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暴君ユーベル迷いナく. 作者:霧山病

第三章[誰が為のシェリダー]

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3-Ex/ Lost Memory 見上げた空はただ紅く 『3/3』

 何度「止めて」と叫んだのだろうか。喉を引き裂かんばかりの勢いで上げ続けた絶叫は、しかし噎せ返るほどの淫臭が漂うこの場にて空しく響くのみ。
 獣のように荒々しい呼吸音が耳元から聞こえる。鼓膜へと吹き掛けられる吐息から怖じ気を覚えるほどに醜い劣情を感じて、知らず縮こまった体はやがて細やかな抵抗すら諦めていた。
 熱い。一思いに突き破られた純潔が深紅の滴となって股座から滴り落ちる。そこから全身へと染み渡り、心身を侵食していく熱さ――痛みが、どうしようもない絶望となって私を苛む。

「相も変わらず趣味が悪い……兄よ、イェソドの在処ぐらいわかっているでしょうに、我々は元よりそれを知ってここへ足を運んだのですから」

「ふん、戯けが……戯言に過ぎぬ問答と言えど、愛しい想い人の安否を願い知らぬと答えたこの女の想いは本物よ。それを知った上で穢すことこそ、至福の愉悦であろう? そして、だ。至上の御馳走を目前に置かれて大人しくしていられるほど、私は利口でないのだよ……ほれ、女よ。口を開けよ、大人の味を教えてやろう」

 擦り合う粘液が響かせる粘着質な音。グチュグチュと、嫌悪感を抱かずにはいられないその音を聞いて首の一つでも括りたい気分ではあったけれど、魔導具――と言われるものなのだろうか。妖しい紋様が不気味な光を発する手錠。如何にもといった見映えの拘束具に自由を奪われた両腕では、ろくに自身の首を締め付けることすら出来やしなかった。
 いっそ、舌でも噛みきってやろうか。そう考え歯で自分の舌を挟み込もうとすれば、呆れたような物言いの声へと言い返していた男の顔が突然目前に迫ってきた。
 男の意図を察して慌てて顔を背けようとする。だが、所詮は無力な少女の些細な抵抗。荒々しい挙動で顎を掴まれ、強引に顔の向きを変えられた。向き合う形となった男の顔。口の端から涎を垂らし獣の如き情欲を滾らせる男の表情は、まるで盛った畜生のように醜いものだった。
 瞼を閉じる。あんまりにもあんまりな現実から目を逸らすように、あるいは待てども待てども救世主が来ない絶望から目を逸らすかのように。
 閉ざされた視界。暗闇の中で感じたのは唇を割り開かんとする不躾な侵略者からの接吻。生臭い唾液の匂いが鼻孔を突き抜け思わず噎せそうになる。
 心の中で叫んだ。「止めて」と、最早枯れ果てた喉では絶望に泣き叫ぶことすらままならないから。決して開けてやるものかと固く閉ざしていた唇だったが、下腹部を突き上げる途方もない異物感と衝撃に体の自由が奪われる。
 その一瞬の隙を突いて唇を割り開き侵略を果たした男の舌が、私の咥内を舐りはじめる。執拗なまでの蹂躙に晒され、気付けば男の唾液塗れになる唇。初めての接吻がまさかこんな形になってしまうなんてと、赤く充血した眼から涙を垂らした。

――助けて――

 カケルさん。貴方は今、何をしているんでしょうか? ノゾミは――私はまだ、きっと貴方が助けてくれると信じています。
 気付けば見知らぬ場所にいて、訳もわからず途方に暮れていた私の前へと颯爽と貴方が現れたあの日のように。
 忠告を破り一人勝手に外へ出た私の下へ、必死な形相をした貴方が駆け付けてくれたいつかの日のように。

――信じてるから、私……だから――

 無垢に想う。愚直に信じる。自身の窮地を救ってくれた愛しいカケル(ヒーロー)の到来を。だけど、私が抱いていたそんな純心を嘲笑うかのように男達は告げた。
 絶望の一言を、現実の悲惨さを、底無しの欲望と共に。

「戯け、と申しますか……そう言う兄は、随分と戯れが過ぎるようで。兄の趣味趣向にとやかく言う積もりはありません、が……我々にも時間は残されていない。余興に興じるあまり本来の目的を達成し損ねるなど愚の骨頂。わかっておられるとは思いますが、奴にイェソドが――」

「待て、皆まで言わずとも良い……奴に、黄昏よりも紅き空(ディープスカーレット)にイェソドが滅ぼされる前に、我々はイェソドを確保せねばならない。だろう?」

「わかっておられるなら、何故……」

「だがツィルクスよ、そうまで事を急ぐ必要もあるまい。そのために彼女(・・)を連れて来たのだからな……あいつの聖剣(・・)ならばまず事を仕損じる事はないだろう。イェソドの確保はすでに確定事項だ……故に、我々の悲願は成るようにして成るのさ。あるいは成るべくして、だろうかね。カラマ・カケルの生死についてはどうしようもないとしか言えないが――器の一つとして人柱にされるより、ここで討ち滅ぼされる方が余程救いのある終わりと言えるだろう。なあ、娘よ、貴様もそうは思わんか?」

