49.環を砕く
ハーガーが押し付けてくる超長剣とルースが右手で掲げる大剣が軋みを上げる。騎士は体全体だけでなく、ワイバーンの体重もある程度利用しているようで、そう簡単に弾けそうにない。
また、ワイバーンもイクシスから離れようとせず、むしろ近付こうとするところをルースとハーガーの鍔迫り合いによって妨げられている形だ。
ルースは視線を走らせ、敵の動向を観察した。
「そのまま抑えておけぃ、ハーガー! すぐにでも私の魔法で――!」
最も遠くに位置しているワイバーンライダーが、杖の先端で紋章を描きつつ言った。
「今更そなたの魔法等効くかッ! ここは我々が――!!」
別の男が怒鳴り返し、巨大な戦斧を構える。
その動きに慌てた様子で他のワイバーンライダー達が続いた。三人ほどが武器を構え直して間合いを測り、残った四人がそれぞれ攻撃魔法の準備にかかる。
「……」
数秒後には場面が動く。
武器を持った者が迫ってくるか、魔法が放たれるか――どちらにしてもハーガーは自ら退かなければならない。
その一瞬に合わせる為に、ルースは左手で<踊る枝葉>を描き始める。
「――いや……、ならん!!」
少しずつ近付いて来るワイバーン達に向かって、唐突にハーガーが叫んだ。兜から洩れる声と荒い呼吸には、疲れだけでなく確かな恐れがあった。
「くっ、この者に各々向かっていっても、墜とされるだけだッ! こやつに勝つには陣を……、『双環の陣』を張るしかない!!」
「な、何ぃ……!?」
「こんな何処の馬の骨ともわからん流れ者風情にかッ!?」
「何よりここは王都の真上だぞ!? 一般人とは言え、そう易々とあの陣を見られる訳には……!」
口々に反対する騎士に、ハーガーは苛立ちも露わに怒鳴った。
「貴方方こそわかっているのかッ!? トードレッド卿らを無傷で墜とし、今も私の剣を片手で受け止めているのだぞ!! ぐぐ……っ、その上、乗っているのは確実に龍種だ! 先のこと等考えていられる相手では……ないッ!! 全力で……、全力で当たる必要があるのだッ!!」
「しっ、しかし――!」
未だ意思の統一が出来ない飛竜部隊に呆れかえったルースは、小さくため息をつくと呟いた。
「……君達は本当に勝とうと思っているのか? 盗賊団にいたサンダーバード乗りの方が、ずっと覚悟が出来ていたぞ……」
「栄光あるワイバーンライダーより……雷鳥乗りの方が上だとぉ……!!」
「き、貴様、我ら飛竜部隊を愚弄するのか!?」
「下賤の輩が龍種に乗って調子づいたな!」
ハーガー以外の騎士が次々に非難してくる。
だが、ルースはすでに会話等に意味を見出していなかった。
彼女は急いでいたのだ。
「いや、愚弄するつもりは一切ない。ただ――、もう付き合っていられないだけだッ!!」
鋭く叫ぶのと同時に、大地と変わらない頼もしさを持つイクシスの背中と首筋を踏み締める。足元から右手へと闘気と力を捻じり上げ、大剣から放った。
無極流大剣術、羅振断。
澄んだ高い音がして、超長剣は大剣と接触した箇所で断ち切られた。先端50cmほどの刃が回転しながら飛んでいく。一方、ルースの黒い大剣は微塵も動いていない。
「なッ!?」
自分だけでなくワイバーンの体重まで乗せていた超長剣が折れ、ハーガーはがくんと体勢を崩した。
「――イクシス!」
ルースは叫びつつ左手を上げ、ハーガーと彼の乗るワイバーン目掛けて<踊る枝葉>――八条の黒い光弾を放つ。
「グルァアアアアアアアアアアアアァァァッ!!」
ルースの狙いを正確に把握したイクシスは炎を呼び出した。開いたドラゴンの口から放射状に広がる炎は、まるで吐き出されているかのように見える。
