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45.偏った戦力配置

「――グルア……?」

 全員が立ち上がったところで、イクシスとソリソカルが顔を上げた。一瞬、俺達に視線を合わせたのかと思ったが、ドラゴンとグリフォンは遠くを見つめ、動かない。


 俺はイクシス達の視線を追ってみた。

 南西の方向、延々と広がる木々の少し上に、黄色い点が見える。

「――ソリスッ!」

 驚いたような声が響いた。フルールと共にこちらに来ようとしていたサラだ。

「じゃあ、さっきの緊急信号は……」

「ああ、私が彼女――ソリスを呼び寄せる目的で出したものだ」

 スロウルムの言葉に続いて、俺は王女の恰好をした女官と獣人の女騎士に呼び掛ける。

「サラ、フルールさん、こっちへ来てくれ。大まかな方向性が決まった。リリィの意志は徹底抗戦だ」

「皆には迷惑をかけるし、特にフルールはせっかく助け出したのに危険な目にあわせることになっちゃうんだけど……」

 申し訳なさそうなリリィに、女騎士はきっぱりと言った。

「私は王家に仕える騎士です。異論などある筈がありません」

「私だってサラお姉様と想いは一緒よ、リリィ。でもカインド様、話を聞いた限りではただ抗うといっても厳しい状況なのではないでしょうか? 特に、全く別の二つの戦場があるということは、勢いだけでは解決が難しいと思われます」

 余程サラが上手いこと説明したのか、目覚めたばかりだというのにフルールは問題点を的確に指摘した。リリィよりも頭はキレそうだ。

 俺は森の中からずっと考えていたことを頭の中で整理した。


「ええ、全くその通りです。ただ、腰を据えて対処すると相手も地盤を固めることになるし、何より国民や外国にゴタゴタが伝わってしまう。急いで解決すべき問題があるなら、そちらを優先すべきだ。という訳で俺は、今のうちに宮殿を攻め、迅速に反乱を鎮圧することを提案する」


「強襲か……。しかし巨獣は――」

 顔を顰めるルースの台詞を遮って俺は続けた。

「今は確認を先にさせてくれ。サラ、ここからソリスで王都――宮殿までどのぐらいの時間で行ける?」

「荷物が私一人なら急がせて二時間半といったところだ」

 馬だと限界まで急いでも二日近くかかった距離を二時間半とは。流石はグリフォン、速い。

 速度の次は積載可能な重量だ。

「荷物が増えたら……例えば、ヒト四人を運ぶとしたら?」

「グリフォンは力が強いんだ、それでも三時間弱で着けるだろう。だが、背中に乗れるのはせいぜい三人……それも相当怖い思いをすることになるぞ。前足に掴んで運べないこともないが……、そんなのはお前だって嫌がるじゃないか」


「荷重が増えても大丈夫なら、アレを使えないか?」


 俺が指差したのは、倒れたままになっていたサートレイト憲兵隊の馬車だった。

 見た所ではただ倒れているだけで壊れてはいない。それにもし車軸や車輪が壊れていたとしても、長柄さえ無事なら運ぶことに支障はない筈だ。運ぶことだけを考えるなら、宮殿から基地まで荷物を運ぶ時のように前足でどこかを掴むという手だってある。

「そうか、確かにそれなら……!」

「白の飛行術を馬車そのものにかければ、一頭のグリフォンでも安定して飛ぶことが出来るな。詰めれば八人ぐらいは何とかなる」

 サラと将軍が感心した様子で頷いた。

「イクシスもいますから、そこまで無理をする必要はないでしょう。というか、全員で行きたいのは山々ですけど、それはそれで問題があります。ソリソカルと……サンシュリック村にいるヒト達です」


「サンシュリック……? あそこは十年ぐらい前になくなった筈だ」

 訝しげに呟いたスロウルム将軍に、サラが答える。

「あそこにはまだ一家族が残っています。昨日、姫様共々お世話になりました」


「エンバリィがそれを知っているかどうかはわかりませんが、放置するのも寝覚めが悪いというか……」

「当たり前じゃない! もしエンバリィがあそこにヒトがいるのを知ったら……、ちょっとした余興のつもりで足を踏み入れるかもしれない。僅かでも危険の可能性があるなら、きっちり対処しておかないと! あのヒト達はあたし達の恩人なんだから」

 俺の懸念を、リリィがはっきりと言い切った。

「近くを歩かれて柵が壊されるだけで、この『帰らずの森』では死活問題になるしな。ということで、彼らを安全に森の外まで運び出して欲しいんです――サートレイト隊の方々に」

