オフラインで会いましょう
改札を抜け駅の外へと足を運ぶ。予定の時刻にはまだ少し早い。
早めにやってきた理由は単純。これから待ち受けているであろう試練を前に、心を落ち着かせるためにも時間が欲しかった。
近くの壁に背を預け、辺りを見回す。まだ早朝だからだろうかぱっと見で数人程度しか見当たらない。しばらく眺めていたが、行き交う人の気配も少なく閑散としている。
(この中に、もしかして……)
今日ここへ来た目的、会う約束。
約2年、オンラインゲームでよくパーティを組んで遊んでいた相方である彼が来る。俺の、いや、皆が尊敬していた前衛ガチタン、ヘイト管理の凄腕プレイヤー<サイオン>に誘われてだった。
重厚な鎧に身を纏う筋骨隆々とした中年キャラの見た目と、その卓越した操作精度。そしてなによりも身を挺して後衛へ敵を寄せ付けない立ち回り。
断る理由など何もなかった、ふたつ返事で返してしまった『私も会ってみたいです』と。
その時丁度仕事で悩んでいた事もあり、彼と会って話がしたかった。の、だが……ひとつだけ、ずっと言わずに隠していることが、そう、ひとつだけある。
彼の専属となった女ヒーラー、その中身が俺、即ち男だったということを。
(やっぱり、失望させてしまうんだろうなあ……)
はあ、と溜息と共に視線が足元へと下がる。会った時、一体どんな反応をされるのだろうか。悪い方へと考えが巡っていく現状を否定するかのように、そっと目を閉じた。
「あの、すみませんが――――」
少しして、かけられた声によって現実へと引き戻された。
目を開けると足元、自分ともうひと揃え、ふたり分の足が視界に映る。
「道を、教えていただけないでしょうか」
足元から体に沿って視線を少し上げる。視界には車椅子と、そこに座る少女が映る。お世辞にも健康的とは言いづらい華奢な体つき、中学手前といった感じの印象を受ける。
細いラインからは弱々しさを感じはするが、それを打ち消すほどに少女の瞳には強い意志が宿っているかのようだった。
(何処かで見たことあるような、いやでも知り合いにこんな子はいないし……)
何故だか、じっと俺を見上げるその子から、視線を外すことが出来なかった。
「あのう……」
再び聞こえる問いかけに、はっと我に返った。
更に視線を上げていくと、車椅子を掴むもう一人の女性がいた。20歳位かと思うが正直見た目で年齢を計るのはあまり得意ではない。というか苦手だ。
声の主は少女ではなく、こちらの保護者と思しき人からだった。どうも道を尋ねられていたようだ。
「あ、えっと、すみません。道ですか?」
「ええ、実はこの辺りは来たことがなくて。近くの公園に噴水があるはずなんですけれど、よく分からなくて」
(ああ、隣の公園と間違えたんだろうな……)
俺も昔は間違えたんだよな。駅の目の前の大きい方の公園じゃなくて、隣の方にあるって気づくのに暫く歩き回ったっけか。
「噴水の場所なら分かります。それじゃあ行きましょうか」
「え、いいんですか? 道だけ教えてもらえれば――――」
「俺も丁度用事があるので、ついでですよ」
現実逃避をしている内に待ち合わせの時間は随分と迫っていた。分かりづらい道を説明しているよりも一緒に行った方が早いと判断しての発言だったが、彼女にとっては思いがけない助け舟であったのだろう、随分と表情が明るくなっていた。
それに比べ、車椅子の少女はずっと、じっとこちらを見上げ続けていた。
脇道を通り噴水前へと進む道すがら、軽く会話をしながら歩いた。そのお陰か、彼女達が道に迷っていた理由もわかった。
ふたりは姉妹で、最近家族でこの辺りにやってきたらしい。どうやら車椅子に乗っている方、妹さんの足の治療の為だということだ。
仕事柄その話を聞いただけで、少し胃が痛くなった。治療できる病院がある街まで家族でやってくる必要があるというのだ、治すのが難しいということなのだろう。
公園の入口を抜け左へ曲がると、その先には噴水が見える。
「ここでよかったですか」
「はい、ありがとうございます」
到着するも、すでに時刻は午前7時を回る。約束の時間だ……と、いうのに、噴水前には今しがた着いた俺たち以外の姿は見当たらなかった。
見た目は事前に教えあっている。サイオンさんは上は白で下は黒だと簡潔に言っていた。だがしかし特徴は分かっていても、そもそも来ていなければ見つけようがない。
隣に立つ姉の方に断りを入れ会話を中断する。少し遅れているのかも知れないと思い携帯を取り出しメッセージを送る。
送り終えると、隣でも携帯を取り出していた。そういえばこの姉妹は何をしにここまで来たのだろうか。
(ていうかこの妹の方、ずっとこっち見てるよな。俺なにか変なのかな?)