目の前のワイバーンが忙しなく翼を動かし距離を取ろうとするものの、元々近距離だった為に、そしてルースの<踊る枝葉>もイクシスの炎も攻撃範囲が広い為に、間に合わない。
ルースは追撃の為に左足に体重を乗せ――、止めた。
「下がれ、ハーガー!」
しわがれていても、どこか力強い声を上がる。
鎧を着ていない老人を乗せたワイバーンがいつの間にか近付いてきていた。重そうな幾つも指輪を嵌めた両手を打ち合わせ、ハーガーに向ける。
「<菱形鉄壁>ッ!」
イクシスとハーガーの乗ったワイバーンの間に、四角形の障壁が現れた。
一瞬でも遅れたら意味がないタイミングで構築された<菱形鉄壁>は、ルースの<踊る枝葉>を全て受け止め、イクシスの炎もその大半を阻んだ。ワイバーンの片翼と尾の先を少し舐めた程度だ。
「――ふんッ!!」
さらに別のワイバーンライダーがほぼ真上から舞い降りてくる。
ルースが追撃を諦めたのは彼らが理由だった。
柄が長い大戦斧が風を切って振り下ろされる。狙いはイクシスの頭部だ。
「ふっ!」
ルースは先程と同様に攻撃を受け止めるつもりで、大剣を左下から右上へ振り上げた。左手では、すでに次の紋章を描き始めている。
相手や得物が変わっても、状況は変わらないという判断だ。
白銀の金属と黒い光沢を持つ金属がぶつかり、火花が散る。
しかし、重量がある筈の、その攻撃は軽かった。
相手の戦斧だけが大きく弾かれた形になる。まるで自ら跳び上がったかのようだ。
「――ッ!?」
一瞬だけの衝撃が過ぎ去るのとほとんど同時に、ワイバーンライダーは勢いを維持したまま下降していった。乗り手もワイバーンも、もう一度攻撃しようという素振りすら見せずに、間合いから外れた。
「グルアァア!」
訝しむ間もなく、イクシスが鳴いた。力強く羽ばたき、右へと移動する。
ルースの目に幾つもの氷の塊が映った。
一秒前までドラゴンがいた場所をなぞるようにして<冷氷の錐>が通り過ぎていく。
最後の一発がイクシスの翼の先にかすり、蝙蝠に似た翼のうち三分の一ほどが一瞬で氷に覆われた。
「だ、大丈夫か!?」
「グルーア!」
元気よく答えたイクシスが、一際大きく羽ばたくと、翼に張り付いていた氷は砕け散る。
しかし安心してはいられない。
ルースは上半身を捻って、描き終えたままだった<打ち抜く煉瓦>を、右側に撃ち出した。
別のワイバーンが迫っていたのである。
「――ギィ!?」
ワイバーンが悔しげな声を上げ、大きく体を反らした。黒い雷は敵どころか何にも当たることなく、王都の外へと消えていった。
牽制を加えたことで、ようやく息をつく余裕が出来る。
「……なるほど」
ルースは視線を正面に向け、呟いた。
すでに敵の陣は完成しているようだった。
中央にはワイバーンが三体、地面と平行にして三角形に並んでいる。翼が触れ合いそうなほどに近い。
その背に乗る騎士は、一人を除いて杖や大型の魔銃をこちらに向けていた。
正面に位置する男だけが何も持っていない。白魔術――防御担当といったところだろう。
そして、それらを覆うように五体のワイバーンが輪になっていた。体勢を立て直したのか、ハーガーと彼のワイバーンも加わっている。
こちらは超長剣や大戦斧などの中近距離武器を持った騎士達が乗り手だ。
空中に止まることなく、かなりの速度で飛んでいる。それにも関わらず、それぞれの間には同じだけ距離が空いている。速度を合わせ、一定の間隔を保っているのだ。
中央のワイバーンが常に平行でほとんど動かずにいるのに対して、外側のワイバーンは角度を流動的に変えた。波打つように見えなくもない。
