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暴君ユーベル迷いナく. 作者:霧山病

第二章[エーイーリーの童子]

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2-6/童子は未だ蠢く情動の行方を知らず

『』
前話でも書きましたが、一章冒頭にプロローグを追加しました。まだ読まれていない方々は、是非一読をば
「は、はぁ? 知らねぇよ! どっか行け! お前のお金なんて俺達は――」

 路地裏の一角にある広場にて。口が開いて、中に詰めておいた通貨がはみ出している巾着袋。視線の先にいる五人の浮浪児グループは、それを――俺のお金を取り囲んでいる。
 そうでありながら、この発言である。声を上げたのは五人の中で一番に背が小さい少年だった。
 その姿は、他の四人と同様に酷くみすぼらしい。
 五人グループの平均年齢は、パっと見て十に届くかどうかといったところだろうか。そんな歳で犯罪に、窃盗に手を出した彼等。肥溜めの如き環境に住まう彼等の境遇を鑑みればこそ、独りよがりの憐憫が胸中でチラつきもしたが――
 所詮、他人事だ。俺は努めて険悪な表情を意識して口を開き、生意気にもしらばっくれようとした少年に対して、大人げなく恫喝で対応する。

「あ゛あ゛!?」

 声と共に思いっきり地面を踏み付けてみれば、あまりの衝撃に地面へ亀裂が生じた。
 広場に鳴り響いた轟音を聞いてか、揃いも揃ってびくりと肩を跳ねさせる五人組。彼等はひび割れた地面を踏み締める俺の右足を見た後、一瞬呆けた顔をしてから一様に顔を青ざめさせた。

「ご、ごごごごめん。返す。返すよ! 本当ごめん。これで勘弁してくれ!」

 一人の少年が慌てた様子で巾着袋を拾って、恐る恐る俺へ近付いてくる。
 少年は、五人組の中で一番利発そうな顔立ちをしていた。スったスってない返せ返さないと、そんな問答の末に取っ組み合いでもなればまず俺には敵わないだろうと、そう考えて危機感でも抱いたのだろう。
 先程までは邪険そうに俺を見ていた彼だったが、今では見違えるような笑顔で俺に歩み寄ってきている。

 自分は無害だと言外にそう語り掛けるような、媚びへつらった卑しい笑顔だ。

 前世では、このぐらいの年頃に俺はどんな笑い方をしていたんだったか。脳裏を過った益体もないそんな疑問を捨て置いて、近くに寄ってきた少年の手から、見慣れた巾着袋を引ったくるように奪い取った。
 これで一先ず当面の生活資金は戻ってきた訳だが、前途多き身でありながら悪いことをした少年少女達に、何の罰も与えないという訳にはいかないだろう。
 お前達は悪いことを、人として間違ったことをしたのだと、そう思い知らさなければいけない。
 だから、叫んだ。

「少ねぇ! 有り金全部出せ、ほら! ごめんで済んだら自警団はいらねぇんだよ!」

 頭の中で、誰かが嘲笑を浮かべた気がした。自分のことは棚に上げながら、何て醜悪なんだ。間違っているのは――悪者は、誰だ。
 自己の中に埋没する。お金を盗まれておきながら、盗人に対して何の報復もなし。そんな話が広まれば、ズューデン市街の浮浪者社会の中でナメられて、また足元を見られることになるかも――心のどこかには、なんてことを考えて情けなく恐怖を感じている自分がいた。

 なんて、みっともない。

「あ、有り金全部!? 無理だ。渡せる訳ないだろ。僕達は毎日毎日、それこそ明日の食料の宛もないぐらいに、精一杯で――」

「そ、そうだそうだ! 返すもんは返しただろ? だったらもう良いじゃんか! 意味わかんないこと言うんじゃねぇ!」

「メル達に野垂れ死ねって言うの? お金を盗んだのは私達が悪かったけど……ね、同じ根無し草でしょ? 多目に見てよ。私達だってそれぐらい、切羽詰まってるの。貴方にもわかるでしょ?」

