56.倒すことだけ
夜空を切り裂いた光線が消えても、ルースは巨獣の青白い肩の位置で浮かんでいた。俺の状況を確認して、ほっとしたような笑顔を見せる。
「――良かった……ッ!! 小さな怪我はあるみたいだが、叫べる程度には元気なんだな! いや、もう、生きてるだけで充分だぞ!」
大剣を肩に担いで、しきりに何度も頷いている。普段と変わらない、表情と態度。
というか、いつもより若干はしゃいでいるだろうか。
「は、はは……っ」
俺の方こそ安心してしまい、体中から力が抜けていった。しかし、いつまでも無様に転がってはいられない。
痛む体に無理をさせて、立ち上がる。
未だに赤尾刀を握ったままだったことに驚いた。砲槍の爆発に吹き飛ばされている中でも放さなかったなんて、俺にしては奇跡だ。なくさないように、やけに輝いて見える赤い短刀を鞘に納めた。
彼女が来たということは、王都の方は何とかなったのだろう。少なくともリリィ達が危険な状況で、あの生真面目な魔剣士が放っておく筈がない。
――あとは。
「……イ、イクシスはッ!?」
俺は巨獣がいることも忘れて怒鳴っていた。
「ああ、それなら――」
「……おのれ……っ! どこに潜んでいたというのです……!!」
ルースの言葉を遮って巨獣が唸った。空に浮かぶ魔剣士を見上げる視線には、憎しみが溢れている。
そんなものはものともせずに、巨獣を見下ろしながらルースは言った。
「潜んでいたんじゃない。今、王都から到着したんだ」
「……何ですって……? では、主を置いて、自分達だけで王都に……!」
巨獣が轟くように呟いた。その台詞に、ルースは少し首を傾げた。
「主? ――っと、ああ、そうだ。王女達は反乱をしっかり鎮圧し、コーヴィン将軍は死んだ。すでに貴様の蛮行は国内に報告され始めているぞ。野望もこれまでだ」
「――……蛮行? 私の偉業を蛮行だと!? この……無礼者がぁああッ!!」
すでに充分頭に血が上っていた巨獣は、自分の言葉が終わる前に、その巨大な腕を振り回し始めた。
「――ハッ! あどけない少女を泣かせておいて礼を語るか!」
重い風切り音をさせて暴れ回る太い腕を、ルースが華麗に避ける。
巨獣の攻撃は、突く殴るというよりは、本当にただ振り回しているだけである。おそらく技術や戦法など習ったことはないのだろう。
それでも、威力と範囲は十二分に脅威だ。
「何なのですか、貴方方は!? 役に立ったかと思えば! 悉く邪魔をして!!」
「悪行にはそれを止める勢力が必ず立ち塞がるものだ、エンバリィ!」
「あ、悪行などと!? 自分が正義だとでも……言いたいのか!!」
「正義などではない! ただ、貴様の行動が気に入らないだけだ!」
隙間をぬって、大剣を支えに捌き、その腕すら足場に使うルースは風に舞う羽のようだった。
少しずつ争いの場が離れていく。
加勢する為に近付くべきか、自分が狙われないように隠れるべきか悩んでいると、唐突にルースがこちらに向かって飛んで来た。土煙を上げて、俺の真横に着地する。
「え、おい。まさか――」
「体にしっかり力を入れておけ! だらけていると内臓をおかしくするぞっ!」
ルースはそう言って、ややしゃがんだ姿勢のまま空いた左手を俺の腹に回し、地面を蹴った。
意識だけ置いて行かれそうな勢いで走り出したかと思った時には、俺を抱えたルースは力強く跳び上がっていた。
「うわぁぁああああああああああああああ――ッ!?」
「あまり暴れるな!」
「また追いかけっこをしようと言うのですか!? なら伝えておかなければね……、今度こそ、追い詰めたらその場で死刑ですよ!!」
三者三様の叫び声が森にこだました。
俺はルースとは反対側――後ろを向いたまま抱えられ、当のルースは木々の上を走っていた。流れていく森はまるで一面緑の絨毯のようで、そこまで高さを意識しなくて済んだ。
木の天辺を足場に一歩一歩雷進を使っているのか、ブーツが蹴る度に葉が進行方向とは逆に吹き飛ばされ、幹が大きくしなる。
俺は振り解かれないように、自分でも彼女の細い体にしがみ付いた。
巨獣は呻り声を上げて俺達を追いかけてきた。地響きと、全てを踏み潰し薙ぎ払う破壊音まで伴って四つの足が忙しなく動く。俺で遊んでいた時とは違って、相当速い。
