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暴君ユーベル迷いナく. 作者:霧山病

第一章[迷い人のバチカル]

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1-7/おいでませ、混沌

 ああ、姫よ。尊き主よ。降り掛かる火の粉は払いましょう。立ち塞がる障害は砕きましょう。例えこの身が朽ちようと、貴女に仇なす者、それ即ち須らく我等の仇敵であります故に――


 シャルキュールを国王の私室まで送り届けた後、フェリエラとミルトは人気のない通路で顔を寄せ合わせていた。あるいは風音があれば掻き消えてしまうのではと、思わずそう思ってしまうほどに小さな声量で囁き合う彼女達。二人の密会に耳を傾ける人間は、その場にいない。
 そう、人間(・・)は、その場にいないのだ。人間以外の何かが、そこには潜んでいた。未だ天高くに居座る太陽の日差しに照らされる通路。等間隔に聳える柱の陰に隠れ息を潜めるのは、何を罷り間違おうと決して人とは呼べないような、醜悪な何かであった。
 人類の内情を探るべく送り込まれた魔族の密偵なのか、どうか。あるいはナルシス王国に仇なす異種族の某かであろうか? その正体を知るものは、この場においてはどこにもいない。どころか潜む影に気付いた様子もないフェリエラとミルトは、敬愛するシャルキュールにすら聞かせられない、たった二人だけの密会を続けた。

「ミルト、尻尾は掴めたか」

「残念ですが、成果はありません。余程やましい事を抱えているのでしょうかね。会議に参加された賛成派の関係者達にもそれとなく探りを入れてみたのですが、誰も口を開こうとはしません。単に賄賂で口封じしただけとは思えない徹底振りです」

「そうか……しかし、そうなると手が出せんな。全く、発起人は何を考えてこんな事を言い出したんだ」

「発起人と言いますと、ゲシュペンスト家の当主、ファルシュ卿ですか。ファルシュ卿は()と接触した事がないようですから、所詮噂は噂と、たかを括っていてもおかしくはないですが……」

「だとするなら、実態も知らずに奴を何かしらの陰謀に巻き込もうとしているのか……。思い上がりも甚だしいな。だが、それに付き従う賛成派の奴等の中には、あいつに領地を荒らされた者達も少なからずいるだろう。奴等め、あの化け物(・・・)への恐怖を忘れでもしたのか。嘆かわしい」

「……嘆いていても何ともならないのが、どうにもやるせないですね。一先ずは、反対派の人間の抵抗に期待しましょうか……」

「それは、あれか……。オーデム・ホーゼを匿っているメラン・コーリッシュ卿の話か? 王都に滞在してる赤竜騎士団の幹部の一人に、あの話を持ち掛けたっていう」

「ええ、そうです。彼はホーゼの伝手を使い、セントラルタウンの有力パーティへ災厄のユーベルの討伐を依頼したそうです。上手く行くとは思えませんが、まあ……時間稼ぎぐらいにはなるでしょう」

「……ふんっ、姫が今の我等を見れば、きっと嘆かれるのだろうな」

「……違いないでしょう。それでも、姫のためとなれば」

「ああ、わかっているさ。例え非道と罵られようと、私達は姫のために」

 大国の王女足るシャルキュールが、よりにもよってあの災厄のユーベルの元に送られるという不可解な事態の裏に隠された陰謀を、潰す。
 姫の手を煩わせるまでもない。彼女はただ、いつも通り居てくれれば、それだけで良いのだ。そのためならば、フェリエラも、ミルトも、悪魔にだってこの身を差し出す覚悟だ。

 しかし悲しいかな。陰謀は絶える事なく加速する。そもそもの話、彼女達程度ではあまりにも役者不足だったのだ。大国と言えど所詮は一国家に過ぎないナルシス王国。繁栄を極めた栄華の裏側に潜む大国の闇ですら満足に打ち払えぬ狭小な存在が、大陸全土を覆いつつある亡霊(・・)の悪意を晴らす事など、出来る訳がない。

 影に潜む某かが、ニコニコと不気味な笑顔を浮かべた。まるで嘲るように、さながら呪うかのように、愉快げに嗤う。彫刻の如き笑みに秘められているのは、底知れない邪気だ。




 ナルシス王城から離れた、遠い場所。石造りの建物のとある一室。窓がない構造故か、日差しの差さない一室を照らすのは、蝋燭の微かな灯りのみだ。
 不格好な椅子に腰を落ち着ける男は、見ていられないとばかりに掌で目を覆って、呆れたように呟いた。声が向けられた先は、椅子――否、四つん這いになって椅子代わりにされている、年端もいかない童女だ。