車椅子に座るその子は、白のシンプルなワンピースに黒の7分丈スキニーな感じの格好で――――ん、いや……まさかね。
そんな事を考えている内に返事が返ってくる。そこには『もう来ている』と短く書かれていたのだが、どう見ても他には誰もいない……もしかして、遊ばれてしまったのだろうか。
どう返事をするか悩む俺の肩に、トントンと軽く触れる手の感触。
「お姉さん、ええと、一音さん、何か……?」
ここに来る間に教えてもらった姉妹の名前。姉は一音で妹は彩音というそうだ。
一音さんは携帯の画面をこちらへと向けてきた。
「まだ気付かないんですか?」
その画面には、今俺が送ったはずのメッセージが映し出されていた。これって、つまり――――
「もしかして、もしかしてですけれど……サイオン、さん、ですか?」
恐る恐る伺う俺に向けて、無言のまま両手でバツ印を作る一音さんと、
「ばか、ちがうぞ、tomo」
こちらを見上げながら、俺のプレイヤーネームを呟く少女は少し怒ったような表情を浮かべていた。
(そんな、え、嘘、マジで……?)
俺の、俺たち皆の頼れる兄貴分、サイオンさんのイメージが今、バキバキに音を立てて崩れていくのを頭の中で感じていた……。
結局、無事(?)落ち合うことが出来た俺達は、ひとまずどこかで落ち着いて話をしようと近くのファミレスで朝食をとることになった。
未だ半信半疑な俺に比べて、彼女達の方はというと随分と落ち着いていた。オンラインでしか知らない筈の人物と俺を同一人物だと確信しているのだろうか。中の人の性別が違うなんてよくあることだからあまり気にしていないのか、むしろ俺が気にしすぎているんだろうか。
軽く注文を済ませた後、最初に声を上げたのは一音さんだった。
「私飲み物とってきますね、彩音は何がいい? トモさんは?」
すかさず彩音ちゃんは「一音にまかせる」と答えていた。生サイオンの生任せる発言に少しだけ心が踊る。ギルド内では彼に何かを任されるということ自体が一種のアイデンティティーになっていた。
しかし飲み物を取りに行くくらい、俺がやるべきだろう。
「俺が行ってきますよ、一音さん何飲みます?」
「いいんですよトモさん、彩音の好みは私のほうが知ってますから」
そう言いながら彼女はそそくさと飲み物を取りに行った。答えていない俺の分は一体何が注がれて来るのだろう。
そんなどうでもいいことを考えていると、彩音ちゃんから声があがる。
「なあ、本当にトモなのか?」
その疑問は俺と同じく、やはりまだどこかで、もしかしたらと思っているのかもしれない。
「残念ながら本人なんです。イメージと違っててがっかりさせてたらごめんな」
「そんなこと、無くはないけどさ……でも、そんなの、こっちの方がさ……」
伏し目がちにそう答える姿を見せられてしまい、互いに続ける言葉が見つからない。そのまま会話は途切れてしまった。
でも、これで分かってしまった。この子も俺と同じように悩んでいたんだと。相手にどう思われてしまうのか、ここまで来ても今なお心配なのだろう。それに、こうして会おうと言い出したのはこの子の方からなのだから、きっとそれでも会って話したいことがあったのだろう。
……とはいえ、この重くなってしまった空気の中でその話を聞くことが出来るかはわからない。
姉の手を借りてまでやってきたこの子を、いや違う、そうじゃない。
(見た目がどうのなんて惑わされていたのは、俺の方じゃないのか……)
今、俺は相方であるサイオンさんに頼られているんだ。姿は違えど、互いを信じてきた時間が無かったことになるわけじゃない。俺達はずっと背中を預けあってきたんだから。
(だいたい、俺なんかよりよっぽど見た目違うしな)
そう考えると、ちょっと前まで現実とのギャップに萎縮していた自分がなんだか可笑しくなってきた。
笑みが溢れる。
机に身を乗り出し、握手を求めるように片手を差し出し、声をかける。
