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51.二人の少女と一人の騎士

 コーヴィンの怒号が響き渡った後の正面広場は静まり返っていた。背中を丸めて空中に止まるソリスの羽音が、広場全体に届く程である。

 サラによる飛行術をかけられた馬車は、淡い黄色のグリフォンと平行に浮かんでいる。

 負担の少ないソリスがその気になれば、逃げるという手段も取れなくはない。当然蜂の巣になる可能性はあるが、時間を稼ぐのなら賭ける価値はあるだろう。


「な……、何故降りてきた……ッ? お前がいれば……逃げることだって――」

 仰向けになったまま未だ白煙を上げるスロウルムが、視線だけを横に向けて、途切れ途切れに呟いた。


 倒れたスロウルムとその傍に立つコーヴィンから10mほど離れた場所に、サラは右半身を石畳に横たえていた。その中程に砲槍が転がっている。

 スロウルムの呟きを受けて、狼獣人特有の三角形の耳が小刻みに動いた。しかし、サラはまだ言葉を口にすることが出来ない。彼女は悶絶しながら必死に息を整えている最中だった。

 女騎士の周りを取り囲む兵士は微動だにしなかったのに対して、コーヴィンの尖った耳は微かな声を拾ったようだ。

「ハッ、逃げることすら不可能だ。グリフォン一匹で何でも出来ると思い込み過ぎなんだよ、お前らは。そらッ、グリフォン様にこれを止めることが出来るのか!?」

 王冠を被った男は、細剣を天に向かって振り上げた。空気を切る音がやけにこだまする。


 広場に立つ兵士達が固唾を呑んで見守る中――。

「――おやめなさいッ、リンゼス・コーヴィン!!」

 上空から叫びが届いた。

 甲高い、緊張を含んだリリィの声だった。


「未だに王女のつもりか、フルール・スロウルム!! 伯爵どころかすぐにでも王になるこの俺を呼び捨てにするとは……!!」

 憤怒の表情になったコーヴィンが細剣を握る右手に力を込める。彼は、リリィはかなり前に誘拐されたままで、容姿も声も瓜二つのフルールが王女の身代わりを演じていると思っているのだ。

