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暴君ユーベル迷いナく. 作者:霧山病

第一章[迷い人のバチカル]

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1-12/迷い人の無神論

 倒壊した家屋。散乱する瓦礫。荒れ果てた街並みの中で、身を横たえるのは数多の人々の成れの果て。それは死体だった。多くの死者の躯がそこかしこに転がっている。
 脳髄を垂れ流して、腸をぶちまけて、半身を奪われて――誰も彼もが惨たらしく死んでいた。殺されてしまっていた。その凄惨さ足るや、五体満足のモノを見付け出すことが難しいほどだ。
 空の夕暮れが、その場の惨状を照らしていた。暖かな夕陽に包まれて、しかしその場に満ちるのは希望ではなく絶望。祈りではなく呪い。

 ああ――と、嘆くようにそう呟く。

 もしも神がいるのだとしたら、きっと尋ねずにはいられないだろう。問い詰めずにはいられないだろう。

 どうして貴方は、あのようなおぞましき存在を生み出してしまったのでしょう。
 どうして貴方は、あれほどに醜悪な怪物に然るべき罰を与えないのでしょう。
 どうして貴方は、絶望に嘆く我々を助けてはくれなかったのでしょう。

 祈りは、届かない。届かなかった。故に結末を彩るのは絶望。斯くしてその地は、惨劇の末に終焉を迎える。



 ふと脳裏へ過った走馬灯に、思わず自嘲を漏らすところだった。所詮、過去のこと。とうの昔に過ぎ去った、遠い日の出来事だ。
 今更それを嘆いて、何が変わる訳でもあるまい。救いがないままに終わったのだとしても、訪れた惨劇は今に繋がった。それで、良い。それだけで良かった。そのはずなのに――

 ぶぅんと、風を裂いて飛来した魔力の塊。バレットが、また仲間の一人を死に追いやる。
 穿たれたのは胸部だ。閑散とした通りにて、己と並走していた男――土属性魔法の使い手が、着弾の衝撃に身を踊らせ転倒した。地面との衝突に耐えられなかったのだろう。胸に空いた風穴から臓物がはみ出た。
 仲間の死に、足を止めることはしない。悲鳴を上げる心臓に活を入れて、疾駆を続けた。

 きっと、振り向けば目に入ったのだろう。セントラルタウンの夜道を汚す、同士達の死に様が――
 ありありと、視界に映ったのだろう。


 疾駆の傍らで、激しい情動が渦を成す心の奥底に埋没する。思い返したのは、在りし日の記憶だった。
 セントラルタウンを南に向かい幾ばくか。ナルシス王国とここ迷宮都市を繋ぐ道中にある、さる貴族の領地であった場所での出来事だ。
 その地は風の名家ホーゼが統べる、ナルシス王国より与えられし栄誉の地であった。
 ナルシス王国の軍閥にて大きい発言力を持ち、代々風属性魔法に高い適性がある血脈故に、風の名門と謳われたホーゼ。
 ホーゼ領は、遠い昔に当代のナルシス国王が、国への尽力を讃えてホーゼへ賜与したとされる土地だ。



 彼は――ヴィントは、自身の生まれ故郷である、ホーゼ領の景色を思い返した。誰もが笑って、誰もが泣いた。そんな、当たり前の情景。平穏に満ちた、ありふれた街並み。
 将来的には自身が統治することとなるはずであった領地だ。幼い齢ながらも――あるいは幼い齢故に、ホーゼの当主として君臨する未来への興味は絶えず、もっと我が家について良く知ろうと、ヴィントは度々屋敷を抜け出してはホーゼ領の街並みに繰り出していた。
 父と、母と、雇用している数多くの使用人。そんな彼等彼女等が日々を営む、名門に相応しき立派な屋敷。そこを抜け出して、街中へ足を通わすヴィント。
 何と言っても、偉大なる領主の子息様だ。童子ながらもホーゼ家の更なる発展に思いを馳せるヴィントを、領内の住民が邪険に扱う訳はない。
 住民一同が日々を健やかに過ごせるのも、全てホーゼのお陰だと――そんな感謝を込めて、住民はホーゼの跡取り足るヴィントに暖かく接した。