「サイオン、いや、彩音ちゃん。こちらでは初めまして。相方のtomoです。ずっと憧れていた君に会えて、本当にうれしいよ」
そこに嘘偽りはない。
会うことに悩んでいたのも確かだが、会いたいと思う気持ちがまさっていた。だからこそここにいる。それは向かい側に座る少女も、きっと同じはず。
急な挨拶に少し戸惑うように、彩音はこちらを見つめていた。そしてゆっくりと、細い腕、小さな手のひらが差し出される。
手と手が重なる。
「私も……会いたかった、です」
陰りを見せていた瞳に、再び出会った時と同じ強い光が灯っていた。
「でも、ちゃん付けは却下。トモに言われるとなんか調子狂う」
少しして、自然と笑いが溢れてしまった。それに釣られて彩音も笑いだしていた。
ドリンクバーから戻ってきた一音さんは、握手を交わして笑い合う光景に不思議そうな顔を浮かべていた。
「ああ、それでこんな朝から待ち合わせだったのか。普通オフ会って大体昼過ぎてからとか夕方夜くらいまでだし最初言われた時は驚いたよ」
ひとしきり食べ終わった後、互いについて質問が飛び交っていた。
「午後からは病院に彩音を連れて行く予定だったんです。その前にどうしてもって事だったのですけど、ご迷惑ではなかったですか?」
「午前中は空いてたからちょうど良かったですし、何よりサイ……彩音の誘いなら最優先で予定組んじゃいますって」
笑いながら、本心からそう答える俺の言葉に対し「ばかかお前は」と小声で彩音が付け足しているのが耳に届く。
チャット欄の時のサイオンと大差ない話し方。いつも脳内で渋いおっさんボイスが再生されていたのは俺だけじゃないだろう。実際の彩音の声はとても透き通っていて、そんなギャップもまた可愛らしいと思えた。
「一音さんも予定とか大丈夫だったんですか?」
「え? うーん、私もトモさんに会ってみたかったんですけれど、お邪魔でしたか?」
「いえいえそんなことは。ええと、もしかして彩音ちゃんと遊んでいるのをいつも見ていた感じですか?」
俺の返しに何か疑問があるのだろうか、一音さんは小首を傾げていた。もしかしてゲーム内で会ったことがあるのだろうかとも思ったが、こんな丁寧な喋り方をする人は知っている限り思いつかない。
そんな様子の一音さんに向けて「自己紹介してないだろ」と隣からの指摘が聞こえた。
「あれ? まだ言っていませんでした? 私はほらあれですよあれ、シングルベルさんです」
その名前に、一瞬目眩がした。
「……は? 冗談でしょ」
雑な返しに一音さんはショックを受けているようだったが、彩音ちゃんの方はというと「まあそうなるだろ」とこの反応を肯定している。
俺は彼女に向けて指をさし、再確認する。
「ギルドマスター、効率厨、いつもサイオンと喧嘩してる。イズ、ユー?」
「はい、そうですよ? えっ何ですかその疑うような眼差しは。本当ですよ?」
なんというか……そう、あまりにも別人というか、そうかこれがネットだと人格が変わるっていうタイプの人か、ここまで凄いのは初めて会った。
サイオンの時はネット側のイメージが崩れ去ってしまったが、こっちはこっちで先程までの優しい姉のイメージがネットのせいでズタズタになってしまった。
一音さんは見た目はキャラと随分似ているが、中身の方はこの中で一番かけ離れているようだ。彩音ちゃんはその逆だし、この姉妹は色々と正反対な所が多いみたいだ。
喧嘩するほど仲が良いとはこういうことをいうかと考えながらも、喧嘩なんてしなさそうなふたりを眺めている内に時間は過ぎていった。
会計を済ませて店を後にする。
見慣れた街並みが、なんだかいつもと少し違って感じる。
彩音と一緒なら何処へ行くか。
サイオンさんをイメージして予定していた所は全てダメになった。
小物の雑貨店に立ち寄ろうとしたが、車椅子では店内が自由に動けない。
バリアフリー重視のモールを目指すも、今日は閉館日だった。
小さな段差、道幅を狭めるポール、些細な筈の物達が行く手を阻んだ。
