挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
暴君ユーベル迷いナく. 作者:霧山病

第四章[仕組まれたアディシェス]

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

51/55

4-10/故、必然は成される

セーフです(主張)
 改めて今までのことを思い返す。一見しっかりしているようで、その実は小心者の父。そんな父を陰ながら支え、導き、時には叱責する理想的な母。二人の間に生まれた己の生は、決して不幸と呼べるものではなかったと、彼女――ミリーは、思い返した。

「ははっ、反応がなくなりやがった。どうしますバンボラの旦那、ここらで一発アレ(・・)を打っときましょうか?」

「いえ……アレはまだ良いでしょう。こうなった姿も、それはそれで趣がありますから」

 どこかの洞窟だろうか。剥き出しの岩肌に囲まれた薄暗闇の中、周囲から聞こえる下卑た声を混濁した認識が聞き流す。己の父が営む月明かりの休息にて、店内一の器量良しと評判のミリーは、独特の異臭を放つ様々な体液に塗れた肢体を無気力に地面へ横たわらせていた。
 明滅を繰り返す思考で、延々と繰り返された自問をまた一つ重ねたミリー。どうして己は、こんな目に合っているのだろうか? いくら考えようと、納得出来る答えは出ない。
 いつもと変わらない日常を繰り返しているはずであった。今年の春頃にあった事件のせいで怪我をした父。人々の往来の只中で沙汰を起こした三人組のせいで、父はしばらく仕事が出来ないほどの怪我を負ってしまった。

 不幸だ、とは思う。けれどミリーは、同じぐらいに幸いだったとも考えた。数年前、流行り病で母が亡くなってから何かに追い立てられるように仕事へ没頭していた父が、怪我のせいとはいえ一時的に仕事から離れることが出来たのだ。これを機に仕事以外にも目を向けて、あわよくば新しく良い人でも見付けてくれたらなと、当時ミリ―はそんなことを考えながら、父の抜けた穴を埋めるべく月明かりの休息で業務に励んでいた。

 父が怪我をしたことに悲しみを感じもした。父へ怪我を負わせた者達に怒りを抱きもした。しかしミリーは、一人では立つこともままならない体でありながら、月明かりの休息のことばかりを考える父へ、それ以上の思いを感じずにはいられなかったのだ。
 父がこの店に、如何程の情熱を滾らせているのかはわからない。けれど、ああ、けれども、時には休み、怠惰に浸り、一身に受け止めていた苦労をたった一人の愛娘に分かち合ってくれても良いのではないかと――そんな思いで、彼女は看板娘として接客を続ける傍ら、父が行っていた月明かりの休息の経営という大仕事にも取り掛かっていた。
 大変だった。仕入れや、店員の采配。宿として提供している各部屋の管理、従業員への給与、出費と売上、一人では手が回らないほどの業務がミリーを忙殺しようとした。
 そう、一人では手が回らなかった。これを一手に担っていた父の負担を改めて思い知ったミリーは、しかし一切の妥協を許さず己が成すべき業務へ従事する。
 一人でダメなら二人で、二人でもダメなら三人で、三人でもダメなのなら、皆で。人に頼る大切さを理解しているミリーは、時に他の従業員の手を、はたまた馴染みの友人である三人の探索者の助け――主に仕入れ関係で――を受けつつ店を経営し、月明かりの休息の看板を落とすことなく、ついには父の復帰を満面の笑顔で迎えた。

