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暴君ユーベル迷いナく. 作者:霧山病

第一章[迷い人のバチカル]

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1-13/嗤え悪魔よ汝は邪悪

一章最終話。やっつけ感ハンパナイノ
 ヴィント等による襲撃が行われてから数刻後の、まだ日が登り始めたばかりの早朝。
 朝日の下、セントラルタウンに住まう人々が一日の営みを始めた頃に、ユーベルはギルドから呼び出され、ギルド本部へやって来ていた。
 いざこざのせいもあり、迷宮内の調査結果の報告をユーベルは未だ出来ていないのだ。痺れを切らしたギルドが、その催促を行って――

 もし、その話だけだったならば、ユーベルはどれだけ気楽だっただろう。

 それだけではなく――あるいはそれどころでもなく、今回の召集は先の襲撃を発端に、ギルドマスターが急遽取り決めたものであった。
 何も、召集を受けたのはユーベルだけではない。件の襲撃はナルシス王国の第一王女シャルキュール・フォン・ナルシスの来訪を、彼が正式に承諾した矢先に起こった事だ。
 双頭の土獣と評される土系統魔導を扱う熟練の探索者コンビの他にも、決して少なくはない数の有力探索者達が加担した大掛かりな襲撃。
 その中心人物である旋風のヴィント・ホーゼを筆頭に、下手人達の中には三大パーティの幹部も含まれていた。

 ユーベルは、襲い掛かってきた火の粉を振り払っただけだ。彼が取った行動は、謂わば正当防衛の一種とも言えた。
 だから、もし仮にユーベルが穏便な方法でヴィント等による襲撃を対処すれば、事態はこうまで大事にはならなかっただろう。

 しかし何事にも、限度と言うものが存在する。襲撃者達を一方的な殺戮をもって退けた残虐さはともかくとして、周辺地域へ降り掛かった戦闘の余波――二次被害は、明らかに正当防衛の範疇を越えたものだった。
 今回の一件で住む場所をなくした所帯が一つや二つで済む訳はない。事態を察知し遅れて現地へ駆け付けたギルドの職員曰く、倒壊した民家の数は優に数十に上ったという。

 被害は、建造物だけに収まらない。襲撃があった通りの道は、魔導の撃ち合いの余波で石畳が捲れ上がり、民家の瓦礫が散乱している。
 地中を通り、セントラルタウンの各所へ張り巡らされている幾多もの生活魔術――清潔な水を生み出し、暗闇を照らす灯りを灯し、排出される汚水を処理する等の多種多様な魔術式。ギルドの率先の下、長年を掛けて整えられたその基盤が、広い範囲において破壊し尽くされている。

 今頃は事後処理に奔走してんやわんやのギルド職員により、復興の段取りが進められているだろう。ギルドの重職に就く者達が経済的損害を思案し胃を痛めている姿が、目に浮かぶようだ。
 彼等彼女等の苦難は、それだけに収まらない。ユーベルとナルシス王国の間を繋ぐ架け橋とも言えるギルド。襲撃によって齎される風評や、事態を知ったナルシス王国側の反応を考えればこそ、これを些事と言い切り後回しにする事も出来ず、ギルドは襲撃に関する議論の場を設けるべく――

 ギルド本部へ、ユーベルや三大パーティを含む有力探索者達を召集したのだ。




 多くの丸椅子と長机が並ぶ、食堂を兼ねたギルド本部一階のフロア。そこでグリードの頭領――トイフェルは、黒い外套に身を包むユーベルの対面に座って、並々と葡萄酒が注がれたグラスを手持ち無沙汰に弄んでいた。
 ゆらゆらと、振り子のように揺れるグラス。釣られて右へ左へと波打つ葡萄酒が、揺さぶりに耐えきれずグラスから溢れ落ちそうになった。

「おぉっと」

 トイフェルは慌てた様子で――あるいは取り繕うように、忙しなく揺らしていたグラスの動きを止めた。
 ピタリと静止するトイフェルの手。彼が掴んでいる半透明のグラスは、何とか中身を溢さずに済んだようだ。

 その落ち着きない様子に、呆れを抱いたのだろう。トイフェルの対面に座るユーベルが「はぁ」と溜め息。疲労が窺える瞳を億劫げに細めて、見咎めるようにトイフェルを見詰めた。

