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59.午後のお茶会

 最初に感じたのは、爽やかな微風だった。

 ベッドは柔らかく暖かで、毛布の肌触りが堪らない。どこかからパンのイイ匂いがした。

 頬をくすぐる風を楽しみながら、そっと瞼を開いた。

 まず、ベッドの天蓋が目に入った。軽く視線を動かすと、光を遮るカーテンが風に揺られている。

 ……このままいつまでもぼんやりしていたい。


「――イクシスッ!!」

 俺は弾けるように上半身を跳ね起こした。


「ぐあッ!?」

 驚いたような声に振り向けば、枕元にイクシスがいた。黒いドラゴンはベストのフードに丸まった姿勢のまま、金色の瞳で俺を見上げている。

「……イクシス……」

 そっと、手を伸ばす。

 サラサラの赤い鬣を撫でてようやく、小さな体と不思議な力で頑張ってくれた仲間がそこにいる、という実感が湧いてきた。

「どこにも問題ないか?」

「グーアッ!」

 目を細めたイクシスが機敏な動作で頷いた。

 心の底から安心した俺は、小さなドラゴンをベストごと抱き上げて膝の上に置いた。頭を撫でながら呟く。

「――んで、ここは……」


 その時、ドアが開く音がして、カーテンに人影が移った。


「……おおっ、目が覚めたのか、カインド!?」

 シャっと横のカーテンが引かれて、とんでもなく整った顔が現れる。やや格式ばった服を着たルースだった。

 何だか照れくさい気持ちがして、ぶっきらぼうな口調で答えてしまう。

「ああ。ここどこだ?」

「リリィの家――クルミアにあるルークセントの王宮だ。前にも泊まった部屋だよ」

 言われてみれば、部屋は見覚えがあった。王女モードのリリィに招かれた夕食の後、サラに案内されて入った、あの部屋だ。

 ルースはいきなり両手で俺の顔を挟むと、マジマジと覗き込んで来た。

「痛い所や動かない所はないか?」

「――……あ、ああ。大丈夫だって」

 俺が答えても観察は終わらない。実際に動いてみろと言われ、その通り動いて、何とか男装の魔剣士は納得した表情を見せた。

「よし! じゃあ、僕は君が起きたことを知らせてくる。勝手に動き回るなよ」

 そう言ってルースはさっさと部屋を出て行ってしまう。


「俺は子供か」

「ぐあー」


 その後、戻ってきたルースは数人の女官を伴っていた。

 全員ルースを盗み見ていたが、食事を持って来てくれたので、文句も言えない。日差しからすると昼近い筈なのに、メニューは何故かパン粥と小さなサラダ、水だけだった。

 それでも腹が減っていた俺は、ベッドに座ったまま食べた。

 美味くも不味くもない、嫌味なほど薄い味付けなのが悲しい。


「じゃあ、俺が気絶してから少し経って、グリフォン部隊が来てくれたのか」

 スプーンを動かしながら言った俺の台詞に、ルースが軽く眉根を寄せる。

「ああ。君が倒れた時は、流石にどうしようか悩んだぞ。僕も疲れていたし、イクシスにまた大きくなってもらう訳にもいかなかったし……」

「そりゃ済まないことをした。でも、あの場面じゃ仕方なかったと思うぞ」

「ふふ、自分で言ってれば世話はない。まぁ、悩んでいるうちにダインを含めたグリフォン部隊が来てくれたから、謝る必要もないけどな。僕もイクシスも乗せてもらって王都まで戻ったんだ」

「ぐーあー」

 寝ていたとはいえ、全く記憶にない。

 またグリフォンでの飛行に怯えたり騒いだりしなくて済んだ、と無理矢理納得して、俺は話題を変えた。

「宮殿の中や王都は落ち着いてるのか? 反乱の残り火がまだ燻っていたりとかは……」

「一切ない。王都の国民は熱狂的に迎えてくれたし、コーヴィンに加担した兵士達は騙されたと主張しているそうだ。責任者や飛竜部隊なんかは捕らえられたが、大体はそのまま兵士の仕事を続けているぐらいだぞ」

