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暴君ユーベル迷いナく. 作者:霧山病

第四章[仕組まれたアディシェス]

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4-12/羊



 何の前触れもなく、前置きもなく、あまりにも唐突に現れた少女。自身の名を告げることもせず、面白味のない世間話でもするかのような無関心さで呟いた黒髪の少女を前に、シュテルプリヒは頭の中に燃え盛るような熱を感じずにはいられなかった。
 次から次に、まるで活火山のように沸々と沸き上がる灼熱の感情。それは苛立ちであり、不快感であり、激しく猛る憎しみと怒りの業火であった。

「……知ってるわよ。そんなことくらい」

「へぇ、それは意外だね。つまりキミは、知っていた訳だ。キミが兄と呼び慕う男が身に宿す権能と宿命から逃れるべく、魂の自戒と自壊により無理矢理に自己を保っている今の状況を……」

 けれど、口から溢れたのは荒れ狂う胸中とは裏腹に、凍えるような冷たい音色。幼い身形からは想像し得ないほどの無機質な声に、対するチヨが狼狽えることなどなかったが。
 どころかチヨは、底無しの泥沼にも似た暗黒を宿すシュテルプリヒの眼差しを真正面から見返した上で、からかうような口振りで再三語りかけた。

「そして、彼がたった今しがた向かった先には、聖剣狩りの聖女が万全の状態で待ち受けているということも――」

 「知っていたのかい」と、わざとらしく首を傾げながらそう呟くチヨ。前髪の隙間から覗く漆黒の瞳はシュテルプリヒを見詰めて、硝子玉のような無機質さで煌めく。
 者を者として認識していないのではないか。そう勘繰ってしまうほどに、関心の一切が垣間見えない視線。無関心を極めた極寒の眼差しは、(サラマンダー)の時期に相応しい蒸し暑さを帳消しにして、シュテルプリヒの肝を冷やした。

「キミのことは、偶然に選ばれた羊か、あるいは物言わぬお人形かと思っていたんだけれど、そこまで知っている――いや、知らされていたのなら、あるいは違う可能性も出てくるのか。ね、実際どうなのさ? キミは本当に、あのいけ好かない悪魔気取りに利用されていただけの、ただのか弱い小娘なのかい?」

 問い掛けの瞬間、空気が張り詰める。色とりどりの草花に覆われ、彩られた庭園。世の貴婦人達が喝采を上げて称賛するだろう見事な景観に似つかわしくないほどの剣呑な存在感が、シュテルプリヒを押し潰す。

「――」

 堪らず息を飲んだシュテルプリヒ。その音がやけにはっきりと自覚出来たのは、チヨの絶大な威圧を受けて知覚が狭まっていたからだろう。
 何故、彼女がここに、よりにもよって己の前に現れたのか。そんなこと、今はどうでも良い。彼女の神出鬼没さは頻繁に言い聞かされ、伝え含められたことである。何なら特に理由もなく、ただの気紛れで現れたのだと知らされたのだとしても、訝しみながらもシュテルプリヒは納得してしまうだろう。

 問題は、一つ。彼女が()の目論見の一端に、手を掛けているということだった。果たして、どれだけ見透かされているのか? どこまで彼女は、知っているのか(・・・・・・・)? 警報を鳴らす危機感は疑いに直結し、脳裏を占めた疑問が言葉になりかけて――

「貴方は――」

 すんでで、シュテルプリヒは踏み留まった。「貴方は、どこまで気付いているの」と、そうやって問い掛けることこそ自身への疑いを確信へと変える決定打になり得るだろう。シュテルプリヒは冷静にそう思考し、だからこそ――

 今はただ、役割(・・)に没頭するよう努めた。胸の内には、未だ冷めやらぬ烈火の思いが渦巻いている。シュテルプリヒにとって、チヨは初対面の人物であった。顔を合わせたことも、声を聞いたことも、こうして同じ場所に立つことも、何もかもが初めて。

 怒りを抱く所以などないはずであった。憎しみを向ける理由などないはずだった。けれど、こうして合間見えたチヨに対し、シュテルプリヒは頭の中が焼き付けそうになるほどの憤怒を感じずにはいられない。
 憎いのだ。恨めしいのだ。呪いたいのだ。何故と、自問する必要は果たしてあるのだろうか? シュテルプリヒは思い返す。何度だって思い出す。植え付けられた仮染めの記憶の中、惨劇の只中で疲弊を重ね、傷付き歪んだ少年の姿。彼は、ずっとずっと戦っていたのだろう。闘争の果てに絶望を繰り返し、それでもなお抗い続けたのだろう。
 自身の魂を蝕む宿命という名の呪い――黄昏よりも紅き空(ディープスカーレット)と、邪悪の大樹(クリフォト)に。

