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57.自動的防御機構

 俺の台詞に反論することもなく、巨獣は上と下、両方の肩を振るわせ始めた。森の中に下半身を半分埋めたような状態で、そそり立っていた上半身は猫背になったままだった。

「いいのか、こんなに煽って?」

 前に視線を向けたまま、ルースがぽつりと訊ねた。

「お前達が来る前にこれ以上ないほど煽ってるから今更だよ。こうしておけば俺達を殺すまで別の場所には行かないだろ。ところで思い付きが一つあるんだが……。上手くいったところで勝てる訳じゃなくて、有利になる程度の――」

「乗ろう。僕はどうすればいい?」

 ルースはあっさりと頷いた。

 驚きと感謝を隅に追いやって、俺は続ける。

「まずはイクシスと協力して、バレない程度に牽制を入れつつ、拓けた場所まで巨獣を誘導して欲しい。研究所跡の近くがベストだ。で、合図をしたら巨獣の肩よりも高く飛んで――」

 詳細な説明に入ろうとしたところで、巨獣が口を開いた。


「――仲間と乗り物が来た途端に強気になって……!! 調子に乗るなよ、小僧共がアァアアアアアアアアアッ!!」

 巨獣の咆哮にも似た怒号だった。遂にキレたらしい。

 百戦錬磨の政治家を分別が効かないまで怒らせることが出来たなんて、父上が知ったら少しは褒めてくれるかもしれない。


「死ね、国の行く末も案じることが出来ない愚か者めェッ!!」


 頭部を振り上げ、涎を撒き散らし、巨獣が向かって来る。持ち上げられた腕は俺達を握り潰そうと蠢いている。

「蹴るぞ、イクシス!!」

「グルア!!」

 息の合った掛け声を出して、ルースとイクシスは左右に分かれるように離れた。イクシスを足場にして飛び退るルースの端正な顔立ちが、一気に小さくなる。やや縦になった姿勢のまま、後方に向かっていきなり飛び始めたイクシスの加速によって、俺はもう少しでドラゴンの背中に叩きつけられるところだった。