「何ィッ!?」

 隊長は大きく叫んだ後、息も継がずに捲し立てた。

「こ、この火急の事態だぞ!? 我々だって王女殿下の身を守るのが第一ではないか!! 何よりここの危険度は今朝身にしみておる!! 我々三人で民間人を護衛しつつ森を抜けるなど不可能だ!」

「堂々と宣言することじゃねぇけどなぁ」

「民間人の避難誘導も出来ないのに、王女様の身を守るつもりなんですか、隊長……」

 ムキムキとガリガリだけでなく、隊長以外の全員から肩の力が抜けた。

 苦笑をかみ殺した俺は説得を試みる。

「そこでソリソカルです。飛ぶことは無理でも地上で戦うことは出来るでしょうし、あの巨体がそばにいて襲ってくる魔物はそうはいない筈ですよ。むしろ憲兵隊の仕事は、周囲に気を配って奇襲されないようにすることと、サンシュリックにいる家族を説得することです。俺達じゃ緊急事態を告げても村から連れ出すまでは難しい。ここは国家権力の出番です」

「ぐっ……。グ、グリフォンが同行するなら将軍閣下でも――」

 往生際の悪い隊長の台詞を最後まで言わせず、俺は冷たい視線と共に呟いた。

「反乱鎮圧に憲兵隊のお三人が行ったとして……今のスロウルム将軍よりも役に立つ自信、あります?」

「ぬ! ぬぅぅ!」

「無理です。私達三人束になっても無理です」

「それこそ周囲の警戒ぐらいにしか使えないよな、俺達」

「しかし、またとないチャンスなのに……」

「逆に考えましょう。むしろ危険からは遠ざかり、かつ役に立つことが出来れば――」

「いやいや。頼りになる奴ら全員他所に行っちまうんだぞ?」

 憲兵達は顔を寄せ合って話し合っても、なかなか前向きにならない。

 俺は何気ない風を装って、最後の手札を披露した。

「そういえば、サンシュリック村には陸酔一樽分がありますよ。紳士的に助ければ、少しくらいは分けてもらえるかも――」

「何だと!?」

 俺に最後まで言わせずに隊長が叫ぶ。

「お酒で人生決める気ですか隊長」

「フィリップ、俺もちょっと心が動いたぞ」

「ウェイバーまで何言ってるんですか!?」


 いつまでもああだこうだ言っている三人に業を煮やしたのか、リリィが一歩前に出た。

「至急ソリソカルと一緒にサンシュリック村跡まで向かい、そこにいるノンプ一家を森の外まで連れて行って下さい。夫婦と二人の子供たち、全員が私の恩人です。一切の無礼がないよう丁重に、しかし可能な限り急ぐよう。これはルークセント王女としての命令です!」


「――は、はっ!」

 憲兵達が直立不動になって、びしっと敬礼する。

「ソリソカルには私が言って聞かせよう。なに、群れをなす魔物はソリソカルがいれば近付いてこないし、例え大型の魔物でも複数匹に囲まれることさえなければ、死ぬようなことはないだろう」

