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暴君ユーベル迷いナく. 作者:霧山病

第一章[迷い人のバチカル]

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1-2/恐れられるは

 災厄のユーベル。そう呼び恐れられる男がセントラルタウンに訪れたのは、今からいったい何年前の事だったか。
 あの日(・・・)から、しばらく経ってからだった気がする。一月か、二月か。そんなところだろうか。
 あの日、童子姿の怪物(モンスターチャイルド)として悪名を轟かしていた彼と、はじめて出会って、それで、それから――
 瞼を閉ざせば鮮明に思い浮かぶあの日の絶望を、少年は――否、逞しい青年へと成長したかつて無力な少年だった男は、思い返す。

 全てを奪われた! 何の情け容赦もなく、住まう場所も、血の繋がった家族も、大事にしていた家臣達も、何もかもを奪われた!
 あの日の惨劇を忘れた事などあっただろうか? あの日の光景を忘れる事など出来ただろうか?

 青年は目前にて腕を組む中年を確かな眼光で見据えながら、強く思う。否、断じて否だ。
 なればこそ、この取り引きを拒むと言う選択肢など介在する余地はなく、青年は二つ返事で秘密裏にあたえられた依頼を了承する事となる。
 故にその意を伝えれば、しかし苦々しく顔を顰める相手。彼こそは風の名家ホーゼと呼ばれる、栄えあるナルシス王国に仕える名門貴族の当主であった(・・・)男だ。

「ああ……その依頼、確かに承ったぞ。オーデム卿」

「しかし、お前は良いのか。それで」

 まるで心配しているような素振りで直立する青年に声を掛けるオーデム。彼は自ら依頼を出しておきながら、青年の安否を気にしているようだ。
 しかし青年に応える様子はない。なおも言い募られる心配の言葉を「くどい」と言い捨てては、気丈な動作で踵を返した。

「とは言え、相手はあのユーベルだ。過度な期待はするな(・・・)よ」

 はっきりとした口調で言い残し、青年はその場を去る。豪奢な調度品で飾られた室内には、一人項垂れる中年だけが残る。
 最早取り繕う事すら出来ないのか。オーデムは涙さえ浮かべて慚愧する。よりにもよって自らが、彼へ――いや、あるいは彼等へ、あのおぞましき化け物と、再び対峙するよう命じる事になってしまうとは……。

「すまない。私は無力だ……」

 ともすれば依頼を引き受けた青年以上の悲壮感を漂わせながら、中年は手に握った紙面をくしゃりと握り潰した。
 それが広げられる事はない。彼にとって、最早紙面に書かれた言葉は目にすることすら憚られるタブーなのだ。故に目を逸らす。

「ああ、すまない。無力な父親ですまない。ヴィント……っ!」

 彼の名はオーデム。風の名家ホーゼの当主であった(・・・)男。
 彼はすでに、貴族ではない。王より賜れし領地を無惨にも荒らされた事を理由に、その資格を失ってしまったのだ。
 今や災厄のユーベルとすら呼ばれている男。彼の悪行の代名詞の一つとして語られる、ホーゼの悲劇と呼ばれる騒動の末に、オーデムは貴族の資格を失い、誇りを汚され、そして、今、かつて貴族の一員として仕えていたナルシス王国。その一部で行われる陰謀に巻き込まれ、実の息子を死地へ送り込んでしまった。
 すでに契約は成された。最早後戻りも出来まい。ああ、しかしと、オーデムは願わずにはいられなかった。どうか彼の――ヴィントの進む先に、平穏があらん事を。




 セントラルタウンへユーベルが訪れてから、この街のヒエラルキーは多いに変動していた。
 まず一番に目が付くのは、当時セントラルタウンの実質的支配者であったギルドがユーベルの下手に出た事だろうか。
 化け物じみた戦闘力の程はユーベルがセントラルタウンへ来訪してから短い間で、広く知られる事になる。
 単身で数々のパーティからなる連合と張り合い、その主導者である三大パーティの一角を壊滅状態へ追い込む。それがどれだけの異常か理解出来ぬ者がいるだろうか?
 彼は地の利を知り、またセントラルタウン在住の者を数多く味方にしていたブラッドナイトと対峙した際、これを一方的に蹂躙する。
 直接その有り様を目にした、ギルドのトップ――ギルドマスターと呼び親しまれる、膝裏まで伸ばした白金髪と、赤と青のオッドアイが特徴的な見た目十三、四才ほどの少女。彼女はユーベルを絶対に敵に回してはならない相手だと、一目見ただけで確信したのだ。
 何故か? そんな問いを掛けられた時、彼女は迷う事なくこう言うだろう。何故なら彼は、ただただ強い。

