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暴君ユーベル迷いナく. 作者:霧山病

第三章[誰が為のシェリダー]

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3-5/実在の虚像

 街道の両脇に据え置かれた柱型の魔導具の灯りに照らされながら、夜の帳の下で少女が笑った。
 セントラルタウンの住民達が織り成す雑多な喧騒の中であってなお、少女の小さな囁きは確かに俺の耳に届いて――

「お兄ちゃん……」

 心臓が激しく動悸した。視界が霞む。頭が痛い。「何で」と疑問符を投げ掛けようとした口は、しかし呆然と広げられたまま動こうとはしてくれない。
 トイフェルが貧困街の片隅で何者かに惨殺されてから早一週間。セントラルタウン北西に存在する娼婦館や賭博場などが密集した歓楽街にて、グリードの幹部の一人が経営する賭博場から自身の屋敷へ帰ろうとしていた俺は、その道中である少女と出会った。

 死ねば躯。殺せば屍。死人に口なし。骸に意思なし。ああ、そうだ。その通りだ。死者は何も語らない。地に打ち捨てられ、何を祈ることもなく腐り朽ち果て風化することこそが死人の義務であるからだ。
 だと言うのならば、これはいったいぜんたいどういうことなのだろうか。耳鳴りが止まない。痛いほどに鼓膜を刺激する雑音(ノイズ)
 目の前には涙を流しながらも喜びにはにかむ、儚げな少女の笑顔があった。彼女は表情を変えないまま、六年前(・・・)と同じ姿、同じ声で呟いた。

「やっと会えたね……ずっと会いたかったの。そう、ずっと……ずっと、お兄ちゃんが助けてくれるって信じて待ってたんだけど、また(・・)間に合わなかったみたいだね……」

「なに、を――」

 少女の背後に、猛烈な勢いで人影が迫った。成人男性ほどの大きさの人影はようやく言葉となった俺の呟きに耳を傾けた様子もなく、泣き笑う少女へ背後から襲い掛かる。
 再度目を見開く。心臓が強靭な鋼糸で締め付けられたかのような錯覚を覚えた。人影の手には歪曲した刀身が特徴的な剣――フランベルジュが握られている。禍々しい輝きを湛える刃は漆黒の焔を纏い、豪々と重苦しい禍音を鳴らしていた。
 魔導的効果を秘めた剣。魔剣だ。それも伝承で語られるほどに高位のものだろう。人影が手に持つそれはどことなく見覚えがある造形だった。思考の時間は刹那。すぐさまに答えに辿り着き、芽生えた驚愕に再三目を見開く。
 その剣は俺が数年前、地下迷宮の第五十階層を守護するフロアボス、魔刃王アルマヌクアーレを打ち倒し地上へ持ち帰ったドロップアイテムの一つであった。
 ギルドへと売却し、その後何かしらの裏取引でもあったのか。贈り物という体でナルシス王国へ寄付されたそれが何故この場に存在するのかはともかくとして。

 本来ならば込められた魔力を対価に灼熱の熱風を生み出す力を持つ魔剣。そのはずが、人影が――ダークブラウンの瞳に悪鬼の如き執念を燃やす青年。彼が振り翳した刀身はただの熱風だとは思える訳もない、暗黒の業火を振り撒いている。
 それが、少女へと振り下ろされんとした。突然の凶行に恐怖したのだろう。周囲の人込みの中からか細い悲鳴が聞こえる。
 「あいつ」「嘘だろ」「きゃああ」「何で」――混乱する衆目を意に介した風もなく、青年はおどろおどろしい殺意と共にその名を謳った。

「憎悪を食らいて禍音を鳴らせ、復讐の魔剣――」

 言霊が紡ぎ終わる前に、気付けば足を踏み出そうとしていた。諦観を滲ませながらもそれでも笑みを消さない少女。今まさに凶刃に晒され漆黒の焔へ呑み込まれんとしている少女の姿が、記憶の中の光景と重なる。
 強烈な既視感。フラッシュバック。燃え盛る黒炎に呑まれて跡形もなく燃え尽きた農村。灰へと変わった村人達の姿。悲観に暮れる少年の前へと放り投げられた少女の生首。

