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暴君ユーベル迷いナく. 作者:霧山病

第三章[誰が為のシェリダー]

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3-12/誰が為に拒むのか

遅れてすいません。お詫びという訳ではありませんが、今回はサービスでハートフルないちゃいちゃ回にしました。これで荒ぶる心を落ち着かせていただければサイワイデス。
 至るところに大穴が空いた壁。亀裂だらけで今にも崩れ落ちそうな天井。何らかの魔導で保護されていたのだろう。ユーベルが災厄と呼ばれる所以である超常の力が行使されたにも関わらず、たったそれだけの損傷で済んでいる地下室。その床一面に散乱するのは異臭を漂わせる血みどろだった。
 まるで焼け焦げた腐肉を密封したかのような臭いがユーベルの鼻孔を刺激する。暗闇の中であって一寸の陰りもなく室内の光景を映す彼の常人離れした知覚は、似通った造形の死肉達が死してなお独りでに蠢く冒涜的な異様の中でありながらも不思議なほどに落ち着いた様子の少女を――シュテルプリヒの模造品(レプリカ)の姿を確りと捉えていた。
 ユーベルの視線の先で、潤みで濡れた幼い唇が動く。

「どうしたの、お兄ちゃん。私を殺さないの?」

 響いたのは感情の起伏の一切がない、あまりにも無機質な、生者らしさの欠けた死人の如き声だった。
 模造品(シュテルプリヒ)はトイフェルが自己蘇生するために必要な贄だ。故に言ってしまえば、彼女が生存している限りトイフェルはいつでも五体満足で甦る可能性がある。
 無視出来ない危険性。見過ごし難い懸念。それを払拭するのは容易だ。殺せば良い。禁呪の苗床に成り得るシュテルプリヒを消せば、奴はもう甦らない。だから殺す。殺さなければならない。ユーベルの胸中に芽生えたのは呪いじみた強迫観念だ。
 しかし、どうしてだろう。ユーベルは抗い難い強迫観念に駆られながらも、シュテルプリヒを己の手で殺める光景を想像すると寒気を感じずにはいられなかった。
 まるで防寒具もなしに極寒の雪山の中にいるかのような寒気。それは恐怖だった。何故だ。ユーベルは自問する。所詮紛い物だ。殺すことに躊躇う必要はない。同じなのは外面だけで、中身は別物。今目の前にいる彼女は外道の術法をもって作られた贋作でしかない。そのはずなのに、どうして己の手は動かない?

「……」

 内面の戸惑いをひた隠し、歯痒げに奥歯を噛み締めながらも鋭い眼光を維持して沈黙するユーベル。わざわざトイフェルが復活するまで待ってやる義理はない。最後の模造品(レプリカ)を殺せば、それで今回の騒動は一先ず解決だ。
 だから動け。動いてくれ、動かないと――身体を震わせんとする得体の知れない怖じ気を唾棄し、努めて冷酷な態度でユーベルはシュテルプリヒの命を奪おうとする。何の情動があってか、やけに緩慢な動作で伸ばされた腕。強く強く握り締められた拳の先にいる模造品(シュテルプリヒ)は、ああしかしどうしてか。

「……っ」

 笑っていた。シュテルプリヒはユーベルの葛藤を見透かしてか、そうでないのか。灯り一つない暗闇の中で、退廃的でありながらも沈み行く朧月のように儚げな微笑みを浮かべていた。思わずユーベルは己の目を疑う。しかしそれも仕方ないだろう。この異様な事態の只中であってシュテルプリヒは、血に飢えた獣のような恐ろしい眼差しで自身を睨み付けるユーベルをいっそ慈しむように見返していたのだから。
 破滅の権化足る紅い煌めきが迸ることもなく、ユーベルの右手が力なく下ろされていく。その樣を見て、シュテルプリヒはよりいっそう笑みを儚げなものにした。