「メルちゃんの言う通りだ! 仕方なかったんだ。だから許してくれ! この通り……な?」

「ご、ごめんなしゃ、あ、あう……」

 利発そうな少年が、身振り手振りを交えて如何に自分達が貧窮か伝えようとしはじめた。
 彼の背後にいる他の四人も、声を上げて彼の発言を援護した。スリの実行犯であるリリーと呼ばれていた少女は、生憎と喋ろうにも言葉になっていなかったが。

 恫喝に青ざめていた彼等の顔には、見てわかるほどの必死さがありありと浮かんでいた。
 不思議なことに、彼等彼女等の必死な様相を見てちくちくとした胸の痛みを感じながらも、俺は――

「お前らの都合なんて知ったことかよ。良いから出すもん出せ! 早くしねぇとどうなるかわかんねぇぞ!?」

 同じぐらいに、胸の昂りを感じていた。俺は疼きとでも言うべきその昂りの正体もわからないまま、こうして年端もいかない少年少女から必要以上のお金を巻き上げた。
 スリで集めたお金を細々と貯蓄していたのだろう。精一杯だ何だと言いながらも、彼等は俺が思う以上の金銭を隠し持っていた。
 恫喝に恫喝を重ね、それを無理矢理に奪い取った時の五人組の顔と言ったらそれはもう――愉快(かわいそう)愉快(かわいそう)で、危うく涙腺が緩んだほどだった。

 いつから、だったのだろう。ずっと認識の外にあったそれ。胸の奥底にあった醜い嗜虐心が、この街に来てからむくむくと肥大化していっている気がした。
 これに呑まれたらダメだと警告を発する自分もいたが、そうと自覚しながらも俺はこの醜悪な情動に傾倒せずにはいられなかった。

 農村で過ごしていた日々の中では見られなかった光景。奪う側の景色。力尽くで理不尽を強いられる人々の姿は、途方もない愉悦と歓喜を俺に教えてくれた。
 人である以上、そういった醜い面を伏せ持つのも仕方ないと言えばそうなんだろうが、仕方ないからと言って良心の叱責がなくなる訳じゃない。

 歯車が、噛み違えていく。俺が俺ではなくなっていくような、そんな怖じ気に苛まれる。
 醜い欲望は、凡庸を過ぎぬちっぽけな自制心では抑えきれないほどに大きくて、見境なく、邪悪で――








 ズューデン市街へ訪れてから、二週間と数日が過ぎた今日。十七回ほど朝日を拝んだから、今日で十七日目だろう。
 気付けば、半月を越える日数をこの街で過ごしている。この頃になると俺がわざわざここへ来た理由も古ぼけて、曖昧となっていた。

 何で俺は、薄汚れたこんな場所にいるのだろう。ズューデン市街の貧困地帯の一角をうろつきながら、益体もなくそんなことを考える。
 視線をあちこちに巡らせば、みすぼらしい身形の者が複数人視界に入った。手持ち無沙汰に佇んでいたり、空腹なのだろうか、苦し気に踞っていたり、あるいは宛もなさそうにうろちょろと歩き回っていたり、各々が違う行動を取っている。
 浮浪者と言えど生きた人間なのだから、それも当然だ。彼等の様子を視界の端に収めながら、俺もまた彼等の中に紛れるようにとぼとぼと足を動かした。

「そろそろ、この街から離れよう」

 そんなことを呟いて、常連となった焼き串の出店に向かう。
 あれからも恫喝を重ねていると、出店のお姉さんは最終的に赤字覚悟で焼き串一本三十ゼニーで売ってくれるようになった。
 俺が出店へ寄るたびに嫌そうな顔をするお姉さんに、俺はいつからか苛めっ子の心理のようなものを抱きはじめていた。
 もっと困らせたい。もっと嫌がらせたい。嗜虐心を源泉とするそんな情動を、彼女――いや、彼女だけではなく、ズューデン市街で俺と関わった人達に対して分け隔てなく抱いてしまう。

 出店の前へ辿り着き、苦虫を潰したかのような顔をしたお姉さんに声を掛ける。
 巾着袋から取り出したのは一枚の銅貨と、一枚につき十ゼニーの価値がある小銅貨という通貨を八枚だ。