 そう、世界各地に根を張るギルドの長が、一声掛ければそれだけで多くの手練れを動かせる権限を持つ彼女が、損害を気にして対峙する事を拒む程度には、彼は強い。単身でありながら大組織に抗ってなお食らい付くほどの力が、彼にはあるのだ。

 そんな彼がセントラルタウンに築かれるヒエラルキーを崩壊させるのは当然で、ブラッドナイトの壊滅をきっかけに、その後釜へ収まったのは誰よりも早くにユーベルとの接触に成功したグリードと言うパーティだ。
 彼等は探索者とは名ばかりの無法者の集まりであったが、ユーベルという畏怖の代名詞を背後に控えるグリードの面々に、そう易々と手は出せまい。
 また彼等はあくまでも最後の一線――ギルドへの反抗、他有力パーティへの見境のない妨害、襲撃行為など――を越える事はなく、あくまで統率された集団であったため、ギルドは彼等の横暴を黙認。グリード他の三大パーティである赤竜騎士団と銀閃乙女は、虎の威を借る狐の如き彼等の有り様を良く思ってはいなかったが、やはり背後に控えるユーベルとの対峙を考えればこそ、グリードとの抗争は避けざるを得なかった。
 それでも両者の間に確執が出来るのは当然で、セントラルタウンの街並みの中。グリードと他三大パーティの面々が諍いを起こすのは、最早日常的とすら言えるほどにありふれた光景であった。

「くそっ、薄汚いハエモノ共が。いい気になりやがって!」

 そんな怒声とともに振り抜かれた足が、薄暗い路地裏にて地を這う男を蹴り抜く。その周囲を囲うように立ち並ぶのは、赤竜騎士団の一員達だ。
 彼等を抑える上層部――赤竜騎士団の幹部達は、ナルシス王国の貴族に呼ばれたらしく数人を残して後は皆、セントラルタウンの外にいる。
 これをどこから聞いたのか目障りな者達がいなくなったグリードの面々は、これ幸いと横暴な態度を強めた。銀閃乙女はダンジョンへの長期遠征でしばらく地上に戻ってくる事はないだろうし、赤竜騎士団の幹部達はその大半が遠いところへ旅立った。
 この好機を逃す手はないと、セントラルタウンの北西一帯の物流を実質的に支配しているグリードの面々は、北東方面――赤竜騎士団が根城とする一角へ魔の手を伸ばす。
 今の状況は、その先見として視察にやってきた男を赤竜騎士団が発見し、常日頃から忌み嫌い合っている彼等がそんな状態で遭遇してしまえば、必然起こり得る結末の一つだ。

 グリードの幹部達は何も他所の領域へ手を伸ばす気はない。要するにこれは一部の末端の暴走でしかなく、それにしたって物流の流れを抑えるとか、占拠するだとか、そこまで大々的な心積もりはなかったのだろう。
 要は憎らしい騎士気取り共の縄張りを荒らしたかっただけだ。しかし人選が悪かったのか。這いつくばるいかにもと言った悪人顔の男は下見の段階である事を忘れ、赤竜騎士団の擁護下にある宿屋の一人娘に目を付けては、直ぐ様素朴な顔立ちの少女に絡んだ。
 これが誰かしらの英雄譚であれば、心優しいヒーローが悪漢に襲われる少女を助けたりするのだろうが、そんな事はなかった。
 代わりにやってきたのは騒ぎを聞き付けた赤竜騎士団のパーティメンバー達。彼等は少女を助け出したと思えばグリードメンバーの男を路地裏に連れ込み、日々の憂さ晴らしもあってかこうして必要以上に男を痛め付けていた。
 とは言え赤竜騎士団の団員も、限度は弁えている。今は何に憚れる事もなくグリードのメンバーの一人を痛め付けているが、あまりにもやり過ぎれば大義名分がなくなる。

 おいたをした悪漢を少し痛め付けるという、正当な理由が無くなってしまうのだ。

 その事を理解している彼等は流石にここらが潮時だろうと、路地裏を後にしようとする。が、その時、さながら襤褸雑巾のような有り様の男が、不細工に歪んだ顔を怒りに染め背を向けた赤竜騎士団の面々へ言い放った。

