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暴君ユーベル迷いナく. 作者:霧山病

第四章[仕組まれたアディシェス]

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4-3/捻れは緩やかに

ラブコメ成分割り増し。ほのぼの。
 ギルドマスターとフィルクス。去っていく二人の背中をしばし見詰めた。羽織るコートと同じく真っ白なブーツが地を踏み締めるたび、彼女等の毛髪が右へ左へと緩やかに靡く。
 目を閉じて、一拍。シュテルプリヒの身を案じる己も、そのために拙い弁舌を試みた己も、等しく狭小で脆弱である。押し通したいなら力を示せ。たったそれだけで済む些事であろうに。忘れたのか? 暴力だけが己に残った唯一の――
 右手を握り締める。脳裏に過った雑音(ノイズ)を努めて意識の外へ追いやり、自嘲げに喉を鳴らした。意識を切り替え、遠く離れていったギルドマスター達の姿に倣い踵を返す。

「……けっ、おい、俺等も行くぞ。いつまでもこんなとこでたむろってても仕方ねぇ」

 俺がやった行いは、ギルドの指示に背くこと――つまりシュテルプリヒの身代の引き渡し要求への明確な拒絶である。その必要がないと詭弁を並べ立てはしたが、ギルドマスターのあの含みのある言動やシュテルプリヒの監視を要求する指示を考慮するに、彼女は俺の報告を一から十まで全て信じているという訳ではないのだろう。
 いや、もしかすればその逆、全てが全て疑われている可能性もあった。ならば、ならば何故、ギルドマスターは俺の道化の如く愚かで見え透いていた嘘を見咎めることもせず、去って行ったのか。

 レーツェル達の応答を待つこともせず、一人先行して屋敷の正門へと足を進める。芝生も石畳も捲れ返った庭園の地を足音とともに踏み抜けば、慌てた様子でこちらへと寄ってこようとするレーツェルとリーゼ。

「あっ、待ってくださいユーベルさん!」

「ちょっ、ちょっと待ってレーツェル。腰が抜けて動けないの。肩を貸してくれない?」

「えぇー……仕方ないですね。ほら、掴まってください。早く行きますよ! このままだとユーベルさんに置いていかれちゃいますっ」

 風の振動。動作する気配。鋭敏な知覚が二人の魔力を感知し、視界に入れずとも後方の様子を教えてくれる。
 未だ座り込んだままのリーゼと、内股気味に座り込み心なし震えたままの情けない彼女へと焦った表情で掌を差し出すレーツェル。あれ、と疑問が鎌首を擡げた。確か、二人は――

「って、きゃあ!? ど、どさくさに紛れてどこ触ってるんですか!」

「ど、どこって……決まってるじゃない、見てわかるでしょ? レーツェルの素晴らしく凶悪な乳房よ。あと、触ってるんじゃなくて掴んでいるの……勘違いしないで」

 ここまで打ち解けた仲ではなかったような気がするが、はて。
 レーツェルの手を借り立ち上がったリーゼが、彼女の肩へ腕を回した。先程までは生まれたてのトライデントディアー――獣種のモンスター。毒々しい斑模様の毛並みをしており、鋭く尖った三本の角を頭から生やしている。一見鹿のような見た目だが、その気性は下手な肉食動物よりなお獰猛――の如くに体躯を震わせていたリーゼだったが、その震えはすでに綺麗さっぱり消えていた。

「あ、あぅ――掴むって、余計に悪化してるじゃないですか!? それに、乳房って、ひゃん……! 言い方が直球過ぎま、あんっ――ちょっと! いい加減本気で怒りますよ!?」

「あら、それは怖いわね……でもお願い、許してレーツェル。私の脳裏に刻み付けられたちっぱい(ギルドマスター)への恐怖は、貴女の豊かなおっぱい(レーツェル)じゃないと克服できないのだから……!」