「ねぇ、お兄ちゃん。敵は殺さないとダメなんだよね? 早くしないと、またあいつが復活するよ? 私の胎を食い破って、贋作の魂を苗床に、紛い物の肉体を得て」

 まるでそうしろと催促するように囁いたシュテルプリヒ。彼女の瞳はあまりにもこの場に、この状況に似つかわしくない柔和な灯火を秘めている。
 一切の邪気が感じられないシュテルプリヒの瞳は、暗闇の中で真っ直ぐとユーベルへ向けられていた。ユーベルはふと気付き、目を瞬かせた。中空で交差する互いの視線。彼女の瞳に映っていたのは世に暴君と恐れられる化け物の姿ではなく、表情を引き攣らせて怯むように一歩後ずさったみっともない半端者の姿だった。彼の鋭敏な知覚は彼女の瞳に映る自身が狼狽えも隠せず瞳を泳がせる様をはっきりと捉える。
 不様な姿だった。情けない姿だった。血が流れることも厭わず、ユーベルは強く唇を噛み締めた。紛い物(シュテルプリヒ)を殺戮せんとして一度は伸ばされた右手が、反射的に胸元まで持ち上げられて拳を形作り、閉じたり開いたりと忙しなく開閉されはじめる。
 鈍痛。激痛。苦痛。その時ユーベルが感じたのは途方もない痛みだ。傷一つありはしないのに、熱した鉄の棒を体の至る所に押し当てられるかのような激痛がユーベルを苛んだ。
 勿論、錯覚だ。ユーベルはそうと断じていた。己の心が脆弱であるが故に起こる幻痛だと信じていた。ああ、確かにそうとも言えるだろう。そうと言えなくもないのかもしれない。しかし同時に、彼を苛む痛みは錯覚ではない本物とも言えた。度々ユーベルの身に振り掛かる突発的な激痛。それは肉体的損傷に関わらず押し寄せる痛み。彼の磨耗した精神が引き起こした歪みの代償。

 六年前、セントラルタウンへ来訪して間もない彼が自分自身へと行った忌み嫌われし所業――禁呪が術法の一つ、洗脳魔導パラダイスシフトによる自己洗脳によって植え付けられた魂の歪みが悲鳴を上げ、苦痛という形でユーベルを苛んでいるのだ。
 魂の歪曲は、時に生きたまま舌を抜き取られるよりもなお惨たらしい痛みを齎す場合がある。自身を構成するありとあらゆる情報の集合体。それが磨耗し傷付けられると言うのだから、それも必然だろう。
 ユーベルはそんな所業を、よりにもよって己が手で自分自身へと行っていた。そうに至る経緯は最早彼自身が知るところではない。再三言おう。何故ならユーベルはパラダイスシフトによって、自分自身を今の暴君(かたち)へと作り替えたのだから。
 記憶をねじ曲げ、在り方を砕き、己の魂を歪めて――故に、当の本人であるユーベルは過去に行ったその所業を、記憶することすら出来てはいなかった。

「そうだ、俺は暴君。災厄のユーベル。だから――」

 だから、彼は知らないのだ。彼自身の高い対魔導抵抗力が災いしたのか。精神的苦悶に刺激される度、歪みに抗い本来の在り方に戻ろうとする魂。正常な形へと戻らんとするそれを無理矢理に暴君として仕立てあげようとするパラダイスシフトが殊更歪みを広げ、その結果負荷の掛かった魂がユーベルへと更なる苦悶を、苦痛を訴えているなどということは、彼自身知りもしないことなのだ。
 故に痛みを幻痛だと断じる。己の脆弱さからくるまやかしだとして切り捨てる。暴君に弱さなど不要だと、そうやって苦しみ喘ぐ本心を見ない振りする。
 しかし当の本人ですら自覚の外へ追いやっている痛みに、気付いた者が一人。シュテルプリヒだ。彼女は逃げるように後退るユーベルに対し、まるで嘆くかのように言葉を投げ掛けた。

「……辛そうだね、お兄ちゃん。」

 目の焦点を失い、顔を青ざめさせながらも、己は暴君であると自らに言い聞かせる樣の何と痛ましいことか。これが何人も届かぬ超常の力を持った代価だとでも言うのだろうか。数多の種族が生息し、多くの勢力が群雄を割拠するこの大陸において並ぶ者なしとまで言われる最強の者は、しかし同時に誰よりも歪な在り方をした破綻者だった。
 揺れる。偽りの殺意は狼狽えに変わり、不動の立ち姿は目前の少女に怯え、後ずさったことで不動ではなくなった。今の彼の有り様はまるで悪夢に怯える童子の如くだ。その恐怖は暗闇の中で、血肉に塗れながらもなお微笑む紛い物の少女――シュテルプリヒに向けられていた。