「ほんっとに、くっだらないなぁ。ねぇ、シュテルプリヒちゃん、君もそうは思わないかい」

「……」

「んんん? 何だい、無言か。無視か。そんな冷たい態度を取られたら、流石の僕も悲しんじゃうぞー。物事を悲しめる健全な心なんて、まさかこの僕にある訳もないんだけどね。ああ、本当に――くだらない。だが、安心して良いよ。君はもうすぐ解放される。願い通り、再び会わせてあげるよ。君のだぁい好きな、ユーベル君にねぇ。だから喜べ。笑え、嗤え。きっとユーベル君も、君の笑顔が見たくて仕方ないと思うんだぁ。くくっ、とんだ茶番だ。報われないなぁ。くっ、くひっ、あっはっはっ! あーひゃっひゃっひゃっひゃぁ!」

 何がそうまで可笑しいのか、狂笑を響かせる男だったが、耳障りな音色を咎める者は、誰一人としていなかった。



 異界より呼び出された勇者が、仲間と共に苦楽を分かち合い、数々の強敵難敵を打ち倒し、やがては諸悪の根源とされる魔王を打倒する王道(テンプレ)。どこで罷り間違えたのか、気付けばそんな道筋からは外れた動乱の兆しが、誰にも知られぬ水面下で花開いていた。
 其は悪意の花。邪悪の木に咲く、災いの兆しである。



 地下迷宮の奥深く、過去に赤竜騎士団、銀閃乙女、ブラッドナイトが合同で遠征を行い、見事フロアボスである超魔星ツヴェルクパンツァーを打ち倒し栄光を掴み取った伝説の地。一度倒したフロアボスは二度と現れる事はなく、階層主の消滅が原因か。その階層を徘徊する魔物は数を減らす。いったい如何な原理があってそうなるのかは不明ではあるが、そういったダンジョンの性質もあり、当時より益々の発展を遂げた銀閃乙女所属のメンバー達は、油断さえしなければ、その階層――四十階層でパーティが壊滅に追いやられる事などないだろうと、そう思っていた。
 四十階層に生息するモンスターは、フロアボスが関連しているのか。ゴーレムなどといった鉱石系の魔物で占められている。過去にあった遠征では、ストーンキマイラやアイアンリザード、果ては鉱石系モンスターの特徴を持ちながらも竜種に分類される、アースドラゴンといった難敵が当時の三大パーティを苦しめた。

 しかしあれより早数年、当時は未熟であった銀閃乙女の団長、エミリア・シュプリンガーも先代より続く類い希な才気を開花させ、今では他とは一線を画す一端の強者となっている。団員達もエミリアに負けず、研鑽を積み各々の力量を高めた。彼女等にとっては不本意な事ではあるが、彼の暴君ユーベルが地上へ持ち帰った現状彼のみが手に入れる事の出来る希少な物品を用い、団員全体の装備もまたあの時よりグレードアップしている。

 銀閃乙女発足当初からパーティの躍進に貢献してきた凄腕の魔法使いであるエルフ、リーゼ。ゴーレムの作成、使役を得意とし、巨兵とまで謡われ一時期は迷宮都市四天王の一人とまで数えられた彼女も、この数年で得意魔法――ゴーレムクリエイトに更なる発展を遂げる事に成功していた。

 数年前に加入したばかりの新参者ではあるが、シャハテル大陸の各地を放浪した末にセントラルタウンへ辿り着いたシュネーなどは、当時から即戦力として他パーティメンバーと比べても遜色のない働きをしていた。それが今では魔力の扱いや体捌きにも磨きが掛かり、銀閃乙女の幹部達にも引けを取らない獅子奮迅の活躍をするようになった。
 同世代でありながら赤竜騎士団の幹部にまで登り詰めた鬼才、ヴィント・ホーゼを意識しているのだろうか。疾風と称えられる好青年を頻繁に引き合いに出すシュネーだが、エミリアから見て、彼女はヴィント・ホーゼにも負けない稀有な才があるように思える。まだ発展途上でありながらも巧みに魔力を操り、時に自らの魔術で生み出した氷剣を扱い接近戦すらこなす姿は、まさに百戦錬磨の強者のそれだ。

 他にも各員、各々の持ち味を活かし、時に剣で、魔法で、槍で、魔術で、弓で――パーティメンバーが一丸となって、唐突な脅威の襲来に抗っていた。ここ数年の努力の成果を十全に発揮し、全力で、だ
 だが、戦況は芳しくない。かつては踏み越えられたはずの、地下迷宮が第四十階層。最早フロアボスもおらず、当時から更なる発展を遂げていると言うならば、容易に踏み越えて然るべき階層だ。