 リリィが慌てた声で付け加えた。

「今すぐにでも降ります! ですがその代わり、他の者に手出しをすることは止めて下さい!! トマス・スロウルムもサラ・ゴーシュも、そしてこのグリフォンもです!」

「しかも、本当に自分の置かれた状況がわかっていないらしいな!! 今更お前達が条件をつけられるとでも……ッ!」

 奥歯を食い絞め顔を真っ赤にしたコーヴィンは、何を思ったのか息をつくと、手で持った剣ではなく、足を振り下ろした。

「――グフッ!」

 抵抗どころか受け身も取れないスロウルムが脇腹に一撃を貰う。

「おじさまぁっ!」

 蹴ったといっても強めに小突いた程度で、負傷させるというより屈辱を与えることが目的のようだった。

 ともかく溜飲を下げた様子のコーヴィンは、傍目には落ち着いた口調で空に向かって呼び掛けた。

「まぁ、いい。付き合ってやろう。グリフォン共々早急に降りてくるのだ、フルール・スロウルム。さもなくば、全員一緒に風穴を開けてやるぞ。――全隊、構えェッ!」

 リンゼス・コーヴィンの合図で、広場にいる兵士達は魔銃を音高く構え直した。

 倒れたサラに銃口を向ける兵士達も、同じようにわざわざ体を揺らし、再度狙いを定める。

「――わかりました。ソリス、そっと地上に降りて下さい。他の方々を刺激しないように、そっと……」

「クァアッ!」

 体を伸ばしたソリスは小さな螺旋を描きながら、少しずつ高度を下げた。

 ふわりと石畳に着地し、馬車がそれに続く。片方の前足を固める氷が石と擦れて音を立てるのも構わず、そのまま10mほど進んで勢いを殺し、グリフォンと馬車は停止した。

 兵士達の魔銃が、風に揺れる枝々のように同じ方向に揺れ動き、最終的には地面とほぼ平行になって止まった。


「クックック……」

 コーヴィンは少し離れた場所に停車した馬車を注視し、スロウルムとサラは倒れたまま悔しげに表情を浮かべた。

 広場にいる全てのヒトが見守る中、静かに馬車の扉が開いた。


 しかし、人影はなかなか現れない。


 真剣な表情に汗を浮かべていた兵士達が、私語を抑えきれず、ざわめき出す。また、それを注意する上官もいなかった。

 相変わらず銃口は馬車に向けられていたが、首を伸ばしたり体勢を変えたりと、全体の雰囲気が雑然とした雰囲気になる。

 全隊を統括する立場であるコーヴィンも顎を上げ、見下した視線を馬車に送った。決定的な瞬間を自他共に焦らしている気分なのか、嗜虐的な笑みを浮かべていた。


 一分程経ってから、やけに勿体ぶった仕草で肩を竦め、コーヴィンは粘り付くような声色で呼び掛ける。

「――どうした? 怖気付いたのか、王女殿下ぁ?」


 まず初めに、高めのヒールのある細やかな刺繍が施された靴が見えた。

 続いて、白いドレス、照明を受けて輝く金髪と小ぶりな王冠。


「未だにその恰好か、フルール・スロウルム。すぐにその化けの皮を剥い、で――!?」

 コーヴィンは急に言葉を詰まらせた。

 音もなく石畳に降り立ったリリィに続いて、質素な村娘の恰好をしたフルールが続いたからだ。フルールはやはり音をさせることなく馬車を降り、リリィと並んだ。

 二人の手は互いにしっかりと繋がれている。


 もう一度、広場に水を打ったような静寂が戻った。

 王冠を被ったコーヴィンと彼の兵士達は勿論、倒れているスロウルムとサラも目を見開き、言葉が出せない。

 同じ顔を持ちながら髪の色と衣装の違う少女達は、緊迫した表情でしっかりとコーヴィンを見据えた。

 一方、コーヴィンはようやく事態を理解したらしい。

「――な……、な、ななな何だとォッ!? は、話が違うッ!! 話が違うぞォッ!!」

 王を名乗る男は、王冠がずれるにも構わずに頭を掻き毟った。元々白かった顔は、さらに色を失っている。

 フルールと視線を交わしたリリィが、二人同時に足を進めた。

 ヒールとブーツが石畳を踏む音をさせながら、前に出る。ソリスは舞い降りた場所から動かない。


 馬車とコーヴィンのちょうど中間辺りで、二人は立ち止まった。


 リリィが、またしてもフルールと目を合わせてから、静かに口を開いた。

「一体誰に聞いた、どのようなお話と違うのですか、コーヴィン将軍?」

 将軍、という言葉を強調した台詞に、コーヴィンは確かに怯んだ。混乱から脱することが出来ず、助けを求めるように周囲を見渡している。

「っぐ……!」

 だが味方の筈の兵士達も、首魁であるコーヴィン同様、混乱していた。魔銃をリリィに向けたままの者と慌てて構えを解いた者とが、半々くらいである。

 リリィは自分達を狙う魔銃には目もくれず、真っ直ぐにコーヴィンを見つめた。

「確かニセモノ等と言っていましたね? 私の隣にいるのはフルール・スロウルムですが、私もフルールも、誰に命じられる訳でもなく自分の意思でここにいます。つまり、どちらにせよ貴方の前に立っているのは、ルークセントの王女――リィフ・エイダ・サイ・ルークセントです」

「……そ、そんな……、そんなことはあり得ないッ!! エンバリィ殿の話では――ぁっ!?」

 自分の口にした言葉に驚いた様子のコーヴィンが、甲高い奇声を上げた。思わず漏らしてしまったらしい。

「我が国の摂政を務めていたレストファー・エンバリィですか? 今その名を口にしたことはとても重いですよ、コーヴィン将軍。貴方に間違った情報を与え、唆したのはエンバリィということになるのですから」

「い、いや! それは――!」

「貴方がエンバリィに何を言われたのかは知りません。ですが、私が命じた拘束を自ら解き、無用な軍を勝手に王都に配し、私の護衛であるスロウルム将軍とサラ・ゴーシュを傷付けたのは、貴方です。さらに私が目の前に現れた今も膝を折ることもせずに、武器を向け続けている。申し開きがあるのなら聞きましょう……」

「~~ッ!!」

 コーヴィンは口を開けたまま、一歩二歩と下がった。血管が浮き出るほど強く細剣を握り締めている。ぶつぶつと何事かを呟きながら、周囲を不安げに見渡した。


「……っ」

 倒れたまま動けないスロウルムとサラは、もう止めろと懇願するような視線で主君達を見つめた。

 コーヴィンを相手に上から追い詰め過ぎるのは、得策ではない。


 ちらりとサラを見たリリィが、視線を戻して説得を始めた。

「行き違いがあるというのなら、話し合いで解決出来る筈です。ですが、今はあまり時間がありません。本来なら……、こんなことをしている場合ではないのです! ルークセント全体への脅威が迫っているのですから!!」