 肩から回した左手で、自身の左側へ立つレーツェルの胸元を弄るリーゼ。辟易としながらも頬を羞恥の朱に染めるレーツェルが身を退こうとするも、一級の探索者として培った体捌きを活かすリーゼの巧みな挙動に翻弄され、逃げるに逃げられず与えられる刺激に身悶えしている。
 まあ、何はともあれ仲良くなるのは良いことだ――とは思わない。レーツェルはリーゼの存在を快く思ってなかった。少なくともそう、先日までは。
 ギルドと暴君(おれ)。逆らえない二者の間での板挟みを三年間続け、あげくには大陸史上最強最悪の暴君として凄まじいまでの悪評を持つ俺と同棲生活をすることになり、胃を痛めながらも日々を過ごす彼女。
 彼女は先日まで、奴隷という身分でありながら気儘な態度を崩さず、事ある毎に俺へ不躾な真似をしてくるリーゼの存在を疎ましく思っていたはずだった。
 リーゼには奴隷としての自覚が足りない。だからいっそのこと、奴隷市にでも売り飛ばした方が良いのではと――そんな催促すら行うほどに、だ。
 いったい今から何日前の事だったか。今となっては荒れ果てたこの庭園を二人きりで歩いていた時に彼女がそう催促してから、レーツェルは度々リーゼの目に余る行動を注意、忠告するようになっていた。
 とは言え飄々として態度を改めるつもりがないリーゼには暖簾に腕押し、ユニコーンの耳に商売女の声だったが、ともかくレーツェルはリーゼに良い感情を抱いていない。それは確かだった。

「あ、だめ。ひぅっ! そこはっ、弱いんです――ちょっと、だからダメって言ってるじゃないですか! んん、んあっ」

「良い声で鳴くじゃなあい。んふふ、おかげでちっぱい(トラウマ)は払拭出来たわ。ありがとうレーツェル。貴女のおかげよ!」

 それなのに、何なのだろう。二人のこの距離感は。昨日までの様子からは考えられない打ち解けっぷりだ。
 屋敷への襲撃という脅威に晒され、逃れようのない障害を共に潜り抜けたことで連帯感や親密感でも沸いたのか。そういえば、と思い返す。庭のあちこちに四散している魔鉱石。地下迷宮四十階層のフロアボス、ツヴェルクパンツァーを当時の三大パーティによる合同で打倒した際にドロップしたと言われるそれは、奴隷の身分には不必要な所有物の放棄、撤廃――という名目で取り上げたリーゼのポーチに収納されていた代物だ。
 そしてそのポーチは、俺が迷宮から持ち帰ったドロップ品などを保管する屋敷内の倉庫へ隠していた。倉庫には魔導的、物理的な施錠、侵入者対策の罠などが仕掛けられている。例え一級の探索者だろうとそう易々と突破出来ないほど厳重かつ巧妙な仕掛けを、だ。
 それなのにツヴェルクパンツァーの魔鉱石がこの場にあるということは、そのはずなのにリーゼが魔鉱石を用いてお得意の摩訶不思議ゴーレムを身に纏っていたということは――
 倉庫への不法な侵入があれば、それを察知しいの一番に俺へ侵入者の存在を知らせるという効果を持つ魔術も仕組んでいた。ならばリーゼ自身が倉庫へ侵入してポーチを回収した、という可能性は低い。何故なら俺の元に侵入者を感知したという信号が届いていなかったからだ。
 故に、考え得るのは一つ。誰かが彼女に魔鉱石が収納されているポーチを渡した、ということなのだろう。その誰かと言うのは、防衛魔導を構築する際、倉庫の防備機構を素通りで通過出来るように設定していて、尚且つ俺に次ぐ屋敷の管理者としてスペアキーの保管を一任しているレーツェルその人に他ならない。
 倉庫は俺の許可なく開けるな、と伝えていたはずだった。が、緊急事態故にそうまで重く見咎めるつもりはない。ともかく、そうだ。見方を変えれば彼女が俺の言い付けを破ってまでリーゼに助力した、と捉えることも出来る訳で。