「はっ!」

 スロウルム将軍のフォローもあって、憲兵達の顔は幾らかしっかりしたものになっていた。命令の方がやる気がでるようだ。

 上官らしく憲兵連中に頷いたスロウルムが、地面に伏せて休んでいるソリソカルへと歩み寄り、小さな声で話しかけ始めた。


 不意に空を確認したサラが言った。

「そろそろソリスが来るぞ。馬車を立て直そう」

 地面に横倒しになった馬車に女騎士が白の浮遊術をかけた。

 僅かに――ほんの十cmほど――浮いたところをイクシスが鼻先で押し、俺達が車輪の片方を引っ張ることで、馬車を平行に戻す。思った程の力は込めずに事は済んだ。

 馬車は、よくよく観察しても壊れた個所は見当たらず、左側の側面が泥や馬の血で酷く汚れている程度だ。

「これなら地面を走っても大丈夫だな……、お」

 俺の耳に羽音が届いた。かすかに風を感じたと思えば、ゆっくりと淡い黄色のグリフォン――ソリスが舞い降りてくる。

 宮殿から脱出する時には嫌な予感しか覚えなかった羽ばたきの音が、今はこれ以上ない程頼もしい。

「クワァアアアアア!」

 着地したソリスは、すぐにイクシスとソリソカルに向かって挨拶らしき鳴き声を上げた。


 手早く馬車に繋げるかどうか確認する。

 グリフォンは馬よりもずっと大きい体だが、長柄の間に入ることは出来る。馬車と繋がったまま残されていたハーネスを流用すれば、何とか引けそうだ。

 俺は安堵のため息と共に呟いた。


「正直ギリギリってところだが……無理って程でもない。将軍とサラがいれば浮遊魔法が切れることはないだろうから、墜落することもなさそうだし」

「この際贅沢は言ってられないわ。皆、お願い」

 王女の頼みを受けて、ソリスを馬車に繋ぐ手伝いを始めた。

 といっても俺達に出来ることなど馬車の位置を微調整するぐらいで、グリフォンライダーの二人が本職らしい真剣さで重要な部分を監督していた。作業の合間に、車内に残されたままだった憲兵隊の荷物を取り出し、ムキムキに渡す。

 手際良く準備を終えたサラが、ソリスの手綱を引いて叫んだ。

「行けるぞ、カインド!」


「良しッ。んじゃ後は――」

 即席のグリフォン車と周囲の風景を指差し、頭の中の情報と一緒に何か漏れている部分がないか確認していた俺の肩を、ルースが不意に掴んだ。

「待て。結局エンバリィ――巨獣のことはどうするつもりなんだ、カインド……? まだ聞いていないぞ」

 真っ直ぐにこっちを見据える彼女の瞳は真剣だった。戦士としては、最も攻撃力のある存在が一番気になるのも当然だ。

 俺はなるべく何でもない口調を心掛けて、答えた。


「ああ、俺が残って見張るよ」


 一瞬どころか十秒ほど、全員の動きが止まった。

「…………い、イクシスと一緒に残るってことか?」

 ようやく口を開いたルースが呟いた。乗せられたままだった彼女の右手に力が入り、少し痛いくらいだ。


「いや、俺一人で、だ。迅速に反乱を治めるには、全戦力を宮殿に向けなきゃならない。特に、ドラゴンの機動力と戦力、それに見た目の恰好良さは必要になりそうだしな。でも、巨獣を放置も出来ないし、見張りぐらいは残しておかないと。この中で一番いてもいなくてもいい奴って言ったら、俺だろ?」


「…………アホかぁあああッ!!」

 顔を真っ赤にしてルースが怒鳴り。

「グルアアアアアアッ!!」

 イクシスは大きく口を開けて鳴いた。


 どちらも耳から頭の中を叩かれるような大音声だ。男装の魔剣士に至っては、普段なら絶対に口にしない罵り言葉まで使っている。それだけ怒っているらしい。

 驚く俺をよそに、ルースは捲し立てた。

「そんなこと出来る訳がないだろう!! ヤツにとっては、君なんて手足を使うまでもない、指一本でも一撃で殺せるんだ! アリがヒトに――それもたった一匹で――立ち向かうようなものだ! 犠牲になるのがわかってて残して行ける訳がない!!」

「グルアッ!! グルアァァアッ!!」


 リリィあたりが反対するかもしれないとは思っていたが。

 イクシスは別にしても、俺はルースがここまで拒絶反応を示すとは思わなかった。


 しかし、例え一番戦闘能力を持っている奴が相手だとしても、ここは引く訳にはいかない。

「俺だって死ぬのが確実ならこんなこと言い出さないよ。何も戦うことを前提にして残るって訳じゃない。大体、巨獣がいつ起きるのか予想もつかないんだ、明日まで寝てる可能性だってある。その場合は、反乱を治めた上でルークセントの戦力を持ってくることも出来るだろ? あくまで備えだってば」

「それだって、君が一人の時に巨獣が起きたら同じじゃないかッ! 逃げるにしたって相手の方がずっと大きいし、動きだってそこまで遅くないぞ! 戦うことも逃げることも出来なかったら、見逃してもらうことを祈るくらいしか――」

「逆だよ、逆。もし巨獣が反乱鎮圧よりも先に起きるようだったら、俺に釘付けになるようにしなけりゃならない。その為の考えはもうあるんだ。と言っても数時間だけどな。でも、今の所この配分が一番勝率が高そうなんだよ」

