挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
暴君ユーベル迷いナく. 作者:霧山病

第一章[迷い人のバチカル]

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

9/55

1-8/其は道化か

「よぉ、エアトリンケン……死兵が泣いて許しを乞う、悪名高いユーベルさんが来てやったぞぉ?」

 とは言え、いつまでも店の前で立ち往生している訳にもいくまい。そう思いトレーネの扉を開け放ち店内へ踏み入ったユーベル。グラスでも落としたのだろうか。床に散らばる硝子片や倒れ伏す椅子などで雑多な様相が、ユーベルを出迎える。
 常の笑顔を崩さず、掛けられた声に動じた様子もなくニコニコと「やぁ、待ってたよ」と返すトイフェル。そんな彼とは打って変わり、この店の主であるエアトリンケンは、褐色の色合いの肌から血の気をなくしていた。
 繊細な銀細工のように綺麗な銀髪を、うなじ辺りで一纏めにしているエアトリンケン。彼女は人間で言うところの十代後半相応の見た目であるが、その実、百を越える年月を生きている。確か、今年で百十三歳だっただろうか。数ヵ月前にトイフェルから聞いたそんなどうでも良い情報をユーベルが思い出している間も、エアトリンケンは綺麗なワインレッドの瞳を涙目にして、わたわたと混乱した様子だった。

「ひ、ひいぃ!? で、出た! ユーベルだぁ!?」

「何だいエアトリンケン、大事なお客様に向かってそれはないんじゃあないかい? ほら、ユーベル君を見てみろ。あれはきっと怒りを堪えてる顔だ。ああなったらもうどうにも出来ないね。御愁傷様、エアトリンケン」

 まるでお化けでも見た生娘の如き怯えっ振りに、入店早々この扱いかと溜め息を吐いたユーベルだったが、そんな彼の呆れも知らず、カウンターに座ってグラスを傾けるトイフェルが、からかうようにエアトリンケンを囃し立てる。

 御愁傷様って、何がだよ。全く、悪趣味な。思わずそう呆れを深めるユーベル。エアトリンケンの態度も態度だが、それを尚更悪化させんとするトイフェルもまたどうかしている。
 エアトリンケンはかつて探索者として迷宮で活躍していた時期があったらしく、過去に双魔の覇者と呼び讃えられたほどの実力者だ。エルフと同じく精霊との親和性が高いダークエルフの中でも、際立って才気ある部類だった彼女。彼女は総じて魔導と一括りにされる二大神秘、即ち魔法と魔術両方に精通している、ハイレベルな魔導師である。
 それが高じて双魔の覇者などという大それた異名で呼ばれることとなったらしく、与えられた異名相応の実力を持つ彼女は、そのルックスも合わさり今でも市井の一部で高い人気を誇っている。時に魔法で敵を討ち、時に魔術で味方を守る。魔導の髄を極めた彼女こそ、双魔を統べる絶対の覇者。そんな謳い文句が今でも残っているというのだから、その実力は噂に違わぬ確かなものなのだろう。

 しかしそんな彼女ですら、災厄の異名を前にしては形無しと言うべきか。こうしてユーベルを前にして生娘の如く怯える様には、市井にて語られる勇姿などない。彼女は本来、乙女らしからぬがさつな口調と同じく、客に対しても平気で暴言を吐くような、そんな乱暴な人物であるのだが。
 カウンターの奥であたふたと慌てるエアトリンケン。透き通るようなワインレッドの眼に涙を滲ませる彼女は、一括りにした銀髪を揺らしながら「どうしようどうしよう」と錯乱した様子だ。
 頭を抱え、踞るエアトリンケン。その様はまるで、酷い頭痛を耐えているかのように見えた。例えばトイフェルが相手ならば、彼女もこうまで怯える事はない。三大パーティの一角でありながら、犯罪者一歩手前のならず者共ばかりが集まった傍迷惑な集団。それがグリードだ。しかしエアトリンケンも然る者。色々と黒い噂が絶えないそんなパーティの頭領を相手にしても、彼女の態度は決して変わらない。しかしそれが、ユーベルを前にした時はこうまで狼狽えた素振りを見せる。
 その事を、不満に思った訳ではないのだろう。気付けばカウンターの下に隠れて身を縮ませていたエアトリンケン。彼女に向けて、ふとした出来心でユーベルは声を掛けた。