 屋敷では次代のホーゼ家当主として、様々な分野において厳しい教育を施されるヴィント。どうにも、性が合わないのか。彼は言葉巧みな駆け引きや、緻密な口論などが苦手だった。
 貴族として、ホーゼ家の当主としての未来を進むならば、そういった弁舌の腕も必要になってくるのだろう。そう頭ではわかっていても、苦手なものは苦手なのだ。どう取り繕う由もない。
 ヴィントが一番得意な――あるいは好きな時間は、魔法を習う時だった。風の名門として、高い志を持っているのか。この時だけは雇用した外部の者に任せたりはせず、父のオーデムが直接指導してくれるのだ。
 常に政務に追われる父が、貴重な時間を割いて教えてくれる。たったそれだけで、ヴィントにとって魔法に関する習い事は至福に成り得た。

 才は、あったのだろう。ヴィントは父の教えに良く習い、良く応え――天才と呼ぶに値する、平凡ならざる天賦の才を開花させていく。
 父は、日に日に風属性魔法の腕を上げていくヴィントの成長を、我が事のように喜んだ。魔法の才だけで伸し上がれるほど、貴族の世界は単純じゃない。文字通り、痛いほどに身に教え込まれた教訓。それに倣うとするならば、一人にしても勝手に伸びていくであろう魔法の才を今は差し置いて、ヴィントが苦手とする対人関係での身の振り方、交渉術などに重点を置くべきだと――そう思いつつもオーデムは、自身の教えを受けて精一杯に励む愛しい息子の姿を見ればこそ、魔法の指導を止めるなどと、とてもではないが言い出せなかった。


 属性魔法の最上位に位置する、究極の魔法の一つ。風の究極魔砲(アルテマ)。領内の空き地でそれを見せた時のヴィントの反応と言ったら、思わずオーデムが照れ臭くなってそっぽを向いたほどだった。
 「凄い。流石僕の父さんだ」と、幼い身形で喜んだヴィント。彼は、恵まれていた。

 偉大な父に、常に微笑みを絶やさない穏和な人柄の母親。親しみをもって接してくれる数々の使用人に、領地に住まう多くの住民達。
 その誰をも、ヴィントは大切に思っていた。その全てが、ヴィントにとって掛け替えのない、大事なものだった。



 ――しかして全ては奪われる。童子姿の怪物(モンスターチャイルド)と呼び恐れられる、一人の童子の手によって。
 あの時(・・・)、ヴィントの幸福は絶望に変わったのだ。





 また一人、恐るべき暴君の魔手にヴィントの仲間が囚われる。姿を隠していた者も含め、十余名もいた襲撃者。その数が今では、残りたったの四名だ。
 逃走に浸るヴィント達を、ユーベルは束の間に窮地に追いやった。空を穿つ魔弾は瞬く間に襲撃者の体躯に風穴を空け、通りに蠢く陽炎の鎖は彼等の逃亡を許さず、その身を捉える。
 彼等は、その誰も彼もがセントラルタウンで勇名を轟かせる一端の探索者であった。たかが十と数人と言っても、生半可な集団ではない。腐敗を強めるナルシス王国に属する、騎士団など――半端な腕前の徒党であるならば、容易く蹂躙してみせるほどの精鋭達である。
 そんな彼等が、手も足も出ない。ああ――と、嘆いたのは誰であろう。

 あまりにも理不尽な存在だった。何故ならばと、そう語るまでもないだろう。彼こそが暴君。シャハテル大陸に悪名を轟かす絶大の暴力の顕現。恐怖の象徴、災厄のユーベル。
 ヴィント等が襲撃を図った相手こそ、大陸最強の化け物(モンスター)であるのだ。だとすれば彼等の窮地は必然。終焉は必定。至る結末は当然、絶望。



 ジャラジャラと耳に付く金属音を鳴らしながら、凄まじい速度で矛先を伸ばす鎖。その勢いと言ったら、さながら放たれた弩の如しだ。
 紅い陽炎を揺らめかせる鎖。彼の悪名高き暴君、災厄のユーベルが持つ絶対的な暴力。その象徴の一つとして高い知名度を誇るそれ――古代魔導(ハイエンシェント)支配者の紅鎖(ヘルシャーケッテ)が、逃げ惑う襲撃者の一人の足を掬って、転倒させる。
 自身の終焉を、悟ったのだろう。常であれば朗らかな笑顔を浮かべている端整な顔立ちが、恐怖に彩られ絶望に染まる。
 転んだ拍子に、襲撃者の毛髪が翻った。受け身を取ろうと伸ばした手はいつの間にか鎖に拘束されていて、動かせない。
 どさりと、地に倒れる肢体。襲撃者の毛髪が――目元を隠すライトブルーの長髪が、通りの石畳に広がる。