 ――ホーゼの悲劇と呼称されるいつぞやの惨劇の光景が、直面した現在と重なる。
 たった今切り殺されようとしているのは、栗毛を二つに結ったみすぼらしい身形の少女だった。
 ああ、見間違えるはずはない。その少女の名を俺は知っている。だが、どうして? 疑問。驚愕。あるいは、戦慄。混乱の極みにある頭では、ろくに思考を巡らすことも出来ない。
 それでも踏み出した足が止まることはなく、地を蹴って一歩二歩と続き、三度目を踏み抜こうとする前に手を伸ばした。

「シュテル……!」

 真っ直ぐに伸ばされた手が向かう先には少女の――死んだはずの、シュテルプリヒの姿。彼女はどうしてか驚愕したように目を見開き、俺の手を掴むこともせずに「あ」と掠れた呼気を溢す。
 ダメだ。間に合わない。どうして手を取ってくれないんだ。何でまた(・・)俺は間に合わない。間に合えない? 激しく動悸する心臓の音がどうしようもなく煩わしく思えた。やけに時間の流れが遅く感じる。その事に疑問を挟む間もなく、強く歯を噛み締めた。
 ゆっくりと少女の首元へ迫る刃。勢い良く逆巻く黒炎。一文字に閉ざされていた青年の――ヴィント・ホーゼの口元が、残虐に歪み嗜虐心が溢れた歪な笑みを形作る。
 にぃっと弧を描いた唇が、魔剣に秘められた真価を解放する言霊を完結させた。

「ヴィルベルハッセン――――!」

 言葉の直後に、よりいっそう強く燃え上がる黒炎。彼が振り抜いた凶刃は何に憚られることもなく背後からシュテルプリヒの首を切り飛ばした。
 暗黒の灼熱が禍音を響かせる。豪々と、業々と、途絶えることもなく――

「あ、ああ……」

 最初、その声が自分の口から溢れ出たものだとは思わなかった。絶望に打ちひしがれ、恐怖に慄く弱々しい負け犬の音色。そんなものが俺から――悪名高き暴君であるこの俺の口から衝いて出るなど、きっと誰もが想像だにしないことだろう。
 だから俺は、その声がきっと自分じゃない誰かが漏らしたものだと勘違いして――

「ヴィいんとぉ……てめぇ、地獄から帰ってくるには早いんじゃねぇのかぁ? ここにてめぇの居場所はねぇ。今すぐ地獄に戻してやる……!」

 だとすれば、胸を焦がすほどのこの疼きはいったい何なのだろう? 張り裂けそうな痛みが胸中を覆っていた。痛い。胸が疼く。気を抜けば臓物を食い千切り胸を引き裂いて傷口から溢れ出しそうなその疼き――衝動を。

 いったい何とするのだろう? 思考に靄が掛かる。どこか遠くから何かが軋む音が聞こえた。みしみしと、まるで鋼鉄の檻を力尽くで拉げさせるような音が。








 その日は早朝から天気が悪く、思わずこちらまで気が滅入ってくるような陰鬱とした曇り空だった。
 ギルドマスターからの呼び出しがあってから――あるいはトイフェルが死亡した日から、早一週間。俺はギルドから与えられた屋敷の一室で、古ぼけた装丁の書物を読み漁っていた。
 三大パーティの一角であるグリード。その頭領が死去したと言うのだから、当然セントラルタウンに居着いている諸勢力の間には激震が走った。
 しかも他殺。そう、他殺だ。トイフェルは何者かに襲われた(・・・・)
 グリードのメンバーの大多数が、その犯人を見付け出すべく血眼になって街中を徘徊している。最早形振り構わず躍起になっている彼等のせいで街の治安が悪化している。なんて話はレーツェルから聞いたものだ。
 彼女曰く、ギルドは第一王女の来訪に向けて日夜体制の強化やセントラルタウンの防衛設備の増強などに励んでいると言う。その傍らで俺との関係をより緻密にするべく幹部連が幾度も議題の場へ参列しているという話だが、名案は今も出ないままらしい。