「相変わらず、苦しんでるんだね……自我をなくした人形(わたし)を見殺しにすることは出来たけど、意思のある模造品(わたし)は殺せないんだね。正直、思い悩んでくれるのは、何というか、ちょっと――いやかなり、嬉しいけど……」

 シュテルプリヒはそこかしこに四散した血みどろで出来た真っ赤な水溜まりの上で、内股気味に座り込んでいた。必然、二本の足で立っているユーベルを見上げる形となる。
 上目遣いで己を見詰める鳶色の瞳。ユーベルは自身へ向けられる眼差しが朧気な記憶にある本物(シュテルプリヒ)とも、トイフェルの傀儡と化したヴィントの手で殺された死人(シュテルプリヒ)とも様子が違うことに戸惑いを覚えた。
 この少女は己が知っているシュテルプリヒではない。やはり紛い物だ。認識を強め、そう胸中で吐き捨てるユーベルだったが、どうしてか後退を続ける足を止めることは出来ない。
 膝はガクガクと、怯えを隠せずにみっともなく震えている。必死に収めようとはするものの震えは止まらない。よりいっそう強まるばかりだった。
 シュテルプリヒは、情けない姿を晒すユーベルをへどろを掻き混ぜたかのような混沌とした眼差しで見詰めた。まるでこの世の闇を煮詰めたかのような暗い瞳だった。だが、そこには確かにユーベルを慈しむ暖かな情動が介在していた。
 ユーベルにとっては、その瞳こそが何よりも恐ろしいものに感じられた。かつてこれほどまでの恐怖を抱いたことがあっただろうか。トイフェルが伏せ持つ得体の知れない不気味さより、ユーベルは少女から感じる理解が及ばない温もりを――自身へ向けられる愛情にも似た何かを、恐れずにはいられなかった。

「はっ、何を寝言を……俺は殺す。お前も殺す。ガキの時分の妹分だからどうしたって言うんだよ。死人は死人だ。だから、そうだ、てめぇはシュテルプリヒじゃない。今わかった。確信した。なら、殺せない訳がねぇ……!」

 強がりだったのか。露悪的に吐き出された言葉は、しかし少女を怯ませるどころかよりいっそう喜ばせた。
 儚い笑みが、恍惚に塗れる。ユーベルの放った言葉のどこが琴線に触れたのか。病的なほどに青白い死人の如き素肌を火照りで赤に染め、シュテルプリヒは身悶えるように血溜まりへ沈む股をモジモジと擦り合わせる。

「ねぇ、お兄ちゃん……気付いてる? 自分の言葉が矛盾してるって……」

 首を傾け、僅かに顔を逸らしつつ、座り込んだまま横目でユーベルを流し見るシュテルプリヒ。幼い身形でありながら沸き上がる熱情に身を捩らす少女の姿は、ユーベルが知らない彼女の()としての側面を十分に現していた。
 返される言葉はあまりにか細く、「な、にを」と呟いたユーベルの声は、彼の表情と同じぐらいに不様に引き攣ったものだった。
 それに対してシュテルプリヒが浮かべるのは、相変わらずの微笑み。ユーベルがかつて己の安寧の象徴として神聖視すらしていた姉妹。模造品(シュテルプリヒ)はその片割れと同じ顔でありながら、屈託のない向日葵の如き彼女の笑みとは違う、屈折し廃れながらも儚げな笑みで言った。

「殺せるなら、お兄ちゃんはきっとそうする。わたし、知ってるんだよ? 色々教えられた……んーん、刻み付けられたから、ね」

 そう言って、シュテルプリヒは暗闇の中に散乱する血や肉を――己と姿を同じくする紛い物の自分を、かつて己等の本物と辺境の片田舎で暮らしていた村人達の紛い物を、隠しきれない憐憫を秘めた眼差しで眺めた。