「マリエラぁ!」

 思わずと言った調子で、一人の男がそう叫んだ。これで残った襲撃者は、後三人。ユーベルは無感情にそうと数えて、外套の裾から伸びる鎖へ蹂躙の意思を乗せた。
 支配者の紅鎖(ヘルシャーケッテ)が、激しく蠢く。マリエラの両手に絡まっていた陽炎が大きく波打って、彼女の肢体を空に持ち上げた。
 ジャラジャラと蠢く鎖がそこかしこから宙に這い寄って、両手のみならずマリエラの程好く熟した御々脚を、ライトブルーの長髪の隙間から窺える、色気立った魅惑の首元を――強く、締め上げる。

「うぎぅ!?」

 体躯を苛む圧迫感に、苦悶の一つでも上げようとしたのか。反射的と言った様子で、声にならない呻き声を漏らしたマリエラ。
 毛髪に隠された妙齢の美貌が、束の間に青褪める。首元を締め上げられては、ろくに悲鳴も出せまい。ユーベルは目を見開いて絶望を訴えるマリエラの様子に関心を示す事もせず、支配者の紅鎖(ヘルシャーケッテ)を強く張った。

「愉快なオブジェの完成だぁ! 冥土の土産に持っていきやがれ、糞ったれ!」

「くそっ、くそっ……! また、お前が、お前がああああああ!」

 マリエラの肢体は、容易く引き裂かれた。ピンと張られた鎖の張力に、耐えられなかったのだろう。嫌な音を立てて引き千切られる四肢と、頭部。
 ユーベルは鎖を纏わり付かせたマリエラの残骸を、憤怒に吠えた男へ向け放り投げた。大きく弧を描いて、放物線をなぞる支配者の紅鎖(ヘルシャーケッテ)。その数は、五。
 それぞれの先端に囚われていたマリエラの肉塊が、勢い良く男へ向かった。

「お前で、後二人ぃ!」

 告げられたのは、絶命の宣告か。男は通りを踏み抜いていた足を止め、反転。逃走を取り止め、ユーベルへ相向かった。
 男は、かつてユーベルに無二の親友を殺された過去を持っている。つい先程に死んだ者とはまた別の襲撃者――土属性魔法を使っていた人物の、その兄と、男は幼馴染みだったのだ。
 探索者として活躍する事を望んだ二人と、セントラルタウンの外部を冒険者として放浪する事を望んだ親友。思えばそこで、道は別れてしまったのだろう。
 各所を転々とする親友の気儘さが故に中々直に顔を合わせる事は出来なかったが、彼等は互いの近況を通信魔術で話し合っては、双方の進展に驚いたり、嘆いたり、頻繁に苦楽を分かち合っていた。

 しかしてある日、その繋がりは唐突に断たれた。親友の死によって――童子姿の怪物(モンスターチャイルド)として指名手配されたばかりだった頃の、当時の幼いユーベル。彼の捕縛依頼をシュランゲ商会から引き受けて、親友は死んだのだ。
 その死に様を、直接目にした訳ではない。死去の報せを受けたのは、親友の死からしばらく経った頃だった。

 どちらが悪か、善か。そんなことは関係ない。男も、親友の弟も、憎まずにはいられなかった。半生を共にした間柄の冒険者。道を違えど繋がりは絶えず、だとすれば死をもって彼等の絆を引き裂いた悪童は、残された二人にとって、許し難き仇敵でしかなかったのだ。

 まただ。また奪われる。また殺される。男は憎悪に駆られずにはいられなかった。銀閃乙女の幹部として、セントラルタウンに名を広める妙齢の美女、マリエラ。
 彼女もまた、大切な者を彼の悪名高き暴君に奪われたと言っていた。六年前、ユーベルがセントラルタウンに訪れたばかりの頃。ブラッドナイトの壊滅というあまりにも唐突な悲報が、迷宮都市内を駆け巡った後の事だ。
 男はマリエラを憎からず思っていて、だからこそ鬱陶しい奴だと自覚しながらも、まるで未亡人が如き様相を垣間見せた彼女に、その事を訪ねて――

 叶わない恋をしていると思っていたら、気付けばそれが絶対に叶わない恋になっていたと、そう物憂げに語っていたマリエラが、死ぬ。死んだ。
 事もあろうに、自らの目の前で、こんなにも惨たらしい形で!