 話しているうちに感情が高ぶったのか、リリィは最後には叫んでいた。

「……脅威?」

 暗い声でコーヴィンが呟いた。

 目上の者の台詞をそのまま返す非礼を許し、リリィは頷く。

「『巨獣の卵』が孵ってしまったのです! 巨獣ゾフェンドはすでに完成し、すぐにでもこの場にやってくる可能性があります! 名前の通り巨大な体を持ち、凶暴な獣です――出来るだけ早く討伐軍を編成し、全力を持って対処しなければ、誰が王座に就いていた所でルークセントは滅んでしまうでしょう!!」

「――ッ!?」

 ルークセントに伝わる忌み名を王女が口にしたことで、ざわめきが一気に広がっていく。

 具体的なことは何一つ知らない兵士達だが、その名が持つ嫌な響きだけは、幼少の頃から何度も聞いてきたのだ。『龍の卵』への憧憬とは真逆の、漠然とした恐怖の対象として。

「……巨獣が孵った……」

 呆然とコーヴィンが言った。彼は大きく息をつき、全身から力を抜いた。

「……わかりました」

「わかってくれたのですか? では、すぐにでも――」


 大きな仕草で顔を上げたコーヴィンが顔を上げる。

 その顔は、またも歪んだ笑みを取り戻していた。


「ええ、わかりましたよ――お前らの間抜けさが!! そんなことで俺を止められるとでも思っているのか! 『巨獣の卵』をエンバリィ殿が研究しているのは聞いている。彼はきっぱりと断言したぞ、巨獣ゾフェンドは制御出来ると! 何も怯えることはない……俺達は、巨大な力を手にしただけだぁッ!! ハッハッハッハァ!!」

「あ、あんなモノを制御出来たところで、最後に待っているのは破滅です! 話で聞いている以上のバケモノなのですよ!?」

 リリィの感情をあらわにした台詞を、コーヴィンは鼻で笑った。

「ハッ……。バケモノ、結構じゃあないかッ! 新たなるルークセントにはそれぐらいの力が相応しい! ここへ来いッ、トリートォッ!」

「は、はい! 兄上!!」

 階段前で魔銃を構えていた部隊から、トリート・コーヴィンが飛び出し、兄の元へと駆け寄った。新しい王を自称する男の弟にしては顔色が悪い。数日前に王都の料理屋で見せた傲慢不遜な態度は微塵も残っていなかった。

 リンゼス・コーヴィンは細剣で倒れているスロウルムを差し、威圧的な口調で言った。

「スロウルムを見張っていろ。いくらお前でも、手足の自由を奪われた者にどうこうされることはあるまい。俺はあっちを……」

「あ、兄上! 相手はニセモノどころか、確実に王女殿下ですよ!? 一体何を――ッ!?」

 弟の忠告を、顎を掴むことで最後まで口にさせず、リンゼス・コーヴィンはトリート・コーヴィンに顔を近付け小声で凄んだ。

「お前も状況が見えていないようだな! 未だにそんな敬称を口にするとはッ! そんな心根だからドワーフ混じりの小僧などに後れを取るのだ……!!」

「……ぐうッ!!」

「もういい、そこで見ておれッ!! せめて見張りぐらいはしっかりこなすのだぞ!」

 トリートを突き放し、リンゼス・コーヴィンは振り返った。

 視線の先にはリリィとフルールが緊張した顔で立っている。

「そちらの望み通り、話し合いをしようではないか、リィフ・エイダ・サイ・ルークセント。最後の話し合いになるだろうがな……」

 涎を垂らさんばかりの笑顔で兄が歩いていくのを見続けながら、トリート・コーヴィンは不安そうな表情で魔銃をスロウルムに向けた。


「サラ……ッ!」


「ひめ、さ……っ」

 押し殺したリリィの声に、ようやく言葉が出るようになったサラは、体を捩った。自分に突き付けられる銃口も目に入らず、どうにかしてリリィ達を助けなければと、足掻こうとする。