「そうだぞ、エアトリンケン。てめぇ、大事なお客様に向かって開口一番んな事言いやがって……いったいどういう了見だぁ? 客が来たらまずいらっしゃいませだろ? ほら、言ってみろ」

「ひ、ひぃ!? い、いらっしゃいませぇ!」

 逆らっては何をされるかわからないという、そんな恐怖故か。甲高い悲鳴を上げながらもカウンターの下から何とか声を絞り出したエアトリンケンだったが、ユーベルに容赦はなかった。先程、トイフェルに呆れていた男だとはとても思えない。
 あるいはストレスを発散する、八つ当たりという側面もあったのだろうか。彼自身に自覚はないようだが、愉快げに口端を吊り上げてエアトリンケンをいびるユーベルは、とても生き生きとした様子だった。
 その光景を眺めるトイフェルに、制止せんとする素振りはない。彼は相変わらず、にこにこと笑ったままだ。

「顔も見せねぇで何言ってんだ! 舐めてんのかてめぇ? あん?」

「な、何だよ何だよ! そんなにオレの顔が見たいのか!? 生憎こっちはお前の面なんて見たくもない――あ」

「んだとてめぇ……生意気なことほざくのはどの口だ? 縫い付けてやろうか! ええ!?」

「ば、ばか止めろ! 冗談にならねぇ! ごめん謝るからちょっと待て近付くなごめんなさい本当無理止めて近付かないで悪かったオレが悪かったからぁ!」

 カウンターににじり寄るユーベル。足音で彼の接近を察したのだろう。カウンターの下に隠れるエアトリンケンが、尚一層身を縮こまらせ、恐怖に震える。
 トレーネの店内は、騒々しい雰囲気に包まれていた。和気藹々とした様子ではなかったが、互いに気を遣わずに行うやり取りに、気付けばユーベルも気を緩めていたのだろう。常は険悪に顰められていた形相も、今この時だけは僅かに和らいでいるように見受けられた。

 しかし、いつまでもそうやって馬鹿騒ぎをしている訳にもいかない。叫び疲れたのだろう。カウンターに突っ伏して荒く息を吐くエアトリンケン。戯れも程々に彼女から目を離したユーベルは、トイフェルの右隣の席にどかりと腰を下ろした。そうすると愉快げにグラスを傾けていたトイフェルが、チラリとユーベルを一瞥して「お疲れ様」と囁く。
 エアトリンケンとのやり取りに対して言ったのだろうか。しかし、労うとするなら、ぜえぜえと息苦しそうに呼吸を繰り返すエアトリンケンをこそ労って然るべきなのではないだろうか。そう思い、ユーベルは些か険のある口調でトイフェルに返した。

「何がだよ。疲れてんのはエアトリンケンだろうに、こっちは労われるほど疲れちゃいねぇぞ」

「それでも、ね。おかげで良いものが見れた。彼女がこうまで怯える相手なんて、君ぐらいだからね。流石あのユーベル君とでも言っておこうか?」

「……てめぇ、それで誉めてるつもりなのかよ」

「ああ、そうとも。まさかこの僕が君を貶す訳がないだろう」

 そう言って、何がおかしいのかにこにこと笑い続けるトイフェル。無愛想なユーベルとは対照的な様子である。二人はじゃれあいも程々に、態度を改めた。「さて」と切り出したのはトイフェルだ。三大パーティが一角グリードのリーダーであるトイフェルと、世に悪名を轟かす災厄のユーベル。二人の対談が始まる。
 ユーベルとしては、いの一番にギルドマスターから告げられたあの件、ナルシス王国が王女シャルキュール・フォン・ナルシスのセントラルタウンへの――正確に言えばユーベルの元への来訪と、それに付随する懸賞金の取り下げという、一連の出来事に関する何かしらの情報を聞きたかった。しかし、焦らしている訳でもないのだろうが、トイフェルは先ずは軽い世間話でもと昨今のセントラルタウンの情勢を話しはじめた。