 許せるか? 自問の返答は否。許せるはずがない。認められる訳がない。だから、男は吠えた。死して尚も、冒涜を止める気はないのか。マリエラの躯をぞんざいに放り投げた、死者への敬意すら持たないろくでなし――人の心を知らぬ悪鬼に向かい、吠える。

「死ねっ、死ねぇ! 死んでしまええええ! この、化け物が!」

 怨恨の咆哮と共に放ったのは、男の親友や、その親友の弟もまた得意とする土属性に類する魔導だった。
 二人と違うのは、其が魔法ではなく魔術であったという事だろうか。男の指先が、宙に幾何学的紋様を描いた。指先に仄めく淡い魔力の光が、何もない空間に軌跡を描く。
 編まれた幾何学的紋様――魔術式は、直ぐ様に真意を発揮する。ごごごごと、唸りを上げた大地。通りに敷かれた石畳が捲れ上がる。地中より這い出たのは、鎌首を擡げる土塊の大蛇だった。
 とぐろを巻く大蛇が術士の憤怒に応え牙を覗かせる。殺意を垂らす大蛇の眼窩が、空に舞うユーベルと、男へ向かい投げ付けられたマリエラの残骸を捉えた。

 その、直後だ。

 紅い煌めきが空に瞬く。中空に現れ出たるは、数えるのもバカらしくなるほどに大量の魔弾。鮮血の輝きを放つ、数々のバレットだった。
 夜空が、魔弾の群に覆われた。気付けば掌を翳していたユーベルが、荒々しい挙動で手を振り下ろす。それを合図に、さながら流星の如く振り注ぐ魔弾の豪雨。
 マリエラの残骸ごと呑み込んで、バレットは土塊の大蛇を――憎悪に吠えた男を、穿つ。撃ち抜いて、貫いて、身を削って、あまりもの怒涛は男に原型を留める余地を残さず、その死骸を血霧となるまで磨り減らした。
 そうして束の間に、訪れる静寂。残った襲撃者は、ユーベルの宣告通り後二名となった。

「さぁて」

 と、そう呟くユーベル。本来ならば擬きとすら貶されるほどに程度の低い魔法、バレットが齎したあまりにも一方的な殺戮の余波を受けて、建ち並ぶ建造物が何軒も倒壊している。
 世紀末もかくやと言った有り様の荒れ果てた通りに、どさりと何かが落ちた音が響いた。胴体だけとなった、マリエラの遺体だ。不運か、幸運か、魔弾の豪雨の中で尚形を保った肉塊が、通りを彩る凄惨さを強めた。
 これだけ大規模な戦闘――否、蹂躙をしたにも関わらず、近辺に住まう者達の喧騒は聞こえない。恐らく、ヴィント等が人払いを徹底したのだろう。
 それにしたって普通ならば、真っ当な考えを持つ者であるならば、後々の事を考えて、こうまで見境なく暴れたりなどしないはずだ。

 支配者の紅鎖(ヘルシャーケッテ)が、血に塗れた矛先を伸ばす。陽炎のような揺らめきを纏う鎖。終わりの見えない逃走に耐えられず、自棄にでもなったのか――道を戻ってユーベルへ向かってきた襲撃者の一人を、紅の鉄鎖が捉える。襲撃者の表情は、恐怖に歪み引き吊っていた。

「残りは、ヴィントだけか」

 喜怒哀楽の一切を廃した、無機質な囁き。その直後に鎖が大きくしなって、捉えた襲撃者を夜空へ放り投げた。
 放物線を描いて、中空を飛んだ襲撃者。軌道の先にはユーベルがいた。彼は「いやだあ! 死にたく、しにたくない゛い゛い゛い゛!」と喉が裂けんばかりの絶叫を上げた襲撃者に向け、右手を向けた。
 指を揃えて、構えられているのは手刀だ。ばちりと紅い煌めきを迸らせたユーベルの右手が、向かい来る襲撃者の体躯へ振るわれる。
 直後に中空へ踊ったのは、胴で真っ二つに割かれた襲撃者の成れの果てと、切断面から吹き出る真っ赤な鮮血だった。