 ルースを真正面から見つめ返す。

 俺の決意を感じ取ったのか、赤みがかった瞳からは怒りが薄れ、代わりに迷いや困惑らしきものが感じ取れた。

「グルル……」

 イクシスも勢いをなくし、上目遣いで恨めしげな呻き声を上げる。


 俺達が数秒睨み合っていると、リリィがぽつりと呟いた。

「カインドが残ることが勝つ為に必要ってこと?」

 その言葉にルースから視線を外せば、全員が俺を見ていた。

 ほとんどが不安を見せている中、リリィだけがどこか堂々としている。


「じゃあ……こう言おう。もし、巨獣が起きてしまった場合、一番時間を稼げるのは俺――いや、俺一人の時だ」


 俺がきっぱりと言うと、リリィは軽く眉をしかめて、目を閉じた。

「……きっと、こういう難しい問題に決断を下すのが王の役割なのよね……」

 全員が押し黙り、王の決断を待つ。彼女の周囲だけ時間が止まったかのようだ。

 やがてリリィは顔を上げ、瞼を開いた。

 王女の瞳に迷いはない。

 真剣な表情はしていても普段と変わらない声色で言った。


「わかったわ。それが一番勝率が高いのなら……ここはカインドに任せることにする。何か必要な物はある?」


「お、おい……ちょっと待――」

 ルースの言葉を遮るように、俺は急いで言った。

「そうだな、とりあえず食料と水。それと……巨獣が起きた時の為に信号弾があれば。リリィ達や隊長達に通じるかどうかは別にしても、ここに危険があることは出来るだけ周知しておきたい。国民や旅人に巨獣見られるだけで、大事になるのは避けられないからな」