 大変ではなかったなどと、何を間違えようと言えるはずがない。大変だった。ミリーは思う。己一人では、あるいはあまりの多忙さに途中で挫折していたかもしれない。故、感謝があった。だから、礼をするべきだと考える。
 ミリーは一つの催しを計画した。無事に怪我を治した父の復帰祝いと題して、支えてくれた隣人達を誘い宴を開いたのだ。
 場所はやはりと言うべきか、月明かりの休息その店。集まった者は各々が喜色満面の笑みで、父の復帰を祝ってくれた。「ありがとう」と、感涙を流しながらミリーと父は応えた。
 友や従業員、馴染みの客達へ、皆で飲めや食えやのらんちき騒ぎを繰り広げた。酒の勢いに流され、密かに気に掛けている仮面の人物へ後になって身悶えするほどのしつこさで絡んでしまったが、ミリーはそれでも幸せな時間であったと胸を張って言える。
 やがて宴が終わり、変わらぬ日常が戻ってきた。だが、父に頼りきりになるのはもう終わり。これからは復帰した父も交えて、従業員の皆と支え合い助け合いながら、本当の意味で一丸となり、月明かりの休息で働いていこうと。

 ミリーは決意して――その後日、友人であるアリスという探索者と共に行き付けの服屋へ向かっている途中、柄の悪い男達の集団に襲われ、拐われた。
 集団の一人に見覚えがあると、ミリーがそう気付いたのは気を失い、やがてこの洞窟で目を覚ましてからのことだった。

「ようやく目を覚ましましたか」

「は? えっと、ちょっと待ってください。ここはいったい……何で? あ、そういえばアリスは? 貴方達、アリスをどこにっ」

「貴方が知る必要はありません。では、早速ですが――」

 訳もわからず混乱するミリーの目の前で、集団の中で一際肥え太った身形の中年の男は、下心が見え透いた下卑た笑みを浮かべていた。
 男の名を、ミリーは知っている。セントラルタウンの北西部で違法一歩手前のカジノを経営していたグリードの幹部、バンボラである。限りなく黒に近い手法で手に入れた奴隷を見世物に、賭博という娯楽を多くの者に提供していた男は、人としての箍が外れた獣のような表情で、突拍子もない現状に狼狽えるミリーへと覆い被さった。
 そして、それから――








 ハーフアップに整えた艶やかな茶髪は、まるで扇のように土の上へ広がっていた。泣き腫らした眼で呆と虚空を見上げるミリーに、恰幅の良い一人の男がのし掛かる。
 果たして、どれだけの辱しめを受けたのだろう。乱暴な扱いに憤りを抱く気力もなく、散々に泣き叫び乞うた救助への希望を諦めたミリーは、目線の動きだけで周囲を見渡した。

「いやだぁ! 助け、もう止めっ、止めてぇ!」

「うるせぇぞ糞女!」

「ひぃ!? ごめっ、ごめんなさい! 謝る! 謝るからっ、だからもう、打たないで……?」

 バンボラが率いるグリードのメンバー幾人かが、ミリーとはまた別の女達へ暴行を強いていた。血走った表情で憤る男達の怒声に怯え、理不尽な目に合いながらも皆震えることしか出来てない。
 いや、一人だけまだ気力を保っている者もいた。ミリーがもし正気であったなら、同性ながら舌を巻いて褒め称えただろう美しい娘が、悪夢と呼ぶに相応しい理不尽な暴行に憤り、吠える。だが――

「何で、こんなことを……ギルドが黙ってないわよ!? あんた達なんて、ギルドに八つ裂きに――」

 次の瞬間響いたのは、痛ましい強打音と甲高い悲鳴。冷たい岩肌の中を反響した悲鳴の主は、しかし誰に気遣われることもなく更なる仕打ちを受ける羽目になった。

「うぐぅ!?」

「雌豚風情が、生意気な口聞きやがって……今のうちに好色家好みの雌豚に仕付けてやる……うっ!」

 もう、真っ当に思考を保つのも億劫である。洞窟の中で男の一人が嘔吐いた直後、その瞬間に合わせるように下腹部からの衝撃。ついで、口内に侵入してきた異物を拒むことなく、ミリーは明滅する意識を暗闇の中へ落としていった。