 やれ、どこぞの探索者同士の諍いだとか、どこそこの中堅パーティの不祥事だとか、そんな話をetcetc(エトセトラエトセトラ)
 実は月明かりの休息の看板娘にはすでに想い人がいるとかいう、そんなどうでも良い話もあった。月明かりの休息と言えば、数時間前、帰還報告のためにレーツェルと共にギルド本部へ向かっていた時、ユーベルが目前を通り過ぎていった食堂兼宿屋である。優良な店だと高い評価を受けているらしいが、入店した事もないユーベルにとっては、そこの看板娘がどうなろうと知った事ではない。

 ユーベルの到来以来、名声に陰りを見せている銀閃乙女。彼女等が起死回生の一手として五十階層を目指し、迷宮で長期遠征しているという話もあった。赤竜騎士団の最深到達階層は現在四十八階層らしく、このまま順調に攻略を進めていけば、彼等が五十階層へ辿り着くのも時間の問題だ。そんな状況での長期遠征。銀閃乙女としては赤竜騎士団に先んじて五十階層を攻略することで、僅かでも失った名声を取り戻せればという魂胆なのだろう。
 それもまたユーベルには、関わりのないことだ。ユーベルに肖りその地位をかっさらったグリード以外の、迷宮発見当初から存続する三大パーティ――即ち赤竜騎士団と銀閃乙女にとって、かつての栄光は最早失ったも同然のものだ。三大パーティの一角を牛耳っていたブラッドナイトは壊滅し、彼の暴君、災厄のユーベルと無法者集団グリードの台頭を許した赤竜騎士団と銀閃乙女の武勇伝も、今ではユーベル等が与える影響に隠されあまり目立たなくなっている。
 彼等は――赤竜騎士団と銀閃乙女は、既に頂点から叩き落とされた敗者なのだ。そんな負け犬の悪足掻きなど、暴君(ユーベル)が一々気にするべくもない。だからユーベルはその話にも興味を持った様子はなく、次々と話題を変えていくトイフェルの話を、時折相槌を交えながらも話し半分に聞き流していた。

 突っ伏した体勢から起き上がったエアトリンケンが、ちらちらとユーベルに視線をやりながら、先程の喧騒――ユーベル入店直前のどたばたで落としたグラスや倒れた椅子などを片付けはじめる。頭を掻いたり首を傾げたり、そんなちょっとしたユーベルの所作にすら反応し、ビクビクと怯えるエアトリンケン。まるで小動物の如き警戒っ振りを見せる彼女を、ユーベルは横目で眺めた。
 硝子の破片を箒で集めていたエアトリンケンが、ちらりとユーベルの様子を窺い見る。そうすると示し合わせたように交差する視線。エアトリンケンの健康的な褐色肌から、さぁっと血の気が抜けていく。

 悪戯心でも芽生えたか。「あぁん? 何見てんだてめぇこらてめぇ」と言わんばかりの形相で視線を鋭くしたユーベルに、尚更エアトリンケンは顔を青くした。「何だこいつやべえマジやべえよグリードの連中の悪人面なんて目じゃないやばさだっていうか何でオレ睨まれてんだごめんわからないんだけどオレ何かした? 何かした!? ごめん謝るから止めてそんな目で見るな見るんじゃねぇ見ないでお願い止めて!」
 声に出した訳ではないが、視線を介してそんなやり取りが行われる。エアトリンケンからすれば、とても堪ったものじゃない。彼女はユーベルからの視線に耐えながらも手早く片付けを終え、脱兎の如き勢いでカウンターの裏に戻り、再び身を隠した。