これが本気の全速力なのだろう。
ルースといえども、俺という荷物を抱えた上に足場が足場なので、少しずつ距離が縮まってくる。
「こっ、このままじゃいずれ追い付かれるぞ! 何だってっ、俺を抱えて――」
ルースが雷進を使うごとに襲う加速感に抗いながら、俺は怒鳴った。
「もう君一人を残しておけないと思っただけだ。標的を君に絞られたら防ぎ切れないし、あれを相手にしながらじゃ話も出来ないし。色々と気になるだろう?」
何故か気分を害したような顔のルースが答える。
「いや、そりゃ気になるけど……このままで大丈夫なのかよ」
「こちらの方が小回りが利く。実例を見せるぞ、気合いを入れろッ!」
俺が奥歯を噛み締め体を硬直させた瞬間、ルースはいきなり方向を変えた。
「――ッ!?」
右斜めに軌道が修正され、次の一歩でさらに45度曲がる。
体中の液体が方向転換に抵抗するような不快感がした。
「なっ!?」
俺達の動きは捉えていた筈なのに、巨獣は付いて来ることが出来なかった。
頭部と腕だけをこちらに向けていても、土砂や木々を巻き上げながら、そのまま真っ直ぐ走っていってしまう。あまりにも重い巨体が急激に曲がることも速度を落とすことも許さないのだ。
ルースは巨獣に対して半身になった体勢で速度を落とした。後ろを確認しつつ、息を整えている。
「なるほど……こういうことか」
「こんなに効果的なことはまずないが、まぁ定石だ」
少し余裕が出来た俺は、しがみ付いている相手に訊ねた。
「――で、イクシスは?」
「少し遅れている……というか、僕が先行したんだ。君がいる場所は正確にわかったんだが、少し距離があり過ぎてな。牽制にでもなればと<踊る枝葉>をその周囲に放ってみた。そのうち一発に手応えがあったから、僕自身が焼かれないように<断ち隔てる皿>を足の下にかけた上で、イクシスにそこを狙って速い精霊魔法を撃つよう頼んだ。イクシスに僕を撃ち出してもらった形だな」
「俺がいる位置? 巨獣じゃなくて?」
「その時はまだ巨獣も見えなかった。この短刀――赤尾刀はヒトの意思に反応してある種の存在感を放つんだ。僕がなかなか赤尾刀を使えないのも、これが――」
不自然に言葉を切ったルースの視線を追って、俺は巨獣がいる方向に目を凝らした。後方150m強といったところか。
「――あ」
思わず呆けた声を出してしまう。
巨獣は、こちらに向き直って左手を前に出し、右手を後ろに引き始めたのだ。どちらの手にも、木が握られている。
研究所の周囲――というか帰らずの森に生えている木々は基本的に大木と言っていい。そんな中からより大きな物を選んだらしい。巨獣の巨大な掌ですら、指が三分の二も回っていない大きさだった。
どう見ても、投げるつもりだ。
「お、おい!」
「わかっている! 速度を上げるぞ、しっかり掴まってろ!」
焦った表情で叫び、ルースは緩めていた速度を元に戻した。
「死にな――さぁあいッ!!」
巨獣の大声と共に、引かれていた右手が横手投げで振り抜かれた。
俺の目にはやけにゆっくりとした動作に見えた。
大木が横に回転しながらとんでもない速度で飛んで来る。
速く、でかい。巨獣が投げる時の動きと、木が空気を切り裂く音で重いことまでわかってしまう。
「ハァッ!」
剣を振るう時のように気合い声を上げて、急激に向かう方向を変えた。右――北側へ。巨獣がいる場所を中心として、円を描くように疾走する。
「~~ッ!!」
背中をルースに支えられ自分でも力の限りしがみ付いているというのに、体が離されそうになる。
放り投げられた木は、俺達の数m後ろを通り過ぎていった。
回転する枝や葉が、森の屋根に当たる木々の天辺を擦り上げていく。
さらに何十mも飛んで、巨獣が投げた木は別の木々の間に落ちた。
まだ少し距離があるが、ルースは紙一重で避けるつもりなんてないだろう。速度や重量、回転まで含めると、枝一つとっても掠っただけで凶器になりそうである。
息つく暇もなく、巨獣の左手が振り下ろされた。
唸りを上げて、今度は縦回転の巨木がさっきよりも高い位置から迫ってくる。
「――くっ!」
ルースの苦しそうな声が聞こえた。