「バンボラさん……例の話、本当なんですよね?」

 どこか不安げに問い掛けた男の声に応じる、バンボラの話を聞きながら――
 子守唄にするにはあまりにも耳障りな中年の声は、硝子玉のように透明な瞳で虚空を見詰めるミリーの耳に、最後まで届くことはなかった。

「お、おおおっ――――ふぅぅ。ああ、本当だ。嘘だったとしても、グリードに残された可能性はあの魔族の話に乗ることだけ……我々は、悪魔の瞳(・・・・)を魔王に献上する」

 それが、彼等の目的。そもそもの話、人類でありながら魔族に与するなど、精根の腐ったバンボラ以下グリード団員にしても行いたくはない行為であった。
 ならば、何故そうするのか。彼等は口を揃えてこう言うだろう。そうせざるを得ない故に、そうするしかない故に――全ては忌々しいお飾り(・・・)のせいで。
 ああ、憎たらしくて堪らない。奴をこの手で八つ裂きに出来たのなら、いったいどれだけ気分が晴れようか。最早叶わないたらればを夢想して、けれどバンボラの気が休まることはない。

 全ての発端が奴にある。全ての元凶が奴である。激情と欲望。醜く交ざり合い底無しの泥沼が出来上がった頭の中で、バンボラはあの日のことを思い返した。
 築き上げた富があまりにも呆気なく崩壊したあの日を。屈辱に耐えてお飾りの顔色を窺いながら重ねた努力が、砂上の楼閣の如くに容易く崩れ去った悪夢の始まりの日を。
 全てはあの日――己が所属するグリードの頂に座り込む気に食わない道化の、血迷ったとしか言いようがない凶行が起きた日に終わった。富も、地位も、名誉も、何もかも全てがだ。
 思えば、前触れはあったのかもしれない。どうしてかその日はいつもにも増して抜け毛が多かったし、毎晩可愛がっていた奴隷達の態度もどこか余所余所しかった。外へ出歩けば犬猿の仲である銀閃乙女のリーダーと鉢合わせして汚物を見るような目を向けられ、自身が経営するカジノへ赴けば部下のミスの尻拭いをさせられた。
 とかく、良いことがない日であった。極めつけは気分転換にと賭博場の近辺へ散歩に出掛け、そこで彼の悪名高き災厄と遭遇したことだった。

 ありのままの思いを告げよう。バンボラは理不尽の権化として災厄の異名をほしいままにしているユーベルのことが、苦手だ。何故ならバンボラはかつて商人の一人として、シュランゲ商会の下で人身売買の商いに励んでいた過去がある。
 着飾らず言うなれば、バンボラがユーベルへ向けるのは苦手意識ではなく恐怖。血の脈動に染み渡る原始的な思いは、生物として兼ね備えた本能的な捕食者への恐れだった。
 今から何年前のことだっただろう。アイゼクス領が壊滅した後、商会の規模を縮小せずにはいられなかったシュランゲ商会は、縮小活動の一環として傘下にいる商人の少なからずを解雇した。その解雇されたうちの一人がバンボラであり、職を失って妻に逃げられた彼は、全ての元凶であるユーベルへと怒りを抱いた――が。

 知人の伝を頼り、日雇いの仕事で食い繋ぎつつ各地を渡り歩いたバンボラは、やがてセントラルタウンに辿り着きグリードの一員に加わる。バンボラはそこで、死に物狂いで働いた。もう職を失いたくはないから。二度とあのような惨めな思いをしたくはないのだから。己を裏切った妻に、報いを与えなければならないのだから、と。
 強迫観念にも似た出世欲に突き動かされるバンボラは、当時未だ三大パーティの一角を担うには至ってなかったグリードの中において、やがて幹部という不動の地位を得るに至った。
 所詮は数多ある中堅パーティの一つ。それが当時の――未だブラッドナイトが存続していた頃のグリードだ。バンボラには腕っ節もあった。魔物、野盗、自然の脅威など、様々な危険が溢れるシャハテル大陸をたった一人で渡り歩ける程度には、バンボラには知恵と力があったのだ。
 そんな男がグリードという小さな鳥籠の中で突出した功績を上げるのは容易いことで、当時まだ真っ当な活動をしていたグリードのメンバー達は、バンボラのことをよく頼り、よく称えた。