 そのはずなのに、この様はなんだ。エミリアは鈍く輝く刃銀で犇めく異形を屠りながら、予想外の事態に頭を抱えたくなった。

 しかし、そうもいかない。鼻が曲がりそうなほどの腐臭を撒き散らすのは、四方八方から襲い掛かってくる人形の肉塊だ。まるで人の形になるよう、人間大の肉から不要な部位を削ぎ落としたかの如き異様。見るに耐えないその姿は長年ダンジョンに潜っているエミリアや、長き時を生きるリーゼであっても、ついぞ見たことがないはじめて目にするものだ。本来四十階層を闊歩しているのは鉱石系のモンスター達のはずである。断じて、このような異形共ではない。
 ダンジョンの通路を埋める肉人形の群れは、これまでダンジョンの中で相対したモンスター達とは一線を画す異質さを放っていた。いくら切り裂こうと一向に減る気配のない肉人形の軍勢を前に、銀閃乙女のメンバーは徐々に疲労していっている。このままでは、拮抗が崩れるのも時間の問題であろう。

 幅広の通路を埋め尽くす途方もない数の群れ。前も、後ろも、見渡す限りに肉塊が蠢いていた。その中にあって円陣を組む銀閃乙女。接近戦に心得のある者達が前に出て、中、遠距離戦を得意とする者達を囲む形となった陣形だ。肉塊の群れに飛び掛かり各々の獲物を振り回す前衛陣の中には、銀閃乙女の団長であるエミリア・シュプリンガーの姿もあった。
 その場の誰よりも前に突出し、勇んで刃銀を駆け巡らせる。一度刃を振るう毎に肉塊が切り裂かれ、鮮血が舞う。肩口で切り揃えられた金髪が血を浴びて真っ赤に染まるが、エミリアに気にした様子はなかった。急がしなく足を動かしながら一体、二体、三体と、瞬く間に肉人形を解体していく。しかしと言えば良いのか、やはり肉人形共の数が減る気配はないようだ。

 負けじと前に進み出たのは、青みがかった白髪を側頭部で二つに括った少女――シュネーだ。彼女はダンジョンに住まうモンスターの革で拵えられた手甲、それに前もって刻み付けておいた術式へ魔力を送り込み、魔術を起動する。始動した魔術により周囲に冷気が渦巻いたかと思えば、渦を成す魔力が氷剣を作り上げた。手甲に覆われた手で力強く氷剣を握り締めたシュネーは、そのままエミリアに劣らぬ勢いで肉人形共を切り刻んでいく。

 他のメンバーもまた奮戦しているが、エミリアとシュネーの戦い振りは特に際立っている。しかしそうやって激しい動作を繰り返していれば、自ずと体力が底を突くのも早くなるだろう。後ろには大規模魔導発動のために無防備を晒している仲間もいるのだ。あまりに離れられると、都合が悪い。ここは一旦下がらせなければと、きらびやかな光沢を称える金の長髪を一つに纏めたエルフ――リーゼが、敵味方入り乱れる戦場の中であってなお、華麗に響く言の葉を発した。

「エミリア、シュネー、前に出すぎよ! 他のメンバーも一旦下がりなさい。本命の前に、でかいのを一発お見舞いしてやるわ!」

「くっ……頼んだぞリーゼ!」

「はい! リーゼさん!」

「行くわよ! ゴーレムクリエイト――」

 リーゼがそう唱えたと同時に、彼女の総身から可視化するほどの魔力が立ち上る。ゴゴゴゴと地響きの音さえ聞こえてくるほど莫大な魔力が、リーゼの意を受け形となっていく。

 魔法とは、人々が日々を過ごす現世より高次元に住まう、高次の情報集合体である精霊に魔力を受け渡し、その対価として相応の現象を現世にて引き起こす、超常の神秘だ。対価として支払った魔力が大きければ大きいほど、起こり得る神秘の度合いは高まっていく。しかし差し出した魔力量だけが魔法の規模を決定付ける要因ではなく、世論では精霊との親和性が高ければ高いほど、より効力の強い魔法が行使出来るようになると言われている。
 そしてエルフとは、多種族と比べても群を抜いて精霊との親和性が高いとされる種族だ。そんな中でも際立って優秀な才気を持つリーゼ。種族特徴でもある長寿を活かし、長年銀閃乙女のメンバーとしてダンジョン攻略に勤しんできた彼女が、本気で得意魔法であるゴーレムクリエイトをしたらどうなるのか。その答えが、そこにはあった。
 現れ出でたるは鋼の巨人。前衛陣と肉人形の境目に顕現した鋼鉄の巨兵は、主の意を受けた歓喜を吠えるように、迷宮の天井に遮られた天を見上げた。