 それでも両手に力が入る気配はなく、武器は勿論、白魔法すら使えない。

 そんな女騎士に向けて、リリィが真剣な表情で視線を寄こした。

 若干の怯えと怒り――だが、それだけではない。

「――……?」

 サラは奇妙な事に気が付いた。

 彼女を見据えるリリィの視線が普段とは違う。

 いつもなら真っ直ぐに相手と視線を交わすリリィが、サラの少し後ろを見ているのだ。

 よくよく観察すると、フルールも強い意志の籠った視線を、ほぼ同じ位置に向けていた。サラを見ている筈なのに、角度からすると、後ろに5mほどずれていることになる。

 身を捩る動作に紛れさせちらりと後ろを窺っても、そこには何もなく、誰もいない。


 サラが混乱している間に、コーヴィンはリリィとフルールに歩み寄った。


 王女達と王を名乗る男との間は3m強――コーヴィンなら一瞬で攻撃出来る距離だ。

「感心だな、王女殿下もフルール・スロウルムも。逃げるどころか恐れもせずに待っているとは……」

 リリィはフルールと繋いだ手に力を込めて、コーヴィンの皮肉に答えた。

「いいえ、正直とても恐ろしいです。もう決定的な瞬間が近付いているのですから。最後と言うのなら……聞かせてくれませんか。何故、このようなことを? エンバリィに唆されただけですか? それとも、貴方個人に権力への欲望や――あるいは私への不満があったのですか?」

 コーヴィンが王冠の位置を直し、やけに静かな声で言う。

「確かにエンバリィ殿からは聞いていた。誘拐事件の後、もはや王女は戻らず、替え玉が王女として幅を利かせ続けるだろう、とな。<封印停止(ストップ・シール)>によって保存された髪も見せられた。封印が解けた途端、金色の髪が栗色に変わった。明らかに<七色の薄布>によって色に変えられた物だ。エンバリィ殿は、今現在の王女――フルール・スロウルムの髪だと言っていた」

 確かにそれはフルールの髪だったのだろう。しかし、王女のふりをしていた訳ではなく、誘拐されたのが彼女だったのだ。

 どこか自嘲した声色で、コーヴィンは静かに続けた。

「彼はさらに言った。替え玉を殺せば、混乱したルークセントは俺の物になる。その間にエンバリィ殿は『巨獣の卵』を手に入れ、彼の協力の元で反抗勢力を潰し、名実共に俺が王となるべきだ、と。その替え玉が宮殿から消えたのだ、千載一遇の好機を逃す手はなかろう」

 リリィはドレスの胸元を掴み、一歩前に出た。

「前提が間違っていた――つまり貴方は騙されていたのですよ!? それがわかったのなら、今からでも……!」


「――エンバリィ殿の提案は切っ掛けにすぎんわッ!!」


 突然激昂したコーヴィンは口の端に白い泡を付けながら、捲し立てる。

「不満ならあった!! ずっと不満だった!! 魔術も剣技も鍛え上げたこの俺に、ワイバーンどころかグリフォンすら与えないルークセントも! 魔獣乗りでなければ鼻で笑う国民も! だからこそ俺は努力を続け、権力を伸ばした。今では最も多くの兵を纏める将軍だ!」

 四角い顔をした元将軍は周囲の兵士達を誇らしげに見渡し、すぐに顔を歪めた。

「それなのに、どれ程鍛え上げ、どれ程の兵士を率いても……この国は老若男女全てがワイバーンライダーだグリフォンライダーだ、だと……! 他国からも魔獣乗りの国として見られている! だが見ろっ、魔獣に守られようとも王女は窮地に立っているではないかッ!! グリフォン部隊等より、我々の方が――いや、俺の方が強いではないかッ!! 最も強い者が王を名乗って何が悪いッ!! エンバリィ殿が何を企んでいようとも、書類を相手にしている者に負ける筈もない!」

 コーヴィンが両手を広げ、空を見上げた。

 夢見るような――現実から逃避したといってもいい――瞳で語り始める。

「俺が王になったからには、飛竜部隊もグリフォン部隊も編成し直し、俺の直属として徹底的に使い潰すぞ! それに……、それに、ドワーフ混じりに懐いたあの黒いドラゴンは、ルークセントの物――つまりは俺の物になったのだから至急返してもらおう! 抵抗しようが喚こうが厳しく躾け直し、我が物としてやる! 少々体は小さいが、国に一匹しかいない魔法を操るドラゴンだからな、権威付けにはもってこいだ!! 馬鹿なこの国の連中も、俺を尊敬せざるを得ないだろうよッ!! ハハッ、アハハハハハーッ!」