「ねぇ、何を読んでるの? そんな古ぼけた本よりもほら、見てみて。可愛いでしょ?」

 街の運営を取り仕切るギルドにとって、この忙しい時に続けて二つの事件が起こったことは不幸と言う他ないだろう。
 いや、ヴィント等による俺への襲撃を含めれば二件ではなく三件か。そんなことを宛もなく考えながら、また一つ書物の項を捲る。

「この侍女服、あの贈り物の中にあったのよ。ちょっと露出が多い気もするけど……まあ、デザインは悪くないし、遊び心もあって着てみたの。ふふ、ご主人様、私のメイド姿はどうでしょう? お気に召しましたか?」

 忙しなく動いているのはギルドやグリードだけではなく、銀閃乙女や赤竜騎士団なども含めた他の有力パーティもだと言う話だ。
 何でもグリードが保有する権威――北西地帯に居を構える娼婦館や賭博場、居酒屋や違法な売店などの店舗。その元締めとして取り立てていた売上金の一部や、土地や建築物の所有権を由来とする財力――を削ぎ落とすべく、少なくはない数のパーティが北西地帯の商売人達へ商談(・・)を持ち掛けているとかいないとか。

「……え、無言? まさかの聞こえてないふり? ちょっと、私だってレディの一人よ? 繊細なのよ? そんな態度を取られると、悲しくなっちゃうわ……もしかして似合っていないのかしら――じゃなかった。似合ってないんでしょうか? ご主人様、ねぇ、ご主人様ぁ……」

 ご機嫌取りか、はたまた単なる好意なのか。先日新居祝いと表して数々の贈り物を持って屋敷へと来たグリードのメンバーがいたが、そいつが言うには商人連中の中には早くも口説き落とされ、グリードの管理下から抜け出し他パーティの庇護下に入った者もいるという話だった。
 トイフェルがいた頃ではありえない話だ。舌戦や心理戦を得意とし、必要とあれば手段を問わない冷酷さ。そして三大パーティの一角としての権威、人員、莫大な資産。その全てを支配し、余すことなく使いこなしていた男。それがトイフェルだ。
 巷ではお飾りなどと呼ばれてはいるが、奴の手腕に間違いはなかった。だからこそトイフェルはお飾りと蔑まれながらも三大パーティの一角を担う頭領という席に座れていたのだ。
 だとしたら今のてんやわんやなグリードの現状は、支配者を欠いた組織が至る必然の状況なのかもしれない。

「ま、まさか、またなの? また放置プレイなの? いやね、ユーベルったら……そうやってまた私の純情を弄ぶ気なのね? 貴方がその気ならこっちにも考えが――」

 今後、グリードの勢力は着々と減っていくだろう。読み終えた書物をパタンと閉じながら、俺はそんな考察を巡らして――
 窓際に置いた椅子へ深く腰を掛けて寛いでいた俺。閉じた古本へと向けていた目を上げれば、そこには平穏な一時を脅かし耳障りなアルトを奏でるエルフの姿があった。

「うるせぇよこの色ボケ! 痴女が! 誰の了見を得て俺の読書を邪魔してんだてめぇ……!」

「だ、誰の了見って……そんな、私と貴方の仲じゃない? なぁに? 照れちゃってるの? メイド姿の私に胸キュンなの? ねぇ……ご、しゅ、じ、ん、さ、ま」

 堪らず怒声を上げた俺だったが、奴は怯んだ様子もなくそれどころか恥じらうように頬を赤く染めた。その頬を両手で抑えくねくねと肢体を捩らす姿が、とても鬱陶しく思える。
 奴は――リーゼは、珍妙な姿をしていた。いや、この世界では珍妙と言うほどでもないのだろうか。ついついそんなことを思ってしまったが、直後に心中で否と主張する。
 それは――侍女服は、貴族や王族といった支配階級が現存し今なお高い権威を持っているシャハテル大陸において、さして珍しくもないものだと言えるだろう。しかしそれでも、リーゼが着ているそれは珍妙だと言おう。断言しよう。
 白と黒のコントラストが映えるその侍女服は、大きく空いた胸元に丸出しの腋。丈の短いスカートは股下数センチしか隠せてはおらず、膝上まであるオーバーニーソックスの上、剥き出しの絶対領域を黒のガーターベルトが縦断している。
 端的に言って露出過多だった。本来侍女とはかくあるべしといった拘りを全力で捨て去り、冒涜するかのような衣装だ。
 こんなものをどうしてと、そう考える。それは先にも言った通りグリードのメンバーが新居祝いとして贈ってきた品々の中の一つなのだが、これを何故こいつが着ているのか理解出来ない。
 いや、それを言うなら何故グリードがこんなものを新居祝いとして贈ったのかもてんで見当が付かないのだが、ともかく。