「蹴散らしなさい! 鋼の番人、アイゼンヴェヒター!」

 鋼鉄の巨躯を鈍く煌めかせるリーゼ謹製のゴーレムは、瞳の位置に当たる空洞に青い光を灯らせ、その輝きでもって犇めき合う肉塊の群れを射抜く。所詮は魔法でもって構築された命すらなき鉄の塊であるが、その瞳にはどうしてか、主に歯向かう敵対者への冷たい殺意が湛えてられているように思えた。
 巨人の鉄拳が振り翳される。何の躊躇いもなく放たれた巨兵の一撃は、群れを成す肉塊を纏めて吹き飛ばす。それに続き一度は下がった前衛陣が前へ突出せんとするが、エミリア達に先んじるように放たれた後衛陣の混成魔導が、巨兵の一撃でぽっかりと開いた穴を抉り、拡張させた。
 精霊の力を借りて己が望む事象を具現する魔法。術式を介し定められた事象を反映する魔術。総じて魔導と呼ばれる二大神秘が入り乱れ、肉人形の軍勢を蹂躙する。リーゼ曰く本命であった後衛陣からの大規模な魔導攻撃。その締めとして放たれたのは、勢い良く渦を巻く水の螺旋だ。爆音を轟かし放出された、最早砲とでも言うべきほどの水流。それは数々の魔導攻撃に晒され包囲を崩しつつあった肉人形の群れへの、最後の決定打となる。

「今が好機だ! 押し進めぇ!」

 異形の軍勢が、陣形を崩される。緩んだ包囲の隙間が埋められる前にと、エミリアを筆頭とした前衛陣が勇ましく突撃した。今度こそ何に憚られる事もなく突出を果たしたエミリア達は、ぽっかりと空いた風穴を逸早く埋めんと押し寄せてくる肉人形を次々に薙ぎ倒し、突き進んでいく。
 彼女等に続き、少ない事前動作で放てる簡易な魔導で肉人形を牽制しながら、後衛陣が駆ける。その最後尾にて殿を務めるのは、リーゼが作り出した鋼の巨兵だ。ゴーレムは背後から押し寄せる肉人形の尽くをその巨躯でもって受け止め、背後からの強襲を防いでいた。

 このまま続けていてもじり貧となれば、逃走も吝かではない。時に戦略的観点から魔物からの逃走を良しとする判断も、一流の探索者には欠かせないものだ。流石三大パーティに名を連ねる精鋭達とあってか、三桁に迫る大勢の集団でありながら一糸乱れぬ所作で行動を成した銀閃乙女の団員達。その様は正しく、熟練と評するに相応しい一流の探索者のものだった。

「大分、離れたようだな。これでとりあえずは安心か」

「でも団長、この後どうするんですか!? きっとあいつら、また追い掛けて来ますよ!」

「……そうだな。安全地帯がそう遠くないところにあったはずだ。そこから一度地上へ戻り、一先ずギルドへ報告しに行かなければいけないだろう」

「あーもーやっぱり! ここまで来たのに、折角の遠征がパーですか。そうですか! あいつらのせいで……全く、何なんでしょうかね? 私、あんなモンスターを見るのは初めてですよ!」

 気付けば肉人形の群れを遥か後ろに追いやっていたが、それでもなお足を止めずに駆け続ける一団。先頭では、エミリアとシュネーが声を掛け合っている。
 ここで反転し迎え撃つ構えを取る選択肢もあったが、そうはしない。銀閃乙女のメンバーは、その末端に至るまでこの状況がどれだけ異常なものか、理解していたのだ。
 本来現れるべきモンスターの一切が姿を見せず、見たこともない新種のモンスターが大軍を成して襲い掛かってくる。こんなことは、長年探索者をやってきたリーゼですら経験したことのない事態だ。
 何もかもが異常だ。そもそもあの肉人形達は、真っ向から迷宮の摂理に反している。リーゼは足を止めないまま、チラリと背後に目を向けた。付き従う鋼鉄の巨人。その後方で列を成す肉人形共から、更に後ろへ。先程銀閃乙女のパーティメンバー達が戦闘を行っていた地点の周囲を汚しているのは、腐臭を漂わせる血飛沫や肉片だ。ダンジョン内のモンスターが死んだ場合、その死骸は本来光となって消失していく。それが迷宮を闊歩する数多の魔物に等しく訪れる、終焉の結末だ。しかし彼等は血を残した。肉片を掻き消さない。