「ちょっと待て、飛竜部隊って――」


 そこでルースから、王都における反乱の顛末を聞いた。

 飛竜部隊による妨害とそれを打ち破ったルースとイクシス。サラとスロウルムによる宮殿への突撃。ピンチになったリリィとフルールが使った手に、コーヴィンの最期。などなど。

 簡潔な事実のみの説明だったが、その分、俺は大まかな事情を把握出来た。


 ゆっくりと食事を終えて、用意されていた高価そうな服に着替えた頃。

 廊下に通じるドアが上品にノックされた。

「はい」

「……フルール・スロウルムです。失礼致します」

 頭を下げて入ってきたのは、栗色の髪をお下げにした小柄な少女、フルールだった。

 気安い口調で話しかけそうになって思い止まる。

 変装したリリィと長いこと一緒にいたので、見慣れていたのだ。だが、あののっぴきならない状況の中、直接話したのはほんの少しだった筈である。

 立ち上がった俺の前に静かに歩いてきたフルールは、さっきよりも深く頭を下げた。しかも、そのまま話し始める。

「カインド・アスベル・ソーベルズ様。私の不注意により多大なご迷惑をおかけしてしまって、申し訳ありません。おかげ様で、こうして以前と同じようにメイドとして仕事をすることが叶いました。また、私自身を救っていただけたことだけでなく、リリィとサラお姉様を、父を、何よりも……ルークセントを救っていただいて、ありがとうございます」

 俺は慌てて言った。

「か、顔を上げて下さい! 俺がしたことなんて全然大したことじゃないんですから!」

「そんなことはございません。私などに敬語を使っていただく必要もありませんし、先日申し上げた通り、何時間でも頭を下げさせていただく所存です」

 フルールは顔を上げるどころか、さらに下げた。このままだと跪きかねない。

 どうしたものかと思っていると、ベッドに腰かけたままのルースがぽつりと呟いた。

「……カインド。彼女は、リリィとはちょっと違う方向でイイ性格をしている。多分、フルールは君がその言葉遣いを止めるまで、頭を下げたままだぞ……」

 動揺していた俺は、ルースの言葉に一も二もなく従った。

「わかった! わかったから! 顔を上げてくれ!!」

 ほとんど叫ぶようにそう告げた瞬間、フルールがゆっくりと頭を上げ始めた。

 少しずつ輝くような笑顔を見せて、口を開く。

「リリィが呼んでいます。ルース様とイクシス様もご一緒に、とのことです。もしよければ、私についてきて下さい」

 やや砕けた敬語になっていた。

 なるほど、確かにイイ性格をしている。

 リリィと顔はそっくりでも、表情の作り方が全く違った。自分を完璧に律することが出来る者が浮かべる表情なのだ。そしてそれはそのまま、自分を客観的に見ることが出来る、ということでもある。

 一気に疲れた俺は、肩を下ろして答えた。

「………ああ。よろしく」


 俺達はフルールの後について、部屋を出た。贅沢な服にベストを羽織る訳にもいかず、イクシスは俺の首筋に引っ掛かってもらう。

 窓から差し込む光は高く、やはり時間は昼近くだ。良い天気で石造りの廊下でも寒くない。本来なら申し分ないひと時と言えるのだろう。

 ……しかし、だ。

「……なぁ」

 俺は隣を歩くルースに囁いた。

「お前だけじゃなくて、俺まで見られてないか?」

 擦れ違う文官から兵士、女官に至るまでが俺達をジロジロ見てくるのだ。

 ルースだけならここ数日で慣れたものだし、イクシスでも珍しいのはわかるのだが、俺まで覗き込むような視線を感じた。俺だけを見る変わった奴までいる。

「んん、そうだな。噂のあのヒトが歩いていたら、それはやっぱり見てしまうんじゃないかな」

 ルースの答えはいまいち要領を得ない。

 前を行くフルールが、傍に誰もいない時を狙って、言う。

「救国の英雄の話は、宮殿中に広がっています。ルース様とイクシス様はすでに御覧になった方も多いのですが、カインド様は今初めて出てきたばかりですし、先日見かけた者もカインド様の顔を覚えている者が少ないので……」