「お姉さん、焼き串六本で百八十ゼニーだ! ほら!」

「また来たのね、坊や。こっちだって商売でやっているの。前から言ってるけど、そんな不適正な金額でものは売れな――」

「うるせぇ! 口答えすんじゃねえよこのアバズレが! 早く物を渡せ!」

「くっ……わかったわよ。はい」

 口答えしてきたお姉さんの言葉を遮り、威圧するようにそう叫ぶ。
 そうすると、嫌そうな顔で渋々と焼き串の入った袋を差し出すお姉さん。
 俺はそれをぞんざいな動作で受け取って、袋から取り出した香ばしい焼き串にかぶりついた。

 農村で抑圧されていた頃の、その反動だろうか。攻撃的になっていく自分の心理状態を客観的にそう捉えながらも、俺は芽生えた嗜虐心をどうする気にもなれず、着々とそのみっともない情動に呑まれていっていた。

 買い叩いた焼き串を胃に収めながら、ズューデン市街を宛もなくうろつく。
 何やら物騒な喧騒が聞こえてそちらへ目を向けると、通りの一角で複数人の大人から暴行を受けている少女の姿が視界に入った。

「あいつ……」

 側を通り過ぎる通行人達に、少女を助けようとする素振りはない。どころか幾人かがギャラリーとなって、蹴っては殴られ蹴っては殴られ、苦し気に地に踞る少女を囃し立てている。
 観衆の一人が、「良いぞお、やっちまえ! 手癖の悪い浮浪児をとっちめちまえ!」と興奮した様子で叫んでいた。

「浮浪児の分際で調子に乗った罰だ! くそっ」

「俺の金をどこやった!? てめえのせいでここ数日何も食べれてねぇんだよ!」

「生きる価値もない害虫が! 俺等の足を引っ張りやがって!」

「ご、ごめんなさ、うぐ!? い゛、いた、いだい。やめで。ゆるじで」

 つまり、そういうことなのだろう。大の大人達から寄って集ってぼこすかと叩かれる少女――先日俺から巾着袋をスったリリーと呼ばれていた浮浪児は、今までスリをしてきた相手か何かから、報復の折檻を受けているのだろう。
 一、二、三と指を立てて数えていく。リリーに手を上げている人の数は、驚くべきことに十に達していた。
 大の大人が揃いも揃って身分も筋力も体躯の大きさも劣った少女に暴行を振るっている光景に、胸糞悪い気持ちを抱いてしまう。
 その反面、狭小な身である少女が因果応報の末にこうやって甚振られている光景を、当然の結末だと言い切って内心で嘲笑を浮かべてる自分もいた。俺の心のどこかには、そんな醜悪な側面が潜んでいたのだ。

 ちらりと、周囲を行き交う通行人達を見やる。やはり彼等の誰も彼もが、袋叩きにされているリリーを助けようとはしていなかった。
 無鉄砲に割り込んで怒りの矛先を向けられることを恐れるあまり、助けたくとも行動に移すことが出来ない者も通行人達の中にはいたのかもしれない。

 前世の俺は、どちらかと言えばそういうタイプの人間だった。学生の時分ではクラスの苛められっ子を哀れだと思いながら、自身が苛めの対象にされることを恐れて陰湿な苛めを止めようともしなかった軟弱者だった。
 だけど、そう、今の俺には大衆からの悪感情を意にも介さないほどの力があって――

 先日リリー達のグループから大人げなく金を巻き上げておきながら、いったいどういう風の吹き回しだ。
 支離滅裂な自身の行動に途方もない嫌悪感が芽生えたが、俺はそれを意識の奥底に追いやって、あたかも善人(ヒーロー)かの如くリリーと彼女を甚振る大人達の間へ割り入った。

「おっさん達、そいつ、俺の顔見知りでさ……何があったかはわかんないけど――」

 突然現れた俺にギョっとした様子の大人達。穏やかな口振りで彼等に語り掛けながら、俺は息吐く間もなく全身に魔力を巡らした。
 今出来る全力で、だ。そうすると目が痛くなるほどの魔力光が全身を覆って、バチバチと雷鳴の如く激しく迸る魔力が体躯の上を駆けた。
 ミシリと、軋むような音がどこかで聞こえた。創作物にありがちな、あまりにも莫大な魔力に大気が悲鳴を上げたという現象だろうか。
 自分がそんなことをしているのだと自認したら、和やかな笑顔を心掛けていたのに、何だか可笑しくなって自分でもわかるほどに歪な笑みを浮かべてしまう。

