54.必要な問答
もう後には引けない。俺の、他人より少し回る口と頭だけで時間を稼ぐしかない。その為には、まず会話をするだけの価値がある相手だと思われなければならない。
果たして――。
数秒黙った巨獣は、座り込んだ俺を見下ろす視線はそのままに口を開いた。
「何故、私にそれを訊ねるのですか……?」
――喰い付いた。
例え、馬鹿みたいな実力差から来る余裕からだとしても、取るに足らない雑魚への憐れみだとしても、魔弾さえ撃ち尽くした俺への手向けだとしても、エンバリィは俺と話をしてもいいと思ったのだ。
集中しろ。
一言一句聞き洩らすな。
言葉の応酬は留めず、滑らかに。
流れを自分のものに――ただし制御に無理があれば、相手が疑念を抱く。
父上が俺に刷り込んだ会話のコツを思い出しながら、普段の口調を心掛け、言った。
「普通に考えれば、『龍の卵』を盗んだ犯人は閣下の可能性が一番高いでしょう。それを行える地位と権力、意志を持ち、リィフ王女――実際には王女の恰好をしたフルールだった訳ですが――の誘拐というさらに大きな計略を成功させている。逆に言えば、閣下が『龍の卵』の盗難に関わっていない方が不自然というものです」
「……」
俺の推理とも言えないような仮定を巨獣は黙って聞いていた。だが、彼の否定をしないという態度は、俺のこじ付けが真実だったこととほぼ同義だ。
俺は話を続ける。
「私が腑に落ちないのは、それだけの危険を伴って盗み出したルークセントの国宝を、一年足らずで閣下が手放しており、しかも盗賊団が持っていたという事実です。売却した物が流れ流れて、ということは考えづらい。たまたま盗品が見つかり販売ルートが特定されてしまえば、閣下といえども追求をくぐり抜けることは難しいからです。と、なると――盗み出した物をさらに盗まれたか、騙し取られたか、それとも直接与えたか……」
俺が一旦言葉を切っても、巨獣はなかなか口を開かなかった。首を屈めているのに見上げなければならない位置にある、鼻が潰れた犬の顔は、俺を見据えたまま何かを考えているようだった。
このまま反応がなければ少し煽るしかないと思い始めたその時、巨獣が奇妙な唸り声を上げた。
頭部と肩が震えている。あまりにも高い上に近過ぎて見えないが、頭のない上半身も肩を揺らしていることだろう。
「フフ、ウフフフ……。そこまで考えられるのなら、もう一歩ぐらい踏み込めるでしょうに……。行動には目的を伴うのは当然です。ですが、行動そのものが目的であることもまた、ままあるのですよ」
「……それは……」
ある程度察した俺は、演技ではなく、呟いていた。
「確かに『龍の卵』を宮殿の宝物庫から持ち出したのは私です。しかし、私は『龍の卵』が、ましてやドラゴンが欲しかった訳ではありません。ルークセントの国宝を盗み出すことが主な目的だったのです。ウフフ、ここまで言えば流石にわかりますか、ソーベルズ卿?」
「混乱を起こす為……? リィフ王女やスロウルム将軍も含め、大事が起こった時に宮殿内がどうなるのか、確認したかった……。後々に自分が行う本番の前に予行演習をした、と……そう仰るのですか?」
「フフ、まぁ、及第点といったところですか。確かに、非常に重要な物でありながら、普段見向きもされずにしまってある『龍の卵』を持ち出すことは容易く、宮殿内の反応を見るのに最適でした。しかし、それだけではありません」
巨獣は首を傾げ、瞼を大きく開いて空を見た。ヒトの顔なら呆れた表情に見えたかもしれない。
「嘆かわしいことに、この国は魔獣騎兵を事の他重要視しています。そこに、大英雄アレイド・アークのもたらした、しかも『龍』になりえる卵ですよ――たかが二百年足らずの品物が、最も有名な王家の宝になってしまいました。下手をすると、『龍の卵』を持つ者がルークセント王家の正統後継者を名乗る可能性すらありえる。貴方の言う『本番』の前に、こんな物は自分の管理下に置いておこう、というのは至極当然の対処でしょう?」
「……ということは、あのオルトロス乗りがいた盗賊団は、閣下の管理下にあったということですね……」
想定の範囲内とはいえ、俺にとっての始まりからエンバリィが関わっていたという事実は、俺を戦慄させるのに充分だった。