 水飛沫のように散った血が、ユーベルへ振り掛かる。彼の燃え尽きた灰の如き色合いの毛髪を、真っ赤に染めた。
 ぴちゃりと、吹き出た鮮血は粘着質な音を立てて、ユーベルの顔にまで振り掛かった。無駄な汚れを嫌い、常時であれば自前の魔力障壁で遮断している返り血。頬に付着したそれを、彼は舌を伸ばして舐め取った。
 襲撃の終わりを、予見してだろう。冷たい響きの囁きは、愚かにも自らへ抗った襲撃者達の無謀さを、嘲るように――

「呆気ねぇ。羽虫共が……化け物(オレ)に歯向かうから、こうなんだよ」

 あるいは嘆くように、木霊する。

 ユーベルには、自身がどうしようもない人でなしという自覚がある。己がためだけに、理不尽な略奪を繰り返したのだ。そこに正義など、介在する余地はない。
 生きるために、他者から奪った。時に命を、時に尊厳を、時に他者が大事にするモノを、散々に奪って傷付け壊し続けてきた。
 だから、自身は悪党だ。どうしようもないほどに救い難い、肥溜めの畜生だ。ユーベルはそうと信じて疑わなかった。

 故に、きっとその祈りは分不相応の、身の程も弁えない愚かな願望で――それでも願った。いつか平穏が訪れるのではないかと、闘争の果てに安寧は齎されるのではないかと、祈って、願って、望んで、ユーベルはついぞ化け物としての異名を消せないまま、ただただ戦い続けた。ならばその末路は、必然なのか。
 シュランゲ商会への身売り話から始まった理不尽の連続。繰り返される闘争と逃走の中、気付けばユーベルもまた、理不尽を振り翳す側になってしまっていた。

 悪か否か、正義か否か。今のユーベルにとっては、そんな線引きすら些細な違いにしか思えなかった。自身が悪党なら、それはそれで良い。立ち塞がるのが正義なら、それもそれで構わない。
 善悪の基準など、常世に敷かれた真理を覆すには至らない、ちっぽけな些事でしかないのだ。

 故に呪えよ。ユーベルは何処ぞを苛むズキズキとした痛みを無視して、悪名高き暴君らしい、あまりにも凄惨な嘲笑を浮かべた。
 醜悪に口端を吊り上げて、唱えたのは無情の真理。暴君を暴君足らしめる、絶対の摂理。

 惨劇の舞台となった通りの只中で、孤独にユーベルは呟いた。無意識なのだろうか。自然な動作で胸元まで持ち上げられた拳が、握り締められる。
 まるであたかも、何かを砕くように――

「この世界は、弱肉強食……だから、だったら」

 砕かれたのは、自身の胸のうちに燻る脆弱な前世の情理だろうか。あるいはこの過酷な異世界で育まれた、醜悪に汚れた化け物の衝動だろうか。
 砕け。砕け。砕け。ユーベルは三度、頭の中で繰り返した。躊躇いは、ない。祈りは不要。この世にて罷り通るのは、凄惨なる呪いのみ故に。

「てめぇらの死は、必然の出来事なんだろうよ。弱者を救う救世主(かみさま)だなんて、どこに行ったっていやしねぇ。弱い奴が奪われて、強い奴が奪う。世界はそういう風に出来てるんだ。だから、弱い奴は死ね。てめぇもそう思ったことはないか? なあ、負け犬(ヴィント)

 歯向かう弱者は、尽く殺して然るべし。ユーベルはそうと、強く自身に言い聞かせた。
 走り疲れたのか。あるいは何か、考えでもあるのか。ついに足を止めたヴィント。その瞳には襲撃に加担した仲間の尽くを失って尚、強い意思の光が湛えられていた。
 絶望に嘆く素振りは、ない。セントラルタウンには、彼の悪名高き災厄への畏怖を唱える詩があった。