「ガァアアアアアアアアッ!!」

 それこそ獣じみた声を上げながら、巨獣が数秒前まで俺達がいた場所を通り過ぎていく。ありとあらゆる物が巻き上げられ、吹き飛ばされる。


 もう少し打ち合わせをしておきたかったが、こうなると難しい。


 俺は最低限のことは伝わっていてくれと願いながら、怒鳴った。

「とにかく頼むぞォ! ル――スッ!!」

「わかったッ!! <打ち抜く煉瓦(ウォールド・テルーブ)>ゥッ!!」

 まだ止まることが出来ない巨獣の青白い背中を狙って、ルースが黒い雷を放つ。

 巨大な背中が捩じれると、振り返りざまに左手が差し出され、<打ち抜く煉瓦(ウォールド・テルーブ)>は弾け飛んだ。

「魔剣士もドラゴンも一度私に負けているッ!! 貴様らに、時間稼ぎ以外の何が出来るというのだァアアアッ!!」

 首を大きく曲げてこちらを見据えた巨獣が叫んだ。強引に態勢を変え、進行方向に対して横向きになっている。右の前足と後ろ足で地面を捲り上げながら、勢いを殺していった。

 巨体の使い方を工夫するようになってきただろうか。

「イクシス、お前も攻撃してくれ。あの腕に掴まらない距離を保って、かといって離れ過ぎないように。んで、出来ればあんまり高く飛ぶのも避けてほしい」

 俺の勝手な指示に、イクシスは前を向いたまま頷いた。

「グルアッ! ――ゥゥルアアアアアアアアッ!!」

 イクシスの口元に炎が現れ、鳴き声に炊き付けられるように大きくなり、最後には飛び出した。大木を弾いた火球だ。

 直径5mはある炎の塊は、渦を巻きながら巨獣に迫っていく。

 すでに巨獣は向き直っていた。

「蜥蜴風情が鬱陶しいっ!!」

 獣の下半身と青白い上半身の境目に当たる軌道を進んでいた火球は、伸ばされた右手によって受け止められる。そのまま呆気なく握り潰されてしまう。


「狙いはわかっているぞ、ソーベルズッ!! 牽制に留めてルークセント軍を待つつもりだろう!!」


 巨獣が怒鳴り、俺が乗るイクシスに狙いを定めて大木を投げる。今まで俺が見てきた投擲よりもずっと距離が近い。

「グルゥアアッ!!」

 イクシスは大きく羽ばたいて縦に移動した。

 回転する巨大な木が唸りを上げて足の下を過ぎ去っていった瞬間、俺は魔銃を連射した。

「ルークセントの軍隊が来たところで、閣下にとっては脅威にならないでしょうッ!? それじゃあ意味がないってもんですッ! それに――」

 犬に似た頭部。

 獣の下半身と上半身の境目。

 青白い上半身の肩。

 巨獣は一発目を煩わしそうに無視し、二発目は巨体には似合わない速さで腕を下げ、三発目には同じ速度で腕を上げた。

 効かないのはわかっている。これは確認だ。


「――私の相棒は時間稼ぎが苦手なんですよ!」


「ハァアアアッ!!」

 ルースが巨獣の正面を横切りながら、大剣を振るった。青白い胸板に一筋、長い傷が出来る。それ以上の攻撃はせず、魔剣士は速度もそのままに離れていく。

「痛っ!? この……! 何度も何度も!!」

 巨獣が体を捻って腕を伸ばした。ルースを捉えるつもりだ。

「させるかッ! イクシス!」

「グルゥゥァアアアアアッ!!」

 魔銃を放ちながら叫んだ俺の呼び掛けに、イクシスも円錐状に広がっていく雷を撃ち出した。

「……く! おのれ!」

 背中の半分をこちらに見せるような無理のある体勢から、巨獣は素早い動作で腕を振るった。停止を命じるかの如く差し出された右手が俺達の攻撃を完璧に防ぐ。

 だが、その代わりにルースは安全な距離まで離れて、余裕を持って振り向くことが出来た。すでに次の一撃の為に大剣を構えている。

「苛立たせるだけの攻撃など……無駄だ!! この大いなる力の前にはなあッ!!」

 首筋に風を感じたかと思えば、突風が数秒だけ吹き、嘘のように止まる。


 その時には、つい今さっきルースが付けた胸の傷が消えていた。

 再生したのである。