「刻み付けられた……?」

「記憶の移植だよ。わたしは……わたし達は、さ。あの男に生み出された紛い物。それは事実。それだけは変えようのない不変の現実なの。でも、ね、わたし達には本物(オリジナル)と同じ記憶と、本物(オリジナル)ですら知らないお兄ちゃんのことが知識として植え付けられていた」

 ユーベルはシュテルプリヒの独白を聞きながら、かつての安寧の日々を思い出した。いや、正しくは思い出そうとした、と言った方が適切か。
 エルンストの領を抜け、命辛々ホーゼ領へと辿り着いた直後だった。その頃にもなれば、最早ユーベルに己が手を血で染める事に躊躇いなどなかった。しかしそれでも自覚はあった。戦うたびに死んでいく己の心。胸中に黒々とした憎しみが芽生えて、おぞましき衝動が五体を駆ける感覚。
 まるで自分自身が全く違う別のモノへと作り替えられるような不快感。胸の奥底から沸き上がる途方もない情動に苛まれながらも戦って、闘って、終わることのない闘争の日々を繰り返していた。孤独であった。だからこそ誰かに助けてほしかった。誰でも良いから手を差し伸べてほしかった。だけど誰も助けてはくれない。差し伸ばされた手の平には、いつも醜い凶器が隠されていた。
 誰も彼もが己を恨む。「この化け物が」と、死に瀕してなお己を呪った。そのたびに肥大する衝動。暗闇に呑まれていく自己。
 万人の悪意に晒された。その尽くを受け止めた。いつからか真実己が化け物ではないのかと不安に思うようになった。どうしてか己は人ではないのではないかと、そうやって自己の在り方を疑うようになって――

 そんな時に、ユーベルはあの少女と出会った。

 ――あのっ、大丈夫!? どこか痛いのっ? うわっ、何これ。すごい血じゃない! ちょっと待っててっ。今おとーさん達を呼んでくるから――
 ――ねぇキミ、どこ行くの!? 待ってよっ、ねぇ! ねぇったら――
 ――もー、何でまた逃げようとするの!? キミ、そんなボロボロのまま外に出るのは危ないよ! しばらくは安静にしなきゃいけないってお父さんも言ってたんだよ!? だからキミは、これから私達と――

 確かにあったはずの情景が、どうしてもユーベルには思い出せなかった。妹が向日葵のように笑っていたとするなら、姉の方はさながら太陽の如く燦々と輝く眩しいほどの笑顔をしていた。
 あの少女に出会い、己は救われた。あの時はじめて、己はありのままの己でいられた。似合わない笑顔なんて浮かべて、下らないことで一喜一憂して、野生の魔物から襲撃があった日になんて、誰よりも率先して村の防衛に乗り出した。
 危なげなく魔物を撃退したはずが、村の大人から「子供が無茶をするな」と叱られ、栗毛の姉妹に「心配したんだよ」と涙を流され、その反応をユーベルは鬱陶しく思いながらも、どこかこそばゆく感じてしまっていて――
 曖昧な情景。朧気な記憶。その結末はいつだって深淵の如き色合いを湛えた暗黒の炎と、焼け野原となった廃村へ転がった愛しい少女の生首の姿で締め括られる。
 パラダイスシフトであっても取り除けなかったあまりにも凄惨な光景。安寧の幕を引いた惨劇は、自己洗脳により頑固たる自己を形成し痛みを切り捨てたはずのユーベルへといつだって凄まじい苦悶を齎していた。

「苦しかったんだよ? 記憶も姿も、何もかも偽物。わたし達がわたし達である証明が何一つないの……自分が本物(オリジナル)だって思い込もうとしても、知るはずもないお兄ちゃんに関する記録が、知識が……わたし達に本物(オリジナル)であると思い込ませることすら許さなかった。それで、あいつは、さ……そんなわたし達に痛みを与えた。痛みしか与えなかった」