 たった一人の男以外は。

 その男こそが未来において三大パーティの一角を担うグリードの頭領――いつ何時も道化の如き笑みを浮かべていた、トイフェルという名の男であった。
 どこから伝え聞いたのか。バンボラがセントラルタウンまで辿り着いた経緯を知っていたトイフェルは、鬼気迫る姿勢で探索者としての活動に励むバンボラを「まるで馬車馬みたいだ」と貶し、続けて「そんなに悔しかったの? 妻に逃げられたことが」と軽薄な口調で言い放った。
 芽生えたのは耐え難き屈辱。しかしバンボラは胸を焦がす烈火の激情を呑み込んで、グリードの幹部として働いた。それでもトイフェルが彼を嘲ることは止めなかったが。

「君は裏切られたって思っているみたいだけど、僕は逆だと思うんだ。情けなくも職を失って途方に暮れていた君こそが、そのだぁいじな花嫁を裏切ったんじゃないのかなって」
「今更頑張ってどうするんだい? 必死こいて汗水垂らしたって、失ったものは取り戻せないんだぜ」
「君がそうやって死に物狂いで働いている間に、君に裏切られた奥さんは新しい男を掴まえて幸せな日々を送っているかも」
「そういえばバンボラ君、その年になって子供が居なかったんだって? もしかしての憶測なんだけれど、まさか種無しだったりする?」
「あはは、だとしたらごめん。失礼なことを聞いちゃって」

 鮮明に思い浮かぶ罵倒中傷の数々。悪辣に過ぎる言葉のナイフで切り刻まれ細切れにされたバンボラの心は、いつしかトイフェルへ必ずや下克上を叩き付けてやると息巻く、拭いようがない苛烈な反骨心を芽生えさせた。
 屈辱に耐えながらも惜しみ無く努力を重ね、グリード内での地位を磐石のものとしたバンボラはしかし――

 セントラルタウンへある男が来訪した直後、その男――当時童子姿の怪物(モンスターチャイルド)の名で呼び恐れられていたユーベルがトイフェルと結託して以来、築き上げた発言力と信頼を一時的に失うことになる。
 グリードのメンバーの誰もが、ユーベルへと媚を売った。彼の暴君が持つ絶大な威名のおこぼれに肖りたいがために。そしてそれは、ユーベルと直接友好を交えたトイフェルの発言力を絶対のものとする結果に繋がる。

 バンボラにとって、それは二度目の喪失であった。喪失の原因はわかりきっている。災厄の異名を冠したあの男こそが、バンボラからまたしても奪い去ったのだ。
 一度目は職と、妻からの愛を。二度目は地位と、発言力を。だがその時、バンボラは二度に渡って己へ理不尽を齎したユーベルという男に、怒りを抱くことはしなかった。

 いや、あるいはあったのかもしれない。燻る烈火の憤りが。苛烈に猛る激情の迸りが。だが、だがしかし――である。
 未だ少年と呼ぶに相応しい身形だったユーベルを見て、バンボラが抱いたのは怒りなど打ち消すほどの恐怖。トイフェルの計らいでユーベルと顔を合わせたバンボラは、彼を見てまずこう思った。

 殺される、と。

 たった今己が生きているという現実が信じられなかった。首が繋がっている事実を夢幻ではと疑った。それほどの恐怖が、バンボラの胸のうちで渦巻いたのだ。
 彼の悪童がシュランゲ商会を目の仇にしているのは有名な話である。そしてバンボラは元シュランゲ商会の商人。グリードに所属する他三名の幹部と共に、頭領行き付けの酒屋でユーベルと顔合わせをしたバンボラは、その事実を思い返した途端に胃が縮み上がって失禁し掛けた。
 顔面蒼白になって震える自身を愉快げに流し見たトイフェルの眼差しが、今となってもバンボラは忘れられない。だが、それ以上に鮮明に思い浮かぶのは――