「ね、ね、似合う? 似合ってる? 可愛い? 可愛いでしょ? 貴方のために恥ずかしいけど着てみたのよ。誉めてよご主人様ぁ」

「……ちっ、おい、レーツェル。レーツェルはどこにいる? 早くこの色ボケエルフをどうにかしろ」

「いやね、せっかくこんな格好までしたのに、またレーツェルレーツェルって……妬いちゃうわぁ。今貴方の前にいるのは私なの。だから、ね? 今は私だけを見てよ、ご主人様ぁ」

「くそっ、にじり寄って来てんじゃねぇ。こんなところにいられるかっ。俺は出掛けてくるからな……!」

「あ、ご主人様、待って、ご主人様ぁ――ねぇユーベル! ちょっとお!」

 こういう時に頼りになるレーツェルを呼んでみたがしかし、そういえば彼女はギルド本部へと出向中だった。俺の声が聞こえる訳はない。
 どこか危うい光を瞳に灯らせ、艶かしく腰を揺らしながら近寄ってきたリーゼ。あまり彼女に近付き過ぎると何かが感染してしまいそうだ。そんな危機感に突き動かされて、俺は足早に室内から出て屋敷の通路を歩き、外に出て――




 そうして久々にアルコールで喉を潤したい気持ちもあって、顔馴染みのバーへと――エアトリンケンが経営する酒屋、トレーネへと足を運んだ。

「あの色情魔め……どうして俺があんな奴の面倒なんて見なきゃいけねぇんだ……!」

 愚痴を溢しながらまた一つ新しい酒瓶を開ける。俺が座っているカウンターの付近には、ここ数時間の間で空っぽにした酒瓶が幾本も転がっていた。
 ダンジョンからの出土品。あるいはそれぞれの地方の特産品。種類も様々な数々の代物を手軽に味わえるのは、セントラルタウンが貿易の中心として今なお栄えている証明だろう。
 その中には一般市民の収入ではとても手が出せないほどに高級な品もあった。種族的に酒が強い鬼人――大陸から海を渡り東の果てに存在する島国。そこで竜人族や原住民と共生する種族――を一口で陥落させ裸踊りをさせたという逸話を持つことから、踊り鬼と呼称される代物だ。
 今手を付けたのもそれだった。エアトリンケンが然り気無く差し出してきたグラスを「いらねぇ」と突っぱねて、瓶の口を咥え込む。
 大きく瓶を傾ければ直後に口内を満たしたアルコール。喉を鳴らしながら飲み込んだ踊り鬼は、どうしてかどこか覚えのある味だった。 

「な、なぁ、ユーベル……そろそろ止めておいた方が良いんじゃないか? いったい何本開ける気だよ……」

「あ? んだてめぇお客様に指図する気か、おい」

「そ、そういう気はないし……」

「なら良いじゃねぇか。それに――」

 どうせいくら飲んだって、俺が酔い潰れる訳などないのだ。そう口にしようとして、わざわざ言う必要もないかと思い直し口を閉ざす。
 身に秘める莫大な魔力が原因なのか。幼少時、そうと知らずに毒物を摂取し続けたせいで肉体に何かしらの変調が起きたのか。俺の体は肉体に害を及ぼす諸々の成分に対して高い耐性を持っている。
 例え致死性を孕む劇物であろうと俺には効かない。それがどうしたってアルコール如きで潰れる訳があると言うのだ。