「ぐっ、お前ら……俺にこんな事してただで済むと思ってんのか! 俺はグリードのメンバーだぞ? 俺達の後ろに誰がいんのか、わからねぇ訳じゃないだろ!?」

 後ろにいる誰か。その単語が指し示すのは、彼の悪名高き災厄のユーベルであらう。
 なるほど。彼が背後に控えているとなれば、歯向かうという行為がとても恐ろしいもののように思えるだろう。街に住まう多くの力なき者ならば、尚更。
 権力、法、道徳。そういった人を縛り付けるあって当然の柵を何の気もなく踏み越え、幾度も悪行を繰り返したとされる暴力の権化を怖れるあまり、繋がりのあるグリードへと歯向かう事すら出来なくなるのかもしれない。
 だが、それは力なき者達だ。彼等は違う。何故なら彼等赤竜騎士団こそ、ユーベル来訪以前までセントラルタウンに君臨していた支配層の一つであるからだ。
 そんな彼等がグリードの末端に過ぎぬただ一人の男の言葉に、必要以上に怯える訳はないだろう。
 中には顔を青褪めさせる臆病者もいなくはないだろうが、どうやらここに集まった者達は違うらしい。威勢の良い啖呵を聞いて怯むどころか、その逆。いかにも気分を害したという表情になった彼等は、物々しい雰囲気で再び男を囲い込んだ。

「どうやらまだわからないらしいな……」

「けっ、これだからハイエナは! お前らは自分の名前で喧嘩も売れないのかよ」

「情けないぜ。こんな奴等が三大パーティに名を連ねてるなんて……」

「おっ、おい。待て。謝るからっ、謝るから! な? ユーベルの旦那には何も言わねぇ。それで良いだろ? なぁ!」

 いよいよ剣呑な空気で満たされた場に、忙しなく身振り手振りを交えて嘆願する男の声はしかし、赤竜騎士団の面々には聞こえていなかったのか。彼等は意に返した様子もなく、再び男へ暴行を加えようとして――

「やぁ」

 にこにこと、場に似合わない爽やかな笑みを浮かべた男が乱入する。優男然とした風貌の男は軽快に手を振り上げながら、気付けば周りを囲う赤竜騎士団の面々の中に紛れていた。
 その姿にグリードに所属する男は光明が差したと言わんばかりに瞳を輝かせ、半面赤竜騎士団のメンバー等は苦虫を噛み潰すように顔を顰めさせる。

「こんなところでなぁに道草食ってるんだい? そろそろユーベル君が地上に上がってくる頃だろう。まさか君は、彼を出迎えもせずにこんなところで遊んでいる気だったのかなぁ?」

 取って付けたような不気味な笑顔を崩さぬまま、そうにこやかに問い掛ける優男。
 男にしては長い茶髪を無造作に揺らす男こそは、ならず者共で構成されるグリードが頭領。その名をトイフェル。中性的な顔立ちはいつも笑顔を湛えているが、親しみ安さよりも得体の知れなさばかりが先行している。

「ボ、ボス……」

「うん、なんだい? ほら、早く立ち上がって。いつまでもそんなところで寝ていたら風邪を引いちゃうぜ」

 周りの様子など気にもせずに、か細く呟いた声を聞いてかそう言って手を差し伸べるトイフェルだったが、それを遮る声が出た。
 「待て!」と声高に叫んだのはその場にいる赤竜騎士団の一人だ。グリード頭領自らのお出ましという予想だにしない事態に直面した彼等は、今しがた声を上げた青年を除きその尽くが狼狽えを隠せず、動揺している。
 先の暴行は所詮グリードの末端に過ぎない一人が相手だからこそ成立したものだ。これが頭領ともなれば話が変わるのは必然だが、その場を直に見られた現状、「パーティのメンバーに必要以上の暴行を振るわれた」として今この場で自ら達が何をされても文句は言えないのだ。
 大半の者がそう考え、狼狽えていたが、気丈にも叫んだ青年は気にした様子もなく、どころか挑発的な口調でトイフェルを言い咎める。

「その男はつい先程、何の罪もない少女に理不尽な暴行を行おうとしていた。猿山の大将気取りは配下の教育も出来ないのか? こちらとしても良い迷惑だ。部下の一人も御しきれない、お飾りの尻拭いなど、な」