「は、はぁ……はぁ――ありがとうじゃないですよ! この歩く公衆猥褻罪! お嫁に行けなくなったらどうするんですか? うぅ、ひくっ」

「え、ちょっと、泣かないでよ。そんなに嫌だったの? 軽いスキンシップじゃない」

「ぐすっ、んぐっ、ふぇぇ……」

 穿ち過ぎだろうか。脳裏に過った疑念を、そう考えて唾棄する。不自然なほどに二人の仲が良いのは、単に俺の錯覚なのかもしれないのだし。
 背後から啜り泣くレーツェルの声が聞こえた。一寸の不調もなく鋭敏に尖った知覚は頬を流れ垂れ落ちた滴の音さえ正確に捉え、彼女の足元に落下し地に染み渡った涙がまるで耳元に零れ落ちたような錯覚を俺へ与える。
 気付けば口から「はぁ」と溜め息が漏れ出ていた。思考を一時中断。一人勝手に歩き始めたせいか、後方へ置き去りにしてしまった二人に振り返る。
 目を細めて、口を開いた。

「阿呆なことやってんじゃねぇよ、てめぇら……特にリーゼ、てめぇだよてめぇ。何があったかはしらねぇが、ついに神経までお花畑に汚染されたか?」

 右手を外套のポケットに、左手で気怠げに後頭部を掻きながらの無愛想な言葉。歯に衣着せぬ物言いに二人はそれぞれ異なる反応を返す。
 元より涙で濡れていた瞳を殊更潤ませ、「私、何も悪くないのに」と小声で呟いたのはレーツェルだった。俺に恐れをなしてろくに意思表示すら出来なかった少し前までの彼女と比べれば、成長している――と言って良いのだろうか。
 対して、平素通りの音調で言葉を紡ぐリーゼ。いかにも納得がいってなさそうな顔付きで「おかしいわ。銀閃乙女ならこれぐらいの触れ合いは常識だったのに、やっぱりおかしいわよ」だなどとほざく脳内お花畑(リーゼ)は無視しても何ら差し支えないだろう。
 未だリーゼに肩を貸したままのレーツェルへ、真っ直ぐと視線を向ける。心なし俯き気味だった彼女は、俺の視線を察してかバっと勢い良く顔を上げ、首を傾げた。

「……はい?」

 涙目のままそう言って疑問符を溢すレーツェル。茜色の瞳が真っ直ぐと俺を見詰める。また、溜め息を吐いた。全く以てらしくない――呆れのままに心中で呟く。
 他の誰でもなく自分自身へ向けた自嘲の言葉が俺の胸の内で燻り、束の間に燃え上がることもなく消失した。後頭部を掻いていた左手を眼前に持ってきて、招くようにクイクイと指を動かす。そうすると、意図を察したのだろう。怪訝に首を傾げたままではあるが、レーツェルは自身の肩に凭れ掛かるリーゼと俺を幾度か見比べた後、「仕方ないよね」と言外に瞳で語り掛けながらリーゼの手を肩から外し、ついでとばかりに彼女の肩を押した。

「きゃっ――ちょっとレーツェル、何するのよ!」

 レーツェルにしてみれば、ちょっとした仕返しのつもりだったのかもしれない。予想だにしない衝撃だったのだろう。僅かにふらつきながらもしかし流石腐っても一流の探索者と言うべきか、転倒することもなく姿勢を保ったリーゼ。彼女に対して、俺の鋭敏な知覚でも辛うじて聞き取れるかどうかといった大きさで「ちぇっ」と舌打ちの音を響かせたレーツェルは、リーゼの非難の声に応じる様子も見せず小走りで俺に近寄ってくる。
 トテトテ、あるいはパタパタと――そうやって足が地を蹴るたび歩行に合わせて跳ねる双丘へ気を取られることもなく、俺の目前で足を止めたレーツェルの瞳を改めて見詰める。
 何か言われるのか、何を言われるのか。期待と不安がない交ぜになった茜色の瞳からふと目を逸らして、その後ろにいるリーゼへとレーツェル越しに声を掛けた。