「明確に役割を分担し、なおかつ直接攻撃は威力よりも手数を優先、といった所か……。本来強襲に向いているワイバーンを生かそうという戦法だな」
「馬鹿ではないらしいのぅ。やはりハーガーの言う通りじゃったか……」
苦笑を浮かべたのは中央正面の騎士だった。年かさの者ばかりの飛竜部隊の中でも、おそらくは一番の年上だと思われるワイバーンライダーは、真っ直ぐにルースとイクシスを見据え、言う。
「そう、これが飛竜部隊の奥の手――『双環の陣』じゃ」
「貴様なぞに使うのは恥辱の極みだが、致し方ない」
「だが、『双環の陣』を見た以上……貴様は死ぬ運命だ!」
外周を飛び回るワイバーンに乗った騎士が、ルースから目を離さずに宣言した。円を描くように飛行しているので、近付く時と離れる時で声色が変わっていくように聞こえた。
全員の鋭い視線がルースとイクシスに注がれる。
つい先程まであれだけ好き勝手に行動していたのが嘘のように、全体の呼吸が合っている。
何より、一固まりになった飛竜部隊は雰囲気が違った。
「…………ゆくぞッ!!」
騎士の誰かが発した号令によって、陣そのものが移動し始めた。
中央の三体が配置を保ったままゆっくりと近付くのに合わせて、外側の五体が飛ぶ円も近付いて来る。
「わざわざ受けている余裕はない! こちらも攻めるぞ、イクシス!」
「グルア!!」
ルースの呼び掛けに応えて、イクシスが大きな翼を羽ばたいた。一気に加速し、真っ直ぐに飛竜部隊へと王都の上空を駆ける。
家々の屋根が流れるように過ぎ去っていく。
ルースとイクシスの狙いは、外周の一体、向かって右側――奥からこちらに向かってくるワイバーンだった。
あっという間に距離が詰まり、相手が見える。頭部全体を覆った兜――ハーガーだ。
「グルァアアアアアッ!!」
「ハァアアアアアアッ!」
やや首を下げたイクシスが突っ込み、ルースは両手で握った大剣を振りかぶった。
「――ッ!」
ハーガーもいつの間にか手にしていた新しい超長剣を真横に寝かせていた。
――真正面からぶつかり、流れを止める!
しかし、ルースが大剣を振り下ろす前に、標的のワイバーンは強引に軌道を変えた。速度はそのままイクシスの下方へと動く。ハーガーは超長剣を動かす素振りも見せない。
「――!?」
虚を突かれたルースの耳に、中央に位置したワイバーンライダーの声が聞こえた。
「<白藍の氷柱>ッ!」
直径50cm、長さは2mにもなりそうな氷の円錐が左から迫ってくる。
「くぅッ!」
足場が良くないことも筋肉が悲鳴を上げることも無視して、ルースは正面に下ろしかけていた大剣を無理矢理側面への追撃に切り替えた。
一直線にルースを貫こうとする青白い氷の塊に、黒い大剣が打ち込まれる。
闘気を通した大剣の一撃はあっさり氷塊を砕き切った。何百という欠片になった氷がドラゴンと魔剣士の周囲を通り過ぎていく。
幾つかが張り付き、一際鋭い欠片がルースの頬を切り裂くが、気にしてなどいられない。
「ギィアアアッ!」
金属を擦り合わせるような鳴き声を上げて、次のワイバーンが襲いかかってくる。その背に乗る騎士は、穂先が小ぶりな剣ほどに大きい槍――グレイブを脇構えにしていた。
「グルアアアッ!!」
「ギィィアアア――ッ!」
今度はイクシスが経路をずらそうとするものの、ワイバーンは容易く合わせてきた。
ドラゴンとワイバーンの翼が触れそうなほどすぐ傍を擦れ違うことになる。
「カカッ! 初動が遅いわ!!」
騎士は奇妙な笑い声と共に、グレイブを繰り出した。