「マジかよ……」

 魔物には珍しくない能力ではあるが、巨獣が持っているとなると話は別だ。元から決定打には程遠いのに、小さな傷を積み重ねることすら出来ない。

「諦めて真正面から向かって来い、臆病者共めェエエエエエエエッ!!」

 ヒトの言葉が咆哮に変わっていくような怒号を上げ、俺とイクシスを目指して突っ込んで来る。

 俺は呑まれそうになっていたことも忘れて叫んでいた。

「――……か、閣下にだけは言われたくありませんよ!」

「全くだ!」

「グルアアッ!」

 俺達のツッコミが巨獣に届いたかどうか。

 ルースは巨獣に向かい、逆に、イクシスは翼を力強く羽ばたかせて斜め後ろへと飛んだ。


 ルースは<空駆ける矢(トギルフ・タサフ)>での高速飛行、そして木々の先を足場にした急速転換も加えて、巨獣の体に傷を作っていく。

 俺の指示通りに距離を保ったイクシスが、精霊魔法による遠距離攻撃を撃ち込む。

「あっちからこっちから……! いい加減諦めろ!! 貴様らの攻撃はこの体には効かんと言っているッ!!」

 しかし、ルースの斬撃は巨獣の体には小さ過ぎ、その上せっかく付けた傷もすぐに再生してしまう。

 イクシスの魔法は、巨獣の掌によって正確に防がれてしまう。

 こちらも巨獣の攻撃は全て避け切っているので、互いに決め手に欠ける戦いになっていた。

 狙っていた訳でも、望んでいたわけでもないのに、エンバリィの推測通りになったと言える。

 しかも、研究所跡まで巨獣を誘導することもなかなか上手くいかない。今は研究所からすると東側数百m、巨獣は東南の方角を向いている。


「このままじゃ……マズイか……」

 時間をかけ過ぎれば、不利になるのはこちらだ。

 ルースもイクシスもここと王都を往復し、体力魔力共に相当減っているだろう。どう考えても巨獣よりも先にスタミナが切れる。

 ルークセント軍が来る保障もない。


「ボーっとしているな、カインド!!」

 厳しい口調に驚いて顔を上げると、ルースが巨獣の肩を斬り付けたところだった。

「このォオオオオッ!!」

 巨獣が掴もうと伸ばした手を擦り抜けて、肩から脇腹にかけて斜めに傷を作る。

 しかも、そこで終わりではなかった。

 木々の天辺を蹴って急激な方向転換をしたのだ。木の葉が三度舞い上がり、いつの間にかルースは半ば森に埋まった巨獣の頭部に向かって、木の上を走っていた。

 少し離れているから俺にも見えたが、巨獣からすれば離れていった筈の魔剣士が、次の瞬間にはすぐそこに迫っていたように感じるだろう。

 事実、ルースが真横から頭部に近付いても、巨獣は反応らしい反応を示さない。

 だが、俺は慌てて叫んだ。

「待てルース! 下半身は――!!」

「無極流大剣術――」

 俺の声が届く前に、ルースは大剣を両手で握って、背中に担ぐように振りかぶった。巨獣の鼻筋に大剣を打ち付ける一瞬、両足を枝に付けていた。


「――羅振断ッ!!」


 ルースの気合声と重く低い音が響き、周りの木々から葉が撒き散らされる。

 だが、巨獣は動かなかった。浅く体を斬られただけで痛みに声を上げ、そこから怒号を繋げるのに、だ。

 黒い大剣はかなり埋まっているように見えたが、血代わりの青黒い粘液が一滴も噴き出していない。汚らしくねじくれ曲がった毛が一抱え舞っただけだった。

 やはり下半身は防御力が高い。オーガウルススの頭を鱗ごと吹き飛ばしたサラの砲槍でさえ、ほんの少ししか刺さらなかったのだ。

「少し驚いただけだぞ…………小僧ォオッ!!」

 巨獣が大きく口を開けながら、頭部を振り上げた。

 全身の体重を大剣に乗せていたであろうルースは、巨獣の動きに巻き込まれ、真上に高く打ち上げられる。

「ぐ……うぅっ!!」

 ほとんど剣を振り下ろした姿勢のまま、ルースは呻いていた。攻撃に身を入れ過ぎて、反撃のことを考慮していなかったようだ。体が動かせないのか、紋章を描いている様子もない。