 もしやあの肉人形共は、外部から侵入した魔物なのではないのだろうか。そんな仮説をリーゼは立てた。外部――要するに地上のモンスターは、迷宮から産まれた魔物とは違い、死しても光となって消える事はなく、その死骸を地に残す。それはダンジョンの中であっても変わらず、何の探求心があってか、迷宮の魔物と地上の魔物の違いを探る研究の一環で、地上で捕まえた様々な種の魔物を迷宮の中で飼育し、観察し、終いには処分した学術都市の研究者曰く、例え迷宮で育とうと、地上の魔物は変わらず死骸を残すと伝えられている。
 だから、そう、仮に何者かがこの肉人形を地上より誘き寄せたとなれば、今尚奴等が光となって消えない理由は解明される。が、しかし、それでも事の重大さが軽くなるという事はない。そもそもがあのような異形が地上で発見されたという話を、長年の時を生きるリーゼですら聞いた事がないのだ。例えば何かしらの理由があってリーゼが知らないだけだとしても、地下迷宮第四十階層の生態が唐突に変化したという事実に変わりはあるまい。こうやって逃亡のため駆け回っている今も、銀閃乙女のメンバー達の視界に四十階層の代名詞たる鉱石系モンスターの姿は映らない。

 いったい、地下迷宮に――否、この四十階層に、何が起きているというの?

 あまりにも不可解な出来事に冷や汗を垂らすリーゼ。肉人形の群れからは随分と距離を離したが、嫌な予感は拭えない。遠征を中断し、一刻も早く迷宮から離れなければ――警報を鳴らす直感に従い、安全地帯へ向かう道筋を頭の中で再確認する。
 リーゼが最も危機感を抱かざるを得ない、一番の懸念事項。仮に外部からあの醜悪な異形を寄せた手下人がいるとすれば、そいつはギルドの目を掻い潜り、肉人形の群れを統率し、誰に気取られる事もなく四十階層まで意思なき肉塊達を送り込んだという事になる。果たしてどんな奇術を用いればそんな事が可能となるのか、生憎とリーゼには見当も付かなかったが、しかし事実としてそうであるなら、そうなのだろう。何かしらの手段を用いて手下人は事を成すに至ったのだろう。

 どうやって? 何の理由があって? リーゼの脳裏に疑問が芽生えては積み重なっていく。繰り返される自問に明確な答えは出ない。そうしている間にも足を進める一団。向かう先は安全地帯だ。エミリアや他の団員もまた、不可解な出来事に危機感を感じずにはいられないのだろう。四十階層に辿り着くまでは、何の異常もなかった。それが四十階層の通路を進行していたと思えば、気付けば肉人形の群れに囲われていたのだ。被害もなく逃げ果せた事は幸運と言うしかないだろう。
 逸早く地上に帰還し、ギルドへこの異常事態を報告せねば――パーティメンバーの各員が、誰に言われずとも強くそう思った。言葉少なに帰還のため安全地帯を目指す彼女等は、その時確かに思いを一つにしていたのだろう。

 往生左右する事もなく、纏まった動きで逃亡を続ける銀閃乙女。肉人形の包囲から抜け出して以来変わっていない縦長の陣形の、後尾付近。それなりの距離を走っているはずだが息切れした様子のないリーゼに向け、声を掛ける存在がいた。先程の、包囲からの脱出の際、一斉に放たれた魔導の数々の中でも、際立って強力な魔法を放った女性だ。水系統魔法の最上位に位置する水の究極魔砲(アルテマ)を行使したライトブルーの長髪で目元を隠した妙齢の女性が、落ち着きある外見からは想像も付かないはしゃぎようで、リーゼに声を掛ける。

「やるじゃんリーゼ! 前よりゴーレムの密度が高くなってるじゃない。これならまたあいつ等が現れても安心ね!」

 無邪気な音色は、生来の気質故だろう。リーゼとてその態度が明らかな空元気から来るものだとわかりきってはいたが、こうして明るい声を出し、全幅の信頼を己に向ける旧知の友の姿に、リーゼは不安に揺れていた気持ちを掻き消される気分だった。
 思い返せば、彼女――マリエラもまた、現在の銀閃乙女のリーダー、エミリアと同じく、最初は未熟な新米の一人に過ぎなかった。
 それが、今ではどうだ。こうして苦難を共にする度に、彼女等は勇ましく成長していき、今では己と肩を並べて戦うようにまでなっている。はじめは随分と差のあった身長だが、気付けば視線の高さを同じとしていた。二十代前半の若々しい見た目とは似合わずに、エルフという種族柄長寿である故か、まるで母の如き心持ちで彼女等の成長を見守っていたリーゼ。彼女は銀閃乙女のメンバーを、実の娘と言っても過言ではないほどに大事に想っている。