 そうこうしている間にも、トイフェルの達者な口は回り続けている。曰く、地方の都市で勇者の名を騙る不届き者が現れただとか、魔王軍がついに活動をはじめつつあるとか、尽きる事のない話題の中で、その中でも特にユーベルの気を引いたのは、この話だろうか。
 ナルシス王国領に点在する数々の支部ギルド。迷宮のない地ではギルドへ身分を登録した者を、冒険者と呼称している。その話の主題となったのは、ここ数週間の短い期間で各地のギルド支部を渡り歩いた、一人の冒険者の話だった。

 数週間という僅かな合間で、このセントラルタウンですら噂されるようになったその人物は、誰に対しても素顔を見せる事はなく、常に仮面で顔を覆い、分厚い外套で身体のラインを隠した素性、年齢、性別、何もかもが不明の冒険者らしい。
 活動を始めてからすぐに名が広がった事からわかるように、相応の実力はあるのだろう。得体の知れない存在でありながら、彼、あるいは彼女は、曰くセントラルタウンの迷宮に挑む一流の探索者達と比べても、遜色のないほどの凄腕と言われているようだ。それだけなら気にするような事もない気がするが――ユーベルにとって、市井の噂などどうでも良いことだ。探索者達は日々を迷宮の中での闘争に費やしているが故か、一般に冒険者と呼ばれる迷宮都市外のギルド登録者に比べ、全体的に実力が高い。そんな彼等に劣らぬほどの腕だと言っても、ユーベルと比べては所詮相手にもならない有象無象にしか成り得ないのだ。

 大方、在野に埋もれる実力者に目を付けたどこぞのパーティが、ある事ない事吹聴して気付けばその冒険者の噂が出来上がっていたのだろう。そう認識したユーベルだったが、この話はそれだけで終わらない。

「性別、来歴、容姿、年齢、性別――何もかもが不明の冒険者だけれど、そんな彼、あるいは彼女の噂の一つに、こんな話があるんだ」

「けっ、どうせただの与太話だろうよ」

「ふふ、そう思うだろう? ところがどっこい、その噂には数々の証人がいるんだ。彼等は口を揃えてその冒険者を、こう言うんだ。彼、あるいは彼女は、濡羽色の綺麗な黒髪をしていた――ってね」

「……何だって?」

 トイフェルが告げた言葉を、理解出来なかった訳ではないのだろう。それでも俄には信じ難いと一拍の間を置き聞き直したユーベルに、トイフェルはあたかも嘯くように、再び囁いた。
 ユーベルが前世にて暮らしていた日本では、黒髪というのはさして珍しくもなんともない、日本人の標準的な髪色だ。しかしこの世界においての黒髪とは、ある特殊な意味合いを持っている。
 曰く黒髪とは、勇者だけが持つ特別なものなのだ。

「だから、その冒険者は黒髪だったんだってさ。でも、勇者って訳じゃあない。君が地下迷宮にいる間に、ナルシス王国はまぁた性懲りもなく勇者召喚の儀を決行したらしいんだけどね。その時呼び出された勇者は、今も王城で缶詰なのさ。はて、さて、だとしたらその冒険者は、いったい何者なんだろうねぇ」

「……おい、トイフェルてめぇ、さらっと何そんな大事話してんだ。俺は勇者が召喚されただなんて話、聞いてねぇぞ……?」

「そりゃあ聞かれてないからね。と言うより僕としては、てっきりギルドマスターから聞いてるものだとばかり思っていたんだけれど」

 そう言っておどけたように肩を竦め、両手を上げるトイフェル。細められた瞳が、ちらりとユーベルを流し見た。
 この暴君(ユーベル)を前にして、何とふざけた態度であろうか。ユーベルの眉間が不快げに顰められる。思わず舌打ちを一つ。不愉快だと言わんばかりに表情を歪めたユーベルが、「おい」とドスの効いた声をエアトリンケンに掛ける。びくりと跳ね上がった彼女に「酒持ってこい!」と要求したユーベルは、今更ながらに入店してから何も呑んでいない事を思い出したようだ。
 慌てた様子でグラスと酒瓶を持ってきたエアトリンケンから、引ったくるように酒瓶だけを奪い取る。片手の指だけでコルクを引き抜いたユーベルは、濃厚なアルコール臭を漂わせる酒瓶に直接口をつけ、そのまま一気に中身を呑み干した。