「そう、そこまで行ってようやく正解です。ウフフフ……、確か前にも言いましたね。この国の人々は自分の魔獣を手に入れる為ならば何でもするのですよ。ドラゴンともなれば涎を垂らして靴に口付けすることも厭わないという有様でね。『龍の卵』を渡す素振り一つでも見せれば、オルトロス諸共死んだことにして軍属から離れ、私の子飼いとして働かすことも可能な訳です。私自身には魅力的な品とは言えなくても、報酬としてはこれ以上の物はありません」
あの夜、イクシスの熱線でこんがり焼かれたオルトロスとその乗り手は、元々魔獣部隊にいたルークセント国の軍人だったという訳か。
しかし国の最高責任者代行である摂政が、国民を食い物にする盗賊団を飼っているとは。
「サートレイトの憲兵隊から事の連絡があった時には、さぞ驚かれたでしょうね」
思わず皮肉が口から出てしまった。
ついさっき痛い目にあったばかりだというのに、また少し踏み込み過ぎている。
だが、すでに俺を追い詰めた余裕からか、巨獣の鼻がビクリと蠢いただけで済んだ。
しかも、俺にとって有利な発見が一つあった。
巨獣の表情は読みやすい。当人としては反射的に出た微かな動きだったとしても、これだけの巨体なら目立つのは当たり前だ。
自分の成果を語りたがるエンバリィの性格と合わせれば、ほんの少しやり易くなる……かもしれない。
巨獣は自分の行動を隠すように、そのまま大きく息をついた。
生温かく、妙に酸っぱい息が盛大に俺にかかった。
「それは認めなければなりませんね。しかも『龍の卵』と思しき卵の殻が発見されたというではありませんか。その上何の因果か、時期が時期――フルール嬢の誘拐を決行した直後――でしたから、慌てて別の子飼いに始末を命じなければなりませんでした。関係者と、もし傍にいるのならば卵から孵ったドラゴンを闇に葬る為に、ね」
「ヘルハウンド使い達と、サンダーバード乗りがいた強盗団……」
額に穴のあいた男と右肩の痛みを思い出す。
彼らも軍属だったのだろうか。
「私としては、ヘルハウンド使いが全滅させられたことが痛かったですねぇ。あれは汚い仕事をやらせるのに非常に重宝したのですが……。念の為、高威力魔法爆雷まで持たせていたというのに、きっちりくぐり抜けて王都に向かってくるなんて」
巨獣はそう言って頭部を左右に振った。
あの時点で俺達は、ほんの少し軍に疑念を持った程度だった。まさか、そのさらに上に黒幕がいようとは思いもよらなかった。
「あの魔法爆雷は、てっきり自決用かと思っていました。そんな生易しい物ではなく……、全てをなかったことにする為の手段だったのですね」
「何せ計画は始まっていたのですから。途中でやめられる物でもないし、今更『龍の卵』に構っている暇などありません。こちらとしては、王女の行動を注視していたかったのですよ」
……虫を使ったノゾキでね。
俺は流石にその一言を呑み込み、代わりになるべく自然な質問を用意した。
「我々が宮殿に招かれた以降、襲われることがなくなったのは、こちらをコーヴィン将軍に任せ、ご自分は事態の推移を見守る為、ということですか?」
巨獣が瞼の上を歪め、洞窟のような口を開く。眉のない顔を顰めるとこうなるらしい。
「止して下さい! 私としては貴方方が宮殿に訪れた時点で、計画を修正していたのです。それでなくても、軍人として考えたところで頭の足りないリンゼス・コーヴィンなどに任せられるものですか! はっきり言えば、あれはコーヴィン兄弟の暴走です。後から例の決闘騒ぎを聞いて肝を冷やしました。貴方が負けていたらと思うと、今でも寒気が走るほどでね」
トリート・コーヴィンに挑まれた決闘の結果、兄のコーヴィン将軍は牢屋入りとなり、リリィは俺達に協力を要請するつもりになった。
事態が動く切っ掛けとなっただけに、結果が逆なら今の状況も全く違ったものになっていたに違いない。
「まぁ、それもわからなくもありません。元々リンゼス・コーヴィンには、全てが上手くいったら『龍の卵』を与える、という確約をしていました。巡り巡っても最後には彼の手に渡る、などと言ってね。所有欲の非常に強いあの男のことです、すでに自分の物にしたつもりだったのでしょう。貴方はそれを横から奪い取り、王女はそんな貴方を国賓として受け入れた訳ですから、その怒りは察することぐらいは出来ます。ウフ、フフフ……!」
嫌らしく笑う巨獣の顔から、俺はその裏にある思惑を察した。
「……もし、閣下の計画が当初のまま進み、『巨獣の卵』とルークセントを手に入れても、コーヴィンは切るおつもりだったのですね……」