無理のある体勢で、しかも両手で振り下ろした大剣が言うことを聞かない。このままでは擦れ違いざまに首を落とされる。
「ぬぅぅ――ああッ!!」
ルースは右手を柄から離し、闘気を纏わせた握り拳を振り上げた。同時に不安定な足場で出来うる限り腰を落とす。
ほとんど片刃の剣にしか見えないグレイブの穂先、その腹にルースの拳が打ち当たる。
元々それほど体重が乗っていなかったグレイブはルースの頭上数cmを通過した。シルバーブロンドの髪が数本、中に舞う。
「ちぃっ」
「グルァアアアアアアアアアアッ」
ルースの苛立ちを察したイクシスがもう一度炎を呼び出しつつ、遮二無二翼を動かした。
王都の上空に巨大な炎が噴き上がり、周辺の家々を照らす。
突如広い範囲に渡った熱と強い光は、一瞬ドラゴンライダー達の目を眩ませた。
ルースとイクシスは何とか相手の間合いから脱出することに成功した。
「どうしたのじゃ、強く若き魔剣士よ」
「ハッハァ――ッ! たまたま龍種に乗ろうが、この程度ではな!」
「飛竜部隊の歴史と研鑽を舐めるでないぞ、若造!」
二重の円陣を組んだ飛竜部隊は深追いする素振りを見せずに、ゆっくり近付いて来る。
一方、イクシスは間合いに入らない程度に後退し続ける。
「確かに、どこかで舐めていた部分があったかもしれないな……。訂正しよう、今の君達はサンダーバード乗り達に劣る所はなさそうだ」
汗を拭こうと顎に近付けた右手から出血していることに、ルースは気付いた。
小指の下が浅く切れていた。グレイブを弾いた時に持って行かれたのだ。
弱気になりそうな自分を奮い立たせ、ドラゴンに乗った魔剣士は大剣を右手に握り直し、叫んだ。
「――何の! ここからだぁッ!!」
「グルゥァアアアアアアアアアアアッ!!」
イクシスは雄叫びを上げて後退から前進へと翼の向きを切り替え、『双環の陣』へと突き進んでいった。
黒魔術での牽制を一撃目、敵の魔法をイクシスの炎で相殺、襲いかかってくるワイバーンを狙って剣を振るう。
狙ったワイバーンに跨る騎士が上手く捌き、いなされる。
外側のワイバーンの攻撃はイクシスが回避、中央からの魔法攻撃をルースの黒魔術と大剣で弾き、魔銃を構える騎士に標的を絞る。
白魔法使いの防御障壁によりイクシス諸共防がれ、空中に制止させられる。
『双環の陣』よりもずっと高い高度へと上がり、中央に向けて落下と同時に攻撃。
外周のワイバーン達が回転する角度を変えて縦になり、逆に先制攻撃を許してしまう。
攻防の間に、王都南側から北側へと戦場が移っていた。
とっくに日も沈み切っている。
「――暗闇を照らす白き光よ、あれ。<白金の光玉>!」
杖を持った騎士が光の玉を打ち上げた。ワイバーン達よりも遥かに上空から、周辺一帯を照らすだけの明度があった。
普通なら何もない筈の空中に、二重の輪になった飛竜部隊と、イクシスの背に立つルースだけが照らし出される。
地表近くでは、怯えながら外を――空で巻き起こる戦闘を覗き込む一般国民の姿が、窓という窓に見えた。
「――ハァハァ、ハ……」
執拗な攻撃を凌ぎ切った代償である荒い息を、ルースは必死に整えた。
何とか『双環の陣』を抜け出したイクシスは、空中で羽ばたきながら距離を保ち、激突の瞬間を探っていた。
ルースもイクシスも、細かい傷が増えている。
直接攻撃は軽く、魔法攻撃も威力の大きなものではないので、急所をしっかりと守っていればおいそれと負けることはない。しかし、敵を倒そうと無理をすれば避けきれない攻撃は受ける。
ダメージが小さいだけに軽視してしまうが、確実に蓄積されていた。
