彼と私と誕生日
十月四日、二十三時五十分。
寝る準備を終えてベッドに腰掛けた私、白浜和歌子は、スマホをチェックして溜息をついた。誕生日はもうすぐ終わると言うのに、相変わらずラインには、彼からの新着メッセージなど何も入っていない。じわりと涙が込み上げてくる。
……ううん、まだあと十分あるもの。決め付けるのはまだ早いよね?
首を横に振り、そう自分に言い聞かせたものの、もう期待出来ない事は薄々悟らざるを得なかった。案の定、十分が経って日付が変わっても、スマホは何も知らせてくれない。
やっぱり、覚えてくれてなかったんだ……。
覚悟はしていたものの、やっぱり涙が溢れ出てきて。私は枕に顔を埋め、声を押し殺して静かに泣いた。
***
切っ掛けは私の一目惚れだった。
高校の入学式の日、幼馴染兼親友の亀水麗香と一緒に登校していた私は、これからの高校生活に思いを馳せたお喋りに夢中になっていて、昇降口の階段に躓いた。慌てたが、勢い良く傾く身体はもう自分ではどうしようもない。地面と正面衝突する寸前でぎゅっと目を瞑った時、私の身体は一本の腕に力強く支えられた。
「っぶねー。大丈夫か?」
体勢を立て直され、私は顔を上げて低い声の主を見た。スポーツ刈りの黒髪に、切れ長の目が印象的な、整った顔立ちの男の子。背が高くてがっしりした体格の彼に、私は一瞬で心を奪われ、お礼を言うのも忘れてその場に立ち尽くしていた。
「ちょっと和歌子、大丈夫!?」
麗香に呼び掛けられて、私ははっと我に返った。
「あ、うん。大丈夫。」
「全くもう。気を付けなよ。」
落としてしまった鞄を麗香から受け取り、彼にお礼を言わなくちゃと振り返ると、私を助けてくれた彼はもうその場には居なかった。昇降口に入ってしまったのかと急いで追い掛けたが、大勢の人と背の高い下駄箱に阻まれ、もう何処に行ったのか分からない。彼を探して右往左往しているうちに予鈴が鳴ってしまい、私は仕方なく諦めて、麗香と一緒に一年二組の自分の教室へと向かった。
その後、休み時間になる度に、私はクラスを一つ一つ当たって行き、一年七組の教室で漸く彼に辿り着いた。男子数人で話をしている彼に思い切って声を掛け、自己紹介して助けてもらったお礼を言うと、今度からは気を付けろよ、とぶっきらぼうに返された。
一瞬で会話が終了してしまった事に内心ではショックを受けたけれど、それでも彼の事が知りたくて、私は七組の同中の友達、青柳美雪ちゃんに頼んで、彼の情報収集をしてもらった。名前は黒部海斗君。小学校の頃から空手を習っていた黒部君は、既に黒帯を持っていて、入部した空手部では期待の新人と言われているらしい。整っている顔立ちの割には、基本いつも眠いのか、と突っ込みたくなるような仏頂面で、クラスでも大人しめなグループに属し、良くも悪くも目立つような存在じゃない、とは美雪ちゃんの談。
「人の好みをとやかく言う気はないけど、特別イケメンって訳でもない、無愛想が通常運転の黒部君の何処が好きになったの?」
一度、美雪ちゃんに訊かれた事がある。
黒部君の事を悪く言われたくなくて、入学式の日の経緯と共に、美雪ちゃんにとっては違うかも知れないけど、私にとっては特別イケメンなんだとか、何時もクールで表情を崩さないけれど、だからこそ友達と話している時に時折見せる笑顔がより一層素敵なんだとか、空手部をちらりと覗いた時の、真剣な表情で練習に励んでいた格好良さと言ったら他にない、だとかを力説していたら、途中でもう良い、と一緒に居た麗香に止められた。何故だ。まだ全然語り足りないのに。
「あんたが黒部君の事、本当に好きなのは良ーく分かったから。私達も協力してあげるから、はい、どうどう。」
協力してくれるのは嬉しいが、馬扱いしないで欲しいんだけど。