「ちんたらしてんじゃねぇぞ、エアトリンケン。早く次の酒を出しやがれ……!」

「は、はいぃ!?」

 どうにも、胃がムカムカする。何がこんなに自分を苛立たせているのか、ユーベル自身も正確に理解していた訳ではなかったけれど、勇者――否、黒髪という単語を聞いてから、どうしてかユーベルは、胸中に芽生えたどす黒い情動が蠢くのを止められなかった。

 前世では真っ黒だった毛髪と、瞳。それが、今ではどうだ。

 ユーベルは右手で酒瓶を掴んだまま、左手でくしゃりと頭を――否、髪を鷲掴んだ。迷宮探索の間、切ることもなく無造作に伸びきった髪は、相も変わらず燃え尽きた灰の如き色合いだ。鏡を見れば血のようにどす黒い、険悪に細められた眼が見えるだろう。
 この身は、(ユーベル)という存在は、前世とは何もかもが違う存在だ。今の彼は、手にしていたはずの平穏も、平凡も、何もかもを失った罪深き怪物でしかないのだ。

 ユーベルは胸中で渦巻いた悪感情を抑えもせず、殊更不愉快げに眉間を顰めた。
 トイフェルとしては、こんな反応を望んで話をした訳ではないのだろう。ユーベルの様子を一瞥し、しかしそれでもにこにことした笑顔を消さないまま、付け加えるように囁くトイフェル。

「まあ、勇者の事はともかく、その冒険者が、君がいない間にセントラルタウンに来訪してきた――って話だったんだけどね。まあ、君にとっちゃどうでも良い事だろうさ。何せ君はあの、悪名高き災厄のユーベル! 勇者だろうが魔王だろうが、どんな存在であれ歯牙にも掛けない、史上最悪の暴君なんだから。むしろ、君としては、こっちの話の方が気になるんじゃないだろうか――――」

 そう言って、トイフェルは勿体振るように一拍を置いた。ユーベルが気になる話と言うからには、何かしら彼にも関わりのある話なのだろう。蟒蛇の気でもあるのだろうか。次々と酒瓶を空にするユーベルは、不機嫌な様子を直しもせずにトイフェルの話に耳を傾けた。
 話す傍らでゆらゆらとグラスを揺らすトイフェルだが、その姿からは優雅さ以上に、底知れない得体の知れなさが滲み出ている。
 「知っているかい?」そんな問い掛けから始まるやり取り。淀みなく語るトイフェルの口振りは、まるで台本をそのまま読み聞かすような、そんな無機質さを秘めたものだった。