 巨獣が両腕を大きく伸ばしていた。

「さあ……、これでも喰らえェエエエエッ!!」

 肩がいかり、胸板が盛り上がり、黒い鱗が生えた掌が左右からルースに迫る。両手を打ち合わせ、叩き潰すつもりだ。

 それこそ、虫を殺す時のように。

「イクシス!!」

「グルアアアッ!!」

 俺は魔銃を撃ち、イクシスが雷を放つ。

「――ぬう!?」

 驚いた声を出す巨獣の右手が、ルースに近付いて来る時よりも速く離れ、真っ直ぐ突き出される。魔弾も雷は呆気なく止められた。


 しかし、まだ左手は止まっていない。


「ぐ……はああ――ッ!!」

 ルースは巨獣の左手によって吹き飛ばされた。一直線に、地面と平行に、夜空を飛んでいく。


「ル――スッ!!」

「グルア――ッ!!」

 俺の叫び声に反応したのか、イクシスがルースを追って飛び出した。

「ウハ! ウハハッ!! 思った通りにはならなかったが、ようやく一発喰らわせてやったぞ!! いや、よく考えれば二度目だったか!? だがまだ……安心はできないな!」

 加速に耐えながら後ろを見れば、巨獣はすでに体の向きを変えている。追撃するつもりなのは明白だった。

「イクシス、急げ! 巨獣が来る!」

「グルアッ!!」

 イクシスがさらに速度を上げ、俺は前傾姿勢を取った。

 飛ばされたルースは少しずつ高度を下げている。相当な速さで飛んでいるだろうが、イクシスの頑張りによって、焦れるほどゆっくりと近付いていた。

「おい、ルース!! 大丈夫かぁあ!!」

 彼女との距離が20mを切った辺りで俺は怒鳴った。もう森の木々がすぐそこだ。

「も……問題……ないっ」

 微かな声が聞こえてきた。絞り出すような苦しげなものでも、話せるだけの力は残っているということだ。

 俺は詰めていた息を吐いた。

「生きてたか……! でも問題ないは恰好付け過ぎだろ!」

「グルアー!」

 イクシスが空中を流されるルースの下へと滑り込んだ。

 龍騎士の鎧によって体を固定された俺は、両手を伸ばして彼女の体を引き寄せる。驚くことに魔剣士は大剣を放していなかった。

 重すぎてなかなか上手くいかない。イクシスが見かねて高度を少し上げてくれる。

 何とか、横抱きにしたまま俺の前に座らせることに成功した。

「……ゲホッ。ああ、正直助かった。受け身もまともに取れなかっただろうからな……」

 脱力しきったルースが口の端を上げた。血を吐いたのか、赤い物が付いている。シルバーブロンドの髪に隠れた額には大きな痣まで出来ていた。

 しかし、思ったほど酷い状態ではなかった。大剣を盾にした上で自ら飛んだらしい。

「一度欲張っただけで……この様だ。でも――」

 ルースが真っ直ぐに俺を見て、はっきりとした声で言った。

「――まだ戦えるぞ。大きな負傷は、ない。魔法を使わなければ、数分で衝撃は抜ける」

「……本当か?」

「方針を預けている君に嘘はつかないさ。戦況判断に影響が出るからな。やれると言ったからにはやれるし、やる」


 俺はほんの一瞬悩んだ。


 ルースには無理のさせ通しだ。出会ってからここまでは言うまでもない。

 この一戦だけでも、おおざっぱな指示しか与えられなかった為に怪我までさせている。相手はこちらを恨む巨大な怪物で、もう一度でもまともに攻撃を受ければ、彼女と言えども死ぬ可能性は高い。


 ……それでも。

 彼女がやれると言うのなら、信じるしかない。ルースが俺を信じてくれたように。


 俺は迷いを振り払って、命じた。

「……イクシス、最終的に研究所近くに行けるように、大きく弧を描いて逃げてくれ。疑われない程度の牽制は俺がやる、魔法は使うな」

「……グルア!」

 正面を向いたまま、黒いドラゴンが大きく頷いた。僅かに翼を傾け、緩く右に旋回していく。

「ようやく的が一つになったなあ、ソーベルズ!! ウハハッ! その従者が脱落すれば、もう私を傷付けられる者はいないぞ、わかっているのか、ソーベルズゥッ!!」

 すでに勝利の余韻でも味わっているのか、巨獣の機嫌のよい声が聞こえてきた。

 ルースがもう戦えないと思っているなら好都合だ。

 研究所近くまで誘き寄せることも含めて、相棒が攻撃を喰らったことを利用している気がして胸が痛むが、彼女の想いに応える為にも、ここは勝利を求めることに徹しよう。


「――クソッ!」

 俺はわざと吐き捨てて、体を捻り、真後ろから迫って来る巨獣に向けて魔銃を放った。

「ハーッハッハッハ! 結局貴様が出来ることなどその程度だ!!」

 頭部を狙った<貫く枯れ葉(ハサー・テルーブ)>は、もはや当たったかどうかもわからない。

 嬉しそうな巨獣はしかし、俺が逃げ回っている時のように遊ぶつもりはないらしい。相当な勢いで走りながらも、しっかりイクシスを追っている。制御出来る速度があの辺りなのだろう。