そんなこんなで黒部君への想いは募り、麗香と美雪ちゃんの後押しもあって、思い切って告白したのは一学期の終業式の日。
「入学式の日から黒部君の事が好きですっ!良かったら付き合ってくださいっ!!」
美雪ちゃんに頼んで体育館の裏に呼び出した黒部君に、恥ずかしさを堪えながら一生懸命想いを告げると。
「……白浜さん、だっけ?俺、君の事良く知らないから、まずはお友達から、ってやつで良い?」
とお返事を頂き、夏休みの間中、頑張って彼に会う機会を作った。
空手部の試合に応援に行ったり、黒部君の好きそうな映画に誘ってみたり、黒部君の誕生日が八月八日だと知って、待ち合わせをお願いして手作りのケーキをプレゼントしたり。
ちょっとずつ、黒部君との距離は縮まって行ったと思う。基本ぶっきらぼうな所は相変わらずだったけど、私に対しても少しずつ笑顔を見せてくれるようになったし、映画の時も楽しそうにしていたし、手作りケーキも喜んでくれて、私の誕生日は何時かって訊いてくれたし。
二学期に入っても、学校ですれ違う度に二言三言交わしたり、時間が合えば一緒に下校したり、テスト前の休みの日には、一緒に図書館で勉強したり出来るまでになっていた。
だから私は浮かれて、無意識に期待してしまっていたのかも知れない。黒部君も、私の事を少しは想ってくれているのかもって。
だけど考えてみれば、全て私が働きかけた事だった。いつもラインをするのは私から、話し掛けるのも私から、会う約束を取り付けるのも私から。黒部君は返事はくれるけど、黒部君からラインしてくれたり、話し掛けたりしてくれた事はない。
私が黒部君を想う程、黒部君は私の事を想ってくれていないって事は分かっているつもりだった。私から告白した時は、黒部君は私の名前すら覚束なかった程なのだから仕方ないと。だけど、もしかしたら黒部君は、今でも私の事を何とも思っていないんだろうか。黒部君はぶっきらぼうだけど優しい人だから、私からの誘いを断らなかっただけなのかも知れないし、誕生日を訊いてくれたのも、単なる社交辞令だったのかも知れない。
告白してから約二ヶ月半、私なりに頑張ったつもりだったんだけどな。今でも何とも思われていないのかと思うと、流石に深く落ち込んだ。止まりかけていた涙が、再び零れて枕に染み込む。
その晩、私はまんじりともしないで朝を迎えた。
***
「えー、それって酷くない!?」
翌日、冷やして誤魔化したとは言え、若干腫れが残ってしまった目と、うっすらと出来てしまった隈を、目敏く見付けた麗香と美雪ちゃんに掴まった私は、放課後にファミレスまで連行され、事の次第を洗いざらい吐かされた。
「和歌ちゃんは黒部君の誕生日をお祝いしてあげたのに、黒部君は覚えてもいないなんてさ!」
私の為に怒ってくれる美雪ちゃん。気持ちは嬉しいんだけれど、覚えてもいない、と改めて言葉にはしないで欲しかった。まだ立ち直れていなくて、無理矢理塞いだ傷が抉られるようなのだよ。うう。
「仕方ないよ。男の人って、記念日とかそういうの、あんまり興味ない人多いみたいだし。」
頑張って笑顔を作りながら、ネットで得た知識を口にする。実際、私のお父さんも、家族の誕生日や結婚記念日をよくすっぽかしていて、その都度お母さんにこっ酷く文句を言われている。家族でさえそうなのだから、黒部君だって、まだ友達歴二ヶ月半の私の誕生日など、覚えていなくても仕方がないのだと、昨日から自分に言い聞かせている。
「でも明都は忘れた事ないよ?まあ一度でも忘れようものなら、即行で別れてやるけどね!」
明都、とは美雪ちゃんの彼氏の、赤羽明都君の事だ。黒部君と同中で、情報収集にも一役買ってくれた、社交的で女子からも人気のある、美人の美雪ちゃんとお似合いのイケメン。
そういうまめな男の子もいるんだ。良いなぁ、羨ましい。リア充め末永く爆発しろ。