「……当たり前でしょう。そうですね、最期の望みぐらいは叶えていたかもしれません。ですが、『龍の卵』と一緒に消えてもらうことは確定事項でしたし、それは今も変わりません。大体、私はコーヴィン家に前からいい感情は持っていなかったのですよ。先々代からして中途半端な軍人気質だったのが、エルフの女を嫁として迎え入れてからというもの――」
巨獣は、自分の腹心として扱ってきたコーヴィンに対しての鬱憤を吐き出し始める。
どれだけ目障りか、どれだけ考えなしか、どれだけ使えないか……などなど。
その糾弾は三代前から始まり、おそらく数十年に及ぶコーヴィン家に対する怒りや呆れ、苛立ちはなかなか止まらなかった。
一方、俺は適切と思われる相槌を打ちながらも、頭の半分ほどではエンバリィが口にした言葉について考えていた。
巨大な姿を手に入れた男は、未だに『龍の卵』から孵ったドラゴンを危険視している。
つまりイクシスだ。
機会があれば――いや、ルークセントを手に入れたらすぐにでも、イクシス抹殺の為に動き出すだろう。例えルークセントを手に入れても、イクシスが生き残っていては安心出来ないという理由で。
また一つ、負けられない理由が出来てしまった。
俺の覚悟など知らないまま、巨獣は愚痴を続けていた。
特にリンゼス・コーヴィンは若い頃から摂政閣下の悩みの種だったようだ。そんな彼がエンバリィの後ろ盾によって勢力を伸ばしたというのだから、皮肉な話である。
「私との密約がありながら、王女に対して剣を抜くだなんて……。貴方に想像出来ますか? 私事に集中したい所を我慢して、後から後から舞い込んで来る仕事を片付けている最中に、一応は同士である部下が、無意味どころかただの愚行で牢屋に連れて行かれた、と聞かされた時の私の気持ちが」
「流石にそれは……察するに余りありますね」
俺が苦笑すると、巨獣も軽く息をついた。
「コーヴィンの暴走で、私がしなければならないことは格段に増えました。王都における兵の配置や王女の探索に託けた非協力者達の排除、コーヴィン家への協力要請。本来ならば余裕を持って王女の行動を見張り、必要であれば後押しをし、タイミング良く『巨獣の卵』を迎えに行くつもりだったのですが……。ここに訪れるまでは気が気ではなかったですよ」
ただの愚痴で相手が満足してしまうと困る。もう少し続く気配がないでもないが、俺は先を見据えて若干の軌道修正を試みた。
「ここ――サンシュリック次世代技術研究所といえば、気になっていることがあるのですが」
「……ウフフ、いいでしょう。私に答えられることなら、答えてあげましょう」
舌が滑らかになっている巨獣は、上機嫌で頷いた。
ここは素直にありがたいと思っておこう。
「本来なら、ここは国家規模の封印がされていた筈です。『巨獣の卵』の危険度は勿論、地上階にも冥王同盟の関係を臭わせる物が残っていました。放置していい訳がない。私の従者はむしろ封印がないことに驚いていました。また、百年単位で放置されていたにしては、原形を保ち過ぎています。これは――」
「閉鎖の際――数百年前に施された封印が、近年破られた、と言いたいのでしょう?」
俺の台詞を奪って、巨獣が言った。
出来の悪い生徒がたまたま正解を導き出したのを見た教師のような、優越感を含んだ称賛が混じったムカつく笑顔だった。
もっとも、ヤツが優越感を持っている間は、幾らか安心出来る。
俺は巨獣の機嫌を損ねないように、言葉使いを気を付けて応えた。
「はい。そして、エンバリィ閣下が――ご本人かご配下かはわかりませんが、閣下が主導になって――封印を破ったのではないかと……」
「ウフフ、正解です! 貴方とは、鬼ごっこやかくれんぼをしているよりも、こうして話をしている方がずっと有意義ですねぇ。確かに十五年以上前、私自身がここに来て、十数人の魔術師と研究所の封印を解きました。あれは何日かかりましたか……休暇を全て充てた覚えがあるのですが」
俺から視線をずらし、巨獣は斜め上を見上げた。思い出を掘り起こそうという風に。
いかに才覚豊な国家の重鎮といえども十年以上前のことはなかなか思い出せないらしい。
「せっかく時間をかけ扉を開き、苦労して探し回ったのに、資料しか見つからなかった。よって私は、『巨獣の卵』の元へ辿り着くにも王家の血が必要なのでは、と考えたのです。……そうそう、虫からの映像では把握し切れなかったのですが――あれは音までは拾ってくれませんからね――貴方はどうやって地下への扉を見つけたのですか?」