 シュテルプリヒは考える。きっと、自身では想像しきれないほどの過酷な日々だったのだろう。自身であれば数秒と経たずに容易く呑み込まれるであろうほど、凄惨な衝動であったのだろう。
 しかし、彼は耐えた、耐えようとした。人として、人のまま、人を捨てず――そうして、壊れた。

「何だい?」

 「貴方は」と口にしたシュテルプリヒから、その後に続く言葉がないことを訝しんだのだろう。無関心を装ったまま、怪訝な眼差しを向けることで先を促したチヨ。彼女の言動が意図することを察したシュテルプリヒは、内に留める激情が吹き出ないよう注意しながら、あくまで冷たい口調で応えた。

「何でもない、よ。私はそう、利用されているだけの子羊……何の脅威もないお人形。きっと、だからこそあいつは私に教えたんだろうね。知っているだけで何も出来ない傀儡だから――」

 真実、そうなのかもしれない。計画の実行に当たり、目論見の概要をシュテルプリヒが知る必要性は必須ではない。
 シュテルプリヒが知らなくとも、知っていたとしても、()の計画は淀みなく推し進められるのだろう。そんな確信が、シュテルプリヒにはあった。
 だからこその気紛れ。故の戯れ。一瞬、嫌悪する対象の彫像の如き笑顔が脳裏を過った。苛立ちが強まる。際限なく湧き出る黒々とした感情が胸の中で混ざり合って、吐き気にも似た感覚をシュテルプリヒに齎す。

 全くもって、気に食わない。()に取るに足らない小娘だと見下されていることもそうであるし、目の前に立つ養豚場の豚を見るかのような眼差しを己に向ける彼女もそうだ。
 だが、今は何も言うまい。気を抜けば喉から迫り上がろうとする罵詈雑言を呑み込み、シュテルプリヒは脚本をなぞるかの如く、朗々と騙った。

「それより、さ。エレミート山脈に聖剣狩りの聖女が待ち構えているって知っているなら、当然このことも知っているんだよね? 撒き餌にされたお姫様が……」

 言葉の続きを口にした瞬間、シュテルプリヒが感じたのはある錯覚だった。所詮、錯覚。幻術にすらなり得ぬ思い込みである。だが、これほどまでに現実味溢れるまやかしを今後体験することは出来ないだろうという確信が、シュテルプリヒにはあった。
 先ず微風が止み、時間は流転を諦め、空気は諦観の末に停滞し、そして、ありとあらゆる雑音が消滅して。

「悪魔の遺産にして、遺品……偉大なる聖母(マリア)輪廻回帰の妖蛇(ウロボロス)を凌ぐ最悪のスキル。千年前の過去において、亡霊騒動を引き起こす切っ掛けの一つとなった異常にして異形の異能。全知掌握(ヘレファベル)の瞳の所持者であり、適合者であるってことも、当然」

 世界が、停止した。否、止まってなどいない。世界は変わらず回り続けていて、巡り廻る常世の流れを停止させることなど、それこそ神話に語られる全知全能の神でもなければ到底成し得ない御技であるのだから。
 故に、錯覚。どこまでもいこうと、それは錯覚に過ぎない。けれど、どうしてだろうか。シュテルプリヒはこの時、確かに世界が止まった気がした。

 あるいは、止められた(・・・・・)気がした。と言うべきか。他の誰でもなく、今、己の目の前に立つ――

「……へぇ、それは初耳だ。ボクが知る限り、当代のナルシスの姫が所持するのは――」

 黒髪の少女の赴くがままに。
 不快感も露に吐き捨てたチヨに向け、シュテルプリヒは嗾けるかの如く囁いた。

「なら、確かめてきたらどう?」

 悪魔のように、頬に三日月を描いて。淀んだ瞳に灯るのは、泥沼の中であって煌めきを弱めない漆黒の意思。シュテルプリヒは言い聞かせた。誰に聞かせる訳でもなく、激情が業火となって荒れ狂う幼い胸の内で。

