三、百鬼夜行
聡美の帰った静寂を取り戻すかのように、二人と一匹は禁書を中心に居間のテーブルを囲んで座った。しかし座高の差で日の丸だけは座ることが出来ず、テーブルの上に前足を乗せ、椅子の上に不本意そうに二本足で立っていた。その姿があまりにも愛らしく、蒼馬は笑いを堪えるのに必死だった。
『もしも笑ったとしたら、お前の命はないと思え』
「あぁ、はいはい」
『……主人とて容赦はせんぞ』
『こら、いい加減になさい。蒼馬、隆司の話だと欠番は四人だったかしら?』
「えぇ、そうですね。あの、それなんですけど、妖怪同士だと分からないものですか?」
『うぅ〜ん、分からないというか、悟らせないというか。妖怪の中にはプライベートにうるさいのもいるのよ。静かに暮らしたいとかそういう類のね』
『他の者に気配を悟られるのを良しとしないのだ。だが、己の頁だけは各々のテリトリーになる。だから、外にいる人間の方が悟りやすいのだ』
二人の話をまとめてみると、禁書の中にはもう一つの、妖怪の世界が広がっていることになる。
その世界が物質的なものであれ、精神的なものであれ、妖怪同士の折り合いというものがあるのだろう。
『それで、欠番者は?』
「えっと、山姫と百鬼夜行と猫又、それから、蜘蛛女」
『……また、バラエティに富んだメンツだこと』
「でも、欠番が分かっても、どうやって探せばいいんですか? どこにいるかも分からないのに」
『それなら、大丈夫よ。蒼馬が禁書の封印を解いた時点でなんらかの形でみんな蒼馬の近くに戻ってくるはず。それに先代が誠吾だもの、そんなに遠くには行っていないと思うわ』
『とりあえずは百鬼夜行だな』
『そうね、一番手っ取り早いわ』
彼女はそう言うと、蒼馬に紙とペンを要求した。動く側が違うと思ったが、ここは勝手知ったる我が家。蒼馬は黙って自室から紙を、ドア付近からマジックを取って小雪に渡した。
『ところで、百鬼夜行は知ってるわよね?』
「夜中に妖怪がぞろぞろ行進していくやつですよね」
『そう。でも、式になったのは二匹だけ、赤玉と黒玉よ。この二匹は見つけやすいはず。なんてったって、殴り殴られる関係なのだから、夜行の中では異質なのよ』
「殴り、殴られる……」
紙面を見ていた蒼馬の視線が凍りつく。恐る恐る目を上げると、小雪は変わらずに微笑んでいた。
『なんてことはないわよ。いつものことだし』
『そうだ。後は夜中になるのを待てばいい。あいつらは角に現れやすい、後で見に行くぞ』
小雪はマジックでアパートの見取図と周辺の簡単な地図を書いた。角は四つ、どこに出るかは小雪たちの判断に任せた方が確実だ。彼女たちは、ふむ、と顔を見合わせると四隅の一つを指差した。
日当たりの悪いそこは、北東の方向。
「……つまり、鬼門か」
『そうね。ここが出発点かどうかは分からないけど、必ずここを通るわ』
「じゃあ、ここで待っていればと」
『あぁ、夜中から二時ぐらいまでいれば十分だ。今日でケリ付けるぞ』
「分かった」
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そうして、時刻は十一時五十分。蒼馬が時間までにしたことは、汚れてもいいジャージに着替えることと、虫取り網の準備。虫取り網といっても本格的なものなど無く、ハンガーを肩の部分を円にし、スーパーのビニール袋を取り付けたごく簡単なものになった。
「本当にこれでいいんですか?」
『大丈夫よ。誠吾もそうやって捕まえたもの。ちなみに、黒玉を捕まえなさい。赤玉は黒玉を追ってくるわ。そうしたら、一網打尽ね』
一網打尽…、呆然と呟いた蒼馬を後目に小雪は鬼門の角の、向かいの電柱の傍に腰を下ろした。
チッ、チッ、チッ……――
静寂の中、蒼馬の腕時計の針だけが時の流れを示している。
後少しで十二時になる、といったところで遠くの方から夏祭りのときのような、笛や太鼓のお囃しが聞こえてきた。
『来たわ。さぁ、準備をして』
小雪につられるように蒼馬が腰を上げると、次第にお囃しが大きくなっていく。日の丸が蒼馬の時計を胸に抱え、カウントダウンを始めた。後、三秒。二秒。一秒。…十二時のカウントは大勢の妖怪の叫び声に掻き消され、蒼馬の耳には届かなかった。