 二人のヒトと黒い大剣が荷物として載っているイクシスの方が、若干遅い。

 速度を落とすことなく青白い上半身を屈め、巨獣が両手で木を掴んだ。

「木を投げるつもりだ! 注意してくれ、イクシス!」

「グルァッ!」

 イクシスが返事をしたかと思うと、大きく左に傾いた。

 流されないように前傾姿勢になり、魔銃を持ったままの右手でルースを支える。

 ごう、という重い音をさせながら、右数mを大木が回転しながら通り過ぎていく。


 右に左に移動しながら、基本的には大きな右回りでイクシスは飛び続けた。

 何度も投げる木を避ける為に余計に動いている分、少しずつ距離が縮まっていく。急激な方向転換をしてみても、巨獣はほとんど離れなかった。

 たまに魔銃を撃っても、掌で防がれるか、意にも介さないかのどちらかだ。

 ひりひりするような緊張感の中、イクシスに頑張ってもらうしかない状況がどのぐらい続いただろうか。


 やがて、俺が抱いていたルースが口を開いた。

「もう大丈夫だ。いつでも行けるぞ」

 俺の肩を掴む手にはしっかり力が込められ、声にもいつもの強さがあった。

 無理をしているかもしれないが、今は彼女の言葉を信じよう。

「よし! イクシス、研究所の方へ!」

「グルア!!」

 魔銃に弾を込めながら俺が叫ぶと、旋回角度がやや急になる。腿に力を入れて持っていかれないようにしつつ、俺は続けた。

「巨獣の動きを研究所の近くで止めたい。勢いを考慮して――」

 俺が説明を終えた頃には、研究所跡はすぐそこだった。右20mに元から木がなかった空き地、さらに中央には瓦礫の小山がある。

 イクシスが空き地に突っ込むように、いきなり旋回した。

「頼むぞ!!」

 俺は風に負けないように叫んだ。

「ああ!!」

 ルースはそう言うと、ドラゴンの背を足場にして跳び上がる。

「グルアーッ!!」

 さらにイクシスは一気に高度を下げる。

 上下に分かれた形だ。

 俺は腹の中身が浮かび上がる嫌な感覚に耐えながら、龍騎士の鎧をそっとドラゴンに巻いたベルトから外した。鞍状になった前垂れに跨ったまま、ほんの少しずらして、両手両足でしがみ付いた。

「――な!?」

 巨獣が驚いた声を上げ、速度を落とした。確認の為か、離ればなれになった俺達とルースを交互に見ていた。

 すぐさま行動に移れなければ、すでに上空にいるルースを捉えるには手間がかかる。自然と巨獣の視線は俺達に集中する訳だ。

 イクシスは地面スレスレを飛んでいた。

 速度も抑えてはくれているが、怖いものは怖い。


「う……おおおおッ!?」


 俺は、演技半分本気半分でヘンな気合声を上げ、飛び降りた。

 何とか滑る程度で収めようとしていたのに、勢いを殺し切れずに転がってしまう。二度三度前転を繰り返し、何とか片膝をつく姿勢で止まることに成功した。

 俺を落としたイクシスが首を大きく持ち上げ、俺とは逆に放物線を描いて飛び上がっていく。

 踏ん張りながら俺の醜態を見た巨獣が、笑う。

「――……ハッ!? ウハ――ハハハハッ!! アーッハッハッハッハッハ!! 無様にも程があるなソーベルズ!! 訓練もしていない弱者が龍騎士を気取るからだ!」

 十数mは滑ったが、台詞が終わる頃には、巨獣は土埃を上げながら止まっていた。

 頭部が木々を薙ぎ倒して拓けた場所まで入ってくる。首を右に曲げて俺を覗き込む姿勢だ。

 目尻近くまで持ち上がった口は裂けているように見えた。舌と涎が垂れていることにも気付いていないらしい。

 ルースとイクシスを忘れさせる為には、もう少し煽っておいた方がいい。俺は魔銃を頭部に向けて、口の端を上げた。

「そんな龍騎士気取りに散々計略を掻き回されたのは……どこのどなたでしたっけ?」

 狙い通り、巨獣の顔は一気に歪められる。

「ハッ、今更恰好付けても無様さが際立つだけだぞ……。私にはやることがあるのだ。貴様のような暇人の相手など……、もうしていられない! まだそのお喋りな口で時間稼ぎが出来ると思っているのなら――……勘違いしたまま死ぬがいい、ソーベルズッ!!」