「……参ったな、時間も体力も魔力も無駄遣いしている暇なんかないのに……」
ルースは思わず呟いた。
『ホワイト=レイ』の修行では、こういった削りに来る連続攻撃の対処法は教わっていない。強者や魔物は普通一撃一撃が必殺だからだ。
隙をついて一体一体落としていくのがセオリーだとはわかっているが、それをどうやって実現させるかが問題だった。
飛竜部隊は『双環の陣』に関しては余程鍛錬を積んでいるのだろう、この隊列を組んでから、敵は完全に一つに纏まっている。これまであった自分勝手な行動がなく、綻びも見えない。傲慢に感じられた驕りが、絶対的な自信へと変わっていた。
「……このまま消耗戦が続くようだとマズイな……」
我知らず独り言が続いてしまう。
そう簡単に負けることはない。しかし、戦闘が長引けば不利なのはルース達だ。敵は集団で役割を分担している。互いに消耗が続けば、先に尽きるのはどう考えてもルースかイクシスだ。
カインドがいたら何か助言をくれただろうか、と考えて、慌てて打ち消した。
彼は今ここにはいない。
彼は彼で戦っている筈だ。
弱いくせに自ら最も危険な場所で踏ん張っている筈だ。
ならば、自分は自分でやれることをやるしかない。
彼を助けに行く為に、目の前の敵から片付けていかなければならない。
だが。
――カインドならどうする?
ルースは鋭く息を吸い、口を開いた。
「――イクシス」
「グルア?」
長い首を軽く曲げ、イクシスはちらりとルースを窺う。
「このままだと時間がかかり過ぎる。カインドもリリィ達も心配だ。だから……カインドの真似じゃないが、少し奇をてらっていこうと思う。付き合ってくれるか?」
「グルアッ!」
イクシスが当たり前だと言うように、首筋と翼を勢いよく伸ばした。
小さく口の端を上げたルースはしゃがみ込むと、ドラゴンの黒い鱗に覆われた首筋を撫でた。口をなるべく動かさないようにして、赤い鬣に半ば埋もれた耳に囁きかける。
「……ありがとう。僕だけでは出来ない戦法が一つある、つまり――」
<白金の光球>が照らす光の中で、飛竜部隊はじわじわと近付いてきた。
中央の騎士が、見せつけたいのか、ゆっくりと白魔術の印を組んでいる。精霊魔法の光が皺に沿って大きな影を作るほど、獰猛な笑みを見せた。
「末期の名残を惜しんでいるのか? それとも命乞いの相談か? 強く若き魔剣士よ」
「今更降伏した所で――殺されることは決まっているがなァ」
「我らを本気にさせたことを後悔しながら、死ぬがいい」
「飛竜部隊と『双環の陣』の名を抱えてな!」
騎士達は代わる代わる愉悦を含んだ台詞を口にする。
やがて全員が含み笑いを始めた。重なり合った低い笑い声が不気味だった。
ルースはイクシスの背に真っ直ぐに立ち、言った。
「まさか。君達を倒した後の予定を話し合っていただけだ」
イクシスが距離を保つことを止めた。離れようとするのではなく、間合いを測る動きだ。
少しずつ両者の感覚が狭まっていく。
「ほう? 一応、聞いておこうか。後々誰かに語ることがあるかもしれんからのぅ」
白魔法を扱う騎士の台詞に、ルースは爽やかな笑顔を見せた。
「決まっている。この下らない反乱を治め、相棒を助けに行くのさ」
「フハッ! 相棒? 同じ戦場にいない相棒だと?」
「王都の、この状況よりも大事なことがあるというのか、若造が!!」
「もう良い!! 龍種共々墜ちるがいいッ!!」
陣を組んだ飛竜部隊が近付いて来る。
ルースは黒い大剣を手首の返しだけで回転させて掴み直すと、正面に真っ直ぐに突き出した。
清々しささえ感じるような大音声で、朗々と言う。