 どこか陰鬱さを増した表情で、シュテルプリヒはそう呟いた。微笑みを浮かべながらも、彼女の表情には確かな恐怖が垣間見えた。
 確かに、自身が自身であると証明出来ないのはとても辛いことだろう。彼は知っている。その痛みを、苦しみを、何故なら己もまたそうであった(・・・・・・)のだから、わからないはずがない。共感できない訳がない。
 ユーベルの胸中に入り乱れたのは親近感と罪悪感だった。真っ当な人間であれば彼女の過酷な境遇に憤りを抱くべきはずが、嘆くべきはずが、ユーベルはそんなことは関係なしによりいっそう目前の彼女を殺しにくくなったことを――情を抱いてしまったことを、自覚する。
 自身の胸に芽生えた醜い情動に慄き、また一歩後ずさったユーベル。醜悪な内面を悟られたくない一心での後退であった。
 ユーベルの挙動不審な様子に気付きながらも指摘することはせず、シュテルプリヒは言葉を続ける。

「みぃんな、すぐ壊れちゃった……当たり前よね。体感的にはつい昨日まで何の変哲もない村人だったわたし達が、よくわかんないうちに死肉の人形になっていて、何もわからないままに魔物に犯されたり、隣人に殺されたり、自分自身に胎を抉り取られたりするんだから……」

 自虐するように語ったシュテルプリヒは、直後に慌てたような口振りで付け加えた。身振り手振りを交えて行われた弁明は、ユーベルの顔からなおのこと血の気を引かせる。

「あ、でも、魔物に犯されたって言っても私はその、清い体のままだよ? 何を思ってかはわからないんだけどね、本物(オリジナル)が同じの個体(・・)は記憶が共有されるように作られていてね。だから、犯された記憶はあってもわたし自身はあの、うん……しょ、処女のままなの」

 そう言って、無理に明るく笑おうとするシュテルプリヒ。彼女は冗談めかした口振りで「ごほん」と咳払いをしてから、僅かに視線を落とした。俯き加減でユーベルに向けられる眼差しが沈痛に淀む。

「まあ、ともかく……辛くて、苦しくて、痛くて、本当にさ、毎日死にたい死にたいーって皆して泣き合ったりしてたの。だから、さ」

 しかし暗闇を映すシュテルプリヒの瞳は、束の間に月光の如く儚くも壮観な光を灯した。
 思い返すのは自身(だれか)の記憶。模造品(シュテルプリヒ)であって(シュテルプリヒ)ではない、姿形を同じくする別の誰か(シュテルプリヒ)の記憶。

「嬉しかったんだ。だってわたし達にはわかったんだもん。お兄ちゃん、あのヴィントって人にわたし達の一人が殺された時、本気で怒ってたじゃない? さっきもさ、あいつがわたし達を贄にする度に苦しそうな顔をして……それに今だって、紛い物に過ぎない模造品(わたし)のために、こんなにも嘆いてくれるんだから」

「嘆いて、いる……この、俺が?」

 その眼差しを、どうして振り切ることが出来ようか。目を逸らすことが出来ようか。
 掠れた声で問い返すユーベル。内心を悟られまいと意図して声の起伏を抑えた彼の言葉は、しかし隠しきれない情動に震えて引き攣ったものだった。
 自己を喪失する恐怖。それはユーベルも理解できる代物であった。故に共感は容易い。シュテルプリヒの苦しみをユーベルは連想し、一方的な親近感を抱いていた。
 こんなにもシュテルプリヒは傷付いていた。話を聞くだけで彼女の――否、彼女達の生い立ちの悲惨さが手に取るようにわかる。再開へ喜びを抱く前に今に至るまで彼女達の存在に気付けなかった自身の愚鈍さを責め立てるべきはずだと思ってはいるのに、ユーベルはどうしてか再三高鳴る胸の鼓動を抑えることが出来ない。
 何て己は愚かで、醜悪なのだと、ユーベルは自分自身のあまりもの不甲斐なさにいっそ自決すら考えるほどの後ろめたさを感じる。
 人でもなく化け物でもなく、最早己は暴君にすら成り損なった。そんな自虐が脳内を反響する。だから殺さないといけないのに、ユーベルは鋭敏な知覚の中で、嘲り嗤う誰かの失笑の声を聞いた。
 模造品(シュテルプリヒ)は、そんなユーベルにすら微笑みを向け続ける。あるいはそんなユーベルだからこそ、なのだろうか。