「和歌子もそんなにショックなんだったら、さっさと切り替えて次を探したら?世の中男は黒部君だけじゃないんだし、和歌子だったら、もっと良い人が見付かるよ、きっと。」
「ありがと、麗香。でも私、やっぱり黒部君の事が好きなんだ。」
そう、黒部君との距離を縮めようと頑張る度に、私はどんどん黒部君を好きになっている。黒部君が空手の試合に勝って、おめでとうって言った時の、はにかんだような笑顔だとか、映画を見終わった後に感想を語る、キラキラした瞳だとか、ケーキをプレゼントした時の喜んでくれた姿だとか、今まで知らなかった黒部君を知る度に、思い出す度に、好きと言う気持ちが膨れ上がる。
「だから、もう少し頑張ってみるよ。前よりは仲良くなれたんだし、まだ友達歴二ヶ月半なんだしさ。」
強がって笑って見せると、二人は呆れながらも、引き続き応援する、と言ってくれたけど。
何だか自信が無くなってしまった私は、その日から廊下で黒部君を見掛けても、思わず気付かなかった振りをしてしまい、前みたいに話し掛けられなくなってしまっていた。
***
それから二日後の金曜日。
スマホが鳴って、ラインを確認した私は目を疑った。
『明日空いてる?』
初めて黒部君の方からラインをくれた!小躍りしたい気持ちを抑えて、私はすぐに返信する。
『空いているよ。どうしたの?』
『十一時に駅前に来てもらっても良い?』
も……もしかして、デートのお誘い!?いやいや、期待したら痛い目を見るって、三日前に学んだばかりだろ私!
そう自分を叱りつつも、会える事には変わりないのだろうから、浮かれる気持ちは止められない。勿論、と返信した私は、明日はどの服を着て行こうかと、早くも凄く楽しみにしていた。うん、我ながらちょろいと思う。
翌日、十一時五分前に駅に着いたら、黒部君は既に私を待ってくれていた。ブレザーの制服姿や空手の道着姿も格好良いけど、黒のTシャツに白の半袖シャツを羽織って、青のジーパンにスニーカーの私服姿も格好良い!要は何を着ていたって、黒部君は格好良いのだ!!
……って、初めて私服姿を見た時に褒めちぎっていたら、恥ずかしいから止めてくれ、と言われたので、口には出せないんだけどね。
「おはよう、黒部君。ごめんね、待たせちゃった?」
「いや、俺も今来た所だから。」
歩き始める黒部君の後を追う。今日の私は薄い黄色のワンピースに紺のカーディガンを羽織り、白のパンプスを履いている。うう、折角のお気に入りのワンピースなんだから、やっぱりパンプスにしたくて、一番ヒールが低いのを選んだけれど、やっぱり歩きやすいスニーカーの方が良かったかな。
そんな事を思っていると、振り向いた黒部君が、私に歩調を合わせてくれた。さりげない気遣いが嬉しい。やっぱり優しいな、黒部君!
「その服、似合ってる。」
え……?
思わず黒部君を見上げると、黒部君は顔を赤くしてそっぽを向いていた。
に、似合ってるって言ってくれた!今まで頑張ってお洒落をしても、黒部君に褒められた事なかったから凄く嬉しい!!
「ありがとう!黒部君の私服姿も凄く格好良いよ!制服も道着も似合うし、何着ても格好良くて羨ましいくらい!」
「それ前にも聞いた。もう良いから。」
あ、しまった。つい言っちゃった。
黒部君は更に顔を真っ赤にして、口元を片手で隠してしまった。照れている表情が可愛い、という言葉は、流石に私の胸の内に留めておく。
隣を歩く黒部君をちらちらと見ながら、幸せ気分で歩いているうちに連れて来られたのは、映画館だった。
「白浜、前この映画見たいって言ってたよな?」
並んでいる無料パンフの中から、黒部君が抜き取って私に見せてきたのは、今話題になっている恋愛ものの長編アニメ映画。そう、これ見たかったんだ!黒部君覚えてくれていたんだ!