 嘲るように口元を歪ませそう言葉を掛けた男。男はこれを機に目の上のたんこぶであるグリード、ひいてはその頭領に、自らの立場をわからせてやろうとでも思っていたのか。
 そもそもユーベルの理不尽なほどの暴力を背景に成り立つグリードは、その規模に反して総合的な強さという点で赤竜騎士団や銀閃乙女は愚か、下手をすれば三大パーティの威光に隠れて人の目を浴びにくい、その他の大規模パーティにすら劣っているだろう。
 その癖して三大パーティの一角へ食い込む彼等は、セントラルタウンに住まう様々な者から毛嫌いされている。ユーベルとの繋がりさえなければ楽に淘汰出来る害虫共が、我が物顔でセントラルタウンの支配層に君臨しているのだ。これで不興を買わない訳がないだろう。
 それでも厚顔無恥にも存続する彼等をハイエナ呼ばわりする者は数多く、頭領であるトイフェルはその中でも特に際立って嫌悪の対象とされている。
 曰く、お飾りのトイフェル。災厄のユーベルに媚びへつらい、甘い蜜を啜る、寄生虫共の親玉。

 三大パーティの一角を統べるパーティ。しかしその頭領であろうとそんな嘲りを受けていれば、血気盛んな若人になめられる事があろうと仕方がないのかもしれない。
 確かな嘲りを込めて口を開いた青年の目は、明らかにトイフェルを格下の存在だと見下している。それに対峙しながらも意にも介さず笑顔を消さない彼を、青年はやはり臆病者だと内心罵った。
 何て様だ! こうまでバカにされて怒りもしないなんて、こいつに誇りというものはないのだろうか? 部下と同じく情けない姿に失笑すら漏らす青年だが、しかしその表情が打って変わる。

「それはごめんよ。じゃあ、お飾りなりに、グリードを率いる者として、僕が彼の分も誠意を見せよう。これで良いかな?」

 そう言ったトイフェルは差し伸べた手で今も地に這う配下の鼻を掴んだかと思うと、何の躊躇いもなくへし曲げた。
 それだけに留まらず右に左にとぐにぐにと動かし、最後には一切の加減なく、まるで顔面の下へ押し込むように力強く押した。

「えっ、ちょっ、鼻が、おでのはながあああ゛あ゛あ゛あ゛!?」

 部下の悲鳴を聞いても、トイフェルの張って付けたような笑顔は変わらないままだった。
 同じパーティメンバーに何たる仕打ちか。今しがた配下の鼻を折った指を、トイフェルはいつの間にか取り出していたハンカチで拭った。まるで、手に着いた汚物を拭い取るような仕草だ。
 彼は良心が叱咤した様子もなく、どころか痛みに喘ぐ配下へ、追い討ちをかけるように告げる。

「そんな耳障りな鳴き声を出しちゃあ、伝わる誠意も伝わらないよ? 君の気色悪い悲鳴を、赤竜騎士団の団員諸君はとっても、とぉっても不快に思っただろう。その詫びに――」

 徐に、トイフェルが右足を上げた。彼は軽い調子で「それ、もう一発」と囁いて、振り上げた右足を勢い良く突き出す。向かう先には、鼻を抑え蹲る配下の男がいる。
 直後、男の頭に衝撃が突き抜けた。

「ぐぇっ」

 鈍い強打音が路地裏に響く。唐突な痛みに潰れた蛙の如き悲鳴をあげた男になど目も寄越さず、トイフェルはあたかも「これで良いだろう」と言わんばかりに、声を上げた青年を見やった。彼の視線の先にいた青年は、呆気に取られて目の前の異様を呆然と眺めるばかりだ。
 その様子を、どう解釈したのか。「まだ誠意が足りないの? 残酷だなぁ」と、何の邪気もなく付け加えたトイフェルが、今度は痛みに踞る配下の右目に向け、手を伸ばした。
 配下の男は苦痛を喘いでる最中だ。当たりどころが悪かったのだろう。歪な形となった鼻からだらだらと血を垂らしながら、両腕で頭を抱え苦しげに呻いている。
 これに慌てたのは赤竜騎士団の面々だ。彼等は先程まで自分達が行っていた仕打ちのことなど忘れたのだろうか。あるいは、一切の躊躇いもなく部下を痛め付ける優男へ、薄ら寒い気味悪さを感じたからなのか。慌てた様子でトイフェルを引き留めた。
 グリードの横暴の歯牙に掛かった者は、数多くいる。彼等は大抵が見識の低そうな見た目ながら、ズル賢さだけは一流なのだろう。決して決定的な証拠は出さずに、セントラルタウン内外の数多の人々を食い物にしてきた。
 例えば、娘を傷物にされた父親がいた。例えば、迷宮で得た金銭を理不尽に掠め取られた探索者がいた。例えば、何の謂れもなく暴行を加えられた女がいた。
 幹部連の不在で長期遠征も出来ず、暇を持て余していた赤竜騎士団の構成員。もしも彼等が気晴らしに街へ繰り出していなければ、目前で嬲られる男は加害者として罪なき娘を傷付け、貶めただろう。
 だが、それでも――