 コーヴィンの主張が広場に響き渡った。

 リリィ達は元より、配下である兵士達までもが愕然とした表情で反逆者の顔を見つめる。

 誰も口を開かない中、王を自称するコーヴィンだけが笑い続ける。


 数十秒の後、リリィはようやく呟きを返した。

「リンゼス・コーヴィン、貴方はただ……そんな理由で反乱を起こしたのですか……? 魔獣乗りよりも自らの方が強いことを示し、見栄えのいい添え物を手に入れる為に?」

「ハハハハ、ハー……。ふん、所詮女には理解出来んさ。お喋りは終わりだ、王女殿下。この国は俺が正しく統治してやるから、有難く任せるがいい」

 そう言って、コーヴィンが細剣を正面に向ける。

 武器を突き付けられても、リリィは怯むことなく、胸を張った。

「いいえ、任せられません。私はルークセント王国唯一の王女、リィフ・エイダ・サイ・ルークセントです! リンゼス・コーヴィン、大人しく獄に繋がり、自らの愚かな罪を償いなさい――先日のようにッ!!」


 王女が叫んだ最後の一言に、リンゼス・コーヴィンは遂に逆上した。

「だッ……黙れ! 黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ小娘がぁぁぁああああッ!!」


「リリィ……ッ!!」

「姫様ァッ!!」

 将軍と女騎士から呼び掛けられたリリィは、一瞬の油断も許されない緊迫した事態にもかかわらず、コーヴィンから視線を外し、地面に倒れたサラを見据えた。

 やはり、角度が微妙にずれている。

「――ぁ!」

 

 サラがある事柄に思い当たったその時、コーヴィンが飛び出した。


「ウィァアアアアッ!!」

 大柄な体が一瞬で間合いを詰め、ほとんど同時に、柄だけでなく刃にまで装飾が施された細剣が真一文字に薙ぎ払われる。

 薄い刃が一振りでリリィとフルールの首を通過し、二人の少女の頭は胴体と別れた。


「~~ッ!!」

 倒れながらも上半身を起こそうとしていたスロウルムが声にならない雄叫びを上げた。壮年の顔に絶望の表情が張り付いている。


「ハッ、ヌハハッ!」

 王を名乗る男は歪んだ表情のまま、笑う。

「どうだ、これが力だ小娘ど、も――が?」

 しかし。

 口から泡を飛ばしながら発しようとした嘲りの言葉が、途中で疑問の呟きに変わった。


「――サラァッ!!」

 リリィが、胴体の上に浮いた生首のまま叫んだ。

 血の一滴どころか、斬り裂かれた筈の断面に赤い色すら存在しない。


「はいッ!!」

 サラは獣人の身体能力を発揮して、充分に体を起こす前に、走り出していた。

 女騎士を監視する為に取り囲んでいた兵士達は、コーヴィンの行動を窺っていて、注意が散漫になっていた。彼女の流れるような動作に反応することが出来ていない。

 ほぼ大地と平行の上半身を傷付いた両腕を付くことで支えながら、サラは全力で前へ進んだ。

 目指すは石畳の上に転がった砲槍である。


「――な、なぁッ!?」

 細剣を振り払った姿勢のままコーヴィンが悲鳴にも似た声を出した。

 王女とメイドの恰好をした二人の少女の姿が、斬り払われた首から薄くなっていき、掻き消えたからだ。

「申し訳ありませんが、光系の精霊魔術が得意なのは、閣下の弟君だけではありません。これでも宮廷魔術師から褒められる程度には扱えるのです」

 消えた二人の少女の奥から、フルールの冷静な声が届いた。姿が見えないが、すぐ傍にいるようなはっきりとした声だった。

「……<光輝の虚像>と<無色の幕間>の合わせ掛け……ッ!?」

 コーヴィンが愕然とした声色で呟いた。

 <光輝の虚像>は光の精霊を集め、任意の映像を空中に映し出す術だ。一般的には自分の姿をそのまま離れた場所に投影することが多い。それでも高位の術者なら、想像力だけで映像を動かせる者もいる。