 喜怒哀楽の一切を廃したまるで能面の如き無表情を浮かべる、幼き悪鬼の鮮血の眼。

 結局バンボラが彼の暴君に何かをされるということはなく、壊滅したブラッドナイトの後釜を狙ったトイフェルの暗躍が功を成し、グリードというパーティはとんとん拍子で規模を拡大していった。
 グリードの台頭に比例して、幹部であるバンボラの地位もまた凄まじい勢いで上がっていく。商人として働いていた経験もあって、やがて大規模な賭博場の経営を任せられることとなったバンボラは、想像の域を越えた大出世にいつしかトイフェルへの反骨心を忘れ、けれどもユーベルへの恐怖を変わらず抱いたまま――

 あの日、全てをなくした。自身が経営するカジノへと招いたユーベルの機嫌を損なって、数刻後。傍らにお気に入りの奴隷を侍らしながら、自棄になって深酒をしていたバンボラの元に現れたのは、ギルドきっての手練れと名高い黒装束の集団。
 彼等は言った。「貴方方には禁呪使用の疑いで捕縛命令が下っております」と。告げられた突拍子もない宣告と共に、その時バンボラや他幹部を含めグリードの人員は、三大パーティの一角から一転、ギルドから追われる罪人(・・)へ成り下がった。

 あまりにも理不尽。己等が何をしたと、何の罪を犯したと、しかしそう叫べるほどにバンボラの面の皮は厚くない。
 元よりギルド――ひいてはセントラルタウンの住民は、グリードの存在を快く思ってなかった。それは何故か? 自問自答を行う必要もなく、バンボラは明確な自覚を持っていた。
 婦女子への暴行。見境のない横暴。時に女を犯し、時に男から金を巻き上げ、不当な手段で土地や店舗を買収し、不正規に限りなく近いルートで奴隷を買い取り、また売り出していたグリードは、内実共に罪人の肩書きこそ相応しい犯罪者集団であったのだから。
 今の今までグリードの暴挙が許されていたのは、全てトイフェルが友好を結んでいたユーベルの悪名あってのことだ。そのユーベルに、トイフェルが決裂を叩き付けたと言うのだから、グリードの現状は当然の結末のものと言えた。

 禁呪使用の疑いなど、バンボラには見覚えも聞き覚えもない。大方、今更になってグリードを駆逐するために動き出したギルドの建前であり演出なのだろう。セントラルタウンから逃げ出したバンボラ含むグリード幹部四名の意見は一致していた。
 禁呪を自由自在に扱うなど、それこそ彼の悪名高き暴君ですら不可能な所業だろう。禁呪の使用には原則、使用者への負担が不可欠だ。他者の魂へ干渉する代償として、使用者は己の魂に致命的な歪みを刻まなければならない。
 赤竜騎士団きっての傑物にして、若き猛者、旋風と名高きヴィント・ホーゼですら、たった一度デスパレードを行使しただけで魂を消し炭へ変えてしまった。そんなおぞましい御技が遅延発動するよう、誰に気付かれることもなく団員達へ禁呪の種を仕込む。

 出来るか? 人の手で成し得ることが出来る所業であるのか?
 未だあの魔族(・・)からの提案がなかった頃、セントラルタウンの片隅でギルドの追っ手から身を隠し、合流した幹部達と行った会話で、論じる必要もなく答えは下された。
 出来る訳がない。出来るはずがないのだ、と。故の結論。禁呪使用の疑いなど、所詮は建前であり演出なのだと、バンボラ達グリードの幹部一同は結論を下す。
 ギルドはただ、ユーベルと決裂した目障りなグリードを、駆逐したいだけなのだ。