「赤竜騎士団の幹部連中なんだけど、彼等、今は王都に滞在してるんだってさ」

「お前、わかってて聞いてるだろ? こちとらつい数時間前まで迷宮の中にいたんだぞ。んなこと知るわけねーだろ」

「まあ、そうだろうね。それでなんだけど、どうにもナルシス王国の貴族からお呼びが掛かったらしくてね。それに応えて赤竜騎士団の奴等は王都に行った、という訳なんだ」

「……そりゃまた、どうにもキナくせぇな。俺がいない間に、あいつらがお貴族様に招集されるような事をしたって訳でもないんだろう?」

「ああ、そうさ。その通りさ」

「で、それがどうして俺に関係してくる?」

「ふふ、そう焦れるなよ。早い男は嫌われちゃうぞぉ?」

「……てめぇ」

 軽快な語り口に笑い声を挟むトイフェルだったが、やはり無機質な印象は拭えない。からかうように付け加えられた言葉に尚更ユーベルの機嫌が降下するが、やはりと言えば良いのか、トイフェルに気にした様子はなかった。
 彼の暴君、災厄のユーベルを前にしてこのような態度を取れるとは、トイフェルは余程肝が据わっているのだろう。巷ではお飾りと軽んじられている彼であったが、ユーベルを前にしておどけた態度を変えない道化の如き男からは、ただのお飾りだとは思えない不気味な凄味が垣間見えた。
 レーツェル曰く、トイフェルは頭のネジがハズレた狂人である。なるほど確かに、彼はそう評するに値する、頭のイカれた男だった。
 そしてそれと同じぐらいに――あるいはそれ以上に、得体が知れない。

「あんまり君を怒らせたら、後が怖いからね。勿体振るのは止めにしよう。ナルシス王国の貴族――確か、メラン・コーリッシュとかいう名前だったかな。彼が爵位をなくしたオーデム・ホーゼを匿っているって話は、君も知っているだろう?」

「そりゃ、まあ、な……」

「それで、そのメラン・コーリッシュ卿がね、王都に滞在する赤竜騎士団の幹部――ヴィント・ホーゼに、オーデムを通じて君の殺害依頼を頼み込んだらしいのさ。赤竜騎士団に対してではなく、ヴィント・ホーゼ個人にね。そう、個人にだ。しかし恐らくだけれど、今後起こるであろう襲撃は、他のパーティメンバーも巻き込んだ大規模なものになるだろう。君はそれだけ、恨みを買っている。どうだい、この話は、君のお眼鏡に適ったのかなぁ」

「……」

「何だい、黙りかい? そうだね。付け加えるとするなら、この依頼はね――」



「君の元へシャルキュール・フォン・ナルシス王女様が来訪し、懸賞金が取り下げられることになる前に、君を――ユーベル君を亡き者にして、一国の王女が暴君の魔の手に掛かることを防ごうっていう、一部の反対派からの涙ぐましい抵抗でもあるのさ」
「反対派の一部では、この先に起こるユーベル君への襲撃を取り上げて、やはりこんな奴のところに姫様を近付けるのは危険だ――なんて言って、件の話を取り消させようって考えてる連中も、いるみたいだねぇ」
「とんだ自作自演だ。そもそもどうして、君みたいな特級の危険人物の元にだぁいじなお姫様を送ろうなんて言うのか……。詳細はわからないけど、裏には様々な陰謀が絡んでいるようだし」
「魔族もこの件に絡んでいるって聞いたなぁ。まあ」



「何にせよ、頑張っておくれよ。なぁ、ユーベル君。グリードのためにも、僕のためにも、ね」

 反対派というのは、ユーベルの元に王女が向かう事に対し否定的な、ナルシス王国内の一部の有力者のことだろうか。いや、そもそもが、ユーベルは未だこの件に対し明確な承諾を行ってはおらず、ナルシス王国の内部がどう捉えているかはともかくとして、ギルドマスターもまだ返事は保留していると言ってはいなかっただろうか。
 そのはずが、気付けば当然の事として、承諾の方向に話が向かっているようだ。それに付随するようにその反対派とやらが何やら仕掛けようとしているらしいが、そんな事はともかくとして、だ。
 トイフェルならばシャルキュール姫来訪の話について、何かしらの情報を掴んでいるのではないだろうか。彼自身、そう予想していた。だが例え予想していようと、この得体の知れない情報網にユーベルは薄ら寒いものを感じずにはいられなかった。
 今後、赤竜騎士団が幹部、疾風のヴィント・ホーゼ率いる一部探索者からの襲撃があると聞かされはしたが、それよりもまずトイフェルの得体の知れなさをこそ警戒しなければいけないのではと、ユーベルはそうとすら考えた。
 背筋につうと、冷や汗が流れる。やはりこいつはお飾りなどという甘い存在ではない。例えるならばそう、ユーベルの目には、トイフェルの姿がまさしく――