「見逃して……くんねぇかなぁ?」

 脅しの一環として行った身体強化だったが、どうにも塩梅を間違えたのだろう。
 俺がそう尋ねる前にリリーを取り囲んでいた男の一人が失神して、それに続くように半数に登る五人の人物が気を失った。
 何とか失神せずには済んだ者達は、「は、はいぃぃ!」と引き攣った叫び声を上げながらどこぞへと逃げ返っていってしまう。
 過敏な嗅覚が何やら異臭を捉えた。失神した五人の中からだ。

「うっわ、こいつ漏らしてやがる……」

 揃いも揃って、ガキ一人を相手に何て醜態を晒しているんだ。胸中でそう毒吐きながら、アンモニア臭が漂う液体で股座に水溜まりを作った男から、そそくさと距離を取る。
 それから踞ったまま呆然とこちらを見上げるリリーに一瞥だけ向けてから、俺は用は終わったとばかりにその場から離れようとしたのだが。

「う、げほ……」

 苦し気に噎せ込む声が聞こえて、動かそうとした足を止める。
 周囲では、リリーが暴行を振るわれていても気にも留めていなかった通行人達が、「衛兵だ! 衛兵を呼べ!」と大袈裟な絶叫を上げていた。
 俺は集団から袋叩きにされているリリーを、暴力の一切も振るわず穏便な手段で助けただけなのだが……好き勝手やっているせいだろう。ズューデン市街の衛兵とは仲が悪いのだ。あまり、顔を会わせたくはない。
 そんな思いもあればこそ、尚更俺が足を踏み留める必要はなかったと思うが――

「はぁ、胸糞悪い」

 気付けば踏み出そうとしていた足が、踵を返しリリーの元へ歩を進めていた。
 最早襤褸切れですらない全裸同然の格好であるリリーを複雑な心境で見詰めた後、緩慢な素振りで腰を傾げた。
 いったい、何をやっているんだろう。心の中で自分の愚かさを罵倒しながらも、俺はそうして、地に伏せる彼女へ手を差し出した。

「リリーって言ったか。立てるか? ここじゃ誰も浮浪児(てめぇ)なんぞを助けてはくれねぇぞ。野垂れ死ぬのが嫌なら、ついてこい」

「……え?」

 手酷く打たれ続けたのが原因なのだろう。やけにゆっくりとした反応を示したリリーは、痛ましく腫れ上がった目蓋を億劫げに開けて、呆然とした視線で俺を見上げた。
 そりゃそうだ。つい先日にスリを働いて、その仕返しにこそこそとスリを繰り返して貯めたグループの貯蓄の一切を奪い取った相手が、ある日唐突に善人を気取って自分を助けようとしたのだ。
 訳がわからない気持ちは――信じられないという疑心は、痛いほどに共感できた。

 それでも俺は、胸中を行き交う複雑な感情に負けて、ついつい踞るリリーを強引に引っ張り起こしてしまったのだ。
 求められても、いないのに。

「ほら、早くしろ! 直に衛兵が来る。あいつらは浮浪者(おれら)を毛嫌いしてるからな。難癖付けられたらたまったもんじゃねぇ。さっさとここから離れる――」

「い、いぎぅ!」

 「ぞ」と言い切る前に、踞るリリーの手を握り、引っ張り起こそうとする。
 そうすると、引き攣った悲鳴を上げるリリー。握り締めた細腕を良く良く見てみると、痣や腫れが出来ただけではなく、彼女の腕が歪な方向へ折れ曲がっていることに気付く。
 先程の暴行で、不運にも骨折してしまったのだろう。ろくに栄養の行き届いていない浮浪児の体躯に、先の折檻は度が過ぎた行いだったのだ。