「おい、リーゼ。詳しい話はまた今度するってギルドマスターは言ってやがったが、先に言っておく。この屋敷に襲撃してきたドルヒとマリエラは――」

 呼ばれたは良いが、それだけ。ぞんざいな態度で目を逸らされ、声の一つも掛けられずに無視されたのがショックだったのだろうか。残念そうに目を伏せ、殊更涙を滲ませたレーツェルに掌を振り上げた。
 キュッと、レーツェルの唇が一文字を描く。足元へと伏せられた瞳は閉ざされ、茜色の眼が瞼で隠される。
 俺の動き――振り翳された手に、何か良からぬ未来でも想像したのか、レーツェルの肩がビクリと震えた。叩かれるとでも思ったのだろうか。叱責されるとでも考えたのだろうか。それはそうか。レーツェルは、理由はどうであれ倉庫に保管する物品を俺の許可もなく無断で持ち出し、それをあろうことか他者へ――リーゼへと受け渡したのだ。
 この場に至ってようやく、そのことを思い出したのかもしれない。噤んでいた唇から「あっ」と吐息を漏らすレーツェル。人としても、俺の担当者としても、ギルドの職員としても、それは罰せられて然るべき行為だ。盗難、横流し、探索者の利権を故意に損ねる行動。そんなことを行った自らを、まさか彼の悪名高き暴君(おれ)が何のお咎めもなしに見逃す訳がないと、頭の中ではそんな考えが芽吹いては広がり拡散してしまっているのだろう。
 そんな彼女の頭を、振り上げた掌で――ポンっと、軽く叩いた。
 魔力量だけではなく、身体能力すら一生物の域を越えて化け物じみた規格外さを誇る俺である。一思いに手を振り下ろせば彼女の頭を陥没させるどころか、柘榴の如く破裂させることも容易いであろう。
 だからこそ、弱く、優しく、一切の力を抜いて彼女の頭を叩いた。傍から見れば頭に掌を乗せただけにも見えるのかもしれない。いや、当の本人――レーツェルすらもそう思ったのだろう。
 俯き気味だった顔を上げ、閉ざしていた瞼を恐る恐る開いたレーツェル。涙が滲んだままの茜色の瞳が俺へ向けられる。
 その瞳から目を逸らしたままの俺。気が付けば彼女の真後ろまで歩み寄ってきていたリーゼが、レーツェルの横から身を乗り出して俺を見上げる。

「まだ朝も早いのに、随分とお熱いわね。(サラマンダー)はもう少し先って言うのに」

「……ふん」

「ま、良いわ。それで、ドルヒとマリエラは――死霊術で操られた傀儡でしかない、でしょ?」

 どこか囃し立てるような口振りでの発言。鼓膜を打つリーゼの声が少しばかり不快に思えて、鼻を鳴らす。しかしリーゼに応えた様子はないようで、どころか俺が告げようとした事実を先んじて口にされる。
 目を細めて「知ってたのか」と口に出す。問い掛けの返事は肯定だった。痛みに耐えるかのような沈痛な表情で、「ええ」と言葉少なに返したリーゼ。彼女の横ではレーツェルが自分が何をされたか理解出来ていないのか。混乱して「は、はぇ? ユ、ユーベルさん――ふぇ? え?」と戯言のように繰り返している。
 少し静かにしていろ。そんな意図を込めてレーツェルの頭を軽く揺らす。緩やかなウェーブを描く紫髪の上を俺の指が滑っていく。きめ細やかな触り心地は思った以上に掌に馴染み、心地良い感触を与えてくれたが、いつまでもこんなことをしていてはレーツェルも堪らないだろう。倉庫から無断で物品を持ち出したことはこれで不問にしてやると、最後に彼女の頭をもう一度叩くことで言外にそう伝える。