「な、にが……」

「ふむ、わからんか。察しが悪いのか、いや、あるいはこれも当然の反応か。まあ、どちらでも良い。そろそろ来るぞ。受け止めろ――!」








 絶望的な戦いを経験したことがないとは言わない。カケルにとってこの異世界へ呼び出されてから過ごした激闘の数々はいつだって過酷で、辛辣で、そして何よりも絶望的なものであったのだから。
 聖剣の制御を十全に成し得る今でこそカケルは、大陸最強の一角達――各種族の代表的存在である超越種達。彼等彼女等と肩を並べることさえ不可能ではないと自負している。が、確かな自信によって裏打ちされた自負も、今になってなればこそ抱くことが出来た代物だ。
 勇者とて、何も最初から強い訳では――十全に聖剣を扱える訳ではない。勇者としての適性、あるいは素質が低い者であれば、聖剣の発現に至るまで数ヵ月単位の時間を必要とする者さえいたという話だ。
 決して少ない時間ではない。そこから神力の行使、制御、掌握、聖剣固有の特殊な能力の修得など、勇者として戦うに当たって必要な数々の力を扱えるようにならなければいけない。
 ナルシス王国が記録する歴代勇者の経歴が確かなものであれば、最長で十年に渡る年月を聖剣の制御に費やした者もいる。
 幸いカケルは勇者としての素質が高い方であったらしく、強くなるまで――奪われる側から奪う側になるまで、歴代の勇者と比べ掛けた年月は短い方ではあったのだが。

 それでもやはり、絶望的な戦いと言うのは確かに存在したのだ。ナルシス王国が用意したお付きの者達と共に人類からの使者として獣人族の里へ足を運んだ時、引き連れていた仲間が発した失言により勃発した腕試し――と言う名目の獣王との殺し合いや、当代のナルシス国王の気紛れにより赴いた迷宮都市セントラルタウンでのギルドとのいざこざ。その後日に向かった迷宮で相対することとなった謎の黒衣の少女との激闘など、他にも様々、思わず死を覚悟した出来事の数は決して少ないとは言えない。
 魔族領域に攻め入り、ついに魔王城の目前へ辿り着いたと思えば唐突に魔王から熱烈な歓迎を受けた時など――魔王城の周辺一帯を範囲に含めた極大規模の魔法により仲間の尽くが死に絶えた時など、漠然喪失として危うくみっともなく逃走するところであった。

 だが、それでもカケルは逃走を良しとせず、怯えに震える自己と向き合いながらひたすらに戦い続けた。明日の希望を信じてただ前へと進み続けたのだ。

 絶望的な戦いであろうと決して足を止めぬカケルをやがて獣王は認めた。愚直に在り続ける彼の姿をいつしかギルドは讃えるようになる。迷宮で出会った謎の黒衣の少女には抵抗空しく呆気なく地に臥せられ「これが当代の勇者か。盲目の上に無力とは、救いようがないね」と鼻で笑われてしまったが、続くように口にされた言葉には痛く感銘を受けたものだ。
 いつの日にか告げられた言葉。ともすれば無関心とも言えるほどに冷たい態度で自身へと与えられた言葉は、今もカケルの胸の奥底に深く刻まれている。蝋燭の篝火に照らされながら少女は言った。「突き進む先に光があると信じるなら、君はそのまま進めば良いさ。何も知らぬまま、ね。人とは本来、そういう生き物だろう?」と。
 言の葉に込められたのは人への嘲り、ではない。恐れるが故に未知へと突き進む人の尊さを称賛する言葉だったのだと、カケルはそう解釈していた。
 自分勝手な解釈なのかもしれない。愚直故にそう思っただけなのかもしれない。だがしかし確かに、カケルはそれこそが――進んで未知へと飛び込む愚直さこそが尊ぶべき人の本質であるとその時教えられたのだ。

 故に彼は進んだ。愚かであっても真っ直ぐに、ただ前へと。最終局面における魔王との対峙の際、魔王は最初カケルを「勇者と言えど所詮は醜い人の子」であるとして嫌悪感を露にしていた。
 人類と魔族の間には長年に渡る因縁がある。なればこそ今まで人類に苦渋を舐めさせられてきた魔王が無条件に人類を毛嫌いすることも必然だったのかもしれない。だが、それも最初だけ。激闘を繰り広げるうちについに魔王までもがカケルを認めた。

 彼こそが絶望の中で眩く輝く希望の光、真の勇者であるのだと――

 正しく英雄。これこそ勇者。絶望を打ち消す希望の在り方。だから、カケルは挫けない。例えナルシスからの裏切りを受けようと、彼の在り方に何ら歪みは生じなかった。
 シェーネからの献身的な助力も大きかったのだろう。カケルは決して卑屈になることも、下劣に堕ちることもなく、まして自身を裏切った世を恨むことすらしなかった。
 その時感じた絶望感足るや凄まじいものであったが、それでもカケルは人として、己を見誤ることもなく愚直に前へと進めた。

 ――だが、どうしてこのような状況で射疎まずにいられると言うのか。明日の希望を信じられると言うのか。
 驚きと恐怖で真っ白に染まった頭。最早疑念を浮かべることすら出来ずに、シェーネはただ呆然と其を見上げた。
 彼女の背後には肩ごと左腕を捥がれ(・・・)、両足が歪な形に折れ曲がった死に体のカケルの姿があった。荒く掠れた呼吸で倒れ伏すカケルの腹部には、相次ぐ酷使についに限界が訪れたのか。半ばで折れ、槍としての原型を失った短槍の残骸が――童子姿の怪物(モンスターチャイルド)の得物が突き刺さっている。

「随分と呆気ねぇな……ええ、カケルって言ったか? 無様な姿だなぁ。格好付けて駆け付けたは良いが、女の一人も守れずに地に伏せ、そして今、守ろうとしたその女に守られている。情けねぇ。脆弱が過ぎるぞ? 笑える。本当に嗤えるよお前、とんだピエロだなぁ、おい! カケル――いや、イェソドぉ! みっともねぇ! みっともねぇったらありゃしねぇよお前! ざまぁみろ! これが報いだ! あひ、いひひ!」

