一刀が走ってきているのが見えた。歩みを止め、一刀を待つ。

「っはあ、はあっ、間に合った……」

「どうしたの? 気が変わった?」

 曹操が聞くと、「いいや」と一刀はそれを否定する。やはり、夏侯惇はおもしろくない顔をしていた。

 一刀はそんな夏侯惇に振り向き、右手を差し出す。

 突然自分の方を向いた一刀に驚きながら、頭に? が浮かぶ。一刀の差し出された右手には、蝶の形を模した眼帯が乗せられていたのだ。

「これは?」

「……これ、今回の連合が終わるまで、左目につけててもらえないかな?」

 なにを言っているのだろう。

 夏侯惇は戸惑う。こんなものをつければ、視界は半分になり満足に戦うことなどできない。それが、連合の間ずっとなど、耐えられるはずも無い。

「なにを言っているのだ貴様は。こんなものっ」

「春蘭」

 凛とした声。曹操は春蘭を一言で抑え、一刀を見上げる。

「なぜ?」

「言えない」

 考える間もなく、一刀は即答した。その瞳を覗き込む曹操は、しばらくして目を離し、息を吐く。

「春蘭、北郷の言うとおりにしなさい」

「なっ、しかし!」

「これは命令よ。だから秋蘭。貴方は連合中、春蘭の左目となりなさい」

「はっ」

 青髪の女性――夏侯淵がはっきりと答えた。夏侯惇は複雑な表情を変えないまま、けれども主人の命令に従い、眼帯を一刀からひったくると己の左目に装着した。

「じゃあ、夏侯惇。気をつけてくれ」

「ふんっ。貴様に心配される謂れはない!」

 夏侯惇が強く言い放つと、三人は自分たちの陣へと戻っていった。その背を眺める一刀の拳が、強く握られた。

「華琳さまはなぜ……」

 自分たちの前を歩く曹操に哀しげな眼差しを向ける夏侯惇に、双子の妹は苦笑した。

「秋蘭、何がおかしい」

「いや、姉者はかわいいなぁと思って」

 曹操が眼帯をつけるように命じた理由。それは、北郷からの頼みもあるだろうが、なにより楽進たちに戦場での将の経験をつけるためでもあった。

 楽進、李典、于禁の三人は、戦場経験が少ない。あったとしても、それは義勇軍時代のもの。統率された一軍の将とは違う。夏侯惇、夏侯淵という絶対的な将がいる限り、彼女たちはどうしても心の中で頼ってしまうのだ。過ちを犯しても、二人が何とかしてくれる、と。

だが、今回のように、二人が自由に動けない戦場ならばどうだ?

 こんな時こそ、彼女たちは成長する。元々の秘めたる能力は高い。きっと、連合開始以前よりも、将として使えるようになるはず。

 曹操の思惑は、そんな所にあった。

「北郷、一刀……ね」

 前々から気になっていた人材というのは事実だ。

 しかし、実際に会い、目を合わせ。

 彼女の心には、不思議な感情が芽生えていた。

 その正体は一体なんなのか。

 それを確かめるためにも、北郷一刀を手に入れる。

 曹操の瞳に、静かな炎が宿る。



 第一の要塞・シ水関。

 神速の張遼、華雄の二人が立てこもるこの関で、どのような戦が繰り広げられるのか。

 悠然と、しかし確実にその時は近づいていた。


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