映画は凄く面白くて、予想以上に笑えて感動した。見終わってから私が気になっていたパスタのお店に移動し、遅い昼食を摂りながら映画の感想を語り合う。食べ終えてパスタのお店を出ると、腹ごなしに近くの公園の中を散歩した。
今日は凄く良い日だ。黒部君の方からデートに誘ってくれたし、服も褒めてくれたし、私が見たかった映画と気になっていたお店を黒部君が覚えてくれていた。こんなに幸せで良いのかな、と思ってしまうくらい。
途中でベンチを見付けて、私達は腰掛けた。すると黒部君が黒の肩掛け鞄の中から何かを取り出した。
「白浜、誕生日おめでとう。これ、プレゼント。」
え……?
私は目を丸くして、黒部君と、差し出されたピンクの包装紙に赤いリボンが掛けられた細長い箱を交互に見つめる。え?誕生日って、プレゼントって、え?
「今日だろ?白浜の誕生日。」
「……ううん、私の誕生日は四日前だよ?」
「えっ!?でも確か、この前訊いた時、誕生日は十月八日って……!」
「え、十月四日……あ、『よっか』と『ようか』だから……。」
私がそう言った途端、黒部君は目に見えて慌て出した。
「嘘だろ!?ごめん、間違えて覚えてた!本当にごめん!!」
私は吃驚して黒部君を見つめた。いつも落ち着いている黒部君が、こんなに取り乱すなんて想像も付かなかった。何だか申し訳なくて、私も急いで口を開く。
「ううんっ、私がちゃんと発音しなかったのが悪いんだよ!それに今日は凄く楽しかったし!プレゼントまで用意してくれていたんだから十分、いや十二分だよ!!」
「良くねーよ!俺白浜の誕生日に告白しようって思っていたのに!!」
えええ!?今何と!?
思わぬ爆弾を投下された私は、真っ赤になって固まってしまった。
「……白浜の誕生日が今日だと思っていたから、デートの計画立てて、プレゼント渡して、付き合ってくれって言うつもりだったんだ。間違えて覚えてて、遅くなってしまってごめん。でもこんな俺で良かったら、付き合ってもらえないかな。」
落ち込んだ表情で私を見つめる黒部君。大型犬がしょぼくれて、耳を垂れて尻尾を丸めているように見えて、凄く可愛い、と思ってしまった。そんなの、答えは一つに決まっている。
「凄く嬉しい!こんな私で良かったら、喜んで!!」
嬉し過ぎて、涙ぐみながら答えると、黒部君は心底ほっとした、嬉しそうな笑顔を浮かべて、ぎゅっと私を抱き締めた。一瞬、何が起こったのか分からなかった。そして理解した瞬間、脳みそが突沸するかと思った。すぐに解放されてほっとしたような、残念なような。だけど今、耳まで赤くなっているであろう事は確実だ。
「良かった!!間違えていて本当にごめんな。白浜がここ数日落ち込んでいたのってそのせいだよな。」
黒部君の言葉に、熱くなった頬を両手で押さえて俯いていた私は、目を見張って思わず顔を上げた。
「えっ、気付いていたの?」
「当たり前だろ。廊下で目が合っても顔を背けて、話し掛けて来てくれないし。明都には残念な物を見るような目で見られるし、青柳は何か睨んでくるし。俺が原因なのかと思ったけど、心当たり無かったから、今日ずっと不安だったんだ。」
「そ……そうだったんだ。」
今度赤羽君と美雪ちゃん、それと麗香にもフォローしとかないと。
「あ、良かったらこれ、開けてみて。」
黒部君に促され、プレゼントを開けてみると、可愛いピンクゴールドのハート型が付いた、華奢なネックレスが入っていた。
「可愛い……!!ありがとう黒部君!大切にするね!!」
凄く嬉しくて、目一杯の感謝の気持ちを込めてお礼を言うと、黒部君は今まで見た事もないような、満面の笑顔になった。その笑顔が眩し過ぎる程素敵で、私に見せてくれた事が最高に嬉しくて。私はまた黒部君に惚れ直してしまった。
お読みくださり、ありがとうございました。