 今はまだ、人形で良い。哀れな羊でも、力なき傀儡でも……何だって良いのだ。そう――今は、まだ。








 悪魔の瞳とは、何か。その概要を知る者は大陸広しと言えど皆無に等しく、例え如何な有識者であろうと、ナルシス王国が国を上げて秘匿する第一王女、シャルキュール・フォン・ナルシスの秘密を――悪魔の瞳について、詳細な情報を得る機会はなかった。
 故に、彼等が疑問符を抱くのは当然だった。悪魔の瞳とは、果たして如何程の代物であるのか。あのような連中が欲しがるものであるのだから、真っ当なモノである訳はないだろう。魔眼系のスキルであるとは聞かされたが、その詳細な情報は己等に話を持ち掛けた件の魔族(・・)すら知り得ぬらしく――

「まぁ、どうでも良いか! しっかしやったな。やってやったぜ! まさかこんなにもあっさり行くとはなぁ」

 そうやって興奮した声を上げたのは、獣道に車輪の跡を刻む一台の馬車に乗った男だった。
 周りには、今しがた歓喜の声を口にした男の他にも、十数人ほどの人物が思い思いの姿勢で寛いでいる。その過半が粗野な顔立ちの男達は、皆が皆泥に汚れ、何日も着たままなのだろう。形容し難い体臭を放つ衣服を着用し、まるで野盗の如くみすぼらしく汚れた身形であった。
 その中であって、他と変わらぬ見てくれでありながら一際存在感を放つ男――ゲルゲナが、手の中に握る短剣を指先で回し弄びながら呟く。

「王国の精鋭騎士って言っても、所詮は口先だけの騎士気取りだったって訳だろ。赤竜騎士団のペーペー共の方がまだ歯応えがあるだろうぜ」

「ははっ、言えてる……そういやゲルゲナさん、良かったのか? 折角の獲物なのに、置いてきちゃって」

「俺としちゃあ、持って行きたかったんだが……バロックがありがてえ小言を頂戴してくれやがってな。流石にこれ以上お荷物を増やすのは勘弁なんだとよ。くそが、頑張り損だぜ」

 傍らに立つ男がふと尋ねた問いに、不快感を隠そうともせず応答したゲルゲナ。吐き捨てるように告げられた言葉を聞いて、ゲルゲナの周囲にいた幾人かの男達が名残惜しげに溜め息を吐いた。
 彼等は、一連の話を自身達へ持ち掛けたヒッツェ・ハイスブルムの活躍により先んじてシャルキュールの身柄を確保し、離脱していったバロック班の後を追う形で、適度に護衛騎士団へ被害を与えた後、戦線を離脱した。
 少なくない数を殺した。しかも大陸随一の規模を誇る大国、ナルシス王国の騎士をだ。これで名実共に己等は犯罪者の仲間入り。そもそもが姫の拉致、誘拐を企んだ時点で死刑確定の重罪ではあるのだが、人を殺めることでいよいよ後に引けなくなったと再確認したゲルゲナ率いるグリード残党の十余名は、そのことを悲観――することもなく。
 一切の怖じ気すら介在せぬ、下卑た笑い声を上げた。

「そんなこと言ってくださりやがったバロックさん達は今頃取っ捕まえた姫様の味見ですかね? 本当、羨ましいなぁ。俺もバロックさんところが良かったぜ。人選したの誰だよ」

「な、それな! くっそー、何で俺、ゲルゲナさんと同じチームなんだよ……こんなことになるんだったらバンボラさんに頼み込んで待機組になりゃあ良かったぜ」

「俺はイーリシュさんと同じチームが良かったな。知ってるか? あの人、あのケバい化粧を取ったらすっげぇ別嬪さんなんだぜ? ギルドに追われる極限状態の中で、そんな美人と一夜の過ち……うん、ありだな!」