 拳をきつく握り締め、巨獣が右手を上げた。俺が立っているのは獣の下半身からすると真横だ。そのまま無理のない姿勢で拳を叩き付けることが出来る。平手打ちよりも速く、威力も強いだろう。

 砲槍を持っていない俺に避けられる可能性はない。


 ――まだだ。まだ動く訳にはいかない。

 イクシスと自分の憶測を信じろ!


 俺は自分に言い聞かせて、逃げ出そうとする足を踏み締めた。

「さぁ、さっさとし――!」


「グゥゥルァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 巨獣に向けて、真っ白な光の柱が奔った。

 俺の後方やや右――巨獣の正面100m弱の位置にいる、イクシスだった。

 大きく開けた口の少し先、牙と牙の間から太い光が真っ直ぐに巨獣に向かう。

 俺を降ろした後、指示通りに動いてくれたのだ。

 俺に振り下ろされる筈だった右手が勢い良く突き出され、イクシスの光系魔法はあっさりと受け止められる。

「無駄だと言っているだろうが!! ケダモノ如きがいちいち邪魔をするなァッ!!」

「――ァァアアアッ!!」

 巨獣は苛立たしげにそう怒鳴ったが、イクシスは光を放ち続けた。巨大な掌にぶつかった光は四方八方に拡散されているようで、続ける限りドラゴンの魔力か体力を削るのは間違ない。

 だが、それはすでにわかっていたことだ。

「――っし!」

 俺は鋭く息を吐いて、駆け出した。

「ハハッ! そら、ご主人サマは逃げ出したぞ! 貴様もケダモノらしく強いものに従えばいいではないか!! ウハーハハハアッ!」


 機嫌の良さそうな笑い声を無視し、力の限り走る。

 研究所のなれの果てを避けて、反対側へ。

 ルースが助けに来てくれる直前に転がった辺りを過ぎ、さらに奥へ。


 まだ下半身が邪魔だ。

 頭部を動かされたら触れてしまう。

 もう少し離れなければ。

 角度が悪い。

 よし、ここからなら!


 最終的には、巨獣から見て右斜め前100m弱の場所で、俺は足を止めた。振り返って、肩幅に開いた足で地面を踏み締める。グリップを握った右手に左手をあて、魔銃を突き出す。

「……逃げたと思えば、またそれか。いや、それしかないのか! ウハハッ、弱いなら弱いなりに醜く足掻かず、さっさと諦めればいいというのに!! 何も出来ない自分に嫌気がさして頭がおかしくなったかぁッ!?」