「何はしゃいでんだよ。トイフェル」

 ユーベルは、長机の上で組んだ自身の腕の上で、気怠げに頭を伏せていた。常の険悪さも鳴りを潜め、見るからに気力の抜けた様子だった。
 対するトイフェルは、何か良いことでもあったのだろうか。鬱陶しいほどににこにことした表情で「いやぁ、ごめんごめん。何だか楽しくなってきちゃってね」と、項垂れるユーベルに笑い掛ける。
 応答するユーベルに、釣られた様子はない。むしろ綽々としたトイフェルの態度を不愉快に思ったのだろう。伏せていた頭を僅かに上げて、「あっそ」と無愛想に返す。
 不機嫌そうに細められたユーベルの瞳には、しかしいつも程の――睨み付けただけで人一人を楽に殺せそうな、そんな凄まじいほどの剣呑さがなかった。

 相次ぐ怒濤の事態に、疲労と眠気がピークへ達しているのだろう。脆弱な精神を押し隠し、冷酷な暴君然とした態度を取り続ける彼らしくもなく、直後に気の抜けた溜め息がユーベルの口から溢れ出た。

「はあぁ……だりぃ」

 覇気がなく、無気力な様子のユーベル。相対しているのがもしもレーツェルならば、内心の起伏はともかくユーベルを気遣った風を装うのだろうが――
 今ユーベルの対面に座っているのは、あの悪評多きグリードの頭領だ。セントラルタウン内において、ユーベルに負けず劣らず忌み嫌われている男。
 お飾りのトイフェルと蔑まれる優男は、道化もかくやといった白々しい笑みで殊更ユーベルを囃し立てた。

「それで、旋風達の襲撃は君を満足させられたのかな?」

「んだよ。満足って……俺は夜道で襲われて喜ぶような変態でも、バトルジャンキーでもねぇぞ」

 そう、不貞腐れたように言い返したユーベル。トイフェルに、彼の不機嫌な様相を気にした様子はない。
 どころかさながら煽るかの如く、尚一層笑みを深めユーベルへ話し掛けた。にこにこ、にこにこと、トイフェルの笑みが、歪な三日月を描く。

「くくっ、どうだか。グリード(うち)の部下から聞いたよ。君、ハイになってまぁた辺り一帯を更地にしたんだろ?」

 そう言って、手に持ったグラスの中身を一息に飲み干したトイフェル。彼は唇の端から垂れた葡萄酒をペロリと舐め上げて、顔を伏せるユーベルを愉快げに見詰めた。
 彼の悪名高き暴君を相手に、まるで軽んじるようなニュアンスで送られた囁き。シャハテル大陸広しと言えど、こうまでユーベルに馴れ馴れしく接するのはトイフェルぐらいだろう。
 全くもって、舐めた態度だ。心のどこかでそう思う自身の傲慢さと、彼我の関係はともかく、互いに気遣いのないやり取りにほんの僅かな心地好さを感じている部分。
 自己に潜む矛盾した二面性を自覚しながら、ユーベルは結局、暴君で有れかしと胸中で唱えた。

 だから、心を閉ざした暴君と、欲望に汚れた道化が道を同じくする未来はなく――

「……それが、どうして満足がどうこうって話に繋がるんだよ」

「君ならもっと周辺被害を抑えて対処出来ただろうに……それをしなかったのは、それだけ君が熱中して、旋風達と遊んでたからじゃあないのかい?」

「けっ、熱心も熱中もありゃしねぇよ。そうしなかったのは、俺がわざわざ有象無象共の巣に煩ってやる旨味がねぇからだ。んなもん気にしたって、くそにもなんねぇ」

「だから、周りを気にせず旋風共々吹き飛ばしたってかい? 正にこれこそ暴君といった主張だね。でも、その割りに君――」

 彼等の道は、どうしようもなく向かう先を違えていたのだ。
 道化が嗤った。醜悪ににこにこと、歪にけたけた、さも愉快げにからからと――その様はさながら、悪魔に取り憑かれた亡者のようだった。

 フロアの各所に設けられた硝子窓からは、暖かな朝日の光が入り込んでいる。季節は(シルフ)も中盤で、朝方であろうと肌寒さを感じる事がまずない気温がここしばらく続いている。
 だと言うのにユーベルはどうしてか、総身が寒気立つ肌寒さを感じずにはいられなかった。

「随分と丸くなったもんだよねぇ。()の君ならきっと、駆け付けてきた巨兵諸共襲撃に加担した探索者が所属するパーティを、ぜぇんぶ潰して回っただろうに」

 ふと、伏せていた顔を上げたユーベル。いつの間にだろうか。手にしていたグラスを置き、両肘をテーブルに突き立てて腕を組んでいたトイフェルは、暗く澱んだ眼差しをユーベルに向けていた。