 嘲笑が木霊する。カケルの傷口から滴り落ちる鮮血が大地へと染み渡り、地に片膝を付けるシェーネの足を濡らす。何がそこまで愉快であるのか、彼女が見上げる先にいる其が、化け物が、持ち柄だけとなった直剣の残骸を放り投げ腹を抱えて笑い始める。




 二人は、カケルとシェーネは良く戦った。全身全霊を掛け、奇跡的な奮闘をしたと讃えても過言ではないだろう。
 カケルの乱入で出来上がった一瞬の空白。その刹那の間に復帰を成したシェーネの機転により、カケルとシェーネはすんでのところで紅の脅威から逃れることに成功していた。
 行使されたのは極めて短時間で発動可能な短距離転移魔導。一瞬とは言え紅の極光を押し留めたカケルがいたからこそ成し得た機転によって、一先ずの難を無事退けた二人。だが、とは言え脅威の元凶が――世に童子姿の怪物(モンスターチャイルド)と恐れられる化け物が目前からいなくなった訳ではない。
 生きるために、明日を得るために、二人は闘争と逃走、そのいずれかを選択しなければならなかった。虚空を呑み込むに留まった極光は先程までカケル達がいた空間を通過し、直進。延長線上にある物体を情報体――精霊ごと食らい尽くし地平線の彼方で炸裂した。
 その過程でいったいいくつの都市が、罪無き人々が巻き添えを食らったのだろう。極光が進む先に人々の営みによって出来上がった人里があると知る二人は、一瞬の間に虐殺の限りを尽くした理不尽の極致に向け途方もない怒りと恐怖を抱かずにはいられなかった。
 まるで災厄。人の手の届かぬ超常の災い。カケルはその認識が決して間違っていないと理解していて、シェーネもまた原作知識(・・・・)はないと言えどこれほどまでの規格外っぷりを見せ付けられたのだ。故に思うことは同じく、その時点で二人は其が己等の手で敵う相手ではないのだと理解させられていた。
 「逃げるべきです」と、先にそう口にしたのは意外にもシェーネの方であった。彼女はここで揃って無駄死にするよりは、例え屈辱的であろうとも一度逃走の道を選び、次の機会を――今よりもなお万全の状況で災厄へ挑むことに賭ける方が懸命だと判断したのだ。
 融解し、何もかも跡形もなくなった極光の通り道。無辜の人民達が一息に安寧を壊された破滅の残響。紅の極光が齎した被害の甚大さを知りながら無様に逃走すると言うことは、聖女と謳われる彼女にとってとても選び難い選択肢であったのだろう。
 苦虫を噛み潰したように顰められた表情。不甲斐ない自分が許せないと言わんばかりに沈痛で、自己嫌悪に満ちた表情のシェーネ。彼女の意見は、だがしかし拒絶される。他の誰でもない、カケルの言葉によって。

「このまま奴を野放しにしておけば数多くの人が悲惨な目に会う。奴はここで仕留めておかないといけないんだ。きっとそれが俺の――勇者(・・)の使命だから」

 そう言ったカケルの眼差しには、明日の希望を信じて前へ突き進まんとする愚直な光ではなく――強迫観念に囚われる迷い人を誘うかのような、そんな怪しい篝火が灯っていた。
 言葉の通り、カケルにとってこれは使命であったのだ。勇者として過ごす日々の中で、あるいはナルシスからの裏切りを受けた後のエレミート山脈での長閑な暮らしの中で、彼は延々と考え続けていた。
 歴代の勇者の手により、あるいは現実になったが故に原作から乖離したこの異世界。ヘレファベルの消滅。迷宮発生の早期化。セフィラに纏わる時系列的矛盾。勢力間、あるいは対人間での関係の差異。いざ目を向けてみればそこかしこに散見される変化が、もしも原作における対不正改造(チート)理不尽(チート)黄昏よりも紅き空(ディープスカーレット)を作動させる切っ掛けに――不正な変革(チート)に相当するものとして見なされるのだとしたら、ということを。

 聖剣には、物によって担い手へと稀有な能力(スキル)を与える代物が存在する。カケルのイェソドもその一つであった。
 イェソドとは神話において生命の樹を構築する第九のセフィラであるとされており、その訳は基礎。星の世(アストラル)界を表し、またイェソドを守護する者としてガブリエルの名が認知されている。
 調べれば容易く知れるであろう、そんな諸説が関係しているのか。イェソドに秘められた権能は、守護天使であるとされるガブリエル――聖書にて神の言葉を伝える者と記される彼の大天使の逸話に纏わる代物であった。
 即ち、限定的な未来予知。あるいは知り得ぬはずの知識の獲得。ともすれば常世の全知を掌握することさえ可能なこのスキルだが、しかしカケルは完璧にその力を掌握出来てはいなかった。

 人を越えた力故、それもまた必然と言えるだろう。元より神力とは人の手に余る超常の力である。その断片を扱えるだけでも奇跡のようなものなのだ。
 だから、それは偶然。あるいは奇跡と言えよう。原作における主人公の片割れであった望――ノゾミが何の因果か道筋の狂ったこの異世界へ転移してくる数ヵ月前に、それこそ天啓としか言いようがない唐突さで頭に叩き込まれた予言。