「うん、そう、嘆いてる。嘆いてくれた。それで、苦しんで、痛がって、辛いはずなのに……弱い自分が許せなくて、余計に自分を苛めて、嘆いて……でも、お兄ちゃんがそうやって嘆いてくれるたびに、わたしはわたしという存在をより強く信じられた。悪い子でしょ? わたしはお兄ちゃんが思い悩む姿を見て、ああ、お兄ちゃんが紛い物(わたし)を見てくれている。わたしのために嘆いてくれているって、喜んでたんだ……」

 「だけど」と、シュテルプリヒはそう続けた。ユーベルを見上げる眼差しが縋るような色合いへと変わる。嫌な予感がユーベルの胸を満たした。何かが起こる。何かが変わる。警報を鳴らす危機感。より激しい幻痛でもって警告を成す直感。
 シュテルプリヒは告げる。儚げに笑い、縋るようにユーベルを見詰めながら――
 ハッとして、ユーベルは真上を、いつ崩落してもおかしくはない亀裂だらけの天井を見上げた。脳内に響く警報が爆音を鳴らす。シュテルプリヒの嫌に落ち着いた音色を耳にしながら、ユーベルは天井に入った亀裂から漏れ出るそれを。

「この喜びも、結局は一時のまやかし、泡沫の幻影……ごめんね、私、お兄ちゃんに嘘ついちゃった。あいつは――トイフェルは、もう復活しないよ。だってあいつはもう、目的を達成しているから。それで、ね。お兄ちゃんをここに誘き寄せる役目を果たした私はもう用済み。この身体に刻まれた最後の仕掛け……呪滅魔導ルインプリズンで私の魂はもうすぐ滅ぼされ――」

 地下室への侵略を果たさんとする、豪々と燃え盛る灼熱の業火を見た。亀裂が広がり、紅蓮が吹き出る。直後に大きな爆発音。シュテルプリヒが「る」と言い切るか否かの間に、豪快な音を立てて地下室の天井が崩壊。大穴が空いた。
 反射的にユーベルは及び腰になっていた体躯を動かし、未だ座したままのシュテルプリヒへと駆けよった。口にされた内容に反応を示すこともせず、一も二もなく行った束の間の疾駆が功を成したのだろう。次々と迫り落ちる瓦礫に押し潰されんとしていたシュテルプリヒは、ユーベルが全方位を囲むようにして展開した魔力障壁に守られ傷一つ負いはしなかった。
 一瞬の呆然の後に、己がユーベルに守られたという現状を理解したのだろう。そのことにより強い自己の証明を見出だし、儚げながらも恍惚とした笑みを浮かべたシュテルプリヒ。ユーベルは彼女の様子に目を向けることもせず、紅い輝きを湛える半透明の魔力障壁の、その向こう。熱気を渦巻かせる灼熱の中で、熱風に煽られ翻る白金色の長髪を見た。

「この魔力反応は、まさか――」

 瓦礫と共に、大穴から小柄な人影が地下室へと降りてくる。降り立った人影は着地の直後に、ユーベルをして危機感を感じずにはいられないほどの膨大な魔力反応を立ち上らせた。
 迸りを続ける灼熱。収まるどころか激しさを増す一方のとてつもない熱気。逆巻く紅蓮の中で翻る綺麗なプラチナブロンドを片手で抑えながら、地下室に降り立った乱入者――ギルドマスターは、冷徹な眼差しで周囲を見渡した。
 瓦礫に押し潰された肉塊。死者の怨念でも漂っているのか、どこか淀んだ空気。似たような造形の死体。同じ姿形の死肉。そして、どこか弱々しい様子の愛しい化け物(ユーベル)と、彼に守られる――

 散乱する死肉の中で最も数の多い少女達の成れの果て。名も知らぬ彼女等と同一の容姿を持つ少女。

「遅れたみたいね。トイフェルはどこに――なんて、言うまでもないことかしら……それにしても、何で同じ顔立ちの……禁呪の被験者? だとしたらまさか、魂の同一化? それとも創造? ありえない。そんなこと、ヘレファベルでも……いえ、考えるのは後で良いわ。ご機嫌よう、ユーベルと、腐りかけの肉塊さん?」