 そして、<無色の幕間>は光の精霊によって自分の姿を完全に覆ってしまう術である。他人はおろか、自分ですら己の姿を見ることが出来なくなる。

 フルールはリリィと自分の姿を隠し、少し離れた場所に二人の姿を映し出したのだ。


 コーヴィンの呟きが終わる前に、サラは砲槍の元に近付いていた。

 速度を緩めることなく口を寄せ、柄を噛む。

 布を巻いた柄と狼獣人の犬歯が擦れ、不快な音がする。

 圧倒的な顎の力で、金属の塊である砲槍が浮き上がる。

 女騎士は握力を奪われた右手を砲槍の下に滑り込ませ、支えとする。

 首を曲げ、咥えた砲槍を前方に突き付けながら、残った左腕と両足でサラはなおも駆けた。


「……ッ!? ああッ!」

「あのアマ!!」

 今になって兵士達が事態に気付き、銃口をサラの背中に向ける。

 だが、それでも撃つことは出来なかった。射線上にはコーヴィンがいたからだ。

「兄上――――――ッ!」

 スロウルムを見張っていたトリート・コーヴィンが叫ぶも、リンゼス・コーヴィンは呆けた表情で反応しない。

「フグルァアアアアアアアッ!!」

 砲槍を噛み締めた口からくぐもった気合い声を上げ、サラはコーヴィンの無防備な背中に突撃した。


「――が、ぁあっ!?」


 コーヴィンが苦悶の声を漏らしながら振り返り、自分の背中に刺さる突撃槍を見て、驚愕と恐怖の顔に変わった。

 例え、鍛え上げた獣人の身体能力といっても、咥えた槍で鎧を着込んだ相手を殺すことは出来なかった。鎧を貫くのが精一杯で、せいぜい数cmほど刺さっただけである。

「お、のれ――」

 コーヴィンは飛び退いて槍を引き抜こうとしたが、サラの方が早い。

「アアアアッ!!」

 距離を取ろうとするコーヴィンよりも遥かに勢いのある踏み込みで、石畳が砕けた。

 首筋とこめかみに血管が浮き上がり、右手首に開けられた傷から血が噴き出す。

 伏せるような姿勢から、女騎士は上半身を起こし、顎と首と右腕で砲槍を持ち上げた。


 全長4m以上の突撃槍が、正面広場で屹立する。


「ガハァ……ッ!?」

 その先端にはコーヴィンが刺さったままだった。

 彼の頭に乗っていた王冠が振り落とされ、地面に落ちる。

 槍が持ち上げられた勢いとコーヴィン自身の体重で、傷はさらに深くなっていた。


「ああ!?」

「今なら撃てるぞ! 撃つしかないッ!!」

「コーヴィン閣下をお救いしろォッ!!」

 サラを囲む命を受けていた兵士達が、広場全体に響く大声で叫んだ。

 それでも新しい王を助ける為に発砲しようという者はいなかった。周囲に配置された兵士達の大半は、呆然と成り行きを見守るか互いに顔を見合わせるばかりかで動かず、照門を覗こうとすらしない。