 恐れよ。怖れよ。呪うな。畏れよ。彼こそ悪災。邪悪の申し子。触らぬ神に祟りなし、起こらぬ災い悲劇にならず、故に恐れろ近付くな。彼こそ終わりを招く者。故に怖れよ遠くへ逃げろ。彼こそ破滅を齎す怪物。故に畏れよ、彼こそ災厄。如何な呪いも決して届かぬ、邪悪を振り撒く超常の化け物。
 故に恐れよ。怖れよ。呪うな。畏れよ。起こらぬ災い悲劇にならず――


 ユーベルの理不尽なまでの有り様をそうやって唱う唄にある通り、彼は決して何者にも届かない、超常の力を持っている。
 言わば、其は絶対の暴力。遍く尽くを蹂躙し破滅へ追いやる、災厄の如き力だ。

 個人が持つにはあまりにも不相応の甚大な力。その持ち主を目前にして、しかしヴィントは勝ち気に頬を吊り上げて、絶望に嘆く事もせず言い放った。
 言霊に紡がれたのは、祈りだったのだろうか。呪いだったのだろうか。
 旋風の異名に違わぬ苛烈さで、ヴィントは吠えた。「ああ、そうとも!」と、声高に怒号を上げる。

「世は、無情だ。迷宮都市(ここ)に辿り着いてから、思い知らされたよ。弱い者が奪われて、強い者が奪い続ける……それが自然の摂理だと言えば、それまでなんだろうさ。だが、だがしかし――だ!」

 だとすれば摂理の指し示すままに、彼の悪名高き暴君は、これからも数多くの弱者から略奪を繰り返し続けるということで――
 最も強大な存在故に、誰も彼を止められない。ユーベルに、逆らえない。ヴィント自身知るところであるが、ナルシス王国の方では、ユーベルを巻き込んだキナ臭い企てが推し進められていると聞く。
 その陰謀の最中で、ユーベルはまた数多くの悲劇を作り上げるのだろう。惨劇の只中で略奪を繰り返して、救いようのない絶望を齎すのだろう。

 そうさせないために、そうならないように、願って――

 ヴィントは其を顕現させる。咆哮と共に振り抜かれた右手に、暗闇に染まる暗黒の焔が宿る。渦を巻いたのは使用者の()すらも焼き尽くす、地獄の灼熱。禁呪が外法の一つ、デスパレードだ。
 例え強者の君臨こそが、世の常だと言うのだとしても、

「だからと言って、貴様の存在が許される訳はないだろう! 故に俺は、これを――最後の災いと成す!」

 黒炎が、豪々と禍音を鳴らした。ヴィントの顔が苦悶に歪む。デスパレードとはありとあらゆる存在を燃やし尽くす、おぞましき禁呪の焔だ。如何な魔導、物質であろうと、デスパレードを前にしては等しく無駄な抵抗にしか成り得ず、暗黒の火焔は、使用者の魂にすら牙を向くほどの脅威を秘めている。
 其が、その漆黒の揺らめきが、ヴィントの右手に灯っていた。思わず目を細めるユーベル。「てめぇ」と、言葉少ない囁きは、しかし慄きも恐れもない、無感動な音色で響く。

「そんなちゃちな代物で、この俺を――悪名高き災厄様をどうにか出来ると、本気でそう思ってんのか? だったら、そんなてめぇに教えてやる……」

 ユーベルは、高らかに嘲笑した。
 最早、ヴィントの結末は決まったも同然だった。いくら強力な禁呪と言えど、災厄の威光を脅かす障害には成り得ないのだ。
 故にその結末は、必定。そうとわかっていて尚、ヴィントは気高く吠えた。

「それは、無茶無駄無謀な糞の役にも立たねぇくっだらねぇ足掻きって言うんだよぉ! 羽虫如きが、身の程を知りやがれ!」

「ほざけ、化け物! ここで死ねええええええええ!」

 禍つ焔が、渦を巻いた。ヴィントは掌をユーベルへ向け、翳す。解き放たれた黒炎は主の意思に応え、よりいっそうの禍音を轟かせる。
 豪々と、業々と、燃え盛る暗黒の灼熱はしかし、向かう先に佇む暴君を、呑み込む事も出来ずに――
 紅い煌めきを湛える半透明の魔力障壁に、遮られる禁呪の炎。暗黒の焔はしばらくユーベルの魔力障壁を炙って、結局傷の一つも負わせずに掻き消える。ヴィントの魂が、デスパレードを行使出来る限界を超えたのだ。