 ――いずれ、空は紅く染まるだろう。怪物よ、産声を上げろ。齎された過ちを正すべく、亡者の嘆きに導かれ進む先を得た迷い人よ。
 悪逆に曇った眼は本来の役割を見失い、身に秘め足る狂気は溢れ返りやがて常世を呑み込むだろう。
 世界は形を取りたがる。故に破滅は人の児となった。恐れよ、怖れよ、其の身は邪悪。畏れよ、呪えよ、其は災い。厭うのならば拒んで見せよ、其こそ生命の樹(セフィロト)に対を成す悪厄故――

 カケルはその日、やがて来る災いの脅威を知った。原作においては事象(システム)の一つに過ぎなかった黄昏よりも紅き空(ディープスカーレット)が人の形に押し込まれ、怪物として産声を上げるということと共に。
 それ故、カケルは破滅の紅を振るう童子を直ぐ様に黄昏よりも紅き空(ディープスカーレット)だと判断出来たのだ。彼こそが己等の過ちによって生み出された怪物――悪しき災いであるのだと。

 だから、倒さなければいけない。自身達が齎した原作乖離が彼を生み出したと言うのなら、カケルにはそれが自身達勇者が負うべき当然の責務であると思えてならなかったのだ。
 原作において黄昏よりも紅き空(ディープスカーレット)が発生した際に起こる数々の出来事が現実に適応されるのだとしたら、何が何としても今ここで彼を仕留めなければならない。高度な技術により守られプログラミングされた黄昏よりも紅き空(ディープスカーレット)という事象は、原作において作中キャラクターの発狂、敵対化、また発狂キャラクターを含めた敵性存在の強化や、地形の変更、プレイヤーアバターの著しい弱体化、突発的な災害――回避不可、防御不能の即死攻撃である深紅の落雷の発生など、数々の理不尽を齎す。
 そんなことが現実で起こり得るとなれば、いったいどれだけの被害が出ると言うのだろう。そうやって危機感を抱くが故に、また災いを引き起こす切っ掛けが自分達にあると知るが故に、いずれ来る災いの申し子を己が手で打ち倒さねばいけないというカケルの思いは肥大化していった。




 故に、彼はここに来て冷静な判断を失ってしまっていたのだ。逃走を促すシェーネを拒絶したカケルの言葉に間違いがあった訳ではない。やがて常世を呑み込む破滅の顕現を今ここで討ち滅ぼさんとする思いは、きっと人として正しいものであったのだろう。
 カケルの断固たる決意に思うことでもあったのか。弱気になっていた自身へと渇を入れ毅然とした態度で理不尽に抗う道を選んだシェーネ。
 二人は果敢に立ち向かった。紅に染まった大空の下で、血のようにどす黒い瞳で己等を睥睨する怪物へと。
 聖剣の担い手足る勇者にとっての最終到達点とされる秘奥。あくまでも人の手で扱えるよう無意識下の抑制を受けている神力の、本来あるべき神の力としての側面を解放する術――聖祝(セイクリッドワード)は、聖剣に選ばれた勇者の、その更に極一部だけが扱える至上の術である。
 扱えた者の数は片手の指で事足りる。歴代最強の勇者とされるチヨ・クロミヤや、それ以降の勇者である不知火(シラヌイ) (タカラ)入里(イリザト) (ヒカリ)、そしてカケルの四人だけだ。
 聖剣の名とともに在るがままの神力を解放する聖祝(セイクリッドワード)。本来限られた極一部の勇者でしか扱えないはずのその術は、聖剣の担い手ではあれど勇者ではないシェーネにとって修得することが不可能な力であるはずだったが。
 不思議と、今なら出来るという確信がシェーネにはあった。イェソドから漏れ出る神力が本来の権能を――思うがままに世界の基盤へ干渉するという理不尽な効力を齎したのだろう。
 絶望的な状況。どうしようもない境地での仲間の覚醒。そんな、あんまりにもご都合めいた奇跡が二人を祝福する。
 イェソドを握り締めるカケルの横に立ち、燐光と共に周囲へ聖剣を具現させるシェーネ。きらびやかな輝きを湛える刃先を真っ直ぐと怪物へ差し向ける二人が、空間が軋むほどに莫大な魔力の圧に怯む様子も見せず言葉を交わす。

「貴方と一緒なら、きっと災いにだって抗える」

「光栄だな。でも俺も、不思議とそう思いますよ――往くぞ、シェーネさん!」

「ええ、貴方と共に……! 人民願わくは神の導きを、なればこれこそ貴君の証明となりましょう! 愛せよ偉大なる聖母(マリア)全聖剣解放(フルコーラス)――連なるは二十二の枝葉(セフィロトレコルド)!」

 言霊を受け、シェーネの周囲を滞空する聖剣群がなおいっそうのこと眩い光を発する。それぞれが共鳴でもするかのようにキィンと高い磨耗音を響かせる聖剣が、今ここに本来あるべき真価を発揮。最早シェーネは先程までのシェーネではない。五体に染み渡るのは溺れてしまいそうになるほどの全能感。真なる聖剣の担い手としての力を発露した彼女の胸には、今ならば理不尽の極致である童子姿の怪物(モンスターチャイルド)とも渡り合えるという確信が芽生えていた。
 カケルもまた、それは同様。この世の誰よりも心強く、信頼出来る仲間が共に戦ってくれると言うのだ。これで戦いもせずに勝てないなどと諦めるのは、勇者として恥ずべき行為である。
 足を踏み出したタイミングは一緒であった。肩を並べて聖剣を手に、深く腰を落として大地を蹴り抜くカケルとシェーネ。二人は紅の極光が避けられてから以降、顔を地面へ向け俯かせたまま棒立ちになっている無防備な童子を一息の間に剣撃の射程へ収めた。
 左右それぞれ、斜め下から振り抜かれる逆袈裟の挟撃――否、中空を飛び交う聖剣も合わせて四方八方から迫る多角攻撃。阿吽の呼吸で行われた二人の猛攻。風を切り裂く斬撃が光の軌跡を残し中空を舞う。
 このまま童子に身動きがないようであれば一息の間に素っ首が撥ねられ、その幼い体躯が刻まれるであろう。だが、まさかそう易々と首を取らしてはくれまい。カケルとシェーネの予感は事実正しかった。故に、対応は素早く、迅速に――