「しっかしこうして見ると、やっぱり違和感があるなぁ……」

 手を付けてから間もなく、二口三口でごくごくと飲み干し酒瓶をまた一つ空にする。空瓶となったそれを横にずらせば、調子が良いのかどうなのか、やけに俊敏な動きのエアトリンケンが次の酒を目の前に置いた。
 その口を塞ぐコルクを片手で抜き取りつつ、意味深に呟いたエアトリンケンへ横目を向ける。そうすると視線に気付いたのか。よくよく見ればいつも以上に青白く震えが大きいエアトリンケンが、頬を引き攣らせて不格好な苦笑いを浮かべた。

「ユーベルが一人でここに来ることに対して、だよ。お前がここに来る時は、何だかんだでトイフェルも一緒だったからなぁ……」

 感慨深げに呟くエアトリンケン。そこではたと気付く。彼女がいつも以上に機敏でありながら血の気がなく、震えが激しいのは、もしかして俺が一人(・・)でここに訪れたからなのではないだろうか。
 ありえる。十分にありえると断言出来よう。今までは最悪の場合は肉壁に出来るトイフェルがいた。が、今はいない。もしここで俺が暴れでもしたら、エアトリンケンはその身一つで彼の悪名高き災厄と事を構えなければいけないのだ。
 エアトリンケンはその事態を懸念し回避するべく、いつも以上に気を張り怯えている。そうと考えれば彼女の機敏さにも納得が出来るというものだ。

 いや、だからなんだという話ではあるが。

「知ってるか? それは違和感じゃなくて錯覚って言うんだぜ? 誰と連もうが何をしようが、それはどこまで行こうと俺の勝手ってもんだろーよ……トイフェルがいなくなったからって、俺の何が変わる訳でもねぇ」

 奴は何やかんやで貴重な情報源になっていた。そのことを考えればこそ「何が変わる訳でもない」と断言するのは些か間違いである気もしたが、俺は胸をチクリと刺す僅かな痛みを無視して言い切った。
 そうだ。俺は暴君。何人足りとも寄せ付けない超常の怪物にして孤高の化け物。誰とも心を通わさない冷酷な――孤独な、暴君。

 一つ嘆くとするならば、トイフェルが一週間前に出会った謎の少女――クロミヤチヨに対する何かしらの情報を持っていたかもしれない、ということだろうか。
 彼女の発言が脳裏を過った。「亡霊」という単語に対して、トイフェルならば心当たりの一つでもあったかもしれない。そう考えれば考えるほど、せめてトイフェルがもう少し遅くに殺されていればと嘆きの一つでも溢したくなってしまう。
 今更そんなことをいくら考えようと、所詮は無駄なことでしかないのだが。

「死人に口なし、か……」

 そもそもが、あの少女が口にしたのは世迷い言でしかなかった。そう結論付けたはずだろうと再三言い聞かせて、俺は胸中に渦巻く嫌な予感を誤魔化した。
 誤魔化そうとした。だが、そうやって目を背けていた俺を現実へ呼び戻すエアトリンケンの声。女性にしては些か音程の低いハスキーボイスを聞いて、ふとした気紛れで俺が彼女へ問いを投げ掛けたのは、果たして本当にただの気紛れだったのか。それとも――

「何だ、藪から棒に……トイフェルに聞きたいことでもあったのか?」

「あー、まぁ、そんなとこだがよぉ……そうだ、てめぇは何か知ってるか? クロミヤチヨって名前の女と――」

 あるいは、必然だったのか。

「おい、待て、ユーベル……お前、その名前をどこで聞いたんだ……?」

 付け加えて「亡霊って単語について」と続けようとした言葉は、しかし言葉の途中で口にされたエアトリンケンの声に遮られる。
 ちらと、エアトリンケンの方へ目を向けた。カウンターの奥で立ち尽くす彼女は、元より青白かった肌から殊更血の気をなくしていた。
 異変はそれだけではない。震えまでもが大きくなっている。その反応を見て俺は彼女がクロミヤチヨという人物に対して何かを知っているという確信を抱く。
 かつては有力な探索者の一人として八面六臂の活躍をしていた彼女だ。その人脈が狭い訳はなく、トイフェルと長年連んでいたこともあって大衆は知らない裏の情報に対してもある程度精通しているのではと、そう考えもしたが。

「……別に、どこでも良いだろ。しっかしまさか、てめぇが知ってる名前とはなぁ……予想が外れたが、丁度良い。知ってることを洗いざらい吐いてもらおうか? えぇ? エアトリンケンさんよぉ」