「それ以上はやりすぎだ! 何も、そこまでする必要はないだろう!?」

 そう言い募ったのは、経緯はどうあれ集団から暴行を受けていた配下を目前にして、本来庇い立てても良いはずが、それでもこのような仕打ちを選んだ性悪な上司を持つ、グリードの末端に対する同情心故だろうか。

「うーん、そうか。そりゃ残念。そもそも君達が迷惑だなんて言うから、反省を示すためにも、こうして僕達の誠意を見せざるを得なかった訳なんだけれど……ま、先程の苦言は聞き逃したってことにしてあげるよ」

 やけにあっさりとした態度でそう言い返したトイフェル。彼は、顔を引き吊らせる赤竜騎士団の団員達に向け「じゃあ、またね」と言い残し、痛みに蹲る配下を引きずっていった。残された赤竜騎士団の面々は、過ぎ去る彼の背中に得体の知れない恐怖を感じずにはいられなかった。
 もし、自ら達が止めなければ、あの男はあのまま何の迷いもなく配下の眼球を穿り返し、ともすれば息の根を止める事すらしたのではないだろか。
 そんな凄味が彼にはあった。そんなおぞましさがあの笑顔には湛えられていた。

「まるで悪魔のような男だな。お飾りのトイフェルは……」

 呆然と佇む、赤竜騎士団の団員。その一人が漏らした言葉は、薄暗い路地裏に反響しては消えていく。








 一方その頃、先の諍いの中でも度々名を上げられたユーベルは、想像以上に呆気なく死んだヴェノム・タイラントを気に掛けた様子もなく、七十階層の最奥――この広間を抜けた先にあるであろう空間を目指し、荒々しい足取りで歩を進めていた。
 目当てはその場に設けられているであろう、ポータルサークルと呼ばれるものだ。
 十階層毎に立ち塞がるフロアボス。それを越えた先に設けられた小部屋には、ダンジョン入り口までの道程をショートカットする、俗に言う転移術式が設けられている。
 その形が円形である事からポータルサークルと呼ばれている帰還措置は、地上ではまず目にする事が出来ない半永久的な稼働を可能とした複雑な魔術式によって作られている。
 明らかに地上の技術力を越えた代物だ。そもそもダンジョン内は転移に類する神秘が阻害される特殊な空間で占められており、もし転移するとしたら、帰還結晶と呼ばれる高価な魔石を用いた上で、モンスターが侵入出来ない空間――安全地帯の中にいなければならない。
 それがどうしてか一切の魔導的才能を持たない戦士ですら、円陣の上に立ち帰還の意思を示せば地上へと直ぐ様転移できるのだ。迷宮内に施された転移阻害を無視して、だ。
 このサークルポータルの原理を解明さえ出来れば、転移を妨害する措置が成された敵地へと、前触れなく数多の私兵を送り付ける事だって出来る。これがいったいどれほど恐ろしい事なのか。
 しかしサークルポータルの原理は未だ解明されておらず、ともすればお約束的にも思える機構に、ユーベルはこれを「そういうもの」だと曖昧に認識するしかなかった。

 件のサークルポータルを目指し確りとした足取りで広間を歩くユーベル。ヴェノム・タイラントの死骸が横たわっていた辺りには、光となって消えた魔龍の代わりに鱗や角、翼膜らしきものが散在している。
 所謂ドロップと言われる現象で、ダンジョン内で死したモンスターは光となって消える際、こうして生前の面影を残す物品を残していくのだ。
 どこかのRPGでありがちな演出にはユーベルとて頭を傾げざるを得ない。それも当然だろう。死して残すのは骸のみ。となればこうして死骸が掻き消え、肉体の一部のみならず時には剣や鎧と言った武器防具が代わりに現れる光景は、不可解の一言に過ぎる。
 しかしやはりと言えば良いのかその原理は解明されておらず、ユーベルはこれも「そういうもの」だと朧気に認識していたが、それでも心のどこかで思わずにはいられなかった。

「何つーか、ゲームみてぇだな……」

 足を動かしつつも散在する物品を魔法で近くに引き寄せ、空間拡張が施され内容量を増したポーチに詰め込んでいく。これもまた迷宮産の摩訶不思議道具の一つである。どう見てもポーチの口を越える大きさの角を収容する原理も、やはり未だ解明されてはいない。