「うっせぇ! ねぇよ! って言うか何だてめぇら。言外に俺のチームは嫌だって言ってるだろ!?」

 好き勝手に馬鹿話を繰り広げる彼等からは、先程シャルキュール姫一行を襲撃した時のような焦燥感や危機感は感じられなかった。峠を越えて感覚が麻痺したのか。あるいはあまりにも容易く下せた騎士団の力量に、毒気が抜かれたのか。
 包帯に隠された右肩の傷から痒みにも似た疼きを感じながらも、ゲルゲナは部下達の心情を察してあえておどけたように声を張り上げる。同じパーティのメンバーとして共に悪行へ手を染めた彼等は、ゲルゲナにとって二重の意味で兄弟と言えた。
 平団員と、幹部。明確な立場の違いがありながらも、だからだろうか。グリードのメンバーはゲルゲナに気心の知れた友人の如き対応で接してきたし、ゲルゲナもまた相応の態度で応えた。
 決して、ゲルゲナが部下達に軽視されている訳ではない。軽んじるような発言もゲルゲナに親しみを抱いているからこそのものであり、口では反発するような物言いだが、ゲルゲナとてそんな彼等に不満を抱いている訳ではなかった。
 だが、違うところに不満はあった。不快感があった。それは、隙を見て見事セントラルタウンから持ち逃げすることに成功した成果(・・)達が、自身を差し置いてバンボラ達の玩具になっていることに対してであり。

「しかし、確かに羨ましい限りだな。バロックのもやし野郎。てめぇは何にもしてねぇって言うのにいの一番に美味しいところかっさらいやがって……」

 雄として自身に劣る同輩――バロックが、自身とて味わったことのない眉唾の状況にあることに対してでもあった。胸中に燻る不満を誤魔化すように、ゲルゲナは呟く。
 「こんなことなら、あの騎士娘ぐらいかっさらっておきゃあ良かったなぁ」と、緊張感が解けた無気力な呟きを漏らしたゲルゲナ――否、彼に限らず、グリード残党の耳には、自身へ迫り来る絶望の足音は届かなかった。
 人は時として、最悪の可能性を思考から弾く場合がある。現実逃避の一種とも言えるそれは、強く自戒しようとふとした瞬間に行われてしまう。そして最悪の未来を想定しなかった故に痛い目に合うという状況は、世で多く起こり得ることだろう。
 彼等の不幸はその最悪の中の最悪を引き寄せたことであり、訪れる絶望の強大さを予想し得なかったことである。

 エレミート山脈の片隅にある洞窟で仲間からの連絡を待つバンボラ。ヒッツェ・ハイスブルムや手勢の部下と共にシャルキュール姫の身柄を確保したバロック。バロックに遅れを取りながらも、戦線を離脱して他幹部との合流を目指すゲルゲナ。
 僅か数年という期間で強者達が凌ぎを削るセントラルタウンにおいて、三大パーティの一角にまで登り詰めたグリードの誇る幹部一同。その総数は、四。上記に上げた者だけでは足りない。ならば、最後の一人はどこで、何をしているのか。未だ合流出来ていない仲間の安否を案じる者も少なからずいたが、グリード残党のメンバーは、誰一人として予想出来なかった。想定し得なかった。

 その、四人目の幹部――イーリシュ率いる一味が、すでに最悪を引き寄せ、巡り会ってしまった後だったとは。








 人々は彼を、災厄と呼んだ。与えられた異名は数知れず、幼少期の彼を呼称する代名詞である童子姿の怪物(モンスターチャイルド)を筆頭に、血肉を貪る悪魔の化身、人の心を知らぬ悪鬼、狂った弾道(マッドバレット)殺戮機械(キラーマシーン)、人間砲台、近付いてはいけないあの人、等々――多くの呼び名で恐れられる彼こそ、シャハテル大陸において最も悪名高き暴君。
 それが、そんな存在が、目の前に現れて幾ばくも経たず。

「で、てめぇらはエレミート山脈で合流した後、人類を裏切って王女様を襲って、悪魔の瞳ってのを土産に人魔族共へ尻尾を振りに行く予定だったって訳だ」

「は、はい。その通りです。だから、命だけは――」

 イーリシュは、痣だらけになった顔に媚びるような笑みを浮かべて、自身を見下ろす青年の足に縋りついた。
 周囲には、最早原型を留める余地もないほど徹底的に殺し尽くされたかつての仲間の血の肉片が四散している。晴れ渡った青空には似つかわしくない血溜まりは、(サラマンダー)の日照りに照らされて異様な光沢を放っていた。
 エレミート山脈の麓を目前にした獣道。そこで、地面に這いつくばるイーリシュが顔色を窺う相手こそ、悪名高き彼の暴君――災厄のユーベルその人であった。

「本当か?」

 真偽を確認するだけの、物静かな問い掛け。威圧するような重みもなければ、肌を刺すような鋭さもない。苛立ちを交えながらも、どことなく気怠ささえ滲ませる問いに、けれどイーリシュはあまりの衝撃に失禁さえ禁じ得なかった。