大木は、俺達が一秒前までいた場所に叩きつけられるように、沈んでいった。
距離を稼ぐことよりも狙いを重視した結果だろうか、先程よりも近い。
「ええい、惜しい!!」
悔しがりながらも、巨獣は次の木を引き抜いていた。続けるつもりだ。
このままではじきに捉えられてしまう。
「アレ、その剣で斬れないのか!?」
「片手じゃ無理だし、足場も悪い! しかも君がいる!」
俺を抱えて疾走するルースは少し息が上がっていた。
「地面に降りるのは!?」
「雷進が使えない! それに僕達が隠れてしまったら、イクシスが来た時に……!」
一時隠れられたとしても、素早い移動が出来ないと、この大木投げに巻き込まれてしまうということか。しかも俺達が隠れた後にドラゴンが現れれば、巨獣は標的をイクシスに絞るかもしれない。
こんな手は使えない。
「ああ、もう! なら魔法は!?」
「出来ればどうしようもない瞬間まで、取っておきたいんだが――なぁッ!!」
再度横回転の大木が迫ってくる。
ルースは台詞の最後に力を込めて、斜め上に跳んだ。
足の下5mほどを円盤状に回りながら木が過ぎ去っていく。
しかし、巨獣はすでに次の木を投げていた。空中にいる俺達に向かって正確に飛んで来る軌道だ。
ルースであっても足場がなければ避けられない。
「ちぃッ!」
「~~ッ!!」
ルースが舌を打ち、俺は叫ぶことも出来ずに彼女の腰にしがみ付いた腕に力を込めた。
このままだと――ぶつかるッ!
そう思った瞬間、視線の先がオレンジ色に染まった。
「何――だ、と!?」
巨獣が驚いた声を上げる。
俺達を押し潰す筈だった大木が、全く別の方向から放たれた炎の塊にぶつかって、逸れていた。
燃え上がりながら、俺達の遥か後方へと飛ばされ、森の中へ吸い込まれていく。
「ふふっ。タイミングがいいんだか、悪いんだか……」
いつの間にか用意していた黒魔法の紋章を掻き消して、ルースが言った。そのまま黒の飛行術を描き直し、空中に浮かぶ。
炎が向かってきた方向に目を向ければ、遠くに動く物があった。
どんどん近付いてくる。
まだ全体像は把握しづらいが、前方の月明かりを反射する赤い毛と、そこから伸びる長い二本の角、輝く金色の瞳は薄闇の中でも良く見えた。動いているのは黒い翼と忙しく振られる尾である。
イクシスだ。
「グルア――――――ッ!!」
「イクシ――――――スッ!!」
黒いドラゴンの呼び掛けに、俺も叫び返した。
遠目には怪我をしている様子もない。飛べる程度には元気らしい。
巨獣は俺達やイクシスを攻撃することも忘れた様子で、しきりに辺りを見回した。
「あの魔剣士だけでなく、ドラゴンまで……。ということは、まさか……スロウルムやグリフォンライダー達も近くに――?」
あれだけの力と巨体でも、一国の軍隊を相手にするには心の準備が必要なのだろう。不安げに周囲を確認することに集中していた。
その隙に、ルースに囁きかける。
「そうなのか?」
「いや、僕達だけだ」
ルースも小声で答え、小さく首を横に振った。シルバーブロンドの髪がさわりと揺れた。
「君が心配だったんで飛び出してきたし、イクシスに乗ったまま僕が<空駆ける矢>を使って、相当な速度で飛び続けたからな。王都はまだ混乱していて、グリフォン部隊辺りはまだ帰ってきていなかった。部隊編成だけでも時間がかかるものなんだろう? スロウルムとサラは来たそうにしていたが、怪我をしたようだったからリリィ共々置いてきた」
俺達が話している間にも黒いドラゴンは近付いて来る。
「グルーア――ッ!!」
イクシスは俺達に並んだところで、空中に止まった。
傍目にも疲れて見える。ゆったりと翼を動かしている状態になっても息が荒く、数時間前に別れた時にあった覇気のようなものが薄れていた。
ルースと一緒になって相当急いでくれたのだろう。
俺は一つ息を吸って、頭を下げた。
「ルースもイクシスも、ありがとう! お前らが急いでくれたおかげで助かった、恩に着る!」
「感謝の言葉なら後にしてくれ。せめて僕に抱きついていない時に」
「ぐるあ~……」
「ほら、イクシスもどうせなら撫でてくれと言っている」
イクシスが呆れたような声を出し、ルースが苦笑した。
俺としては情けない声を出すしかない。