「さぁ、手早く片付けて、カインドに会いに行こう、イクシスッ!」
「グルァァアアアアアアアアアアッ!!」
イクシスが大きな翼をはためかせ、一気に前に飛び出した。
ただし、向かう先は『双環の陣』ではなく、その左側だった。
ワイバーンライダー達は呆気にとられ、ドラゴンが行く先を眺めた。周辺を飛び回るワイバーンだけが動いてる。
「な!? あれだけ威勢のいいことを言っておいて逃げるのか!」
中央の魔銃を持った騎士が、思わずといった様子で怒鳴った。
「ハハッ、相棒とやらに助けを求めに行くのではないか?」
「どちらにしても我らから逃れられる訳もないがな」
まるで狩りのような雰囲気になりかけた所で、外周を回るハーガーがぽつりと呟いた。
「――あちら側は……まさか宮殿へ?」
慌てた表情で叫んだのは中央の騎士である。
「そ、それはいかん!! コーヴィンの阿呆では心元ない!!」
「急ぎ追わなければ! 陣形は維持しておくのだぞ!?」
「言われるまでもないわッ!」
ワイバーンが羽ばたき、速度を上げた。といっても陣を組んだままでは全速力は出せない。最高速度の半分程がいいところだ。
イクシスとワイバーン達の距離が見る見る離れていき、騎士達の顔に焦りが見えた頃、前を行くドラゴンが翼を傾けた。
宮殿から離れ、右側へと大きく弧を描く軌道を見せる。
「どこへ向かうつもりなのだ? このままでは宮殿どころか王都の外にも……」
中心先頭の騎士が呟く間にも、イクシスは右へ右へ旋回し続ける。
それどころか、さらに体を傾けて角度を急にしていく。真上から見れば、渦の流れにのっているように見えるだろう。
「逃げる訳では……ない?」
追いかけるワイバーンライダー達が困惑の表情を浮かべた。
イクシスは、<白金の光球>の光が届くすれすれから、少しずつ中心である『双環の陣』へと近付いた。
速度が上回る黒いドラゴンは、追いかけてくるワイバーン達をよそに、さらに急速に旋回半径を狭めていく。
やがてイクシスは、ワイバーンが形作る二重の輪の、さらに一つ外側を回り始めた。
陣の中心である三騎のワイバーンライダー達は後を追うのを止め、いつの間にか視線のみでイクシスを追っていた。
陣の周囲を回るワイバーンと、その少し外側を飛ぶイクシスの速度はそう変わらない。
「――ッ!! 並ばれると面倒だ! もっと速く!!」
「ええい、どこの龍種だ! ワイバーンの速度に並ぶなど!」
外の輪を構成するワイバーン達が背筋を伸ばし、いっせいに速度を増した。
幾つもの翼が忙しく動き、巻き起こされた風が重なり、一つの大きな風の流れを生み出していく。
周囲の風景は後ろへ後ろへと流され続け、もはやどの方角を向いているのかわからない。
しかし、イクシスもしっかりとついて行った。
それどころか、一騎のワイバーンに狙いを定め、真横に並ぶ。驚いた様子で体を硬直させたのは、ハーガーだった。
「まさか……こんなことが……!」
風を切り裂くような速度の中、イクシスの背中に立っているルースは、しっかりと腰を低くし上半身を斜めにしていた。鞍に乗っていても吹き飛ばされない方がおかしい程の速度の中で、である。
「長い歴史と研鑽の中で、こんな戦法をとった者はいなかったか? <打ち抜く煉瓦>ッ!!」
口の端を上げたルースが左手で紋章を描き、黒い雷を撃ち出す。
「く――おっ、<断ち隔てる皿>!!」
ハーガーが慌てて出した黒い円盤は、ルースの<打ち抜く煉瓦>を防ぎ切れず、魔力の一部が貫通した。
とは言え、鎧を掠る程度でハーガー本人にダメージを与える程ではない。それでも、防ぎ切れなかったという事実は飛竜部隊を動揺させた。