 どさりと、音を立てて地に倒れ付したヴィント。響き合っていた怒号も、黒炎が渦を巻く音も、建築物が崩れる派手な倒壊音もなくなって、その場には静寂と、どうしてか身を痩せ細らし、息絶え絶えの様子のヴィントと、傷の一つもなく、冷めた視線で彼を見詰めるユーベルだけが残った。
 ヴィントは上手いこと、矛先を調整したのだろう。デスパレードの余波を免れた付近の街並みは、ユーベルの遥か後方まで続く荒れ果てた通りと違って、戦闘があったとは思えないいつも通りの落ち着いた様相を見せていた。

 禁呪とは、自身の身にすら牙を向く諸刃の外法だ。デスパレードの行使に耐えきれず、自身を構成する高次元の情報体――魂を焼き尽くされたヴィント。その致命的な欠落は肉体を衰えさえ、直にヴィントの命を死に追いやるだろう。

 あるいはもう、息絶えるのか。耳に付く苦し気な呼吸音が、束の間も経たずに途絶えた。物音の一つもない冷たい静けさが、その場を覆う。
 ポツリと、ユーベルは呟いた。


「だから、言っただろ。無駄な抵抗だって」

 胸中に秘めるは何たるや。努めて感情を廃した無感情な呟きが、静けさの中を空しく転がる。
 そもそも、間違っているのだ。己に歯向かうだとか、抗うだとか、そんな考えこそどうしようもない過ちでしかないのだ。
 愚かの、一言に尽きた。ユーベルはそうと嘆くように、囁く。

 ズキズキと、我が身を苛む鈍痛は未だ絶えない。堪らず、ユーベルは己が身を掻き抱いた。

「だって、俺は暴君なんだ。そうだ。俺が、俺こそが、悪名高き災厄のユーベル……」

 夜空に響いた囁きは、まるで聞き分けの悪い童子を諭すかの如く――

 例え如何な相手だろうと、歯向かうならばその尽くを容易く殺してみせる暴君。それが、それこそが己なのだと、ユーベルは強く胸中で吐き捨てた。

 ユーベルの知覚に、ザッザッと通りの石畳を踏み抜く足音が届く。こんな夜更けに、いったい何奴だろう。あるいは新手の刺客の到来かと、緩慢な動作で音が聞こえた方向へ振り返ったユーベル。
 足音を鳴らす某かは、ヴィント達がユーベルからの逃避行を繰り広げた、荒れ果てた通りの方角――ユーベルの後方から、近付いてきている。

 振り向いたユーベルの視界に映ったのは、青みがかった白髪を二つに結った少女だった。
 はて、いったい誰だろう。眦に涙を湛える、どこか焦った様子の少女。彼女は振り向いたユーベルになど目も暮れず、疾走。
 足を止めたのは、少し前までは女受けのしそうな若々しく整った顔立ちだった、勇敢なる青年の躯の前だ。

「う、うそ……ですよねっ。ヴィント、何で――この前、帰ってきたばっかですよねっ? なのに、何でこんなに早く! どこに行くんですか。ここ! ここです! 貴方の居場所は、このセントラルタウンなんです! だから、ねぇ、嘘って言ってください! 何で死んでるんですか。ねぇ!?」

 少女は老い果てた躯の前で膝を突いたかと思うと、禁呪行使の対価に魂を磨り減らしたヴィントの遺骸に縋り付き、慟哭した。
 頬を伝う涙が、ヴィントの遺体を濡らした。どれだけ喚こうが、嘆こうが、躯は躯だ。死人に口はなし。少女の嘆きに、ヴィントが応えるべくはなかった。

 やがて、喚き疲れたのだろう。徐に立ち上がった少女が、幽鬼が如く緩慢な動作でユーベルに振り返る。
 ユーベルには、少女が次に何と言うのか手に取るようにわかった。散々に聞き慣れた言葉だ。嫌になるほどに言われ続けた響きだ。
 「お前が」と、少女は言う。吠えられたのは憎悪。瞳に渦巻くは怨恨の灯火。