 だから、彼等は逃げた。逃げるため、行動を開始しようとした。どこへ逃げる? どうやってギルドの追跡を振り切る? 狭く埃っぽいボロ小屋に集まった幹部の四人は、正解の見えない議論を絶え間なく繰り返す。
 大陸西部の学術都市は? あそこには所属する大半が学生とは言え、ギルドの支部がある。逃亡したところでいずれ見付かって、本部の人員が派遣されるだろう。
 ならばナルシス王国の王都は? 論外である。あそこにはグリードと繋がりがある有力者も一定数存在するが、仮に匿ってもらったとしてもギルドを敵に回すことを恐れて容易くグリードを売るはずだ。
 だとしたら、東の連合国はどうか。あるいは極東の島国であるならば――再び言おう。白熱する議論に正解はない。シャハテル大陸における人類領域と呼ばれる区域は余さずギルドの影響下にある。どこかしらに支部があって、どこもかしこもギルドの影響を免れない。

 グリードの幹部達は、改めて自身達を狙う組織の強大さを思い知った。千年の時の中で規模を莫大なものへと変えたギルドの威風は、シャハテル大陸の人類領域全土に深く根を張り、浸透しているのだ。
 人類領域において、ギルドの干渉がない区域など存在しない。で、あるならば――

「魔族領域に赴き、魔王軍に与するというのはどうかね?」

 意気消沈するバンボラ達に声を掛けたのは、異形の角を頭から生やした青白い肌の男。ヒッツェ・ハイスヴァルムと名乗った魔族は始めからその場にいたかのような自然さで姿を現し、唐突な魔族の出現に狼狽える四人の男女へこう持ち掛けた。

悪魔の瞳(・・・・)を献上しろ。であれば魔王様は貴様等のような塵屑であれ許容するだろう。実に癪ではあるが、な」

 顔を見合わせ彼我の意見を擦り合わせたバンボラ達は、この提案を呑む。それからの行動は迅速であった。まずバンボラと幹部の一人がグリード残党の幾人かと共にセントラルタウンを離脱。その際共に行動していたグリードの幹部、ゲルゲナの悪癖で逃亡には要らぬお荷物を抱え込むことになったが、セントラルタウンに残った幹部二名、イーリシュとバロックの陽動――未だ存命しているグリード残党を掻き集めてギルドの注目を己等へ向ける作戦が功を成し、バンボラ達は無事に目的地であるエレミート山脈へ辿り着いた。
 イーリシュとバロックも、やがてエレミート山脈へ到着するだろう。バンボラ達の計画は予想通りに進んだ。幾多にも班を分けることでギルドの追跡を撹乱したイーリシュとバロック。十五の手勢を率いるバロックのグループが、イーリシュに先んじてバンボラ達と合流したのはつい先日のこと。








 そして、現在。今頃はイーリシュも、エレミート山脈の目前まで足を進めているに違いない。そう考えて、バンボラは口惜しげに呟いた。今はここにはいないゲルゲナの悪癖――酷く女好きな性質を持つ彼の独断でセントラルタウンから誘拐した女達を、他グリードのメンバーと共に犯しつつ。

「イーリシュ達が合流するまで待ちたかったんですが、こうなってしまっては仕方ないことですね」

 動きを止めないまま、今頃は無事シャルキュール姫の捕獲に成功しているだろう、ゲルゲナとバロックが率いる部下達の活躍を思って。

「まあ、しくじることはありますまい……こちらには、魔王軍の中核である四凶星の一柱がついているのですから」

 バンボラの予測は、事実現実と相違ないものであった。冷たい岩肌に囲まれながらも、ムワリとした熱気と異臭で包まれた洞窟から、場所は変わり――








 エレミート山脈の麓の一角。絶えず剣戟の音が響き渡るそこで、フェリエラは腹部から血を垂れ流しながら剣を振るっていた。
 突き刺さっていた短剣は抜き取ったが、しかし一歩を踏み出す度に痛みは強くなっていく。傷を癒す間もなかった。剣撃を繰り出す度に激しくなる流血。朦朧としつつある意識には、しかし強く燃え滾る激情があった。