 ――彼女等を不安にさせてはならない。私がしっかりしないでどうする。例えこの命に変えようと、彼女達の未来はこの私が守り抜いてみせよう。
 話し掛けてきたマリエラに微笑み返しながら、リーゼは胸中で決意を固めた。例え如何な難儀が待ち構えていたとしても、総身を賭して抗おう。これより未来へ向かう希望の芽は、決して何者にも摘ませはしない。しかしそんな決意を嘲笑うかのように、其は現れる。

「……ふふっ、マリエラ、そういう貴女もまた腕を上げたわね。とても心強いわ。エミリアも、シュミーも、他の皆も、気付けば一流の探索者ね。貴女達の成長を、私は誇らしく思――え?」

 誰よりも逸早くリーゼが其に気付けたのは、精霊との親和性が高いエルフという種族故だろうか。長々と続いた逃走だったが、もう終わりはすぐそこだ。この通路を抜けた先にある広間を通過すれば、銀閃乙女のメンバーが満足に寛げる広さの安全地帯があるはずだ。
 過去にあった遠征から持ち帰った情報を正確に記憶しているリーゼは、この逃避行が無事終了する事を確信し、僅かに気を緩めずにはいられなかった。だから逃亡の只中でありながら、先のような発言をする余裕が生まれてしまったのだろう。

 その余裕を瞬く間もなく崩壊させる圧倒的絶望が、そこにはいた。大地に住まう万物を等しく祝福しているとされる精霊が、耐えきれないとばかりに悲鳴を上げたような気がした。あるいはそれは精霊の悲鳴などではなく、リーゼの――否、銀閃乙女のメンバー総員のものだったのかもしれない。
 先頭を突き進んでいたエミリアが、足を止め目を見開いた。冷や汗を流して戦慄する彼女の体躯は、先の勇ましい姿はどこへ行ったのか。非力な女児の如く、情けなく震えていた。
 安全地帯の目前である広間にて待ち構えるは、ぼろぼろの外套で身を包み、不気味な装飾でその身を飾った、魔導師の如き身形の某かであった。彼女等の前に立ち塞がる某かが、露出した顎をカタカタと鳴らした。その様は、まるで絶望に震える銀閃乙女のメンバーを嘲笑っているかのようだ。

「何だ、あれは」

 エミリアの問いに、返される答えはない。外套の隙間から剥き出しの骨格を覗かせる某か。片手に魔導書らしき書物を構え、首の折られた女神像を先端に据えた悪趣味な杖をもう片方の手で握り、骨だけの体躯で大仰に腕を広げた某かは、己から死地へ飛び込んだ銀閃乙女の愚行を嘲るように、よりいっそう高らかにケタケタと耳障りな嘲笑を響かせた。

 咄嗟の事態を前に、まず一番に反応を見せたのは最後列にいながらも誰よりも早く躯の存在に気付いたリーゼだ。
 躯の総身から滲み出る寒気を覚えるほどの魔力を感じてか、立ち往生する銀閃乙女のメンバー達。その頭上を飛び越え前列へと突出したリーゼは、ハッとした表情で己が名を呼ぶエミリアの静止を無視し、棒立ちで待ち構える躯へ向け一人突撃していった。

「リーゼ、止まれ! そいつは違うっ。ただのモンスターなんかじゃない! わかるだろ? なぁ! お願いだから、止まってくれ! リーゼ!」

 エミリアが言う通り、躯の存在感足るや先の肉人形ですら比較対照にならないほどだ。見ているだけで魂を冒涜されるかの如きこの不快な感覚は、いったい何に由来するものなのだろう。
 何が、何故、どうして――そんな疑問符を挟む必要もなく、エミリア含め銀閃乙女のメンバー一同は確信した。あれは異質だ。きっと、この世にあってはいけない、世の条理を覆すおぞましい存在だ。
 三大パーティの一角に数えられる、百戦錬磨の探索者達。それが銀閃乙女だ。そのメンバーが揃って硬直を免れない程の異形に向かい、たった一人立ち向かうリーゼ。彼女の姿が、エミリア達の視界には勇敢ではなく無謀に映った。
 疾走の傍らで何事かを呟いたリーゼは、未だ顕現したままの鋼の巨兵を自身の後ろに付き従わせ、あっという間に躯との距離を詰めていく。