「いや、きっとじゃあない。絶対に、必ずだ。君は潜在的敵対因子すら見過ごさない、見逃せない、残虐非道な化け物だったんだから」

 トイフェルの目に映るのは、さながら光の届かない深淵だった。気付けば細められていた瞳は、貼り付けられた笑顔と同じく醜悪に三日月へ歪められていた。

 早朝ともなれば、目ぼしいクエストを逸早く受注するべく、少なくはない数の探索者がギルド本部へ足を運ぶ。
 一階に設けられた食堂や訓練場を目当てに訪れる者も多く、千差万別の身形の探索者がギルド本部の中にいた。
 そんな彼等彼女等の尽くが、不穏な気配を察してだろう。誰もユーベル達に近付こうとしない。そうして出来上がったたった二人だけの円環の中で、トイフェルはさも謳うかのように呟きを口ずさんだ。

「仇となれば母すら殺し、敵とあれば父をも殺す。歯向かう者には容赦なし。邪魔立てするなら全てを壊す。略奪こそが彼の本懐……ああおぞましきよ血塗れの化け物――――彼の悪童の名を、人々は童子姿の怪物(モンスターチャイルド)と呼び恐れた。だっけ」

 否、其は真実、詩だった。セントラルタウンへ訪れて災厄と呼称される以前に、シャハテル大陸の各地を宛もなく放浪していた頃のユーベル。
 その頃のユーベルは、明日の食糧を得るべく道行く商人や目に付いた農村を狙い、各所で略奪を繰り返していた。
 シュランゲ商会との対立を切っ掛けとするナルシス王国からの指名手配。それが大陸全土に出回ってからは、ろくに商店を利用出来なかったのだ。
 そも、金がない。正当な身分もない。高額の賞金首にされたために、安易に人目に付く場所にも行けない。そんなユーベルが明日の糧を得るならば、生きようとするならば、手段を選んでいられないのは必然。
 良心の叱責は、あったのだろう。罪悪感も、ない訳ではなかったのだろう。しかし奪わねば明日朝日を拝めないのは自分だと、そう必死に言い繕って――やがては己を苛む罪の意識に擦り切れた、愚鈍な童子。

 トイフェルが口ずさんだのは、略奪と殺戮を繰り返す彼の有り様を、どこぞの吟遊詩人が謳った詩だった。
 ユーベルにとっても、聞き覚えのあるものだ。何せ彼自身を謳った詩だと言うのだから、題材となった彼の耳に入らない訳はない。

 ユーベルは、頭部を苛むずきずきとした鈍痛を自覚した。未だ彼の胸中に巣食う、磨耗した平凡な人格の残骸。人殺しを罪と見なし、人道と道徳を是とした有象無象の凡人の欠片。

 それが、悲鳴を上げているのだ。

 ユーベルを、おぞましい怪物であるとして謳ったトイフェル。道化は過酷な現実の最中で出来上がった虚構の暴君像こそ彼の本質だと言い切って、顔を上げたユーベルへ光を映さない澱んだ眼差しを向けた。
 じぃと、深淵の如く真っ暗な眼差しが、ユーベルを見ていた。ああ、しかし、何という事か。視線を重ねたユーベルの眼には、道化と同様の暗闇の灯火。
 彼の眼差しもまた、暗く澱んで深淵を映していたのだ。

「良い目付きじゃあないか。実に、化け物(キミ)らしい。しかし不思議だね。ユーベル君……君はそんなにもおぞましい眼差しが出来るのに、どうして巨兵達(・・・)を見逃したり――――」

 尚も言い募ろうとしたトイフェル。歪な笑顔で紡がれていた悪魔の如き囁きは、しかし唐突に遮られることとなる。
 ユーベルは、人知れず手を握り締めていた。テーブルの上から場所を移して、彼の握り拳は自身の胸元にあった。
 豪と、ギルド本部の一階に風が吹き荒れた。無意識なのか、意図してなのか。ユーベルの身から溢れ出た規格外の魔力が、物理的衝撃を伴って周囲に逆巻いたのだ。
 規則良く並べられていた長机が引っくり返り、木製の椅子が独りでに傾き倒れた。遠目で二人の様子を見ていた通りすがりの探索者の一同が、戦々恐々としている。

「お飾りめ……ついに災厄の機嫌を損なったか?」
「何だってこんな時間に、こんな場所で……自殺したいなら別のところでやれっつーんだよ」
「本当に、それだな。しかしやばくねぇか? こんなところにいたら、俺等まで巻き添えを……」