 意図して視線を細めて、見咎めるようにエアトリンケンを睨み付ける。彼女の様子から推測するに、クロミヤチヨという人物は只者ではないということだろうか。
 かつて双魔の覇者とすら呼ばれた超一流の探索者であるエアトリンケンが、名前を聞いただけで怯えるほどの人物。それほどの者ともなれば広く名が知れ渡っているはずだが、しかし俺はその名前を聞いたことがなかった。
 だとすれば、クロミヤチヨについての話は世に出回ってはいけない類いのものだと言うことだろうか。
 そうやって考察を重ねるが、まあ良い。答えはすぐ目前にある。そう胸中で漏らし、思考を一旦取り止めた。

「話さなきゃ、ダメ……か?」

「おうとも。知らばっくれたら承知しねぇぞ? まさかエアトリンケンに限ってそんな不誠実な真似をするとは思えないがなぁ。なぁ? エアトリンケンに限って」

「う、うぅ……わかった、わかった! 話すさ! それで良いんだろ!? だが――」

 往生際悪く渋った彼女を鋭い眼光で脅せば、束の間もなく屈するエアトリンケン。彼女はやけっぱちになって大声を出した後、音程を低め、俺達以外には誰もいない店の中でありながらまるで周囲の目を気にするように小さな声で告げる。

「この話は他言無用だ。誰に何を聞かれても、何度尋ねられても……本当は一言だって話しちゃいけないヤバい話なんだ。オレだって話したくはない。心の底から口を閉ざしたい――が、それでも言うさ。言ってやる」

 エアトリンケンの鮮やかな褐色の手。その指先の一つが、彼女自身の唇の前で立てられる。そして、唇から奏でられた重苦しい前置きの後に、その話が語られた。




 ――誰もが知っている英雄譚。遠い昔の御伽噺。シャハテル大陸に住まう者ならば誰でも知っているようなその物語が、それから始まる話の切り口だった。
 悠久の時を遡り、遥か昔の出来事だ。幾度倒しても時が経てば再び生誕し、人類に対する恐るべき脅威として立ち塞がり続けた魔王。その脅威に抗うべくナルシスが勇者召喚の儀を執り行おうとした矢先に、あまりにも唐突にそいつは現れた。
 魔族の上位個体である魔王。さらにはその魔王を超えて人知さえも超越した最凶最悪の存在――大魔王が。

 大魔王はとても強大で、しかしそれ以上に邪悪な存在だった。大陸北部の魔族領から戦線を押し拡げ、数多の土地を次々と戦場へ変えていった大魔王。
 隠れ住む森を侵されたエルフが、生まれ故郷を追い出された獣人が、誇りを汚され貶められた竜人が――他にもドワーフやサキュバス、翼人種など、多くの種族が打倒大魔王の旗を掲げる。
 だが、そう、大魔王はあまりにも強すぎた。単騎でもって劣勢を覆し、並み居る猛者をまるで毛虫のように振り払う。そんな超常の力を大魔王は持っていたのだ。
 大陸における最大勢力である人類ですら、大魔王が率いる魔族軍を相手にしては敗退を免れない。
 戦勝続きで勢いを増す魔族達。彼等は他種族の雄を殺し、雌を犯し、生物としてあって当たり前の尊厳を躊躇いもせず奪っていった。
 大陸が大魔王率いる魔族軍の手中に収まるのは最早時間の問題でしかないと思われた。

 しかしここに来て、長年の因縁を越えてシャハテル大陸に住まう全ての者達が手を取り合った。大魔王の暴虐を退けるべく、歴代最強とも称される当代の勇者を旗印に一致団結した対大魔王連合。彼等彼女等は休むことなく戦場を渡り歩き、最後には大陸の中央にて大魔王を頭とする大軍と相対する。
 躯を踏み越え、死者の遺志を繋ぎ――そうして最後には、当代の勇者が相討ちという形で大魔王を打ち滅ぼした。
 これを切っ掛けに圧倒的な力を誇る指導者を失った魔族軍は崩壊。尻尾を巻いて大陸北部へ逃げ帰り、そうしてシャハテル大陸には平穏が齎された。