「何をやっている、もっと速度を上げんかぁ!!」
「無茶を抜かすんじゃあないッ!! これが限界だ!」
「ならば私がッ!」
中央の騎士が杖と魔銃をルースに向けようと構えるが、速過ぎて狙いを付けられない。当たらないだけならまだしも、別のワイバーンか乗り手に誤射してしまう可能性すらある。魔法を撃ち出すことも引き金を引くことも出来ず、ただただ杖の先と魔銃の銃口でルースを追いかけるだけだ。
ワイバーンライダー達が焦る間にも、ルースは攻撃を続けていた。
横に並ぶワイバーンを狙い、黒い雷を連続で撃ち込んでいく。
ハーガーは防御魔法で防ぐことしか出来ない。その上、一発ごとに無力化しきれなかった<打ち抜く煉瓦>の一部がハーガーとワイバーンを襲う。
また、彼のワイバーンが隊列を乱さない範囲で距離を取ろうとするものの、イクシスが絶妙な飛行を見せる。暗色のワイバーンと黒いドラゴンが離れることはなかった。
ハーガーが焦った声色で悲鳴を上げる。
「ぐうううッ! このままでは――じきに墜とされる……!! 逃れなければッ!」
「待て、ハーガー卿! 陣を崩すな!! ヤツの狙いはそこだァッ!」
ハーガーの後ろに位置するグレイブを操る騎士が叫んだ。
「しかし、結局墜とされれば同じではないかッ!」
「わかっている! だから俺らが援護を――<踊る枝葉>ゥッ!!」
グレイブの騎士は鞍を掴んだ左手の、人差し指だけを動かし紋章を描いた。
六条の黒い光弾が前方に放たれる。
しかし、<踊る枝葉>はイクシスに当たるどころか、大きく左に逸れていった。牽制にすらなっていない。
「足を止めて動かない的ばかり狙っているんだろう、位置取りも悪い! 習練不足だ!」
紋章を描き黒魔法を撃ち続けながら、ルースが生真面目な指摘を言い放った。彼女は視線すらハーガーへ向けようとしなかった。
「<紅蓮の炎槍>!!」
ルース達の前を飛ぶドラゴンライダーが唐突に叫んだ。小声で呪文を唱えていたのだろう。腰を捻って後ろを向くと、真上に右手を突き上げる。
騎士の周囲に現れた炎が彼の頭上に集まり、練り上げられ、全長2m近い炎の槍が造形される。
対してルースは右手で黒魔術の紋章を描き続けながら、大剣を握ったままの左手を上げた。すでに人差し指で紋章を描き終えていたのだ。
円状の黒い魔力障壁がイクシスの鼻先に出現し、炎の槍を阻む。衝撃どころか音一つさせずに、<紅蓮の炎槍>は<断ち隔てる皿>に吸い込まれていった。
ルースにとって気がかりだったのは、前方からの攻撃だ。
それが今、大した効果もなく終わった。
グレイブの騎士は次の魔法の為に呪文を唱えている。
――これで数秒は攻撃に集中出来る!
ルースは右手だけでなく左の人差し指でも、同じ紋章を描き上げた。
撃ち出す瞬間を合わせ、意識と魔力集中を高める為に術の名を大音声で発する。
「<打ち抜く煉瓦>ッ!!」
同時に放たれた二筋の黒い雷が、空中に軌跡を残しながら、ハーガーへと奔った。
すでに<断ち隔てる皿>を展開していたにもかかわらず、兜に覆われた頭部が後ろへ逃げた。
頭ではなく、体が察したのだろう。
彼の防御魔術では、二発の<打ち抜く煉瓦>を防ぐことが出来ないことを。
二つの<打ち抜く煉瓦>は時を同じくして魔力障壁に接触し――、その黒い円盤を掻き消して直進する。
「ひ――――ガフッ!?」
「――は、ハーガ――――ッ!?」
ワイバーンライダーの誰かが恐れと驚きの混じった叫び声を上げた。
ルースの<打ち抜く煉瓦>は、ハーガーの鎧に包まれた腹部と右肩を貫いていたのである。
7月23日初稿