「クリエイトリメイク! 刺し貫け、鋼の大枝――アイゼンアスト!」

 リーゼの声が響いた直後、付き従う巨兵の身が変調を来す。鋼で作られた豪腕が、人間で言う肘の辺りから、枝分かれするように解けていく。足を止め広間の床を踏み締めた巨兵は、そうして肘から先を鋭利な触手へと変えた両腕を標的へ向け、主の言霊に従いその矛先を佇む躯に伸ばす。
 風を切り突き進む鋼の触手は、そのまま狙い違わず躯の身を刺し貫かんと迫り――

 直撃の寸前に黒い焔に包まれ、呆気なく消滅することとなった。
 呆然の声を漏らしたのは、いったい誰だったのだろう。広間の入り口付近にて立ち竦む銀閃乙女のメンバー達の混乱が、尚更強まる。疾駆を止めたリーゼが、信じられないと言わんばかりに目を見開いた。

「嘘でしょ。何でこんなのが、禁呪(・・)なんか――」

 躯はただ、嗤うだけだ。カタカタと、ケタケタと、途絶える事なく耳障りな狂笑を響かせる。
 あまりにも唐突に現れた異様に、自分達が置かれた境地の程を理解したリーゼ。彼女は震える声を振り絞り、叫んだ。

「エミリア達、逃げなさい! こいつは私達の手に負えないわ! 早く安全地帯から地上に戻って、ギルドに応援を求めるのよ! その間こいつは……私一人で、相手をするわ!」

「な、何をバカなことを! お前一人を残して行ける訳ないだろう!? リーゼが残るなら、私も――」

「そ、そうですよ! 禁呪使いが相手でも、皆でなら……!」

「良いから、行きなさい! マリエラ、わかってるわよね!? そのおバカさん達を、引き摺ってでも連れていくのよ!」

「リーゼ、私も……うぅん、わかったよ。必ず助けを呼んでくるから、それまで――」

「なぁに? 私がこんなところでどうにかなる訳ないじゃない! 湿気た顔してないで、ほら! お行きなさい!」

「待て、離せマリエラ! くそっ、リーゼはな、同じパーティのメンバーなんだぞ? リーダーの私が、見捨てられる訳ないだろう! だから、離せっ。マリエラ、おい!」

「リーゼさん――リーゼさああああん!」





 一方その頃、地下迷宮で起きる異変など知る由もないユーベルは、セントラルタウンに訪れて以来の仲であるトイフェル行き付けの酒屋、ダークエルフの少女――とは言ってもそれは見た目だけの話で、彼女もまた種族の特性上、容姿とは比例しない長い年月を生きている。尚今年で百十三歳である――が営むトレーネという店を目指し、大通りを闊歩していた。
 レーツェルとは、別れたのだろう。ユーベルは一人だった。彼にとって、慣れ親しんだ孤独だ。専属の担当者と言えど、ユーベルはそこまで彼女に信頼を寄せてはいない。あるいはそこまでなどという表現を用いる必要もなく、皆無と言っても差し支えないだろう。過酷な日々の中で廃れきった彼にとって、他者を信じるという行為は嫌悪の対象にしか成り得ないのだ。
 人は信じるからこそ裏切られる。ならば最初から信じなければ良い。不幸か幸いか、己が身にはどれだけ孤独であろうと生き長らえることを可能とする、強大な力があるのだ。ならば尚更、徒党を組んで弱みを増やす必要などないだろう。そう自分に言い聞かせるユーベルの孤独な有り様は、何と歪なものであろうか。しかしセントラルタウンに訪れてから今日に至るまで、彼が抱える歪みが矯正されることはついぞなかった。

 通りを歩けば、道行く人々が皆道を譲る。そこに例外はない。大人も、子供も、老婆も、少年も、老若男女問わず目を逸らし、声を潜め、恐るべき暴君から一刻も早く離れられるよう、歩調を早くする。
 その光景に思うことがない訳では、なかったのだろう。