 こういった未知が数多く溢れる事も、迷宮の魅力の一つなのだろうか。何の気はなしにユーベルはそう思考を転がしてみるも、やはりこれが生前慣れ親しんだRPGに類似している事に変わりない。
 各所には人の手が加えられた形跡があり、そもそもがこうまで内装を整えた空間が、人工物でないなどとは思える訳もない。
 ヴェノム・タイラントがドロップした品々を収納し終え、サークルポータルが中央にて輝く小部屋へと足を踏み入れたユーベル。
 広間の先にある扉もまた人工物としか思えない作り込みであったが、この小部屋はさらに輪を掛けて人工的なように見える。
 青く光を発するサークルポータルを中心にして、部屋の四隅には豪奢な調度で飾られたきらびやかな宝箱が置かれている。
 壁を見てみれば形の良い石を綺麗に積み重ねた石壁。果たしてこれが自然に作り上げられる光景だろうか? そう自問してみれば、ユーベルは否と思わずにいられない。

 とは言えダンジョンの摩訶不思議の数々の恩恵を、ユーベルもまた甘受している身である事に変わりはない。そもそもが未知だらけの異世界だ。今さら荒唐無稽な成り立ちの全容を、詳細に理解しようとは思えない。
 それが故にユーベルは四隅に置かれた宝箱の中身をしっかりと頂戴してから、何の抵抗もなくサークルポータルへ足を踏み入れた。
 目指すは地上、セントラルタウンへの帰還である。

 徐々に光に包まれていくユーベルは、気付かない。やがては誰もいなくなった小部屋の中で、鈴が鳴るような少女の声が反響したなどとは、知るよしもない。

「ゲームみたい――ねぇ……」

 その声はどうしてか、得体の知れない相手を探るような、刺々しい疑念に満ちていた。





 ともあれこうして再び地上へ戻ってきたユーベル。どうやら今は日中らしく、暗がりに慣れたユーベルを、久々に拝む日の光は鬱陶しいほどに刺激してくる。
 あまりの眩しさに一瞬目を細め、ようやく己はセントラルタウンに帰ってきたのだと感慨深く感じるユーベル。
 果たして最後に太陽の暖かな日差しを浴びたのはいつだっただろう。第七十階層という前人未踏の領域を目指すに辺り、ここしばらくはダンジョンの中に潜りっぱなしだった。
 道中の戦闘は一息の合間に終わるほど楽なものが大半だったが、何にせよダンジョン内の空間は広大だ。それを渡り歩くだけで相当な期間が必要とされる。
 真に恐るべきはその間、常にモンスターからの襲撃を警戒し、事が起これば直ぐ様戦闘出来るよう、臨戦態勢を維持し続けたユーベルのタフさであったが、彼にそこまでの自覚はない。
 所詮は出来ることをただやってのけただけ。常人からすれば異常としか映らない無茶苦茶な行動だろうと、彼にしてみればそれだけの事でしかないのだ。
 それでも人並みから大きく外れているという程度の認識ならあるが、そもそもがこの程度、各地を渡り歩いて放浪中の時分に比べれば、欠伸が出るほどに甘い道程である。
 とは言えやはり、常にモンスターの襲撃に備え四方八方に気を巡らす行為は多大な疲労をユーベルに与えていた。
 軽く肩を鳴らした彼は、七十階層突破の報告をした後、適当に宿を見繕ってしばらくは休息を取ろうと呑気に考える。

 しかしユーベルが帰還した先――ダンジョン入り口付近の露店等が立ち並ぶ一角は、今後のユーベルのスケジュールなど知った様子もなく、口々に騒ぎはじめる。
 元より行き交う数多くの探索者達により賑やっていた一角だったが、ユーベルが青白い燐光に包まれ姿を現してからは、よりいっそう激しい喧騒に包まれる。
 たった今第七十階層突破という偉業を成し遂げてきた者だ。ともすれば英雄と呼ばれても遜色ないほどに、彼の達成した事は偉大だろう。しかも単身で――あるいはここでは、しかし単身でと言った方が適切か。
 そもそもがユーベルが一人で第七十階層に挑んだとは知らない者達だ。この事はギルドの正式な職員と、ギルドへ帰属する一部の有力パーティにのみ前以て知らされている事だからだ。
 ならば当然、ユーベルが今しがた終えてきた偉業が、讃えられる訳はない。それでもダンジョン入り口に集まっていた者達は口々に騒ぎ立てた。「ユーベルだ」「ユーベルが帰ってきた」と、響いたのは歓声ではなく、悲鳴だった。