「あ、あぅぅ」

 どうしてか顔を真っ赤に上気させ、先程以上に潤んだ瞳で俺を見詰めるレーツェル。彼女の様子のどこが気に障ったのか、リーゼが浮かべていた沈痛な表情に険が出た。ズイとレーツェルを押し退け――その際リーゼの腕が残像を残すほどの早さでレーツェルの胸元を擦ったように見えたが、きっと気のせいだろう――俺の目前に陣取ったリーゼが、心なし前屈みになって頭を突き出すという謎の体勢を取った。
 こいつは何がしたいんだろう。訳がわからない意味不明な姿勢に薄気味悪さを感じて、つい眉間に皺を寄せてしまう。そんな俺の様子に気付きもしないリーゼに低い声で「何してんだ?」と問い質すが、返ってきたのは沈黙。旋毛(つむじ)をこちらに向けたまま彫像の如くに固まったリーゼの様子に殊更不信感を強めた。

「ふっ」

 混乱から復帰したのか、横に押しやられたレーツェルが何故か優越感に満ちた表情で鼻笑い。次に聞こえたのは歯軋りの音だ。ガバリと顔を上げたリーゼが、歯を噛み締めながら横目でレーツェルを睨み付けたのだ。
 何なのだろう。こいつ――いや、こいつらは。立て続けに繰り返される訳のわからない反応に知らず額に青筋を浮かべていた俺。口を開けば、特に意図した訳でもないと言うのに獣の唸り声のように剣呑な音色が響いた。

「訳わかんねぇ」

「ちょっと、貴方がそれを言うの!?」

 直後、互いの吐息が触れ合うほどの至近距離まで迫るリーゼの顔。アクアマリンの瞳が咎めるように俺を射抜いている。鼻腔を掠める清涼な匂いと僅かな汗の匂いに、つい鼻がひくつく。
 どこかで嗅いだことのある香りだ。これは確か、水霊姫ローレライがフロアボスを務めていたと言われる地下迷宮第二十階層の付近に分布するジェル・イーター――泡立ったスライムのような見た目だが、物理的な衝撃を著しく軽減する特性を持つスライムよりもなお、輪に掛けて厄介な性質を持つモンスター――がドロップするアメーバコアと言われるアイテムの匂いだ。
 半液状のアメーバコアは擦れば泡立ち、汚れを落とし、清涼な匂いを漂わせると言う――要は石鹸。リーゼからはその香りと、少しばかりの汗臭さが嗅ぎ取れた。
 随分と時が経ったような気がするが、彼女が数刻前まで自身の全霊を以て死者との戦いに身を投じていたということは忘れてはならない。故に、鼻につく汗の匂いもまあ仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。魔鉱石を身に纏うなんて出鱈目でふざけたことをしていたリーゼだ。そりゃあ、蒸れるし、汗もかくだろう。
 だから、と言う訳でもないのだろうけど、あえてだからと言おう。だから別に、リーゼの体臭が不快に思えた訳ではないのだ、と。

 戦闘の際に、ドルヒの短剣が掠めでもしていたのか。元より際どい侍女服は所々が裂かれて、あるいは焼失してしまっていて――ドルヒには生前、火系統魔導を扱った記録がないはずだったが。彼はスキルを駆使した高速での撹乱、肉弾戦を得意とするトリッキーなインファイターなのだから――今や辛うじて胸と股間を隠しているだけの布きれでしかない。
 その布きれにしたって、マリエラの水系統魔導が直撃はせずとも飛沫が掛かる危うい状況に何度もなったのだろう。水が滴るほどにずぶ濡れになって、包み隠さずに言えば色々と透けて見えていた。
 認識の外に避けていたその事実。リーゼの体臭に、情けなくも男の性を刺激でもされたのか。ついとリーゼの瞳から目を逸らし、下に――濡れた衣服から秘所が透けて見えるであろう半裸同然の肢体に視線が動きそうになったところで、歯を噛み締める。
 馬鹿か、俺。そうやって心中で毒を吐きつつ、勢い良く頭を傾けた。こんな下らない思考のために、どれだけ無駄に時間を消費する気なのか。そんな自嘲と共に行われた動作は、リーゼへの頭突きという結果に終わる。