「けっ、随分と嫌われたもんだ。そんなに化け物(オレ)が怖いかね。根性なし共が」

 それでもそうやって何ともないふうに呟いて、今日も彼は暴君らしい有り様で、このセントラルタウンに君臨するのだ。揺るぐ事なき絶対の頂点として佇む彼の胸中に、夕暮れの暖かな光は届くべくもなかった。
 彼を避け道行く人々は、その誰もがユーベルに課せられた異名を蔑み、恐れ、憎む、狭小な有象無象共だ。しかしそんな彼等ですら誰かのために泣き、笑い、苦楽を共にして生きてきたのではないだろうか。
 家族のため、日々を暮らす金銭を稼ぐ者もいるだろう。仲間のため、現実に思い悩む者もいるだろう。己のため、寝る間も惜しんで努力する者もいるだろう。彼等と比べ、己が身の何と体たらくなことよ。比類なき埒外の力を秘めながらも、何の生き甲斐もなく、そのくせして他者の命すら食い物にして繋いできた、血に塗れた醜い化け物の生。こんなものに、価値などあるのか? こんな己のどこに、生まれてきた意義などあるのだろう。ふと忌々しげに空を見上げたユーベルは、遥か彼方にて今にも沈みかけんとする太陽を睨んだ。

「上を向いて歩こうってか。はんっ、馬鹿馬鹿しい」

 こんな感傷、一笑の下に切り捨ててしまえれば、いったい己はどれだけ楽になれたのだろうか。ユーベルはふと脳裏を過ったそんな考えから目を背け、ついに見えてきた目的地である、小洒落た外観の店、ユーベルもまた顔見知りであるエアトリンケンが営む、酒屋トレーネへ視線を向けた。
 あるいは不気味な笑顔で真意を隠すトイフェルにも、譲れない思いや、成すべき目標が、あるのだろうか。そんな疑問が胸中に芽生えて、どうにもやるせない気持ちになったユーベルは、それを隠すように盛大な舌打ちを響かせる。

「ちっ……ほんっとに、くっだらねぇなぁ」

 ユーベルが店の扉に手を掛ければ、鋭敏な知覚が舌打ちの音でも拾ったか、あるいは、甚大な魔力の接近にユーベルの到来を察知したのか。パリンと何かが割れる甲高い音の後、どたどたと忙しなく駆け回る音が立ったと思えば、後に続くように耳障りな叫び声が店内から響いた。
 店の中の惨状を思い眉間を寄せるユーベル。トレーネの中で喚き散らしているであろう彼女と同じく、あるいはそれ以上に鋭敏なユーベルの知覚が、店の中でいったい如何なやり取りが行われているのか、残酷なほど正確に認識した。
 思わず、ドアノブに掛けた手が止まる。

「おい、トイフェル! 聞いてないぞ! 何でユーベルが来るんだよ? 苛めか? 苛めなのか!?」

「や、だって、聞かれてないし……っていうかエアトリンケン、流石に僕もね。その扱いはどうかと思うんだよ。むしろエアトリンケンの態度こそ苛めじゃないの? あれ?」

「う、ぅぐうううっ……! 仕方ないだろ! あのユーベルだぞ!? むしろあいつを前にしてもいつも通りのお前がおかしいんだよ! わかってるのか? あいつはな、死兵が泣いて許しを乞う、あの悪名高き災厄のユーベルなんだぞ!」

「所詮、そんなの噂な気もするけどねぇ……あ、そういえばエアトリンケン」

「あーもう全く! 火のないところに煙は立たないって言うだろ!? で、何だよ。改まって」

「多分さっきからのやり取り、全部ユーベル君に聞かれてると思うんだけど」

「え……?」

「ごめん。ちょっと嘘吐いちゃった。多分って言うか、確実に」

「!? ! !!! !?!?」

「あーこれは怒らせちゃったかなー。ユーベル君を怒らせちゃったのかなー。エアトリンケン曰く死兵が泣いて許しを乞うても嬉々として縛り上げて逆に死にたいって願うようになるまで痛め付ける、あの悪名高い災厄のユーベル君を怒らせちゃったのかなー。エアトリンケン、可哀想に……君のことは忘れないよ。三日間ぐらい」

「お、おま、おま! だ、誰もそこまでの事は言ってないだろ!? でもどうしようどうしようトレーネが潰されちゃうむしろオレの命の危機じゃんやっべー母さん父さんごめんオレやっぱ故郷で大人しくしておけば良かった今になってそう思うでも今更帰る訳にもいかないし本当どうなってんだオレ何か悪いことでもしたかやばいやばい本当やばいどうなってんだこれ、これ!」

 中でのそんなやり取りを耳にして、ユーベルはドアノブに掛けた指をソッと離した。
 どうなってんだと叫びたいのは己の方だ。何故未だ店内に入ってもいない己が、このような仕打ちを受けなければいけないのだろうか? 出会った当初から変わらないエアトリンケンの怯えように、一周回って苛立ちすら感じなくなったのか。深い呆れを込めた溜め息を漏らすユーベルは、何だか思い悩むのがバカらしくなって、それからしばらく考えるのを止めた。
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