 ここまでに来る途中、その有り様を目にしたのだろうか。少女は――銀閃乙女に属す若き精鋭、シュネーは、涙に濡れた目を血走らせて、獣の如く咆哮した。

「お前が、マリエラさんとヴィントをおおおおおおおお!」

 咆哮と共に、疾駆。矢の如き速度で駆け出したシュネーが向かう先には、不遜に佇む暴君の姿があった。
 少女は常に身に離さず持ち歩いている、虎の子の切り札の起動を決めた。魔術とは、予め魔術式を物品に刻み付けておくことで、使用の際にはその物品へ魔力を送るだけで発動する事が出来るようになる。
 シュネーが魔力を送り込んだのは、長い白髪を束ねる二つの髪留めだった。シンプルに黒一色で彩られたリボンが、冷気を放つ。

 少女が、両腕を振り上げた。夜空に翳された掌は、あたかも剣の柄でも掴むかのように、強く握り込まれている。
 ピキピキと、冷たい響きが鳴った。シュネーの掌の中で、魔術によって編まれた氷塊が構成されていく。
 氷塊が形作ったのは、天にまで届くのではと錯覚してしまうほどに、あまりにも強大な直剣。

 否、剣などという表現では言い表せないだろう。夜空に聳え立つ氷塊の巨大さ足るや、まるで天を貫く塔の如し。
 そんなものを降り下ろしてしまえば、ユーベルどころか数々の建造物まで一息に押し潰してしまうだろう。そうとわかっていないのか、あるいはそうとわかってなお、留めようとは思えないのか。
 シュネーは胸を突き動かす衝動の赴くがままに、雄々しき氷塔を降り下ろして――
 直後、ジャラジャラと鉄を擦り合わせる音が、空を覆った。


 夜は、未だ明けない。
 衝突の寸前に、宙を覆い隠した揺らぐ陽炎の鎖。気付けば現れ出ていた支配者の紅鎖(ヘルシャーケッテ)は、地に向かい倒れ込まんとする氷塔に絡まりつき、これを容易く締め上げて粉砕する。
 自身の切り札である超特大の魔術がいとも簡単に打ち砕かれた事に、茫然自失となるシュネー。佇む暴君はそんな少女へ、無慈悲な死を与えんとした。

 右手を翳すユーベル。シュネーに向けられた掌では、鮮血の如き色合いの魔力が迸っていた。
 殺す。殺せ。立ち塞がる尽くを、暴虐をもって蹂躙せよ。そう、再三胸中で唱えたユーベル。しかしそんな彼に、待ったを掛ける人物がいた。シュネーを追って、急いで駆けてきたのであろう。彼女は息を切らしながらその場に駆け込み、バレットの発動を直後に控えるユーベルの前に立ちはだかった。

「嫌な予感がするなんて言うから、どういう事かと思ったら……こういう事だったのね」

 そう囁いたのは、三大パーティの一角である銀閃乙女の大幹部、巨兵のリーゼだった。




 その後の顛末を、語ろう。
 ユーベルは立ち塞がったリーゼを、蹴散らすべき障害と認識した。彼の悪名高き暴君の殺意を向けられたリーゼは、しかし物怖じする事もなく、自分達二人はヴィント等が企てた襲撃に関与していないのだと主張し、だからどうか私達を見逃してくれとユーベルに頼み込んだ。

 シュネーとしても、ユーベルとしても、とても納得の出来る提案ではなかった。だが確かに、リーゼは襲撃に直接関与してはいない。悪名高き彼の暴君に、反逆の牙を向けた訳ではないのだ。
 だがその主張は、リーゼ(・・・)にのみ適用される。魔術を行使し、ユーベルを殺害せんとしたシュネー。そんな彼女を襲撃とは無関係の者だから見逃してくれなどと、最早詭弁ですらない世迷い言である。

 それでもリーゼは、ユーベルに乞うた。ならば代わりに、無謀の代償は自分が払おう。だからどうかこの子は、この子だけは見逃してやってくれと――

 そうユーベルに願ったリーゼ。その瞳が湛えていたのは、澄んだ色合いのアクアマリンの輝きだった。
ちょっと駆け足気味。次で一章は終わります。もしくは次の次で終わるはずです(白目)
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