 それはそんな物語だった。ありきたりで、どこにでもあるような、そんな御伽噺。現実には存在しない、空想の出来事。
 多くの童子が夢見たであろう決まり決まった英雄譚。エアトリンケンは、それを――

「その話なんだが……色々齟齬とか脚色があるけど、実話なんだ」

 そう、言い切った。

 曰く、大魔王は存在しなかったが、大魔王の骨組みとなった人物は実在していた。曰く、その存在は同志である魔族にすら疎まれ、最後には手酷く裏切られた。曰く、その人物は単騎でありながら世界中の全てと事を構え、争い、殺戮を繰り返した。
 禁呪の原典を作り出した破綻者であり、それと同時に魔術の開祖でもある偉人。かつて神の祝福を受けた一部の者だけが魔導の神秘へ触れることを許されていた時代に、あまりにも唐突に現出した悪魔の化身。曰く曰く曰く――エアトリンケンの口から、途切れることなくその存在の逸話が語られる。
 驚くべきことに、その存在は魔族ですらないただの人であったと言う。

 今から凡そ千年前。セントラルタウンにダンジョンが生まれ、迷宮都市として栄えるよりもずっと昔に、繰り返される人類と魔族の衝突の最中、突如姿を現した一人の魔導師。
 人でありながら人を見限り、魔に与した禁忌の罪人。最後には仲間である魔族に裏切られ、歴史上から存在を抹消された咎人。
 その忌むべき名を、未だ記憶している者は数少ない。しかし誰もが、彼の事を知っていた。決まりきった英雄譚で、あるいは勇者が魔を滅ぼす物語の中、人類の敵として語られる無名の怪物。
 その語られざる名を――

「死霊術師トイフェル・ヘレファベル。歴史の中ですら存在を否定された史上最悪の化け物さ……知ってるか? その大戦からしばらくはそいつの名前を語ることすら罪と見なされ、糾弾されていたらしいぜ? トイフェルはまあ、今となっちゃそんな珍しくもない名前になっちまったがな……そこにヘレファベルなんて付いた日にはもうダメだね。何かヘレファベルに纏わる疚しいことでもあんのか、王国やギルドのみならず、他の種族までもが血眼になって情報隠蔽(・・・・)しようとしてきやがるっていう話だ」

「……聞いておいてなんだけどよ、どうしててめぇがそんな話を知ってるんだ?」

「そりゃ、ダークエルフの種族柄……だな。オレ達はただのエルフと違って、生物に宿る精霊――魂に対しても高い親和性を持ってるんだ。言い替えれば禁呪への適性とも言えるが……ま、それが原因で色々不便な目に会って、今なお集落の老人連中が生々しい昔話を聞かせてくれるって訳さ。それはともかくだな、それで、クロミヤチヨってのが」

「そこまで前置きされりゃあバカでもわかる……そのヘレファベルをぶっ倒した勇者がそいつだって言うんだろう?」

「そうそう、ご名答……付け加えて言えば――いや」

 苦難するような素振りで「流石にこれを口にしちゃ不味いか」とエアトリンケンは付け加えた。
 想像を越えるスケールの話に、正直理解が追い付いていなかった。そもそもがあの少女が本当にエアトリンケンの語るクロミヤチヨである確証はなく、どこかから彼女の名前を知って同姓同名を騙っている別人である可能性もある訳だ。いや、あるいは今語られた話が全てエアトリンケンの作り話――でっち上げだという可能性もあるだろう。
 むしろ、常識的に考えてそれらの可能性の方が高いのではないだろうか。そのはずなのに、漠然と――


 オレは彼女が、遥か昔にそのヘレファベルという存在と争った異物(ばけもの)であると確信を持たずにはいられなかった。
 再三繰り返された「亡霊達には気を付けろ」という忠告が脳裏を過る。エアトリンケンならば「亡霊達」という存在に対しても何かを知っているのではないかと考え、俺は焦燥感にも似た衝動に突き動かされて休む間もなく問い掛けを口にした。

「じゃあよぉ……亡霊って単語に、聞き覚えは?」

 またしても、エアトリンケンの表情が固まる。
+注意+
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