 犬に似た頭部は俺を見ていても、巨獣は体を動かさなかった。

「さあ? おかしくなったのか、意味があるのかは今わかります」

 俺は魔銃を撃った。

 魔弾は<貫く枯れ葉(ハサー・テルーブ)>。今まで何度となく撃ち、巨獣には一切効かなかった黒魔法だ。

 場に左右されず真っ直ぐに進む小さな黒い光は、巨獣の胸の中心に向けて飛ぶ。

 <貫く枯れ葉(ハサー・テルーブ)>は、当たり前のように差し出された巨大な掌――左手によって、弾かれた。

 右手はイクシスの魔法をまだ防いでいる最中なので、高さに違いはあっても、両腕を交差させた形になっている。

 巨獣が口の端を上げ、体を震わせた。

「ウフ……ウハハハハッ! やはり、ただおかしくなっただけではないかあッ!」

 その嘲りには答えず、俺は力の限り叫んだ。


「――今だぁあッ!! 全力で……斬り落とせえええッ!!」


 その言葉に応えるかのように、薄暗い空の中で小さな光が瞬いた。イクシスの放っている光を、大剣の切っ先とシルバーブロンドの髪が反射したのだ。

 ほぼ一直線に落ちて来る影は、頭を下にしたルースだった。



*****

 巨獣よりもさらに50mほど上空から、ルースは下に向かって飛行していた。

「ハッ! そっちもまだ逃げていなかったのか、無能な主人を持つと大変だなァッ!」

 相手を舐め切った巨獣が、侮蔑を込めた声色で言った。


 ルースは答えずに呼吸を整える。


 事前の説明であったのは、巨獣よりも高い位置から、その腕を攻撃しろということだけ。

 しかし、地面から叫ばれたカインドの声はしっかり聞こえた。ルースがしなければならないのは、彼の考えを正確に実行することだ。

 頭の回るあの男が全力だと言うのなら、自分の持つ全ての力を注ぎ込む。ルースとイクシスが来るまで一人で巨獣を抑えた相棒が斬り落とせと言うのなら、その思惑に合わせて攻撃する。

 ただそれだけだった。


「無極流魔剣術――」


 <空駆ける矢(トギルフ・タサフ)>を解除し、次の黒魔術の用意を始めた。

 描く紋章は、そこまで難しくない中位の物である。

 <刈る鎌(ナフ・ウォム)>よりも一段上の刃系攻撃魔術<薙ぎ払う栞(エダルブ・エグラル)>。腕の延長線上に刃物に似た鋭い魔力の塊を形成し、これを武器代わりとする術だ。<刈る鎌(ナフ・ウォム)>に比べれば威力も強く耐久力も段違いだが、射程は狭い。しかも元が魔力なのでいつ壊れるかわからず、いまいち使い勝手が良くない術と言える。

 ルースは紋章が完成すると、魔力をはち切れる寸前まで叩き込み、5mほどの黒い刃を作り上げ、自分の愛剣に重ねた。1m以上の刀身を持つ大剣が、傍目には四、五倍になったように見えることだろう。

 さらに、闘気を練り上げ、大剣から伸びた魔力の刃にさえ巡らしていく。

 本来なら物体に重ねたところで魔法は魔力の塊であり、信用出来るほど固いとはいえない。本気で振るえば接触している部分から砕けてしまう。

 しかし、闘気で覆うことによって、一撃だけなら、ルースの膂力にも耐えられる一つの存在とすることが出来るのだ。

 落下したまま、柄を両手で握り締め、長くなった刀身を背中に担ぐ。

「いくら分業したところで、この『大いなる力』の防御は――……あ」

 台詞の途中で、巨獣は呆けたように呟いた。

 一瞬ごとに巨獣の体が迫って来る。ルースは、真っ直ぐ正面へと伸ばされた左手に狙いを定め、全身のバネを溜める。

「ま――……」

 近付いていることがわかっている筈なのに、あれだけ機敏に暴れ回り、どんなに速く強力な魔法も防ぎ切った手は動かなかった。イクシスの光柱を押さえている右手は勿論、左手さえ邪魔をしてこない。


「ま、まさかアアッ!?」


 犬に似た顔を歪め、巨獣が叫んだ。

 巨獣の左手は断続的に震え、腕を引こうという挙動は見えるのだが、その度にカインドの<貫く枯れ葉(ハサー・テルーブ)>が放たれ、動きを止めていた。

 当たったところでダメージは無に等しいといえる<貫く枯れ葉(ハサー・テルーブ)>を、より脅威であるルースの攻撃を無視してまで、防いでいる。


 巨獣の――いや、エンバリィの意思ではない?