「それなら、憲兵隊の携帯食と水筒を持って行って下さい。嵩張らないでしょうから」

「信号弾の方は私から渡そう。『赤』が緊急事態を表すが、一気に全部打ち上げても大事だということは伝わる筈だ」

 ガリガリが木製の水筒と手のひらに納まる包みを二つ、スロウルム将軍が腰の左に下がったバッグから四つの筒を取り出した。

 俺は有難く受け取って、自分の腰のバッグへ突っ込む。


「グルアー……」

 イクシスが大きな頭部を押し付けてくる。もう反抗しきれないことを察したのだろう。

 そういえば、コイツが卵から孵ってから一度も離れたことはなかった。親心のようなものが急に沸き上がってきてしまう。

 俺は黒い鱗に覆われた顎に手をやって、ドラゴンの顔を自分へと向けた。

「大丈夫だって。お前こそ気を付けろよ? そっちの方がずっと危ないんだからな。ルースの言うことをよく聞いて行動してくれ」

「グルア」

 撫でてやると幾らか安心したのか、イクシスは頷いた。


「じゃ、そろそろ、サートレイトの皆さんはサンシュリック村へ向かって下さい!」

「ええい、よく考えたら何でお前が仕切っているのだ、ソーベルズ!」

「あーもう、そんな小さいことで揉めても意味ないですから」

 ガリガリが隊長を宥める頃には、将軍の合図を受けてソリソカルは森へと足を踏み入れていた。

 後を追う憲兵団サートレイト隊は、一人ひとりこちらを振り返って言葉を残していく。

「死ななけりゃ、また会おう!」

「全員のご武運をお祈りします!」

 ムキムキは腕を振り上げ、ガリガリは手早く敬礼した。

 続く隊長は、びしっと俺を指差して叫んだ。

「ソーベルズ! 文句は後で纏めて言わせてもらうからな!! それと殿下、万事上手くいった暁には、サートレイト隊ノリプトン・ティングをお忘れなく――」

 後半はペコペコと頭を下げた隊長の叫び声は、いつまでも響きながら森の奥へと消えて行った。

 事ここに至るまで変わらない隊長がどこか頼もしい。


「あたし達も行くわ」

 リリィが言うと、スロウルムとサラが頷いた。

「ソーベルズ卿、君には尽きせぬ恩がある。万事上手くいったら国を上げて感謝の意を表明しよう。つまり、その為には生きていてもらわなければならない、ということだ」

「本当なら何時間だろうと頭を下げなければいけない身の上ですが、とにかく一言だけ。ありがとうございます。残った分は明日にでも全員の前で言わせてもらいますので」

 スロウルムとフルールが並んで頭を下げた。二人とも心配してくれていることがひしひしと伝わってくる。

 翌日以降の約束を有難く思いながら、俺は答えた。

「リリィとフルールは特に危険です。二人とも気をつけて」

 フルールは父親の手に引かれて、馬車に入った。

 それを見届けてから、サラが傍に来る。真面目な戦士の顔をしているのに、三角形の耳がぺたんと垂れ下がっているのがおかしかった。

「姫様とフルールのことは私に任せてくれ。スロウルム隊長と一緒なら、傷一つ負わせたりしない」

「ソリスに乗るお前が船頭になる。臨機応変に対処してくれ」

「言われるまでもない。カインド、死ぬなよ」

 突然、サラは俺を思い切り抱き締めた。

 一瞬のことでも、楔帷子の下にあるものが潰れる感触が残る。

 俺が内心硬直しているうちに、女騎士はひらりとグリフォンに跨った。

「……せっかくの別れの挨拶なんだから、もうちょっと締まった顔しなさいよ……」

 リリィが呆れた様子でため息をつく。

「う、うっせい」

 慌てて返した俺の言葉は、かすれていて無様だった。一度咳払いをして、自分を立て直す。

「俺としては急いでくれた方がありがたいけど、あんまり焦って乱暴になるなよ? お前が生きてることが最低条件なんだから。とは言え、あまり甘いことされても困る」

 俺の助言にリリィは苦笑した。

「わかってる。でも、仲間は誰も死なせたくないっていう思いは貫き通すつもり。その辺は覚悟しておいて。……それに、仲間にはあんたも含まれてるんだから、勝手に死んだら承知しないからね」

「死ぬつもりなんて微塵もないって。そっちこそ、俺に待ちぼうけ喰らわしたりしないでくれよ?」

「ええ、急いで片付けて戻ってくるわ」

 リリィは柔らかく微笑んで馬車に乗り込み、振り返った。

「ルース! 行くわよ!」


「先に行ってくれ。カインドに話があるんだ!」


 ……んん?


 怒鳴るように返したルースの声には勿論、その内容にも驚いた。

「……なるべく急いでね」

 一瞬俺とルースの間で視線を動かしたリリィはそう言って、サラに目線で合図を出した。

 リリィの反応にも思考が停止してしまい、返事が出来ない。

「行きます! セヤァッ!」

 女騎士が気合いと共に手綱を鳴らし、淡い黄色のグリフォン――ソリスは走り出す。

 馬車は微かにだが浮いているので、ソリスの二種類の足音と翼をはためかせる音しかしない。力が強いだけにすぐに速度に乗り、少しずつ浮き上がっていく。

 一旦浮いてしまえば、即席のグリフォン車はあっという間に小さくなっていった。


 ようやく事態を把握できるようになった俺は、おずおずと口を開いた。

「あのー……こういう時は一気に解散するのが常道ですし……、俺もそろそろ行かないとマズイと思うんですけど……」

「今更文句が言えそうにないのは僕にだってわかっている。駄々をこねるつもりはない。ちょっと文句を言わなきゃ気が済まなかっただけだ」

 ルースが拗ねた口調で言った。きっと世間のヒトはそれを駄々を捏ねると言うんじゃないかなぁ。

「まず僕が納得する前に話を進めたことに腹が立つ。その上、皆心配しているのにさっさと同意してしまって。質問や検討もなく、問題点を上げることも出来ないじゃないか。大体、何だって君が一番重要な部分を担うんだ。弱い癖に目立ちたがりというか何と言うか、頭は回るんだからもっと裏方に回ってもよさそうなものなのに、進んで前線に立ちたがる」


「グルァ~ッ!」

 イクシスがもっともだ、という風に頭を上下させた。


「一人で残るだって……? あの巨獣を相手に? たまたま持っていたアイテムで一度倒したからといって調子に乗っているんじゃないか!? 君のことだから本当に策はあるんだろうが、それだってどこまで確かなのかわかったものじゃない! 少しは残していくこっちの身にもなれッ!!」