 だが不幸なことに、二人は見誤っていた。そうとしか言いようがない。二人は目前に佇む化け物の脅威を――理不尽が理不尽足る絶望を、見誤っていたのだ。
 其の異様を、果たして誰が想像出来よう。其の異形を、いったい誰が予測出来よう。イェソドに秘められた権能が、担い手の危機を知ってかカケルへと警告を発する。避けろ。下がれ。ダメだ。もう間に合わない。
 殺到する聖剣が童子の首を、胴を、腕を、足を、その薄皮をほんの少し切り裂いた。容易く皮膚に食い込んだ殺刃は、束の間に童子の四肢を切断し撥ね飛ばすであろう。そう、童子が――もしユーベルでなければ、の話ではあるが。
 ギギギと、軋んだ音。油が切れたからくり人形のように、あるいは笑い疲れた道化師のように、自身へ殺到する聖剣を眺めてユーベルは嗤った。
 ――彼の胸中を埋め尽くすのは燃え滾る憎しみの業火を由来とする、破滅的なまでの破壊衝動であった。目に付く全てを尽く破壊して、滅ぼして、粉微塵となるまで踏み潰してやりたい。いつの日からか胸中に蠢きおぞましくとぐろを巻くようになったそれは、彼が黄昏よりも紅き空(ディープスカーレット)であるが故に与えられた必然の情動。
 最早道筋の修正すらままならないほどに原作から破綻したこの世界を、その歪みごと破滅せしめんと訴える本能の飢餓であった。

「立ち向かうのか? このオレに――」

 其は呪い。祈りなき呪詛。肥大化した破壊衝動を抑制していた人としての彼は――アルクという男の心は、しかし絶えず押し寄せる悲劇と惨劇に磨耗して砕けてしまっていた。
 やがて世界を滅ぼす際限なき悪意。醜悪なる情動に蓋をしていたアルクの意思消失は、彼に本来与えられていた邪悪としての側面の発露を――邪悪(ユーベル)の表面化を促し、そして今、彼の胸に巣食うのは全てを壊せと絶叫する破滅的な衝動だけだった。
 紡がれた言の葉を耳にしただけ。そのはずが、カケルとシェーネは己の死を連想した。突如として己の背筋を舐める悪寒。万物も、万人も、万象も、遍く全てを須らく滅ぼさなければならない。人の子では到底抱えきれぬ黒々とした願望――呪いが、今ここで変革を齎した者(カケル)変革を齎された者(シェーネ)を矛先に収束。
 切り裂かれた薄皮から滲み出るように、其は顕現した。

邪悪の樹(クリフォト)の主であるこの邪心(ユーベル)に! 良いだろう。その愚かさ嘲笑ってやる! 故に――」

 赤い、紅い、魔力によって構成された霧状の物質――否、破滅。滅びという概念が物質という形を取った異様な霧が、皮膚から滲み出て聖剣の進行を押し留める。
 意図的に奇跡を起こすというとんでもない効力を持つ聖祝(セイクリッドワード)ではあるが、例え如何な奇跡が起きようと敵うはずのない絶望を前にしていったいどれほどの力を発揮出来よう。
 深紅の霧は纏わり付くように聖剣を、その刀身を彩る眩い光を侵食していく。バチバチと、破ぜる雷鳴の異音がカケルとシェーネの鼓膜を打った。
 聖剣を振り抜かんとした体勢のまま固まる二人の表情が、凍り付く。左右の手に持った得物を――そこかしこに亀裂が入った直剣と短槍を構える童子。彼は怪物と呼ぶに相応しい歪な笑みを浮かべて、二人へと告げた。

「絶望しな! それがてめぇらが辿るべき当然の帰結なんだからよぉ……!」

 直後、中空を駆ける閃光。紅い煌めきが視界の中を埋め尽くした。紅の霧が変容する。姿を変えた紅は針となり、棘となり、シェーネとカケルの身を貫かんと蠢いた。迫る深紅の茨を退けようと咄嗟の判断で身を捩る二人だったが、茨を躱すことに成功しようと続く蹴撃には反応出来なかった。
 腹部への衝撃と共に二度響いた打撃音。跳躍と共に放たれたユーベルの右足での蹴りが先ずシェーネの腹を穿ち、次に軸足を右足へと変えた左回し蹴りがカケルの頭を打った。
 あまりの衝撃に大きく後方へ吹っ飛んだ二人は、飛来の途中上空へ立ち上る幾多もの紅い煌めきを視界に収める。まるで星久の如くに紅の空を彩る煌めき――鮮血の色合いをした魔弾の群の中心には、空へと浮遊した灰髪の少年の姿があった。
 掛け声もなく、少年の腕の一振りを合図に射出される魔弾の雨。大地に聖剣を突き刺すことで無理矢理蹴撃の衝撃を殺した二人は、降り注ぐ破滅の魔弾を持ち前の運動神経を総動員して弾き、躱し、切り裂き、時に反応が遅れて危うく直撃しそうになりつつも、正に死に物狂いといった必死さで耐え抜こうとした。
 だが、災いを前にして、二人の奮闘は所詮空しい抵抗でしかなかったのだろう。中空に陣取り、飛び交う魔弾の行く先を指揮していたユーベル。彼の姿が忽然と掻き消える。
 転移魔導か――消失のからくりに思考を巡らそうとした直後、紅い煌めきが視界の端を過り、全方位から衝撃。肋、米神、下腹部、脹ら脛、項。続けざまに与えられた激痛がユーベルの拳撃により与えられたものだと察したのは、全てが終わってからのことだった。
 一瞬、遠退く意識。地面へと倒れ込む。暗闇に落ち掛けた意識をしかしシェーネは必死な思いで繋ぎ止めた。だが、意識を保ったとしても状況は変わらない。反抗することも許されず、気付けば地に倒れ伏していた我が身。
 今の一瞬で、果たして何が起こったと言うのか。訳もわからず困惑しかけた思考が、次の瞬間真っ白に染まった。
 背後から聞こえる、荒い呼吸音。恐る恐るといった様子で振り返ったシェーネの視界の中に、つい数瞬前まで己と肩を並べて戦っていた男の姿が入る。
 左腕が捥がれ、全身が傷付き、両足が折られたカケルの――腹部を短槍の残骸で貫かれた、密かに慕っていた想い人の死に体の姿が。