 喜んでいいんだか呆れていいんだかわからず、俺は顔を顰めるしかなかった。

 とりあえず悪い感情で見られている訳ではないようなので、気にしないことにする。


 フルールは裏口らしき簡素なドアから、外に出た。俺達も後から続く。

 そこは庭園の端だった。

 スロウルム将軍に連れられて初めて王宮に足を踏み入れた時に見た、素晴らしい緑の空間が目の前に広がった。

「いやー。二度目だけど、ここは凄いなぁ……」

 思わず俺は呟いていた。

「ぐ~ぁ~」

 ルースもイクシスも目を細めて庭園を見渡している。

 フルールが足を進めながら、嬉しそうな声で説明してくれる。

「ここは代々王家の女性によって管理されてきた庭園なのです。長い年月の間に、このように大きく、複雑な調和を見せるようになりました。リリィも何だかんだと目をかけているんですよ」


 宮殿から離れた庭園の奥――どちらかと言えば城壁に近い場所――に、真っ白なテーブルと幾つかの椅子がひっそりと置かれていた。

 そんな家具ですら、そこにあって当たり前だという雰囲気があった。おそらく昨日今日置かれた物ではないのだろう。


 ドレスを着たリリィが席に着き、その近くに礼服に身を包んだスロウルム将軍が立っていた。


「来たか」

 微笑むスロウルムに軽く頭を下げる。

「少々寝坊してしまいました。で、リリィ、何だよわざわざ呼び出して」

 こちらを見たリリィは何故だか憮然とした表情だった。眉尻が上がり、唇が尖っている。目に至っては、やや充血しているほどだ。

 彼女は目を瞑って一つ息をつくと、立ち上がった。

「何だよじゃないわよ。助けるだけ助けて、ずっと寝てるんだもん。お礼を言うことも出来なかったじゃない。ちょっと無理言って時間を割いたのよ」

「あー、そりゃすまん――」

 俺が頭を掻きながら謝ったその時、リリィが思い切り俺に抱きついた。

「――!?」

「色んな事……ありがとう、カインド。とにかく無事で良かった……!」

 金髪の王女は俺の肩に顔を埋めて、言った。

 あまり見慣れていない王女モードのリリィにそんなことをされて、体も頭も硬直してしまう。俺は、ただ柔らかい感触とイイ匂いだけを感じていた。

「リィフ殿下。誰かに見られるとコトだぞ」

 スロウルムの一言で、ようやくリリィが離れた。普段の表情に戻って、椅子を示す。

「ま、とにかく座って。ルースが着いてからは聞いたけど、それまで貴方が一人でどんなことをしていたのか、全然わからなくってモヤモヤしてたのよ」

 俺はぎくしゃくと椅子に座り、イクシスをテーブルに降ろした。

 そんな俺をスロウルムもフルールもニヤニヤした顔で覗き見ていた。そう言えばこの人達、親娘だったな。

 俺が視線を返すと、フルールは澄ました表情を取りつくろって、傍らにあるワゴンでお茶の準備を始める。

 彼女以外の全員がテーブルに着いた所で、ルースが辺りを見回した。

「サラは来ないのか?」

「さっき呼んだからすぐに来るわ。それよりカインド、あたし達と別れてからのこと、早く教えて」


 リリィに促され、俺は事の顛末を語り始めた。

 ちまちま罠を仕掛けたこと。

 日が沈んだ辺りで巨獣が目覚めたこと。

 最初は逃げ回って時間を稼いだことと、追い詰められてからは会話で時間を稼いだこと。

 本当にギリギリのタイミングでルースが来てくれたこと。