 声を潜めて囁き合う観衆の視線を気にした様子もなく、握り締めていた拳を解き、ユーベルは徐に右手をトイフェルへ差し向けた。
 バチバチと音を立てる、紅い煌めきが右手の先に現出する。人の頭程もある球体は、魔法擬きと蔑まれる最下級の神秘――バレット。
 しかし彼の暴君、災厄のユーベルのものとなれば話は違う。彼が生み出す魔弾は熟練の探索者であろうと容易く葬る威力を備えた、超常の暴力の具現である。
 表面で迸る紅い魔力光が、その威力の程を物語っていた。それを差し向けられたトイフェルは、けれど歪な笑みを消さないままだったが。

「耳障りだ。それ以上、そのドブ水みてえにきったねぇ口を開けるんじゃあねぇ……!」

 トイフェルは、応答を一つ間違えれば次の瞬間自身が死んでもおかしくはないと言うのに――いや、だからこそ、なのだろうか。無気力さを潜め、常の暴君然とした、あるいはいつもにも増して険悪な顔付きとなったユーベルを嘲るように、より一層口端を吊り上げた。

「なぁにを、そんなに盛ってるんだぁい……僕が何かおかしいことでも言ったか? 聞いたか? 言ってないだろう。聞いてないだろう。僕は単純に、そんな君がどうして巨兵達を見逃したのか気になっただけで」

「それが、耳障りだっつってんだよ。生かすも殺すも俺の勝手だろ? てめぇに懐探られる謂われなんて、何一つねぇ」

「んんんー、何だい。むきになっちゃって。まさか君、巨兵に情でも抱いたか? 真偽の程は何にも、なぁんにも知らないけど、先のゴーストの件で君は巨兵を性奴隷にしたって話だしね。噂には尾びれが付き物とも言うけれど、火のないところに煙は立たないとも言うし、まあ、実態が何にせよ浅はかならぬ仲になったって訳か。納得だ。うん……それで、君は、巨兵への情故に、銀閃乙女のシュネーを殺せなかったって事かい? ははっ、笑える。チョー嗤える。だってさ、情とか、何だとか、そんなもの君には、僕達(・・)には――」


 「似合わない」と、そう捲し立てようとでもしたのか。しかし忙しなく囁きを奏でていたトイフェルの唇の動きが、止まる。
 ついに痺れを切らしたユーベルが、一思いに鮮血の魔弾を繰り出して、忌々しい笑みを浮かべる道化を黙らせでもしたのだろうか――否、違う。

「貴様等、いつまで呑気に駄弁っているつもりだ……召集を受けた者は皆、すでに三階の会議室に集まっているぞ」

 トイフェルの囁きを掻き消して響いたのは、武骨故の気高さが伺える、研ぎ澄まされた銀刃の如き美声だった。
 いつの間に、降りて来たのだろう。二階へ上がる階段と食堂を繋げる通路から、かつかつと足音を鳴らして近付いてくる女性。
 肩口までざっくばらんに伸ばされた金髪は、光輝く黄金の如き華美さを備えている。エメラルドグリーンの眼光は、刀剣を連想させるほど鋭利に細められていた。
 長い間、酷使しているのだろう。目立ち過ぎない程度の装飾が施された軽装は、各所に傷や汚れがあった。しかしそれでも、現れた女性が放つオーラのような輝きは、一寸足りとも曇らない。
 いかにも探索者然とした格好でありながら、まず第一の印象として騎士を思い浮かべずにはいられない。彼女は、彼女こそが銀閃乙女のリーダー。
 シュプリンガーの血を受け継ぐ女傑、エミリア・シュプリンガーだ。

 彼女はトイフェルを忌々しげに睨み付け、かと思えばふと視線を逸らして、複雑な表情をユーベルに向けた。
 遠目にユーベルとトイフェルを見ていた探索者が、救世主の誕生を目にしたように色めき立っている。評判が下火とは言え、銀閃乙女が――いや、グリード以外の三大パーティが長年セントラルタウンの繁栄に貢献してきた事実は消えないのだ。
 銀閃乙女や赤竜騎士団は、今でもセントラルタウンに住まう多くの人々から一目置かれた存在なのである。

「さっさと上に行くぞ。私は長々とした話が嫌いでな……嫌な事は、さっさと終わらせたい」

 そう、徐に顔を逸らして言い放ったエミリア。一階に降りて来たのは、彼女だけではなかったのだろう。凛と奏でられたエミリアの言葉に続くように、聞く人を魅了する華麗な声が響いた。
 声の出所は、ユーベルの背後。より正確に言うならば、彼の耳元だった。