「カケル、さん……?」

 呆然と呟かれた言葉に、返される言葉はない。まだ息はある。荒く、か細い呼吸ではあるが、生命の脈動は確かにカケルの肉体に刻まれていた。
 だが、死に体。早く治療しなければ命が危うい。そんな重症だ。まして、こうまでカケルを無惨な目に合わせた少年には、理不尽な力が――万物へ破滅を及ぼす超常の力が宿っている。
 ただの治癒魔導では治らないかもしれない。それこそ禁呪の域に足を踏み入れた術法でなければ――そう考えて、シェーネは首を振る。いや、問題なのはそれだけではない。治療のためには、何はともあれ目前の脅威を退ける必要があって。

「そんな……」

 その脅威が、未だシェーネの目前に然したる傷もなく平然とした様子で佇んでいるのだ。これでは治癒すらままならない。歪な弧を描く少年の口端。無力な獲物を甚振る捕食者の笑みだ。このような笑みを浮かべる相手が、果たして悠長に治癒魔導を行使する暇など与えてくれるものか。
 知らず、倒れ伏すままのカケルの前で片膝を付き立ち上がらんとしていたシェーネだったが、それ以上の力が入らず立ち上がれない。震えるばかりの足を忌々しく思う余裕もないまま、シェーネはただ呆然と見上げた先にいる其を――あまりにも惨たらしい有り様の、化け物の姿を見た。
 醜悪。悪辣。極悪。如何な言葉を用いようと、この怪物が秘める底知れない悪意を表現するには不足してしまうだろう。思わずそう考えてしまうほどに邪な笑みを浮かべる少年が、そこにはいたのだ。
 響き渡るのは嘲笑。祈りもなく、ただ呪え。シェーネは理解した。今の今まで感じたことがなかった訳では当然ないが、彼女の胸中を染め上げた其は今まで体験した何よりもおぞましく、救いようがない――

「随分と呆気ねぇな……ええ、カケルって言ったか? 無様な姿だなぁ。格好付けて駆け付けたは良いが、女の一人も守れずに地に伏せ、そして今、守ろうとしたその女に守られている。情けねぇ。脆弱が過ぎるぞ? 笑える。本当に嗤えるよお前、とんだピエロだなぁ、おい! カケル――いや、イェソドぉ! みっともねぇ! みっともねぇったらありゃしねぇよお前! ざまぁみろ! これが報いだ! あひ、いひひ!」

 絶望。理不尽極まる底無しの暗闇だった。



 何事にも対を成すものが存在する。故に、世界は形を与えたのだ。本来不定形の事象であるべき黄昏よりも紅き空(ディープスカーレット)へ、最たる異分子である生命の樹(セフィロト)の断片の使役者達にとっての対極を――邪悪の樹(クリフォト)としての形を。
 故に、与えられた名は邪悪(ユーベル)黄昏よりも紅き空(ディープスカーレット)として世界を滅ぼす彼に、あるいは邪悪の樹(クリフォト)として生命の樹(セフィロト)の担い手達を貪り食らう彼にとって、これ以上に相応しい名はないのではないだろうか。
 人で在りたいと彼は願い続けた。だが、人の身では身に余る業を、その力を、いったいどうして人のまま抑し切れると言うのだろう。
 そのような代物を支配出来るのは、きっと人を超越せしめた神か、あるいは――

「ゲシュペンストの屑共は玩具に夢中なようで……この様子なら順当に、イェソドを掠め取る(・・・・)ことが出来そうですなぁ。しかしやはり、貴方と言う人は恐ろしい……リスクを承知とは言え、どうしてそうまで無謀な試みに手を出せるのか。私には到底理解出来ませんよ。これも偏に執念故、なのでしょうか」

「執念、か。そうとも言えるだろう……けどね、()はあえてこう言いたい」

 どれほどに凄惨な地獄であろうと嗤うことが出来る、悪魔的な破綻者だけなのだろう。
 にこにこと、けたけたと、其は嗤った。栗毛を一つに結った少女――その頭部を、まるで杯のように暗闇へと掲げて。

「その先にきっと、僕が僕であった証明があると信じているから……そのためなら無謀だろうと、禁忌だろうと、どれだけ愚かしい道であれ突き進んでやるさ。僕が僕であるが故に……いや、僕達(・・)僕達(・・)であるが故に」