「……充分、お眼鏡には適ったぜ」

 道化を振る舞う、悪魔(・・・)の如く見えた。

 しかし、だから何だと言うのか? ユーベルは胸中に芽生えた怖じ気を隠すように、告げた。嘲笑と共に、さながら思い上がった愚者を見下す暴君の如く、口を開く。
 思い上がった愚か者は、いったい誰だったのだろう。ユーベルは酒瓶を手放し、気付けば胸元まで上がっていた右手を、何かを握り砕くように握り締めていた。心の奥底に蠢く自嘲の念を悟られぬよう、いかにも傲慢不遜な表情を作るユーベル。

「だがよぉトイフェル、勘違いすんじゃあねぇぞ? 俺は俺のために戦う。誰のためでもねぇ、俺自身のために、だ。羽虫共の襲撃なんざ屁でもねぇ。歯向かう奴は全員……皆殺しだ」

 それで良い。そのはずだ。チクリと痛んだ胸を気にしないようにして、ユーベルは握り締めていた右手を解き、そのまま酒瓶を鷲掴みにした。
 そうだ。歯向かう者は殺す。例えそれが、誰であっても――だ。そこに例外はない。だから、そうだ。一度敵対者と相対すれば己は、いったい何者が相手であろうと、何の躊躇いもなく踏み潰せる暴君と成れるだろう。

 隣り合うトイフェルに負けないほど歪な存在感が、ユーベルから溢れ出た。他者を圧迫するそれは、過酷な日々の中で育まれたただひたすらに冷酷な、殺意。
 物理的重圧すら伴っているのではないかと思えるほどに濃密な存在感を感じてか、カウンターの裏に避難していたエアトリンケンが「ひいぃ!?」と悲鳴を上げた。しかし真横に座るトイフェルに、ユーベルが放つ存在感に呑まれた様子はない。
 むしろ尚更にこにことした笑みを浮かべたトイフェルは、今後襲い来るであろう襲撃者に対し凍てついた敵意を立ち上らせるユーベルを、さも愉快げに眺めていたのだ。

 剣呑な雰囲気を纏うユーベルの存在があってか、異質な空気に包まれるトレーネ。店の主たるエアトリンケンは、何こいつ何でこんな殺る気満々なのと涙目で混乱せざるを得ない。
 常であればおちゃらけた軽薄な態度のトイフェルも、今この時に限ってはどうにも得体の知れない不気味さを醸し出している。この男の実態がお飾りの俗称とは掛け離れた恐ろしいものであるということは、エアトリンケン自身既知のことではあるが、何もこんな時に限って本性を垣間見せることはないだろうと、エアトリンケンはそう思わずにはいられなかった。
 正しく前門の虎、後門の狼だ。いや、こいつらは虎だとか狼だとか、そんな可愛らしいもんじゃあない。例えるならば、そうだ。前門の邪神と後門の魔神だ。エアトリンケンはそう確信した。そうするとどうしてか、震えが強くなった。


 拝啓、遠い彼方で今もオレの帰りを待つお母様とお父様へ。
 オレことエアトリンケンは、宣言通りセントラルタウンに無事足を踏み入れることに成功しました。あれからはやうん十年……オレは気付きました。やはり人生とは、そう甘くはいかないようです。
 一時期は双魔の覇者だなんて呼ばれて天狗になった事もありましたが、セントラルタウンはどうにもオレの予想を越える魔窟だったらしいのです。知ってますか? 大陸全土に名を轟かすあの暴君が、何と……オレの知り合いになったのです。凄いでしょ? 震えるだろ? おかげで今では、日々怯えながら生活しています。
 今、オレは自分の店を経営しているのですが、探索者をしていた頃の知名度もあってなのか店に閑古鳥が泣くこともなく、開店してからある日までは順調に商売が出来ていました。しかしトイフェルと言う糞野郎のせいで、何もかもがめちゃくちゃです。
 奴は、よりにもよってオレの店にあいつを……あの、ユーベルを、連れてきたのです。はじめて奴がユーベルを引き連れてやってきたその日から、店には客が来ないようになりました。とんだ迷惑です。大迷惑です。もう連れてこないでと何度も嘆願しているのですが、トイフェルの糞野郎は行いを正してくれません。
 そのせいで、オレの心はボロボロです。客は来ないし、ユーベルは怖いし、トイフェルは性悪だし、ユーベルは怖いし、グリードの連中はモラルがないし、客は来ないし、ユーベルは怖いし、怖いし、怖いし……。
 お母様とお父様は、今も元気でお過ごしでしょうか? 一度顔を見たいです。会いに来てください。不肖の娘を助けに来てください。お願いします。