 目を細めるギルドマスター。ユーベルは苦虫を纏めて噛み潰したような表情で彼女の光彩異色の瞳を眺めた。ギルドマスターの乱入を想定していなかった訳ではない。事態の根本的な解決を求めてトイフェルを追った彼女の判断は、シャハテル大陸において最大の咎である禁呪が絡む大事を前におかしくはない必然の判断であるのだから。
 ならば今の状況もまた、想定して然るべきものだったのだろうか。刺すような視線でユーベルを――否、その背後に守られるシュテルプリヒを睨み付けるギルドマスターの視線は、三人の元冒険者による傷害事件が起きてから今日に至るまでに捕縛した死者達へ向けていたものと同じく、人間味を感じられないほどにどこまでも冷酷な視線だった。

「早速で悪いのだけど、彼女(それ)を連行させてはもらえないかしら? 彼女はこれからギルドで保護(・・)させていただくわ。未知の禁呪を検証する貴重な被験者(サンプル)だもの。彼女(それ)からトイフェルの目的の一端を聞き出せる可能性もあるし、禁呪の検証が終われば、今度は対抗策を練る必要性もあるし……ね」

 まるで道端に捨て置かれた(ゴミ)でも見るかのような視線でシュテルプリヒを射抜くギルドマスター。彼女は廃品の活用法でも語るかのような無感動な口振りで、こう言った。

「だから、ユーベル――そこを退いてはくれないかしら? まさか、嫌とは言わないわよね?」








 人が営みを育む次元。所謂ところの現世とは次元を隔てた位相――あるいは異相。現世にて消滅を果たした魂が行き着く深海の如き真っ暗闇。まるで不規則な引力に誘われるように行き乱れ漂う魂魄達に囲まれながら、()は自身の目的の達成を確信した。満足感はない。所詮全ては計画のための前座、茶番でしかない。
 故にただ、やり遂げたという認識だけがあった。あるがままの結末を受け入れたのは、まるで虚空の如くがらんどうな心境だった。
 感動も、感慨も、希望も、絶望も、何もない。何もかもを忘れてしまった。この身は道化。運命に翻弄される虚構の悪魔でしかない。故にかつて己であった■■■■■の記憶など、人格など、情動など――全てが全て尽く、須らく不要なものでしかないのだから。

 目が痛む。自らを現世へと押し留める肉体を焼失し、魂魄だけとなった自己。己は今周囲を漂う魂魄――ふよふよとした真っ白な靄のように、実態すらなき朧気な姿なのだろう。
 なのにどうして、あるはずがない目が痛む。己を苛む? 忌々しい右目が燃え滾るような熱を持っている。地獄の業火の如き灼熱で、己が魂を焼いていく。
 其は呪いだった。運命という呪縛だった。役割を終えるまで決して止まぬだろう、永劫の苦しみ。最早慣れ親しんだと言えるほどに付き合いが長くなってしまった苦痛。眼窩から鉄の茨を捩じ込まれ、神経を食い破り脳髄へと達したかのような凄まじい苦悶。常人であれば一瞬もなく自我を崩壊するであろう激痛に、しかし彼は喘ぐこともせず、魂海に揺られながら響くこともない問い掛けを発した。
 己が己である証明の全てが全て尽く、須らく不要? 果たしてそんな訳があるものか。己は己だ。故に問い掛けよ。シンイへ示せ。悪逆でもって■への反逆としろ。

――(ぼく)(ぼく)の意思で骸を積もう。屍の山を築こう。止めどなく溢れるこの悪意の全てが、誰と論じる必要もなく(ぼく)のものだ――

 一瞬の浮遊感。意識の上昇、あるいは降下。彼は魂魄の海を抜け出し、四方が壁で覆われた薄暗い室内で目を覚ました。
 埃っぽい寝台に横たえられていた肉体は、あれだけ苛烈に魂を破壊されたにも関わらず傷一つない綺麗なものだった。
 彼は軋みを上げる寝台から身を起こし、身の毛がよだつほどにおぞましい笑みを浮かべた。にこにこと、悪魔よりもなお悪魔らしく。