「いったぁ!? な、何よ何よ何よ! ユーベル貴方、扱いの差が些か不当だと思うのだけれど!? レーツェルばっかり納得いかないわ! 私だって頑張ったのに……!」

 レーツェルとは違い、リーゼはこれでも荒事に慣れた一端の探索者だ。それこそ通り名を与えられるほどに超一流の、である。
 故に、過分に手心を加える必要もないだろう。というよりこいつはきっと付け上がらせたらいけない人種だ。いや、きっとじゃない。絶対だ。
 そんな考えもあって、思った以上に力を込めてしまった。ゴツンと鈍い音を立てて衝突する俺とリーゼの額。大きく仰け反って、堪らず背中から転倒するリーゼ。少しの衝撃しか感じなかった俺とは違い、リーゼは予想だにもしない痛みを耐えられていない様子だった。
 尻餅をついて倒れ込んだリーゼが、気丈にも俺を睨み上げてくる。小生意気な態度に視線を尖らせた直後、こちらを睨む彼女の瞳に何かが――涙が滲んでいることに気付く。

 それほど、痛かったのだろうか。どうしてかチクリと胸が痛んだ。ダブる。視界が揺れる。そうだ、()は昔にもこうして、尻餅をついて倒れた誰かから涙目で見上げられたことがあったような気がするが。
 誰かって、誰なんだろう。そんな疑問が胸に芽吹いた。思考への埋没は一瞬。ああ、そうだ。エルンスト領から続くナルシスの手の者の追撃を退け、空腹と疲弊に耐えられず気を失った後に、目を覚ませば気付けばホーゼの農村で、疑心暗鬼を抱えた俺は彼女(・・)の制止を振り切りそこから逃げ出そうとして、それで――
 農村の近場にある森へ駆け込んだ矢先に、それこそ偶然、たまたまに、悪魔の気紛れや神の悪戯の如くに衝突してしまったシュテルプリヒだ。彼女も今のリーゼと同じように、内股気味で尻餅をついて、涙目で俺を見上げていた。

 ――そう思い出すために一拍の空白を必要とした自身の状態に不自然さや違和感を抱くこともなく、気付けば俺は居心地悪そうに顔を横に背けながら、転倒したリーゼへ左手を差し出していた。
 ぐっ、ぐっと、右手が握り締められている。外套のポケットの中で、まるで小石か何かを握り砕くように行われる動作。執拗なまでに何度も繰り返される右手の動きに俺自身気付けないまま、口を開いていた。

 「そういえば」と溢す。俺の口が紡いだのは、喜びも、悲しみも、痛みも、怒りも、何もかもを廃したがらんどうで虚無的な音色だった。そのはずなのに、その声から取って付けたような含みが――あたかも人のような情動が感じられて、堪らず自身の首を掻き毟って動脈をズタズタに傷付けたい衝動に駆られる。
 頭が、痛い。体中が引き裂かれるような激痛。不調に苛まれる自己はしかし何の淀みもなく続く言葉を付け加えていて、奏でられた言の葉に対してリーゼは痛みに耐えるような、抗うような、そんな決然さを秘めながらも一見朗らかな矛盾した笑みを浮かべて、アルトの音色で俺の鼓膜を打つ。

