最終章 満開
「お帰り。山桜村は空気がきれいで良かったでしょう」
山桜中学に赴任する前の学校に戻り校長室に呼ばれた僕は、いつものように隠しきれなくなった薄い髪を梳かしながら校長に言われました。
「僕はこの学校に戻ってこれるんですか」
僕は次の赴任先が気になって仕方がありません。
「あ・ああ・・・これね」
校長はお腹を擦りながら、僕に辞令を渡して「じゃあお腹痛いから」と席を立とうとしています。
「えー。ちょっと待って下さいよー」
辞令を見た僕が驚いてベルトに手を掛けている校長の襟首を後ろから掴むと「漏れちゃうから離して離して」と足をバタバタとさせて掴んでいた背広の上着を抜け殻のように上手に残して校長室の出口に行ってしまいました。
「そうそう。毎日、海野くんからメールが来てたけど『洋子ちゃんどうのこうの』って書いてあって意味が分からなかったよ」
ドアから半分顔を出して校長が言いました。
どうやら、僕は洋子ちゃんのアドレスと校長のアドレスを登録間違いしていたようです。
「なんで教えてくれなかったんですか」
「僕・・・携帯のメールって読むことしか出来ないから・・・ごめんね。それから、事務の洋子ちゃんは先月結婚して退職したから。じゃあ、漏れちゃうからね」
「ちょ、ちょっと」
僕の制止を振り切って校長はトイレに逃げ込んでしまいました。きっと、僕が学校を立ち去るまで行方不明を決め込むはずです。
山桜の長い開花の時期も終わりになる5月の連休始まりは、裏山に吹く風も初夏の匂いがしてきそうです。
今日はアース先生に呼ばれて村の神社に来ています。
「やっと地蔵さんの由来が分かりましたので、村の皆さんにご報告しようと思って」
アース先生は、集まってきた村の人達にむかって言いました。その中には、浩太も良太も幸も、もちろん茜もいます。
「この地蔵さんは昔、村に疫病が流行ったときに村人の身代わりとして山桜の下に埋められたもので、悲しいことに一緒に疫病で子供を亡くした母親も埋められました」
アース先生は、僕が吹雪の時に裸の女性から聞いた話を神社に残されていた古文書の中に見つけたのです。
そして、この埋められた地蔵は村の神社にある「凶作」「厄病」「天災」を村人に代わって嘆いているという三体の泣いている地蔵をなだめる母地蔵として作られたもので村にとっては守り神のような存在だったそうです。
だから、笑顔で地蔵に手を差し伸べるように両手を上げて作られたのです。
「この地蔵さんは、元々はこの場所にあったのです」
そう言ってアース先生は泣いている三体の地蔵の前を指差しました。
「それじゃ、この場所に戻してやるか」
村長が村の男たちに指示をして泣いている地蔵に向かい合うように母地蔵を置きました。
「もう泣かなくていいんだよ」
何処からともなく風に乗って優しい女性の声が聞こえて来た気がしたのは僕だけでは無かったようで、村人達はキョロキョロと周辺を見回しました。
「お母さん」
茜が急に山桜の陰に隠れていた女の人を見つけて走り出しました。
「あ、作治さんだ」
走っていく茜の後ろ姿の向こうから、スリムなスーツを着込んだ井上作治さんが歩いてきます。作治さんは、教育委員会を辞めて六村市の市会議員となり山桜村と六村市の合併を推進しています。
村の人達にとって山桜村の名前が無くなることへの抵抗感は大きく作治さんはすっかり悪者になっていました。
「村の宝物が戻って来たのに、村出身の僕に教えてくれないなんて酷いな」
作治さんは笑いながら村長に言いました。
「井上市議は、六村市の人ですから」
村長はわざと丁寧に言い訳をしました。
「僕が六村市の市議会議員になったのは、この村のためになりたかったからです。そのためには、山桜村が六村市と合併することが必要なんです。僕はこの村にトンネルを通して街への交通を整備したいんです。
そうすれば、村から離れずに仕事を探すことも学校に行くことも出来る。そうなれば、みんなが村に帰ってこれるじゃないですか。
名前がなくなったって村に人がいる限り、ここは山桜の里であることには変わりないでしょう」
力の限りに訴える作治さんも、やっぱり山桜村が大好きな一人なんだと思うと僕は拍手をしないではいられませんでした。
僕の拍手に続きアース先生が拍手をし、良太がそれに続きました。そして、村のみんなが作治さんに拍手を送りました。
僕と茜がした伝説の財宝探しで財宝は出てきませんでしたが、村には幸せが訪れそうです。
「もう、泣かなくていいのよ」
振り返ると母地蔵がさっきより優しそうに微笑んでいました。
「茜はお母さんの街に住むのか」
街で仕事を見つけて一人で暮らしていた母親が茜を迎えに来た翌日に僕は裏山で茜に尋ねました。
「トンネルが出来たらお母さんも村に戻って来るから、それまではお婆とここで暮らすよ」
「早く出来るといいな」
「あたしが高校を卒業する頃には出来るって作治さんが言ってたよ」
「そうしたら、茜も村から大学に通えるかもしれないな」
「そうなったら、コアラのカノジョになってあげるよ。今は先生と生徒だからね」
「・・・・馬鹿モノ」
『一ノ谷高校』にむかう中古で買った軽自動車のバックミラーにはいつものように手を振る梅子さんが写っています。
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