 俺が話し進めるうちに、女性陣の顔が呆れた表情に変わっていった。

 俺だって自分で喋っていてげんなりしてくるほどの状況と展開だ。今更冷や汗が出てくるのがおかしい。

 スロウルムだけは真面目な顔で頻りに感心していた。


 大方話し終えた俺は、フルールが出してくれた紅茶を啜りながら話題を変えた。

「ところで王都っていうか、ルークセントは大丈夫なのかよ? 反乱があった上に摂政が死んだんだから……、表面的には落ち着いてても、これから先はどうなるかわからないんじゃねぇの?」

「国の先のことなんて、どれだけ平和でもわからないでしょ。大変なのは確かだけど、そう悲観してばかりもいられないし。一応諸外国は、ゴタゴタがあったけどしっかり鎮圧された、ぐらいの認識みたい。巨獣はカインドが抑えてくれてたから、ルークセント内でも噂レベルだしね。混乱に乗じてどうこうっていう可能性は回避されたと断言出来ます。ここも貴方に感謝しなきゃいけないわ」

「一度お礼を言われれば充分だよ。俺は俺の目的の為に動いただけだし、それが結果的にルークセントにとって良かったってだけなんだから」

 リリィは俺の台詞ににっこり笑ってから、急に少し顔色を悪くした。

「外国よりも国内の方が大変よー……。王都クルミアが半日機能しなかっただけで、どのぐらい損失があったか、わかる? エンバリィだけじゃなくてリンゼス・コーヴィンもいなくなったから、上層部や貴族達の勢力争いに動きが見られるし……。まぁでも、エンバリィの屋敷を家探しして、大体の偉い連中の弱みを手に入れたから、これからあたしに権力集中させるつもりよ。おじ様も将軍職は半分引退してもらって、こっち方面で頑張ってもらうんだから」

 すでにエンバリィの後処理は始まっているようだった。昨日の今日でこれは、凄いことなのではなかろうか。

 俺は苦笑を浮かべるスロウルムに訊ねた。

「ソリソカルの怪我の具合はどのような?」

「まだ飛ぶことは出来ないが、しっかり療養させれば問題ない。治りきるまでに太らなければな。ソリソカルは元から活動的ではないから、休みを楽しんでいる。ソリスの方は軽傷で、こちらは何の心配もいらない」

「それは良かった……。では、サンシュリック村跡に住んでいた一家も?」

「ああ、それを最初に伝えるべきだった。彼らも勿論無事だ。ソリソカルとサートレイトの憲兵達がきちんと同行し、日が沈む前に帰らずの森の手前にある村まで避難させた。今はもうサンシュリックに戻っているだろう。当然、帰りも護衛を付ける手筈を付けておいた」

「ということはお咎めナシで、あの村から追い出されることもない訳ですね」

 リリィがほとんど間をおかず、口を挟んで来る。

「当たり前でしょ。一晩泊めてもらったお礼に、何とか村を復活出来ないか色々考えてる所よ。まずは兵士の一団を派遣して、強制的に住んでもらおうかなって」

「帰らずの森をどうにかしなきゃ解決にはならないだろ」

「ええ。でも、それは長い時間がかかるのを覚悟しなくちゃ。国道の維持に加えて伐採するとなるとお金もかかるしねー……」


 俺は内心で口笛を吹くほど、驚いた。

 リリィは長期的でも現実的な視野で物事を語っている。しかも、政治に関心を持ち、積極的に介入する意志を見せていた。行動と決断が迅速なことも評価出来る。巨獣を眠らせた後、彼女が国道で叫んだことはその場の勢いだけではなかったらしい。