 気だるげにユーベルが丁度目の前にいた探索者の一行に視線を送れば、恐らく探索者に成り立てなのだろうか。未だ新米じみた青臭さが抜けない、粗末な防具に身を包んだ男三人、女二人の一団が、揃って腰を抜かし地面へ尻餅を突いた。
 見れば内股気味に座り込んだ女の一人が、放心気味にこちらを見上げている。どうしてか青、赤、土気色とイルミネーションのように顔色を変える彼女を良く良く見てみれば、尻餅を突いた地面が何かしらで水溜まりを作っていることに気付く。

「…………」

 密かに漂うアンモニア臭に流石のユーベルも居たたまれなくなり、何の気もなく目を剃らす。そうすれば不運にもばっちりと目があった串焼きの露店を構えている店主が、多量の冷や汗を流しながら手に握っていた串を生のまま客へ渡しはじめた。
 それだけではない。ダンジョン入り口に設けられた簡易のギルドカウンターへ向かおうと足を進めれば、たまたまその進行方向にいた熟練の探索者といった顔立ちの男が、腰に下げた直剣を鞘ごと捨て去る。そうして身軽になったかと思えば二の句もなく道を譲り、傅くように頭を垂れた。

「……」

 思わず無言にならずにはいられないユーベル。少し離れたところでは、今しがたダンジョンから帰ってきたのだろう。傷付きながらも探索の戦果に和気藹々としていた探索者の一行が、ユーベルの姿を認めるや否や「ユーベルだ。逃げろ!」と言い捨て再び迷宮の入り口へ向かっていった。
 脱兎の如く去り行く姿を見て、やはりユーベルは無言。露店を出す商人達の中には慌てて店を畳む者も少なからずいて、こうまで怯えられる様が自らの悪名がどれだけ深く浸透しているのか。その程度をユーベルに教える。

「ちっ」

 思わず舌打ちすれば、それを近くで聞いた女性探索者が短い悲鳴を上げた後失神した。相方か何かだろうか。横に居た男性探索者が慌てて支えるが、女性探索者の気は失われたままだ。
 どうにもむしゃくしゃしてしまい、また一つ舌打ちしそうになったが、それを抑え溜め息を吐くに留める。しかしたったそれだけで悲鳴絶叫の大嵐だ。最早何も言うまいとユーベルは周囲の状況を意識の外へ追いやり、そうしてようやくギルドカウンターへ辿り着く。

 通常ならばここで簡易の報告を行い、迷宮で得た物品の確認や、到達階層等をギルドに記録してもらうのだが、上位の探索者ともなれば話が違ってくる。
 地上ではまず目にする事が出来ない稀有な品々を持ち帰る彼等は、それが人目に付かぬようここではダンジョンからの帰還を伝えるだけに留め、ギルド職員の送迎の下セントラルタウン中央にて構えるギルド本部へ赴き、そこでようやく正式な報告をする事が出来る。
 必要以上に時間が取られるこの形式をユーベルはあまり好んではいなかったが、決まりは決まりだ。故にユーベルはその日も、決まりに沿って帰還を報告した後、ギルド職員の先導の下ギルド本部へ向かおうと思っていたのだが――
 ダンジョン発見から間もなく設置され、早百年近くあり続けているはずが、いかにも急造といった見映えを維持したままのギルドカウンター。
 長机を挟み、複数の受付嬢が忙しそうに探索者達の相手をしている。日差しは木製の天井で遮られているが、三方向のみを囲う壁では風まで遮る事は出来まい。
 時折、列を成す探索者連中の後を追うように吹いた微風に、長机に並べられた書類が捲られそうになっている。
 どうせなら、しっかり四方向とも壁で囲えば良いのに――毎度の事ながらそう思うユーベルだが、あるいはこれも様美式の一つなのかもしれないと、益体もない考えは程々に切り捨てた。

 荒々しく足音を鳴らしてギルドカウンターに近付いたユーベルに、列を作っていた大勢の探索者が気付いたようだ。
 最前列より一つ前。今受付嬢が対応している探索者の番が終われば、その次に受付で会話をするはずだった探索者達が揃って回れ右をした。
 いや、彼等だけではない。列全体が一斉にギルドカウンターとは見当違いの方向に体の向きを変え、ユーベルから離れていこうとしている。
 今現在受付嬢と対話している者達などは、背を向けられたままでもはっきりわかるほど、挙動不審になっていた。
 ユーベルは思わず、心中で問わずにはいられなかった。まるで訓練された兵士のように、纏まった行動を行う探索者達に、「そんなに俺が怖いのか」と。
 勿論ユーベル自身理解はしている。彼等はそれだけ、ユーベルの事を恐れている。挙動不審な態度は相対する受付嬢達にも伝染した。ユーベルが開けた道を歩いていると、まるで意味のわからない様々な発言が聞こえてきた。