「よく、戦えたな。てめぇとあいつらの仲は、簡単に割り切れるほど薄っぺらなものじゃあなかったはずだろう?」

 差し出していた左手に、リーゼが手を伸ばした。彼女の指先が俺の掌を撫でたかと思うと、直後に伸ばされた左手が俺の手を力強く掴んだ。「うん」と小さく漏らしたリーゼの拒むような、縋るような、どこか幼子を思わす危うい手付きにどうしてかついと左手に力を込めてしまう。
 いつか、重なった掌が解けるんじゃないだろうか。そんな予感が、危機感が、胸で蠢いた。でも、と胸の中で呟いた己を自覚する。偶然だろう。リーゼもまた己と同様に「でも」と続けた。
 内心での己の呟きは彼女の耳に届くべくもなかったが、女らしくか細いリーゼの手を掴む腕に力を込め、倒れ付したままだった彼女を引っ張り起こす。
 力を込めすぎたのだろう。勢い余って俺に凭れ掛かってきたリーゼは、しかし動揺することもせずに俺と左手を繋いだまま、その反対の手――右手の指先で俺の頬を撫でた。
 腕の中に収まった彼女の肢体が、熱が、鼓動が、頼りない衣服を通して俺に伝わってくる。俺の胸元に預けた頭をコテンと傾け、金細工に見紛うほどに繊細な金髪を揺らしたリーゼ。見上げるようにこちらを見詰める彼女のアクアマリンの瞳は、見惚れてしまうほどに蠱惑的な輝きを灯していた。

「でも、貴方の方が大事だもの。私が戦わなくちゃ、この屋敷も、レーツェルも、きっと酷い目に合ってたわ。そうしたらユーベル、きっと貴方が悲しんじゃうでしょう? それに――」

 すぐ近くにはレーツェルもいると言うのに、最早レーツェルの存在など目に入っていないかのように俺だけを見詰めるリーゼ。俺自身、してやられたとばかりに唇を戦慄かせるレーツェルの様子が気にならなかった訳ではないが、絡み付くリーゼの視線から目を離せない。
 続きを促すように、「それに?」と問うた。頬を撫でる滑らかな感触を不快に思うこともなく。するとリーゼは、一瞬顔を顰めてから――

「んーん、何でもないわ。私にとってはそれが、貴方が全てなの……だから戦えた。戦える。きっと、この先もずっと」

 ほんのりと朱に染まった体躯をまるで自身の存在を主張するかのように身悶えさせ、俺へ擦り付けながら、怪しい弧を描く唇。
 じんわりと、理解不能な温もりが胸の内に芽生える。虚空を照らす温もりはがらんどうな穴を満たそうと浸透して、俺の心の中に深く深く染み渡っていく。
 自嘲を溢そうとした。嘲りを漏らそうとした。声が聞こえる。耳障りな雑音(ノイズ)だ。「(おまえ)にそれは似合わない」「壊せ」「壊せよ」「オレ(オマエ)にはそれしか出来ないんだから」と、そうやって絶叫を上げたのははて、果たしていったい誰だったのだろう。
 これ幸いと俺の胸元に身を寄せたままのリーゼに溜め息を溢す。ちらと横目でレーツェルの様子を伺った。

「そんな、嘘。ありえない。あんな頭お花畑で歩く公衆猥褻罪のリーゼさんが、ユーベルさんとそんな良い雰囲気になってるだなんて……!」

 何やら小声で呟いているレーツェルの様子を見て、重ねて溜め息。俺はこの場でいったい何度溜め息を吐いたのだろう。どうにも動かすのが億劫な思考で益体もなくそんなことを考えてから、未だ引っ付いたままのリーゼの肩を軽く押して彼女を押し退ける。
 どうしてか驚愕する二人の姿を交互に見やってから、また溜め息を吐き出そうとして――

「お兄ちゃん」

 聞こえたのはどこか険のある、幼い音色。「は?」と、呆然の声がついて出た。背後からあるはずのない気配。いないはずの人間――否、怪物の存在を知覚し、慌てて振り返る。
 そこには、澱み腐った死者の如き眼差しを不快げに細めるシュテルプリヒが立っていた。地下室にいるはずのシュテルプリヒが、だ。あの部屋には外からも内からも、厳重な施錠を施していた。物理にも魔導的にも、それなのにどうして、と疑問が芽生えるが、思案する間もなく答えに行き着く。
 そうだ。先に述べたように彼女は最早人の身ではなく怪物。俺に――彼の悪名高き暴君である災厄のユーベルに準ずるポテンシャルを秘めた、規格外の中の規格外なのだから。
 故に、あの程度の障害などなきに等しいものでしかなく、彼女が抜け出そうと思えば容易に地下室から出てこれるのは、必然の道理だ。
 彼女は、嫌忌感を隠そうともしない可憐な音色と同様に、険悪に染まった表情で言う。