「わ、わりぃ――!」

 慌てて、腕を離す。離してしまった。助け起こそうとしている最中に腕を離せば、どうなるか。わからない訳でもなかっただろうに。
 半端な姿勢で支えをなくされたリリーは、ろくな受け身も取れずに体躯を倒した。再び地に伏せることとなった彼女は、恨めしそうに俺を睨み付けることもせず、ただただ苦し気に呻き続けている。

「う、うぅ……げほっ、ごほ、あの、この前の男の子、だよね。衛兵さんと会いたくないんでしょ? なら、良いよ。わたしのことは、気にしないで……早く、行って」

 リリー自身、俺に彼女を助ける義理なんてないとわかっているのだろう。途切れ途切れにその旨を伝える彼女の痛ましさを、俺はどうしてか見ていられなくって――

 強いから弱い者から奪って良いって、阿呆か。奪われる弱者は、そうやって誰かが良い思いをするたびに、尚更惨めで、痛ましい思いをしなければいけないんだ。
 俺は前世で習った道徳の尊さを忘れでもしたのか。喘ぎ苦しむか弱げな少女の苦悶を切り捨てて悦に浸ることが、本当に正しい在り方なのか?
 苦難に喘ぐ少女をさらに苦しめてみたいと――そんな情動を昂らせる自身の側面を自覚しながらも、俺は目が覚める思いでリリーのみすぼらしく痩せ細った体躯を丁重に抱き上げ、通りを行き交う人々の隙間を縫い慣れ親しんだ路地裏へ駆けていったのだ。



 それから、骨折して使い物にならなくなったリリーへ残っていた焼き串を手ずから食べさせながら、俺は居心地の悪さを感じずにはいられなかった。
 焼き串は冷めてしまって元来の美味さを損なっている。それでも美味しげに突き出された焼き串にほうばりつくリリー。

「食べ物まで恵んでもらって……何だか、悪いね。わたし、貴方のお金をスった相手なのに……」

 痛みがなくなった訳ではないのだろう。それでも腫れ上がった顔を申し訳なさげに伏せたリリーは、あるいは俺が思う以上に強かで、逞しい存在だったのかもしれない。

「気にすんな。どうせこれだって、他人から奪った金で不当に買い叩いた食い物だ。ろくでもないのはお互い様なのさ。あんたが気の毒に思う必要はねぇ」

「でも、やっぱり悪いよ。それに怖いの。無償の施しなんて、どこにもある訳がないんだからね」

 リリーは、そう言ってから疑わしげな視線で俺を見上げた。
 彼女の言った言葉に共感しなくもなかったが、十とそこらの年齢の子供がこうまで殺伐とした価値観を持っているという事実に、俺はついそれ以上の遺憾を感じてしまう。
 この世界は、なるほど確かに無情なのかもしれない。それでも、せめて年端もいかない子供にだけでも、甘い幻想を見させてやっても良いのではないか?
 それが表面上だけの義憤だと知りながらも、俺は胸に芽生えた不快感を自覚せずにはいられなかった。

 何が剣と魔法の幻想(ファンタジー)だ。ここは、この異世界は、前世を過ごした現代日本よりも余程、殺伐とした現実の過酷さが満ち溢れている。

「じゃあ、もう行くね」

「待て、怪我はもう良いのか? そんな状態でうろついても、ろくな目なんて見れねぇぞ」

「そりゃ、まだ身体のあちこちが痛いけど……早く帰らないと。メル達も待ってるし、あの子達、わたしがいないとろくにご飯も食べられないんだもの」

 スリの実行犯がいなければ、稼ぎがなくて食料にありつけないということだろう。客観的に視て、リリーは都合良く利用されているだけのように思えたが……悲壮さもなくそう言い切ったリリーからグループの仲間を思いやる頑固な気持ちが垣間見えて、俺は引き留めることも出来ずに去り行く彼女を見送るしかなかったのだ。
 廃れた環境でありながらも、逞しく生きる彼女。リリーの痛ましい姿を見て情でも移ったのだろう。俺は遠く離れる背中へ追い縋り、横へ並ぶ。