「き、君達、何か息が合ってないか?」
「そりゃあ、ああやって一緒に戦えば――」
ルースが急に言葉を切った。
彼女が注視する方向を見れば、巨獣がこちらを睨んでいた。やはり、両手には大きな木を一本ずつ持っている。
「そのドラゴンがいるということは、貴方が言っていることもあながち嘘ではないようですねぇ……。今に限って言えばルークセント軍が来ている兆候はありませんが、それも時間の問題ですか。ならば、貴方方は――」
巨獣は青白い胸を張り、両手を引く。
「――さっさと片付けなければなりません!」
怒号と共に、二本同時に大木が放たれた。横に回転する大木が並んでいる為に、とにかく範囲が広い。
しかし、ルースもイクシスも動こうともしなかった。
「グルァァアアアアアアアアアアアアッ!!」
「<舞い散る毬栗>ッ!!」
イクシスの巨大な火球とルースの黒い球体が大木を迎え撃つかのように飛び、数十m先で爆発する。
二本の木は左右に分かれて吹き飛ばされ、全く別の場所に地響きを立てて落ちた。
「やはり<舞い散る毬栗>でも逸らすので精一杯か……。イクシス!」
ルースの手が背中から離れ、ベルトが掴まれたと思うと、とんでもない力で引っ張られる。
「う――ああッ!?」
全身から血の気が引く感覚がした。
しがみ付く俺を片手一本で引き剥がし、信じられないことに、放り投げたのだ。
すぐそこに緑の葉が生い茂るのが見えているとはいえ、地面までは20mはある。
時間が止まったような感覚の中、俺は宙を舞った。
「グルア!」
「――っだっはッ!」
実際は1秒程度の空中浮遊を経て、俺はイクシスの背中に落ちた。イクシスが気を使ってくれたのか衝撃はほとんどない。
翼と翼の間――一筋生えた赤い毛の感触が頬に触れる。
手をイクシスの太い首根っこに、足を胴回りに巻き付けて、ようやく一息つくことが出来た。
ほんの一分前にあった感謝の気持ちは、ほとんどなくなっていた。
「殺す気かぁッ!」
俺が半泣きで大声を上げても、ルースは巨獣を見据えたまま、さらりと返す。
「イクシスが君を落とす訳がないだろう。僕は巨獣を抑える。その間に、君はイクシスにその鎧を繋ぐんだ」
魔剣士が指差す先は、俺の腰――『龍騎士の鎧』だった。腹に巻いているベルトをイクシスに取り付ければ、この鎧がそのまま鞍になる。
ルースは自分が囮になっている間に、態勢を整えろと言っているのだ。
「あ、おい――」
「頼むぞ、イクシス!」
制止する間もなく、ルースは巨獣へと走っていった。俺がしがみ付いている時とは速度も身軽さも違う。
俺はさらなる文句を言うことを諦め、イクシスの背中に手を触れた。
「仕方ない。イクシス、出来るだけ揺らさないようにしてくれ」
「ぐるあ」
地面まで下りて貰いたいところだが、時間が惜しい。高所にいる恐怖を押し殺して、この場で作業に入ることにする。
まずはイクシスの背中に座り、腿でしっかりと体を固定する。
固く留まるのに簡単に着脱出来る複雑な機構の留め金を三つとも外し、腹を覆う形で巻いていたベルトを解く。
素材のわからない黒いベルトは幅が広く、収縮性があった。縦の一本に対して三か所に、横のベルトが三本繋がれている。
「こんなことなら、ソリソカルで練習させてもらうんだったな……」
横のベルトを、イクシスの首の付け根、翼の後ろ側、腰の括れている部分に回し、留め金を嵌める。ベルトの長さに余裕があって留め金が重りになったので、助かった。
グリフォンよりもかなり小柄なイクシスに合わせて、長さを調整し、締めていく。
後ろ側の二本は離すことも近付けることも出来ないので、ここが鎧との接合部分なのだろう。
「大丈夫か、イクシス? 苦しくないか?」
「グルア」
気ばかりが焦るが、変な取り付け方をしてイクシスに無用な負担をかけるのは避けたい。それでなくても自分の体を預ける物だ。確認だけは疎かにしないようにする。
悪戦苦闘を繰り返し、何とかイクシスの体にぴったり合わせてベルトを回すことが出来た。
首筋から腰にかけて、ドラゴンの背中にある一筋の赤い毛をそこだけ隠すように、黒く太いベルトが一本。横のベルトはまず腰の部分が支えとなり、翼の後ろと首の付け根に回された方がさらに補強する仕様らしい。