 あのお転婆な小娘がこれだけ変わったのなら、ルークセントの未来も明るいかもしれない。


「サートレイトの憲兵達も仕事を終えて帰ったわ。あの三人にもお礼しなきゃと思うんだけど……。何がいいかしら?」

「部下二人は昇進させてもいいかもな。でも隊長だけはあんまり偉くしちゃダメだ。そこそこの勲章をやっときゃ文句は言わないだろう。何なら金でもいい」

「僕もそれに賛成だ」

「ぐあ!」

 ルースとイクシスがうんうんと頷いて俺の意見に同意してくれた。

 お茶のお代わりを入れてくれていたフルールがクスリと笑う。

「あら。私はあのヒト達、結構気に入ったんですけれど……。イジメ甲斐――ゴホン、お話のし甲斐がありそうですから。三人纏めて私の直属で秘密部隊にでもしようかしら、なんて。ふふふふふ」

 本気とも冗談ともつかない口調だったので、リリィやスロウルムに視線で訊ねれば、どちらも目を逸らした。

 どうやら本気らしい。

 それが幸運なのか不幸なのかはわからないが、あの三人はこれから大変だ、ということだけは何故だかしっかりわかった。


 ルースの手から焼き菓子を食べているイクシスを見て、俺は大事なことを思い出した。


「で、イクシスと俺の処遇は? 割とその為に頑張ったような所があるんだが」

 そう言うと、リリィはポンと手を打ってからにんまりと笑った。

「ふふん、もうバッチリよ。エンバリィに盗まれた『龍の卵』を、取り戻してくれた貴方にお礼として渡すっていう公式書類をきっちり作っておいたから。王都の国民なんかは、飛竜部隊を倒した黒いドラゴンに乗った魔剣士を見てるから、ルースのことを龍騎士だと思ってるみたいだけど。後々何言われようが、貴方が法的に追われる心配は一切ナシ」

 自分のことが話題になっていることがわかったのか、イクシスがテーブルの上からリリィを見上げた。

 スロウルムが横から口を挟む。

「ちなみに『龍騎士の鎧』も同様だ。あれは名実ともに君の物だぞ」

 俺はほっとすると同時に、国の公式書類という言葉にビビっていた。

「一緒にいられるんなら別にそれでいいんだけど、出来れば変に目立つのは勘弁して欲しいなぁ。俺はただの兵士見習いで、ルークセントからしたら流れ者の外国人だろ」

「わざわざ周知してないから、そう気にすることもないと思うわよ。調べたらわかる範囲だし。国民が知ってるのは、エンバリィが『龍の卵』を盗んだ犯人で反乱の首謀者だっていうことだけ。証拠もあるし――って、ちょうど良かった。そんな所に隠れてないで、出て来なさい! サラ!」

 リリィの視線を追って振り返れば、少し離れた場所にある生け垣から、三角形の影が二つ飛び出ている。


 ――何を隠れているんだろう?