「なぁに……?」

「……餞別だ。どうせ持ってても有り余るだけだからな。あんたが持っていけ」

 足を止めこちらへ振り返ったリリーに対して、通貨の詰まった巾着袋を差し出す。
 疑問符を浮かべる彼女の折れていない方の腕に、それを強引に握らせた。

「う、受け取れないよ。どういう風の吹き回し? 取り返したお金をわざわざわたしに渡すだなんて、訳がわからないわ」

「良いから受け取れ。俺の言うことが聞けねぇのか? だが、そうだな。無駄遣いはするなよ。あのメルっていう女に伝えておけ。ドレスなんて浮浪児(おれら)が買うようなもんじゃあねぇ」

 ぶんぶんと顔を横に振って拒む姿勢を見せた彼女だが、少し凄んでみれば予想した通りに大人しく巾着袋を受け取ってくれた。
 リリーは、それから、幾度もちらちらと俺へ振り返りながら、今度こそ足を止めることなく去っていった。

 自己の矛盾を自覚しながらも、どうしてか俺は清々しい気持ちを感じずにはいられなかった。
 俺なら、また奪えば良い。同じ穴の(むじな)から、力尽くで金品を巻き上げれば良い。俺にはそれが出来るだけの力があるのだ。

 だが、彼女は――リリーには、そうするだけの力がない。だから大衆の報復に怯えながらも、スリなんて行為に手を出さなければいけなかったのだろう。
 そうしなければ、生きていけなかったのだろう。

 今日の出来事が、そんな彼女にとって一抹の助けにでもなれば良いなと、俺は心の底からそう思って――







 その、後日。路地裏を徘徊していたら、過敏な嗅覚がこびりつくような異臭を嗅ぎ取った。
 浮浪者の排泄物やら何やらがそこかしこに撒き散らされている環境であるのだから、鼻に付く不快な異臭が漂っているのも当然と言えたが。

「何だよ、これ……」

 慄くように、そう呟く。声は自分でもわかるほどに震えていた。不穏な気配を察して近付いたその場所――いつだったかに同じ頃の年頃の五人組が集まっていた広場。随分と様変わりした様子のそこの光景を見て、俺は心臓が引き攣るほどの怖じ気を感じずにはいられなかった。
 異臭は、糞や尿とはまた違った不快感を覚える、噎せ変えるほどの血生臭さを漂わせていて――

「何なんだよ、これは――――!?」

 広場のあちこちに、生々しい色合いの真っ赤な液体が四散している。
 水溜まりを作る液体の中には、各々がそれぞれ、恐怖に歪んだ表情を残したままの肉の塊が五つ。

 リリーが居た浮浪児グループの集まり。少年三人と、少女が二人。そんな五人組の、見るも無惨な躯の姿だった。
 死者は何も語らない。死人に口なし。躯に意思なし。故にリリー達がそうなるに至った経緯を教えてくれたのは、頭が陥没したり、乱雑に胸元を切り裂かれたり――そんな惨たらしい有り様の五人の死体などに目も暮れず、血溜まりの中で狂ったように歓喜の声を上げる、生きた中年の男だった。

「お、お金ぇえ! あいつら、こんなに隠し持っていたのか! 生意気な! どこかで見た巾着袋だが、なるほどわからん! んんっ、おほっ! お金! 金! すげぇ! お金がいっぱい! すげぇよ!」

 男は、血で濡れることも厭わずみすぼらしい身形を血溜まりに横たえて、その中に沈む巾着袋から散乱する通貨に、まるで慈しむかのように頬擦りしていた。

 どこかで見た顔だ。何度も見た顔だ。知っている顔だ。その男はズューデン市街へ辿り着いてから間もない俺に襲い掛かり返り討ちにされた後、逆に俺からお金を奪われ、以降事ある毎に俺が絡んでいた中年の浮浪者だった。

 みしり、と何かが軋む音が聞こえた。意図せず魔力を放出して、また大気を歪ませでもしたのだろうか。そんな考えが、空回りする頭の中を空しく転がった。

 違う。見慣れた魔力光が、身体を覆ってなんかいなかった。じゃあこの音はなんだ? 自問しても答えは出ない。ミシミシと、軋みの音が大きくなっていく。
 視界が、やけに狭い気がした。過敏な知覚は働くことを放棄して、外界の情報を遮断しはじめる。
 誰かが俺に問い掛けてくる。中年が上げる狂喜の声を曖昧な知覚で聞き流しながら、俺は真っ暗闇の自己へ埋没していった。
 柄に合わないことをするからこんなことになったのだと、誰かはそう嘯いていた。