 微かな疑問が頭を過ぎる。だが、伸ばされた左腕は目の前だ。余計な考えは隅に追いやられた。

 ルースは大きく息を吸ってから、柄が軋むほど強く握り締め、溜めていた全ての力を解放した。


「――魔刃斬ッ!!」

*****



 ルースの黒い大剣が伸びたかと思うと、その大きくなった刃が巨獣の手首を斬り落とした。

 青黒い粘液が腕と手、双方の切断面から滲み出る。


「――ギ…………」


 斬られた先――イクシスの魔法を防いでいた右掌は、その光の柱に弾かれるようにして、少し離れた場所まで飛んでいった。

「――ァァァ、ァッ」

 イクシスが光を放つのを止めた。これは打ち合わせにはない行為――イクシスの魔法持続時間を越えてしまったのだろう。

 手首から先を失った腕は少し焦げただけだった。

 自分の身長よりも遥かに太い腕を斬り落としたルースは、そのまま落下し、まだ俺に突き出されたままの巨獣の左腕まで、斬り付けた。そこで大剣に重なった黒魔術が砕け、見慣れた長さに戻ってしまう。左腕に少し埋まってはいても、相手の馬鹿みたいな大きさからすればダメージというほどでもない。


「ギィヤァアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 絶叫が森どころか地面まで震わせた。巨獣は大きく開けた口からは涎を、焦げた腕の傷口からは青黒い粘液を撒き散らす。

 もっとも、ここで終わりではない。

 終わりにしてはならない。

 巨獣の声に負けないように、俺も力の限り叫んだ。


「もう一撃だァアアッ、ル――スッ!!」


「ああ……、勿論だッ!!」

 巨獣の左腕を足場にして、ルースが飛んだ。蹴りの力と<空駆ける矢(トギルフ・タサフ)>で一気に空高く上がっていく。

「何故……何故だぁあああっ、何故巨獣の攻撃魔法防御機構をぉぉおおお!?」

 首を上下左右に回し叫び続けているのに、巨獣は動こうとしなかった。それどころか、まだ左手をこちらに向けたままなのだ。

 俺が<貫く枯れ葉(ハサー・テルーブ)>を巨獣の上半身――青白い胴体――を狙って、断続的に撃ち続けているからである。

「あれだけあからさまに見せられれば、気付きますって」


 俺は、逃げ回っている最中と追い詰められた後、何度も巨獣に向けて魔銃を撃った。

 そのうち、頭部や獣の前足などに向かう魔弾は、防がれることも避けられることもなく、効果がないにしてもちゃんと当たった。

 しかし、首のない上半身へ向かった魔弾は全て、巨獣の魔法対抗力が強い掌によって防がれたのだ。

 さらに、エンバリィ自身は戦士や魔法使いとしての実力を持っていなかった様子なのに、巨獣になってから上半身への魔法攻撃は機敏に反応した。当人が気付く前に動いたかのように。


 そこから推測したのだ。


 巨獣は、上半身への魔法攻撃を、自動的に掌――さらに言えば掌に生えた鱗――で防ぐように作られたのではないのか、と。

 そして、自動的に、ということはエンバリィ本人の意思とは無関係だということである。


 ルースが頭を下にして下降に入った。落下に加えて<空駆ける矢(トギルフ・タサフ)>でさらに速度を上げる念の入れようだ。

「無敵の防御機構が!! こんな小僧共にィィイイイイイッ!!」

 巨獣が上空を睨んで怒鳴った。

 自分の腕を斬り落とした魔剣士を迎撃しようと、残った左腕が動き始める。

「机の上で練られた理屈が現場で通用しない、なんてことは吐いて捨てるほどありますよ」

 俺は魔銃の引き金を引く。

 巨獣の腕がバネ仕掛けのように俺に向かって差し出された。

 これで残りは一発。

 真下に向けて飛んでいたルースは紋章を描き変え、黒い大剣の刀身を伸ばした。彼女の形のイイ唇が動くのが見える。

 おそらく、上を見上げる巨獣にも、ルースが迫って来る様子はしっかりと見えた筈だ。


「許さん!! 許さんぞ!! ああああア! やめろ、やめてくれぇぇえええええッ!!」


 俺は駄目押しとばかりに、最後の<貫く枯れ葉(ハサー・テルーブ)>を撃ち込んだ。

 ほぼ同時に、ルースの鋭い気合声が聞こえてくる。


「――魔刃斬ッ!!」


 黒く長い刃が、もう一度、巨獣の手首を斬り落とした。

11月2日初稿

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 2021年8月2日、講談社様より書籍化しました。よろしくお願いします。
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