「こ、この……!! 閣下が死んだら我々は反逆者なのだぞ!?」

 そう呻く兵士が魔銃を撃つ。同じ役割を与えられた周囲の者も、流されるように引き金を引いた。

 黒い光跡を残し、その場にいる兵士の数からすればいやに少ない、たった三発程の魔弾が女騎士の背中に迫る。


「フング――ッ!!」

 自分への攻撃など意に反さず、柄を噛み締めたまま、サラは跳んだ。

 掲げ上げられたコーヴィンを中心にして弧を描き、両腕に傷を負い白魔法が使えないにもかかわらず、高く。

 黒魔法は悉く空を切り裂き、あさっての方向へ飛んでいく。

 コーヴィンと彼に刺さった槍を下にして、8m程の位置に至ったサラが円錐部分に足を絡ませた。


「――ルァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


「グッ――」

 先にコーヴィンが落ちる。衝撃で石畳に罅が入る程の勢いだ。

 次の瞬間には、槍に抱き付いたサラの体重がその背中にかかる。

 砲槍はコーヴィンを貫き、石畳を砕き――湿った土へと突き立つことになる。

「――ガッハァァァァッ!!」

 王を名乗った反逆者は、地面にうつ伏せで張り付けられ、盛大に血を吐いた。


 時間が止まったかのように誰も動かない。

 やがて、槍の柄に噛み付いていたサラが、ずるりと地面に降り立った。石畳にへたり込み、小刻みに震える顎で必死に呼吸を整えている。


「皆さま、武器を収めて下さい」

 どこからともなく、王女の声がした。

 広場のほぼ中央、二人の少女が消えた場所の数m奥から、霧の中から進み出るかのように、徐々に白いドレスと金色の髪、小ぶりの王冠が姿を現した。

 続いて栗色の髪と一般的な村娘の衣装が見え出す。

 リリィは静かだが良く通るはっきりとした声色で、兵士達に呼び掛けた。


「これ以上の争いは無益であるどころか、ルークセントを傷付けることに繋がります。先程口にした脅威が迫っているという言葉は、何も貴方方を恐れてでまかせを言った訳ではありません。王族に対する反乱に対しては、罪に問わないと誓いましょう。その代わり、次なる戦に備えてほしいのです」


「ぜ……、全隊、武器を収めよ!! 王女殿下の御前であるぞッ!!」

 座り込んだままのサラが大声で叫んだ。その声には確かに殺気が込められている。

「……はっ!!」

 まず、兵士達のうち三分の一が、即座に魔銃を置いた。金属音が断続的に響く。

 それを見た三分の一がすぐに続き、やがて広場に配置された兵士達のほとんどが魔銃を石畳に寝かせ、直立不動になった。

「君は……どうする、トリート・コーヴィン大佐?」

 自らに魔銃を突き付けたまま微動だにしないトリート・コーヴィンに、スロウルム将軍が静かな声色で語りかけた。

「……我々がリンゼス・コーヴィンから聞き及んだのは、王女殿下が偽物であるということでした。それが虚偽だったことが証明された今、私が王族に反抗する理由はありません」

 兄の無残な姿から目を反らしたトリート・コーヴィンは魔銃を離すと、石畳に片膝をつき、首を垂れた。

 スロウルムは軽く頷き、良く通る声で呼び掛けた。

「ならば、起きるのを手伝ってくれ。やらなければならないことが山程あるのに、起き上がれないのだ」


「ひ、姫様、フルールお嬢様……! 大丈夫……ですか……っ!?」

 ようやく立てるようになったサラは、リリィとフルールの元へ歩み寄り、言った。

 それまでの緊張からか血色の良くない顔で、リリィは答えた。

「ええ。見ての通り、怪我一つないわ。フルールの精霊魔法のおかげでね」

「サラお姉様も良く反応してくれました。攻撃を回避するのはともかく、その後はほとんど賭けでしたから……」

「サラなら、最悪、喉笛喰い千切るぐらいのことはしてくれたわよ」

 リリィの言葉に、サラは思い切り顔を顰める。

「いざとなれば勿論ですが……。出来ればそんなことはご遠慮させていただけませんか?」


「ご、ごふっ! スルウルムならともかく……こ、こんな……小娘共に……ッ!」


 サラが弾けるように動き、リリィとフルールを庇うように前に出る。

 自らの血で汚れ、地面に磔にされたコーヴィンが顔だけを上げていた。その顔は白いどころか紫に近く、死が目前に迫っているのは明白だった。

 リリィは女騎士をそっと制して、コーヴィンの視線を受け止められる位置に移動した。

「自らの思い込みによって戦力予測を失敗してしまったようですね。リンゼス・コーヴィン……、今この時をもって、貴方を将軍職から解任致します」

 冷静な口調でそう言った王女は、傍に転がる王冠を拾い上げた。王権の象徴を取り返したというには緊張感の一切ない仕草で、損傷がないことを確かめ、口を開く。

「そうそう、言い忘れていました。貴方が被っていたこの王冠ですけれど……私とフルールにとっては子供の頃の玩具でしかないんですよ?」

「……は……?」

 リリィはコーヴィンへ最期の言葉を伝える。

 彼女の瞳は冷たい光を宿していたが、どこか微かな憐れみも見てとれた。

「王としての仕事を終えた父はよく、私室に帰ってくるなりこの王冠をベッドに投げていました。彼にとっては、あまり好きではない仕事で使う道具にすぎなかったのでしょう。むしろ、ぞんざいに扱っていた様に見えました。私とフルールが彼の真似をして投げ合っても、許してくれる程度には、ね。私達にとってはそんな物を被って……貴方は、はしゃいでいたのです」