 あの女騎士の性格からは考えられない行動に頭を捻りながら、俺は彼女が出てくるのを待った。

 まず顔が現れる。頭に生えた耳はぺたんと伏せられ、顔がこれ以上ないほど赤かった。風邪でもここまでにはならないだろう。

 続いて肩が膨らんだ黒い服が見えた。大きな胸が思い切り強調されていた。

 ああなるほど、防具の要素がない一般的な女性用の服装という、この恰好に照れていたのか、と納得しかけた俺の瞳に、今度は白く薄い生地が映った。

 エプロンである。

 腰に巻く小さなエプロンである。


 生け垣から、震えながらサラが一歩進み出た。

 下は黒いスカートで、馬鹿みたいに短い。

 目を凝らせば黒の上下にも至る所に白いフリルがあった。

 足にはごく薄いタイツを穿いた上で、可愛らしい革靴を履いていた。


 サラはメイドの恰好をしていたのである。


「こらーっ、ヘッドドレスは必須だって言ってたでしょ!」

 立ち上がったリリィがかなりキツい口調で言った。

 確かに、サラの頭にヘッドドレスはなかった。

「いえ、でも……。私にはこの耳がありますし……、余計な物を付けると……」

 か細い声でメイドは言い訳をした。いつものビシっとした物腰は欠片も見られない。

「うん、似合うじゃないか。凄く可愛い」

「グーアーッ!」

 ルースとイクシスがあっさりサラを褒める。

 彼女は泣きそうな表情のまま、真っ赤な顔を俯いた。

 スロウルムとフルールはあさっての方向を向いて、必死に笑いを堪えている。

 サラの後ろに回ったリリィが、メイドの恰好をした女騎士をぐいぐい押しながら、得意げに言った。

「あたしが初めてメイドの恰好で貴方達を訪ねた時、サラがこの恰好して、とか言ってたでしょ? この娘ったら、国道での別れの時にもう抱き付いちゃってたし、何かインパクトのあるお礼を、と思って。ほら、カインド、貴方の為に着せたのよ? 何とか言いなさい」


「…………とても良いと思います…………」


 碌に考えられなかった俺は、思い付いたことをそのまま口にしていた。

 これ以上ないと思っていたのに、サラの顔は輪をかけて赤くなった。良く見ると、フサフサした尻尾がグルグル回っている。耳だけじゃなくて、尻尾もあったのね。

 実際、別にメイド服がどうこうという趣味は俺にはないのだが、サラにはとても似合っていたし、普段とのギャップに少しドキっとしたのも事実だ。


 ……本当は、東の果てに存在するという、体にフィットした、ながーいスリットが入ったドレスの方が好みだということは、黙ることにした。

 この上そんな衣装を着させられては、サラの精神が持たないだろう。


 俺がサラから視線を外す前に、ルースが口を開いた。

「それで、ちょうど良かったというのは?」

「そう、コレコレ。ついでに持って来てもらったの。エンバリィの屋敷を家探しした時に見つけられた物なんだけどね」

 リリィはそう言いながら、テーブルの上にサラが持ってきたと思しき箱を置いた。

 一抱えよりも小さな、所謂宝箱だった。

「イクシスが孵った『龍の卵』はこの中に入っていたの。記録に残ってる物と完璧に一致したし、あたし自身も見ていたし、間違いないわ。これが、盗んだ証拠。そこそこの歴史はあるし、壊すに壊せなかったみたい」

 王女が手袋が汚れるのも構わず、古ぼけた箱を開ける。

 中には、時代を感じさせても気品を失っていない青いクッションが、すっぽり収まっているだけだ。

 それでも、ルースは立ち上がってマジマジと観察した。御先祖様が触れた可能性のある品物だ、無理もない。

 イクシスも、俺達が生まれるずっと前から、自分が収められていた箱をじっと見ている。何を覚えている訳でもないだろうに、何だか真剣な表情をしていた。

 俺もあちこち眺めながら、リリィに言う。

「確かに歴史的には価値があるよな。わざわざ見せようと持ってきてくれたって訳か」

 本当に機敏な行動である。俺は素直に感心した。

「それもあるけど。何かイクシスの正体がわかるような、手掛かりとかないかなー、と思って」

「つったって、ルークセントの学者先生が百年単位で調べてたんだろ? そんな物があったら、大昔に見つかってるよ」

 俺はコツコツと宝箱を叩いて頑丈さを確かめた。しっかりした作りなのは確実だ。

「ほら、ルースもいるし。もしかしたらイクシスに反応したりとか。ともかく、今まで調べられてきたのは『龍の卵』であって、こっちじゃないでしょ。試してみる価値はあると思ったのよ」


 俺はそんな都合のいい話が、と内心ツッコミながら、箱を持ち上げた。

 裏面に何かが書いてある訳でもなく、スイッチの類もない。ルースに渡しても何の反応もなく、イクシスがクッションに座ってみても宝箱は沈黙したままだ。

「あと考えられるのは……、大事な物が入ってるという前提を隠れ蓑にすることかなぁ……」

11月11日初稿

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 2021年8月2日、講談社様より書籍化しました。よろしくお願いします。
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