「そうよ。ほら、立ってユーベル。後、こういうことはあんまり言いたくはないんだけれど……お飾りなんかと関わってちゃあ、貴方の品格が疑われるわ。何があったのかは知らないけれど、これを機に縁を切ったらどう?」

「あ、あわ、あわわわわ」

 驚きに、目を見開いたユーベル。道化の邪な気に、当てられていたのだろう。彼は自身の知覚が狭まっていた事に気付いて、さも不快げに舌打ちを一つ。
 右手の先に浮かべた魔弾を消してから、動揺を悟られないよう、努めて平素通りの態度を取り繕った。

「ちっ……てめぇに口出される筋合いはねぇぞ、巨兵。って言うかてめぇ、近いんだよ。押し付けんな。もぐぞ」

 少し離れたところでは、リーゼの言動を聞いてか尚更複雑に表情を顰めたエミリアが、頭痛を耐えるように頭へ手をやっていた。
 ユーベルの耳元には、顔を寄せたリーゼの美貌があった。背中には、どうしてか柔らかい感触。胸が押し付けられているのだ。
 背後からユーベルに覆い被さったリーゼの艶かしく濡れた蠱惑の唇が、険悪に響いた声へ応答を示す。
 その後ろでは、ユーベルの担当者とあって呼び出されていたのだろう。ポツンと佇むレーツェルが、緩やかなウェーブが掛かった薄紫の長髪を震わせ、錯乱気味にあわあわしていた。

「じゃあこの話はまた今度って事で……しかし残念ね。ユーベル、私じゃあご不満なのかしら。結構自信があったんだけど……ほぅら、どうどう? そそらない?」

「おい、巨兵の、二度は言わねぇぞ……?」

「ちょ、ちょっとちょっと巨兵さん、貴女何て命知らずなことを……!」

「あら、ちょっと……ってなぁにこれ。こんなの普段から目にしてれば、そりゃ私のなんて気にしなくなるわね」

 恫喝に怯んだ様子もなく、丸椅子に腰を据えたユーベルへむしろ尚更強く胸を押し付けるリーゼ。
 馴れ馴れしい態度を、癪に思ったのだろう。ユーベルの米神に、ピキリと青筋が浮かんだ。
 長い間、顔を突き合わせた間柄だからか。ユーベルに芽生えた苛立ちを敏感に感じ取ったレーツェルが、必死な様子でリーゼを引き離したのは直ぐの出来事だった。

「はぁ……おい、リーゼと、災厄の担当者だったか? 貴様等も阿呆なことやってないで、早くしろ」

 一連の出来事に、苦々しく顔を歪めたエミリア。「いったいお前はどうなってしまったんだ、リーゼ……」と、小声で囁かれた彼女の呟きは、どうやらリーゼの耳には入らなかったようだ。
 ふと、ユーベルの背中に押し掛かっていた重みが消える。

「そうね。行きましょう。ほら――」

 今度は、肩に重み――否、柔らかい圧迫感を覚えた。ユーベルは、圧迫感の正体を探るべく何気ない造作で視線を肩へ送った。
 そこには、ほっそりとした女性の手が置かれていた。探索者等と言う荒事を生業としながらも、女性らしさを少し足りとも失っていないリーゼの掌があった。
 ユーベルの肩に手をやったリーゼは、そのまま不純物のない、日向の如き暖かな笑みをユーベルに向けて――

「一緒に、ね。ユーベル」





 その姿が、脳裏に過った誰かと重なる。夢見心地の気分で、頭の中を駆け巡った情景を眺めた。
 それは、童子姿の怪物(モンスターチャイルド)と呼び恐れられていた時分に、ひょんなことから訪れた農村の景色だった。
 世に悪名を轟かす悪童である俺を、受け入れてくれる人などいない。いや、もし仮に悪名もなく、悪行も行わず、健やかな毎日を送っていたとしてもそうだっただろう。

 誰も俺を――化け物(オレ)を、受け入れたりなどしないのだ。故に始まった闘争と逃走の連続。奴隷商への身売り話を切っ掛けとする血に塗れた道。その最中で直面した過酷な現実の数々を、忘れたりなどする訳はない。

 異世界という現実の中であっても、人から掛け離れた異常(ばけもの)の居場所はない。
 だから、俺はいつだって孤独で、薄汚い業を背負った怪物で、いつか独り寂しく野垂れ死ぬような化け物で――