「だから、大人しく指を咥えて眺めていろ。僕は僕の意思でてめぇ(・・・)の遊戯場を――この世界を、滅ぼす」

 筋書きは乱れぬまま、思い描いた通りに茶番は締め括られる。故にこの先の軌跡もまた必然。全てが全て、その某かに仕組まれた通りに動くのだろう。
 ただ一人残った最後のシュテルプリヒの模造品(レプリカ)。それが紛い物であると知りながら、彼の暴君は己の手を彼女の血で染めることを厭うだろう。
 何故なら彼女は、紛い物とは言え間違いなくシュテルプリヒの側面。ありえたかもしれない未来の姿なのだから。故に、必然として未知の禁呪を検証するための実験体(サンプル)としてシュテルプリヒを捉えようとするギルドと――それを統べるギルドマスターの要求をユーベルが拒むのは想像に難くない。
 その拒絶が新たな争いの種火となるか否か。重要なのはそこではない。ギルドマスターの手からシュテルプリヒの身を守ったとしても、彼女の魂に刻み付けられた禁呪ルインプリズンが彼女自身の魂を滅ぼさんとする。誰だろうと解呪出来ないように念入りに、徹底的に施した呪縛だ。例え如何に高名な魔導師であれ抗う術はない。死の運命を退けられる道はない。

 一つ以外は。

「君はきっと、その道を選ぶだろう。なら、やっぱり必然なんだろうさ。ああ、報われない――報われないねぇ」

 悲痛げに、あるいは愉快げに、彼は取って付けたような笑みを浮かべた。運命に翻弄される者同士、あるいは性質を同じくする者同士、やはり親近感の一つや二つ抱いてはいたのか。どこか物悲しい気持ちになりつつも、良心の叱責も罪悪感による自己嫌悪もない己を自覚し「それでも」――そう呟こうとした彼の声は、薄暗がりの中に突如として現出した淡い燐光に掻き消される。
 燐光の出所は室内の床に浮かび上がった幾何学的な紋様、魔法陣からだった。円を描く象形文字の中心には、一際目を引く対翼の象徴。天使の翼と悪魔の羽。相反する二種の羽翼の狭間では、一本の剣を模した紋章が堂々と鎮座している。
 まさか――芽生えたのは疑念と危機感。どうしてここが、そんな疑問へと思案を巡らす余裕はしかし今の彼にはなかった。淀みない即断。危機感に突き動かされた彼は直ぐ様に緊急離脱用の対策を、転移魔術を起動しようとして。

 一拍、遅かった。

 魔法陣の上に、人影が浮かび上がる。黒い靄と共に現れ出でた人物は、寝台の前で中途半端な姿勢のまま固まっている彼を嘲り笑いながら言い放った。

「詰めが甘いね。あの魔女娘ならいざ知らず、このボクが亡霊如きの掌の上で踊ってやるはずがないだろうさ。君の禁呪への探究は賞賛しよう。禁呪という分野において、君は事実として彼を越えていた……憎たらしいことだけれどね。故に、だ。ボクは君のその執念を」

 その右手には、光輝くきらびやかな剣。既視感を抱いた。これではいつかの焼き増しだ。全貌を現した人影は、綺麗に手入れされている濡れ羽色の長髪を左手で掻き上げ――

「全身全霊でもって否定しよう……死ね亡霊、折角無力なお人形を強力な傀儡にしたところで悪いけど」

 強く柄を握り締めた剣を流れるような動作で振り翳した。掲げられたのは聖なる印。絶望に抗う希望の証明。万人の願望を一身に受け、代々魔王との激闘を繰り広げる英雄の証。

「君の居場所は、現世(ここ)にはない」

 聖光の煌めきを増す剣。それは勇者が勇者足る所以、聖剣であった。そして人影は、彼女は、史上最強の勇者として書物の中で語られる大英雄。千年前の大戦において悪魔と敵対し、抗い、戦い、ついには彼の者の生首で以て世界を巻き込んだ大戦争を終結させた選ばれし者――クロミヤチヨ。
 彼女の手に握られた聖剣は薄暗闇の中であってなお眩しく輝く切っ先で、真っ直ぐと彼を指し示す。肌が焼き付くほどに苛烈な敵意を放ちながら、チヨは己が聖剣の名を唱えた。

「人為を成して神威を示せ。悠久の時を破却し目覚めろ――我が聖剣ダアト(・・・)よ」
+注意+
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