「姫様! シャルキュール様!」

 焦がれるように絶叫。しかし届かない。現れたのが男達だけであったなら――人類だけであったのなら、あるいはこうはならなかったのかもしれない。
 だが、それは叶わないもしもの話。敵味方が入り乱れ乱戦を成す戦場の一角で、吐き捨てるようにフェリエラは叫んだ。

「退け、痴れ者共があ!」

 言葉と共に足を踏み込み、腰の捻りを加えた横薙ぎの一閃。風を切り裂いた銀閃は目前にいた野盗の胴へ向かい、一切の反応を許さず容易く人体を両断した。
 息を吐く暇もない。フェリエラは斬撃の勢いを利用して大きく身体を捩った。次の瞬間、飛来した矢がフェリエラの横腹を掠めて何もない空間を通り抜けていき、やがてすぐ側で野盗の一人と刃を交えていた騎士の一人に着弾。深く肩へ突き刺さった。

「狼狽えるな! 手を動かせええ! 忘れたかっ? 今この時、我等の命はシャルキュール様のためにあると心せよ!」

 誰も彼もが死にもの狂いで戦っている。不協和音を織り成す怒声と剣戟の音を掻き消すほどの大声で、それでもフェリエラは絶叫を止めることなど出来なかった。
 わかっている。皆必死だ。唐突に現れた理不尽に、必死で抗っている。警戒されたのだろう。五人の野盗に囲まれ孤立した状況となったフェリエラは、五人の動向に注意したまま視線だけで周囲の状況を確認した。

「くそっ」

 思わず悪態が零れる。馬車隊の左右に位置していた騎馬兵は、横合いからの強襲を受けて錯乱状態のまま乱戦に持ち込まれた。それだけなら、まだ良かっただろう。馬車隊の前後にいるフェリエラ含む護衛騎士がその場での乱戦を抜け出し、迅速に救援へ駆け付ければもっと状況はマシになっていたのだろうから。

「はあああああ!」

 だが、だ。そうはならない。そうならなかったからこその、今だ。フェリエラは咆哮と共に、自身を囲う五人へと切り掛かった。こんなところで足止めされていて良い状況ではないのだ。最も苛烈な戦闘が行われている隊の中央――シャルキュールが乗る馬車の周辺を視界の端に捉えながら鋭い剣閃を描いたフェリエラの得物は、しかし野盗を一刀両断とはいかず虚空を滑る。

「威勢が良いのは結構。だが――」

 今しがたフェリエラの斬撃を避けた野盗――ゲルゲナは、頬の横を通り抜けた剣に物怖じすることもなく、深く一歩踏み込む。
 詰められた距離は、触れ合うほどに近しい。そこは剣ではなく、拳の間合いであり、重ねて言うなら、短剣の間合いであった。
 手練れだ。一瞬で行われたフェリエラの判断は、しかし致命的なほどに遅い。この男が、このゲルゲナこそが、自身の横腹に短剣を投擲した男だとフェリエラが気付いたのは。

「強くもないのに吠えんなよ、雌豚。程度が知れるぞ?」

「おごっ!?」

 腹部への衝撃。踏み込みの勢いを乗せた右手での拳打だ。横腹にある傷口から血が吹き出る。堪らず呻いたフェリエラに、更なる衝撃。ゲルゲナが繰り出した左足での蹴撃が、横合いからフェリエラを打ち据えた。
 蹴りが当たったのは傷口。開戦から間もなく、短剣の投擲がフェリエラに突き刺さった箇所。あまりの痛みに「あがっ」と醜く呻いたところで、ようやく彼女はゲルゲナが自身の横腹に傷を負わせた者だと気付いた。
 嗜虐心に満ち溢れた、群れから離れたゴブリンを甚振る悪餓鬼のような表情を浮かべるゲルゲナは、口端を吊り上げ舌舐めずりを一つ。その表情は、非力な獲物を目前にした捕食者のそれであった。