「そいつら、匂うよ。早く離れようよ、ねぇ。そんな、そんな汚ならしい奴等(・・)の近くに居たら――」

 頭の中を、先程聞いたばかりの言葉が過った。「貴方の意思を信じる」と、胸に燻る疑念を圧し殺してそう誓ったギルドマスターの言葉だ。
 本当は、考えずともわかっていたはずだ。彼女は何か理由があって俺を信じると口にした訳ではなく、信じたいから信じるという――思考放棄と捉えることも出来る、無条件での信頼を俺に抱きたがっているということを。
 きっと、形は違えどそれは(おれ)も同じで、虚栄を張る必要も、暴虐を強いる必要もない信頼に足る人を――心の底から臆面もなく大事だと言い張れる唯一無二の存在を、未だ(・・)に求めているのだ。
 だから、だから――決して少なくはない月日を共に過ごしたレーツェルを、パラダイスシフトの結果とは言え俺の元から離れられないリーゼを、心のどこかでは信じたがっていて。

 その、脆弱な己を糾弾するように、泡沫の幻影を切り裂くように、強い口調でシュテルプリヒは告げた。

「お兄ちゃんまで、汚れちゃうよ?」

 向けられる鳶色の瞳は俺の身を案じつつも、汚物でも見るかのような冷たさでリーゼとレーツェルを射抜いていた。
 その瞳には、嫌忌と、嘲り。言葉にせずとも伝わる盛大な負の感情。いっそ暗黒的なまでに黒々とした情動は、いったい誰に向けられていたのか。

 後になって気付く。きっと俺は、何もわかっていなかったのだ。それも当然か。いつだったかに言われたご高説を思い返す。当然であるならば必然。()のこの、澱みきって閉ざされた瞳じゃ、何を見据えることも、どこを目指すことだって出来やしないんだから。








 蝋燭の篝火だけに照らされた薄暗い空間で、燐光と共に帰還した主へと彼女は――まるで竜人種の如き身体特徴を兼ね備えた人影が、声を掛けた。

「おかえりなさいませ、主よ。ご無事なようで何よりです。しかし――」

 そう語る人影の視線が、四方を壁に囲われた空間の、その一角――魔術式の上に投影される、一人の男と三人の女が集って何やら会話を繰り広げる光景へと向けられる。

「改めてお尋ねしますが……良かったのですか?」

 問いに対し、人影に主と言われた人物――漆黒の長髪を靡かせる少女は、面倒臭げに髪を掻き上げてから無愛想に応じる。投げ掛けられた問答など至極どうでも良さそうに。

「良いさ。忠告を受け入れるか、拒むか。その結果彼がどうなるかは全てが全て彼次第。踊って道化に殉じるか、呑まれて邪悪に染まりきるか、あるいは――抗い、暴君に成り果てるか……その果てに辿る結末がどうあれ、ボクの目的は徹頭徹尾一貫して揺るぎないんだから」

 人影――主と仰ぐ少女にヴェノムタイラントという呼称を与えられた魔物(モンスター)は、しかし人のような身形で、さながら人の如くに呆れを滲ませた物言いで、口にする。
 自らの創造主である少女――大戦を終結に導いた書物の中で描かれる伝説、チヨ・クロミヤに向けて。

「……そう仰られる割りには、随分とちょっかいが過ぎるように見受けられますが、ね」

 地下迷宮の奥の奥、魔境の果ての、最深部にて。そう語ったヴェノムの視線は、中空に描かれる光景を諦観気味に見詰めていた。
ラブコメ成分割り増し。誰が何と言おうとほのぼのデスヨ!(半ギレ)
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