「埃ですよ」
「……何ですって?」
何を勘違いしたのか、巨獣が俺を睨んで来る。煽るつもりもない所で怒りを買っては割に合わない。
俺は急ぎつつも焦りが声に出ないよう、もう一度言った。
「掃除をしないと溜まる、埃、です。絨毯の上に積もっていた埃が、部屋の開け閉めで浮いたんです。だから、絨毯の下に隙間か空間があると思った訳で……。もしかして、閣下が足を踏み入れた当時、研究所内は埃一つなかったのではないですか?」
「……ああ、言われてみれば……。そう、貴方の言う通り、掃除を終えたばかりのように綺麗だったのを覚えています。そうか、そういうことだったのですか……、封印の所為で……」
巨獣は納得出来る理由だと思ったようで、しきりに頷いた。
一口に封印といっても規模や構成の仕方によって様々なものがある。その中でも最上位に位置するのは、大規模かつ永続的な<封印停止>とも言うべきものだ。
指定範囲内ではほとんど時間が止まったようになる。
手軽に解体出来ない施設やどうしようもなく危険な場所を、丸ごとそのまま未来へと残せる――あるいは押し付けることが出来る便利なものだが、準備が物凄く大変なのだ。宮廷魔術師級の実力者が何人も、しかも長時間拘束される必要があり、結界を維持する為に大気中の魔力を使う為、近くに魔力の濃い場所が存在しなければならない。
そしてその封印を解くには、同じくらいの手間がかかる。それこそ国家規模の手間が。
閉鎖直後のまま封印されていた研究所には埃などなかったのだ。
何の切っ掛けもなければ、高価な絨毯を切り裂く踏ん切りがつかないのも頷ける。
「ざっと見て回っただけですが、サンシュリック次世代技術研究所内には、『巨獣の卵』に関する資料はありませんでした。閉鎖の際ではなく、閣下が開封した時に持ち出していたのですね……」
「関係ないと断言出来るもの以外は全て運ばせたのですが……わかったことと言えば巨獣ゾフェンドの姿や性質ぐらいでした。どうも幾つかの班にわかれて別々に研究を進めていたらしく、残された物は資料とも言えない断片的なものばかりで、一つに纏める作業は困難を極めました。こんなことを誰かに任せる訳にもいきませんでしたからねぇ……、資料の解読は全て私一人で行ったのですよ」
どこか遠い視線を見せながら、巨獣は獣の肩を竦める。
「当時巨獣に呑み込まれたジィエロ・ボーテェティよりも、当時の所長よりも、私の方が巨獣について詳しい自負があります。研究所の閉鎖にも繋がった巨獣騒ぎは事故――あるいは個人の暴走で――当時の誰一人わかっていなかったというのが私の結論です。いつの時代にもコーヴィンのような考えなしがいるのでしょう。ウフ……、ウフフフフ」
低く、唸るような笑い声を上げる巨獣は、自分の冗談が気に入ったらしい。
だが、俺は笑えなかった。
「当時呑み込まれた……ジィエロ・ボーチェティ……? 閣下は……閣下はその姿になることがわかっていながら、『巨獣の卵』を求め続けたのですか? 十年以上も?」
自分の声が震えてしまっていることに、声を出した後で気付いた。
そういえば、エンバリィは巨獣そのものになってからも、動じる様子が一切なかった。何の心積もりもなければ発狂してもおかしくない、異形の姿になったというのにだ。
巨獣はゴミを見るような目で俺を見下すと、頬の辺りを僅かに痙攣させながら、言った。
「……貴方にも理解出来ないようですねぇ。これだけの力を得る為なら、ヒトとしての姿ぐらい幾らでも犠牲に出来る……、それが覚悟というものではありませんか」
もう少し現状に至るまでの事実確認で引っ張りたかったが、仕方がない。エンバリィも乗り気だし、何より俺自身が我慢出来なくなってしまったのだ。
俺は大きく息を吸って、巨獣の真っ暗な瞳を一直線に見上げた。
彼が黒幕だとわかった時からずっと引っ掛かっていた、根本的な疑問を口にする。
「どうしてそこまで…………。社会的地位もルークセント上層部での実権も申し分ない、公爵にして摂政という立場でありながら、閣下は何故そこまで……巨獣の力に拘るのですか?」
10月14日初稿
2015年8月18日 指摘を受けて誤字修正
事態が動く切っ掛けだとなっただけに → 切っ掛けとなっただけに
国家規模の封印されていた筈です → 封印がされていた