少女の座る鉄の枷が、どれだけの自由を奪っているのかを理解してしまった。
結局、仕方なく公園の噴水前に戻り、3人でだらだらとゲーム内での思い出話に花を咲かせて時間を潰していた。
俺がふたりのギルドに拾われた頃の話から始まり、高難易度ダンジョンで全滅した話や、冬のイベントダンジョンをギリギリでくぐり抜けたこと、そういった思い出を皆鮮明に覚えていた。
「クリアマップの吹雪の中でさ、サイオンは言ったんだよ。『俺が立ち上がっていられたのは、お前のお陰だ』ってさ。もうずっとこの台詞忘れられなくてさ」
「恥ずかしいからやめろ、忘れろ」
顔を膨らます彩音と、それを見て微笑む一音。
未だに彩音とサイオンをぴったりと重ねて見ることが出来ないせいか、本人の前だというのにサイオンのこととなると熱がこもってしまう。
そんな楽しいひと時ももうすぐ終わり。昼前までの残された時間は、もうすぐそこまで迫っていた。
気づかないふりを決め込もうとするもそれは叶わない。
「もう時間が、そろそろ帰らないといけませんね……彩音、いい?」
「あー……少しだけ待って」
先程までと違い、真剣な顔で彩音はこちらへと向き直った。何となくだけど、そうじゃないかとは思っていたんだ。
「トモ、確か医者だって言ってたよな」
彩音が、俺に会いたいと誘った理由。
「やっぱりいい。今日は会えて良かった、トモはやっぱりトモだったよ」
そしてそれを無かったことにする。悪い癖だ。
「多分だけど第3総合病院だろ? あそこはいい先生が多いからきっと大丈夫だ」
こんな気休めで治るわけではないが、言わずにはいられなかった。気丈に振る舞う彩音の瞳が歪んでいたから。
持ちこたえてくれたのか、その瞳はゆっくりと元に戻った。それでも顔に張り付いた緊張はまだとけてはいない様子。
手招きする彼女へと近づく。「遠い」と言われて更に近づく。「もっと」と言われて隣にしゃがみ込む。
今度は「横を向け」か。素直に従うとふいに、頬に優しく何かが触れた感触がした。
「もういい、ありがとな」
「トモさん、今日はありがとうございました」
「こちらこそ、楽しかったよ。ありがとう」
満面の笑みを浮かべる一音さんが気になったがそこには触れずに、立ち去るふたりの後ろ姿を見送った。
もしかして、と、最初に感じた違和感の正体を確かめるため、携帯を取り出しモバイルカルテに接続する。
今日の午後、外来予定をチェックしていくと、朝方彩音を見た時の引っかかりが確信へと変わった。
『もしもし、医学部長ですか。奏出です、奏出友です。実はお願いしたいことが――――』
◇◇◇
お昼ごはんは食べ終わった。
お姉ちゃんと一緒に病院にむかう。
今日はとってもいい日だった。だから大丈夫、まだがんばれる。
「彩音、今日からこの部屋に泊まることになるけれど、大丈夫?」
だいじょうぶ、あの人もそう言ってた、大丈夫。
「大丈夫、大したことない」
大丈夫、大丈夫……。
「やっぱり今日は一緒に泊まっていった方がいいかな?」
だめだ! きっと顔にでている。ぜんぜん大丈夫じゃない。
はやく何とか言わなくちゃ、心配してる。
大丈夫だから……。
コンコン、扉を叩く音が聞こえる。
「失礼します」
扉が開けて、先生が入ってくる。
「今日から君の主治医になる、奏出友です。これからよろしくお願いします」
「あ……」
そっか、お医者さんだって言ってた。
いい先生がいっぱいいるから、大丈夫だって言ってた!
「君が立ち上がれるように私がサポートしますので、先生に任せてくれますか?」
いつも私を助けてくれた、きっと必ず助けてくれる。
だめだ、声でない、息がつまる!
「大丈夫ですか?」
先生が近づいてくる。
背中をなでてくれるその手が、大きくて、温かくて。
「私、先生に、任せるから……」
「はい、これからも一緒に頑張りましょうね。私達は相方なんですから」
一緒なら、きっとなんだって、乗り越えていけるから。