 お前は最初から気付いていたはずだ。知っていたはずだ。強くなければ奪われる。弱ければ何も掴めない。
 所詮この世は弱肉強食。故に奪えよ、お前は――お前(オレ)は、何がためにこの世へ生まれ、何のためにこれから生きる?
 わかってるはずだ。わかってたはずだ。もう一度、自分の名前を思い返してみろ。そうだ、(オマエ)の名は――


 邪悪(ユーベル)


 だけど今の俺は、与えられた名のシンイを未だ理解できないままで。

「……おい」

「な、なんだよ。人が喜んでるっていうのに――って、なななな生意気なくそガキぃ!? なんで、ここに、って違う。やらねぇぞ。このお金は俺の。全部ぜぇんぶ、俺のな――」

「うっせぇ……黙って殴らせろ。何でだろうな、すげぇ腹が立ってんだ」

「だからって、ちょっ、やめ、おぐぅ!? あ、ほんとやめ、いぎっ、あへ、おぼぉっ、ぐべぇ、う、腕は、そっちには曲がらな――いいい゛い゛い゛い゛い゛!?」

 だから俺は俺が与えた金銭を、リリー達を殺して奪い取った浮浪者の中年を殺すことも出来ず、顔中を痣だらけにして両腕と片足の骨を折ることしか出来なかったのだ。

 どうせ、生きてても何の価値もない薄汚れた浮浪者(まけいぬ)だ。殺したって誰も悲しみはしない。なら、いっそ殺してみても良いんじゃないか。
 胸中には、そんな事を嘯く側面があった。でも、人殺しはダメだ。人殺しだけはダメだ。殺人は何も生まない。殺人とは、生きた人間を殺めて物言わぬ死体を増やす非生産的な最低の所業だ。

 ましてや怒りのあまりそんなことを行うなんて、ありえない。衝動的に人を殺すなんて、救いようのない畜生の行為だ。
 そうやって最後の一線は越えまいと自制していた俺だが、その踏ん張りはあまりにも脆く、俺はその日のうちにはじめて人を殺めることになる。

「い、いだい……もう帰る。お金はいらないから、帰らせて! 帰るぅうう! うおおおおおお!」

 意味不明の雄叫びを上げながら、折れた足を引き摺って広場から離れようとする中年。そんな彼を止めたのは、未だ怒りが収まらない俺ではなく――

 擬音にして例えるとしたら、ザシュッとか、ザンッとか、きっとそんな音だったのだろう。広場に降り注ぐ陽光の日差しを反射する鉄の煌めきが迸ったかと思うと、逃げ出そうとしていた中年の首がどこかへ飛んでいった。
 頭部をなくし、血を吹き上げた中年の体躯。前のめりに傾いた彼の身体だったが、あわや倒れるといった瞬間に、何か衝撃でも与えられたのだろう。凄い勢いで後方へ吹っ飛んでいった。

「よぉ、ユーベル。久方ぶりだな。ここで会ったが百年目……って言うほどでもないが、会いたかったぜぇ。元気にしてたか? 俺達は見ての通り――」

 先まで中年がいた場所には、鮮血を滴らせる直剣を握ったがっしりとした体躯の男が佇んでいた。
 中年の体躯が邪魔をして、死角となっていたのだろう。中年が逃げ出そうとしていた方角から姿を見せた男は、攻撃的な笑みを浮かべ俺に直剣の切っ先を向けた。

「ちょー元気だぜ! 元気すぎて昂っちまうなぁ、おい!」

 俺はこの時ついに、イディオナールが雇った冒険者と再び合間見えてしまったのだ。
 直剣の男が声を上げた直後に、真後ろから迫る風切り音が耳に届いた。咄嗟に頭を傾ける。つい一瞬前まで俺の頭があった空間を、無機質な短槍の煌めきが貫いた。
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