 しかしその農村は――その農村に住んでいた一人の少女は、そんな俺を唯一人と見なし、暖かい笑顔を浮かべて、優しく手を差し伸べてくれた。
 彼女の対応に、引かれてだろう。農村に住まう人々から老若男女問わず高い信頼を受けていた彼女のおかげで、この世界に生まれてから初めて、俺は幸福というものを強く感じる事が出来た。

 だけど、そう。そんなもの、所詮脆く儚い幻想でしかなかったのだ。

 農村があった領地――ホーゼの主要都市へ赴こうとした彼女。「ねぇ、一緒に行こうよ、ユーベル!」と、そう笑い掛けてきた長い栗毛の少女の誘いを、世間の反応を気にして、反射的に拒んでしまった俺。
 問答の末、結局俺は村に留まり、少女はホーゼの街へ繰り出した。しかしそれから数日経っても、どれだけ時間が過ぎようと、少女は村に帰ってこず――

 フラッシュバックする。脳裏に過る情景を、おどろおどろしい色合いの黒炎が埋め尽くす。
 村共々、少女の父や母、妹を含めて村人全員が灰に変わった。業々と渦巻く漆黒の焔に、成す術もなく呑まれていった。

 それから後日、燃え尽きた灰となった村の跡地に、首だけとなった少女が送られて――





 頭が割れそうだ。胸の疼きは如何ともし難く、心臓に穴が空いたと錯覚するほどの激痛が、胸中に駆け巡った。
 俺はいつの間に立っていたのだろう。丸椅子から腰を上げ、気付けば二階へ上がる階段に向かい、足を進めていた。
 ちょっと先には、何やら言い合いをしている銀閃乙女の二人――エミリアとリーゼの姿がある。
 背後からは、どこか挙動不審な足取りの足音。気配から察するにレーツェルのものだろう。錚々たる顔触れが揃っているであろう緊急の議題の場に、居疎みでもしているのか。まだ会場に辿り着いてもいないのに、視線を右往左往させている。
 目で見ずとも、彼女の不安が手に取るようにわかった。

 しかしはて、と気付く。鋭敏な知覚は、先まで対面に座り合い、顔を突き合わせていたトイフェルの存在を把握していないようだ。
 どうしてか芽生えた寒気に突き動かされて、然り気無い動作で後ろへ振り向く。レーツェルの遥か後方に、未だ丸椅子に腰を落ち着けたままのトイフェルの姿があった。

 トイフェルを見て、ふと思う。目を向ければ容易く視界に入る道化の姿。何か、シンパシーでもあったのだろうか。先日までは鋭敏な知覚が、過敏なほどに彼の存在を捉えていたと言うのに、揺らめく奴の気配を掴みきれなかった。

 どこまでも朧気な、さながら亡霊の如く希薄な存在感。それでも確かにそこに居て、そこで嗤ったトイフェル。
 彼は丸椅子から立ち上がり、徐に俺へ顔を向けて――

「ほんっとに、僕達にそんなの、似合わないって言うのに……お互い散々血に塗れた身だ。精々醜く生き足掻いて、報われないままに死ぬしかないのさ。だから――そうだ。そんな君に、夢を見せてあげよう。そんな僕が、悪夢を翳してあげよう。そうさ……僕こそが悪魔(トイフェル)。世界に破滅を齎す亡霊」

 醜悪な三日月を唇で描いて、そう、囁いた。





 ギルドが行った緊急の召集。ギルド本部の三階にある会議場には、俺や三大パーティの頭領幹部のみならず、襲撃に関わった探索者が所属するパーティの他にも、将来を有望視される一部のルーキー達が集まった。
 その場でまず告知されたのは、俺が行った七十階層突破の話と、シャルキュール姫の来訪の話だ。
 三大パーティを筆頭とする有力パーティの連中は当然この事を知っており、先の二つの話を知らなかったのは、未だセントラルタウンの情勢に目敏く視線を尖らせる余裕のないルーキー達だった。
 慄くように――と言うより実際に慄いて、様々な反応を取ったルーキー達。彼等は単身で七十階層を突破し、ついには浅はかならぬ因縁のある大国すら俺の存在を認めているという事実に、大きな衝撃を受けたようだった。

 ここで一旦話を区切るギルドマスター。姫来訪に向けてセントラルタウンの外敵――魔族への防衛体制を見直すと口にした彼女は、「しかしその前に」と付け加え、すでに事情を知っている者達にとっての、本題を切り出す。