「!」

 エアトリンケンはハッとした。己は何をしていたんだろう? 盛大な親子喧嘩の末故郷を飛び出して以来、音信不通だった父と母。気付けばそんな彼等と、どうしても再び会いたくなっていた。
 恐らく、あまりの恐怖に思考が錯乱しているのだろう。頭の冷静な部分でそう自己認識するエアトリンケンだったが、だからと言って状況が好転する訳はない。
 どうする。どうすればユーベルの気を落ち着かせた上で、トイフェルの顔面に一発食らわせられる? 思考を巡らせてそう考えるも、生憎と妙案は浮かばない。そんなエアトリンケンにとって、来訪した彼女はまさに救世主だったのだろう。


 店の外でどたばたと急がしない足音が響いたかと思えば、トレーネの入り口に据えられた扉がばんと勢い良く開け放たれた。
 解放された扉から姿を見せるのは、急いで来たのだろう。ぜぇぜぇと苦しげに荒い呼吸を繰り返す、紫色の長髪をウェーブさせる少女だ。
 唐突な来訪に呆気を取られたか、目をまん丸に見開くエアトリンケンの視線の先で、件の少女――レーツェルは、カウンター席に腰を下ろすユーベルへ目を向けたかと思うと、息も絶え絶えに言い放ったのだ。

「はぁ、はぁ……ユ、ユーベルさん! ギルドから、緊急召集が掛かりました! 至急ギルド本部まで――って、ひいぃ!? 何で、こんなっ、殺伐としてるんですか……? うぅ」

 まあ、そうなるよな。開口直後の勢いはどこへ行ったのか、尻込みするように声を小さくしていった涙目のレーツェルの姿に、エアトリンケンはどうしてかシンパシーを感じずにはいられなかった。
 しかしはてさて、ギルドからの呼び出しとはいったい何用であろうか。目を閉じ気を落ち着けるよう努めたユーベルは、しばらくの間をおいてから、緩慢な動作で瞼を開いた。
 シャルキュール・フォン・ナルシス来訪の件に関して、何かしらの問題でも起きたのだろうか。ユーベルはそう思考を巡らすが、どうにもレーツェル曰く、緊急召集はその話とは関わりのない事らしく――

 しばらくした後、落ち着きを取り戻したレーツェル。トイフェルとエアトリンケンの耳を気にしてか、ユーベルの耳元に自分から顔を近付けるという、普段からは想像もつかないことを仕出かしたレーツェルが、そのまま内緒話でもするように、囁くほどの声量でユーベルへ語り掛けた。
 その内容を聞いてか、ユーベルの眉間が顰められる。

「先程ダンジョンから、遠征に行っていた銀閃乙女のメンバーが帰還しました。どうにも不測の事態が起こったらしくて……彼女等の情報では、第四十階層で異常なモンスターが発見されたとのことです。詳細は追って説明しますが、事を重く見たギルドの上層部が、ユーベルさんに異変の調査、及び解明へ向かうよう依頼を出しました。ダンジョンには銀閃乙女所属の巨兵のリーゼが取り残されているようで、平行してユーベルさんには、彼女の救出も行ってもらうことになるかと……」
『6/29追記』

一部の心理描写を修正しました。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