「……亡霊の怨恨を一身に背負うその在り方、やはりおぞましいとしか言いようがないですな。だからこそ、私は貴方に付いていくと決めたのですが」

「くくっ、ワクワクしてるのかい? 君も相当な破綻者だからね。まあ、今はまだ雌伏の時だ。息を潜めて堅実に備えていこうか。アダムとイヴを――身勝手な男女共を吊し上げるその日のために、ね」

 言って、生首から滴り落ちる鮮血を、至上の美酒であるかのように舐め取る男。中性的な顔立ちに浮かべられるのは狂気の笑み。付き従うように男の背後へ佇む者の顔にも、また同様の笑みが刻まれている。
 悪霊どもが狂笑を響かせた。けたけたと、にこにこと、それはどことも知れない暗闇での一幕。誰も知り得ぬ悪意の一端。

「僕は決して、許さないよ……(カミ)も、クロミヤも、ヘレファベルも、この世に生きとし生ける者の全てを、絶対に」

 なればこそ、彼はどこまでも邪悪であれた。








「はぁっ、はぁっ……逃げてくれ。君だけは、絶対に」

 執拗なまでに痛め付けられた身体。明瞭としない曖昧な意識で、カケルは焼けたように熱い喉を震わした。
 喉だけではない。全身が燃え滾るような熱さ――痛みを訴えている。ともすれば泡沫の如くに掻き消えそうな朧気な認識。蝋燭の灯火のように揺れる意識を繋ぎ止めることが出来ているのは、偏に目前の少女へ向ける想い故だろうか。
 今になって思う。逃げるべきだったのだ。敵う訳がなかったのだと。だが、いくら後悔を重ねようと全て今更のことだ。
 だから、今すべきは過去を悔やむことではなく、未来を繋ぐことだ。そう考えて、カケルは一つ決心する。最早この身は助からない。だから、せめて君だけはと――

「それでは、カケルさんが……!」

 涙ながらに訴える愛しい人の嘆願。出来るならカケル自身、生きたいと思う。生きてまた貴方と笑い合いたいんだと、そうシェーネへと告げたかったのだろう。
 鈍る決心。射疎む心。最早ピクリとも動かない足を――動かないはずの身体を、イェソドに秘められた望むがままに世界の基盤へ干渉すると言う規格外の力で立ち上がらせたカケルは、それでも、と返した。

「俺は、貴方に生きていて欲しいんだ……! シェーネさん、貴方は逃げろ! 隠れ家にはノゾミもいる。彼女を連れてこいつから逃げてくれ!」

 シェーネにとって、それは受け入れがたい要求であった。今の今まで歴代の勇者を見殺しにしてきた己が、ようやく救えた勇者――それがカケルであるのだ。
 カケルがシェーネに救われたように、シェーネもまたカケルに救われていた。いつの日にか「貴方のおかげだ」と感謝の笑みを浮かべたカケルの姿に、どれだけ我が身を苛み呑み込まんとする罪悪感が拭われたのか、きっと彼は知らないのだろう。
 それなのに、何故今になって再び見捨てるという選択肢を突き付けるのか。敵前でありながら思わず流れ出た涙。情けない己の有り様を自覚しながらも、シェーネは次々と溢れ出て滴り落ちる雫を止めることなど出来なかった。

「さあ、早く! イェソドで死を遠ざけられる時間もそう長くはない。どの道俺はここで死ぬ――なら、せめて貴方が逃げる時間ぐらいは稼いでみせる! 貴方は生きて、繋ぐんだよ! 明日への希望を、望みを! だから――!」

 無情な咆哮。怒鳴るように告げられたカケルの思いが、紅い空に響き渡る。やがて問答を終えた二人。押し負けたのはシェーネであった。
 冷めた眼差しでシェーネとカケルのやり取りを眺めていたユーベルは、一人残ったカケルへと問い掛ける。

「死が恐ろしくはないのか」と。突如投げ掛けられた問いに、カケルは毅然と返した。滅び行く魂を自覚しながら、その果ての末路を理解しながら。

「怖くない訳がない。だからこうやって、震えている。それでも――」

 紅に染まった空へ、聖剣を翳せ。決して届かぬ破滅の顕現に向け、カケルは再び闘志を滾らせる。
 片方だけとなった右腕で、強く聖剣を握り締めて――

「守りたい人のためなら」

 再び言おう、彼はこの日、ノゾミの目前から――そして同様に、シェーネの目前から姿を消す。だが、そう、姿を消すだけだ。死ぬ訳ではない。しかし果たして、彼へ与えられるのが死ではないとするなら、それはいったい如何な未来なのだろう。
 嗤う。笑う。悪魔が嗤う。ナルシスはイェソドの確保に失敗し、邪悪は獲物を仕損じた。不埒な介入――悪魔の介在を受けて。

 失われたものは数多く、しかして表舞台で語られることはない悲劇。真実は蠢く悪意に呑まれ、誰も知り得ぬうちに闇の中へ沈んだ。

 朽ち絶えたはずの意識が浮上。有り得るはずのない出来事に困惑するカケルは、反抗空しくあまりにも呆気なく紅の脅威に呑まれた最期の瞬間の光景が夢か何かであったのかと疑念を抱き――直後に、目を見開いた。
 光差さぬ暗闇の中で、十字架に括り付けられた己の肉体。その周辺には不気味な輝きを放つ狂気的な幾何学模様。そして目前には、にこにこにこにこと底知れない笑みを浮かべる、とてもおぞましい何かの姿。
 其は、悪魔。歌うように、悪魔は騙った。呪いの祈言を、祝福の呪詛を。
 ここに、再三記す。先代勇者カケル・カラマの末路を知る者は――

「吊し上げろ」「吊し上げろ」
「身勝手な男女共を」「傲慢なる(カミ)を」

「断頭台へと吊し上げろ……僕は亡霊。悪魔の代替。やあ、カケルくん、初めましてだよね? 早速で悪いけど、すこぉし痛い思いをしてもらうよ。なぁに、生きたまま魂が解体されるだけさ。然したる痛みじゃあない……当然耐えてくれるんだろう? だって、君達が僕達に与えた苦痛は――もっと凄まじいものだったんだから」

 生者は、誰もいない。
明日改めて見直し、修正します。話が膨れすぎた……ただひたすら眠たいです。冒頭に関してはとりあえず明言はしてないし(まだ)アウトではないと信じているとか言ってみたり。

セーフ、ですよね……?