「――いい加減、墜ちなさい!」
破壊音に混じって、巨獣の声が聞こえた。
ちらりと巨獣のいる場所に目を向ければ、木を握ったまま腕を振り回す巨獣の周りを、圧倒的に小さなルースが飛び回っている。
魔剣士は無理な攻撃はせずに回避に専念しているようだ。
いきなり降下して、周囲に残った木の先端を足場にしたりもしている。
逃げるにしても、戦うにしても、急がなければならない。
足を伸ばすことが怖くて仕方がなかったが、気合いで誤魔化し、片方の手に体重をかけて腰を浮かせた。
腰の動きで龍騎士の鎧の前垂れを股の間に折り込む。
ベルトに合わせるように見当を付けて座ってから、尻と前垂れを動かし、位置をあれこれ変えてみる。
何度目かの挑戦で――。
バチリ、と。
金属的な音がして、前垂れとベルトが固定された感触がした。
前垂れの中程にある三角形の輪が外れて、下に伸びる。鐙だ。
「おお……!」
俺は鐙に足を突っ込んで、体を前後に動かしてみた。前垂れには余裕があり、座っている分には動きに支障はない。
イクシスの背に合わせて丸まった前垂れは柔らかい割に滑らず、鱗に直接座っている時よりもしっかりと腿を締めることが出来る。
最後に魔銃に弾を込めていく。
気休めではあっても、俺に出来ることなどこれぐらいしかないのだから仕方がない。
その時、ちらりと保身の気持ちが顔を出した。
巨獣と対面する恐怖なんて、出来れば二度と味わいたくはない。
ルースとイクシスが来てくれた以上、上手く巨獣から逃げられれば、俺の身の安全はほぼ完璧に保障される。
ルークセントでも準備を始めているというし、あれだけ頑張って最低限の成果は上げたのだから、ここでこれ以上踏ん張らなくても。
「……ふふ……」
「グルア?」
急に含み笑いをした俺に、イクシスはこちらに顔を向けて首を捻った。
今更逃げ出せる訳がない。
ここまで関わってしまったのだから、事の顛末はこの身で受け止めなければならない。
ここまで頑張ったのだから、最後のオチを知らなければならない――アイツに語る為に。
俺は心を決めて、弾倉を音高く戻した。
「何でもない! 動いていいぞ、イクシス! ルースのところまで行ってくれ!」
「グルアァアアアア!!」
忍耐強く待っていたイクシスが、待ってましたとばかりに鳴き声を上げ、一気に飛び出した。
一つ翼が羽ばたくごとにぐんぐん加速していく。
だが、前傾姿勢を取るだけで何とか耐えることが出来た。鞍になった龍騎士の鎧のおかげだ。
高い場所にいるというのに、歓びと恐怖が等しく両立する妙な気分さえする。
あっという間にルースと巨獣が争う場が近付いて来る。
ちょうどルースが<踊る枝葉>を巨獣の側面から放った所だった。黒い光線の三発が下半身に、二発が差し出された右手の鱗に当たって弾ける。
「――来たかっ!」
俺とイクシスに気付いたルースは、そのままこちらへ飛んで来て、巨獣から距離を取った。
「ちぃ! そういえばいましたね、もう一匹煩い虫が」
一方、巨獣は動かずに舌を打つ。
イクシスとルースはお互いを目指す様に跳び、合流した。共に空中で停止し、巨獣へと向き直る。
大剣を持った魔剣士と、兵士見習いを乗せたドラゴンが肩を並べた。
「グルア!」
「悪い、待たせた」
巨獣は俺を見て、犬に似た頭部の額に皺を作った。疑問半分、不快感半分というところだろうか。
「――ッ!? ドラゴンはともかく、わざわざ乗り込んで来るなんてどういうつもりです、ソーベルズ!?」
「私だけ除け者だなんて、つれないことを仰らないで下さい、閣下。これからが最後のイイ場面ではありませんか」
俺は肩を竦めて、言った。
ルースが俺を見て口の端を上げる。
「ということは――カインド、君も一緒にやるつもりなんだな?」
「ああ、勿論だ」
「イイ場面? ハッ、自分達が無様に殺されるところですか?」
鼻で笑った巨獣をまっすぐに見据えて、俺は言い放った。
「まさか。『巨獣の卵』は見つけ出しましたし、フルール嬢は助け出しました。反乱というルークセントの窮地まで彼らが救っています。あと残っているのは……、復活してしまった伝説のバケモノを打ち倒すことだけですよ、巨獣閣下」
10月24日初稿