 旋風のヴィント・ホーゼ達による襲撃に関して、話を始めたのだ。
 襲撃の発端。加担したメンバーや、襲撃犯が所属していたパーティ達について。襲撃への対処の際に起こった致し方ない(・・・・・)近隣への被害。今回の件に付随する責を、誰が追うべきなのか。今後このような事を起こさないために、どうするべきか。

 そんな話が行われた。俺を前にして、流石に大きな声を上げる気は沸かないのだろう。ヴィント・ホーゼ等の死を惜しむ声はあったが、それを齎した俺への批判は一つも上がらなかった。
 いや、あるいはこの場にいる誰もが理解していたのかもしれない。所詮この世は弱肉強食――

 化け物(オレ)に歯向かった負け犬(ヴィント)達が哀れにも物言わぬ躯となった事は、世の摂理に沿った当然の事であると。
 今後の襲撃続発への懸念。これに関して、会議場に集まった者達の意見は一致した。

 あるいはヴィントは、この展開を予測していたのだろうか。俺に追い回され、散々にセントラルタウンを駆け回った旋風の姿は数多くの人々に見られていたらしく、その結末もまた然り。
 決死の覚悟でヴィントが放った禁呪すら、僅か足りとも俺を傷付ける事は出来なかった。
 あまりにも常識外れ。どこまでも規格外。超常に居座る化け物足るに相応しい一方的な蹂躙を齎した俺に、会議場に居る人々は歯向かう勇気をもがれたようだった。

 今後二度と、このような――複数の探索者が徒党を組み、俺と対立するような構図は起こり得ないだろう。故に懸念は不要。考えるべきは、ナルシス王国で水面下に蠢く陰謀への対処だ。
 これは、俺とギルドが行うべきことだ。この場で語るような事ではない。

 ヴィント等の襲撃によって発生した損害に対する責任――要は、賠償だ。それを誰が負担するのか、この話についても、早々に結論は出た。
 あるいは、出たであろう。この男がいなければ、だが。

「襲撃に加担したメンバーは、パーティメンバーにも知らせず、秘密裏にギルドへパーティの脱退申請を行っていたわ。何分急なものだったし、誰も彼もがそのパーティにとっては掛け替えのないメンバーだったから……ギルド(うち)としても対処に困って、正式に脱退させられた訳じゃあないんだけれどね。襲撃に加担した人達は、その時どこのパーティにも属さないただの探索者と言って過言じゃなかった。だから私としては、損害の一切をギルドで請け負うのが妥当だと考えたのだけれど」

 そう言ったギルドマスターに待ったを掛けたのは、不気味な程の沈黙を貫いていたグリードの頭領――トイフェルだった。
 ギルドマスターとしては、俺がその気になれば襲撃の被害をもっと抑える事が可能だったと予見して、一連の損害を他パーティに負担させた場合に、俺への悪評がどうなるか。そのことを懸念でもしたのか。先んじてギルドが損害を負担すると宣言することで、他パーティが俺へ抱く非好意的な印象を軽減させようとでも考えたのだろう。

 ギルドマスターの提案に、トイフェルを除いた全員が賛同していた。しかし奴は、上手く収まり掛けていた話に茶々を入れ、この場にとんでもない混乱を齎したのだ。

「おいおいおぉい、待っておくれよギルドマスター。忘れてはいないかい? 昨夜起こった我が盟友、ユーベル君への悪辣な襲撃には、銀閃乙女の若きホープとして、最近メキメキと頭角を現していたシュネー某も関わったって話だろ?」

「知らないわね。そこのところ詳しく教えてもらえるかしら、エミリア」

「待て、待て、待ってくれ。今、君と話してるのは僕だろう? まずはそう、僕の意見を聞いてくれ。そんな騎士崩れに尋ねたって、我が身可愛さに知らぬ存ぜぬを貫くだけさ。そんなの、誰にとっても公平じゃあないじゃないか」

「……エミリア、もう一度言うわ。詳しく教えて」

「ふむ……しかし詳しくと言われてもな。私が聞いたのは、うちのリーゼとシュネーがたまたま襲撃があった通りの近くにいた。というだけの話だったが」

「そう、たまたまなのね?」

「ああ、偶然さ」

「だ、そうよ。何か異議でもある? ど畜生め(トイフェル)