 ギルドマスターの私用でやってきた。現れるなりにそう告げたユーベルは、発言の一切を許さないままこの場にいるイーリシュ以外のグリード残党を殺害し、その上で一連のグリードの行動や、他のグリード残党の居所をイーリシュへ問うた。
 勿論、イーリシュとて仲間達のことを少なからず大事に思っていた。ならず者の集団だと貶されようと、例え犯罪者共の巣窟と嘲られようと、それでもグリードはパーティの一つ。共に迷宮へ赴いた仲間が、一緒になって馬鹿をした友が、数多くいた。
 男尊女卑を掲げるゲルゲナとは犬猿の仲であったが、そんな彼とも心のどこかでは認め合っていて、口先だけが達者のバロックとは反りが合わないが、食の好みだけは抜群に良かった。
 バンボラとは、気心の知れた友人としての付き合いがある。妻と娘に逃げられたことを今でも未練たらしく後悔するような女々しい奴だったが、普段はそんなこともなく、むしろ頼りがいがある良い男であった。
 恐怖に屈し、口を開くことは容易い。だが、イーリシュは思ったのだ。ギルドの犬に成り下がり、自身達グリードを見捨てたこの男にわざわざ己等の行動を話す必要などない。それ即ち真の仲間達への裏切りでもあるのだから。

 だとしたら、つい今しがた共に逃走を続けていた部下達を惨殺したばかりのユーベルに、イーリシュが荒々しく吠えたことは当然だと言えるだろう。

「あんたに話すことなんて一つだってあるもんか! あたいはね、冴えない男は裏切っても、仲間だけは絶対に裏切らないって決めてるんだよ!」

 威勢良く啖呵をきったイーリシュだったが、しかし彼女の意思は容易く崩れた。時間にして、ものの数十秒。乱雑な口調で「ごちゃごちゃ言ってねぇでさっさと吐けや」と告げたユーベルが、言葉の直後に行いはじめた脅迫が原因だった。
 皆まで言うことはあるまい。とかくイーリシュの意思は脆くも崩れ、先程までの威勢はどこへ行ったのか。彼女は卑しくユーベルの足下に這いつくばる畜生へ成り下がったのだった。

 本当か、否か。そう問い掛けられるということは、自身の発言が信じられていないという証明でもある。イーリシュは心臓が縮み上がる思いだったが、射疎む心臓とは裏腹に恐怖で緩みきった尿道は失禁という形で解放を遂げ、殊更ユーベルの苛立ちを強める原因となる。
 言葉を発する間もなく、瞬きの内に肉片へと変えられた仲間達の成れの果てが視界に過る。この男は、人の命に何一つ重みなんて感じてはいない。命の危機を感じたイーリシュは、躊躇わず卑しい笑みを深め、ユーベルの足に顔を近付けた。

「ほ、ほんとう! 本当です! ほら、証拠! 嘘を吐いてたらこんなこと出来ない! ん、んちゅ」

 思えば、錯乱していたのだろう。イーリシュは血と泥に汚れた、「化粧がなければ別嬪」と称された美貌を恐怖で青ざめさせながら、事もあろうにユーベルの靴に舌を這わせはじめた。
 忠誠の証のつもりなのか。発言の確証を決定付ける証拠には到底成り得ない情けない行動に、苛立ち以上の呆れを覚えずにはいられないユーベル。彼は数秒と経たずイーリシュの唾液でベトベトとなった靴の底で、今なお地面に這いつくばったままのイーリシュの頭を踏みつけた。

「あぐぅ。い、痛っ。なんで――あたい、嘘は言ってないです。本当です。本当だからぁ! もうやだ! 帰る! セントラルタウンに帰るのぉ! パパあ! ママ、助けてよおお! うわあああん!」

 精神的負担が限界を越えたのか。駄々を捏ねる幼児のように泣き叫びはじめたイーリシュに対し、流石のユーベルとて僅かな憐憫を抱かずにはいられなかったが、それはそれ、これはこれ。
 ギルドマスターからのお願い(オーダー)を遂行するためには余分な感情であるし、不必要な思いである。故に、躊躇いもなく。

「あっそ。なら、お迎えが来るまで指咥えてここで大人しく待ってやがれ」

 ジャラジャラと、ユーベルが身に纏う外套の裾から陽炎を漂わす鉄の鎖が這い出てくる。支配者の紅鎖(ヘルシャーケッテ)と名付けられた古の神秘はイーリシュの女性らしい柔らかな肉体を雁字搦めに縛り上げた。