「そういえば俺、この受付が終わったらダンジョンに潜るんだ」

「現在お掛けになった受付は電波の届かないところに旅立っております」

「ようこそ! セントラルタウン中央迷宮前ギルドカウンターへ! ダンジョンは、あっちだよ!」

「うっ、俺の右腕に封じられた魔物が蠢いていやがるぜ……やっぱり今日は帰ろう」

 受付嬢の中には、ユーベルと目を合わさないためか。明後日の方向を向きながら手元の書類に何らかの記載を行っている女性もいた。
 周囲の反応にどうにも気疲れしてしまったユーベルは、幾分か疲労が伺える目でそれらの様子を眺めた。驚くべきと言うべきか。今ダンジョンの入口前で起きている混乱は、ユーベルにとって見慣れたものである。
 彼が一度地上に出れば、行く先々でこんな光景が広がるのだ。
 ともかくとりあえずは、まず第一にギルドへの報告を終わらせて、適当な宿を見繕ってゆっくり一人で休もう。そうしよう。

 大衆の混乱から意識を逸らして、そう固く決意するユーベル。しかし、そんな彼へ向け予期せぬ声が掛けられた。
 たった今受付を終わらせた探索者。彼等と擦れ違うようにギルドカウンターへ近付こうとしたユーベルの背中へ、どうしてか薄気味悪さを感じずにはいられない軽快な声が投げ掛けられる。

「やぁ、ユーベル君」

「……トイフェルか。態々出迎え、ご苦労な事だなぁ。それと――」

 緩慢な動作で振り向いたユーベルの視界の先では、粗野な顔立ちの悪漢共を引き連れる、巷ではお飾りのトイフェルと蔑まれている優男が佇んでいた。
 声が掛けられた時から、そんな事はわかっていた。底無しの欲望を腹の底に隠す、白々しい声。数多くの者達から憎悪や恐怖といった悪感情を向けられるユーベルだったが、このトイフェルという男はそんな彼でも寒気を感じずにはいられないほどの、底知れない何かを抱えている。
 その何かが原因なのか。トイフェルの気配は、ユーベルにとって非常に察知しやすいものだった。だから唐突に声を掛けられた今も、ユーベルがトイフェルの登場に驚いた様子はない。
 しかしユーベルは僅かに目を細めた。トイフェルの横には、居心地悪そうに肩を強張らせる、華奢な女性――いや、少女と言っても差し支えない年頃の女がいた。
 その少女もまたユーベルの顔見知りではあったが、トイフェルと一緒に並ぶ光景は中々見ない珍しいものである。
 所在なさげに縮こまる彼女は、俯き気味であっても自己主張を怠らない立派な双丘とは似ても似付かず、さながら小動物のようにか弱げな印象だった。

「レーツェル、てめぇも一緒か」

 白を主色として、所々に赤い装飾を施したギルド職員の制服に身を包む、今しがたレーツェルと呼ばれた少女。
 彼女はユーベルが名前を呼ぶや否やびくりと肩を震わせ、俯かせていた顔を恐る恐る上げた。その拍子に、緩やかにウェーブする薄紫色の髪の毛が揺れた。
 そうして顔を上げたレーツェルは、ユーベルとは目を合わさないまま、隠しきれない恐怖に震える唇を動かす。

「お、おかえりなさい。御帰還お待ちしておりました。ユーベルさん……」

 彼女は、ユーベルとの相互関係をより円滑にするためにギルドから選ばれた担当者である。
 情報交換や各種手続き、物資の援助等々を一手に担うことになっているレーツェルは、言わばユーベル専属のギルド職員と言っても過言ではない。
 しかしギルドとユーベル。相互の関係をより密にするべく、彼等二人の仲もまた良好。とはいかないのが現状。
 レーツェルの言葉を聞いて、ユーベルは不機嫌を隠さず眉を顰めた。上っ面だけの言葉が、彼には不快に思えたのだろう。
 どす黒く澱んだユーベルの眼差しが、じろりとレーツェルを睨み付けた。レーツェルは「ひぃっ」と短い悲鳴を上げ、またしても顔を俯かせる。

 暴君として悪名を高めたユーベルの、苛立ちで満ちた鋭い眼光に震えながら、レーツェルは思う。思わざるを得ない。何で私、こんなところにいるんだろう。と――
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