 ルースはだんだん声のトーンを上げていき、彼女の言葉は最後には絶叫になっていた。イクシスも睨むように俺を見据えている。

「……すまん」

 俺は頭を下げた。俺の指揮や策、やり方に文句があるならともかく、心配させるなと言われれば謝るしかない。


 ルースはため息を一つつくと俺から視線を外し、普段の声量になって言った。

「本当に勝算はあるんだな?」

「何度も言ってるだろ。死ぬつもりなんかないって。これだけ色々あった話をモントに伝えなきゃならないし、昨日落とし穴の底で喰らったデコピンは忘れてないよ」

「自分を犠牲にして、リリィを勝たせるつもりじゃないんだな?」

「博打なのは確かだが、自己犠牲に浸れるほど殊勝でもないさ。信用してくれ――」

 何気なく口にするつもりだった台詞なのに、俺はそこで止まってしまった。数秒凍りついてしまった舌を無理に動かして、言葉にする。


「――相棒、だろ?」


 その台詞を口にするのは恥ずかしかった。友達だとか恋人だと言うのよりも余程照れくさい。

 だが、結果としてルースには効果があった。

 赤みがかった瞳が揺れ動き、様々な感情が走っていく。


 驚き、喜び、戸惑い、怒り。


 最後には憮然とした表情になって、ルースは呟いた。

「……そういう手を使ってくるか、まったく。まぁ、大体文句も言い終わったし……本来の要件に移ろう。生き残るつもりなら、これを持って行け」

 魔剣士は脇の下に差していた短刀を鞘ごと外した。赤い刀身を持つ、真龍よりアレイド・アークへと贈られた片刃の短刀――赤尾刀。胸当ての脇側を締めるベルトに引っ掛ける形だったらしい。

「え、いいの? 武器としての能力とか価値だけじゃなくて、お前にとっては御先祖様の遺品でもある訳だろ?」

「守り刀だ。あの巨体相手じゃあ、君がこれを持ってもほとんど意味はないからな」

 受け取った赤尾刀は小さいのにずしりと重く、存在感があった。ズボンに突っ込む訳にもいかず、剣帯と龍騎士の鎧の間に差し込む。

 役に立つかどうかは別にして、酷く頼もしい。これなら一人でも寂しくはないだろう。


「んじゃ、そろそろ行くわ」

「まだだ。もう一つだけ」

 ルースはそう言って、右手の拳で自分の胸を叩いた。親指側と革製の胸当てがぶつかり、ドンと少し重い音がする。

 初めて彼女と出会った夜、自己紹介の時に見せた仕草だった。

「実は、これはホワイト=レイの敬礼なんだが……続きがあるんだ。君も同じようにやってくれ」

「あ、ああ」

 意味はわからなくてもルースの口調は真剣だった。


 少し指に痛みが走るくらい強く、自分の鉄でできた胸当てを右手で叩いた。

 ルースが胸元の拳を真っ直ぐ俺に向けて突き出す。

 俺も彼女に倣って、腕を伸ばした。

 ルースの握り拳と俺の握り拳が触れた。


「自分の命と相手の命を交換する、という意味があるそうだ」

「拳に命を乗せて、ってことか……」


「グルア!」

 拳を合わせたままの俺達の横で、イクシスが翼を広げた。

 長い首を思い切り曲げて、鼻先を自分の胸に当たる腕の付け根近くに付ける。

 そして、もう一度首を伸ばし、黒い鱗で覆われた鼻先を俺とルースの拳に押し付けて来た。

「ふふ。君もか、イクシス」

「グルアー!!」


 俺達はイクシスも含めて、合わせた拳と鼻先を胸元に戻し、もう一度叩いた。

 相棒の命を預かるように。


「急いで戻ってくる。自分の体を最優先させろよ」

「お前は攻撃の要だ。暴れていい。でも、勢いに任せて暴走すんなよ」

「グルア!!」

「王都や宮殿の連中に見せつけてやれ、恰好イイ魔剣士とドラゴンの雄姿を」


 頷き合うだけで、俺達の間に別れの言葉はなかった。


 ルースが素早くイクシスの背に乗る。

 首筋の鬣を彼女が掴んだことを確認したイクシスは後ろ足だけで立ち上がると、翼を大きく広げた。蝙蝠のものに良く似た翼が一度羽ばたくだけで、ドラゴンの大きな体が浮き上がる。


 そこまで見て、俺は森へと踵を返した。

 まずは巨獣の元へと辿り着かなければならない。頼る者が一人も――それどころか一匹も――いない状態で、魔物との遭遇率が高い『帰らずの森』の中を、三十分は歩く必要がある。

「……」

 一番運が試されるのはここかもしれない。オーガウルススあたりと遭ってしまえば、もうお終いだ。

 ここから研究所の間では一度も魔物と遭遇しなかったので、そこそこ公算は高いと思うのだが……怖いものは怖い。感情的な面だけでなく、責任的な意味でも、だ。


 一度空を見上げ、離れていくイクシスとルースを視界に収める。

 それこそ物語に登場するような美しい場面を目に焼き付けてから、ルースから受け取った短刀の柄を握り締め、俺は薄暗い森へと足を踏み入れた。

3月19日初稿


11月11日、30話の改訂に伴い一部描写を変更。

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