「何だか凄く貶された気がするけど……まあ良い。しかし異議と言うほどでもないけれど、言いたい事が一つ」

「何よ。つまらない話なら容赦しないわよ? 私達は汚物如き(あんた)の戯言に耳を傾けるために、この場に集まった訳じゃないよ。話すなら手短に話して頂戴な」

「相変わらず、辛辣だなぁ……ともかく僕としては、そこの騎士崩れなんかじゃあなくて、実際に当事者の一人になった彼女に――巨兵のリーゼに、話を聞くべきだと思うんだけど」

「……ふぅん、そう来るのね。じゃあ、盛りの付いた雌猫(リーゼ)、貴方の証言も聞こうかしら」

 ギルドマスターはその時点で、トイフェルの目論見が達成されたと気付いていたのかもしれない。
 誰もが、リーゼもまた白を切ると信じて疑わなかった。一ヶ月前に、地下迷宮で起こった異変。前触れなく現出したゴーストという異形に関する一連の出来事。その詳細を知る俺が、関係上、リーゼを地上へ送り届けた際に、報告を行う必要があった者達――パーティのリーダーという肩書きを持つエミリアや、ギルドを統べる長であるギルドマスター。
 表面上何ともないように見えるリーゼだが、この二人は彼女がパラダイスシフトを受けて精神的に不安定な状態であると知っている。

 そして彼女はそう――俺という存在に、否が応でも傾倒せざるを得ない状態なのだ。

「もし銀閃乙女に所属したままのシュネーが彼へ歯向かっていたとなったら……一緒にいた巨兵も、無関係とは言えないだろう。そうなればこれは、無所属の探索者達が徒党を組んで行った襲撃なんかじゃあなくて――最古参の幹部である巨兵を筆頭に、同パーティの幹部マリエラや、次代のエースであるシュネー。彼女等が中核となって企んだ、銀閃乙女全員が関わる襲撃であった可能性も出てくる! これは大変だ。一大事だ。まさかブラッドナイトに続いて、銀閃乙女までユーベル君に歯向かう愚を冒すとは……ついては今回の損害は銀閃乙女が請け負うものとする必要があるんじゃあないのか?」

「待て、銀閃乙女は襲撃に関して何ら関係を持っていない。口から出任せも良い加減にしろ。お飾りのトイフェル!」

「くくっ、どうだか。表情が引き吊ってるよぉ? それは何か、後ろめたいことがばれた時の顔だ! わかる。わかるよ。僕も良ぉくそんな顔をしちゃうからね。でも、嘘なんか吐いちゃあいけないぜ。やっぱり嘘吐きの君ではなく、もっと誠実な――巨兵のリーゼだとかに、話を聞くべきだね、これは」

 件の巨兵は、襲撃への関与を否定。しかしシュネーが俺に、ヴィント等の襲撃とは別口で襲い掛かった事実を嘘偽りなく話した。
 パラダイスシフトを受ける前の彼女は、腹芸も充分にこなせるベテランの探索者だった。それがこんなにも馬鹿正直になるとは。これも、パラダイスシフトの被害なのだろうか?

 その時は、そうとしか考えなかった巨兵のリーゼの変調。この時の俺は、彼女の変化に対しもっと深く思案を巡らせるべきだったのだ。
 気付いた時には、もう遅かった。

「ふぅん、そりゃ残念……でもシュネーがユーベル君を襲ったのは、確かな事実だった訳だ。これだから嘘吐きは嫌になっちゃうね。平気な顔して、人を騙すんだもの。それで、身内がユーベル君に歯向かった落とし前を……君達銀閃乙女は、どうやって付けてくれるんだい?」

「……責任は、私が負うわ。私が彼の所有物に――奴隷に、なる。これでシュネーの無謀はチャラでしょ?」

 そうしてその日、巨兵のリーゼが俺の奴隷となる事が決まった。

 それから、数日後。グリードの頭領トイフェルの惨殺死体が貧困街の片隅で発見されたという報が迷宮都市内を駆け巡るが――それはまだ、少し先の未来の話。
次の投稿まで、しばらく日を跨ぎます。ある程度書き貯めてから二章を投稿したいので……読者の方々には申し訳ないですが、首を長くして次の投稿をお待ちくださいませ。

『追記』
こっそり粗筋変えますた。
活動報告にパッと思い付いた旧版との差異を書き殴りました。ちょいネタバレ含むやもです。興味ある方は一見ください。

『6/15追記』
冒頭にある「ギルドは議論の場を設けるべく――ギルド本部へ(以下略)」って下りの上で、襲撃によって出来た被害について少し書き加えました。違和感などあれば指摘してくださるよう、お願いします。
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