 無力な生娘なら見ただけで縮み上がるだろうゲルゲナの醜悪な表情を見て、しかしフェリエラは臆することもなく叫んだ。痛みはある。そろそろ限界かもしれない。視界が明滅しはじめた。だが、だがである――

「シャルキュール様のっ、ためならば!」

 そのためなら、死してなお立ち上がろう。如何程の苦渋であれ飲み干してみせよう。蹴撃による衝撃は、決して手負いの身では押し殺せないほどのものであった。フェリエラの体が浮く。大地から離れようとした足は、しかしすんでのところで地を踏み締め、総身を捩る力に変わり、握り締めた直剣の冴えへと転化する。

「このフェリエラ・エルンスト、打ち破られる道理はない!」

 煌めいたのは銀閃が一つ。蹴撃を放った直後のゲルゲナでは、僅かに身を捩り胸元を狙った剣撃を右肩で受け止めることしか出来なかった。
 血が吹き出る。ゲルゲナという男は自尊心の高い男であった。付け加えて言うなら、徹底した男尊女卑を持っていた。
 女は男を喜ばせる肉壷に過ぎず、女の悦びは強い雄へ媚び、侍り、奉仕することにこそある。そう考えて止まない彼は、つい先程雌豚と貶した女からの反撃に怒りを覚え、頭に血を上らせた。

「この糞女ァ!」

 右肩が切られた。おかげで上手く力が入らない――であるならば、左手を使えば良い。右足を軸に回転。肩に刃を食い込ませながらも回転の勢いを得たゲルゲナは、強く握り締めた左拳をフェリエラの顔面へと叩き付けた。

「ぐぅ――」

 今度こそ耐えられない。フェリエラの整った容姿に拳の痕を刻んだ拳打は、彼女の身体を容易く吹っ飛ばす。
 視界の端に飛んだ白い欠片は、あれはまさか己の歯であろうか。噴き出た鼻血を抑えることも出来ないまま中空を滑ったフェリエラは、錐揉みする視界の中でしかしそれ以上に驚愕の事態を視認して、目を見開いた。

「あっ」

 呆気に取られて、吐息が漏れる。受け身も取れず地面に落下し、自身を囲っていた者達のうちの一人の足元まで転がったフェリエラは、直上で下卑た笑みを浮かべる男の様子にも、険悪な形相を浮かべて歩み寄ってくるゲルゲナにも気をやる余裕がないまま――

「シャルキュール、様……?」

 近場の護衛騎士を蹴散らした魔族と幾人かの野盗共に率いられ、乱戦を続けるこの場から離れ行かんとする豪奢な外観の馬車を見た。
 あの馬車には敬愛する主の他にも、魔術のエキスパートでもある頼れる侍女が同乗してはずだ。なのに何故、こんなにもあっさり? 認めたくない現実から目を逸らすようにそう考えたフェリエラの視界に、遠ざかっていく馬車へ向け手を伸ばす、地へ伏せるミルトの背中が映った。
 傷だらけで、血に塗れた背中が、だ。彼女の周りには、同様に地に伏せる護衛騎士の姿が幾つもあった。

「あ、あああ……」

 力ない嘆きの声が響く。全身から根こそぎ気力が抜け落ちたような錯覚に、堪らずフェリエラは握り締めていた剣を落とした。
 あまりにも呆気ない終幕。考えてみれば至極当然で、当たり前の話である。野盗共の対処だけで手一杯の彼女等が、魔王軍が誇る最精鋭、四凶星において烈火の異名を持つヒッツェ・ハイスヴァルムの強襲を耐え凌げる道理があるか?

 答えは、否である。
だから、セーフなんですよ(願望)
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