鬼門に当たるアパートの角から空間を引き裂いて大小様々な妖怪が飛んだり跳ねたりの行進を始める。いくら文献で毎日のように妖怪を見ている蒼馬でも、やはり実際に見るのとでは全く違う。存在感に気配、独特の雰囲気に気圧されて足がすくんでしまい、どうしても動くことができなかった。
『なんだ、蒼馬。だらしがないな』
『日の丸。仕方がないでしょう? これだけの数を見るのは初めてのはずだから』
『……気をつけないと見失うぞ』
いいように言ってくれる二人を背に、腰を抜かさないだけ誉めてもらいたい、と小声で呟くと深呼吸をして、列に目を向けた。
無数の妖怪の列は目を凝らしていないと赤玉は愚か、黒玉さえ見つけ出すことは叶わない。
きょろきょろと列を見回していると列の後方から一際大きな地鳴りが響いてきた。
ずぽんっとなんと表現していいのか分からないような音が鳴り、黒い西瓜大の妖怪が空間を裂いた。それは柔らかいのか形を様々に変え飛び跳ねている。形を変えているのは無論、赤いピンポン玉に手足が生えたような妖怪が彼の体長の二倍はありそうな金槌で黒い西瓜をものすごい勢いで殴打していた。
もう言わなくても分かるだろう。
「あれが、赤玉と黒玉」
『そう。赤玉、金槌大きくなったのかしら?』
『早く捕まえろ』
「はいはい、」
肩に担いでいた簡易虫取り網を構えると、蒼馬は横から黒玉を素早く捕まえた。黒玉はその西瓜大の外見からは考えられないほどに軽い。
そして、黒玉を叩き損ねた金槌は地面へ直に当たり、コンクリートとぶつかった音が夜の静寂を破った。
『何さらすんじゃボケェ!! 勝手に人の楽しみ奪っていいとおもっとんかいな!! あぁ!?』
振り下ろした勢いのままに赤玉は金槌を蒼馬へと向け、キィキィと甲高い声で彼に食い付いてきた。蒼馬は赤玉が人語を理解できたのだという驚きと、黒玉のピンポン玉のような軽さに驚き、呆然と声が出なかった。
そんな彼を見かねて横から出されたのは小雪の指。赤玉の金槌を捕まえると彼女は自身の目の前に赤玉を持ち上げた。
『ご無沙汰ね。赤玉』
『あれぇ。雪さんやないの。ご無沙汰してはりますわ。こないな夜にどうしましたん? 何や急用でっか?』
『いえ、違うのよ。新しい主人が決まったの。彼、伊上蒼馬。誠吾のお孫さんよ』
小雪がそう紹介すると、赤玉は蒼馬の方へぐるっと身体を向け、小さな手のひらを差し出した。
『孫やと? 人騒がせな! 誠吾も俺から一時黒玉を奪いよったんや!! はよぅ返せ!』
「……そうだな。式に戻るんなら返してもいい」
『かぁっ!! くそっ! だから人間ってやつぁ! 小僧! それで交渉のつもりか。脅しやないか!』
余程頭に来ているのか、赤玉は小雪に金槌を掴まれたまま右に左にとその身体を揺する。
『誠吾もそんなヤツやった! 半分脅しで式に戻して、後はあんまり気にかけもしなかった。……最低なヤツや。もう、おらんのやな。孫か。よぉ似とるわ。…その性格』
ゆらゆらと振れ幅が狭くなっていき、最後にはとうとう揺れは収まってしまった。地面に落ちた一粒の雫は亡き誠吾へのたむけか。
『ええわ、式に戻っちゃる。名前呼んだら真っ先に駆けつけちゃるわ』
「ありがとう、赤玉。返すよ。お前の大事な相棒。名前は赤玉に黒玉。その方がしっくりくるだろ?」
『………おおきに』
「それから、あんまり帰ってこなくてもいいからな。お前たちの行動を縛りたくないんだ」
蒼馬が言うと、赤玉は驚いたように顔を上げ、似とるわ、と呟くとくるっと身を翻し、黒玉を転がして夜の町に消えた。
『お疲れさま。やっと一人戻って来たわ。今日はゆっくりと休んでね』
「と、言ってももう二時ですけどね。明日早いんです。戻りましょう」
もう用済みとなった虫取り網を肩に、蒼馬はアパートの階段を登り始めた。その肩に日の丸が駆け上り、小雪も彼の後についていく。こうして蒼馬の波乱万丈な夜が始まるのだった。
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