『活動報告より転載。恒例のやっつけ予告』

 役者は揃い、舞台が整う。後は歯車を進めるだけ。
 悪魔の目論見通りに彼の暴君ユーベルに近しい存在へと魂を昇華した少女は、その過程でユーベルが身に宿す歪な在り方の根源を見た。
 溢れ返る怨恨に覆われた世界。紅の空に聳え立つ悪しき大樹に呑まれた少年を孤独に見守るもう一人の彼。
 ――もう彼を苦しませないでくれ。そう願った少年の目の前で、黒髪の少年は今尚己が背負う業にもがき苦しんでいた。

 問い掛けてくれ。問い掛けてくれ。少年は問う。何度も何度も、己が生まれた意義を、自身が生きた証明の在処を。
 忘れないでくれ。忘れないでくれ。少年は願う。幾度も幾度も、失った自己の在り方を、忘却の彼方へ消えていった祈りを。

 ――だが、彼に与えられたのは呪い。暴君足れと絶叫を上げるおぞましい亡者の願いだ。故に彼は惑わない。問い掛けの意味を忘れ、かつて胸に抱いた祈りが消え失せていたのだとしても、彼の歩みに迷いはない。
 故に、其は必然。

「うぅん、私は大丈夫。それよりお兄ちゃんは大丈夫なの?」
「ユーベルさん、何と言うか……彼女が来てから変わりましたよね。良い変化なのか悪い変化なのかはわからないですけど、私は今のユーベルさんの方が――」
「あ、ユーベル、ちょっと待って、ごめん。悪かった。私が悪かったわ。ロリコンなんて言ってごめんなさい。でも、貴方も悪いのよ? だってそりゃあ、普段はアレな貴方が彼女にだけ特別優しい態度を取るんだから、ロリコンだと思うのも仕方がな――いたたたたぁ!? ちょっと、ユーベル! ごめんなさい! 止めてよ! 止めてってばぁ!?」
「貴方にとって彼女がどれだけ大切な存在なのか、その事を問う気はないわ……けれどユーベル、覚えていて。私はギルドの長として、いざという時があれば貴方達との敵対すら辞さないつもりよ。勿論そうなりたくはないけれど、だからこそ口酸っぱく言わせてもらうわ。彼女の――シュテルプリヒの監視は、厳重にお願いね」

 変わり行く暴君は、己の身を囲う者達に何を見出だすのだろう。平穏か、安寧か、あるいは幸福か。かつて分不相応の願いだと切り捨てた願望の成就に、しかし彼は何一つの感動を抱くこともなく。

「奴は――亡霊は、ボクの手で滅ぼした。禁呪使用の一切を封じて、ありとあらゆる反抗手段、逃げ道を潰した上でね。だから、そうまで疑う必要はないのさ。そうだろう? それなのに、どうして君はあいつの死を疑う。ボクが信用ならないからかい?」
「そちらにとっても、悪い話ではないと思うのだがね。奴は、愚かにも自身の性質を否定した結果、本来秘めていた力の過半を失っている……故に、今の奴になら貴方でも勝機があるのだよ。その上で、再三お願いしてみようか。シェーネフラウ・ハイリゲ――聖剣狩りの聖女と唄われる貴方に、我々ゲシュペンストは彼の悪名高き災厄のユーベル……クリフォトの襲撃を依頼する。報酬は、そうだな……消息が途絶えたカケル・カラマの居所、というのはどうかな?」
「ノゾミさん、教会で少しいざこざがあって、しばらく貴方と通信出来ない状況になります。私の目がないからってあまり羽目を外さないでくださいね?」
「貴方、どこかで会ったことある? 何か、貴方を見てるとね。胸がこう、燃え滾るように熱くなってくるの……!」

 加速する物語の中で、必然の邂逅は果たされる。

「貴方が、災厄のユーベル……」

 そして同様に、必然の対決もまた。

「大義を掲げる積もりはありません。これは私怨によって行われる醜い行いなのですから。ですが、私に止まる気はない……貴方にはここで死んでもらいます――――災厄のユーベル!」

 相成すは原作においてセフィロトの器となる資格を持つ聖女と、クリフォトの残骸を身に宿す虚偽の暴君。破滅へ向かい秒針を刻む世界を、暗黒の中に潜む悪魔は嗤った。

「これより舞台は開幕を成す。見誤るなよ――最後に嗤うのは僕達だ」

 『暴君ユーベル迷いナく.』第四章――仕組まれたアディシェス、開幕。

「俺は暴君、災厄のユーベル……だから、だから――砕け砕け砕けえええ! 俺はオレだ! 俺は此処にいる! 殺してやるよ。歯向かうのなら何もかも! いひっ、そうだ。俺は、オレは――――?」

 問い掛けの答えは、気付けば狂気に蝕まれていた。
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