「……な…………そぉ……………………」


 リンゼス・コーヴィンは王冠を睨み付けると、ゆっくりと血溜まりに顔を倒した。

 新たなる王を名乗った男は、悔しげな顔をしたまま、二度と動くことはなかった。


 彼の姿を見下ろしていたリリィは、強く目を瞑ってから顔を上げ、怒鳴った。

「――さぁ、まずは城内に事態が治まったことを伝えて下さい! 誰か文官がどこにいるのか知っている方はいませんか!?」

*****



*****

 イクシスの背中に跨ったルースは、北側から王都を半周して、宮殿南側に向かっていた。


 一度陣が瓦解した飛竜部隊は、着実にその数を減らした。

 特に、中心の三騎が墜とされた後は顕著で、ほとんど抵抗出来なかったようなものだ。

 彼らは逃げる素振りだけは見せなかったが、最後の二人になった所で降参した。

 投降したワイバーンを大通りに降ろし、騎士を縛り上げ、周辺の国民に監視を頼むのに少々時間を取られてしまった。


「宮殿がどんな状況かわからない。注意してくれ」

「グルア!」

 南門が見えた辺りでルースはイクシスに言ったのだが。

 そこには兵士達だけでなく、一般国民も混じっていた。

 見る限り怪我をしている者が多かったのに、笑顔でこちらに手を振っている。


 ――どういうことだ?


 顔を顰めるルースに、地面から声がかけられる。

「王女様を守ってくれてありがとう~ッ!!」

「キャー! キャ――――!! ギャ――――――――ッ!!」

「そのまま宮殿に入れーッ! 何か急ぎの用事があるみたいだぞ~ッ!!」

「龍騎士様のお帰りだァ――ッ!」

 言葉は聞き取れても、あまり意味はわからない。彼らがそれなりに元気で好意的だということだけは理解出来た。

 イクシスは高度を下げながらも速度は落とさず、一度大きく羽ばたいてから翼を畳んだ。

「何だかよくわからないが、ありがとう!」

 道を開けるクルミアの民達に笑いかけ、ルースとイクシスは南門をくぐり抜ける。

 何故か大きな歓声と黄色い悲鳴が後ろから聞こえてきた。


「――む?」

「グルアァー!」


 あるいは戦闘もあり得ると覚悟していたルースの瞳に入って来たのは、雑然とした光景だった。


 正面広場はヒトで溢れている。

 城の中の者達が全員出てきているのではないか、と思うほどの数である。

 ところ構わず走り回っているのは、兵士よりも文官らしき者が多い。

 炊き出しを準備する兵士と女官の一団すら見えた。

「ルース! イクシス!」

 知っている声に視線を動かせば、石畳から立ち上がろうとするサラだった。両手首に血が付いているが、治療を受けたのか、傷は塞がっているようだ。


 押し合いへしあいしながら作られた小さな空間に、イクシスが縮こまるようにして舞い降りる。

 ルースが飛び降りるようにして着地すると、ヒトをかき分けるようにしてリリィとフルールが顔を出した。


「この雰囲気は……、反乱は鎮圧出来たんだな?」

「ええ、何とか! おじ様はちょっとダメージ受けちゃって治療中なんだけど、命に別条はないわ。今は王宮を挙げて事後処理をしている最中ね。グリフォン部隊も呼び寄せて貰ってる。そっちは……色んな所怪我してるじゃない!?」

 金髪で白いドレスを纏った方が勢い良く声を上げる。ルースにとっては久しぶりに見る王女としてのリリィの姿だ。

 対して、栗色の髪にメイド服を着込んだ方は、何やら湯気を立てる大きめの器を抱えていた。

 言われて初めて自分の状況を確認したルースは、軽く肩を竦めた。

「大丈夫、白の治癒魔術で済む程度の怪我だ。飛竜部隊はほとんど斬り伏せた。二人ほど投降したので、王都北側で縛り上げている。他の者も何人かは生きてるんじゃないかな。ヒトをやって確認しておいてくれ」

「わかった、ワイバーンも――って、それどころじゃない! サンシュリックの方で『赤』の信号弾が確認されたって報告があったのよ!!」


「――っぐ!」

 思わず息を詰まらせたルースは、リリィの肩を強く掴み、声を荒らげる。

「いつだ!? 信号弾が上がったのはどのぐらい前だ!?」

「グルア――ッ!」

 イクシスも顔を寄せ、王女を急かした。


「日が沈んですぐって――。もう……もう、一時間近く経ってるの!!」

 リリィが青い顔で叫んだ。良く見れば、その瞳には微かに涙が溜まっていた。

8月14日初稿

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 2021年8月2日、講談社様より書籍化しました。よろしくお願いします。
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