 直に、ギルドの暗部がイーリシュの身柄を回収しに来るだろう。彼女とは見知らぬ仲ではなかったが、かと言って親しい間柄でもなかった。故に、お願い(オーダー)の通りにやるべきことを全うした。
 たったそれだけのことだ。ユーベルは疼きを強める心の根を無視して、壮大な景観を見せるエレミート山脈を見上げた。

「……けっ」

 どうにも、見覚えがある。訪れたことがない場所のはずなのにはて、何故だろうか。何かを訴えるように激しさを増す頭痛に顔を顰めながら、ユーベルは無意識下で垂れ流れる魔力を意図して抑制。体外へ放出する魔力量を減少させることは、魔力隠蔽の初歩中の初歩だ。
 ついで、行ったのは飛翔。音もなく浮かび上がった体躯はやがて大空へ辿り着き、視点の高度を上げた視界が先程までいた獣道を眼下に収める。

「悪魔の瞳……か」

 セントラルタウンでの居場所を失ったグリードが、やけになって遮二無二に逃げ出して、その先に偶然シャルキュール姫一行がいた。イーリシュの話を聞く前まではそう考えていたユーベルだったが、ここに来て知らされた一連のグリードの行動の裏に潜む謀略の匂いに、考えを改める必要があると認識する。
 果たして、どこまでが仕組まれたことなのか。どれだけ予想して行われたことなのか。いくら考察を重ねたとしても納得の行く答えなど出ないだろうと確信しながら、空を駆ける傍らで、ユーベルはそれでも思考を回した。

 悪魔の瞳という単語に、聞き覚えがある訳ではない。だが、悪魔という単語は、ここ最近嫌になるほど聞かされている。
 イーリシュ曰く、魔眼系のスキルの一つであるらしいが、その概要は不明。ただ、恐ろしく凶悪なスキルであるとだけ伝えられているらしい。
 シャルキュール姫は、幼少の頃にこれを発現したことにより王城での軟禁生活を強いられ、以来は城の外に出ることはなく、側近の者達と共に閉ざされた世界で日々を過ごしてきた。ついでとばかりに聞かされたそんな逸話を思い出す。
 同情はなかった。鳥籠の中は安全で、快適な暮らしだっただろう。話を聞いたユーベルが抱いた感想など、その程度だ。

 気になるのは、一連の事件の黒幕。ユーベルが思うに、グリードが魔族――ヒッツェ・ハイスブルムに利用されているだけであるように、ヒッツェ・ハイスブルムや、あるいは魔族もまた利用されているだけの存在でしかないのではないか。
 悪魔の瞳とは、聞くにナルシス王国における最高機密の一つであるらしい。姫がそのような異能を宿していると知っていれば、ギルドマスターから何かしらの忠告だってあっただろう。それがないということは真実として姫が宿す異能は徹底的に秘匿された代物であるということだ。
 外部勢力では知る由もないほど、徹底的に。ならば何故、魔族が知り得ぬはずのことを知っているのか。密偵を送り込み情報を手にした。という線は薄い。ギルドですら入手出来ない情報を、人類と敵対関係にある魔族が手にしたと考えるよりも――

「魔族共の耳にその話を届けた奴がいる……」

 そう考える方が、自然である。「はぁ」と億劫げに溜め息。キナ臭くなってきた事態に憂鬱さを感じて、ユーベルは眩しく輝く太陽を八つ当たり気味に睨み付けた。
 やはり、安請け合いなどしなければ良かっただろうか。そう後悔するも、後の祭り。エレミート山脈へ近付けば近付くほど酷くなっていく幻痛を思考の外に追いやり、ユーベルはよりいっそう飛翔の速度を早めた。

 偶然か、必然か。それから数分と経たず、邂逅は成されることとなる。虚偽の暴君と大国の姫君。交わらぬはずの二者の宿命は、しかしやがて太陽が彼方へ沈み往くように、運命めいた引力の元で引き起こされるのだ。

 シャルキュール・フォン・ナルシス――セフィロト・クライシスにおけるメインヒロインであった少女と、ユーベルの邂逅が。
(ユーベルがイーリシュに行ったのはR18的脅迫では)ないです(真顔)
+注意+
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